カテゴリ:大阪の史跡・観光( 6 )

 

千利休ゆかりの地めぐりと、その人物像に迫る。

今週の大河ドラマ『真田丸』で、千利休が切腹しました。

同作品の千利休は、これまでの作品で描かれてきた悟りを開いた高僧のような厳かな人物像ではなく、小田原合戦において豊臣方、北条方の双方に武器弾薬を売りつけるなど、悪徳商人まがいのいままでにないキャラでしたね。

実際の利休とは、いったいどんな人物だったのか。

そこで今日は、以前に訪れた堺の利休関連史跡を紹介しながら、その人物像に迫ってみます。


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写真は大阪府堺市にある千利休屋敷跡

阪堺電車宿院駅のすぐ近くのビルとビルの間に、異質な空間として残されています。


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千利休は大永2年(1522年)、堺今市町の豪商・魚屋(ととや)の当主・田中与兵衛の長男として生誕。

幼名は与四郎といいました。

17歳のときに北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事し、「わび茶」を大成させます。

その後、茶の湯をもって織田信長に接近し、その死後は豊臣秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいます。

しかし、小田原合戦の後、何らかの理由で秀吉の怒りにふれ、自刃して果てます。

享年70。


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屋敷跡には「椿の井」が残っています。

この井戸は、利休が産湯につかったと伝えられるものだそうで、いまなお清水が湧き出ているそうです。


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井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものだそうです。


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一般に「利休」という名で広く知られていますが、実は、その名を名乗ったのは晩年のことで、茶人としての人生の大半は「宗易」という名で過ごしています。

「利休」という名は、天正13年(1585年)の禁中茶会にあたって町人の身分では参内できないために、正親町天皇(第106代天皇)から与えられた居士号です。


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同じく堺市内にある南宗寺には、利休一門の供養塔があります。

ここは、若き利休が修行したと伝わるゆかりの寺院です。


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豊臣秀吉が千利休を切腹させたことは歴史上の事実として、過去、多くの小説やドラマで描かれてきました。

しかし、その理由については定かではなく、すべては作家独自の想像の世界なんですね。

というのも、利休という人物が注目され始めたのは意外にも最近のことで、昭和11年(1936年)に海音寺潮五郎氏が直木賞を受賞した作品『天正女合戦』の中で、初めて秀吉との関係が描かれたんだそうです。

現在では、千利休=芸術界の巨人という認識は常識ですが、海音寺氏が発掘する以前は、単なる茶坊主としか見られていなかったそうですね。

この『天正女合戦』の構想をさらに発展させた作品が、昭和15年(1940年)に刊行された同氏の『茶道太閤記』という作品で、これは秀吉と利休の対立を中心に描かれた物語だそうですが、この作品の連載当時には、「国民的英雄の豊臣秀吉と一茶坊主の千利休を対等の立場で描くとは何事だ!」という批判が多く寄せられたそうです。

現代でも、大河ドラマの設定に難癖つける自称歴史マニアがたくさんいますが、あれと同じですね。

「千利休英雄説」が定着するまでには、それなりの困難があったようです。

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海音寺氏によって描かれた秀吉と利休の対立の構図は、その後、今東光氏の『お吟さま』野上彌生子氏の『秀吉と利休』井上靖氏の『本覚坊遺文』など、多くの一流作家の作品に継承され、描かれてきました。

そのなかでも、秀吉が利休に切腹を言い渡した理由については様々で、利休の等身大の木像を紫野大徳寺の山門の2階に設置してその下を秀吉に通らせたという大徳寺木像事件や、利休が朝鮮出兵に強硬に反対したため疎んじられた・・・とか、二人の茶道に対する考え方の違いからの確執・・・とか、利休が安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やしているという疑い・・・とか、利休の政治介入を快く思っていなかった石田三成の陰謀・・・などなど、どの説にもそれなりの信憑性はありますが、どれも決定力に欠けます。

のちの朝鮮出兵豊臣秀次を切腹させた秀吉の愚行からみて、利休の切腹が秀吉の狂気の狼煙のように描かれる場合が多いですが、はたしてそうだったのでしょうか。

最も信頼していた豊臣秀長の死から2ヵ月余りで、もうひとりの補佐役であったはずの利休を死罪に追いやるには、もっと重大な、死罪に値する理由があったのでは・・・と考えられなくもありません(たとえば、予てから秀吉に憤懣を抱いていた利休が、秀長が死んだことによって豊臣政権を見限り、諸大名を扇動して謀反を企てていた・・・とか)。

その意味では、今回の大河ドラマでの「死の商人」として暗躍していた利休なら、じゅうぶん死罪に値しますよね。

ない話ではないのかな・・・と。


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中央に利休の供養塔、左右に表千家、裏千家、武者小路家の供養塔があります。


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こちらが利休の供養塔です。


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「天正19年 利休宗易居士」と刻まれています。


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隣には、利休の師匠である武野紹鴎の墓があります。


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利休が愛した茶室「実相庵」です。


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その前庭には、利休遺愛の「向泉寺伝来袈裟形手水鉢」があります。


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結局のところ、千利休という人物については茶道千家流の始祖ということ以外はなんですね。

その人物像がどうだったのか、切腹させられた理由がなんだったのか、そもそも、豊臣政権において利休の存在がどの程度の影響力を持っていたのか、すべては想像するしかありません。

千利休=芸術界の巨人という今日の常識自体が、実は後世が創りだした虚像かもしれませんね。


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ちなみに余談ですが、ここ南宗寺には、実は大坂夏の陣で死んでいた徳川家康がここに埋葬されたという伝承があります。

以前の稿ですが、よければ一読ください。

   ↓↓↓

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~




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by sakanoueno-kumo | 2016-06-29 18:11 | 大阪の史跡・観光 | Comments(0)  

司馬遼太郎記念館をたずねて。 その2

昨日の続きです。

十数年越しの希望だった司馬遼太郎記念館を訪れたこの日、せっかく来たのだから、なにか記念になるものを買って帰ろうと、グッズ売場であれこれ見てたのですが、どれも結構いい値段するんですよ。
文庫本用のブックカバーなんて5000円もするし、ペンケースも4000円以上して、さすがにちょっと手が出ませんでした。
かといって、ストラップや絵葉書など、安いからといって使わないものを買っても仕方がないし・・・で、結局購入したのがこれです。

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これも3200円もしたので、決して安い買い物ではありませんが、わたしはこういうところに来ると、必ず何か記念品を買って帰りたくなる性分でして、グッズ屋さんの思うつぼの客です。
司馬氏自筆とうたっていましたが、名前はそうでしょうけど、イラストもそうなんでしょうか・・・?
このイラストは、アイルランドの妖精だそうです。
司馬氏とアイルランドといえば、『街道を行く−愛蘭土紀行』が有名ですね。

あと、本を一冊買いました。
   ↓↓↓
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いまさら紹介するまでもないでしょうが、司馬氏が小学校6年生の国語の教科書向けに書き下ろした『二十一世紀に生きる君たちへ』です。
実は、この本を買うのはこの度が4度目になります。
1度目は自分自身のために、2度目は、いま大学生の息子が小学校を卒業するときの贈り物として、3度目は、今年高校を受験する甥っ子が小学校を卒業するときの贈り物としてでした。
そして、今年3月には、わが娘が小学校を卒業します。
たぶん、この度が最後の購入になるでしょうね(って、いつの日か孫に贈ってるかもしれませんが・・・苦笑)。

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小学生向けに書かれたエッセイですが、わたしはこの無駄のない文章が大好きなんですね。
人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている・・・ということ。
人間とは自然の一部にすぎない・・・ということ。
自己を確立するためには、何をしなければならないか。
そして、わたしがもっとも好きな言葉は、「やさしさ」は、人の持つ本能ではない。だから、わたしたちは訓練をしてそれを身につけねばならない・・・という一文。
わたしは、はじめてこの一文を読んだとき、目からウロコが落ちました。
そうか、生まれつき優しい人間なんていないんだ・・・と。
言いかえれば、訓練すれば、誰でもやさしくなれるんだ・・・と。
わたしは、この一文読んでほしくて、これまで子どもたちにこの本を贈ってきました。
どこまでその思いが伝わっているかはわかりませんが、心の片隅に少しでも響いてくれれば・・・という思いです。
わたしは、このエッセイを何度読み返しても、目頭が熱くなります。
名文中の名文だと思います。

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この本には、もうひとつ『洪庵のたいまつ』という作品も収録されています。
こちらも小学生向けに書かれた随筆で、緒方洪庵を題材にした一編です。

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世のために尽くした人の一生ほど、美しいものはない・・・という一文から始まるこのエッセイは、緒方洪庵という人の、私利私欲を捨て、人のために生きた生涯を紹介したものです。
幕末きっての蘭学者だった彼が、自分の恩師たちから引き継いだたいまつの火を、弟子たち一人ひとりに移し続け、やがてその火はそれぞれの分野であかあかと輝き、日本の近代を照らす大きな明かりとなった・・・と。
そしてそのたいまつの火は、現代のわたしたちにも受け継がれている・・・ということですね。
これもまた名文です。

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司馬遼太郎記念館を出て歩いて10分ほどのところにある中小阪公園というところに、『二十一世紀に生きる君たちへ』の一文を抜粋した文学碑がありました。

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まるで、二十一世紀にわが国で起きる、科学・技術が洪水のように人を飲み込んでしまった事故を予見しているかのような一文ですよね。
ほかにも、同作のなかのこの一文に関連した氏の言葉を部分的に抜粋して紹介します。

人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
人間こそ、いちばんえらい存在だ。という、思い上がった考えが頭をもたげた。
20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。


現役の政治家さんの中には、司馬氏を崇拝すると公言している先生方がたくさんおられます。
その司馬氏が、二十一世紀に生きる私たちに向けて何を伝えたかったのか・・・たしか安倍晋三さんも司馬氏のファンでしたよね。
今だからこそ、もう一度この文章を読み返してみるべきではないでしょうか・・・。

さて、司馬遼太郎記念館訪問の備忘録のつもりが、話が思わぬ方向に向かっちゃいましたね。
とりとめがなくなってきたので、このへんで終わりにします。


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by sakanoueno-kumo | 2014-02-06 23:21 | 大阪の史跡・観光 | Comments(0)  

司馬遼太郎記念館をたずねて。 その1

過日、東大阪市にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。
オープン当初からずっと行きたいと思っていたのですが、なんとなく行きそびれて十数年、今回がはじめての訪問です。
神戸から東大阪は車で1時間ほどの距離で、行こうと思えばいつでも行ける場所なんですが、いつでも行けるという思いが、かえって足を遠のかせるんですね。
この日はたまたま仕事でこの近くを訪れていて、午後からぽっかり時間が空いたので、ならばと、十数年越しの希望を叶えに足を運んだ次第です。

司馬遼太郎記念館は生前の司馬氏の自宅を利用して作られたもので、敷地内には安藤忠雄氏の設計による資料館も設けられています。

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入口はこんな感じです。
門扉の左側の壁には、司馬氏自筆の表札が、いまも掲げられていました。

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邸内には入れませんが、庭越しに書斎を見学することができます。
書斎は司馬氏が亡くなった当時のままの状態で保存されており、未完に終わった『街道をゆく−濃尾参州記』の資料が置かれたままになっているそうです。

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わたしは、すべてとは言わないまでも、司馬氏の大半の作品を読みあさっていますので、ここからあの名作の数々が生まれたんだなあ・・・と、しみじみ見入ってしまいました。

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庭は雑木林のイメージで造られているそうですが、この日は立春前の2月1日、木々のほとんどは裸状態でした。
緑の生い茂る季節にくれば、きっと綺麗でしょうね。

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でも、ここで自然を感じながら執筆していたという司馬氏にとっては、裸の木々もまた、冬を肌で感じるための大切な景色だったのでしょう。

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サンルームの下には、菜の花のプランターがところ狭しと並べられていました。
おそらくこれは、小説『菜の花の沖』に関連した演出なんでしょうね。
司馬氏は、菜の花やたんぽぽなどの黄色い花が好きだったそうです。

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司馬遼氏自筆の歌碑です。
「ふりむけば 又 咲いている 花三千 仏三千」

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安藤忠雄氏設計の資料館です。

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資料館入口に向かう回廊にも、菜の花が並んでいました。

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館内は撮影禁止だったので、パンフレットの画像です。
2万冊資料本が並べられた高さ11mの書棚は圧巻でした。
これでも、ごく一部だというから驚きですね。
公開されていない邸の方には、40mの廊下の両側がすべて書棚となっていて、そこにはいまでも6万冊ほどの資料本が並べられているとか。
この、おびただしい数の書物が、「知の巨匠」と言われた司馬氏を作っていたんですね。

司馬氏は、代表作である『竜馬がゆく』を執筆するにあたって、一等資料だけでなく、ゴシップの類から新聞記事、龍馬の脱藩後に出かけた土地のそれぞれの郷土史までも、しらみつぶしに買い集め、その数およそ3000冊、重さにして約1トン、金額は昭和30年代当時で1000万円もかけたといいます。
手間を掛ければ必ず良い作品が生まれるとは限りませんが、妥協を許さない司馬氏の作品に向き合う姿勢が、わたしたち読者の心を惹きつけていたのは間違いないでしょう。

『竜馬がゆく』で思い出したのですが、館内でたいへん面白いものを見ました。
        ↓↓↓
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館内吹抜のコンクリートの天井です(画像はネット上で拝借しました)。
このシミが、坂本龍馬の肖像にそっくりだと話題になっているそうで・・・。

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並べてみると、たしかに似てる(笑)!!
資料館は2001年に竣工したそうですが、2004年頃に来場者が「龍馬にそっくり!」と気づいたそうです。
専門家によると、コンクリート内の水分が徐々にしみ出したもので、このシミはもう消えないとか。
外国では、教会の壁にキリストの姿が浮かび上がった・・・なんて話がときどきあるようですが、司馬遼太郎記念館の天井に、代表作の主人公である坂本龍馬が浮かび上がるなんて、出来すぎのオカルト話ですね。
信じるはどうかは人それぞれですが・・・。

長くなっちゃったので、次回に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2014-02-05 21:29 | 大阪の史跡・観光 | Comments(2)  

大阪なんばなう!

e0158128_1632.jpgemoticon-0161-phone.gifケータイからの投稿です。
只今、大阪は難波、通称ミナミに出没しています。
写真はミナミを象徴ともいえるネオンサイン群、関西以外の人でもこの景色はご存知の方が多いんじゃないかと思います。
撮影場所は道頓堀川に架かる戎橋、昔は通称「ひっかけ橋」ともいわれたナンパスポットだった場所で(今もそうなんでしょうか?)、あの、阪神タイガース優勝時やFIFAワールドカップのときに大勢の若者が飛び込んでいた映像は有名だと思いますが、あのときのあの橋です。
e0158128_1213128.jpg不況不況といいながらもさすがは忘年会シーズン、ミナミは活気があります。
今年は大震災原発事故、さらには台風被害など、暗く重いニュースがあとを絶たず、さらに今日の午後には、北朝鮮最高指導者の金正日総書記が死去したというビッグニュースが飛び込んできたりと、年末の最後まで落ち着かない1年となりましたが、それでも、こうして活気がある夜の街を見れば、まだまだ日本も元気が残っているような、そんなふうに思えてきます。
e0158128_1365367.jpgいろんな意味で今年は最低最悪の年だったわけで、そう考えれば来年は今年より絶対いい年になるはずです。
そんな願いも込めて、今年も可能な限り忘年会のお誘いを拒まず参加している次第です(笑)。
日本の元気回復のためにも、無理してでもお金は使わないとね(笑)!
酔っているので何を言ってるのか自分でもよくわからなくなってきたので、このへんで終わりにします(笑)。
私の忘年会シーズンもラストウィークとなりました。
胃腸も財布も、もうひと踏んばりです。


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by sakanoueno-kumo | 2011-12-19 22:46 | 大阪の史跡・観光 | Comments(0)  

時空の広場で徹夜なう。

emoticon-0161-phone.gifケータイからの投稿です。

e0158128_673751.jpgこちら天空の城ラピュタ・・・ではなく、時空の広場にいます。
今年5月に生まれ変わったJR大阪駅の駅舎ビル、いわゆる大阪ステーションシティ内にある施設で、ノースゲートビルとサウスゲートビルを繋ぐ橋の役割のスペースですが、橋といってもそこは広場となっており、ここでいろんなイベントが開催されたり、市民の待ち合わせ場所に活用されたりと、大坂の新しい顔となっている場所です。
「時空」と書いて「とき」と読みます。
鉄道の象徴である「時」を刻む、金時計・銀時計の塔が建っていて(写真は金時計の塔。ケータイでの撮影なので画像の粗さはご容赦ください)、真下を見下ろせば大阪駅を鉄道のジオラマのように眺めらます。
少し前から、そのジオラマが動き始めたようです。
ただいま午前6時、昨夜はここで徹夜でした。

e0158128_042962.jpg仕事がら毎年この季節は忙しく、徹夜残業も珍しくはないんですが、30歳代の頃とは違ってだんだん徹夜が堪えるようになってきました。
このご時世に忙しくさせてもらっているのは幸せなことだとは思うのですが、とはいえそれも身体あってのことで・・・。
事務所での徹夜はまだいいのですが、現場での徹夜はさすがに辛い。
昨夜の徹夜現場の時空の広場は、大阪駅プラットホームの上を跨いだ半屋外の場所で、天井はあるもののオープンスペースのため風がびゅーびゅー吹きっさらしで、寒いのなんのって!!!
大阪ステーションシティがオープンして初めての冬を向かえますが、ここ時空の広場は冬の待ち合わせスポットには適してないようですね。
(写真はアトリウム広場に設置されていた高さ9.2メートルのジャンボ雪だるまです。私の徹夜とは何ら関係ありませんが、目を引いたので撮影しました。このときは夜中なので消えていましたが、営業時間にはブルーに輝くようです。)

徹夜明けの今日は久々の休日。
関西地区は朝からあいにくの雨ですが、この雨で今日は少年野球のコーチも休みになりそうで、私にとっては恵みの雨となりそうです。
帰ったら爆睡します!


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by sakanoueno-kumo | 2011-11-19 06:07 | 大阪の史跡・観光 | Comments(2)  

昨夜の忘年会

昨夜の忘年会は、新大阪にて。地下鉄「西中島南方」駅近く。
お店はココ。
e0158128_15582652.jpg黒毛和牛 炭火焼肉 火凛亭
会費は¥5,000
ちょっと場所が分かりにくいところだが、こじんまりとして良い雰囲気。
料理の味も美味しかった。
10~30人くらいの会にはおススメの店。




昨夜は気を使わない会で、楽しいメンバーだったので何よりもそれが一番。
2次会の店でで時間を忘れてしまい、終電がなくなってしまった。
仕方なく、ビジネスホテル行き。
e0158128_16135055.jpg宿泊はコチラ。
City Villa R ANNEX

深夜2時からのチェックインだとたったの¥3,000。
深夜3時からだと¥2,000。
安い。たすかった~。
部屋も、ビジネスホテルとは思えぬ広さでビックリ!
思わぬ収穫だった。

教訓。自宅から遠い場所での宴会は、マメに時間をチェックしよう。
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by sakanoueno-kumo | 2008-12-20 16:20 | 大阪の史跡・観光 | Comments(0)