カテゴリ:おんな城主 直虎( 26 )

 

おんな城主 直虎 第25話「材木を抱いて飛べ」 ~経済封鎖政策・塩留~

 「敵に塩を送る」

 という上杉謙信の有名な美談が生まれた「塩留」に絡めた話でしたね。甲相駿三国同盟が瓦解すると、武田信玄幽閉していた長男・武田義信廃嫡し、その妻で今川氏真の妹・嶺松院とも強制的に離縁させ、駿河へ送り返します。そして、四男の武田勝頼の正室に織田信長の娘を迎えました。これは、今川氏との同盟関係を断ち切り、今川氏の仇敵である織田氏と手を結ぶという意思表示でした。


 これに怒った今川氏真は、相模の北条氏康と相談し、武田領である甲斐に塩を売らないよう商人たちに命令します。山国で海を持たない甲斐では、自国で塩を精製することはできず、駿河湾からの輸入に頼っていました。言うまでもなく塩は人が生きていくうえで不可欠なもので、塩を絶たれた武田氏は、たちまち困窮して降伏せざるを得なくなるだろう・・・というのが、今川氏、北条氏の狙いです。


 この経済封鎖政策のことを「荷留」と言い、戦国時代から明治初頭にかけてしばしば行われていました。今川氏の場合は塩でしたが、の輸出を止める場合や、港で船の荷揚げ荷下ろしを制限する「津留」という政策などもあったようです。江戸時代以降のそれは、飢饉時などによる自領内の食料を確保する目的で行われるものでしたが、戦国時代の場合、今川氏の塩留のように敵国に対する経済制裁の目的が多かったようです。このやり方を「卑怯」だと批判した上杉謙信が、敵国である武田領に塩を送ったという逸話が、後世に「敵に塩を送る」という故事を伝えることになるんですね。もっとも、この話は、現在では史実ではないと言われていますが。


 経済制裁は現代でも行われており、国連主導のものや個別国家によるものなど、世界中で複数の制裁政策が現在進行形です。わが国の身近なものとしては、北朝鮮への国連安保理決議のものや、日本が独自に行う特定船舶入港禁止法などの制裁政策も行われていますね。しかし、北朝鮮はいっこうにダメージを受けていないようにも見えます。また、わが国が受けた経済制裁としては、太平洋戦争開戦に至るまでのアメリカによる石油などの禁輸在米資産凍結などの対日措置が知られていますね。その結果、何が起こったか・・・。経済制裁を受けて追い詰められた国が、猛省して態度を改めることはまずなく、暴挙にでることがほとんどです。その結果、苦しむのは民なんですね。その意味では、経済制裁も結局は武力制裁と変わらない非人道的な行為といえるでしょうか。それを450年も前に見通していた上杉謙信はスゴイ!!・・・って、史実じゃないんですけどね。


 で、ドラマに戻って、「荷留」による経済封鎖政策を打ち出した今川氏ですが、そうなれば、武田氏も困りますが、それを生業にしていた商人たちも商売上がったりになるわけで、そうすると、瀬戸方久らのように塩の密輸入を始める輩も当然出てきていたでしょう。そんな時勢の中で、井伊領で伐採した材木の商い先である成川屋が、三河の徳川に材木を流していることが発覚。またもや、井伊は今川より謀反の嫌疑をかけられるはめに・・・。もちろん、これも史実ではありませんが、時勢に絡めた面白い設定だったんじゃないでしょうか?材木の話を何話も引っ張ってきたのは、今話を描くためだったんですね。なるほど納得。


 井伊直虎成長ぶりもいいですね。これまでのような熱意だけの拙い施策とは違い、第二、第三の対応策を練り、毒薬を飲んで時を稼ぐ荒業など、強かさを身につけています。また、直虎と小野但馬守政次が、それぞれ別の場所で碁盤に向かいながら意志を通じ合わせる場面も秀逸でした。そしてその政次に寄り添うなつが切ない・・・。


今川氏真への申し開きも、以前、寿桂尼に申し開きしたときは村人からの嘆願書に救われ、今回は龍雲丸たちが取り戻した材木が持ち込まれて救われるという、一見、ワンパターンの結末にも見えますが、その申し開きの口上は以前のものより明らかにスキルアップしています。おんな城主直虎、覚醒ですね。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-26 17:12 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第24話「さよならだけが人生か?」 ~新野親矩の娘たちの縁組~

今話は井伊家にまつわる縁組の回。龍雲丸盗賊団が去り、久々に実在の人物の逸話です。


 新野親矩の三女・の元に持ち込まれた縁組の相手は実在の人で、名は庵原助右衛門朝昌。ドラマ中でも紹介されていたように、今川家の譜代の重臣・太原雪斎の一族にあたる人物です。イケメンの好青年に描かれていましたが、実際には、この頃の朝昌は数えで12~3歳少年だったと見られます。だから、ドラマでは長女、次女を差し置いて三女の桜との縁談という設定にしたのでしょうね。ドラマでは三人姉妹ですが、実際には、親矩には一男七女があったとされます。親矩は井伊直虎の母・祐椿尼の実兄で、この頃の直虎が30歳前後だったとすると、親矩は生きていれば50歳以上だったと思われます。その娘と考えれば、ドラマのとおり、たぶん、末の方の娘が朝昌の相手だったんでしょうね。


 ちなみにこの朝昌ですが、今川氏滅亡後は武田氏に仕え、武田氏滅亡後は羽柴秀吉家臣の戸田勝隆に仕え、その後、井伊直政の家臣になります。ところがほどなく直政ともめて出奔。各地を流浪したのち、再び直政の元に戻ってきます。ドラマでは、その誠実さが直虎のお眼鏡に叶った朝昌ですが、桜はこの先けっこう苦労しそうです(笑)。


 で、もうひとりの親矩の娘・桔梗の縁組。こちらも史実のようで、相手は北条氏家臣の狩野泰光の子息。狩野泰光は別名・狩野一庵宗円としても知られ、後年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、あの凄惨八王子城の戦いで討死する人物です。桔梗の縁談相手であるその息子のことはよくわかりませんが、父と一緒に八王子城を守備していたとすれば、その妻・桔梗も城に篭っていたと考えていいでしょうね。八王子城の戦いは、女、子どもに至るまで容赦なく斬り捨てられた大虐殺の戦いとして知られます。ということは桔梗も・・・。直虎死後のことですから、そこまでドラマで描かれることはありませんが。


 とまあ、その後の歴史を知っている後世からみれば、ふたりとも決していい縁談とはいえそうにありませんが、この時点の井伊家がそれを知るはずがありません。落ちぶれたとはいえ、「海道一の弓取り」とうたわれた今川氏が、このわずか2年後に滅亡するなど思いもよらなかったでしょうし、20余年後には北条氏までもが滅亡に至るなど、予期できるはずがないですね。この時点での弱国・井伊家にとっては、大国に挟まれながら生き残っていくための必死の知恵だったのでしょう。


直虎「桔梗殿の縁談も取り持ってはくれぬか」

政次「お相手は今川の家臣にございますか?」

直虎「北条じゃ。北条ならば、今川の唯一の味方。今川に怪しまれることもなかろうし、動きを知りたいところでもある」

政次「・・・・なかなか、よろしきお考えかと・・・」


南渓「しかし、思うたよりそなたの働きは認められておったようじゃの」

直虎「あれは迷惑な話にございましたねぇ。阿呆なおなごが治める取るに足らぬところよと見なされておったほうが、井伊はよほど動きやすいではございませぬか」

南渓「もうおとわはおらぬのじゃのぅ。つまらんのぅ・・・」


しの「なんだか、いっぱしの殿様のようになってまいりましたね」


皆が直虎の成長を認めはじめたのか、皆が認めるようになったから成長したのか、直虎が名実ともに城主となりつつあるようです。

もっとも、それも長くは続かないのですが・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-19 20:55 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第23話「盗賊は二度仏を盗む」 ~井伊谷三人衆・近藤満用~

 龍雲丸率いる盗賊団言いがかりをつけて陥れようとする宇利城城主の近藤康用を、南渓瑞聞和尚の機転で返り討ちにするお話。もちろん、今話もすべて創作の回です。ていうか、龍雲丸自体が架空の人物ですからね。彼らが活躍する限り、物語は創作話から出られません。時代劇における架空の人物は常套手段ではありますが、それらのほとんどは狂言まわしの役割で活躍するキャラで、いわば物語の進行上の便利屋的存在として登場します。龍雲丸も、最初に出てきたときはそんな役割の人物かと思ったのですが、どうも、そうではなさそうで・・・。3話も続けて架空の人物が主役の話というのは、歴史ドラマとしては、ちょっとキツイかも・・・。


 今話ではずいぶんダーティーな役どころで描かれていた近藤康用ですが、実際には、のちに井伊谷三人衆のひとりとして、井伊家の行く末に大きく関わってくる人物です。井伊谷三人衆とは、菅沼忠久、鈴木重時、そして近藤康用の3人で、のちに井伊家が徳川家康と結びつくとき、彼ら3人の働きが大いに功を奏することになります。


 井伊谷三人衆のなかで、菅沼忠久と鈴木重時は井伊家の被官でしたが、近藤康用だけは、井伊家とは直接の関係はなかったと見られています。近藤家は康用の祖父・近藤満用松平清康(徳川家康の祖父)に仕えていたといい、満用の時代に戦功の恩賞として宇利城を与えられたといいます。その後、今川氏の配下に加わりますが、やがて今川を離反して徳川氏に付くことになります。ドラマでは、まだ今川氏配下の立場ですね。ただ、井伊家の目付役を任じられていたというのは、ドラマのオリジナルの設定かと思います。今話で南渓和尚にやり込められた康用ですが、のちに井伊家が生き延びる道筋を作ってくれる人物なので、このへんで大目に見てやりましょう。


さて、龍雲丸率らを手なづけて家臣にしようとする井伊直虎でしたが、空に雲があったから振られてしまいました。まあ、龍雲丸たちが家臣になろうがなるまいがどっちでもいいですが、たしかに、この時期の井伊家は、桶狭間の戦い曳馬城の戦いで多くの家臣が討死したあとで、新たに家来を召し抱えて兵力を立て直す必要があったのは事実だっただろうと思われます。そのなかには、あるいは山伏盗賊の輩もいたかもしれませんね。モグラカジゴクウなんて名の奴はいなかったでしょうが。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-12 23:40 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(2)  

おんな城主 直虎 第22話「虎と龍」 ~移民政策と雇用政策~

 外交、経済、教育、軍事、司法と、ここまで稚拙ながらも試行錯誤しながら領主として成長していく井伊直虎国づくりを描いてきましたが、今話は、材木事業を立ち上げるために雇った龍雲丸率いる盗賊団と、元来の井伊谷領民たちがどう折り合いをつけながら共存共栄していくかというお話。つまり、移民政策雇用政策の回ですね。これは、領国経営においては重要な問題で、現代にも通ずる普遍のテーマといえます。


人口減少、少子高齢化が進むこれからの日本で、世界第3位という現在の経済規模を維持するには、毎年、外国からの移民約20万人受け入れる必要があると言われていますよね。経済力=国力と言っていいでしょうから、これはやむを得ないことなんでしょうが、一方で懸念されるのは、移民の大量受け入れによる文化摩擦治安の悪化。偏見かもしれませんが、外国人による犯罪の報道を耳にすることは決して少なくありません。報道される程ではない軽犯罪(スリや空き巣)などは、毎年増え続けているとも聞きます(これも、正確なソースのある情報ではありませんが)。


「井伊の者たちは、こういったことに慣れておらぬのじゃ。」


 移民たちの開いた博打場にのめり込む百姓たちに困りはてた直虎が龍雲丸に言った台詞ですが、たしかに、移民たちが持ち込む異文化というのは、決して良いものばかりではなく、ときに中毒性をおびた危険きわまりないものもあります。そこを、どう上手く選り分けて付き合っていくかなんでしょうが、元来、単一民族国家の日本人は井伊谷の百姓たちと同じで、移民との付き合いに「慣れておらぬ」のですよね。移民の大量受け入れの賛否を問うたアンケート調査によると、反対意見が7割近くを占めています。人口減少がゆゆしき問題だとはわかっていても、移民を増やして人口を維持するというのは、何か、日本が日本じゃなくなっていくような気がして、受け入れがたい気持ちになるのでしょう。グローバルVSナショナリズム・・・難しい問題ですね。


わたしも、治安維持の観点でいえば、少なくとも犯罪歴のある移民受け入れには賛成しかねます。ましてや、直虎の盗賊団の集団雇用など、言語道断ですね。領国内に摩擦が起きて当然です。中野直之、奥山六左衛門ら側近に同情します(笑)。


 移民政策雇用政策。どちらも重要なテーマですが、とにもかくにも今話は終始創作の回で、史実パートはありません。これくらいで勘弁してください(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2017-06-05 23:15 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第21話「ぬしの名は」 ~気賀宿と中村屋~

 浜名湖に面する商業の町・気賀が今話の舞台でしたね。気賀は現在の浜松市北区にあった地名で、かつては東海道の脇往還である本坂通の宿駅として栄え、江戸時代には気賀関所が設けられたまちでした。エンディングの『直虎紀行』でも紹介されていたとおり、かつて浜名湖は淡水湖だったそうですが、ドラマのこの時代より遡ること70年近く前の明応7年(1489年)に起きた「明応の大地震」によって南側が決壊し、海へと通じるようになったそうです。これにより浜名湖南側を走る大動脈、東海道分断されてしまい、北側を迂回する本坂通の往来が盛んになり、その街道沿いのまちだった気賀は、宿場として栄えました。気賀の東に流れる井伊谷川都田川には橋が架かっておらず、街道を往来する人々は渡し船で通行したそうで、まちには船着場がいくつもあったといいます。


ちなみに、ドラマでは気賀を「きが」と言っていましたが、「きが」と読まれるようになったのは昭和12年(1937年)からだそうで、それ以前は「けが」と読んでいたそうです。


 ドラマに出てくる盗賊の頭・龍雲丸は架空の人物ですが、気賀の商人を取り仕切っていた中村与太夫は実在の人物です。代々、浜名湖の航路を支配していた中村氏は、この時代、屋号『中村屋』をかかげて、今川家の代官として戦船も管理していたといいます。この頃の中村氏の当主は第18代・中村正吉で、ドラマに出てきた中村与太夫は正吉の次男です。これより少しあとの永禄11年(1568年)、松平(徳川)家康が遠江国に入ると、正吉は船を出してこれを迎えたといい、その後、主君を今川氏から松平氏に乗り換えました。さすがは商家、機を見るに敏ですね。もっとも、この頃の今川氏は支配下の相次ぐ離反に歯止めが効かない状態にありましたから、中村氏の判断は当然のことだったといえるでしょうが。中村氏が付いたことで、松平氏は浜名湖の航路を手中に治めたわけです。これは大きかったでしょうね。

 以後、中村氏は徳川家に仕え、今切軍船兵糧奉行代官を勤めました。次男の与太夫はその分家にあたる気賀中村家の始祖となり、その当主は代々「与太夫」を名乗り、気賀宿の本陣として繁栄を築きました。余談ですが、後年、家康が正室・築山殿(瀬名姫)侍女に手を付けて妊娠させてしまった子を、宇布見の本家中村家の屋敷で産ませたといわれています。のちに家康はたくさんの女性に子どもを産ませますが、正室以外の女性に産ませた子としては、たぶん、これが最初のお手付きだったと思われ、しかも、それが築山殿の侍女だったということもあり、多少は後ろめたい思いがあったのかもしれません。一説によると、侍女の懐妊を知った築山殿は超激怒し、侍女の身の危険すら感じられたため、その目を逃れるために城外で出産させたとも。その出産の場に中村家の屋敷が選ばれたわけですから、中村氏が家康からよほど信頼されていたことがわかりますね。

 ちなみに、そのお手付きとなった女性は於万の方(長勝院)で、中村屋敷で生まれた子が、のちの結城秀康です。

 少しだけドラマのストーリーの話しをすると、龍雲丸から武家は百姓が作ったものを召し上げる大泥棒と言われ、ガビーンとなった井伊直虎。まあ、税金なんてものは払わずにすむなら払いたくないと思うのが世の常で、取られる側からしてみれば「盗られてる」感覚になるのは今も同じですね。ましてや、この時代の百姓に課された年貢の税率は、現代の税金とは比較にならないほど重いものでしたから。


もっとも、農民と武家の関係は直虎が言ってた土地の貸借関係というより、荘園の警護と百姓の保護のために有力農民の中から自然発生的に生まれたのが武家ですから(異説あり)、百姓は米を作り、武家は命を張る、といった相互関係が成り立っていたんじゃないかと思います。むしろ、政務活動費と称して多額の公金を横領し、記者会見で無様な号泣を晒したどっかの県議や、政治資金を公私混同してピザの本やら家族旅行やら中国服やらに使って辞職に追い込まれたどっかの都知事など、わたしたちの血税を私物化する「税金泥棒」は、現代の政治家や役人のほうが多いかもしれませんよ。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-29 17:35 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(5)  

おんな城主 直虎 第20話「第三の女」 ~井伊直親の隠し子~

 死んだ井伊直親の娘と名乗る高瀬という少女が出現しました。ドラマでは唐突な設定に思えましたが、実はこれは根拠のない話ではなく、直親は11歳から21歳までの約10年間に及んだ信濃国は市田郷での潜伏生活のなかで、身の回りの世話をしていた地元島田村の代官・塩沢氏の娘とのあいだに子をなしたといわれています。


 『寛政重修諸家譜』によると、直親の子どもは二人になっていて、「女子」「直政」とあります。「直政」とは言うまでもなく虎松のことですが、この「女子」は、直政より先に記載されていて、「母は某。家臣川手主水良則が妻」と書かれています。この女子こそ、直親(当時は亀之丞)が市田郷での潜伏生活時代に、塩沢氏の娘に産ませた子ではないかと思われます。たぶん、この「女子」が、ドラマの高瀬なんでしょうね。


 隠し子(というわけではなかったでしょうが)の出現に動揺を隠せない井伊直虎でしたが、正妻のしのは気丈でしたね。自分と結婚する前のことだから、関係ない・・・と。むしろ、裏切られたのは、かつて許嫁だった直虎様ですよ・・・と。あの意外な反応が笑えましたが、たしかにしのの言うとおりで、この時代、正妻を娶る前に側女を作るなんて話はよくあることで、その程度のことで狼狽えていては、武家の妻はつとまりません。ましてや、雲隠れの身だったとはいえ、井伊家の後継者候補だった直親ですから、正妻として迎えるのはそれ相応の身分の女性でなければならなかったわけで、塩沢氏の娘では身分不相応だったのでしょう。


かといって、11歳から21歳という時期を、女性なしで過ごすには無理がありました。この時代、武家の男子には15歳ぐらいで三点セットともいうべき儀式がありました。元服初陣結婚です。直親の場合、潜伏生活のため元服も初陣もおあずけでした。しかし、ひとつだけ可能だったのは結婚。直虎という許嫁がいたため正妻を迎えるわけにはいかなかったでしょうが、側女を迎えて子をなすことはできました。武家の男子にとって、子どもを作るというのは最も大切な仕事でした。そう、仕事だったんですよ。男が妻以外の女性に惹かれるのは、その仕事の習性の名残なんです。決して好色ではありません(笑)。


 井伊家に残る史料では、直親の子どもは直政とこの女子だけですが、しかし、直親の潜伏先だった市田郷では、直親は塩沢氏の娘とのあいだに一男一女をもうけ、女の子は井伊谷につれていったが、男の子は置いていったという伝承がのこっているそうで、いまもその子孫の方が長野県飯田市にご健在だそうです。歴史家・楠戸義昭氏の著書によると、その男子の名は吉直といい、直親が帰国の際に一振の短刀を託したといいます。吉直はこの地に留まり塩沢家で養育されましたが、数代ののち、飯田城下大横町に出て麹屋を創業<推定:延享3年(1746年)>し、そこで旧姓の井伊氏を名乗り、吉右衛門を襲名、代々島田屋を屋号として飯田藩ご用達として栄え、今なお続いているそうです。この家に、直親が息子に託したという短刀が家宝として伝わっているんだそうです。


 その話の真偽はともかく、高瀬のことは井伊家の記録にも残っており、その後、高瀬は井伊家家老となる川手良則の妻となったといいますから、たぶん事実なんでしょうね。一説には、この事実が直虎出家の理由だったとも言われますが、それはどうでしょうね。なんたって直親にとっては仕事だったわけですから(笑)。


 ドラマでは、間者の疑いもあるとして追い出してもかまわないとする小野但馬守政次でしたが、高瀬の鼻歌を聴いた直虎が、直親の娘と認知します。まあ、間者だったらそれぐらいの予備知識は持っていそうですが、DNA鑑定などない時代ですから、疑うも信じるも当人次第だったでしょう。かくして高瀬は井伊家の姫子となって、めでたしめでたし・・・と思っていたら、徳川家康の諜報活動担当の松下常慶が飛び込んでくるや、意味深な眼差し。えっ? やっぱり間者なの? じゃあ、直親は直虎を裏切ってなかった? でも、じゃあ井伊家史料に残る高瀬の存在は? 今後の展開が楽しみです。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-22 21:11 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第19話「罪と罰」 ~地頭職の司法権~

 今話もまた、おんな地頭職となった井伊直虎国づくりのお話。今川家との外交政策、綿花栽培に着手した経済政策、領民の教育政策、そして種子島(火縄銃)の導入によ軍事政策と、稚拙ながらも試行錯誤しながら領主として成長していく直虎の国づくりを描いてきたここ数話ですが、今話のタイトルは「罪と罰」盗人として捕らえた罪人をどう裁くかという話で、つまり司法政策の回でした。


 盗人は死罪という慣例に従って、罪人・龍雲丸打ち首にすべしと主張する中野直之小野但馬守政次に対して、龍雲丸にはがあるから、死罪は免じてほしいと願う直虎。


政次「知らぬ者なら打ち首、知っておる者ならば見逃すと、そう仰せか?」

政次「あの男を見逃せば、井伊は盗人を打ち首にせぬところと噂が立ちましょう。さすれば次から次へと賊が入ってきましょう。そのうち民は襲われ、さらわれる者も出るやもしれませぬ。」


 まったくもって、政次のいうとおりです。司法、行政、立法の三権において、司法ほど情に左右されてはならない機関はありません。もちろん、三権分立が成されていない時代の話ですから、領主は知事警視総監最高裁判所長官を兼ねているような存在で、現在のアメリカ大統領より権限を持っていたといえ、領主の決断ひとつで判決などどうにでもなったでしょうが、一方で、「武士は二君にまみえず」といった江戸時代の主従関係とは違い、この時代の主従関係は利害関係で成立していましたから、主君は常に家臣たちから力量・器量を試されていました。だから、領主はいかにして家臣たちの心をつかむかを腐心する必要があり、とくに司法においては、すこぶる公明正大でなければならなかったでしょう。自分に捜査が及びそうだからといって、FBI長官を罷免したりしたら、たちまち家臣たちから愛想を尽かされ、辞任に追いやられるでしょうね。司法は常に政治の外に存在しなければなりません。


直虎「戦わぬのが最上!そう、われに教えてくれたではないか! 太刀を交えて殺し合うのではなく、その前に敵に屈させるが最上。さすれば兵も銭も最も失することがない。裏を返せば、命をやり取りしてしか物事を決められぬというのは、決して上等でないということじゃ! 偉そうに説教を垂れたそなたが、なぜちっぽけな盗人一人の命を取ろうとする。」


いやいや、そういうことじゃないんですよ、直虎さん。司法とヒューマニズムごっちゃにしてはいけません。現代でも、凶悪犯罪の判決に対して死刑廃止論をもって語る的外れな評論家がいますが、あれと同じです。いのちの尊厳は否定しませんが、死罪そのものを無くしたいという話は、司法府ではなく立法府の管轄です。現行の刑法極刑死刑ならば、司法はその刑法に則って裁かなければなりません。命のやり取りが外道だというのであれば、まず法を変えないと、直虎さん。まったくもって、頓珍漢にもほどがあります。


 これまで、沈着冷静な政次の意見に対して、稚拙ながらも熱意赤誠をもって凌いできた直虎ですが、今回ばかりは身勝手な主張としか思えず、どう決着をつけるのかと思って観ていましたが、龍雲丸の逃亡という曖昧なかたちで終わらせました。まあ、今回は直虎を勝たせるわけにはいかなかったでしょうからね。かといって、これから物語に関わってくるであろう龍雲丸を死なせるわけにもいかない。まあ、無難な着地点だといえるでしょうか? 今回は、司法が情に左右されてはいけないという直虎のお勉強の回だったのでしょうか? であれば、これが、のちの政次に対する処断に繋がっていくのかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-15 15:33 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(4)  

おんな城主 直虎 第18話「あるいは裏切りという名の鶴」 ~甲相駿三国同盟の瓦解~

 前話で種子島(火縄銃)の製造に着手した井伊直虎でしたが、目付家老の小野但馬守政次は、それを今川家への謀反の企てと疑い、虎松後見を降りるようせまります。まあ、主家である今川家に内緒で武装強化していたわけですから、目付にそう疑われても仕方がありませんね。死んだ井伊直親の父・井伊直満が殺されたのも、武田軍の攻撃に備えるための武装を今川家への謀反の企てと疑われたからでした。通説では、政次の父・小野和泉守政直讒言によって陥れられたとされていますが、あるいは、本当に謀反の企てがあったのかもしれません。あとからでは、どうとでも言えますからね。


弱者が強者からあらぬ疑いをかけられないためには、ひたすら弱者でいること。「李下に冠を正さず」です。下手に武装強化しておいて、戦うつもりはなかったといっても、信じてもらえなくて当たり前です。憲法改正して戦える国家にした上で戦うつもりはないと言っても、あるいは国内ではその理屈が通用しても、外からみれば、日本は臨戦態勢に入ったと見られても仕方ないんですよ。そのときはどうするんですかね? 安倍さん?


 と、話がそれましたが、観念した直虎は後見を政次に譲ることを約束し、政次とともに駿府へ向かいます。ところが、瀬戸方久の機転で井伊が種子島(火縄銃)を製造していたのは謀反のためではなく今川に買ってもらうためだったということにし、窮地を救います。上機嫌の今川氏真。いくら氏真が凡庸な人物だったといっても、こんな子供だましな言い訳を、こんなにも単純に信じるとも思えないんですけどね。まあ、ドラマの氏真は、凡庸にも届かない愚鈍な武将といった設定でしょうか。


 で、そこに、武田家の嫡男・武田義信が、謀反の罪で幽閉されたという知らせが・・・。


 ここで、井伊家を取り巻くこの頃の背景をおさらいしておきましょう。この時代より遡ること10年以上前の天文21年(1552年)から同23年(1554年)にかけて、駿河の今川氏模の北條氏斐の武田氏の間で甲相駿三国同盟が結ばれていました。その証明として、今川義元の娘・嶺松院武田信玄の嫡男・義信に、信玄の娘・黄梅院北条氏康の嫡男・氏政に、氏康の娘・早川殿が義元の嫡男・氏真にそれぞれ嫁ぎ、関係を強固にしていました。ところが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い後、今川氏の後継者に氏真が就いてから、徐々に今川氏は弱体化していき、三国同盟の関係にも少しずつ影響し始めます。


 永禄7年(1564年)、武田信玄は飛騨に攻め込みますが、お隣の美濃には織田信長が侵攻しており、翌年、信長は信玄に対して同盟締結を働きかけ、養女を信玄の子息・勝頼に嫁がせます。信玄は信長と手を結ぶことで、今川領への侵攻を視野に入れはじめていたのでしょう。ところが、今川氏真の妹を妻に娶っていた義信は、三国同盟を理由に父の行動に猛反対。やがて家臣も巻き込んで父と対立します。そして永禄8年(1565年)1月、義信派の飯富虎昌粛清されると、同年10月には、義信も甲府の東光寺幽閉され、氏真の妹・嶺松院とも強制的に離縁されます。ネタバレになりますが、この2年後には義信も自害に追いやられます。これにより、今川氏は武田氏との同盟の根拠を失うことになります。義信幽閉の報せを受けて氏真が狼狽えていたのは、そういった背景からきたものです。井伊家の子供だましな言い訳には引っかかる愚鈍な氏真ですが、義信幽閉の事の重大さはわかるようです。


 さて、ドラマのストーリーに戻って、ようやく直虎が政次の真意に気づいたようです。


 直虎「われを上手く使え。われもそなたを上手く使う。」


 元々幼馴染だったふたりですから、わかり合えないはずがない。これから良き主従関係良きパートナーとして井伊家を守っていく・・・・といいたいところですが、通説では、このふたりの終着点はバッドエンドです。このあと、どんな風に描かれるのでしょうね。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-08 17:12 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第17話「消された種子島」 ~戦国大名の鉄砲と囲碁~

 今話は井伊家の種子島(火縄銃)導入と虎松(のちの井伊直政)の教育のお話。鉄砲がはじめて日本に伝わったのは、天文12年(1543年)のこととされています(異説あり)。井伊直虎のこの時代より、約20年前のことです。場所は大隅国の種子島。中学校で習いましたよね。持ち込んだのは、中国船に乗っていたポルトガル人のフランシスコキリシタダモッタの2人とされています。このフランシスコを、かの宣教師フランシスコ・ザビエルと混同して覚えている人がよくいますが、別人です。ザビエルが日本に来たのはこれより6年後の天文18年(1569年)のことで、上陸したのも種子島ではなく鹿児島。持ち込んだのも鉄砲ではなくキリスト教でした(献上品のなかには鉄砲もあったかもしれませんが)。


 種子島の島主・種子島時堯は、鉄砲を2丁買い求め、1丁は家宝とし、もう1丁を鍛冶屋の八板金兵衛清定に命じて分解させ、研究させます。当時の日本にはネジというものがなく悪戦苦闘が続いたようですが、やがて国産の火縄銃、その名も「種子島」が金兵衛らによって完成すると、瞬く間に各地に生産が広まり、和泉国の、紀伊国の根来、近江国の国友、同じく近江国の日野などが代表的な産地となります。他にも、「鉄砲町」という地名がいまも全国各地に残っていますが、それらはすべて、鉄砲鍛冶が住む町でした。


生産ラインが充実すると、戦場における新兵器として、戦国大名たちは挙って鉄砲を買い求めはじめます。ドラマで、中野直之が直虎に種子島導入の話を持ち込んだのは、ちょうどそんな頃でした。時代は刀槍から火器へと移り変わろうとしていた過渡期で、やがてこれが、日本の天下統一を左右していくことになるんですね。


ちなみに、戦国時代末期には、日本は50万丁以上の鉄砲を所持していたともいわれ、この当時、世界最大の銃保有国となるに至ります。話はそれますが、幕末、黒船艦隊の脅威から明治維新を迎え、わずか半世紀ほどで世界一二を争う海軍を保有するに至る日本。第二次世界大戦後の焼け野原から、わずか半世紀ほどで世界一二を争う経済大国となった日本。その是非は別として、戦国時代も現代も、わが国の適応能力の高さには目をみはるものがあります。


 さて、虎松の囲碁です。碁は太古の昔からわが国にあった文化ですが、とくに戦国時代には戦国大名たちに大いに好まれ、織田信長徳川家康などは名人だったとされます。碁盤での対局は、ある種、戦場の戦術戦略にも通ずるところがあり(わたしは碁をやらないので詳しくはわかりませんが)、戦場で指揮をとる彼らにとって、碁は頭脳と精神力の訓練の場だったのかもしれません。


井伊直政の碁がどれほどの実力だったのかはわかりませんが、後年、豊臣秀次関白就任の際、家康の名代として直政が上洛し、祝いのあと、聚楽第の一室で秀次と碁を打ったという逸話が残されています。のちに家康の元で目覚ましい出世を遂げる直政ですが、あるいは、囲碁の素養が家康の目にとまったのかもしれませんね。それを鍛えたのが直虎だったかどうかはわかりませんが。



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by sakanoueno-kumo | 2017-05-01 19:09 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第16話「綿毛の案」 ~綿花栽培と乱妨取り~

 前話で今川家の寿桂尼から井伊虎松の後見を許された井伊直虎でしたが、今話はその「民を潤す」といったスローガンのとおり、領国経営に奮闘するお話。そもそも、百姓が求めていた徳政令の発布を先延ばしにしたわけですから、それに変わる対策を講じなければ、民が逃散してしまいます。井伊家にとっても、民が潤わなければ年貢が入らないわけですから、死活問題です。そこで目をつけたのが、綿花栽培だったわけですね。ただ、前話の稿でも述べたとおり、直虎が徳政令の発布を先送りした2年間のことは全く記録が残っておらず、もちろん今話のエピソードもドラマのオリジナルです。


 もっとも、浜松が綿花栽培の地だったというのは事実で、直虎の時代に始まっていたかどうかはわかりませんが、江戸時代中期には全国でも有数の綿花産地となっていました。遠州地方は、天竜川の豊かな水と温暖な気候によって、綿花の栽培に適していたようです。やがて、浜松城主・井上正甫が農家の副業として綿織物を推奨したことから、繊維産業が盛んになります。これが、現在に続く「遠州木綿」の原点です。


 時代は下って明治に入ると、紡績工場が作られるまでに発展を遂げ、浜松の綿産業は日本を代表する産業のひとつになります。そして、明治29年(1898年)、トヨタグループの創始者である豊田佐吉が、木製の動力織機を発明したことを機に、一大産業に発展していきます。そしてそして、その技術は、やがてトヨタ自動車の技術へと繋がっていき、さらには、ホンダ、スズキ、ヤマハなどのバイクや楽器にも飛び火していくんですね。


つまり、今話で直虎たちが蒔いた1粒の綿花の種が、世界のトヨタに繋がっていくわけです。少し大袈裟なようですが、産業を起こすということはそういうことなんじゃないかと。その土地の風土にあった歴史を創るってことなんですね。自動車や楽器など、一見、風土などとは無縁の産業に思いがちですが、歴史を掘り下げてみると、農業国ニッポンならではの風土的根拠があるわけです。面白いですね。


 綿花栽培を起こすにあったての人手不足の問題を解決するために、「百姓を貸してほしい」と頼みまわる直虎でしたが、すべて断られてしまいます。これは当然のことですよね。百姓は大事な労働力であり、大切な納税者であり、さらには、兵農分離が確立されていないこの時代、百姓も貴重な兵力でした。この時代の兵士のほとんどは、普段は農業に従事し、召集がかかると武装して参戦する半農半士の者たちだったんですね。だから、領主たちは戦を仕掛けるにも、農繁期を避けて農閑期を選ばなけれなりませんでした。つまり、経済面からも軍事面からも民百姓の数は国力であり、容易に貸し出せるようなものではありません。もっとも、金銭で兵を雇う傭兵制度は当時もありました。しかし、それも農閑期に限ったようです。


 ちなみに、兵農分離を積極的に取り入れて常備軍を作り上げたのが織田信長、豊臣秀吉で、だから天下を取ったともいえます。(もちろん、それだけが理由ではありませんが)


 あと、人身売買の話も出てきましたね。「人の売り買いが出やすいのは戦場でしてな」という瀬戸方久の言葉からするに、ここでいう「人を買う」というのは、おそらく「乱妨取り」のことだと思われます。「乱妨取り」とは、戦場で逃げ惑う民を拉致監禁し、人身売買することで、子どもは奴隷として売られ、女性はその場で身ぐるみを剥がれてレイプされたり、欧州やタイ、カンボジアに性奴隷として売られたりしました。人身売買の相場はドラマで言っていたとおり一人につき二貫文(現代の価値で約30万円)でしたが、戦の着後は乱妨取りが多く行われるため、25文(約4千円)ほどに急落したそうです。つまり、方久が言う「手頃な戦場」というのは、「奴隷が4千円ほどで買えるよ!」ってことです。この提案に目を輝かせる直虎。おいおい!これ、実はめちゃくちゃ残酷な話なんですけど・・・。


 ちなみに、直虎の父・井伊直盛が死んだ桶狭間の戦いで、今川義元の大軍が少数の織田信長軍に敗れた理由を、「民家への略奪行為で油断する今川軍を急襲したから」とする説があります。つまり、敗因は乱妨取りだったと。だとすると、直虎のお父ちゃんも、民への乱暴狼藉をやってたのかもしれません。ドラマの直盛像を壊しちゃうようですが。


 ちなみにちなみに、意外にも織田信長は、自軍の乱妨取りを厳しく禁止していたといいます。逆に、義を重んじていた上杉謙信は、自軍の乱妨取りを黙認していたとか。わからないものですね。



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by sakanoueno-kumo | 2017-04-24 21:18 | おんな城主 直虎 | Trackback | Comments(0)