カテゴリ:兵庫の史跡・観光( 39 )

 

後藤又兵衛基次ゆかりの地をたずねて。 その3 「蛇塚~又兵衛田」

「その1」で紹介した周辺の後藤又兵衛史跡マップに「蛇塚」なるスポットが載せられていたので、足を運んでみました。


e0158128_21421150.jpg

これがその「蛇塚」です。

なにやら古墳跡のようにも見えますが、これが又兵衛ゆかりの史跡なんだとか。

以下、説明板の文章をそのまま引用します。


むかし、南山田の池田という所におった大蛇が田畑を荒らし回り、村人を苦しめていた。近くの城山に城があって、そこに後藤又兵衛が住んでいた。その近くの射場という所で弓の稽古をしていた又兵衛は、「拙者が退治をしてやろう」と言ったそうだ。

 やがて池田に大蛇が出た。又兵衛が、射場から弓を射ると見事に大蛇に命中して退治してくれた。しかし、大蛇は余りに大きかったので、頭の方を寺垣内に埋め、胴体を四畑に、尻尾は奥の谷へ埋めた。それでこの辺りを蛇塚というそうな。 (口伝により)


つまり、又兵衛が大蛇退治し、ここに埋めたんだそうです(頭か胴体か尻尾かはわかりませんが)。

ただ、又兵衛がこの地に住んでいたのは少年時代だったはずですから、にわかに信じがたい話ではありますけどね。

ていうか、そもそも大蛇自体が伝説ですけど。


e0158128_21425832.jpg

もう1ヶ所、又兵衛ゆかりの史跡を紹介。

南山田城跡の北側は、現在、田園地帯になっているのですが、その1角に、「又兵衛田」と呼ばれる田んぼがあります。


e0158128_21433521.jpg

以下、説明板の文をそのまま引用します。


「又兵衛田」

1611年(慶長16年)以降、姫路城の城主・池田輝政の配慮で後藤又兵衛の扶持米を作ったとされる田で、「又兵衛田」と言い伝えられてきた。

黒田家を出奔後の後藤又兵衛の命をつないできた貴重な田である。


晩年の又兵衛が、一時、播磨に戻ってきたとは知っていましたが、この地に戻ってきてたの?


e0158128_21435788.jpg

黒田官兵衛の元で武功を重ね、一時は大隈1万6千石もの大封を与えられていた又兵衛でしたが、新しい主君の黒田長政とそりが合わず、慶長11年(1606年)に黒田家を出奔してしまいまず。

それでも、又兵衛の武勇は天下に轟いており、細川忠興、福島正則、前田利長、結城秀康など名立たる大名から誘いがかかりますが、長政がしいた「奉公構」によって実現しませんでした。

「奉公構」とは、出奔した家臣を他家が召抱えないように釘を刺す回状を出すことで、豊臣政権によって始まった制度でした。

その後、又兵衛は京に流れて浪人生活となり、そして、慶長19年(1614年)に大坂と幕府の関係に暗雲が立ち込めると、大野治長の招きで大坂城に入ります。

そして、翌年の5月6日、道明寺の戦いにおける小松山の攻防戦壮絶な死を遂げるんですね。

大坂の陣では真田信繁(幸村)と並び称される英雄の又兵衛ですが、大坂城の浪人衆からは、又兵衛が最も慕われていたといいます。

あのまま自分を押し殺して長政に従っていれば、大隈1万6千石で穏やかな余生を迎えていたことでしょう。

でも、後世にはそれほど名を知られていなかったでしょうね。

又兵衛にとってどちらが幸せだったかはわかりませんが、自身の生き方を貫いた又兵衛の生き様に、後世のわたしたちは魅せられるのでしょう。


又兵衛関連の史跡は、大坂の陣シリーズでも紹介しています。

よければ一読ください。

  ↓↓↓


ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

by sakanoueno-kumo | 2016-10-21 18:34 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

後藤又兵衛基次ゆかりの地をたずねて。 その2 「福田寺」

南山田城跡の公園から150mほど西にある福田寺を訪れました。

ここは、南山田城主・後藤家の菩提寺だそうです。


e0158128_21331764.jpg

後藤氏の出自は諸説ありますが、藤原氏の流れをくむ後藤基清の子、基重が、承久の乱の後に播磨国安田荘の地頭となったことに始まったといいます。


e0158128_21332053.jpg

その後、建武年間、播磨国の守護職・赤松則村(円心)の幕下であった後藤基明が、ここから2kmほど北にある春日山城の初代城主となり、時代は下ってその9代目にあたる後藤基信のとき、中国征伐に向かう羽柴秀吉によって城は攻め落とされました。

その後藤基信の弟が、後藤又兵衛基次の父・元国でした。


e0158128_21333102.jpg

山門の横に、最近建てられたと思われる「後藤又兵衛顕彰碑」と刻まれた石碑がありました。

その背後に見える森が、南山田城跡の公園です。


e0158128_21334596.jpg

高さは約2.5mあります。

やりの名手として知られた又兵衛にちなみ、やりの穂先の形に仕上げられたのだとか。


e0158128_21335232.jpg

石碑裏面の説明書きです。

「又兵衛400年祭」と記されているように、没後400年を記念して建てられたようですね。

2015年5月6日とあります。

又兵衛が討ち死にしたのは、大坂夏の陣大坂城が落城する1日前の慶長20年(1615年)5月6日、現在の住所でいえば大阪府柏原市で行われた道明寺の戦いにおける小松山の攻防戦でした。

石碑は、その400年後の命日に建てられたわけですね。

ちなみに、又兵衛は一般に「基次」の名で知られていますが、実は、当時の記録に「基次」と記された史料は存在せず、「正親」が実名だったようです。

真田信繁における「幸村」という名と同じく、「基次」も後世の創作と考えてよさそうです。


e0158128_21335917.jpg

境内です。


e0158128_21340242.jpg

本堂です。

e0158128_21341062.jpg

本堂裏の墓苑の一角に、「後藤又兵衛父母の供養塔」があります。


e0158128_21341336.jpg

又兵衛の父母の没年は定かではありません。

別所氏滅亡後は仙石秀久に仕えたといわれますが、この地に供養塔が残っていることを思えば、あるいは三木合戦時に落命したのかもしれませんね。

息子の又兵衛が有名にならなければ、父の名前すら後世に残らなかったかもしれません。


もう1回だけ続きます。



ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


by sakanoueno-kumo | 2016-10-20 19:03 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

後藤又兵衛基次ゆかりの地をたずねて。 その1 「南山田城跡」

後藤又兵衛基次といえば、若き日は「黒田二十四騎」「黒田八虎」のひとりとして、晩年は大坂の陣の大坂方の武将として、真田信繁(幸村)と並び称される英雄として後世に人気の人物ですが、その又兵衛の生誕地と伝わる姫路市山田町を訪れました。


e0158128_21261476.jpg

といっても、ここを目当てに訪れたわけではなく、別の目的でこの道を通ったところ、たまたま「後藤又兵衛」と書かれたを見つけ、つい立ち寄った次第です。

こういう偶然を想定して、休日はいつもカメラを持参しています。

ただ、この日はあいにく小雨がパラつく天気で、暗い写真ばかりなのが残念ですが。


e0158128_21261856.jpg

看板にあった史跡マップを参考に、「南山田城跡」を目指します。


e0158128_21262115.jpg

手前に見える森が、城跡のようです。


e0158128_21262579.jpg

城跡といっても遺構などはほとんど残っておらず、現在は公園として整備されています。


e0158128_21262838.jpg

公園内は広場になっており、北側から東側ののなかに、わずかに土塁っぽい遺構が残されています。


e0158128_21263107.jpg

公園内ある古い祠と、城跡の説明板です。


e0158128_21263448.jpg

南山田城の築城年代は定かではありませんが、又兵衛の父である後藤基国によって築かれたと伝えられます。

天正6年(1678年)に織田信長の命を受けた羽柴秀吉が播磨国に侵攻すると、三木城主・別所長治らがこれに反旗を翻し、別所氏の配下にあった後藤氏は、運命を共にします。

しかし、当時まだ幼かった基国の子・又兵衛は、姫路城代だった黒田官兵孝高に預けられました。

しかし、官兵衛が荒木村重によって有岡城幽閉された際、黒田家家臣一同の誓紙への署名を、又兵衛の叔父である春日山城主後藤基信が拒否したため、後藤氏一族は追放となり、又兵衛も黒田家を去ることになります。

その後は仙石秀久に仕えたといわれますが、確かではありません。


e0158128_21263861.jpg

公園の周辺は曲がりくねった道で囲われていて、かつての堀跡を思わせるロケーションです。


e0158128_21264122.jpg

ここは明らかに土塁跡でしょうね。


南山田城跡のその後は定かではありませんが、ここから2kmほど北にある又兵衛の叔父・基信の春日山城が秀吉軍によって攻め落とされたとき、共に落城したとみていいのではないでしょうか。

次稿では、又兵衛の父・母が眠る福田寺を訪れます。


ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

by sakanoueno-kumo | 2016-10-19 22:15 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

夏休み中播磨路紀行2016 その5 「書寫山圓教寺 ~後編~」

前稿に引き続き書寫山圓教寺です。

圓教寺の敷地内はあまりのも広大で、すべてをじっくり観光するには1日中かかるくらいの規模です。

この日は午後からの限られた時間での観光だったので、摩尼殿を訪れたあとは、その西奥にある有名な三之堂へ。


e0158128_19271465.jpg

摩尼殿から西へ向かう参道です。

豪壮な石垣群は、まるで城跡のよう。


e0158128_19271813.jpg

でも、城跡じゃないとわかるのは、石垣の上に無数の地蔵群が・・・。

なんとも神秘的な空間です。


e0158128_19272610.jpg

数分歩くと、有名な3つの堂の建つ空間にたどり着きます。

右側の建物が大講堂、左奥に見えるのが食堂(じきどう)、写真左に屋根の先端が少しだけ見えているのが、常行堂です。

いずれも室町時代の再建で、国の重要文化財です。

写真では伝わりにくいですが、目の前に広がる雄大な光景に、しばし言葉がでませんでした。


e0158128_19272935.jpg

こちらが、大講堂側から見た常行堂


e0158128_19273299.jpg

こちらは、食堂2階から見た常行堂


e0158128_19273628.jpg

こちらも、食堂2階から見た大講堂です。


e0158128_19273935.jpg

ここ三之堂は、映画やドラマのロケ地に何度もなっていますが、そのいちばん有名なものとしては、あのトム・クルーズ主演の『ラスト・サムライ』でしょうね。

トム・クルーズ演じる主人公のオールグレン大尉と、渡辺謙さんが演じる勝元の絡みのシーンは、ここ食堂で撮影されました。


e0158128_19274231.jpg

なんでも、映画スタッフがロケ地候補の姫路城の視察に訪れた際、近くのこの地に観光がてらに立ち寄ったところ、ひどく気に入られ、ロケ地に決まったそうです。

ということは、トムもあのロープウェイに乗って来たのかと思ったのですが、宿泊先の神戸からヘリでここまで着たそうです。

さすがは超スーパーハリウッドスターですね。

庶民的な謙さんは、たぶんロープウェイで来たんじゃないでしょうか?


e0158128_19274548.jpg

他にも、NHK大河ドラマでは平成15年(2003年)の 『武蔵-MUSASHI-』や、平成26年(2014年)の『軍師官兵衛』でもロケ地となっています。

宮本武蔵と圓教寺の関りについては記録に残っていませんが、武蔵と姫路の関りは深く、武蔵の養子となった宮本三木之の墓が、ここ圓教寺にあります。


e0158128_19274888.jpg

黒田官兵衛
と圓教寺の関係は、天正6年(1578年)、織田信長の命により播磨攻めを開始した羽柴秀吉に、ここ書写山に陣を布くよう勧めたのが官兵衛だったと伝えられます。

食堂には、そのときの羽柴秀長の家臣の落書きが残されていました。


e0158128_19322382.jpg

毎年夏の旅行で子供たちには何か体験学習をさせているのですが、今年はこの食堂で、なんと写経体験に挑戦。

写経は、本格的な般若心経と、初心者向けの簡易な花びら写経があります。

花びら写経は約10分程度でできるのですが、般若心経は1時間以上かかります。

ほとんどのメンバーは花びら写経を体験しましたが、一応、書道の有段者である中3のわが娘だけは、高校合格祈願をかけて般若心経に挑戦。

集中力と根気を要する作業です。


e0158128_19323181.jpg

トム・クルーズと渡辺謙さんが絡んだシーンと同じ場所での写経です。


e0158128_19323787.jpg

わたしも、花びら写経に挑戦。

筆をとる前に、まずは手を合わせて般若心経を唱えます。


e0158128_19324064.jpg

皆が無言で机に向かう姿は、なかなか貴重な光景です。


e0158128_19324307.jpg

前日に転んで肘と膝を怪我したOL1年生の彼女の願掛けは、「ケガをしない!」


e0158128_19324653.jpg

そして、わが娘の般若心経が完成。

果たして志望校合格のご利益があるか!

静寂に満ちた空間で、背筋を正して写経。

たまには、そういった非日常な時間を過ごしてみるのもいいですね。


圓教寺を後にすると、中播磨といえばやはり世界遺産の姫路城

最後に少しだけ足を運びました。


e0158128_19324912.jpg


姫路城については、以前たっぷりレポートしていますので、よければ一読ください。

  ↓↓↓

白鷺の天守閣がよみがえった姫路城を歩く。 


以上、2016年の夏休みレポートを終わります。



ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ



by sakanoueno-kumo | 2016-10-14 18:57 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

夏休み中播磨路紀行2016 その4 「書寫山圓教寺 ~前編~」

西の比叡山と称される天台宗の古寺「書寫山圓教寺」を訪れました。

書写山は、姫路市の北部にある標高370mの山で、圓教寺はその山上にあります。


e0158128_19034427.jpg

山頂までは麓から登山すると1時間以上かかるそうで、この日はロープウェイで登ります。


e0158128_19034711.jpg

ロープウェイは黒田官兵衛キャラでラッピングされています。

2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』以降、姫路市周辺はこの官兵衛くんキャラでいっぱいです。


e0158128_19035127.jpg

ロープウェイを降りたらすぐ圓教寺というわけではなく、そこから20分ほどの登山です。

この日は8月13日の真夏日

私はこのところ休日は史跡めぐりばかりしているため、こういったシチュエーションは慣れているのですが、山に慣れてない人は、結構キツイかもしれません。

体力に自信のない人のために、バスもあります。

ちなみに私の妻は、迷わずバスに乗車しました。


e0158128_19035424.jpg

登山道途中の展望台からの眺望です。


e0158128_19035870.jpg

そこに設置されたベンチに、眺望の詳細な説明書きが・・・。

これって、落書き?

落書きとしては、かなりクオリティ高いです。

この説明(落書き)によると、ここから姫路城が見えるとのことでしたが、見えるような見えないような・・・。


e0158128_19040116.jpg

展望台で記念撮影。


e0158128_19040523.jpg

しばらく登ると、ようやく仁王門にたどり着きました。

ここから、書寫山圓教寺です。


e0158128_19040851.jpg

圓教寺は、康保3年(966年)に天台宗の僧・性空によって創建されたと伝えられ、花山法皇(第65代天皇)の勅願所となりました。

以後、後白河法皇(第77代天皇)や後醍醐天皇(第96代・南朝初代天皇)など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立が行われています。


e0158128_19041187.jpg

有名な「摩尼殿」です。

書寫山圓教寺で画像をググったら、まずこの画像が出てきますね。


e0158128_19041550.jpg

摩尼殿の号は承安4年(1174年)に参詣した後白河法皇によるものだそうです。

摩尼殿は、京都の清水寺と同じ舞台造りとなっています。

たしかに似てますね。


e0158128_19041813.jpg

姫路の人は、「摩尼殿の舞台から飛び降りる」って言うんですかね?(笑)


e0158128_19042310.jpg

圓教寺は広大すぎて、とても一回では紹介できません。

次回に続きます。




ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ



by sakanoueno-kumo | 2016-10-13 19:11 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

夏休み中播磨路紀行2016 その3 「林田大庄屋旧三木家住宅」

姫路市林田町にある「林田大庄屋旧三木家住宅」を訪れました。

ここは、かつての英賀城主・三木氏の流れをくむ大庄屋の邸跡と伝えられます。


e0158128_18453182.jpg

天正8年(1580年)、織田信長の命で播磨国に侵攻してきた羽柴秀吉により英賀城が落城した際、そのときの英賀城主の三木氏一族は、各地に逃れました。

英賀城最後の城主となった三木通秋の弟にあたる三木定通が、ここ林田村に逃れて帰農し、林田村構の三木家の祖となったと伝えられ、江戸時代を通じて大庄屋を務めたそうです。

大庄屋はふつうの庄屋とは違って、数ヶ村から十数ヶ村を統括し、身分は農民ですが、名字帯刀を許され、格別の特権と扱いを受けていました。


e0158128_18455322.jpg

建物の建築年代は江戸時代初期と推定され、大庄屋の建築としては県下で年代が推定できる最古の遺構だそうです。

広大な敷地には主屋、長屋門・長屋、米蔵、内蔵、新蔵を有しています。


e0158128_18460902.jpg

母屋は17世紀建築だそうで、入母屋造り茅葺屋根です。


e0158128_18462734.jpg
e0158128_18463164.jpg
e0158128_18463394.jpg
e0158128_18463625.jpg

中はこんな感じ。


e0158128_18472153.jpg

米蔵、内蔵は土蔵造で、19世紀前期の建築だそうです。


e0158128_18480219.jpg

庭園に面して縁側があります。

こういう光景は、都会でマンション暮らしの私らにしてみれば、憧れの空間です。


e0158128_18540714.jpg

その縁側で記念撮影。


次回につづきます。





ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ


by sakanoueno-kumo | 2016-09-30 22:14 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

夏休み中播磨路紀行2016 その2 「もちむぎのやかた~辻川山公園」

前稿の「夢さき夢のさとコテージ村」から車で20分ほど東の兵庫県神崎郡福崎町にある、「もちむぎのやかた」を訪れました。

「もちむぎ」とは大麦の一種で、この地域の名産品だそうです。


e0158128_17582902.jpg

“もち”というくらいですから、たぶん、普通の麦より「もちもち」した食感なんだろうというのは想像がつきますよね。

食べてみると想像どおり、「そば」と「うどん」の間のような食感でした。

結構、食べごたえがありましたね。


e0158128_17584976.jpg

もちむぎのやかたのすぐ北側に、標高126mの辻川山があるのですが、その麓にある「辻川山公園」に、面白いものがあります。

それが、これ。

  ↓↓↓

e0158128_17590778.jpg
e0158128_17591196.jpg
e0158128_17591491.jpg

河童の河次郎です(笑)。

これが15分毎にため池から出現します(笑)。

以下、説明板の文を引用。


河童の河太郎(ガタロウ)と河次郎(ガジロウ)


福崎町には、市川という大きな川が流れています。

この川の岸に駒々岩(こまがいわ)という大きな岩がありますが、そこには以前、河童の兄弟、兄の河太郎(ガタロウ)と弟の(ガジロウ)が住んでいました。二匹は、川へ水遊びにやってきた子どもの足を掴んで引きずり込み、「尻子玉」を抜いてしまうのです。

やがて、子どもたちは河童を怖がって誰も駒々岩で遊ぼうとしなくなりました。二匹の兄弟は、自分たちのせいだと後悔しました。

ある日、みんなの寝静まった夜、河太郎たちは柳田國男先生に会いたくて、毎日毎日この池で待っていました。

兄の河太郎は池のほとりで、弟の河次郎は皿が乾くと困るので池の中で、それぞれ待つことにしました。

二匹は、何年も何年も柳田國男先生を待ち続けました。

とうとう兄の河太郎は頭の皿の水がなくなって、固まって動けなくなってしまったのです。

こうして河太郎は、池の畔で動けなくなったまま、今も巌橋の方を見て柳田國男先生の帰りを待っているのです。

一方、弟の河次郎は池の中にいたので、今でも池の中から出てくることがあります。池の中をずっと覗いていると、尻子玉を抜かれるかも知れませんよ?

※この物語はフィクションです。

ということだそうです(笑)。

柳田國男という人物は、日本民俗学の創始者と呼ばれる学者さんで、明治、大正、昭和を生き、官僚も務めた方です。

この河童の話は、柳田國男が幼い頃を過ごした福崎町辻川での暮らしぶりなど、自身の人生を回顧して書いた著書『故郷七十年』に登場する話だそうです。

これが最近、TVのバラエティー番組で紹介されて、一気に有名になったのだとか。

この日もたくさんの観光客が訪れていました。

でも、幼い子は泣いて怖がってましたけどね(笑)。


e0158128_18001181.jpg

こちらは、池の畔で動けなくなったという河太郎です。


e0158128_18002740.jpg

河太郎と記念撮影です(笑)。


e0158128_18004240.jpg

河太郎の近くには、「天狗の森の妖翁」と名付けられた翼を持つ爺さんの像がありました。


e0158128_18011304.jpg

そして、その隣の広場では、逆さづり天狗が迎えてくれます。

これも、河童の河次郎と同じく定期的に出現します。


e0158128_18013607.jpg

よく見ると、和菓子を食べてます(笑)。

なんでも、町の特産品なんだとか。

これも、柳田國男の著書『妖怪談義』にまつわる演出だそうで、町おこしの目的で約1500万円かけ製作したそうです。

でも、これも幼い子はめっちゃ泣いてましたけどね(笑)。


e0158128_18022867.jpg

近くには、柳田國男の生家跡があります。


e0158128_18024492.jpg

その説明板です。


e0158128_18025825.jpg

生家跡のすぐ隣にある鈴の森神社です。


e0158128_18031624.jpg

柳田國男生家跡から辻川山山頂までの登山道は、「学問成就の道」と名付けられ、この地域出身の学者さんなどの胸像や、万葉集の歌碑などが各所に設置されています。


e0158128_18033155.jpg

辻川山山頂からの眺望。

福崎町が一望できます。


e0158128_18060377.jpg

まあ、河童も天狗も、話のネタにはなったかな?

次回に続きます。




ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ


by sakanoueno-kumo | 2016-09-29 03:58 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

夏休み中播磨路紀行2016 その1 「夢さき夢のさとコテージ村」

ちょっと時期がずれちゃいましたが、夏休みの備忘録です。

今年もお盆休みを利用して、毎年恒例のアウトドア旅行に行ってきました。

今年から8月11日が新しく祝日になった兼ね合いで、盆休みが長くなったという方が多いんじゃないでしょうか?

ところで8月11日って、何の日でしたっけ?

e0158128_16123319.jpg

毎年、神戸から2時間ほどで行けるキャンプ場にコテージなどを借りて1泊するのですが、今年訪れたのは、兵庫県姫路市夢前町にある「夢さき夢のさとコテージ村」

「夢前」と書いて「ゆめさき」と読みます。

素敵な地名ですよね。

夢前町は、かつては独立した自治体として姫路市の北部にあった飾磨郡に属していましたが、「平成の大合併」によって姫路市に編入合併となり、現在は、「姫路市夢前町○○」といったかたちでその名称を残しています。


e0158128_16132092.jpg

以前は4家族18人が集まっていたこの夏のイベントも、子供たちが大きくなってなかなか都合も合わなくなり、今年は3家族9人の参加でした。

まあ、それでも何だかんだで20年近く続いているというのは、われながらスゴイと思います。

可能な限り続けたいですね。


e0158128_16134005.jpg

キャンプ場といえば、なんといってもバーベキューでしょう。


e0158128_16140453.jpg

そして毎年恒例のスイカ割


e0158128_16142766.jpg

これも、子供たちが幼稚園児の頃からやっているので、かれこれ17~8年目になります。

今年はとうとう小学生がひとりもいないスイカ割となりました。


e0158128_16144132.jpg

この日はペルセウス座流星群がよく見えるとのことで期待したのですが、夜になって雲が出てきたのと、ご覧の通りの月明りだったので、流星群はおろか、ほとんど星が見られませんでした。

残念。


e0158128_16154258.jpg

思い出した!

8月11日は「山の日」ですね!

私たちのキャンプは毎年、山に行っていますから、言わずもがなです。

もっとも、この日は8月12日でしたが・・・。

次回に続きます。



ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ


by sakanoueno-kumo | 2016-09-25 16:23 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

2015夏休み但馬路紀行 その3 「生野城跡」

生野銀山から直線距離で2kmほど西に、かつて生野銀山を管理していた生野城跡があります。
びわの丸健康公園というところに城跡に通じる登山道があると知り、銀山で働いていたお姉さんに聞いてみると、「すぐ登れますよ!」とのこと。
ならばと、女子たちが銀山でシルバーアクセサリー作りを楽しんでいるあいだに、オッサンふたりで行ってみることにしました。

e0158128_16395637.jpg

現地に着いてみると、御立山という名の古城山は標高601m、比高290mとあります。
ほんとにすぐ登れるの?・・・と思いながらも、せっかく来たのだから、山に入りました。

e0158128_16414025.jpg

登り始めは階段が整備されていて、これなら確かにすぐ登れるかな?・・・と思ったのですが・・・。

e0158128_16434095.jpg

e0158128_1643572.jpg

階段の途中に、「間歩」跡がありました。
この山でも、が採れたということでしょうか?

e0158128_16464815.jpg

しばらくすると、階段からそれたところに「生野城登り口」の立て札が・・・。
なんだ、最後まで階段じゃないのか・・・。

e0158128_16471131.jpg

山道になりましたが、さほど険しい道ではなく、いい運動です。

e0158128_16484017.jpg

汗ダクになりながら15分ほど登ると、開けた場所に出ました。
ここが城跡?・・・と思ったのですが、どうも様相が違うようで、どうやら目の前に見える山の上のようです。
まだ比高100m以上ありそう・・・。

e0158128_16501221.jpg

ここから道のりは一変。
険しいのなんのって、ほとんど道なき道を進みます。
足元を見ながら集中して進まないと、滑り落ちそうな山道で、写真を撮る余裕もありませんでした。

e0158128_1653278.jpg

ようやく石垣の遺構らしき場所にたどり着きました。
おそらくここは、麓にあった看板の縄張り図にある、別郭跡だと思われます。

e0158128_16534917.jpg

こういうものを目にすると、下がりかけていたテンションが上ります。
そしてもうひと踏ん張り道なき道を進むと・・・。

e0158128_16565878.jpg

ようやく山頂、二の曲輪跡にたどり着きました。

e0158128_16571235.jpg

素晴らしい眺めです。
登山家の方々は、この達成感がたまらないのでしょうね。

e0158128_18302189.jpg

生野城の歴史は、応永34年(1427)、但馬の守護職・山名時熈山名宗全の父)が、室町幕府4代将軍・足利義持の命を受け、播磨の守護職・赤松満祐を討伐することになり、その際、播磨国と但馬国の国境であるこの山の頂上に城を築き、攻撃の拠点にしたのがはじまりとされています。
その後、天文11年(1542年)に山名祐豊が生野銀山を開坑すると、ここはその支配の拠点として機能するようになります。
ところが、弘治2年(1556年)に山名氏の重臣だった竹田城主の太田垣朝延謀叛を起こし、生野城を乗っ取ります。
しかし、天正5年(1577年)に織田信長の命で但馬国に進軍してきた羽柴秀吉によって、城は実効支配されました。
江戸時代に入ると、徳川幕府は山の麓に銀山管理の代官所を置き、山城はその役目を終えます。
生野銀山とは、切っても切れない深い関係の城だったわけですね。

e0158128_18321827.jpg

ニの曲輪から見た三の曲輪です。

e0158128_18323299.jpg

ニの曲輪から見た主郭です。

e0158128_1833547.jpg

主郭に登りました。
中央には、石碑なのか自然石なのかわからない岩があります。

e0158128_1836365.jpg

何か書いてるようなんですけど、よくわかりません。

e0158128_18404278.jpg

縄張り図によると、奥に進めば櫓台やら堀切やら井戸やらの遺構があるようなんですが、何せここにたどり着くまでに40分ほど時間を費やしていて、銀山で家族が待っているので長居はできず、ニの曲輪と主郭だけで下山することにしました。
それにしても、銀山のお姉さん、「すぐ登れますよ!」とは、何を根拠に言ったのでしょう?
どんでもなくハードな登山でした。
しかも、下山してから気がついたのですが、スニーカーを脱いでみると、両足とも靴下が血で真っ赤
どうやらに咬まれていたようです。
夏山ですから、当然ですね。
教訓、山城めぐりは、入念な下調べをしていきましょう!

e0158128_18414963.jpg

てなわけで、今年の夏休みシリーズは3稿だけ。
来年も行けるかな?

2015夏休み但馬路紀行 その1 「石ケ堂古代村」
2015夏休み但馬路紀行 その2 「生野銀山」

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

by sakanoueno-kumo | 2015-09-04 18:43 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

2015夏休み但馬路紀行 その2 「生野銀山」

石ケ堂古代村キャンプ場で1泊した翌日、朝来市にある「生野銀山」を訪れました。
生野銀山は、古くは平安時代に開坑され、昭和48年まで採掘されていた日本有数の銀山です。
現在は観光用テーマパークとなっています。

e0158128_1902223.jpg

入口には、菊のご紋が入った石門があります。
つまり、ここは天皇家の鉱山だったってことですね。

e0158128_193969.jpg

享保元年(1716年)、第八代将軍・徳川吉宗の時代に置かれた「生野代官所」跡です。

e0158128_196327.jpg

生野銀山の開坑は大同2年(807年)と伝えられますが、本格的に採掘が始まったのは戦国時代で、室町年間の天文11年(1542年)に但馬守護職・山名祐豊が銀石を掘り出したことに始まったとされます。
そして永禄10年(1567年)には、自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかったそうで、当時の銀山旧記には、「銀の出ること土砂のごとし」と記されているそうです。

e0158128_1962018.jpg

その後、織田信長豊臣秀吉徳川家康も、この地を直轄地としました。
土砂のように銀が出たんだから、時の権力者が黙っているはずがありませんね。
この近くには、日本のマチュピチュとして近年人気の竹田城がありますが、竹田城が時の権力者たちに何度も攻撃されたのも、当時、竹田城が生野銀山を管轄していたという背景があったからです。
その後、第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出したといいます。

e0158128_1984741.jpg

金香瀬坑と呼ばれる坑道の入口です。
明治初期、鉱山の近代化のために招聘されたフランスのジャン・フランソワ・コアニエが築造した、フランス洋式の入口だそうです。

e0158128_19121187.jpg

坑道のなかは、当時のままの岩肌や、電機仕掛けの人形により再現された作業風景を見ることができます。

e0158128_19191164.jpg

e0158128_19194054.jpg

e0158128_19202696.jpg

e0158128_19203991.jpg

中は1年中、約13度の気温に保たれていて、夏真っ盛りなのに寒いくらいでした。

e0158128_19214956.jpg

女性も働いていたんですね。

e0158128_1924829.jpg

役人だそうです。
どう見ても西洋人にしか見えません(笑)。

e0158128_19263485.jpg

五枚合掌支柱組です。
理屈はよくわかりませんが、たぶん、理にかなった構造なんでしょう。

e0158128_19264866.jpg

こちらは馬蹄形鋼枠二枚合掌
たぶんこちらは近代のものでしょうね。
組み方が馬の蹄のかたちに似ていることから、そう呼ばれていたそうです。

e0158128_1928363.jpg

「太閤水」だそうです。
天正5年(1577年)、羽柴秀吉がこの地に入ったときにこの水を飲み、その美味しさに激賞し、茶をたてたという伝承があるそうです。
それにしても、但馬や播磨地方には、「太閤◯◯」といった伝承の史跡が多いですね。

e0158128_19295243.jpg

先般、「明治の日本産業革命遺産」と銘打った日本各地23ヵ所の史跡が、一斉に世界遺産登録となりましたが、ある意味ここも、それらの世界遺産に匹敵する史跡だと思います。
1200年の歴史を持った鉱山なんて、そうないんじゃないでしょうか?
現在ここは、日本の「近代化産業遺産」に指定されています。

次稿は、この近くにある「生野城跡」を訪れます。

2015夏休み但馬路紀行 その1 「石ケ堂古代村」
2015夏休み但馬路紀行 その3 「生野城」


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

by sakanoueno-kumo | 2015-09-03 19:31 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)