カテゴリ:岡山の史跡・観光( 5 )

 

豪壮な石垣群の津山城登城記 その5 「天守台」

津山城シリーズ最終稿です。

本丸西側には、天守台石垣がそのままのかたちで残っています。

残念ながら明治初期の廃城令によって天守は取り壊されていますが、かつてここに五層の立派な天守がありました。


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津山城の天守は地上5階建で、破風を持たない質実な造りだったそうです。

城の造りはその築城主の人間性を表しているようにも思いますので、森忠政という人は、きっと生真面目な人物だったのでしょうね。

高さは天守台石垣を除いて約22mで、一般的な五層の天守としては最大規模のものだったようです。

壁は漆喰塗りの白壁とし、天守台の平面が正確な四角形で、上階が規則的に小さくなっていく「層塔型」と呼ばれるものでした。


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現存している天守台には、自由に登ることができます。


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上から見ると、こんな感じ。


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天守台から見た本丸跡です。


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天守台から見た津山城西側の眺望です。


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こちらは南側の眺望


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こちらは、天守台から見た「備中櫓」です。

天守の南西側、西側、北西側を取り囲むように、「多門櫓跡」があります。


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こんな感じの細長い空間で、天守を西側から守っていた櫓です。


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多門櫓跡から見た天守台です。


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多門櫓北面は「七番門」に接続されています。

そして、下の写真は、本丸北側の「長屋櫓」から見た天守台。

なんか、但馬の竹田城みたいですね。


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森氏は初代の忠政から4代続きましたが、元禄10年(1697年)、4代藩主・森長成の跡継ぎを立てられずに改易となり、翌年に松平宣富が美作10万石を領して津山城に入城します。

その後、松平氏は慶倫まで9代続き、明治維新を迎えます。

江戸時代の終焉とともにその役目を終えた津山城は明治7年(1874年)から取り壊されますが、石垣はそのまま残され、明治32年(1899年)から公園化が進められ、現在に至ります。

この豪壮な石垣群を、よく残してくれていたものですね。

天守台の脇には、「森侯入封三百年記念碑」と刻まれた石碑が建てられています。


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最後に、三の丸に建つ松尾芭蕉の句碑を紹介します。


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鐘つかぬ里は何をか 春のくれ


今度は、名物の桜の季節に訪れてみたいものです。




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by sakanoueno-kumo | 2017-01-11 22:40 | 岡山の史跡・観光 | Comments(0)  

豪壮な石垣群の津山城登城記 その4 「備中櫓」

60棟以上あったとされる津山城の櫓のなかで、現在ひとつだけ復元されているのが、本丸から南へ張り出した石垣上に建てられた「備中櫓」です。


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高さ約13m、幅約24m、奥行き約8mで、延べ面積は約288㎡という津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物だったと考えられます。


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津山城は美作国の城なのに、なんで“備中”櫓なんだ?・・・という疑問が浮かびますが、『森家先代実録』という史料によると、当時の鳥取藩主で、のちに備中国松山城主となる池田備中守長幸が津山を訪れたときに完成した櫓だからだとか。

長幸と津山藩の関係は、初代津山藩主・森忠政の娘が池田家に二人嫁いでおり、忠政にとって長幸は娘婿にあたる人物です。


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奥向御殿のさらに奥という立地を考えると、備中櫓は藩主もしくはその家族という限られた者だけのスペースだったと推定されているそうです。


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そのため、通常の櫓ではまれな全室畳敷き、天井張りという構造で、絵図によると、「御座之間」「御茶席」「御上段」などが存在しており、それらも復元されています。


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御座之間です。


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御茶席です。


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御上段の間です。


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そしてです(笑)。


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この備中櫓は、森忠政が津山城の築城を開始してから400年の節目にあたる平成16年(2004年)に復元整備されたそうです。


次回、最終稿




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by sakanoueno-kumo | 2017-01-10 23:12 | 岡山の史跡・観光 | Comments(0)  

豪壮な石垣群の津山城登城記 その3 「本丸」

ようやく本丸まで登ってきました。

3,496坪の本丸跡にも、多くの櫓跡が現存しています。

そのいくつかを追っていきます。


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まずは本丸東側の「矢切櫓跡」です。

石垣がみごとですね。


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その南側にある「包櫓跡」

「鐘撞堂」があります。


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矢切櫓跡北側にある「月見櫓跡」


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さらにその北側にある「栗積櫓跡」です。


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栗積櫓跡からみる津山城北面の眺望です。

遠方の山の頂には、「神楽尾城跡」が見えます。


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栗積櫓跡の西側にある「大戸櫓跡」


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その南側に位置する「長屋櫓跡」です。


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さらに、そこから裏鉄門跡を挟んで南にある「腰巻櫓跡」


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そして、そこから西側に向かった天守台北にある「長櫓跡」

そして、本丸南西に復元された「備中櫓」があります。


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津山城の建造物は、本丸に31棟、二の丸に12棟、三の丸に17棟が建てられ、門は本丸に15、二の丸に、三の丸に11あったそうです。

これは広島城姫路城よりも多い数だそうで、両城に比べて比較的コンパクトな面積の中に、これだけの建物がひしめき合っている様は、実に壮観だったでしょうね。

もともと、この地には嘉吉年間(1441~44年)に山名忠政鶴山城を構えていましたが、慶長9年(1604年)に森忠政が鶴山を「津山」と改め、12年間の年月をかけて築城したのが津山城です。

当時は築上の最盛期であり、おそらく、当時の技術の粋を集めた城だったのでしょうね。


次回に続きます。




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by sakanoueno-kumo | 2017-01-06 13:12 | 岡山の史跡・観光 | Comments(0)  

豪壮な石垣群の津山城登城記 その2 「二の丸」

津山城二の丸に登ってきました。

かつて二の丸には、12棟の櫓と大小7棟の門があったそうです。


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現在二の丸広場となっているこの地には、かつて二の丸御殿があったと伝わり、津山藩3代藩主・森長武は、一時ここに移り住んだこともあったそうです。


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その後、4代藩主・森長成のときに改易となった森家に代わって、越前松平家から松平宣富が藩主として津山城に入城しますが、間もなく、二の丸の殿舎は撤廃されたそうです。


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二の丸から見上げた「備中櫓」です。


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二の丸から本丸への通路を仕切る切手門跡です。

2階部分は、南側にある「弓櫓」に接続されています。


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その弓櫓から見た備中櫓です。


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こちらは、搦手側の二の丸と本丸を結ぶ「裏中門跡」です。

左側の木の階段は、石階段が不安定のため観光客用に設置されたものです。


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裏中門横にある「荒布櫓跡」です。


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裏中門を上ったところにある「裏鉄門跡」です。

ここを上がると本丸に入ります。


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こちらは切手門を上がったところにある「仕切門(十四番門)」


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そしてこちらがその横にある「表鉄門」

本丸に入る正面入口です。


さて、次回は本丸を攻めます。




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by sakanoueno-kumo | 2017-01-05 17:15 | 岡山の史跡・観光 | Comments(0)  

豪壮な石垣群の津山城登城記 その1 「城門~三の丸」

過日、岡山県津山市にある津山城跡を訪れました。

津山城は、美作一国18万6,500石を領して入封した初代津山藩主・森忠政が、津山盆地のほぼ中心に位置する鶴山に築いた平山城で、別名・鶴山城とも呼ばれます。


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現在は復元された備中櫓以外石垣しか残っていませんが、その豪壮な石垣群はみごとなもので、たいへん見ごたえがあります。


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入口の側には、忠政の銅像があります。

どう見ても、4頭身ほどの人間離れした銅像ですね(笑)。

忠政は、織田信長の小姓だった森蘭丸の弟にあたります。

兄貴は美少年に描かれることが多いのですが、弟はどう見てもがきデカのような・・・(笑)。


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冠木門です。

ここで入場料300円を払って、城跡公園内に入ります。


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冠木門を入ってすぐの階段を登ると、三の丸東の高台に鶴山館という建物があります。

ここは、かつて津山藩の学問所として建てられたもので、明治維新後も小・中学校や幼稚園、女学校などに使用され、明治37年(1904年)にこの地に移設されたものだそうです。


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その鶴山館の建つ高台から見た石垣群です。

みごとですね。

中央に見える櫓は「備中櫓」といい、平成17年に建てられた復元です。

下の写真はアップ。


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三の丸です。


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ここ津山城は桜の名所だそうで、三の丸、二の丸ともに桜並木が続いています。

秋は紅葉が綺麗みたいですね。

わたしが訪れたこのときは初秋だったで、桜も紅葉もありません。


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三の丸から二の丸へ登る「表中門跡」「見付櫓跡」です。

表中門は城内にある門のなかでは最大のもので、正面玄関にあたります。

門の櫓部分の長さは16間(約32m)もあり、これは、大坂城や江戸城に匹敵するほどの規模だそうです。


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表中門跡から見上げた備中櫓です。


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こちらは搦手から三の丸に降りる、「裏下門跡」です。


さて、次回は二の丸を攻めます。




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by sakanoueno-kumo | 2017-01-04 15:02 | 岡山の史跡・観光 | Comments(2)