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プロ野球開幕延期問題に激昂する。

迷走を続けていたプロ野球セ・リーグ開幕問題ですが、早々と長期延長を決定していたパ・リーグに合わせた4月12日開幕と4月中のナイター自粛で決着をみたようです。
世論や選手会の強い反発や、文部科学省からの2度にわたるナイター自粛要請に、もはや折れざるを得なかった・・・というのがセ・リーグの本音でしょう。
セ・リーグというより、巨人=ナベツネさんといったほうが正しいでしょうか?
いつまでこの爺さんに振り回されているんでしょうね・・・プロ野球界は。

今回の騒動で、またファンのプロ野球離れが増すことでしょう。
今日まで当ブログではずっと発言を控えてきましたが、結論が出たということで、一プロ野球ファンとして今日は言いたいことをいわせてもらいます。
そもそも、この結論に達さざるを得ないことは、火を見るより明らかだったじゃないですか。
セ・リーグは“バカ揃い”ですか?
「私は野球に誇りを持っている。野球をやることは不謹慎だとは思わない。」といった内容のことを、迷走中のコミッショナーが発言してましたね。
誰も野球が不謹慎だとは言ってないじゃないですか!
“今はちょっと待て”と言ってるだけでしょうが!
コミッショナーがそんな的はずれなこと言ってるから、野球好きの人間がみんな“野球バカ”なんて言葉で白眼視されるんですよ。
「批判は甘んじて受ける。」なんてこともコミッショナーが言ってましたが、あんたが批判を受けるべきなのは国民からじゃなくて、各球団のオーナーたちからでしょうが!
それぞれの思惑でものを言う各球団経営者に対して、正論を以て一刀両断するのがコミッショナーの仕事であって、球団オーナーの顔色伺いしかできないコミッショナーなんて、職責を放棄しているとしか思えません。
何が「野球に誇りを持っている」ですか・・・誇りを持つなら、コミッショナーという職務に誇りを持ってください。

そして、もうひとりのプロ野球界の癌、ナベツネさんこと渡邉恒雄氏。
「計画停電地域外ならやってもいい。」なんて言ってましたが、東日本すべてが“節電”を余儀なくされている状況下で、仮にも読売新聞主筆という立場の人間が、こんな発言をしていいんですか?
同新聞社の末端で働く記者さんたちは、この発言をどう思ってるのでしょう?
自分たちが書いてる“節電”の記事を否定している発言ですよ!
社員一同、声を大にして抗議すべきなんじゃないですか?

これでまた、ジャイアンツの人気低迷に拍車をかけるでしょうね。
もともとアンチ巨人の私にとってはどうでもいいことですが、そもそも、巨人の人気が下降した要因のひとつに、東北楽天北海道日ハムが出来たことによって、それまで圧倒的に巨人ファンが多かった同地方の野球ファンたちが巨人離れをしていった、という理由もあったはずです。
ジャイアンツの経営陣にしてみれば、パ・リーグのチームが何処に行こうが、巨人の人気に影響はないといった“おごり”があったのでしょう。
今回もナベツネさんは、「パ・リーグが開幕延期をするのならやらせておけばいい」なんて暴言を吐いたそうですが、いつまで巨人中心の頭の構造でいるんでしょうね。
今回の騒動で、また東北のファンを失いましたよ!
ナベツネ爺さんのやってることは、国民感情を逆撫でするばかりか、あんたの可愛い読売ジャイアンツを失墜させる行為だということがわからないんですかね。
だいたいナベツネさん、あんた一度は球団経営を退いてたんじゃないんですか?
いつ戻ってきたんですか?
もういい加減ジャイアンツも、ナベツネ離れしたらどうですか?
日本プロ野球界にとってナベツネさんは、もはや“老獪”を通り越して“老害”でしかありません。

今回の騒動について、読売新聞報知新聞は、ほとんど報じてなかったようですね。
テレビを観ても、ほとんどの局が世論に同調していたのに対し、日テレだけは中立的な発言を繰り返していたようです。
ああいうのを見ると、マスコミというものが、いかに鵜呑みに出来ないものか、ということがわかりますね。
本来、報道は国民の側を向いていなければならないもののはずなんですが、実はまったく違う方向を向いて報じているというのが、よくわかります。
まあ、そんなことは今回の騒動に限らず誰もがわかっていることでしょうが、この非常事態の今は、被災者被災地の方を向いた報道をしなければならないときじゃないんですか?

一昨日よりセンバツ高校野球大会が始まりました。
こちらについても開催するか否かの議論がギリギリまで交わされていたようですが、私は高校野球に関しては開催できて良かったと思います。
本当は、そのことについても述べたかったのですが、プロ野球の話をしているうちに激昂してしまい、既にかなりの行数を費やしてしまったので、その話はまたの機会にします。

結局、4月12日開幕という、治まるところに落ち着いたプロ野球開幕延期問題
どのみち延期は避けられなかったことを思えば、当初からセ・パ両リーグが足並み揃えて決断していれば、何の問題もなかったばかりか、むしろ英断に賞賛の声さえあがったかもしれません。
時、既に遅し。
プロ野球界は、今回の騒動で失墜したイメージを、どう挽回するのでしょうか。


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by sakanoueno-kumo | 2011-03-25 22:33 | プロ野球 | Trackback | Comments(5)  

江~姫たちの戦国~ 第10話「わかれ」

 天正11年(1583年)、羽柴秀吉柴田勝家が対峙したこの決戦は、近江賤ヶ岳、同柳ケ瀬(どちらも現在の滋賀県長浜市)が戦場になったことから、古くは『柳ケ瀬の役』とも呼ばれたそうだが、現在では『賤ヶ岳の戦い』として知られる。当初、伊勢で小競り合いがはじまったことにより、先に秀吉が出兵を開始。次いで3月上旬、越前北ノ庄城から南下した勝家軍は、柳ケ瀬の内中尾山に陣地を構築した。一方、秀吉は木之本まで進撃したのち、美濃大垣城へ転進して、岐阜城主・神戸信孝(織田信孝)に睨みを利かせた。

 このとき、勝家軍の副将であり勝家の甥でもある佐久間盛政は、一瞬の機会を捉えて大岩山まで攻め寄せ、秀吉方の中川清秀を討死に追い込み、さらには隣の岩崎山にいた高山右近を攻撃してこれを撃退した。しかし、あまりにも出来すぎのこの戦果に、勝家はあくまで慎重な姿勢を崩さない。秀吉の並外れた機動力や、用兵の巧みさを熟知していた勝家は、再三撤退を勧告するも、盛政はこれに応じようとはしなかった。この予想外の勝利に、盛政は舞い上がってしまったのだろうか。案の定、勝家の懸念は的中する。秀吉率いる羽柴方の本隊(約1万5千)は、大垣から木之本間の約12里(約50km)を5時間で走破し、4月21日の未明、盛政の陣地に襲いかかった。

 こののち、戦場では盛政の弟・柴田勝政による逆襲や、秀吉軍の福島正則加藤清正『賤ヶ岳七本槍』の活躍などといった名場面が繰り広げられるが、一時は勝正の逆襲で盛り返していた勝家軍も、次第に秀吉軍に圧倒され、盛政、勝政兄弟は相次いで戦場離脱を開始する。さらに勝家軍の敗走を決定的にしたのが、勝家の与力であるはずの前田利家率いる5千の兵が、戦わずして戦場を離脱したことだった。利家はこのドラマには出ていないが、織田信長の母衣衆を努めていた武将で、勝家に恩義を感じ仕えていた。その利家が、ことここにいたって寄親であるはずの勝家を見限ったのである。利家は秀吉と若い頃からのマブダチだったともいわれ、このとき利家は、秀吉に調略されていたとか、親友と寄親との相克に耐えられなかったとか、後世に様々な推測を残しているが、いずれにせよ、この利家の行動で勝家軍の敗走は決定的となった。そんな利家に対して、勝家は責めることなく、越前への撤退の際に利家の城に立ち寄り、長年の苦労を謝したと伝えられる。勝家の懐の大きさが伺えるエピソードともいえるが、そうした“裏切り”“寝返り”といった行為が、ごく当たり前に行われていた戦国の世の姿を垣間見れるエピソードでもある。裏切った利家が悪いというよりも、裏切られた勝家に力がなかったということ。利家を責めるということは、勝家自身の力のなさを露呈するようなもの。そんなところだったのだろう。

 身代わりを立てるなどして辛うじて戦場離脱に成功した勝家は、4月23日までに、お市の方と三人の娘たちの待つ越前北ノ庄城に戻った。しかし敗走中、味方の中には臆病風に吹かれて逃亡したり、寝返った者も多くいたようで、勝家と共に城へ入ったのは僅かな人数だったとか。勝家にしてみても、城へ戻ったところで秀吉軍に包囲されるのは火を見るより明らか。このとき勝家は、どんな思いで城に戻ったのだろうか。利家の“寝返り”を知ったとき、一時は自刃を口にしたとも伝えられる。しかし、落ちのびて居城に戻る道を選択した勝家。ドラマのように、ひと目、お市たちに会いたかったのだろうか。“鬼柴田”という異名をとり、猛将として後世に伝わる柴田勝家。しかし、その人の持つ本当の人間像は、死に際したときに見て取れるもののようにも思える。
 「思えば、この半年が、わしの人生の華であった。」
 鬼柴田といえども人間、案外、真意をついた台詞かもしれない。

 間もなく北ノ庄城は、秀吉軍によって重包囲された。しかし、勝家がかつて織田家の重臣筆頭だったからか、または、お市の方が城内にいたからか、秀吉がすぐに城へ総攻撃を仕掛けることはなく、しばらく散発的な銃撃戦が繰り返されるといった状況が続く。やがて銃撃戦も止み、城の内外を不気味な静寂が覆った。同日夜、先の『賤ヶ岳の戦い』で奮戦し、最後まで自分に従ってくれた者たちの労をねぎらうべく、勝家は城内でを開いたという。その賑やかな様子は城外にも響き、その様子を聞いた秀吉軍は、勝家の覚悟を悟ったと伝わる。そして同じ頃、お江たち三姉妹が秀吉軍の陣まで送り届けられた。このときお茶々は14歳、お初は13歳、お江は11歳。その姿は、まさに10年前の小谷城落城のときと同じだった。しかし、10年前と違っていたのは、そこに母、お市の姿がなかった。

 秀吉軍は、お市も城を出るよう再三促したと伝えられるが、お市は勝家と運命を共にする道を選んだ。その理由については、古くから様々な解釈がなされている。秀吉が勝家を助命する可能性が皆無であること、兄の信長が落命していたため返るべき家がないこと、助命の打診に応じて城を出てもそれが履行されるとは限らないことなど、いずれも理由としては充分なものだが、それ以前に、彼女にしてみれば二度目の落城経験。同じ轍は踏みたくない思いが強かったのでは・・・と私は思う。10年前に生きる道を選んだのは、幼い娘たちのため。しかし、彼女にとってこの10年間は、死んだも同然の10年だったのかもしれない。お市は勝家に嫁ぐときから、この最後の覚悟は出来ていたのではないか・・・とさえ思う。彼女にとって勝家との結婚は、死に場所を求めた結婚だったのでは・・・と。

 天正11年(1583年)4月24日早朝、秀吉軍の総攻撃が開始されたため、同日夕方、勝家・お市の方夫婦、12人の側室(異説あり)、約80人の家臣、約30人の女中らは、北ノ庄城天守閣にて自刃を遂げた。生年を天文16年(1547年)とする説にしたがえば、お市はこのとき37歳。同じく生年を大永2年(1522年)とする説にしたがえば、勝家はこのとき62歳だった。

 辞世
 お市 「さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜の 別れをさそふ 郭公(ほととぎす)かな」
 勝家 「夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ 山郭公(ほととぎす)」


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by sakanoueno-kumo | 2011-03-22 02:57 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(2) | Comments(2)  

東日本大震災発生から1週間、今、思うこと。

発生から1週間が過ぎようとしている、東日本大震災
死者・行方不明者は1万6千人を超え、40万人近くの人避難所生活を余儀なくされている。被災地では、自衛隊や消防、警察の方々が、汗と泥にまみれて懸命に被災者のための仕事をしているというのに、私にできることといえば、言うのも恥ずかしいほどの額の義援金を送るくらい。
食料は満足に行き届かず、冷たい体育館の床の上で生活している避難所の方々の映像をみていると、普通に仕事をして、普通に食事をとり、あったかい布団で寝ている自分に、後ろめたさを感じる。
しかし、同情はできても、痛みを共有することはできない。
現地で懸命に捜索、支援活動をしているプロの方々の力に頼るしかない。

福島原発の放射能漏れの件でいえば、知識のない私にとって、専門家の説明で「心配ない」と聞けばそうかと思うし、連日トップニュースで報じられる状況を見ていると、「本当に心配ないのか?」という思いになる。
ただ、どう案じたところで、私に何ができるわけでもなし、専門家の言葉を信じ、命を張って処置に当たっているプロの技術者の方々にお任せするしかない。
私たちにできることといえば、そんな方々に感謝することだけ。
にもかかわらず、一向に終わりが見えない状況を非難する声が後を絶たず、中には、この機に乗じて「原発反対論」を持ち出す声さえある。
今はそんなことを言うときではない。
そんな話は、この緊急事態の解決を見た後の話だ。

さすがにここに来て疲労感が隠せない、政府首脳たち。
おそらくこの1週間、不眠不休で事にあたってきたことだろう。
ただそれも当然、事態は過去、例を見ない緊急事態なのだから。
そうは言っても彼らも人間、疲れが溜まれば判断力も鈍る。
思うように事が運ばず、苛立ちを隠せない様子も伺える。
そんな総理や官房長官の言葉尻だけをつかまえて、ここぞとばかりに揚げ足取りの批判をする反民主党政権の人たち。
中には、昨年の「事業仕分け」の話題まで持ち出して、緊急対策費を仕分けたツケだと責め立てる。
私は別に民主党擁護派でもないし、むしろ、現政権には正直、辟易しているくらいだが、しかし、今この状況で尚も政権批判を繰り返すこの種の声には、いい加減吐き気がする。
今はそんなことを言うときではない。
どうあれ、今はこの人たちに舵取りをしてもらわねばならないのだ。

巷では、政府が「買いだめ自制」を呼びかけているにもかかわらず、食料やガソリンの買い占め行為をやめようとしない、自分のことしか考えない人が後を絶たないらしい。
昨日のニュースでは、義援金を装った詐欺も出始めているとか。
被災地で暴動を起こすこともなく、整然と並んで物資を受け取っている被災者の方々の姿を見ていると、どちらが被災者なのかわからなくなる。
被災者は、家を失い、家族を失っても尚、お互い助けあって生きている。
16年前、阪神・淡路大震災の被災地の渦中にいた私は、そのことを知っている。
しかし、被災地の外にいる人たちの姿は、今回初めて目の当たりにした。
正直、恥ずかしいという言葉につきる。
被災者の方々のほうが、はるかに秩序のもとに生きているということを知った。

とにかく、悪夢のような1週間が過ぎた。
総理の言葉を借りれば、「戦後最大の危機的状況」
そんな中、今、私にいえる言葉は、
被災地で懸命に捜索作業を続ける自衛隊、警察、消防の皆さん。
命を張って福島原発の処置に当たっている、技術者の皆さん。
不眠不休で指揮に当たっている政府首脳および、各省庁の皆さん。
どうか
日本を
よろしくお願いします。



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下記、記事本文引用
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被災1週間、被害の全容不明=市民生活崩壊、原発事故も影響―東日本大震災
 東日本大震災は18日午後、発生から丸1週間を迎える。大津波に見舞われた東北の太平洋沿岸部の被害は甚大で、死者・行方不明者は1万6000人を超えた。震災被害は日を追うごとに増え、全容は依然分かっていない。燃料などの物資不足は解消されず、被災地の市民生活や経済活動に重大な影響が出ている。さらに、福島第1原発事故が周辺地域に深刻な影響を与えている。
 地震は11日午後2時46分、三陸沖を震源に発生した。規模を示すマグニチュード(M)は9.0で日本国内観測史上最大。高さ10メートルを超す津波により、多数の家屋や漁船、車両が押し流され、岩手、宮城、福島の太平洋沿岸部は壊滅的な被害を受けた。
 警察庁のまとめによると、18日午前11時時点で、死者・行方不明者は1万6665人となった。死者は宮城が3860人、岩手が1907人、福島が583人など、12都道県で計6406人。行方不明者は岩手が4253人、福島が3844人、宮城が2157人で、6県の計10259人。警察や自衛隊などによる捜索活動は難航している。
 避難者は同庁の17日午後11時時点のまとめで、宮城が約18万3000人、福島が約13万2000人、岩手が約4万8000人など、秋田以外の東北5県と栃木、茨城、新潟の8県で約38万3000人に上る。避難所で亡くなる人や、宮城や原発事故があった福島から、東北の日本海側や関東に避難する人が相次いでいる。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000020-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000603-san-soci
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by sakanoueno-kumo | 2011-03-18 14:09 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(2)  

東日本大震災における、情報錯綜と根も葉もない流言。

発生から5日が過ぎようとしている『東北地方太平洋沖地震』ですが、『東日本大震災』という名称が定着してきているようです。
他にも、『東北関東大震災』という名称を使っている報道関係もあるようです。
いずれの名称もまだ、政府が閣議決定したものではないようですが、現状、報道等では、『東日本大震災』という名称が最も使用されているようなので、当ブログでも、今後そう呼ぶことにします。
余談ですが、『阪神・淡路大震災』も、地震発生直後、気象庁が地震そのものに命名した名称は『兵庫県南部地震』でしたが、新聞各紙が被害の大きさから『阪神大震災』と呼び始め、その名が定着しつつあったところ、比較的被害が小さかった“阪”が入って、被害の大きかった“淡路”が入っていないのはおかしい、といった声が多く出始め、その後、改めて閣議了承された名称が『阪神・淡路大震災』だったと記憶しています。
ですから、今回の『東日本大震災』という名称も、今後また変わるかもしれません。

その『東日本大震災』ですが、現地の状況は依然として変わらないものの、被災地以外の地域に住む私たちのもとに届く情報は、混乱していた当初に比べ、落ち着きを見せ始めたようです。
16年前の『阪神・淡路大震災』時とは違い、今は、メールインターネットツイッターなどを使った情報発信で、迅速に情報を得ることができるようになりましたが、逆に今回、その便利さが仇になった側面もあったようです。
そういった個人が発信元の情報には誤ったものも多く、それによって混乱を招くばかりか、通信インフラの妨害にもつながりかねません。
具体例をいえば、ここ数日、被災地支援のための“チェーンメール”なるものが飛び交っていたようですね。
その内容は、“節電”の呼びかけであったり、“救援物資”の窓口情報であったり。
“節電”に関していえば、誰でも簡単に出来る支援で、そういった方面に疎い私のような典型的文系頭の者などは、周波数の違う関西でも節電すれば被災地の支援になる、と言われれば、単純に信じてしまいます。
しかし実際には、西日本の私たちがいくら節電しても、関東、東北方面の予定停電輪番停電の解決に直結するわけではないそうですね。
関西電力から東日本に電力を送るための周波数変換施設の容量には上限があり、現状、MAXに送電しても、西日本の電力安定供給は変わらないそうです。
そんなことも知らない私は、月曜朝、職場の朝礼で“節電”の話をしちゃいましたからね(苦笑)。
まあ、“節電”自体は大切なことですから、それはそれで良いじゃないかという意見もあろうかと思いますが、誤った情報の流布というのは、本当に必要な情報を妨害する結果になりかねないと私は思います。

“救援物資”の情報についても、デマが飛び交っていたようですね。
衣類やカップ麺など掻き集めて指定された窓口に持っていったところ、間違った情報だったという話をいくつか耳にしました。
こちらについても、避難所生活を余儀なくされている方々の映像を見れば、早ければ早いほうが良いと誰もが思うところですよね。
『阪神・淡路大震災』のとき、そうした窓口がどうなっていたのか、当時は物資を受ける側だった私にはわかりませんが、今のようにツイッターやメールなどはなかった分、情報が錯綜することも少なかったのではないでしょうか。
正確な情報をいうと、現段階では物資の援助は企業・団体に限られていて、個人から物資は受け付けていないそうです。
これは、2004年の『新潟中越地震』の際に、大量の救援物資が届いたものの、それを受け入れる側の体制が整っていなかったため、個人から届いた物資の内容を把握できず、役所の集積場所で物資が滞り、最終的に被災者に届かない事態が発生した経験からだそうです。
個人が物資をむやみに送ることで逆に被災地の混乱を招き、結果的に負担を増してしまう恐れがあるということですね。
「タイガーマスク運動」のようにはいかないようです。
では、個人では今、何が出来るのか・・・今のところ、“義援金”だけだそうです。

そうした誤った情報は、悪意から出たものではなく、何とか被災地の力になりたいといった逸る気持ちが、結果、デマとなってしまったという場合が多いのでしょう。
しかし、それが良かれと思ってした行為でも、結果的に混乱の原因になってしまったら何の意味もありません。
ツイッターやメール、そして今、私もブログを通して発言しているわけですが、そうした便利な機能を使った情報発信は、こういう非常時には、平時以上に気をつけなければならないと思います。
そして情報を得る側は、出来るだけ正確な情報を見極める力が必要でしょう。

最後にもうひとつ、上記のデマとは少し種類が違いますが、根も葉もない流言もネットやツイッター上で飛び交っているようです。
それは、『阪神・淡路大震災』のとき、治安悪化により暴漢放火強姦魔などの犯罪が多発した・・・という噂です。
だから、被災者は心して身を守れ・・・と。
この噂は当時にもあったようですが、これに関していえば、まったくもって事実無根の悪質なデマです。
平成7年度の兵庫県の強姦事件が、例年より増えたというデータはありません。
避難所の被災者たちは互いに助け合い、寝食を共にしていました。
髪を染めピアスをしたようなあんちゃんも、人命救助に汗を流していました。
刺青をしたヤクザもんでさえ、無償で炊き出しをしていました。
人は、周りがみんな不幸を共有する状況になると、そこには仲間意識が生まれ、人は優しくなれるものだということを知りました。
瓦礫の山となった被災地には、石を投げたら当たるほど、自衛官と警察官が昼も夜もいました。
物理的にも、むしろ平時以上に、そういった犯罪は不可能な状況です。
火事場泥棒くらいはいたかもしれませんが、被災直後の私たち神戸市民は、家のことや家族のこと、これからのことで頭がいっぱいで、とてもそんな犯罪に走る余裕などありませんでした。
『阪神・淡路大震災』のデマについて詳しく記されたサイトを紹介します。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_kobe.htm

今回、この根も葉もない当時の噂を掘り起こしてネットやツイッター上に流している方々が、どういう意図で行っているのかはわかりませんが、そうした行為は、いたずらに被災者の不安を煽るだけの行為です。
信用に足る裏付けのない噂話程度の情報を、不特定多数の人の目にふれる場所に流すのは、是非ともやめていただきたいと切に願います。

情報発信とは、難しいものですね。


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by sakanoueno-kumo | 2011-03-15 23:03 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(0)  

東北地方太平洋沖地震の深刻さを、改めて思う3日目の夜。

東北地方太平洋沖地震が発生してから3度目の夜を迎えました。
時が経つにつれ見えてくる被害の大きさに、ただただ胸を痛めています。
13日夕方、ようやく津波注意報が解かれたようですね。
まだまだ大きな余震の可能性が否定出来ないため予断を許しませんが、とりあえず注意報が解かれたということで、明日から踏み込んだ救助活動ができることでしょう。
今日、津波に飲み込まれた男性が、15キロほど沖合に浮かんでいる瓦礫の上で生存しているところを発見され、救助されていましたね。
他にも、同じような人がまだたくさんいるかもしれません。
震災現場で生存率が急激に低下するのが、被災後72時間といわれます。
残された時間は少ないですが、一人でも多くの生命が助かって欲しいと願うばかりです。

前稿でも述べましたが、私は阪神・淡路大震災を経験した神戸市民です。
比べる類のものではないのでしょうが、震災といえば、どうしても自身が体験した大震災が比較の対象になってしまします。
当時、100年に一度の地震災害といわれた阪神・淡路大震災。
巷では、南海地震が近いなどと耳にすることもありましたが、正直、私が生きている間に、16年前のそれを超えるような大震災が国内で起こるとは思いませんでした。
もちろんそれは、何の根拠もありません。
ただ、私も含め人間というのは、喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物ですから・・・。

今回の地震発生当初は、地震の規模を示すマグニチュード8.8とされていましたが、専門家の指摘を受け、地震波のデータを再計算などしたところ、9.0に修正されたそうです。
マグニチュードが0.2大きくなると、地震のエネルギーは2倍にもなるとか。
マグニチュード9.0というのは、7.3だった阪神・淡路大震災の約1000倍のエネルギーだそうで、計り知れない規模だということがわかります。
ただ、これは地震のエネルギーの規模を表す値で、揺れの激しさを示す数字ではありませんから、世界で初めて『震度7』を記録した“阪神”は、“揺れ”という部分だけみれば、今回以上だったかもしれません。
しかし、今回の震災では阪神とまったく違う、“津波”という恐ろしい災害に襲われました。
都市直下を震源地とした“阪神”は、一瞬にしてビルも高速道路も倒壊させてしまう惨状を生みましたが、被災後、災害地域に人が踏み込めないような事態にはならず(火事の起こった地域は別ですが)、地震発生初日、救助隊の活動が始まる前に、被災者同士の救助活動で助けだされた生命が、おそらく何千、何万とあったでしょう。
実際に私の職場の人間で究極の被災地に住んでいた者も、自身の家が全壊だったにも関わらず救助活動に参加し、何人も瓦礫の中から救い出したと聞きます。

今回は直下型ではなく三陸沖が震源地だったことで“津波”という災害を生み、その被害を受けた被災地は、一般の人はもちろん、救助隊ですら足を踏み入れることができない地域が多く、ただ呆然と惨状を見つめることしかできないという、地獄絵のような惨状が想像できます。
しかも、“阪神”の場合、行方不明の被災者が、何処に閉じ込められているか、また、何処に埋まっているかが、ある程度予想できる場合が多かったでしょうが、今回の“津波”に飲み込まれたと思われる方々は、何処にいるかさえわからない場合がほとんどではないかと想像します。
2004年のスマトラ島沖地震で見た“津波”の映像は衝撃的でしたが、今回、改めて“津波”の恐ろしさを目の当たりにしています。

“阪神”の場合、もうひとつの不幸中の幸いは、地震の起きた時間帯もあったと思います。
“阪神”が発生したのは午前6時前という、まだ人々が動き出す前の時間帯だったことが、犠牲者の数に影響を及ぼした側面があります。
もし、あれが、あと数時間遅く起きていたら、犠牲者の数は何倍にも膨れ上がっていたことでしょう(高速道路や鉄道だけでも、計り知れない犠牲者を生む結果となったのではないでしょうか)。
今回の場合、“津波”という災害を思えば、深夜に発生していれば、もっと逃げ遅れる人が増えていたかもしれず、そういった意味では、昼間の発生は不幸中の幸いだったかもしれませんが、一方で、昼間の発生により家族がバラバラになってしまう悲劇を多く生んでしまいました。
早朝の発生だった“阪神”の場合、ほとんどの人が家にいる時間帯だったため、家族の居場所がわからないといったケースは今回ほど多くはなかったと思いますが、昼間の発生だった今回は、お父さんは会社、お母さんは自宅、子供たちは学校と、それぞれ別々の場所で震災に遭い、その後、安否もわからず、生きているにしても何処に避難しているかもわからないという、不安な避難生活を強いられた被災者を多く生んでしまいました。
生きているならば、一刻も早く家族と会いたい・・・おそらく、眠れない夜を過していることだと思います。

いろんな意味で、“阪神”を超えたといっていい、今回の東北地方太平洋沖地震。
私たち神戸市民は、16年前、多くの救援物資義援金、そしてボランティアの方々に助けられた“恩”があります。
喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう、愚かな人間の私ですが、受けた“恩”まで忘れてはいません。
現地に赴いてボランティア活動を出来るほどの甲斐性はありませんが、これから被災者の方々に、何が出来るか、どうすればいいか、微力ながら考えていきたいと思います。
とにかく今は、一人でも多くの生命が救われることを祈ります。


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下記、記事本文引用
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安否不明は数万人規模 宮城県は犠牲者「万単位」
 東日本大震災の津波で水没するなど壊滅的な被害を受けた市町村で、連絡が取れず安否不明の住民が数万人に上っていることが13日、岩手、宮城両県などへの取材で分かった。被害は深刻さを増し、各県や県警本部が全容の把握を急いでいる。警察が確認した死者・行方不明者は3200人を超え、宮城県警の竹内直人本部長は県内だけでも死者が「万人単位に及ぶことは間違いない」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110313-00000086-mai-soci
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by sakanoueno-kumo | 2011-03-14 02:05 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(0)  

東北地方太平洋沖地震発生。

本日午後2時46分、三陸沖を震源地とする、マグニチュード8.8巨大地震が発生しました。宮城県で『震度7』の非常に激しい揺れを観測したほか、福島県では7メートルを超える大津波が観測されるなど、東北から関東にかけての広い範囲で津波や火災が発生しているようです。 
地震の規模を示すマグニチュード8.8は、地震の観測が始まった明治以降、国内では最大だそうです。揺れの強さを示す『震度7』というのも、過去、1995年の阪神・淡路大震災で記録された1回のみで、今回の地震の大きさが伺えます。

私はその阪神・淡路大震災を経験した神戸市民です。
今日の地震は、遠く離れた神戸でも揺れを感じたほどですから、大変な規模だということがわかります。
本当は今日、全く違う話題を起稿しようと思っていたのですが、とてもそんな気になれず、ただただテレビの地震報道を観ています。
私たち神戸市民にとって、地震報道は無関心ではいられません。
報道を見ながら、16年前の恐怖が蘇りました。
テレビは、どのチャンネルも地震に関する情報を伝えていますが、現段階では、災害の全容がはっきりしないようで、情報が混乱しているようです。
しかし、究極の被災地にいる方々は、もっと情報が伝わらず、不安なときを過ごしていることだと思います。
16年前の私たちも、テレビも映らない状況の中、自分の目の前に広がる状況以外、まったく情報がなく、ただただ余震に怯えるときを過ごしていました。
日本中が同じ状況に違いないと思ったくらいです。
きっと16年前も、地震発生当日は、こうしてテレビで報じられていたのでしょうね。
震災当時、神戸市民は、被災地の真っ只中にいながら、まったく状況を把握できていませんでした。
おそらく他の地域に住む方々のほうが、被害の状況など詳しく理解していたと思います。
今もきっと被災地の方々は、そんな状況にあると想像します。

ただ、被災地の方々の恐怖は、逆に私たちには、計り知れません。
テレビの映像では、真の恐怖は伝わりませんから。
揺れの強さも、おそらくテレビで流されている映像より、はるかに強いものだったはずです。
余震が襲うたびに、生きている心地がしない・・・今夜はきっと、眠れないことでしょう。

気象庁はこの地震を、「東北地方太平洋沖地震」と名付けたそうです。
今はまだ、災害のほんの一部しか見えていませんが、被害者の数が一人でも少なくすむよう願うばかりです。

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13日、追記。
地震の規模を表すマグニチュードは、その後、8.8から9.0に修正されました。
その件については、次稿の『東北地方太平洋沖地震の深刻さを、改めて思う3日目の夜。』で、改めて起稿いたしましたので、そちらをご覧ください。


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下記、記事本文引用
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死者数百人、不明多数 仙台で200人超の遺体

 東北・関東大地震による死者は11日、数百人に上ることが確実になった。行方不明者も多数に上っている。宮城県警によると、仙台市若林区で200〜300人の遺体が見つかった。若林区役所によると、区内の津波警戒地域内にある約1200世帯が、ほぼすべて津波被害に遭ったとみられる。福島県では336人が行方不明。岩手県大船渡市内で中学生23人を含む48人が津波で行方不明となった。岩手県山田町で多数の死者が出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110311-00000164-jij-soci
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by sakanoueno-kumo | 2011-03-11 23:55 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(8)  

祝! 10万アクセス達成のご報告。

 ここ数日、暖かい日が続いていましたが、今日はうって変わって朝からめちゃくちゃ寒く、さっき窓の外を見るとミゾレらしきものが降っていた神戸です。明後日あたりまで寒い日が続くようですが、週末は、また暖かくなるとか。まさに、三寒四温・・・もう、春がすぐそこに来ているようですね。

 さて、そんな季節の話題とは関係なく、本日は手前味噌なご報告をさせていただきたいと思います。2008年11月より続けてまいりました拙ブログですが、本日、記念すべき
10万アクセス を賜りました。
 まあ、だからどうというわけではありませんが(別に賞金も出ませんし)、一応、自身の記録として残しておきたく起稿した次第です。アクセス数はユニークユーザーの数で、訪問者数です(同じ人が1日に何度訪問してもカウントは1ということ)。たいしたビジョンもなく、思いつきで始めたブログで、まさかこんなに続くとは思いませんでしたが、これもひとえに、日々増えていったアクセス数や、コメントを残してくださる方々による後押しの賜物、厚く御礼申し上げます。

 で、10万人目がカウントされたのが、2011年3月9日水曜日の16時06分。
 そのときの画面が、これです。↓↓↓
e0158128_18121880.jpg

 この時間帯にアクセスした記憶がある方、貴方が記念すべき10万人目のお客様です(笑)。何も記念品は用意しておりませんが・・・。

 5万アクセス達成が、ブログを初めて1年5ヵ月経った昨年3月。それからほぼ1年で10万人達成ですから、この1年で訪問していただいた方が増えているのがわかります。これは、昨年の大河ドラマ『龍馬伝』の影響によるところが大だと思えますが、今年に入って、少し訪問者数がペースダウンしているようです。昨年は、毎週月曜日には、200人〜300人くらいの方に訪問いただいていたのですが、上記の画像を見てもわかるように、今年は150人〜200人ほどに減っています。この数字は、昨年の『龍馬伝』に比べて、今年の『江〜姫たちの戦国』注目度が低いという表れなのか、はたまた、私の起稿する大河の記事が、昨年に比べてクオリティが下がっているという成績表なのか・・・(それについては、少なからず自覚してるんですけどね)。おそらく、どちらも影響しているように思います。NHKさん、頑張ってください。私も頑張ります(笑)。

 この1年で5万人の方に訪問いただいたということで、これがどのくらいの数字かと考えてみたく、これを1食600円のラーメン屋さんに例えてみてみます(なんでやねん!)。600円×5万ですから、1年間の売上が3000万円。食材原価を3分の1と考えて、2000万円の粗利ですか・・・。そこから家賃、光熱費などの経費を差っ引くと、純利は1000万円を切るでしょうね。さらに、ブログと一緒で24時間営業と考えれば、夜中にはアルバイトの人件費が発生し、となれば、この程度じゃとても経営は成り立ちそうにないですね(苦笑)。経費の掛からない、屋台のラーメン屋程度であれば、食っていけるでしょうか・・・。ということで、拙ブログはまだまだ屋台ブログ程度のようで、店舗持ちとはいかないようです(笑)。

 とはいえ、毎週食べに来てくれる方もたくさんおられ、中には毎日食べに来てくれる方もいてくださるようですから、そんな皆さんに飽きられないよう、味を追求していきたいと思います。そんなわけで、皆様方におきましては、日頃からのご愛顧、まことにありがとうございます。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 あっ、当店は一見さんも大歓迎ですよ!(笑)


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by sakanoueno-kumo | 2011-03-09 18:55 | コネタ | Trackback | Comments(7)  

江~姫たちの戦国~ 第9話「義父の涙」

 「敵方にああまでされたら、行くしかないのが男というもの、なのに、ひたすら耐えておられる・・・男は戦いたいのじゃ・・・女にはわからぬが、敗れようとも戦って死にたい、それが男なのやもしれぬ・・・男とは、武士とは、かくも不思議な生き物なのじゃ・・・これ以上とめるのは、死ねというより酷いことなのやもしれぬ・・・勝家さまは、男ゆえな。」

 清洲会議以降、決定的な対立関係となった羽柴秀吉柴田勝家。もはや天下を視野に入れた秀吉にとって勝家は邪魔な存在。一方の勝家にとっても、秀吉の思うがままにさせたくない意地がある。二人の間で戦が起こるであろうことは、誰の目にも明らかだった。

 秀吉の勝家に対する挑発は、天正10年(1582年)10月15日、織田信長の葬儀を秀吉の主宰で行ったことに始まる。喪主は、信長の次男・信雄や三男・信孝を差し置いて、四男の羽柴秀勝。秀勝は羽柴という姓からもわかるように、信長から秀吉が貰い受けた養子だった。つまり、秀吉は喪主の義父という立場だったわけで、これは、秀吉が信長の後継者であるということを世に示したセレモニーだったとみていいだろう。そしてその席には、お江たち三姉妹はもちろん、勝家も、お市の方も、列席することはなかった。

 葬儀が終わって2ヵ月も経たない12月、越前にいる勝家が雪で動けないと見た秀吉は、勝家の甥である柴田勝豊の居城、長浜城を攻める。長浜城は、元々は秀吉の居城だったものだが、清洲会議にて勝家の手に渡っていた。秀吉の居城を手に入れたといえば聞こえはいいが、実はこれも秀吉の計算だったともいわれ、長浜城には、勝家の甥でありながら、勝家とは不仲であった勝豊が居住するという条件がついていた。そんな関係だったからか、勝豊はあっけなく降伏、秀吉方に寝返る。すべてが秀吉の思惑どおりに事が進んでいった。

 さらに同じ12月、秀吉は岐阜城織田信孝も降伏させて三法師の身柄を確保、安土城に織田信雄と三法師を迎え、自身はその後見役として、天下の実質的な支配者としての地歩を固めた。この報を聞いた勝家は、人員を総動員して兵道の雪を取り除き、いよいよ出撃の準備にとりかかる。お市たちが勝家のもとに来てから、半年余り経った時期だった。ドラマのように、ようやく家族としての絆ができはじめていた頃だったかもしれない。

 「娘のことを気になさることはございませぬ。」
 「娘たちのことだけではない。わしも・・・いや、わしが行きとうはなかったのやもしれぬ。」
 「勝家さま・・・?」
 「平穏で、心安らかな暮らしを知ってしもうたからのう・・・。」
 一般に、勝家の最大の不利は、雪深い北陸の地にあって、兵を容易に動かせなかったことにあったといわれる。しかし、お市やお江たちにとっては、幸せなひとときを過ごせた“恵みの雪”だったのかもしれない。そして、鬼柴田といわれた猛将、勝家にとっても・・・。しかし、無情にも雪の季節は終わろうとしていた。勝家も、かくも不思議な生き物に戻らねばならない。武士ゆえ、男ゆえ。


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by sakanoueno-kumo | 2011-03-07 02:22 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(4) | Comments(86)  

入試問題ネット投稿事件に思う、今後の受験教育のあり方。

 ここ数日、話題になっていた、京都大学など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、投稿主と思われる19歳の予備校生逮捕されたようですね。巷では、複数犯の可能性が高いといわれていましたが、逮捕された予備校生は「ひとりでやった。」と供述しているとか。どんな手口でやったのか、私のようなオジサンには見当もつきません。それにしても、逮捕まで早かったですね。昨年の尖閣諸島沖衝突事故の映像流出事件のときをみても、インターネットの世界は匿名性が高くて投稿者を特定しにくいと勘違いしている人が多いようですが、実はまったく逆で、むしろガラス張りといってもいいほど、克明に足取りの記録が残る世界だそうです。今回の事件も、捜査が始まってすぐに容疑者の特定は出来ていたようで、裏付けに時間を費やしていただけとのこと。容疑者の受験生くんも、あれほど巧妙なカンニングを画策する優秀な頭脳を持っていながら、そんな根本的なことがわかっていなかったという、ある意味、幼稚な犯行ともいえるでしょうか。もっと違うところでその頭脳を使えよ・・・と。もったいないですね。まあ、『偽計業務妨害罪』なんて聞くと、たいそうな犯罪のように思えますが、やったことは単なるカンニング。若い子の出来心をこんなに騒ぎ立てることではないようにも思いますが・・・。ブルーシートで囲われながら身柄を移される映像なんかは、まるで凶悪殺人犯のごときでした。見ていてあんまり気分のイイもんじゃなかったですね。

 今回の事件をうけて、ここ数日、ネット上では様々な意見が飛び交っているようです。「まったくもって愚かな行為。」「そこまでして合格したいか。」など、否定的な意見が目立つ一方で、「ネット時代に順応していて痛快。」「ネットを使って回答を導き出す能力は評価できる。」など、今回の行為を肯定する馬鹿な意見もあるようです。私も、暗記力重視の日本の受験制度には問題があるとは思いますが、それと今回の件は、まったく別の話です。アメリカなどでは、教科書や辞書を持ち込んで、調べながら試験を受けるそうですが、今回の行為はネットを使って“調べた”のではなく、「ヤフー知恵袋」というコミュニティサイトを通して“他人に問題を解かせた”わけで、いってみれば、替え玉受験のようなものですから。これを、「資料を使った優れた対応力」なんて言う輩は、勘違いも甚だしいですね。まあ、受験制度云々の話以前に、そもそもルール違反ですからね。合理的であれば良いというならば、スポーツ選手のドーピングもOKになっちゃいます。今回の受験生くんは、彼の今後のためにも、バレて良かったんじゃないですか。

 とはいえ、これで一件落着というわけでもなく、今回の容疑者のようにコミュニティサイトに試験問題を漏洩、とまではいかなくとも、端末機を辞書がわりに英単語のスペルを調べたりする程度のカンニングは、他にもたくさんあるのではないかと想像できます。その程度であれば、監視員の目さえ誤魔化せれば、バレようがないですからね。今後、ますます端末機は進歩するでしょうし、単に携帯持ち込み禁止にしたり、監視員の強化をすれば良いという問題でもないように思います。この流れは止めようがないでしょうし、むしろ、時代の流れに合わせた受験制度を構築しなおす必要があるんじゃないでしょうか。近い将来、学校の教科書も電子化されるなんて話も聞きますから、国民全員がタブレット式端末機を常備して情報を共有しあう世の中も、そう遠い未来ではないでしょう。知りたい情報を、どんな時でも、どんな場所でも、すぐに得ることができる・・・そんな世の中で、今までのように暗記力重視の詰め込み教育制度や受験制度は、もはや時代遅れといえるかもしれません。むしろ、溢れるほどありすぎる情報の中から、いかに正しい情報を的確に探し出し、自身の学問に応用するかが、これからの時代に必要な学力ではないかと思います。その学力があれば、どこまで信用していいかわからないような「ヤフー知恵袋」などに、答えを求めるような愚行はしないんじゃないでしょうか。

 今回、逮捕された容疑者は、未成年ですから実名報道はされません。こういう事件の場合は、この少年法というものが役に立ちますね。別に人を殺したわけじゃないんですから。この予備校生くんは、少なくとも、一流大学を受験しようという、優秀な頭脳を持っているわけですから、今回の過ちの然るべき制裁を受けて、もう一度、受験勉強をやり直して欲しいですね。


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下記、記事本文引用
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<入試ネット投稿>19歳の男子予備校生を逮捕 京都府警
 京都大など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、京都府警は3日、仙台市の予備校生(19)を京大の入試業務に対する偽計業務妨害容疑で逮捕した。
 府警などによると、予備校生は先月25、26の両日に実施された京大の文系数学と英語の入試で、携帯電話を使って問題をインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿し、入試業務を妨害した疑いが持たれている。
 投稿に使用された携帯電話は山形県内に住む母親名義。予備校生が普段から使っていたとみられる。
 他に投稿があったのは、同志社大文学部・経済学部の英語▽立教大文学部の英語▽早稲田大文化構想学部の英語−−の3大学の入試。京大を含め、いずれも「aicezuki」を名乗って投稿されていた。
 京大が答案用紙を点検したところ、予備校生の答案に、ヤフー掲示板に寄せられた回答に酷似した記述が見つかった。府警は京大から答案用紙の写しを入手している。
 捜査関係者によると、予備校生は2日夜の母親からの電話に出ず、捜査員が3日早朝に訪ねた際も不在だった。府警は当初、任意で事情を聴く方針だったが、身柄確保を最優先する必要があると判断。仙台市内に捜査員を派遣し、宮城、山形両県警の協力を得て行方を捜していたところ、宮城県警の捜査員が3日正午ごろ、JR仙台駅構内で予備校生を保護した。
 母親と同居する祖父(77)によると、予備校生は少なくとも早大には合格し、京大の結果待ちだったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110303-00000121-mai-soci
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by sakanoueno-kumo | 2011-03-04 01:09 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(0)  

東京マラソンでの川内優輝選手の好走にみる、“能力”と“実力”の違い。

 先日行われた東京マラソンで、市民ランナーとして一般参加していた川内優輝さんが、日本人としては3年ぶりに2時間10分を切る2時間8分37秒という好タイムで日本人選手再先着の3位に入賞し、一躍“時の人”となっていますね。聞けば、川内さんは高校で事務職を務める公務員だそうで、職業柄、企業のサポートは一切受けられず、費用もすべて自費、練習もすべて自己流だとか。もちろん、まったくのど素人ではなく、学生時代には箱根駅伝に出場した経験もあるそうですが、とはいえ、実業団でもなく自己流で練習してきた一般のランナーが、こんな好タイムをたたき出せるということに驚かされます。このタイムがどれほどスゴイかというと、伝説のマラソンランナー・瀬古利彦氏が、この東京マラソンの前身である東京国際マラソン(コースは若干変わっているらしい)で1983年に優勝したタイムが2時間8分38秒(当時の日本記録)で、その後、同大会で日本人選手がそのタイムを20年以上超えることが出来なかったことを思えば、今回その瀬古氏のタイムより1秒速くゴールインした川内さんのタイムが、いかに素晴らしい記録であるかがわかると思います。

 一方で、アマチュア選手に敗北した実業団選手たちはショックを隠せないようです。日本陸連の幹部からは、不甲斐ない選手たちに対して怒りの訓戒があったとか。近年、女子マラソンに比べて劣勢の男子マラソン勢ですから、厳しい声が上がっても仕方がないとは思いますが、4位に入った尾田賢典選手も、一応は世界陸上代表選考の基準タイムをクリアしていたわけで、決して悪い結果ではなかったと思います。レース後、尾田選手は、39キロ過ぎで川内選手に抜かれたことを振り返り、「川内選手が後ろを走っていることを知らず対応できなかった」とショックを隠せない様子だったそうですが、これは言い訳ではなく本音の言葉でしょう。尾田選手にしてみれば、ノーマークのダークホースに足元をすくわれた、といったところだと思います。

 「マラソンは自分との戦い」などとよく言われますが、それはあくまでアマチュアレベルでの話。トップランナーたちのマラソンは、“駆け引き”のスポーツです。優勝候補と目される選手たちは、そのレースに出場しているライバル選手たちの顔ぶれによって、レース展開を考えて走ります。前半からガンガンとばす選手がいてハイペースが予想されるレースと、後半のスピード勝負に自信がある選手が揃ったレースでは、道中の位置取りからスパートのタイミングまで変わってくるわけです。そんな中、まったく眼中になかった無名の選手の思わぬ好走に、仕掛けどころがわからないまま逃げ切られてしまう、または、仕掛けが早すぎて差し返されてしまう、というのはよくあることですね。逆に無名の選手にしてみれば、駆け引きなしの、自分との戦いのレースをしたら、たまたま絶好調で好結果が出てしまった・・・というだけで、まさに“無欲の勝利”といえるでしょう。

 その例で思い出されるのは、バルセロナ五輪の代表選考が懸かった1992年の大阪女子国際マラソンで、当時まったく無名だったダイハツの小鴨由水選手が、初マラソンで優勝、しかも当時の日本新記録で、さらに当時の初マラソン世界最高記録という快挙を成し遂げたレースです。小鴨選手は、同じダイハツで優勝候補だった、浅利純子選手のペースメーカー役での出場だったといいます。ところが、想定外のハイペースでレースを引っ張ったため、併走していた浅利選手は36km過ぎで脱落。そしてその浅利選手をマークしていた、もうひとりの優勝候補の松野明美選手は、後半懸命に追い上げるも差し届かず結果は2位(松野選手のタイムも当時の日本新記録)。ペースメーカーで出場したはずの20歳の女の子が、一躍日本女子マラソン界のトップに立ってしまったわけです。(このレースで小鴨選手が五輪の切符を手にしたことで、のちに揉めに揉めた松野明美選手と有森裕子選手の代表権争いのきっかけとなったレースとして、覚えている人が多いのではないでしょうか。)

 日本記録保持者としてバルセロナ五輪に臨んだ小鴨選手でしたが、今度は当然ノーマークの選手ではなく、さらに五輪代表という重圧もあってか、結果は惨憺たる内容でした。その翌年、彼女はダイハツを退社し、マラソン選手も引退しています。彼女にとって大阪女子国際マラソンでの好走は、“一世一代の大駆け”だったのかもしれませんね。もちろん、力がなければ日本記録など出せませんから、潜在能力は高いものがあったのでしょうが、ノーマークの気楽な立場での好結果はあくまで“能力”であって、注目された中での結果こそが真の“実力”だと思います。その意味では、のちの五輪金メダリストの高橋尚子選手や野口みずき選手などは、すべての選手からマークされる立場でレースに臨み、さらに国民のメダルの期待を一身に背負っての結果ですから、間違いなく、高い“実力”の持ち主だったといえるでしょう。小鴨選手は、まだ“実力”がついていないのに高い“能力”を発揮してしまった、不運な例だといえるかもしれません。

 さて、川内優輝さんですが、今回の結果で高い“能力”の持ち主であることが証明されました。しかし、好結果に水をさすわけではありませんが、次のレースこそが、真の“実力”を問われるレースだと思います。近年、振るわない日本の男子マラソン勢の中で、彗星のごとく現れた新鋭ですから、ぜひとも頑張ってほしいとは思いますが、彼の好走に触発された実業団選手たちも、今度は負けるわけにはいかない思いがあるでしょう。ひいてはそれがマラソン界全体の底上げに繋がれば、川内選手の功績は大きかった、ということになるかもしれませんね。

 ちなみに、小鴨選手はその後結婚し、松永由水選手としてマラソン界に復帰。二児の母となった現在でも、市民ランナーとして数々のレースに参加しているそうです。小鴨由水選手・・・彼女もある意味、伝説のマラソンランナーといえるでしょうか。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110301-00000014-sanspo-spo
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by sakanoueno-kumo | 2011-03-01 22:11 | 他スポーツ | Trackback | Comments(2)