<   2009年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧

 

天地人 第43話「実頼追放」

 直江兼続の実弟、大国実頼。兼続の2歳下の1562年(永禄5年)生まれ。私には男兄弟がいないのでわからないが、年近い兄弟は終生ライバル意識があるという。そしてその意識は弟のほうがより強いとか。ましてや兄が偉大な人物であればなおのことだろう。兄であるが故、認められない、譲れない思い・・・。そんな心が実頼にもあったのではないだろうか。

 ドラマでは、本多正信・正純父子を前に縁組の中止を発言した実頼だったが、史実では本多の使者を殺してしまい、出奔し高野山に逃れるとある。ドラマ以上にヘビーなぶち壊し行為で、その後の兼続の尻拭いは並々ならぬものだっただろう。ドラマ中にあったような正信父子とのやり取りが実際にあったかどうかはわからないが、その後縁談を取りまとめ、政重の養子縁組解消後も本多家とは深い交流があったことから考えれば、本多氏がよほど兼続を信頼していたことが窺える。弟の失態を帳消しにするほどの兼続の誠意。兼続・実頼兄弟では完全に弟の負け。高野山にて実頼はそう悟っただろうか。

 「如何なる苦境に立たされようとも、上杉の誇りを傷つけることだけは許せない。」
実頼には自分なりの正義があっての行い。責めは受けるも考えを改めるつもりはない。曲がったことは許さず、万人が正しいと思える道こそ上杉の掲げる「義」であると説く。

 「義だ、誇りだと声高に叫ぶ者の心中にあるのは、ただ己が体面のみ。我らが奉ずる義とはもっと大きなもの。」
兼続から見れば、実頼のいう「義」は個人の意地に過ぎない。「義」とは己の為に守るものではないとする。万人の幸せの為には己の意地も捨てる・・・これこそ「大義」であるという考え。上杉家執政の立場での「義」と、一人の侍としての「義」。そこに深い溝が生じたとも言えるかもしれない。本当の「義」とは何か・・・。不詳、私ごときでは答えは見つからない。

 余談ですが、大国実頼役の小泉孝太郎さん。
「兄上の進まれている道は、誠に上杉の進むべき道なのでございますか?」
と、力強く兼続に進言していましたが、小泉政権の進めた道は日本の進むべき道だったのか、是非父上に訪ねてみてください。当時の上杉家と同じくらい、今の日本は病んでます。



ブログ村ランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-29 04:00 | 天地人 | Trackback | Comments(0)  

野村克也の名言 その1

 東北楽天イーグルスの2009年が終わった。4年間指揮をとった野村克也氏の楽天監督姿も見収め。今後の去就が注目されるところだが、何といっても御歳74歳。ご自身はまだまだ現役モードだが、このまま他の球団からのオファーがなければ、長きに渡ってプロ野球界を盛り上げてくれた野村克也氏のユニホーム姿も見収めになる。

 クライマックスシリーズ第2ステージで日ハムが楽天を下し日本シリーズ進出を決めたこの日の試合後、両チーム入り混じって野村監督の胴上げが行われたそうである。少し前までは「憎まれっ子世にはばかる。」の代名詞のような生き方だったノムさん。しかしいつの頃からかファンにもマスコミにも親しまれるキャラに変貌を遂げ、野村塾の門下生を数多く球界に輩出し、多くの人たちから惜しまれる終焉となった。
 かつては三冠王になっても陽の当らない自分を卑下し、
「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」
と言っていたこともあった氏だが、なんのなんの晩年のあなたは花畑一背の高いひまわりでした。歳をとればとるほど輝きが増す人・・・こんな幸せな人生はそうはないんじゃありませんか?

 野村克也といえば、野球選手並びに監督としての輝かしい実績も然ることながら、数々の名言・珍言・失言・暴言で私たちファンを楽しませてくれた。近年のノムさんは、それを皆が期待していることを楽しんでいるかのように思えた。でもそれはボキャブラリーが豊富でなければ出来ないこと。無類の読書家だというノムさんには、野村IDと言われた緻密なデータ野球とは別に、野村哲学といった精神論があり、そこから生まれた数々の名言は一般企業の社員研修などにも用いられるそうである。
 
 そのもっとも代表的な名言。有名な野村ノートに記されている言葉である。

   考えが変われば意識が変わる。
   意識が変われば行動が変わる。
   行動が変われば習慣が変わる。
   習慣が変われば人格が変わる。
   人格が変われば運命が変わる。
   運命が変われば人生が変わる。


 もとはヒンズー教にある言葉をノムさんなりに解釈した信条だそうである。プロ野球選手は皆、野球のエリートたちであり、自分なりのポリシーがあり、ともすれば自分の考え方に固執してしまいがちなものかもしれない。しかし新しい自分を見出そうと思えば、まずは考え方から変えねばならない。意識が変われば取り組みが変わり、やがてプレーも変わる。この信条で野村監督は多くの沈みかけていた選手を蘇らせた。これは何も野球に限ったことではない。頑張っているつもりなんだけどなかなか結果に結び付かない。自分の力に限界を感じている。目標はあってもプロセスがわからない。そんな人は、一度この言葉を噛みしめてみてはどうだろうか・・・。

 ノムさんの名言はまだまだあるが、長文になってしまったのでまた次の機会に。
何はともあれ、野村監督、お疲れさまでした。長い間楽しませていただきありがとうございました。

野村克也の名言 その2
野村克也の名言 その3


ブログランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
      ↓↓↓
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-25 00:34 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

天地人 第42話「将軍誕生」

 1563年(永禄6年)、武田信玄の六女として生まれた菊姫は、1604年(慶長8年)、上杉家伏見邸にて42年の生涯を閉じる。武田家と上杉家の同盟の証として景勝に嫁いだ菊姫だったが、両家の血を引く世継ぎ産むことは出来なかった。英雄、武田信玄と上杉謙信の血筋を託された菊姫。重圧は大変なものだっただろう。

 お家の存続が第一だったこの時代。ドラマでは自ら子を宿すことを諦めた菊姫は、夫・景勝に側室を薦める。側室が当たり前だった時代。自分が世継ぎを産めなければ側室を薦めるのが正室の務め。現代の私たちには想像できない感覚だが、しかし生涯側室を持たなかった武将も数多くいることを思えば、男女の心のあり様は今も昔も変わらないのではないかとも思える。

 景勝が側室を迎え、懐妊の事実を知ってか知らずか、世継ぎ定勝が生まれる3か月前、己の役目を終えたかのようにこの世を去った菊姫。さぞかし無念だっただろう。1595年に豊臣家への人質のため京都伏見邸に移ってから9年。上杉家が移封された米沢で暮らすことや滞在する事はもとより、京都を出ることすら一度もなかった。

 征夷大将軍を任じられた徳川家康に、祝いの謁見をするため江戸入りした景勝と兼続。しかし、菊姫の病の知らせを受けた景勝は、兼続の後押しもあって伏見に向かう。景勝不在で家康に謁見した兼続は、当然の如くあらぬ言い掛かりをつけられ、理由を問われる。
 「病の奥方を案じ、そのお心を支えんがためでございます。」
 しかし家康は信用しない。信長への忠義のために己の正室と嫡男を殺した家康である。理解出来るはずがない。しかし、兼続は言ってのける。
 「それが上杉でございまする。」
 「君臣親しく、夫婦睦まじく、親子の絆強くあることこそ、国の礎と信ずる家風でございまする。」
 「はばかりながら申し上げまする。天下を取るばかりではなく、天下を治めるつもりがあるならば、何卒この心をお分かりいただきとう存じまする。」

 政治は心である。人を案ずる心がなければ、天下を案ずることは出来ない。政権をとるのは手段であって目的ではない。政権を司るには、マニフェストよりもまずは心である。

 「友愛」を掲げる今の政権。本当にその心が本物ならば、国民は支持を続けるだろう。


ブログ村ランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-20 01:47 | 天地人 | Trackback | Comments(1)  

我が家にも「新型インフルエンザ」が・・・。

 とうとう我が家にも流行りの新型インフルエンザ様がおいでになりました。中3の息子が、17日土曜日の夕方より発熱。今朝、救急病院に連れて行ったら案の定ビンゴ!24時間以上経過した今も高熱でうなされています。

 先日のこのブログでも紹介しましたが、現在息子の通う中学校では3学年18クラス中13クラスが学級閉鎖状態。状況を思えば感染は時間の問題で、やむを得ないところでしょう。ただ可哀そうなのは、来週末、学校の文化祭を控えており、そこで息子は生徒会劇の主役を演じる予定だったらしく、高熱よりもその落ち込みようが激しく、かける言葉が見当たりません。神様は惨い仕打ちをしてくれるものです。

 土曜日夕方から体がだるいと訴え出して、検温すると37.3度の微熱。土曜日だったため診てもらえる病院は限られています。夜7時、この日の神戸市の休日救急指定病院にTELしたらナント4時間待ちとのこと。こんな状態で病院に行って4時間も待たされたら余計に体に悪い・・・と判断した私と家内は、考えた末、明くる早朝を狙って行くことにしました。朝5時に息子を起こして6時前に病院に。待合室を見ると待っている患者は10人ほど。やっぱり朝に来て正解、これならそう待つこともないだろうと思ったのですが・・・結局それから1時間半も待つことになりました。それもそのはず、そこは国立の大きな病院ですが、その日の登板の医師は1人と看護師さんが2人だけとのこと。それでは回転するはずがありません。担当の先生は非常にきめ細やかな診察をしてくれて感謝していますが、それだけに1人で回すのは大変なことでしょう。2人の看護師さんはずっと走り回っていました。

 診察が終わって会計窓口に行ったら、「支払いは平日の9時から5時にもう一度来てください」とのこと。なんでも診察代を算出できる人がいないのだとか。夫婦共働きの我が家は平日の9時5時に支払いに来るには、早退ないし遅刻をしなければならなりません。「何とか6時頃ではダメでしょうか?」と懇願してみたが駄目とのこと。しかも「必ず1週間以内に来てください。」と釘をさされました。

 昨今、声高に叫ばれる医師不足。医療崩壊。医師の過酷な労働時間。今のこの新型インフルエンザ騒動で、医療関係者の方々は大変な毎日を過ごしていることでしょう。しかしながら、医療関係者の方々に思うのは、どこか「上から目線」じゃないでしょうか・・・ということ。「診てやってる。」的な考えがおありなのでは・・・ということ。以前、このブログでも医療を批判するような発言をしたところ、医療関係者と思われる方々から多くのお叱りコメントを受けたことがあります。その時の私の発言は、確かに勉強不足な内容ではあったのですが、それにしても受けたコメントの内容は、ほとんどが「上から目線」の言葉でした。「私たち医師がこんなにしんどい思いをして診てやってるんだから、患者は文句を言うな!」的な・・・。

 「モンスターペイシェント」という患者がいることは知っています。でも、ほとんどの患者は「診てもらっている。」という思いで医師に頼るのです。病院側は、「診させてもらっている。」とまで思えとは言いませんが、「診てやっている。」という考えが少しでも思い当たるならば、今一度考え直して欲しいと思うんですけどね。
てなことを言うと、また怒涛のお叱りを受けるでしょうか?


にほんブログ村に参加しています。
下の応援クリック頂けるとと嬉しく思います。
      ↓↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-18 23:24 | 日常 | Trackback | Comments(6)  

「学級閉鎖」に思う。<新型インフルエンザ>

 昨日、我が家の中3の息子が新型インフルエンザによる学級閉鎖で帰宅。とりあえず来週の水曜日まで自宅待機となりました。息子の通う中学校では、現在3学年18クラス中13クラスが学級閉鎖中だそうです。来週末には文化祭が予定されていますが、それも延期か中止になる見込み。娘の通う小学校でも、半月ほど前から入れ替わり立ち替わり学級閉鎖が続いていて、修学旅行、校外学習などの行事が軒並み延期、中止になっています。仕方がないといえばそうなんですが、少々可哀そうな気がしないでもないです。

 私の住む兵庫県では、今年の5月の国内感染初期に小・中・高とも県下一斉の1週間休校という荒療治が行われました。中3の息子はそのせいで修学旅行が7月に延期になりました。夏休みが終わって3週間ほど過ぎるとシルバーウィークでの5連休。10月に入って運動会の代休があったかと思えば台風18号の警報による休校。その後すぐ先週の3連休。そしてトドメの学級閉鎖。

 「どんだけ休むねん!」と言いたくなるほど、まともに学校に行ってません(苦笑)。 

 ここへきて連日死亡者が報道されている状況を考えると、命あってのことで、学級閉鎖はやむを得ないことなのでしょうが、いつまで続くんでしょうね、このインフル騒動。ようやくワクチン接種が始まったそうですが、優先順位からいっても受験生などにまわってくるのはまだまだ先。すでに学校はまともに機能していないのですが・・・困ったもんです。

 5月の休校分は夏休みの臨時登校で補填されていましたが、息子に聞くとそのほとんどが自習で通常授業は行われなかったそうで、結局登校日数の穴埋めをしただけだったようです。学校側も今までに例のないことで大変なんだろうけど、これから冬に向けてまだまだ続くであろうこの非常事態、こうなったら、土・日・祝日返上というわけにはいかないのでしょうか・・・・。

 他の地域の現状はわかりませんが、とにかく兵庫県神戸市の学校は今まさにパンデミックです。



にほんブログ村に参加しています。
下の応援クリック頂けるとと嬉しく思います。
      ↓↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-17 01:26 | 日常 | Trackback | Comments(2)  

「アルプスの少女ハイジ」に会いに。

連休の中日の日曜日、7歳の娘を連れて神戸市の六甲山頂近くにある「六甲山牧場」に訪れました。
標高931mの六甲山は、阪神間を一望できる神戸市街地の北に位置し、そこから見られる夜景は1000万ドルの夜景と称されて親しまれています。

この日は真昼間なので夜景は見れませんでしたが、晴天で絶好の行楽日和。

e0158128_183732.jpg

e0158128_04061.jpg


六甲山牧場はスイスの山岳牧場を範にした高原牧場で、面積126ヘクタールの内23ヘクタールを一般に開放しています。
羊、山羊、牛、馬などの動物がいて、特に羊は常時放牧されていて触れ合うことが出来ます。

e0158128_0414548.jpg

こちらは羊の厩舎↓
e0158128_044330.jpg

娘は乗馬に初チャレンジ。
e0158128_0463418.jpg

ひとしきり動物と自然を満喫したのち、この日の一番の目的へ。
ここ六甲山牧場には、アニメの「アルプスの少女ハイジ」をテーマにしたカフェ、「ハイジ・パスチャー・カフェ」があります。
数か月前からレンタルDVDで「アルプスの少女ハイジ」を娘に見せていて、すっかりハイジに感化された娘にバーチャル体験をさせてあげようという趣旨で訪れました。
e0158128_0545835.jpg

カフェの入口では、ハイジとペーターとクララが出迎えてくれます。
e0158128_0563763.jpg

店内ではあの丸い窓からハイジが・・・。
e0158128_0575748.jpg

クララの車椅子↓↓↓ スイスのマイエンフェルト市より寄贈されたものだそうです。
e0158128_131257.jpg

「クララが立った~。」 思わずあの感動のシーンが蘇りそうです。

店内にはハイジのグッズが沢山展示・販売されています。
e0158128_195417.jpg

e0158128_161383.jpg

我が娘は、ハイジのポーチとクララのキーホルダーを購入しました。
e0158128_1142051.jpg

永遠の名作「アルプスの少女ハイジ」。
この日も店内は人でいっぱいで、カフェでの飲食は断念。
30年以上昔のアニメですが、今もなお人気があるんですね。
ここへ来ればハイジを堪能できます。
興味のある人、昔ハイジを見て涙した人、神戸に訪れた際には一度足を運んでみてください。


にほんブログ村に参加しています。
下の応援クリック頂けるとと嬉しく思います。
      ↓↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-15 01:23 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

直江兼続の書状が古書店にて発見される。

 直江兼続の書状が、東京都内の古書店で見つかったそうである。どういう経緯で見つかったのか、どのような内容のものなのか、記事では詳しいことまでわからないが、兼続が会津葦名家の武将に軍事情報を伝えたとみられる「密状」だそうである。大河ドラマもクライマックスに向かっている中、何とも旬な話だ。

 戦国武将の書状などほとんど発見され尽くしていて、今頃見つかるのは珍しいんじゃないだろうか? ましてや旧家の蔵などからではなく、古書店で発見されたとはどういった経緯なのだろう? 興味は尽きない。

e0158128_1463561.jpg


ブログ村ランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村

下記、記事本文引用
***************************************************************************
「天地人」直江兼続の密状を発見 戦乱生きた知将の実像
 戦国大名上杉景勝の重臣でNHK大河ドラマ「天地人」の主人公となった武将直江兼続が会津葦名家の武将に軍事情報を伝えたとみられる「密状」が、14日までに見つかった。愛知文教大副学長の増田孝教授は「兼続の書状が見つかることがまれな上、戦国武将の密状が出てくるのも珍しい」としており、戦乱の時代を生き抜いた知将兼続の実像が垣間見える貴重な資料として注目を集めそうだ。
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-14 14:15 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)  

天地人 第41話「上杉の生きる道」

 1601年(慶長6年)10月、徳川家康の命により米沢へと移り住んだ兼続たち。石高4分の1という大幅減封にも関わらず6000人の家臣を誰一人リストラしなかったのだから、経営はたちまち大変なわけである。国づくりを進めようとする兼続に対して、自分たちの生活を心配する家臣たち。もっともな話である。

 「皆の不安はもっともじゃ。だが、ただ座して何を待てというのか。今、新しいことを始め希望を持つことで、道を切り拓こうではないか。」
ピンチをチャンスに。弱っている時こそ攻める姿勢を。100年に1度と言われる平成不況に生きる私たちだが、ただ座して待つだけでは何も生まれない。今、もっとも必要な心かもしれない。
 「恐れながら、その希望とやらは腹の足しになりますかのぉ。」
しかし、末端に生きる者たちの思いも切実。心の温度差は否めない。
 「石堤に掛かる元手は、わが家禄から都合する故、心配無用。」
まずは取締役から身を削る。これが出来てない経営者が現代では多いのでは?最も厳しい立場に自らを置いてから、部下に痛み分けを要請する。これが出来なければ経営者としての資格はない。兼続の行おうとしていることは経営者としては当たり前のことなのだが、これを美談として描かなければならない現代の世の中は、やはり病んでいるということだろうか・・・。

 上記とは別に今話の主題は、タイトル「上杉の生きる道」とはあまり関連なく、「父」と「息子」の絆の話。こちらについては昔も今も大きくは変わらない。いつの時代でも父親にとって息子は己の写し絵で、故に厳しく接するものであり、しかし最も愛しくもあり、ひいき目でもある。息子にとって父親は、幼き頃は師であり、憧れであり、しかしある程度の年齢になれば、目の上のたんこぶであり、壁であり、反面教師でもある。願わくば晩年もしくは死後、再び幼き頃のように父親を師と敬うときが来れば最も理想的な父子だが、これは父親次第というところだろう。
 
 兼続は父の死の直前にその心に達した。父、惣右衛門にとって最も嬉しい冥土の土産だっただろう。不詳、私にも15歳の息子がいる。説教の多い親父で、最近私の顔を見ると自分の部屋に逃げていく。(苦笑) いつか、兼続、惣右衛門父子のような関係になれる日がくるだろうか・・・。 


ブログ村ランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-12 01:43 | 天地人 | Trackback | Comments(0)  

天地人 第40話「上杉転落」

 「謝罪は無用と存じます。」
関ヶ原の戦いから1年後の1601年(慶長6年)、景勝と兼続は上洛して家康と対面する。戦の責めを問われた景勝だったが、家康の処分には従うものの謝罪はしないと公言する。
 直江状が戦の発端だったと責められた兼続だったが、
 「云われ無き讒言によって敵が攻め来たるならば、正々堂々と迎え撃たんとの覚悟を示したまで。邪(よこしま)なものに天下が奪われようとしているときこそ、正義とは何かを世に示さんがため。」と、言い放つ。
 家康の言うとおり、兼続の書状はまさしく家康に喧嘩を売った果たし状。その喧嘩に負けたのだから潔く傘下に下るものの、喧嘩を売った理由は「義」にあり、謝罪する必要はないという強い意思表示。社民党議員が聞けばすっ飛んで怒ってきそうな話だが、戦とは勝者にも敗者にも「正義」があり「悪」があるもの。上杉にとっての「義」は、上杉にとっての「国体」なのである。謝ってしまっては死に体、譲ることの出来ないものである。

 とは言うものの、お家取りつぶしになってしまっては結局上杉の義は滅びてしまう。兼続は本田正信に近づき上杉家存続のための裏工作に奔走。福島正則や小早川秀秋の力添えもあって、なんとか会津120万石から米沢30万石へ減封に落着。(これについては史実と照らし合わせて異論も多いと思われるが、それはひとまずおいといて。) お家取りつぶしは免れたものの、直江状のダメージは大きかった。

 会津へ戻った兼続は、身の振り方を案じる家臣たちを前に決意を語る。
 「上杉はもう財は残っておらぬ。あるのは、皆の心の中にある義と愛の志のみじゃ。されど残念ながら義と愛だけでは食うては行けぬな。」
 「進むも引くも地獄となろう。殿を信じついてきてくれるのであれば、誰一人召し放ちなどせぬ。楽をさせることは出来ぬが、共に戦ったそなた達の暮らしは、わしが精一杯守る。」

 リストラはしないが、ワークシェアリングでの痛み分けは避けられないといったところ。苦渋の選択だっただろう。石高は4分の1になったわけで、それでも従業員を減らさずに経営していける企業など、平成の現代では考えられないことである。取締役の大幅減俸はもとより、末端社員の隅々まで大きな理解と覚悟がなければ出来ることではない。
 「禄高など二の次、三の次。上杉の家臣であることこそ、宝でござる。」
こんな強い愛社精神の従業員を持った上杉家は、戦国屈指の優良企業だったのだろう。


ブログ村ランキングに参加しています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-05 10:17 | 天地人 | Trackback | Comments(2)  

職を失ったのも、命を失ったのも酒。<中川昭一元財務・金融相、急死>

 娘の運動会から帰宅してパソコンを見たら驚きのニュース。先の衆院選で落選した元財務・金融相、中川昭一氏が急死とのこと。現在のところ遺書などは見つかっていないそうだが、彼についてどうしても思いだしてしまうのは、あのサミットにおける泥酔会見とその後の社会的制裁で、その心労から来る「自殺」と考えてしまうのは普通の推理だろう。もしくは禁酒をうたって臨んだ衆院選落選後、リバウンドのヤケ酒で身を滅ぼしたか・・・。享年56歳。奇しくも彼の父である中川一郎氏も57歳で自殺している。死際まで世襲することはなかったのに・・・。

 亡くなった方のことを悪く言うのはなるべく避けたいものだが、「自殺」にせよ「急性肝硬変」にせよ、原因は酒にあり、身から出たサビ。大好きだった酒のせいで職を追われ、大好きだった酒のせいで命まで失ってしまうとは、なんとも皮肉なものである。しかし、あの泥酔記者会見を心から反省していたのであれば、死んでは何にも出来ない。酒を断って体を治して再起の道を目指すべきだった。何事も、「身ありての奉公」である。

 世間の中川氏に対する最期のイメージはアル中大臣のまま。残念ながらの汚名挽回の道をも自ら閉ざしてしまった。残念ではあるが、今はただ、心からご冥福をお祈り申し上げます。


にほんブログ村ランキングにエントリーしています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
      ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村


下記、記事本文引用
*************************************************************************** 
自宅で急死・中川昭一元財相 見えなかった「復活」への意思
中川昭一元財務・金融相が2009年10月4日午前、東京都世田谷区の自宅寝室ベッドで死亡しているのが見つかった。死亡時刻は3日の23時前後と見られるが、目立った外傷はなく、事件性は低いと見られる。現在のところ遺書なども見つかっていない。

ホームページでは「決意表明」も
あまりの突然の死に、政界関係者も動揺を隠せない。中川氏の父、一郎氏の秘書だった新党大地代表の鈴木宗男衆院議員は、「驚きと悲しみでいっぱい。この政治の世界、私自身の経験も含めて、つくづく厳しいものだと思う」と大粒の涙を流しながら語り、麻生太郎前首相も「自民再建に向け、大事な人材だった。言葉にならない位にショック」とのコメントを発表している。

中川氏は衆院選の落選2週間後、09年9月14日にホームページを更新。そこでは、「予想通り『危ない政権の危ない日本作り』が着々と進んでいる」と民主党などを批判。そして、

「私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。『日本が危ない』から」
と前向きな表現で締めくくっていた。ただ、それ以降の更新は見られない。

落選の「ショック」引きずっていた?
4日のテレビ朝日「サンデー・スクランブル」で、コメンテーターのテリー伊藤さんは、

「インタビューの際、こちらからの質問をメモしてくれるような(真面目な)人。そういう人は政治家にいなかった。本当につらい」
と、その早すぎる死を惜しんだが、同番組に電話で出演した政治アナリストの伊藤惇史さんはこんな指摘をしている。

「選挙後に後援会の総会があったが、そこに中川さんは出席されず、落選のショックを引きずっているといぶかる声もあった。(次の選挙についても)ご本人の意思が周りの人たちに伝わってこなかったようだ」
中川氏は83年、一郎氏の急死を機に衆院選に出馬し、初当選。以降、衆議院議員を8期つとめていた。小渕内閣で農水相として初入閣、その後、経産相、財務相と主要閣僚を歴任し、将来の首相候補とみられていたが、09年2月、ローマで開かれたG7(先進7か国財務相・中央銀行総裁会議)で、もうろう状態で行った会見が批判を浴び、財務相を辞任。同年8月末の衆院選で落選したばかりだった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091004-00000542-san-pol

にほんブログ村ランキングにエントリーしています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
      ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2009-10-04 18:10 | 政治 | Trackback | Comments(0)