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カテゴリ:おんな城主 直虎( 8 )

 

おんな城主 直虎 第7話「検地がやってきた」 ~隠田・忍田・隠地・隠没田~

 今回は全編創作の回だったので、特にここで補足、解説するネタはありません。もちろん、井伊家が隠し里を持っていたなんて話もドラマでのフィクションです。「隠し里」という言葉はあまり耳なじみがありませんが、「隠田」というのは実際にあったようで、「おんでん」あるいは「かくしだ」と読みます。ほかにも、「忍田(しのびだ)」、「隠地(おんち)」、「隠没田(おんぼつでん)」などといった言葉もあったそうで、これらはすべて同義語。読んで字のごとく、年貢の徴収を免れるために密かに耕作した水田のことです。つまり、脱税行為ですね。


 隠田は重罪で、発覚すれば土地は没収され、追放されたそうです。ただ、隠田はふつう農民が行うことで、今回のドラマのように、領主が隠し里を持っていたという例が、本当にあったのかどうかはわかりません。


井伊直平「ここはもしもの時に井伊の民が逃げ込むところでな。かつて今川に追い込まれたとき、わしらはここに隠れ住み、時を稼ぎ、命脈を保ったのじゃ。ここがなければ、井伊は滅んでおったかもしれぬ。」


ということだそうですが、でも、農民にとっては今川か井伊かに年貢を吸い取られることに変わりはないわけで、「井伊の民」にとっては、あまりメリットはなかったんじゃないかと・・・。


 この隠し里をめぐっての井伊直親小野但馬守政次のかけひきは、なかなか面白かったですね。


直親「川名の隠し里をないことにしてしまいたい」


と、政次に対してストレートにぶつけたあと、小野家の置かれた辛い立場を思いやったうえで、


直親「もし鶴が隠すことに加担したくないと思うなら、この冊子をつけてだしてくれ。もし、ひと肌脱いでくれるというなら、そのまま破り捨ててくれ。俺は鶴の決めたほうに従う。」


と、政次に判断を委ねます。これは、政次にとってはキツイですよね。


政次「あいつめ、俺の了見を見越した上で最後は俺に決めよと言い放ちおった。俺に決めよと。」


 この怒りは当然だと思います。これでは、どちらを選んでも政次自身の責任。直親は汚れないですみます。ずるいですよね。主家である以上、「加担しろ!」と命令すべきでしょう。ここまで聖人君子キャラに思えた直親でしたが、実は、なかなかしたたかな男なのかもしれません。


政次「それがしを信じておられぬなら、おられぬで構いませぬ。されど、信じているふりをされるのは気分がいいものではありませぬ。」


 君を信じてこの仕事を任せる・・・といっておきながら、いざというときに責任逃れする上司みたいなもんですね。現代でもよくある話です。そんなこんなで、直親、政次の間の溝が深まっていくのでしょうか・・・。今後、ふたりの関係はどんな展開を見せるのか、ドラマ前半のいちばんの見どころかもしれません。。



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by sakanoueno-kumo | 2017-02-21 02:06 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第6話「初恋の別れ道」 ~井伊直親の元服・結婚~

 弘治元年(1555年)3月、井伊谷に帰還した亀之丞は、早速、井伊直盛の養子となり、元服して井伊肥後守直親と名乗ります。このとき、直親21歳。遅すぎる元服ですが、逃亡、潜伏生活を強いられていたわけですから、やむを得なかったのでしょうね。晴れて井伊家の後継ぎとなった直親は、10年前の約束どおり、出家した次郎法師還俗させて結婚・・・というのが直盛の希望だったでしょうが、残念ながらそうはいきませんでした。


 第4話の稿でも述べましたが、出家した井伊直虎が尼の名前を名乗らず、「次郎法師」という僧名を名乗ったのは、再び還俗しやすいように、との直盛の願いだったといいます。当時、尼から還俗することは許されませんでしたが、男の場合、戦で死ぬことはたびたびで、後継ぎの男子がいなくなった場合、僧侶からの還俗は珍しくありませんでした。そこに目をつけた南渓瑞門和尚が、直虎に僧名をつけ、いつでも俗世に帰れるようにしたと伝えられます。次郎法師の還俗は両親の切実な願いだったんですね。


 ドラマでは、井伊家の本領安堵と引き換えに出家させられた次郎法師でしたが、史実では、そのような記録はありません。即ち、還俗しようと思えばいつでも出来たわけで、直親が帰還したこのタイミングが、まさに直盛の望みを叶えるチャンスだったといえます。しかし、実際には次郎法師の還俗は行われず、直親は一族の奥山因幡守朝利の娘と結婚します。なぜ、次郎法師と結婚しなかったのか・・・。


 これについては、様々な推理があるだけで、実際の理由はわかりません。『寛政重修諸家譜』「井伊直親」の項によると、直親の信濃国逃亡の際、朝利(その父の親朝とも)が直親を匿うべく尽力したと伝えています。つまり、奥山家は直親の命の恩人であり、無下にはできない間柄だったわけです。そんな事情から、直盛は出家した実の娘ではなく、奥山家から直親の嫁を選んだのではないか、と、推測されます。


 また、別の説では、直親は潜伏先の信濃国で代官・塩沢氏の娘との間に一男一女をもうけたといわれ、井伊谷にはその娘を伴っての帰還だったため、次郎法師がこれを嫌った、とも言われます。元服していなかったとはいえ、帰還時の直親は21歳。当時の習慣からいえば、子どもがいても何ら不思議ではありません。ただ、それを理由に次郎法師が還俗、結婚を拒んだというのは、いささか現代チックな見方かもしれませんね。この時代、正妻より先に側女を持つなどよくあることで、その程度のことで目くじらを立てる次郎法師ではなかったでしょう。おそらく、ふたりが添えない何らかの事情があったのでしょうね。


次郎法師「直親とわれは、それぞれ1つの饅頭なのじゃ。2つの饅頭を一時に食べたり与えてしまっては、のうなってしまう。なれど、1つを取り置けば、まことに困ったときに、もう1度食べたり与えたりできる。」

直親「おとわが還俗するのは俺と一緒になるときではなく、俺に何かがあったときでありたいということか?」

次郎法師「井伊のためには、死んでしまったことにするわけにはいかぬ。次郎の名を捨てるわけにはいかぬ。」

直親が「おとわはそれでよいのか? 一度きりの今生と言うたではないか。一生、日の目を見ることなどないのかもしれぬのだぞ!」

次郎法師「それこそ上々であろ? われがかびた饅頭になることこそ、井伊が安泰である証しであろ?」


 これが、ドラマにおける理由でした。つまり、次郎法師はリザーブになる・・・と。実際には、この時点での次郎法師を井伊家の後継ぎ候補と考えるようなことはなかったとは思いますが、そこはドラマですから、多少の千里眼的設定はいいんじゃないでしょうか? 実際、次郎法師はかびた饅頭になれなかったわけですから。



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by sakanoueno-kumo | 2017-02-13 21:43 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第5話「亀之丞帰る」 ~小野和泉守政直の死と井伊直親の帰還~

 信濃国で家臣の今村正實とともに潜伏生活を送っていた亀之丞(のちの井伊直親)が、約10年ぶりに井伊谷に帰ってきます。というのも、父の井伊直満讒言によって死に追いやり、亀之丞自身も逃亡生活を送らざるを得ない境地に追いやった元凶といっていい、小野和泉守政直が死んだからでした。『寛政重修諸家譜』「井伊直親」の項では、このときのことを次のように伝えています。


「伊那郡市田郷の松源寺にありて数年のあひだ、謀をめぐらし、奥山因幡守親朝をたのみ、舊地にかへらむとす。和泉死して後、直盛、直親を領内にまねき、ひたすら駿府に愁訴し、義元も許容ありしかば、弘治元年、ふたたび、井伊谷にかへりて直盛が養子になる。」


 文中に出てくる奥山因幡守親朝は、おそらくその息子・奥山朝利の誤りかと思われます。政直が死んだのち、井伊直盛が駿府の今川義元にひたすら助命嘆願して許された亀之丞は、弘治元年(1555年)、井伊谷に入ったとあります。亀之丞の帰還は、井伊家にとって待望の出来事だったことがわかります。


 政直の没年は詳しくはわかっていませんが、後世に編纂された『小野氏系図』によると、天文23年(1554年)8月27日と記されているそうで、これが正しければ、政直の死から亀之丞の帰還まで数ヶ月以上を要したことになります。その間、直盛は何度も今川家に懇願したのでしょうね。それが出来たのも、政直がこの世を去ったからでした。つまり、亀之丞を潜伏させていたのは、今川家への憚りというより、小野和泉守政直の存在によるものだったことがわかります。家臣の目を気にして主家の継嗣を潜伏させねばならないという、後世の目からみればなんとも不思議な関係ですが、当時の井伊家と小野家の関係は、そんなパワーバランスだったようです。


政直「お前はわしを卑しいと思うておるじゃろう。なりふり構わぬうそつきの裏切り者・・・。己はこうはならぬとわしをずっと蔑んでおるじゃろう。・・・じゃがな、言うておく。お前は必ずわしと同じ道をたどるぞ。」

政次「和尚様のお心遣いで、私には次郎法師様や亀之丞様との間に育んだ幼い頃からの絆がございます。井伊の縁戚となりますからには、井伊のお家を第一に考えていきたいと思うております。そのなかでも、小野はさすがに頼りになると言われることこそ、まことの勝利かと存じます。」

政直「お前は、めでたいやつじゃのう・・・。」


 陰謀家の父と誠実な息子の会話。しかし、奇しくも後年、父の予言どおりになっちゃうんですよね。なぜ、そうなるのか・・・。なぜ、父・政直にそれがわかるのか・・・。誠実な政次が、この先どう変わっていくのか・・・。今後の展開が楽しみです。


 約10年ぶりに帰還した亀之丞。ドラマでは、爽やかな笑顔で何の屈託もなくおとわ次郎法師・のちの井伊直虎)に接し、幼い日の約束を忘れずいきなりプロポーズしていた亀之丞ですが、通説では、潜伏先の代官・塩沢氏の娘との間に一男一女をもうけたと伝えられています。まあ、通説であっても史実としての確証があるわけではないのですが、この話、描かないのですかね。女性脚本家さんは、やはりこの手の話はお嫌いなのかな? でも、であれば、おとわが亀之丞のプロポーズを断る理由がなくなるのでは・・・。とにもかくにも、今後の展開に注目しましょう。



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by sakanoueno-kumo | 2017-02-06 17:31 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第4話「女子にこそあれ次郎法師」 ~直虎の出家~

 今回は出家したおとわの話がメインでしたね。ドラマでは、今川家から本領安堵の条件として、おとわの出家を命じられるといった設定でしたが、実際には、井伊直虎がいつ、どのような理由で出家するに至ったかはわかっていません。前話の稿でも紹介しましたが、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞(のちの井伊直親)出奔後に仏への信仰が深くなり、南渓瑞門和尚の弟子となることを決意して剃髪したと伝えていますが、『寛政重修諸家譜』によれば、「直親信濃国にはしり、数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と記されています。これが正しければ、直虎が出家したのは亀之丞が出奔した数年後ということになり、もう少し大人になってからということになります。


 また、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞との婚約が破談になったことで、自らの意志で出家したとあります。この時代、夫に先立たれた妻は出家するのが慣わしで、直虎も、その慣例に則って操を通したのかもしれません。しかし、直虎の両親である井伊直盛夫妻は、そもそも結婚はしておらず婚約が破棄になっただけなので、出家する必要はないと猛反対したといいます。ドラマとはずいぶん話が違いますよね。


 結局、直虎の出家への決意は固いものでした。そこで、両親がせめてもの妥協案として、尼の名前は付けないでほしい、と要望したといいます。通常、尼の名とは法名のことで、俗世間との関係を断ち切ったことになります。そうなると、二度と還俗できません。直虎の両親には男子がいなかったので、家督を継がす養子を迎えなければなりません。もちろん、単に養子を迎えることも出来たのですが、できれば、実の娘と結婚させて婿養子として迎えたいという望みを捨てきれなかったのでしょう。そのためには直虎が出家していては望みが断たれるため、なんとしても法名は避けたかったのでしょうね。


 そこで、南渓和尚がひとつのアイデアを提示します。というのは、尼名ではなく、僧名を与えてはどうか、というものでした。尼名と僧名ではどう違うのか・・・。当時、尼から還俗することは許されませんでしたが、僧侶からの還俗は珍しくありませんでした。男の場合、戦で死ぬことはたびたびで、跡継ぎの男子がいなくなった場合、一度僧になった弟が呼び戻されるといった例は少なくありませんでした。その最も有名なところでは上杉謙信がそうで、井伊家の主家である今川義元もまた、仏門から還俗したひとりです。南渓の案は、直虎が変心して還俗できるよう含みをもたせたものだったわけです。


 そこで、直虎につけられた名が「次郎法師」でした。代々、井伊家惣領は「備中法師」と名乗っていたと伝えられ、また、井伊家の歴代当主の仮名が「次郎」だったことから、この2つをつなぎ合わせて「次郎法師」としたとされています。「法師」とは、法名ではなく、僧侶や俗人で僧形をした男子のことを言い、純粋な僧侶ではありません。つまり、井伊家の当主の証である「次郎」を名乗り、尚且つ純粋な僧侶の意味を持たない「法師」をつけることで、いつでも俗世に帰れるようにしたというんですね。両親の切実な願い込められた名だったといえるでしょうか。


 というのが、『井伊家伝記』による直虎出家のくだりです。ところが、ドラマではまったく違うストーリー展開で描かれていましたね。なんで変えちゃったのでしょうね。まあ、『井伊家伝記』にしても『寛政重修諸家譜』にしても江戸時代中期に記されたものですから、そこに書かれた話にどれほど信憑性があるかはわからないので、オリジナルの解釈で創作してもいいところだとは思いますが、『井伊家伝記』の伝承そのままのほうがドラマチックだったような・・・。でも、伝承そのままで描くには、おとわが少々幼すぎたのかもしれませんね。いよいよ、次回からは柴咲直虎の登場です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-30 16:49 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第3話「おとわ危機一髪」 ~井伊家の血を引く築山殿~

 小野和泉守政直の息子・鶴丸(のちの小野政次)と夫婦になることを拒んで出家しようとしたおとわ。これが駿府の今川義元の怒りを買うところとなり、おとわを人質に差し出すよう命じられます。ところが、南渓瑞門和尚機転とおとわの情熱によって、出家を条件に人質を免除されるというお話。今話は、すべて創作の回でした。井伊直虎が許嫁だった亀之丞(のちの井伊直親)の出奔後に出家したのは事実ですが、いつ、どのタイミングで出家したのかはわかっておらず、今川家に人質として送られそうになったという記録もありません。


 『井伊家伝記』
によると、直虎は直親出奔後に仏への信仰が深くなり、南渓の弟子となることを決意して剃髪したと伝えていますが、『寛政重修諸家譜』によれば、「直親信濃国にはしり、数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と記されており、これが正しければ、直虎が出家したのは亀之丞が出奔した数年後ということになります。直虎の生年は不明ですが、亀之丞と同年代と考えると、この時点ではまだ10歳前後。『井伊家伝記』の伝えるように自らの意志で出家したとすれば、『寛政重修諸家譜』の記述どおり、もう少し分別の付く年齢となった数年後に出家したと考えたほうが妥当かもしれませんね。


 劇中、南渓が一策を講じて手紙を送った佐名という女性。直虎の曽祖父、井伊直平の娘で、南渓の妹(姉)にあたりますが、実名はわかっていません。『寛政重修諸家譜』によれば、直平には息子5人と娘1人がいたとされ、嫡子・直宗(直虎の祖父)、長女(名は不明)、次男・直満、三男・南渓、四男・直義、五男・直元と伝えます。当時の系図に娘の名が記されることはほとんどなく、長女も「女子」とあるだけですが、そこに、「今川義元が養妹となり、関口刑部少輔親永に嫁す」と記されています。おそらくこの女性が、ドラマの佐名ですね(この養妹の説については諸説あるなかの一説です)。


 ドラマでは、人質として今川に差し出された佐名は、義元お手つきとなったあと、関口親永に嫁いだとされていましたが、当然ながらそのような記録は残っていません。ですが、主君のお手つきを家臣の妻に下げ渡すという話は珍しくなく、あるいは事実もそうだったかもしれませんね。かくして関口親永の妻となった直平の娘は、その後、を生みます。この娘が、瀬名姫ことのちの築山殿です。つまり、築山殿は直平のにあたり、直虎とは従姉妹違い、従叔母ということになります。


 「瀬名は龍王丸様(のちの今川氏真)の妻となり、今川を手に入れるのです。」


 初対面のおとわに対して瀬名姫が言った台詞です。なかなか強欲でしたたかな姫様のようですね。この築山殿の存在が、やがて徳川家康の登場で井伊家にとって大きな恩恵となるのですが、それはずっと後年の話です。


 寿桂尼太原雪斎など今川家の主要人物が顔を揃えましたね。今回はその顔見せの回といったところだったでしょうか。今回、子役の物語が4週という異例の長さで、おとわを演じる新井美羽ちゃんの迫真の縁起が評判になっているようですが、それも次週で見納めですね。次回、いよいよ次郎法師の誕生です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-23 18:45 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第2話「崖っぷちの姫」 ~井伊家と家老・小野家~

 井伊直満を陥れて死に追いやった小野和泉守政直は、駿府から井伊谷に帰国すると、次は、直満の息子・亀之丞(のちの井伊直親)の行方を探しました。『井伊家伝記』によると、「直満実子亀之丞を、失い申す可き旨、今川義元より下辞の旨申し候」とあります。つまり、政直は今川義元から亀之丞を殺すよう申しつかっていたわけです。しかし、これを事前に予想していた井伊家では、なんとしても亀之丞だけは殺させまいとして、家老の今村正實に託して逃亡させます。


 『井伊家伝記』によると、正實は亀之丞を叺(かます)に入れて背負い、追手の目をくらませて逃亡。いったんは井伊谷の山中、黒田郷に潜みますが、そこもすぐざま政直の知るところとなったため、やむなくさらに北に逃れて渋川の東光院へと逃げ込みます。東光院の住持・能仲は、龍潭寺の住持・南渓瑞門の弟子でした。南渓は井伊直平の次男で、おとわ(のちの井伊直虎)の父・井伊直盛の叔父にあたり、殺された直満とは兄弟になります。東光院に逃れた正實は能仲を通じて南渓と接触し、この先のことを相談したところ、信濃国松源寺へ逃れるようじ助言されました。こうした僧門ネットワークを使って、亀之丞は追手の目をからくもすり抜けます。


 ドラマでは、直満の謀反を見抜けなかったこと、亀之丞を逃したことに対する今川義元からの下知として、小野和泉守政直を目付けとし、その子・鶴丸(のちの小野政次)と夫婦にせよ、とのことでした。つまり、鶴丸がのちの井伊家の当主となるわけですね。家老が主家を乗っ取るかたちで、小野家にしてみれば、なんとも都合のいい話です。実際にこのような話があったのかはわかりませんが、作家・高殿円さんの小説『剣と紅』でも、同じ設定が採られています。この小説では、もともと政直は自身の息子と直虎を夫婦にして井伊家を乗っ取ろうと企んでおり、そのため、直満を陥れて死に追いやり、亀之丞との婚約を破談にさせるという展開でした。


 それにしても、いくら戦国の世といえども、家臣の身でありながら、なぜ政直はここまで主家を苦しめたのでしょう。歴史家の楠戸義昭氏は、その著書のなかで、井伊家の代々家老を務めてきた小野家は、今川家のスパイであったとみて間違いない、と述べられています。小野氏といえば、古代から八色の姓朝臣に列せられた由緒ある家柄で、遣隋使になった小野妹子『令義解』を編纂した小野篁世界三大美人で名高い歌人・小野小町など、錚々たる顔ぶれが思い出されます。『井伊氏と家老小野一族』によれば、小野和泉守政直は小野篁から数えて21代目だといわれているそうですが、この時代の系図はあてにならないものが多く、事実どうかは定かではありません。小野家は政直の父が井伊直平に取り立てられて以降、代々家老職を世襲する家柄になったといいます。ところが、先述したとおり、小野家は井伊家の様子を逐一内偵して、今川家に報告していた形跡があるようで・・・。むしろ、直平の時代に井伊家が今川家の配下に入ったとき、公認の目付役として小野氏が今川家から送り込まれたのかもしれませんね。井伊家にしてみれば、形式上は家臣でも、実際には腫れ物扱いだったのかもしれません。


 「答えはひとつとは限らぬからの。」


 南渓和尚がおとわに言った台詞ですが、どうやら、この言葉が物語のテーマになりそうですね。既成概念にとらわれない発想が、思いもよらぬ答えを導き出すことがある。それが、「おんな城主・直虎」につながっていくわけですね。物語は始まったばかりです。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-16 22:51 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第1話「井伊谷の少女」 ~井伊家のルーツと小野和泉守政直の讒言~

 2017年大河ドラマ『おんな城主 直虎』が始まりましたね。今年も1年間よろしくお願いいたします・・・と言いたいところですが、昨年末の「おんな城主直虎 キャスト&プロローグ」の稿でもお話しましたが、わたしは今年の主人公・井伊直虎のことも井伊家の歴史のこともよく知りません。なので、例年よりもゆる~いブログになるかと思いますが、よければ今年もお付き合いください。


 物語は天文13年(1544年)、直虎の少女時代から始まります。といっても、直虎の生年は不明なので、年齢はわかりません。許嫁となった亀之丞(のちの井伊直親)が天文4年(1535年)生まれとされているので、おそらく、同年代だったのではないでしょうか。となれば、ドラマのこの時期は、満9歳前後ということになります。ドラマでは、おとわと名乗っていましたが、実名もわかっていません。つまり、ほとんど謎の人物なんですね。


 直虎の生まれた井伊家のルーツは古く、平安時代にまで遡ります。その伝承によると、寛弘7年(1010年)1月、井伊谷八幡の神主が社頭に参ったとき、御手洗の井戸のなかに生まれたばかりの男の赤ん坊を発見します。その容貌はたいそう美しく、瞳が輝いていたといい、神主はその赤子を養育することにしました。その後、7歳になった赤子は、公家の藤原共資の養子となり、共保と名付けられます。


やがて壮年になった共保は、自身の生誕の地である井伊谷に城をかまえて移り住みました。このとき、家名を藤原から井伊に改めたといいます。この井伊共保を祖とし、井伊家の系図ははじまっています。ドラマでおとわたちが訪れていた井戸がその伝承の地で、「ご初代様」と呼んでいたのが共保のことですね。つまり、井伊家の始祖は井戸から生まれた・・・と。まあ、にわかに信じられる話ではありませんが、それだけ歴史のある家柄ということは間違いありません。


その後、鎌倉時代には井伊谷を支配していたようですが、南北朝時代には南朝方に与したため、北朝方に攻められて井伊城は落城。遠江国の守護となった今川家の配下となります。しかし、戦国期を通して今川家とは微妙な関係だったようで、たびたび摩擦があったようです。直虎が生まれた頃の井伊家は、そんな不遇の時代でした。


 直虎の父・井伊直盛は男子に恵まれなかったため、直盛の叔父にあたる井伊直満の子息・亀之丞を養子に迎え、直虎と結婚させて後継者にしようとしました。ところが、その養子縁組が順調にすすむなか、井伊家筆頭家老の小野和泉守政直が、駿府の今川義元に対して、直満・直義兄弟が謀反を計画していると讒言します。この頃、井伊家では甲斐国の武田家が遠江国への圧力を強めたため、対武田軍に備える軍備を進めていました。これを、謀反の意としたわけです。なぜ、政直は自身の主君を売るような讒言をしたのか定かではありませんが、『寛永諸家系図伝』などの記録によると、もともと政直は直満と関係が悪かったらしく、その直満の子・亀之丞が井伊家の後継者となることを嫌って、直満を陥れたのだと伝わります。


 なんで家臣にそんなことが出来るのか・・・と思ってしまいますが、戦国時代においては家老の力は大きなもので、家の後継者を決めるのも、当主が勝手に決められず、当主を支える家臣の意向を無視できませんでした。同族会社といえども社長が変わるには、重役会議にかけて幹部の賛意を得なければならなかったわけです。となれば、筆頭家老である政直としては、不仲である直満の子息が当主になることに賛成するはずがありません。あるいは、直接反対の意を表したものの受け入れられなかった経緯があったのかもしれませんね。どうしてもこの養子縁組を破談させたいと考えた政直は、直満を陥れる策にでたわけです。


 天文13年(1544年)12月、直満・直義兄弟は駿府に召喚され、同月23日、処刑されました。みごと政直の思惑通りとなったわけですね。家臣の策略によって一族が殺されたわけですから、井伊家当主である直盛としては政直に報復すべきところだったでしょうが、今川家が絡んでいるとなれば、そうもいかなかったわけですね。きっと政直を八つ裂きにしたいほどの怒りだったでしょうが、その怒りをしずめて泣き寝入りするしかなかったわけです。ただ、亀之丞の命だけはなんとしても守りたい。直盛は家老の今村正らに亀之丞を託し、逃亡させます。当然ながら、直虎と亀之丞の婚約は、いったん白紙にせざるを得なくなりました。こうして、直虎の波乱の生涯がはじまります。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-13 22:42 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 キャスト&プロローグ

 来年の大河ドラマは『おんな城主 直虎』ですね。主人公の井伊直虎は、ドラマのタイトルどおり女性でありながら家督を継いで城主となったといわれる人物。たぶん、大河ドラマの制作発表で初めて知ったという人が多いんじゃないでしょうか。かくいう私も、そういう人物がいたことは知っていましたが、詳しい内容までは知りませんでした。

で、大河ドラマを観るにあたって、何冊か関連本をかじり読みして予習した程度の知識ですが、超簡単に直虎という女性を紹介すると、遠江国浜名湖の北にある井伊谷の領主・井伊家22代当主・井伊直盛の娘として生まれた直虎は、直盛に男子が生まれなかったため、従弟(従兄)の井伊直親許嫁となって家督を継がせる予定でした。ところが、直親の父が今川氏に殺され、直親自身も命を狙われたため、10年以上身を隠すこととなり、その間、直虎は出家して次郎法師を名乗ります。やがて、直親は井伊谷に戻ってきますが、許嫁だった直虎は出家しており、別の女性と結婚。虎松が生まれます。この虎松が、のちに徳川四天王のひとりとなる井伊直政です。

その後、父の直盛が桶狭間の戦いで戦死、その2年後には直親が讒言によって謀殺されると、その翌年には曽祖父の井伊直平も死去し、井伊の名を継ぐ男子は、幼少の虎松ただ一人となりました。そこで、直虎は虎松の後見人となり、女領主として井伊家を支えることになるわけです。このとき、男名である「直虎」を名乗るようになった・・・と。「井伊」という姓を聞くと、徳川四天王のひとりとして彦根藩主となった井伊直政や、幕末の大老・井伊直弼を思い浮かべますが、直虎の時代の井伊家は、滅亡の崖っぷちにありました。そんな時代が、今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の舞台です。

以下、現在発表になっているキャストです。

********************************************

井伊家

井伊直虎・・・・・・・柴咲コウ(おとわ(幼少期):新井美羽)

井伊直盛・・・・・・・杉本哲太

千賀・・・・・・・財前直見

井伊直平・・・・・・・前田吟

井伊直満・・・・・・・宇梶剛士

井伊直親・・・・・・・三浦春馬(亀之丞(幼少期):藤本哉汰)

しの・・・・・・・貫地谷しほり

井伊直政・・・・・・・菅田将暉(虎松(幼少期):寺田心)

佐名・・・・・・・花總まり

井伊家臣

中野直由・・・・・・・筧利夫

中野直之・・・・・・・矢本悠馬

今村藤七郎・・・・・・・芹澤興人

弥吉・・・・・・・藤本康文

たけ・・・・・・・梅沢昌代

小野家

小野政直・・・・・・・吹越満

小野政次・・・・・・・高橋一生(鶴丸(幼少期):小林颯)

小野玄蕃・・・・・・・井上芳雄

奥山家

奥山朝利・・・・・・・でんでん

なつ・・・・・・・山口紗弥加

奥山六左衛門・・・・・・・田中美央

龍潭寺

南渓和尚・・・・・・・小林薫

傑山・・・・・・・市原隼人

昊天・・・・・・・小松和重

井伊谷の民

瀬戸村

甚兵衛・・・・・・・山本學

八助・・・・・・・山中崇

角太郎・・・・・・・前原滉

祝田村

富助・・・・・・・木本武宏

福蔵・・・・・・・木下隆行

今川家

今川義元・・・・・・・春風亭昇太

今川氏真・・・・・・・尾上松也(龍王丸(幼少期):中川翼)

寿桂尼・・・・・・・浅丘ルリ子

太原雪斎・・・・・・・佐野史郎

新野左馬助・・・・・・・苅谷俊介

関口氏経・・・・・・・矢島健一

あやめ・・・・・・・光浦靖子

岩松・・・・・・・木村祐一

徳川家

徳川家康・・・・・・・阿部サダヲ

瀬名/築山殿・・・・・・・菜々緒(幼少期:丹羽せいら)

その他

龍雲丸・・・・・・・柳楽優弥

瀬戸方久・・・・・・・ムロツヨシ

高瀬・・・・・・・髙橋ひかる

松下常慶・・・・・・・和田正人

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 主人公の井伊直虎役は、柴咲コウさんですね。直虎という女性がどのような人物像で描かれるのかはわかりませんが、男名を名乗って城主になるわけですから、きっと、男まさりで勝気なキャラなんでしょうね。柴咲さん、ピッタリなんじゃないでしょうか? 巷では誰かの代役だったなんて話も耳にしますが、それが本当だろうがデマだろうが、柴咲直虎を楽しみたいと思います。

 許嫁だった井伊直親役は三浦春馬さんということなので、年下の設定なんでしょうね。直親は天文4年(1535年)の生誕と伝わりますが、直虎の生年は不詳で、実際の直親との年関係もわかりません。ただ、歴史作家・楠戸義昭氏の著書では、直親が年下だった可能性が考えられるとされており、この設定は一応の根拠があるみたいです。

 井伊家家老の小野政次役は、高橋一生さん。この小野政次という人物が、物語の全編を通して重要な役どころになってくるのですが、直虎とどのような関係に描かれるのか、また政次をどのような人物像に描くのか楽しみです。

 あと、注目したいのが井伊直政役の菅田将暉さん。いま乗りに乗ってる菅田くんですが、たぶん、大河ドラマは初出演ですよね。わたし、この人いつか、大河の主役やるんじゃないかと思っています。期待しています。

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 近年、ほぼ1年交代のように女性を主人公にした大河作品が描かれますが、井伊直虎という人物は、歴史マニア以外にはあまり知られておらず、また、実際に直虎に関する史料も乏しく、史実としてドラマを描くのはかなり困難だと思われます。つい最近では、直虎は実は男だったんじゃないか、と思われる史料が見つかったとの報道もありましたよね。そんなほぼ謎の人物とも言える素材を主役にしてまで、女性を主人公にした作品を作らないといけないのか・・・という声も多く、わたしも、その意見に賛成です。いくら男女平等の世の中と言っても、歴史は圧倒的に男社会だったわけで、大河の主役になり得る女性なんて、そんなにいませんからね。

 ただ、今回大河ドラマを観るにあたって、直虎を主人公にした高殿円さんの小説『剣と紅』を読んだのですが、これがなかなか面白く、このまま大河ドラマにしたらいいんじゃないかと思うほどでした。もちろん、直虎自身の史料はほとんどないため、作者独自の設定で、ちょっとファンタジックな人物像に描かれていたのですが、井伊家の苦難の時代は実に興味深いものがありました。主人公の知名度が低くても、描き方次第では見ごたえのあるドラマに出来ると思います。今回、脚本はJIN--などを手掛けた森下佳子さんだそうですね。期待しましょう。

 とにもかくにも、また今回も1年間お付き合いいただけたら幸いです。

 楽しみましょう。



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by sakanoueno-kumo | 2016-12-29 11:30 | おんな城主 直虎 | Comments(0)