<   2010年 06月 ( 18 )   > この月の画像一覧

 

脱力感・・・ワールドカップ日本代表ベスト8ならず。

とにかく疲れました・・・。
いや、試合結果のせいではないです。
日本の選手は本当によく頑張ったと思います。
ただ、見ていてとても疲れる内容の試合でした。

ワールドカップ南アフリカ大会、日本チームにとっての決勝トーナメント初戦・対パラグアイ戦は、熱戦の末パラグアイの勝利、日本は史上初のベスト8進出の夢はあと一歩のところで叶いませんでした。
試合は0-0のまま90分を過ぎ、延長戦にもつれ込みました。
延長の30分でも両チームとも得点できず決着はPK戦へ。
結果は惜しくも3-5で日本のベスト16敗退が決まりました。

PK戦は時の運。
勝ち負けは紙一重で、日本の勝利はすぐ手の届くところにありました。
しかし、実力はというと、まだまだ世界のベスト8にはほど遠いというのが率直な感想です。
結果は0-0でしたが、内容は大きな差があったという観は否めません。
細かいミスがたくさんありました。
ボールの支配率も、誰の目で見ても圧倒されていました。
ただ、パラグアイが決定力を欠いたことが、PKまでもつれ込んだ要因だと思います。
完敗といっていいのではないでしょうか・・・。

日本チームはここまで本当によく頑張ったと思います。
このワールドカップでの4試合、日本選手の集中力は素晴らしいものでした。
大会前、テストマッチで4連敗を喫し、バッシングの嵐だった岡田武史監督でしたが、日本チームのあの結束力を見ると、彼の指揮官としての手腕は称賛に値すると思います。
指揮官の手腕というのは、戦術・戦略をたてることはもちろんですが、それ以上にチームを一つにまとめるという仕事がもっとも重要で、もっとも難しいと私は思います。
ましてや、あのバッシングの中でチームをまとめるというのは簡単なことではありません。
それはフランスやカメルーンを見れば歴然とわかることでしょう。
団体競技である以上、結束力がなければ良い結果は生まれませんし、その結束力が本来の力以上のものを引き出すということもままあります。
その意味では、今回の岡田ジャパンはチームとして理想的な形を作ったと思います。
しかし、チームワークがもたらす効力という点だけでいえば、ここら辺りまでが精一杯だと言えるかもしれません。
彼らの清々しいチームワークは、見ている私たちに感動を与えてくれましたが、ここから上に進むには、それプラス何が必要かを4年後に向けて考えていかなければならないでしょう。

防戦一方の試合というのは、戦っている選手はもちろん、見ている側もホント疲れますね。
それでも、もし勝てたら、この脱力感は半減したのでしょうか・・・。
おそらく選手たちは、疲れているにもかかわらず今夜は眠れないことでしょう。
特にPKを外した・・・・いや、負け試合で個々の選手の名前を出すのはやめましょう。
選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
日韓大会のときの地の利を生かしたベスト16とは違い、今大会はまぎれもなく力で掴んだものでした。
今後の日本チームは、この南アフリカ大会のチーム超えが目標となります。
その意味では、価値あるワールドカップだったと言えるのではないでしょうか・・・。

日本は負けましたが、ワールドカップ南アフリカ大会はまだまだ続きます。
少しテンションは下がっちゃいますが・・・。


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日本、PK戦でパラグアイに破れる W杯
サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦、プレトリアのロフタス・バースフェルド競技場で、E組2位通過の日本とF組1位のパラグアイが対戦。
試合は前半・後半通じて、互いに無得点のまま、0-0で延長戦に。さらに、15分ハーフの延長戦でも決着がつかず、PK戦に突入した。PK戦は、日本は3人目の駒野のシュートがバーにはじかれ、一方、パラグアイは5人全員がシュートを決め、パラグアイがPK戦を制し、初のベスト8入りを果たした。

<PK戦 パラグアイが先攻>
1人目 バレト ○ 遠藤 ○ 
2人目 バリオス ○ 長谷部 ○
3人目 リベロス ○ 駒野 ×
4人目 アエドバルデス ○ 本田 ○
5人目 カルドソ ○

日本代表のスターティングメンバー(1次リーグ3戦と同じ)
GK:川島永嗣
DF:長友佑都 田中マルクス闘莉王 中澤佑二 駒野友一
MF:阿部勇樹 遠藤保仁 長谷部誠 松井大輔 本田圭佑
FW:大久保嘉人

後半20分:松井→岡崎
後半36分:阿部→中村憲剛
延長前半終了:大久保→玉田
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by sakanoueno-kumo | 2010-06-30 02:50 | 他スポーツ | Trackback(5) | Comments(10)  

龍馬伝 第26話「西郷吉之助」

 幕末・維新の英雄・西郷隆盛。彼の志士人生は長く、坂本龍馬がまだ江戸で剣術修行をしていた安政元年(1854年)には、当時の薩摩藩主・島津斉彬の手足として国事に奔走していた。水戸の思想家・藤田東湖武田耕雲斎、福井の橋本左内など、幕末の攘夷運動初期の人物とも深く交わり、影響を受けた。以前にも紹介したが、作家・司馬遼太郎氏の言葉で、時代の転換期には「思想家」「行動家」「実務家」という3つのタイプの人間が現れるとし、革命前期には、吉田松陰や藤田東湖のような「思想家」が火を着け、中期には龍馬や桂小五郎、高杉晋作といった「行動派」が激発し、最後に大久保利通や伊藤博文といった実務家が形にする、と語っている。しかし、私が思うにこの西郷隆盛だけは例外で、「思想家」「行動家」「実務家」の全ての時代に生き、その役割を全うした人物だと思う。有名な「敬天愛人」に代表される「思想家」としての彼の「没我奉仕」の精神は、同時代の後発の志士たちに大きな影響を与え、「禁門の変」以後の彼は、マキャベリストとも思えるほどの「行動家」としての役割を果たし、維新後、大久保利通や岩倉具視が外遊中の「西郷内閣」においては、大久保が嫉妬と憎悪を感じるほどの内政を施し、「実務家」としての力を発揮した。そして人生最期には、自らの命をもってして「明治維新」を終焉させるという、大袈裟に言えば西郷隆盛の人生が幕末・維新とも言ってもよく、まさに「ミスター幕末」であり「ミスター明治維新」であった。

 そんなミスター幕末維新・西郷隆盛と、幕末の風雲児・坂本龍馬の最初の出会いは正確にはわかっていないが、元治元年(1864年)8月から9月頃とされている。おそらくは勝海舟の紹介によるものだったのだろう。二人の間でどのような内容の話が交わされたかはわからないが、この二人の出会いが、この後の歴史を大きく動かすことになるのは言うまでもない。二人の出会いについては、晩年の海舟が語った「氷川清話」に印象的なエピソードがある。西郷と会見して神戸に帰ってきた龍馬は、海舟に西郷のことを報告しようとしない。「ニ、三日は、坂本より云い出すのを待ちたれども、遂に堪りかねて『西郷はだうだ』と軽く問ひかくるや」龍馬はこう言ったという。
 「なるほど西郷といふやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だらう。」
 つまり簡単にいえば、「つかみどころのない大人物」ということだろう。西郷隆盛という人は、同時代の者から見ても、愚者か賢者か計りがたい人物だったようだ。また、この龍馬の言葉の続きに、「残念なのはこれを突く撞木がが小さかった」と、自分を西郷という鐘を突く撞木に例えて表現した言葉が有名だが、これは上記「氷川清話」や「追賛一話」などの海舟の記録にはまったく記されておらず、出典がわからない。後に作られた造話と考えていいだろう。

 西郷隆盛という人の人物像は、物語によって描かれ方が違う。ある物語では公明正大な人格者・西郷に描かれ、また違う物語では策謀に長けた政治家・西郷にも描かれる。これは小説家や脚本家のみならず、歴史家の見識においても人によって180度異なる。たとえば龍馬などは、幕府側の視点での物語でも、討幕側の視点で描かれたものでも、自由で濶達な人物像にそう差異はない。しかし西郷は見る角度によって善人にも悪人にも描かれる。このことからも、龍馬の西郷評のとおり、「つかみどころのない人物」であるといってもいいだろう。大長編史伝「西郷隆盛」の著者・海音寺潮五郎氏が、同じく西郷を主役にして書かれた司馬遼太郎氏の小説「翔ぶが如く」を読んで、「司馬君でもまだ西郷を描ききれていない。」と評したという話があるが、それだけ西郷隆盛という人はいくつもの顔を持っていて、常人には計り知れない大人物ということだろう。

 とにかくその西郷隆盛と坂本龍馬は出会った。その出会いは、多少神秘的にいえば、歴史が二人を出会わせた、と言えるかも知れない。神戸海軍操練所が閉鎖となり、勝海舟の後ろ盾をなくして元の一脱藩浪士に戻った龍馬だったが、歴史はまだ彼を必要としていた。それはこの西郷との出会いによって証明されることとなる。

 以蔵の毒まんじゅうのエピソードについても述べたかったが、西郷どんネタで長くなってしまったので、また次の機会に・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-28 01:34 | 龍馬伝 | Trackback(5) | Comments(0)  

ワールドカップ南アフリカ大会16強出揃う。

 FIFAワールドカップ南アフリカ大会グループリーグの全日程が終了し、決勝トーナメントに進む16強が出揃いました。グループリーグの結果と決勝トーナメントの組み合わせ表を作成しました。

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 フランスイタリアのグループリーグ敗退は予想外でした。まあ、フランスの場合、あれだけチーム内がゴタゴタしていて良い結果が出るはずはないですけどね。前回のドイツ大会準優勝国のフランスですが、その前の日韓大会のときは確か今回と同じような結果でした。そして更にその前の自国開催大会では優勝と、良い時と悪い時がハッキリしています。ムラがある国なんでしょうか? しかし、南アフリカ戦終了後に同国の監督さんが握手を求めたところ、フランスの監督さんは拒否していましたが、あの態度はいただけませんね。超格下相手に負けたとあっては監督としてのプライド丸つぶれだったかもしれませんが、我々日本人の感覚では、格下相手に負けたことよりも潔くないあの態度の方が恥ずかしいと思うのですが・・・。あれがフランスの国民性なのでしょうか?

 他にもヨーロッパ勢では、イングランドスペインも、何とかギリギリ決勝トーナメントに駒を進めたといった感じでしたね。最も多くの国が出場しているヨーロッパ地区ですが、意外と本番に弱いところがあるのかもしれません。そんな中で、ドイツオランダの2国は安定した強さを見せていました。日本と同じグループEで戦ったオランダは、地区大会から負けなしの強さを見せ、今最も安定した優勝候補と言えるかもしれません。ドイツもワールドカップではいつも上位に絡んできますからね。さすがという観はあります。

 あと、忘れてはならないのが南米勢。ブラジルアルゼンチンの2強は、いつものことながら安定してます。両国とも南米地区大会時はあまり良い内容ではなかったようですが、ここへ出てきたらいつも安定した強さを見せます。特にアルゼンチンは、今回マラドーナ監督ということで、ひときわ目立っていますね。決勝トーナメントでの雄姿が楽しみです。他にもチリウルグアイ、そして日本と戦う予定のパラグアイと、南米地区の出場5ヵ国全て16強に名を連ねています。こちらはヨーロッパ勢とは違い、本番に強いということでしょうか?

 さて、我がアジア地区からは、日本韓国の2ヵ国が16強に名乗りを上げました。今大会での2ヵ国はどちらも他力本願的な要素はなく、力で掴んだ16強と言ってもいいかと思います。日本の対戦相手はパラグアイ、韓国はの対戦相手はウルグアイと、どちらも上記で安定していると言った南米勢で、初戦から厳しい戦いが予想されます。とは言え、日本と韓国から見れば、他の14ヵ国はすべて自国よりランキングは上の国ばかり。楽な相手など存在しません。しかしランキングは所詮過去の実績。今、上り調子の両国にとってはランキングなど関係ないと思いたいですね。日本と韓国は決勝まで当たることはありません。ワールドベースボールクラシック(WBC)のときのように、日韓決勝戦なんてことがあったら、アジアは大騒ぎになることでしょう。・・・無理かな・・・。

 何はともあれ、今夜から始まる決勝トーナメントの熱い戦いを楽しみにしましょう。


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-26 12:14 | 他スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)  

ワールドカップ日本代表決勝トーナメント進出!

起きてて良かった~!
と、思わず叫んだ人、私以外にもきっとたくさんいるんじゃないでしょうか?
FIFAワールドカップ南アフリカ大会グループEリーグ最終戦、日本代表がデンマークを3-1で破り、見事に決勝トーナメント進出を決めました。
日本にとっては引き分けでも良かったこの試合。
勝利でグループリーグを突破できたことは、決勝トーナメントに向けて良い流れが出来ましたね。
大会開催前、グループリーグ突破はおろか、1勝も、いや1得点も出来ないのではないかなんて思っていたことを深く反省します。
でも、そんなふうに思っていた人、多いんじゃないでしょうか?

試合は前半17分、本田圭佑選手のフリーキックから直接打った見事なシュートで先制。
前半30分には同じくフリーキックで遠藤保仁選手が直接シュート。
前半を2-0のリードで折り返しました。
後半に入ると堅い守りでデンマークの追い上げを許さず、このまま逃げ切れるかと思い始めた後半35分、長谷部誠選手がペナルティエリアでファウルをとられ、デンマーク側にPKを決められ1点差に迫られました。
しかしその直後の後半42分、今大会乗りまくりの本田圭佑選手からの絶妙なパスを岡崎慎司選手が決めて3-1と再び2点差。
そのまま試合が終わり、見事、海外開催のワールドカップ初の決勝トーナメント進出を決めました。

でも、やはり相手も強かった!
前半序盤のデンマークのパスワークは見事でしたね。
まったく日本はボールをキープさせてもらえず、これは今日は厳しい試合になりそうと思いました。
そんな中で忘れちゃならないのが、GK川島永嗣選手の気迫漲るスーパーセーブ。
光ってましたね。
彼のプレーがその後の本田選手のフリーキックに繋がったと思います。

岡田武史監督が試合後のインタビューでこう言ってました。
「我々は個々のプレーで戦うのではなく、チームで戦う。サッカーがチームプレーのスポーツだということを証明しようという思いでやっている。」
今日のゲームは、まさにそれを証明していました。
ゴールを決めた本田選手たちだけではなく、全員で勝ち取ったベスト16だと思います。
岡田監督は、日本人初のワールドカップ決勝トーナメント進出監督となりました。
次も勝って、ベスト8といきたいですね。

とにかく起きてて良かった!しかし、今頃になってとても、
ねむい!です。


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日本代表のスターティングメンバー(第1戦、2戦と同じ)
GK:川島永嗣
DF:長友佑都 田中マルクス闘莉王 中澤佑二 駒野友一
MF:阿部勇樹 遠藤保仁 長谷部誠 松井大輔 大久保嘉人
FW:本田圭佑

デンマーク代表のスターティングメンバー。
GK:ソーレンセン
DF:ヤコブセン クロルルップ アッガー S・ポールセン
MF:C・ポールセン カーレンベルグ トマソン ヨルゲンセン
FW:ベントナー ロンメダール

前半34分:デンマーク、ヨーゲンセン→ポウルセン
後半11分:デンマーク、クロルルップ→ラーセン
後半18分:デンマーク、カーレンベルグ→エリクセン
後半29分:日本、松井→岡崎
後半43分:日本、大久保→今野
後半46分:日本、遠藤→稲本
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by sakanoueno-kumo | 2010-06-25 06:27 | 他スポーツ | Trackback(6) | Comments(10)  

もはや大相撲存続の危機。

 大相撲の野球賭博事件の話題が連日にように報道されている。大関・琴光喜に端を発し、今では力士や親方などあわせて65人に及び、まだまだ広がる恐れも考えると泥沼状態といってもいい。琴光喜は謹慎の意味で名古屋場所の出場を辞退したが、どうやらそれだけでは収まりそうもない。武蔵川理事長は「現時点では名古屋場所の開催を見送らざるを得ない可能性がある。」と言っていたが、ここまで来れば、名古屋場所だけでも済まないかもしれない。

 「たかが、野球賭博」という声もある。たしかにそうで、野球賭博自体はそこまで目くじらを立てるほどのものでもない・・・といえばお叱りを受けるかもしれないが、現実、賭博は社会に蔓延している。サラリーマンの社会でも、ゴルフ、麻雀など、これらの娯楽を賭博なしでしている人は皆無といってもいいだろうし、高校野球などが始まれば、職場でトトカルチョを仕切る奴がいて、一口何百円レベルで付き合わされる、といったことは当たり前のように行われている。野球に興味がなくとも、そうした用紙が回ってくると付き合わないわけにもいかず、「買わされている」といった人も少なくない。酒が飲めなくとも、呑み会には付き合いで参加せざるを得ないのと同じだ。賭博も付き合いである。

 そうした付き合いも賭博行為である以上、本来は当然違法。しかし、そうした話で逮捕された例は聞かない。これは想像だが、役人でも、警察官でもやってることなんじゃないだろうか。つまり、仲間内で実施されているものについては暗黙の領域で、警察もお目こぼしの世界なのだ。その意味では「たかが、野球賭博」であるといえる。

 今回の問題が「たかが、野球賭博」では片付けられないのは、その額があまりにもデカイことと、その賭場の元締めが暴力団だということだ。暴力団の仕切る賭博はテラ銭(手数料)が掛かり、それが彼らの資金源になる。今回の事件が社会通念として無視できないのは、暴力団との癒着が疑われるからである。国技である相撲の、それも大関という大相撲界を代表する力士が、反社会的集団である暴力団と癒着して賭博行為を行ない、更に脅されているとあっては、もはや「たかが、野球賭博」ではすまされない。しかも、相撲協会は公益法人で、国から税制上で優遇されている団体なのだ。

 大相撲と暴力団の間には、昔から深い繋がりがあると聞く。その最も大きな理由は、地方巡業の手配をその土地の暴力団が取り仕切っていることにあるらしい。記憶に新しいのは、昨年の名古屋場所において向正面の溜席に多くの暴力団関係者が座って相撲観戦をしていたとういう出来事。この問題に関して武蔵川理事長は、まったく寝耳に水のような発言をしていたが、疑わしいものだ。芸能界などでも、その昔は地方公演などを仕切るのは暴力団だったそうで、芸能プロダクションと暴力団の間にも深い繋がりがあったというが、現在では「チケットぴあ」やネット販売などの確立によって、そうした関係は絶たれたといわれる。今回の賭博事件から見ても、古い体質が残る相撲協会では、まだまだ暴力団との関係は絶ち切れてないようだ。 

 とにかく不祥事が後を絶たない相撲協会。ここ数年でみても、時津風部屋の暴行致死事件、複数の力士による大麻所持事件、上記の暴力団観戦事件、そして今回の賭博事件と、ここまで来れば、もはや存続の危機とさえ思える。思えば、朝青龍の問題など可愛いものだ。事ここに至っては、一度リセットする必要があるのではないだろうか。相撲協会自体を一度解体し、腐敗した部分を取り除き、古いしきたりをなくし、改めて新相撲協会を設立する。その際は、全て親方で形成される現在の理事制度を廃止し、新たに外部から有識者を迎えて「新・大相撲」を構築する。そうでもしないと、たとえ今の問題が解決しても、また新たな問題が発生して終わりがないように思える。相撲しか知らない親方たちに改革させるのは、百年河清を俟つようなものだ。


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-23 17:31 | 他スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)  

龍馬伝 第25話「寺田屋の母」

 伏見寺田屋は、代々、京阪往復舟客取扱いと旅宿業を営む船宿。女将のお登勢は18歳で寺田屋六代目伊助に嫁ぎ、一男二女をもうけるが、夫が病弱だったため、寺田屋の家事一切を取り仕切っていた。女将としての手腕に長け、いたって評判が良かったそうだ。この寺田屋では、文久2年(1862年)4月23日に薩摩藩士同士で起こした内訌事件があって以後、毎月の命日に薩摩藩邸の人々を招き、殉難者の弔祭を行い続けたという。その行いによって寺田屋は薩摩藩との関係が一層深まり、格別の信頼をおかれていたという。

 坂本龍馬がこの寺田屋に出入りし始めたのは、薩摩藩の紹介によってという見方が強いようだ。慶応元年(1865年)9月の姉・乙女に宛てた手紙に「伏見ニておやしき(薩摩藩邸のこと)のそばニ宝来橋と申へんに船宿ニて寺田や伊助、又其へんニ京橋有、日野屋孫兵衛と申すものあり、これハはたごやニて候」と紹介している。お登勢は、寺田屋を定宿にしていた龍馬を大そう手厚く接待していたようで、後にお登勢の息子・七代目伊助が「亡母ヲ座敷ニ呼ビ何事カ密ニ談ゼラレ」と語っており、龍馬がお登勢に親密に心を許していたことがうかがえる。先に紹介した乙女宛ての手紙にも、「ちよふど私がお国ニて安田順蔵さんのうちニおるよふなこゝろもちニており候」と、龍馬の一番上の姉・千鶴の嫁ぎ先の高松家での快適さにたとえ、「あちら(高松家)よりもおゝいにかわいがりくれ候」と紹介しており、よほど懇意な関係だったことを知ることができる。

 また、慶応2年(1866年)に兄・権平に宛てた手紙ではお登勢のことを、「学文も十人並の男子程の事ハいたし居り候もの」と評価している。面倒見がよく、学問もそなえ、情に厚いお登勢の存在は、龍馬にとってまさに「寺田屋の母」といってもよく、常識に少し欠けた面を持つお龍を託すのにこれほど安心できる人物と場所はなかっただろう。禁門の変(蛤御門の変)で焼け野原となった京の町に龍馬が入ったのは、事変から10日ほどが過ぎた8月1日。お龍の身の危険を案じた彼は、母を杉坂の尼寺へ、妹を海舟のもとへ、弟たちは金蔵寺へとあずけ、お龍を寺田屋にあずけた。突然見ず知らずの娘の擁護を託されたお登勢だが、それも快く引き受け、お龍の眉を剃って人妻風にしたて、名もお春と変えさせてかくまったという。何故そこまで龍馬はお龍家族の世話を焼いたのか。既にこの頃の龍馬は、お龍に対して特別な感情を抱いていたのかもしれない。その特別な女性を託したお登勢の存在というのは、この時期の龍馬にとってもっとも信頼できる人物だったのだろうと想像する。

 お龍の寺田屋での生活は半年余りに過ぎなかったが、龍馬は終生お登勢を信頼し、以後、土佐の坂本家からの送金や手紙はすべてこの寺田屋を窓口としており、また、お登勢自身にも手紙を送り続けている。まさに母のような存在だったのだろう。

 今話で閉鎖になった神戸海軍操練所の史跡巡りを先日しました。よければ一読ください。
 坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
 坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
 坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
 坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-21 00:24 | 龍馬伝 | Trackback(6) | Comments(0)  

「惜敗」か「完敗」か。ワールドカップ日本vsオランダ戦

「惜敗」ですよね。
優勝候補オランダ相手に0-1ならば・・・。
よく言われるのは、1-2の負けは「惜敗」だが、0-1の負けは「完敗」だという意見があります。
なるほど点を取らなければ勝ちはないわけで、0点に抑えられているということは「完敗」と言っても間違いではないかもしれません。
しかし、今日の試合を見て素人なりに思ったのは、前回1-0で勝ったカメルーン戦よりも、はるかに今日の試合の方が内容は良かったんじゃないでしょうか?
前半の終盤にはチャンスも沢山ありましたし、前回よりシュートの数も多かったように思います。
後半1失点した後も、そのままズルズルと崩れるようなことはありませんでしたし、終盤の岡崎慎司選手のシュートは紙一重でした。
世界ランキング4位のオランダを相手に1失点のみというのは、「惜敗」と言っていいんじゃないでしょうか?

一方で、闘莉王選手が試合後のインタビューで、「相手は1回のチャンスを得点に繋げてきた」と言ってましたね。
やはりレベルが高いチームというのは、少ないチャンスをモノにする精度があるということだと思います。
そういった意味では、日本チームはまだまだその域には達していないということでしょう。
同じく闘莉王選手のインタビューで、「下手くそなりのやり方をもう一度、最後の最後までやりきりたい。」と言ってましたが、まさしくその通り、今更急にレベルが上がることはないわけで、現状の自分たちの力で格上の相手とどうやって戦うかが、今最も大切な課題となるでしょう。

このオランダ戦を最低引き分けていれば、決勝トーナメントが俄然近くなっただけに残念ですが、元々オランダ戦の負けは想定外だったわけではありません。
この後行われるデンマークとカメルーン戦も気になるところですが、何より来週のデンマーク戦で勝ち点を取ることが一番望ましいわけで、今は他力本願的な「たら、れば」は考えないことにしましょう。
頑張れ!ニッポン!


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W杯 日本、オランダに0-1で敗れる
サッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会第9日、ダーバンのモーゼス・マビダスタジアムで1次リーグE組の日本 vs オランダの対戦は、後半8分のスナイデルのゴールをオランダが守りきり、日本は0-1で敗れた。オランダは勝ち点3を獲得した。
初戦は日本はカメルーンに1-0で、オランダはデンマークに2-0で勝利、それぞれ勝ち点3を獲得している。

日本代表のスターティングメンバー。
GK:川島永嗣
DF:長友佑都 田中マルクス闘莉王 中澤佑二 駒野友一
MF:阿部勇樹 遠藤保仁 長谷部誠 松井大輔 本田圭佑
FW:大久保嘉人

オランダ代表のスターティングメンバー。
GK:ステケレンブルフ
DF:マタイセン ファンブロンクホルスト ファンデルウィール ハイティンハ
MF:ファンデルファールト デヨング ファンボメル カイト スナイデル
FW:ファンペルシー

後半19分:日本、松井→中村
後半27分:オランダ、ファンデルファールト→エリア
後半32分:日本、大久保、長谷部→玉田、岡崎
後半38分:オランダ、スナイデル→アフェライ
後半43分:オランダ、ファンペルシー→フンテラール

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100619-00000020-maiall-socc
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by sakanoueno-kumo | 2010-06-20 00:10 | 他スポーツ | Trackback(2) | Comments(2)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4

 シリーズ最後に紹介するのは、勝海舟が、神戸海軍操練所建設時に住んでいたといわれる「勝海舟寓居邸」。元は兵庫の豪商である生島四郎という人物の別邸で、海舟は海軍操練所の建築が終わるまではここに仮住まいしており、坂本龍馬も何度か訪れたと言われている。場所はJR神戸駅から北へ3kmほどの場所で、閑静な住宅街の一角。神戸市民にはよく知られる「有馬街道」の入り口付近にある中道古道という細い路地に入っていくと、長い石垣塀に囲まれたその家が見えてくる。

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 狭い路地の向こうに、石垣塀が見えてくる。

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 長く続く石垣塀。この塀すべて邸のもの。

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 そしてここが、「勝海舟寓居邸」の門。当時のままらしい。

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 現在は門のほか、母屋と庭がほぼ当時のまま残っているが、海舟の寓居は1938年(昭和13年)の阪神大水害で流され平地になっているらしい。今も個人住居として生活されているため中には入れないが、西隣の「平家の供養塔」と案内のある門から入り、柵越しに見ることは出来る。門横には観光客用に看板が設置されている。

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 この邸の家主だった生島四郎という人物は、当時の神戸村を代表する庄屋・松屋の主で、酒造業、回船業で財をなした豪商。60歳を過ぎた頃、神戸村の視察に来ていた海舟と偶然知り合い、意気投合して知己となり、神戸海軍操練所の設立には大いに財力で協力したそうだ。海舟は、兵庫開港以前には西国街道沿いの村にすぎなかった神戸の将来性を見抜き、出来るだけ多くの土地を購入しておくよう四郎に勧めたという。その助言のおかげで、四郎は不動産事業においても大成功をおさめ、巨額の利を得たそうだ。また、四郎は兵庫開港に際して外国人居留地の造成を請け負い、新政府から「当港市中取締方取扱」を拝命して開港場の警備を取り仕切り、京都府物産取引立会所の御用達となり、京都の生島居宅が京都物産売捌所となった。こうして開国した新政府の信任を得た生島四郎は、まさに一大政商となった。

 邸の近くに平野祇園神社という社がある。ここに生島四郎が奉献した石燈篭がある。石碑には、勝海舟との関係が記されている。

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 シリーズ4回にわけて紹介した、坂本龍馬と勝海舟ゆかりの神戸史跡めぐり。二人が神戸で過ごした期間は、たったの1年余りで短い日々だった。しかし、龍馬にとってこの神戸は、後の海援隊の基礎をなした出発点で、風雲児・坂本龍馬の飛翔の地といっても大袈裟ではない。海舟にとっても、咸臨丸で渡米したときと同等の情熱を注いだ期間だったに違いないと私は思う。龍馬と海舟の青春の1ページに、少しだけ触れることができた1日だった。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-19 01:32 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3

 明石海峡大橋と淡路島を展望する神戸市垂水区の海岸沿いに、「舞子砲台跡」がある。文久3年(1863年)、勝海舟の設計・総指揮のもと明石藩が築造した砲台で、対岸の淡路島にある松帆台場と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにするという構想でこの場所に作られたそうだが、実際に使われることはなかった。砲台は残っておらず、台場のみ現存。昭和5年に建てられた石碑がある。
                      
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 後方に見えるのは明石海峡大橋と淡路島。まさか130年後のこの地に世界最長の吊り橋が架かろうとは、海舟も龍馬もまったく想像だにしなかっただろう。

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 2003年に行われた発掘調査時の説明看板。明石海峡大橋の建設計画がほんの数百メートルずれていたら、この史跡の存在はなかった。危ない危ない・・・。

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 砲型のベンチ。こんなものでも置かないと、砲台跡だとはわからないかも・・・。

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 この砲台の建設にあたっては、「神戸海軍操練所」の塾生も指揮していたそうで、坂本龍馬も見学に来ていたらしく、この地で詠んだ歌が残っている。
 「うき事を ひとり明しの 旅枕 磯うつ浪も あわれとぞ聞」
龍馬の詠んだ歌はいくつか残っているが、どれもお世辞にも上手いとは言えない。

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 「舞子砲台跡」から東へ15kmほどの神戸市兵庫区は和田岬に「和田岬砲台」がある。こちらは台場だけでなく、砲台も残されている。ここは三菱重工造船所の敷地内にあるため、見学は事前予約が必要で、この日の私は突然思いつきで史跡巡りをしたため、残念ながら取材は出来ず。

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 この「和田岬砲台」も、上記「舞子砲台跡」と同じく文久3年(1863年)に勝海舟の設計・総指揮のもと築造された。同じ時期に神戸市内にはもうひとつ「湊川崎砲台」が築造され、西宮市には「西宮砲台」「今津砲台」がやはり同時期に築造。京や大阪の玄関口にあたる阪神間の海岸線を、如何に幕府が重要視していたかがうかがえる。工事中には、14代将軍・徳川家茂、少将・一橋中納言慶喜(後の15代将軍・徳川慶喜)も視察に訪れたという。砲台が現存しているのはこの「和田岬砲台」のみ。大正10年(1921年)内務省から兵庫県下における史跡第1号に指定されている。

 次回は、勝海舟が神戸海軍操練所建設時に住んでいたといわれる家を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-18 00:00 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2

 前稿の坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1で紹介した「神戸海軍操練所跡」から北西へ約10kmの場所に、勝海舟直筆の「海軍営之碑」がある。神戸に訪れたことのある方はご存知かと思うが、あの夜空に浮かぶ神戸市章の電飾で有名な「市章山」の麓にある「諏訪山公園」内の高台に、神戸市街を見下ろすようにその碑は建っている。

 神戸市章の電飾で有名な市章山。
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 この「海軍営之碑」は、勝海舟が14代将軍・徳川家茂の神戸来訪を記念して元治元年(1864年)に作り、神戸海軍操練所敷地内に設置しようとしたものの、志半ばで操練所は閉鎖となり、完成していた高さ2mもあるこの碑は、海舟の友人であった神戸の豪商・生島四郎太夫に預けられ、海舟の意向から一時は生島の邸宅内に埋められていたらしい。その後半世紀が経ち、大正4年(1915年)に土中から掘り起こされ、この地に移設されたそうだ。

 碑の建つ場所へは車では行けず、結構ハードな山道を登らなければならない。山道を歩くこと15分。金星台という高台の一角に、低木や草に隠れるように建っている。

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 身長125cmの我が娘をスケールに大きさを比較。

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 説明書きの看板などがないため、詳しくはわからないが、おそらく右の大きい方の石碑が海舟が撰文したといわれる石碑で、左の石碑はこの「諏訪山公園」に移設する際に作られたものだと思われる。右の碑文の部分が黒い御影石になっているのは、おそらく風雨にさらされ読みにくくなったため、近年補修されたものと思われるが、ここだけ妙に新しく違和感を覚えた。歴史的価値も下がったように思えて、なんちゅう余計なことを・・・と思ったのは私だけじゃないのではないだろうか。

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 何せ漢字ばっかなので読解出来ないが、確かに「坂本龍馬」という文字は見つけた。
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 石碑のある高台から望む、神戸市街の景色。
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 こんな山の上までは行ってられない・・・という人には、前稿の「神戸海軍操練所跡」の近くに「みなと公園」というところがあり、そこにこの石碑のレプリカがある。

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 こちらの碑は、昭和48年(1973年)に建てられたもので、レプリカの碑と並んで、操練所の塾生出身で後に第4代兵庫県知事になった陸奥宗光(後、外務大臣)の顕彰碑がある。

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 レプリカ碑の裏には「海軍操練所の生徒で神戸に忘れられない人」として、4人の名前が刻まれている。
 塾長=勝海舟(海軍奉行)
 塾頭=坂本龍馬 (海援隊長)
     伊藤俊輔(博文=初代兵庫県知事・初代内閣総理大臣)
     陸奥陽之助(宗光=兵庫県第四代知事・第二次伊藤内閣外務大臣)


 はて?・・・伊藤博文と神戸海軍操練所は何の関係もないと思うが・・・?
 伊東祐亨(後の海軍大将)なら操練所の出身だけど、伊藤と伊東の間違い・・・なんてことはないよなぁ。レプリカとはいえ、まさか石碑で・・・。

 次回は海舟が関わったとされる砲台跡を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


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by sakanoueno-kumo | 2010-06-17 00:43 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(4) | Comments(0)