カテゴリ:西郷どん( 4 )

 

西郷どん 第3話「子どもは国の宝」~島津斉彬の藩主就任が送れた理由~

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 その卓越した見識により、幕末きっての開明派大名として後世に名高い島津斉彬は、16歳のときに薩摩の世子(嫡子)として徳川第11代将軍・家斉への謁見もすませており、やがてその賢名は天下に聞こえ、まだ部屋済みに身でありながら主席老中の阿部伊勢守正弘を始め賢侯と呼ばれる他藩の藩主とも親交を持ち、それらの人たちから尊敬されていたほどの人物でしたが、40歳を過ぎてもまだ藩主には就いていませんでした。その理由は、父の島津斉興が藩主の座に固執してなかなか隠居しなかったからですが、なぜ斉興が藩主の座を譲ろうとしなかったかというと、一言でいえば、斉興はわが子ながら斉彬が嫌いだったからでした。もちろん理由があります。

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 斉興が藩主に就いたとき、薩摩藩の財政どん底でした。その原因はひとつではありませんが、最も大きな原因は、斉興の祖父で薩摩藩8代藩主の島津重豪にあったといいます。重豪はすこぶる面白い人物で、早くから洋学に関心を持ち、領内に西洋風の博物館や植物園・天文館・医学校などをつくらせ、自らも洋学者に学び、ときに蘭語(オランダ語)を話すような人だったといいます。そのため、藩費を湯水の如く浪費し、その結果、ただでさえ苦しかった藩の財政は底をつきます。当然、その影響は領民に直接降りかかりました。農民は年貢の取り立ての厳しさに耐えかねて他国へ逃散するものが相次ぎ、家臣らは藩に俸禄を借り上げられ、刀剣を売って生活の足しにする始末。この頃の薩摩藩の負債は500万両だったといいますから、現在の貨幣価値にすれば1兆円を越える額にあたります。

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 この財政立て直しのため、重豪は調所笑左衛門広郷を登用します。調所は元は茶坊主出身で、その才覚を見込まれて町奉行等要職を経て、重豪つきの側用人兼続料がかりの職に就いていました。側用人は現在の官房長官、続料がかりは財務官の職務です。役目を引き受けた調所は、かなり強引な手法によって財政再建を進めます。具体的には、節倹策や国産品の専売制および新田開発、税法の見直しなどを実施する一方、借金を500万両に固定して金利を放棄させ、それを250年かけて返済するというむちゃくちゃな手法で乗り切ります。つまり、毎年2万両ずつしか払わないというのですから、事実上、借金の踏み倒しですね。調所に財政立て直しを命じた重豪は、その途上でこの世を去りますが、その後も重豪は斉興の下で改革を継続し、立て直しにかかってから15、6年ほど経つと、財政再建はすっかり成ったばかりか、150万両の蓄えまで出来たほどだったといいます。

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 こうして財政難を乗り切った薩摩藩でしたが、重豪は生前、曾孫の斉彬をたいそう可愛がり、斉彬もまた、曽祖父の重豪を慕い、感化を受けて育ったため、金のかかる洋学好きの人物に育っていました。斉興にしてみれば、西洋好きの斉彬を藩主に就かせると、また、重豪の時代の二の舞いになりかねないという懸念があります。その不安は、調所やその他、重臣たちの多くも同じでした。もう二度とあんな苦しみを味わいたくない・・・。血の滲むような思いをして立て直した財政を、斉彬にめちゃめちゃにされたくない。そう思って当然だったでしょう。斉興は藩のためにも、わが子・斉彬を徹底的に嫌いぬきました。そして、いつしか側室のお由羅が産んだ子・久光に時期藩主に、という思いがめばえ始めます。そうなると、必然的に藩内が斉彬派と久光派に分裂し始めます。

 嘉永元年(1848年)12月、調所は江戸に出仕した際、幕府主席老中の阿部正弘から呼び出され、糾問されます。その内容は、薩摩藩あげての密貿易の疑いと、琉球に派遣していた警備兵の数が幕府に報告していた数より少なかったという件でした。調所は、すべては自身の独断で行ったことで、藩公認のものではないと主張してその場をしのぎますが、その後、江戸上屋敷芝藩邸にて急死します。公式には「病死」として届けられましたが、藩主・斉興の立場を守るため、事件をうやむやに葬ろうとしての自決(服毒自殺)だったといわれています。享年73。ドラマでは、斉彬が阿部に密貿易の件をリークしていましたが、証拠は残っていないものの、おそらく、斉彬が阿部と通じて自身の藩主就任の障害である調所を追い落としたとみて間違いないのではないでしょうか。斉彬も、40歳を超えて相当に焦っていたのかもしれません。

 調所の死をきっかけに、薩摩藩内の斉彬派斉興・久光派の対立が激化。やがて、西郷吉之助(隆盛)大久保正助(利通)らにも少なからず影響を及ぼす「お由羅騒動」へと発展していきます。その話は、また次週にて。



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by sakanoueno-kumo | 2018-01-22 18:20 | 西郷どん | Trackback | Comments(0)  

西郷どん 第2話「立派なお侍」 ~郡方書役としての西郷吉之助~

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 弘化元年(1844年)、西郷吉之助(隆盛)は数えの18歳で郡方書役助に任じられ、藩の役人の末席に名を連ねます。この役職は、農政を担当する郡奉行の配下で、役人としては最下級でした。そのお役目の具体的な内容は、藩内のあちこちを常に巡回して、道路などの普請の必要性を調べたり、農家のの出来具合を管理し、年貢徴収の監督にあたるというものでした。西郷はこのポスト(やがて書役に昇進)を約10年間務めることとなり、そのため困窮している農民の実態を熟知し、農政に精通するようになります。西郷の官吏としての実務能力は優れていたようで、そのことは、これより十数年後の安政3年(1856年)に島津斉彬に直接提出したとされる農政に関する上書からも窺えます。

 また、西郷はこの職務を長く務めたことで、農民に対する深い愛情の心を持つようになったといわれます。もちろん、西郷もこの時代の武士階級一般と同じく、「愚民観」の持ち主でしたが、だからこそ、支配階級である武士として農民を助けなければならないという信念を持っていたようです。ドラマでは、借金のかたに売られそうになっていた少女を助けるために力を尽くしていましたが、似たようなエピソードが伝えられています。


 若き日の西郷が年貢の徴収作業にあたっていたとき、年貢を払えずに農耕馬を泣く泣く手放そうとしていた農夫が、夜中に愛馬と別れを惜しんでいる姿をたまたま目撃します。翌日、西郷は役所に掛け合って年貢の徴収を延期してもらったといいます。このエピソードは西郷伝には欠かせない話で、西郷の農民に対する深い愛情と、弱い者や貧しく不幸な人に対する生来の情の厚さが窺えます。


 ドラマには出てきていませんが、西郷がこの職に就いた当初の上司(郡奉行)は、名奉行として知られた迫田太次右衛門利済という人物でした。迫田は見識が高く気骨がある人物だったといい、農民への同情心に厚く、困窮した農民の生活を守るため、年貢の減額の嘆願書を藩に提出し、それが聞き入れられないと、激しく義憤して奉行を辞職してしまいました。迫田の辞職は西郷が書役助に就いて間もないころのことで、その後の西郷の人格形成に、大きな影響を与えたといわれます。

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 西郷が郡方書役助の役職に就いた2年後の弘化3年(1846年)、西郷より3つ年下の大久保正助(利通)は、記録所書役助に任じられます。書役の主な職務は、古い文書を管理し、藩内の様々な記録を整理するというお役目。いわば事務官ですね。沈着冷静な実務家の大久保には、うってつけのお役目だったといえるでしょうか。それにしても、西郷と大久保、この2人の役人としての出発点の対比は、実におもしろいですね。西郷は農村を歩き回って実態を調べる外回りの役目で、大久保は役所に詰める事務職。まるで、将来の2人の関係を暗示しているかのようです。庶民の声望高き革命家・西郷隆盛と、官僚を統率する政治家・大久保利通の原点は、ここにあったのかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2018-01-16 16:41 | 西郷どん | Trackback(1) | Comments(2)  

西郷どん 第1話「薩摩のやっせんぼ」 ~郷中教育~

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 明治31年(1898年)、東京・上野公園に建てられた西郷隆盛銅像除幕式から物語はスタートです。このとき、その銅像を初めて見た西郷の三番目の妻・糸子が、「わたしの夫はこんな人ではなかった・・・」と薩摩弁でつぶやいたという話は有名で、その逸話から、銅像は生前の西郷には似てないというのが定説となっていますが、「こんな人ではなかった」という言葉の意味は、こんな顔ではなかったという意味だったかどうかはわかりません。あるいは、このような格好(着流し)で出歩くような人ではなかった、という意味かもしれず、また、あるいは、このような表情をする人ではなかた、という意味かもしれません。その真意は定かではありませんが、オープニングに没後21年の場面を持ってきたのは、この糸子の台詞に、この物語の何らかの意味が込められているのかもしれませんね。

これより遡ること21年前の明治10年(1877年)、反政府軍の首領として戦場に散った西郷ですが、賊軍の将の銅像が、死後わずか21年で敵対した政府によって建てられたなんて例は、世界中探しても見当たらないそうです。そんな稀代の英雄・西郷隆盛の物語が始まりました。


 西郷隆盛の生家は鹿児島城下の下加治屋町という貧乏士族が多く住む地域で、父の西郷吉兵衛は、御小姓与勘定方小頭でした。薩摩藩の士分の家格は、大きく城下士(上士)外城士(郷士)に分けられますが、西郷家は、一応、城下士に属しました。城の近くに住めない外城士に比べて格上でしたが、城下士の中では与力についで下から二番目の低い家格でした。薩摩藩は他藩に比べて人口に対する武士の比率が際立って高く、そのため、下級武士たちの生活は貧窮を極めました。当然、西郷家もその例外ではなく、さらに、父・吉兵衛とその妻・マサ夫妻は四男三女の子宝に恵まれており、西郷家は使用人も含めて二十人近い大所帯だったといいますから、その貧窮ぶりは想像に絶するものだったに違いありません。そんな環境で西郷は育ちました。


 西郷をはじめ、薩摩人を語るに知っておかねばならないのが、薩摩藩独特の子弟教育制度である郷中教育でしょう。このシステムは16世紀末期から始まったとされ、城下士の住む地区を6つに分け、その地区ごとに「郷中(ごちゅう)」という組織を形成し、武家の男子は6、7歳になると皆、この組織に入ります。そして、6、7歳から12、3歳までを「稚児(ちご)」と称し、14、5歳から23、4歳で妻帯するまでを「二才(にせ)」と称します。郷中に入った子供たちは毎日そこに通い、互いに競うように文武の修行をしました。稚児は二才に従い、二才は稚児の世話をする。そんな生活を毎日朝から日が暮れるまで続けていたわけですから、同じ郷中の者はほとんど兄弟同様で、必然的にその団結力は強固なものとなります。この教育システムが、後年の薩摩士族の団結力に繋がっていると言われます。


 少年時代の西郷の逸話で、必ずふれなければならないのが、ドラマで描かれていた右腕の負傷です。その伝承によると、天保10年(1839年)、妙円寺参りの帰りに友人がある人物から難癖をつけられ(西郷自身という説も)、はじめ西郷はそれを制止しようとしますが、相手は鞘に差したままの刀で西郷を叩き始め、やがて、はずみで鞘が割れ、刃が西郷の右腕内側の筋を切ってしまいます。この傷は相当深かったらしく、西郷は数日間痛みと高熱に苛まれ、なんとか一命はとりとめたものの、その右腕は十分に動かすことが出来なくなってしまいました。ずっと後年、西郷とはじめて会ったイギリス公使館付通訳のアーネスト・サトウが、西郷の片腕に刀傷があることにすぐ気がついたというエピソードが残るくらいですから、よほどの深傷を負ったのでしょうね。この怪我によって西郷は剣術の修行を断念し、学問で身を立てるべく勉学に没頭するようになったと伝えられます。


この事件が、その後の西郷の人格形成進路に大きな影響を及ぼしたといっても過言ではないでしょう。少年・西郷にとっては不幸な出来事でしたが、日本の歴史にとっては、必要な出来事だったといえるかもしれません。



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by sakanoueno-kumo | 2018-01-08 01:57 | 西郷どん | Trackback(2) | Comments(2)  

西郷どん キャスト&プロローグ

さて、来年の大河ドラマは『西郷どん』ですね。言わずと知れた幕末維新の英雄・西郷隆盛の物語です。歴史に興味のない人でも、「西郷隆盛」という名を知らない人は、まずいないでしょう。今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、あるいは大河ドラマ史上最も知名度の低い主人公の物語だったかもしれませんが、来年はその真逆で、日本史上最も知名度の高い人物の物語といえるかもしれません。


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 というのも、たとえば「戦国三傑」と呼ばれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人では、誰がいちばん知られているか甲乙つけがたいと思いますが、「維新三傑」と称される西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人では、知名度、人気ともに圧倒的に西郷が突出しています。聞くところによると、西郷の伝記は、世界中を見渡して、イエス・キリストの伝記に次ぐほど数が多いといいます。キリスト伝は世界中で出版されているのに対し、西郷の伝記はほとんど日本での刊行であることを思えば、いかに西郷を研究する歴史家が多く、また、国民の間に絶大な人気を有しているかが窺えます。

 にも関わらず、後世の西郷に対する評価は一定ではありません。賢人愚人か、はたまた聖人悪人か、見方によって大きく評価が変わるのが、西郷という人の不思議なところです。幕末、西郷とはじめて会った坂本龍馬が、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と評したという有名なエピソードがありますが、同時代に生きた者でさえつかみどころがなかったわけですから、後世のわたしたちが理解に苦しむのも当然かもしれません。


西郷隆盛を題材にした史伝の代表的な作品として、海音寺潮五郎『西郷隆盛』と、司馬遼太郎『翔ぶが如く』がありますが、海音寺さんと司馬さんの西郷評も、ぜんぜん違うんですね。司馬さんは維新前の西郷と維新後の西郷とを、まるで別人と評しているのに対し、海音寺さんは、維新前と維新後でまるで人が変ってしまうことなどあろうはずがないといっています。今回、原作は林真理子さんだそうですね。原作小説を読んでいないのでわかりませんが、歴史上最も有名でありながら理解に難しい西郷隆盛という人物が、今回、どのように描かれるか楽しみにしています。


 以下、現時点で発表されているキャストです。


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西郷吉之助(隆盛)・・・・・・・鈴木亮平(幼少期:渡邉蒼)

大久保一蔵(利通)・・・・・・・瑛太

岩山糸・・・・・・・黒木華

西郷吉兵衛・・・・・・・風間杜

西郷満佐子・・・・・・・松坂慶子

西郷琴・・・・・・・桜庭ななみ

西郷吉二郎・・・・・・・渡部豪太

西郷龍右衛門・・・・・・・大村崑

西郷きみ・・・・・・・水野久美

大久保次右衛門・・・・・・・平田満

熊吉・・・・・・・塚地武雅

於一(篤姫)・・・・・・・北川景子

ふき・・・・・・・高梨臨

大山格之助(綱良)・・・・・・・北村有起哉

有村俊斎(海江田信義)・・・・・・・高橋光臣

村田新八・・・・・・・堀井新太

赤山靭負・・・・・・・沢村一樹

幾島・・・・・・・南野陽子

由羅・・・・・・・小柳ルミ子

島津斉興・・・・・・・鹿賀丈史

島津斉彬・・・・・・・渡辺謙

島津久光・・・・・・・青木崇高

喜久・・・・・・・戸田菜穂

山田為久・・・・・・・徳井優

愛加那・・・・・・・二階堂ふみ

西郷従道(信吾)・・・・・・・錦戸亮

大久保満寿・・・・・・・ミムラ

桂久武・・・・・・・井戸田潤

タマ・・・・・・・田中道子

阿部正弘・・・・・・・藤木直人

月照・・・・・・・尾上菊之助

徳川家定・・・・・・・又吉直樹

調所広郷・・・・・・・竜雷太

井伊直弼・・・・・・・佐野史郎

徳川斉昭・・・・・・・伊武雅刀

語り・・・・・・・西田敏行

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 西郷隆盛役の鈴木亮平さんのことは、それほど詳しくは知らないのですが、NHK朝ドラ『花子とアン』やNHK大河ファンタジー大河『精霊の守り人』が印象に残っています。大河ドラマは初出演にして初主演だそうですね。巷の噂では、とあるビッグネームの俳優さんが断ったことによる大抜擢だとも聞きますが、たとえそうであったとしても、そんなことはどうでもいいことなんじゃないでしょうか。今やハリウッドスター渡辺謙さんも、『独眼竜政宗』の主役に抜擢されたときは、それほど知名度の高い俳優さんではありませんでしたが、同作品は大河史上に残る名作との呼び声が高い作品となりました。名前の大きさなんて、あとからついてくるものなんじゃないかと。


 その渡辺謙さんが、今回、島津斉彬をやるんですね。ピッタリだと思います。斉彬はたぶん、物語前半しか出てきませんが、西郷の精神の核となる部分を生み出す人物として、重要な登場人物です。渡辺謙さんなら、申し分ないのではないでしょうか。


 大久保利通は瑛太さんですね。西郷といえば大久保。この2人の関係がどのように描かれるかも楽しみのひとつです。一般に、西郷の人気の高さに対して後世に悪評高い大久保ですが、実は、わたしはどちらかといえば大久保贔屓です。なので、大久保利通の扱いがどのように描かれるかが気になるところ。その意味では28年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』での鹿賀丈史さんの大久保利通は最高でしたし、その後の幕末ものに出てくる大久保役は、どれもイマイチ納得できませんでした。今回、瑛太大久保は鹿賀大久保を超えられるか。楽しみです。


 その鹿賀丈史さんも、今回、島津斉興役で出られるんですね。それと、語りが西田敏行さん。『翔ぶが如く』での西郷と大久保が、28年後にも揃って出演。これ、往年の大河ファンにはたまらない粋な計らいです。あと、松坂慶子さん、風間杜夫さん、平田満さんの『蒲田行進曲』トリオの共演も話題になっていましたね。皆さん、年を取られました(笑)。


 天璋院篤姫役は北川景子さん。これまた意外にも大河ドラマは初出演だそうですね。篤姫役といえば宮崎あおいさんを思い出しますが、実は『翔ぶが如く』のときの篤姫は富司純子さんでした。もちろん、富司さんは美しい女優さんですが、28年前といえども、当時、富司さんは40代半ばだったと思います。篤姫が第13代将軍・徳川家定のもとに輿入れしたのは20歳のとき。あれはちょっと、無理がある配役でしたよね。その意味では、北川さんはギリギリセーフかな?(笑)。そして、その家定役が芥川賞作家の又吉直樹さんだそうで、これもイメージ出来すぎて笑っちゃいましたが、いちばん笑ったのは、由羅役の小柳ルミ子さん。イメージピッタリです(笑)。


 まだまだ、勝海舟坂本龍馬、木戸孝允、小松帯刀らのキャストも発表されていませんし、桐野利秋、篠原国幹、別府晋介といった西郷と運命をともにする主要キャストも発表されていません。楽しみですね。


 とにもかくにも、また今回も1年間お付き合いいただけたら幸いです。

 楽しみましょう。


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by sakanoueno-kumo | 2017-12-30 15:19 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)