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金本知憲選手の通算2500安打達成に思う、横綱の引き際。

昨日、阪神タイガースの金本知憲選手が史上7人目の通算2500安打を達成しました。
44歳2カ月での到達は、1991年に43歳5カ月で達成した門田博光(当時福岡ダイエーホークス)を超える史上最年長記録だそうで、大卒選手としては初めての快挙だそうです。
今月3日には札幌ドームで史上9人目の1500打点も達成しており、23日には通算474本目の本塁打を放ち、阪神OBの田淵幸一氏と並んで歴代10位と、不惑を過ぎてなお衰えを知らない鉄人ぶりには脱帽するしかありません。
2500安打以上を記録した歴代選手を列挙すると、

日本プロ野球歴代安打数
1位 張本 勲 3085安打 2752試合
2位 野村克也 2901安打 3017試合
3位 王 貞治 2786安打 2831試合
4位 門田博光 2566安打 2571試合
5位 衣笠祥雄 2543安打 2677試合
5位 福本 豊 2543安打 2401試合
7位 金本知憲 2500安打 2517試合(2012年6月28日現在)
※参考記録(日米通算安打数)
イチロー 3706安打 2700試合(2011年度シーズン終了時)
松井秀喜 2629安打 2470試合(2011年度シーズン終了時)

となります。
このまま大きなケガがなければ、今シーズン中に5位まで上がるでしょうし、調子が良ければ4位の門田氏にも届くかもしれませんね。
海の向こうで活躍するイチロー選手と松井秀喜選手を度外視すれば、その上は張本勲氏、野村克也氏、王貞治氏といったアンタッチャブルな大選手だけとなります。
張本、野村、王の次ですからねぇ・・・スゴイことですよ。
金本選手は素晴らしい選手だとは思いますが、正直言ってこれほどの記録を打ち立てる選手になろうとは思いませんでした。
失礼ながら、たぶん本人も思ってなかったんじゃないでしょうか。
だって、広島入団時にはそれほど期待された選手じゃなかったですし、事実、安定した成績を残すようになったのは、20代後半になってからですよね。
入団3〜4年目までは、左投手のときは代打を出されるようなレベルの選手でしたから。
使い古された言い方をすれば、金本選手は「努力の人」で、「鍛錬」によってここまできた選手だと思います。
彼のその強靭な精神力を支えているのはいったい何なんでしょうね。

私は、一昨年まで続けていた連続フルイニング出場の世界記録が途切れたとき、これで金本選手の張り詰めていた緊張の糸が切れ、気力も失せていくんじゃないかと思っていました。
彼のアンチエイジングの源は、記録更新にこそあったんじゃないかと・・・。
ところが、記録が途絶えたあとも、全盛期のそれには及ばないにしても、打撃面においてはそれなりに結果を出し続けています。
昨日の試合後のインタビューで金本選手は、「記録は足し算だから、長くやっていればいつか到達する。2500という数字より、その中で何本が勝ちに貢献できたかが大事。」と述べたとか。
つまり、俺は記録のためにやってるんじゃない、勝つためにやってるんだ!!・・・と。
いかにも優等生が言いそうな教科書どおりの答弁にも聞こえますが、一昨年に世界記録が途絶えたあとも気持ちが切れなかったこと思えば、タテマエではなく本当の気持ちかもしれませんね。
さすがは多くの後輩たちからリスペクトされるアニキ金本。
村上春樹風に言えば、「やれやれ、たいしたもんだよ、金本さん」・・・です(笑)。

ただ、少々辛口なことを言わせてもらえば、「どれだけ勝ちに貢献できたかが大事」という彼の考えに立脚すれば、ディフェンス面ではほとんど勝ちに貢献できておらず、むしろ、金本選手がレフトを守っていたために負けたゲームも少なくありません。
一昨年に痛めた右肩の棘上筋は断裂したままだと聞きますし、守備範囲も若い外野手のそれとは比較にならないほど狭く、広い甲子園の外野手としては致命的ともいえます。
「勝ちに貢献」というのは、なにも攻撃面だけじゃないんじゃないでしょうか?
そんな金本選手を引きずり下ろすような選手が出てこないから・・・といってしまえばそれまでですが、上述したように、張本、野村、王の次に名前が上がるような大選手の肩を叩くことができる人はなかなかいません。
昨今、ボロボロになるまで現役を続けることの美学、といった風潮が主流となっている感がありますが、二流選手の場合はそれもありだと思いますが、頂点を極めた超一流選手は、自らの決断で引き際を決める必要があるんじゃないでしょうか。
かつて王貞治氏は、「本塁打が打てなくなった」といって引退しましたが、最後のシーズンも30本打ってましたからね。
横綱は横綱としての相撲が取れなくなったら土俵をあとにします。
金本選手はまぎれもなく横綱だと思うんですけどね。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-29 18:06 | プロ野球 | Trackback | Comments(2)  

心に残る名曲 No.10 『コバルトの季節の中で』 沢田研二

1960年代の歌謡界に一世を風靡した双子姉妹デュオ・ザ・ピーナッツのお姉さん、伊藤エミさんが亡くなられたそうです。
謹んで哀悼の意を表します。

ザ・ピーナッツといえば、卓越した歌唱力とハーモニーの美しさでJポップス史に燦然と輝く名デュオで、『恋のバカンス』『恋のフーガ』などのヒット曲は今でも多くのシンガーにカヴァーされ、時代を超えて語り継がれている昭和の歌姫姉妹です。
「♪モスラ~ヤ♪モスラ~♪」のエキゾチックなハーモニーは印象深いですよね。
ただ、1967年生まれの私は、ザ・ピーナッツの全盛期をリアルタイムでは知らず、ヒット曲などもすべて後年に覚えたものなので、私にとって伊藤エミさんといえば、沢田研二さんの元奥さんといった印象の方が大きいですね。
というのも、私は小中学生の頃、ジュリーの大ファンでしたから。
当時、私は小学生でしたが、アイドルの恋愛はご法度とされていた時代に、その当時のトップアイドルだったジュリーが、全盛期を過ぎた7歳も年上のオバサン歌手と結婚するという発表に驚いたものです(子供の率直な感想なのでお許し下さい)。
でも、それで人気が落ちてしまうかもしれないなんてことにまったく頓着せず、自分の気持ちを素直に貫いたジュリーの姿勢を、子供ながらにカッコイイとも思ったものです。

で、この度の伊藤エミさんの訃報をうけ、ザ・ピーナッツの曲を何か1曲あげようかと考えたのですが、上述したように世代的にリアルタイムではないので、彼女たちの歌に取り立てて思い出はありません。
そこで、無理矢理ではありますが、私の好きな沢田研二さんの曲を1曲紹介したいと思います。
ジュリーとエミさんが結婚された翌年のヒット曲、『コバルトの季節の中で』です。



この曲が発売されたのは1976年で、この前年の75年に発売されたのがジュリー最大のヒット曲『時の過ぎゆくままに』で、この翌年の77年に発売されたのが、日本レコード大賞受賞曲の『勝手にしやがれ』と、ジュリーの代表曲ともいえる2つの大ヒット曲の狭間の年に発売されたのがこの曲で、ジュリーの曲の中では比較的地味な存在の歌です。
その曲調も、他のジュリーの歌のような派手さはなく、どちらかと言えば地味な、落ち着いた雰囲気の爽やかなラブソングで、ジュリーのシングル曲の中では異質な存在といっていいでしょうか。
でも、私はこの曲が好きなんですよね~。
なんて言うか、優しい気分になれるんです。

この前年に結婚したジュリーでしたが、その直後に若気の至りで2度の暴力事件を起こし、一時期自主的に謹慎生活を送ります。
その謹慎が解けて発売されたのが、この曲だったと記憶しています。
この曲を作曲したのはジュリー自身で、いろんな意味で自分を見つめ直し、再出発の思いを込めて作った曲かもしれませんね。
当時、テレビでジュリーを見ない日はないと言われたほどの売れっ子だった彼にとっては、想像するに、皮肉にもこの謹慎期間中がはじめてのエミさんとの夫婦水入らずの時間だったのではないでしょうか。
あるいは、この優しいラブソングは、新妻のエミさんのために歌った曲だったかもしれません。

そんな思いもあって、今日はこの歌を聞きたくなりました。
のちに離婚してしまう二人ですが、おそらく2人が幸せだったであろう頃の歌です。

♪ あなたを見失いたくないのです ♪

あらためて、伊藤エミさんのご冥福をお祈りします。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-28 23:55 | 音楽 | Trackback(1) | Comments(2)  

消費税増税法案の衆議院通過に思う。

消費税増税法案が衆議院で可決しましたね。
すでに民主党・自民党・公明党の3党の間で合意されていたことですから、法案の可決については誰しもがわかっていたことですが、この度注目されていたのは、民主党内からどれだけ青票を投じる造反議員がでるかでした。
結果は反対票を投じた民主党議員は小沢一郎元代表、鳩山由紀夫元総理をはじめ57名、欠席または棄権した議員が17名で、民主党政権が過半数割れする54名をはるかに超える造反がでました。
「政治生命を懸ける」と大見得を切って臨んだ野田佳彦総理でしたが、その意気込みどおり増税法案の成立は確実にしたものの、民主党内の亀裂が決定的になったことで政権運営は難航必至
まさしく、この法案成立を最後に総理の政治生命は終止符を打つことになるかもしれません。

それにしても、小沢さんはいったい何がしたいんでしょうね。
「増税の前にやることがある」
なるほど、その言葉だけ聞けばご立派なご意見ですが、とてもそんな純粋な考えからきた行動とは思えません。
「こわし屋」の異名をとり、これまで幾多の結党解党を繰り返してきた小沢氏ですが、今回また党を分裂させてまで自説を貫いて、その先にいったい何を見ているのでしょうか。
この度の小沢氏の行動に対して前原誠司政調会長は、「目先の選挙のことしか考えていない」と批判していましたが、はっきり言って今、党を割って新党を作って選挙に臨んでも、小沢新党に追い風が吹くとは思えません。
小沢さんを支えているのは小沢グループと言われる数の力ですから、民主党に残っても新党を作っても、今選挙を戦えばその子分の多数を失うのは確実で、政界での自身の影響力を保持したいならば、できるだけ野田政権を引っ張って解散総選挙を先延ばしするべく協調路線に舵を切るべきだったんじゃないでしょうかね。
今回ばかりは「目先の選挙」のことすら見誤っているように思えてなりません。
かつては「選挙の鬼」といわれた小沢さんですが、さすがにここへ来てその神通力も賞味期限切れのようです。

一方の野田総理ですが、今のところ造反議員の処分については「厳正に対応する」との言葉にとどめていますが、どうあれここは厳しい処分を下すべきでしょう。
これが小泉純一郎元総理なら、即刻造反者を除名、解散総選挙で民意を問うとともに、造反者の選挙区には刺客を送るでしょう。
あれは高い支持率の小泉政権だったから出来たことだといわれるかもしれませんが、これだけの造反者がでた以上、もはや安定した政権運営は行えません。
ならば、政党政治の原則倫理に則って造反者に厳しい処分を下し、真っ向勝負で戦って政権が倒れたなら、そのときは潔く切腹すべきですよ。
それが「政治生命を懸ける」ということではないでしょうか。

あと、小沢さんの陰に隠れていますが、ある意味ずるいのは自民党ですよね。
もともと消費税増税は自民党の案だったわけで、その“泥”を民主党が被ってくれるならむしろその方がありがたいわけで、それを難癖つけては押したり引いたり足払いしたりして政局の道具にしているだけで・・・。
政治とはそんなものだといえばそれまでですが、彼らにしてみれば、小沢さんが造反して民主党が分裂することを見越しての3党合意だったわけですよね。
自分たちの手を汚さずに消費税増税を実現して、それで民主党が分裂してくれたら一石二鳥、このまま解散総選挙に持ち込んで政権奪回といった目論見なんでしょうが、有権者はそこまで馬鹿ではないですよ。
次の選挙で民主党は確実に議席を失うでしょうが、その分が自民党に流れると思ったら大間違いで、おそらくはどの党にも追い風とならない混沌とした選挙になるんじゃないでしょうか。

国民のほとんどは、増税が必要なことはある程度理解しているんですよ。
増税は痛いけど、国に金がないんだからやむを得ないだろうと。
でも、そこへ行き着くまでのプロセスがあまりにもお粗末じゃないですか。
民主党も自民党も、野田さんも小沢さんも谷垣さんも、結局のところ彼らの頭の中にあるのは政局か選挙のことばかりで、国民の側を向いた政治を行なっている政党や政治家はほとんど見受けられません。
きっとガラガラポンしても大して変わり映えするとも思えませんし、日本の政党政治の限界がきているのかもしれません。
もっと、日本の政治のシステム自体を変えなければ、政権交代しただけでは何も変わらないんじゃないかと。
だから、まだ海の物とも山の物ともつかない橋下徹氏が率いる維新の会に注目と期待が集まるんですね。
少々過激だと思いながらも、何かを変えてくれるんじゃないかと・・・。
もっとも、3年前の政権交代のときも、そう思っていたんですけどね。

さて、選挙のためであれ政局のためであれ、法案の賛否を明確にした議員は、ある意味議員としての最低限の仕事はしました。
もっとも卑怯なのは、棄権・欠席した議員の方々です。
これこそ、自身のことしか考えてない愚行といっていいでしょう。
最後に、その方々を枚挙します。

▼棄権
【当選6回】 小沢鋭仁(山梨1)
【当選5回】 原口一博(佐賀1)
【当選4回】 黄川田徹(岩手3)
【当選3回】 篠原孝(長野1)・村井宗明(富山1)
【当選2回】 橋本清仁(宮城3)・福田昭夫(栃木2)
【当選1回】 石森久嗣(栃木1)・空本誠喜(広島4)・玉置公良(比例近畿)・宮崎岳志(群馬1)・柳田和己(比例北関東)・山岡達丸(比例北海道)
▼欠席
【当選14回】 羽田孜(長野3区)
【当選2回】 石関貴史(群馬2)・梶原康弘(兵庫5)

こんな大事な法案の採決を棄権した奴らに、国会議員として給料をもらう資格はありません。
即刻、議員辞めていただきたく思います。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120626-00000262-sph-soci

by sakanoueno-kumo | 2012-06-27 17:11 | 政治 | Trackback | Comments(2)  

平清盛 第25話「見果てぬ夢」

 平清盛太宰大弐に任命された保元3年(1158年)8月、後白河天皇(第77代天皇)は即位3年という短さで長子の守仁親王に譲位。二条天皇(第78代天皇)が誕生した。もともと後白河帝の即位は、崇徳上皇(第75代天皇)に院政を敷かせないためにとられた鳥羽法皇(第75代天皇)と美福門院得子の策謀によるもので(参照:第18話)、守仁親王が天皇の座に就くまでの中継ぎとしての即位だった。つまり、二条帝の即位は予定どおりだったのである。

 ドラマでは、後白河帝の気まぐれで譲位したかのように描かれていたが、『兵範記』平信範の日記)によれば、「仏と仏との評定」によって決したと記されており、「仏と仏」=「出家した者と出家した者」、すなわち美福門院得子信西の協議によるものだったと考えられている。天皇の側近として権勢をふるいたい信西にしてみれば、政治向きに疎い後白河帝をそのまま天皇の座に据えていた方が何かと都合がよかったかもしれないが、そもそもの後白河帝誕生の出発点に立てば(あるいはそのことを美福門院から指摘されたら)、やむを得ない譲位だったのかもしれない。ただし、このとき二条帝は若干16歳。上皇となった後白河院が院政をしくことになる。鳥羽院の死によって美福門院の発言力も衰えており、その実権は相変わらず信西の手にあった。

 しかし、信西の権力が強大なるとともに、これに恨みを抱く勢力が現れ始めたのも当然のことだった。その一人が、鳥羽院の近臣だった藤原忠隆の子で、後白河院の近臣として異例の昇進を遂げていた藤原信頼だった。信頼はこの2年弱の短期間で従四位下から正三位へ五段階上昇、官職も武蔵守から検非違使別当まで駆け上がるという飛ぶ鳥を落とす勢いの出世を遂げていた。ただし、この急速な昇進は、『愚管抄』の言葉をかりれば「アサマシキ程」の寵愛を後白河院より受けて実現したものであり、純粋に実力でのし上がったわけではなさそうである。一説には、後白河院の男色相手だったとも伝えられているが、いかがなものだろう(それが本当なら、塚地武雅さんのキャスティングはいかがなものだろう・・・笑)。その真偽はともかく、彼の異例の出世に不信感を抱く空気は実際ににあったようで、『平治物語』では彼のことを「文にもあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と散々な評価を与えている。

 寵におごった信頼は、後白河院の後ろ盾を受けてさらに上位の大臣近衛大将の官職を希望したが、信西がこれを阻止。ドラマにもあったように、信西は信頼の危険性を後白河院に伝えるべく、唐の玄宗皇帝安禄山を重用して国を滅ぼした故事を『長恨歌絵巻』に描いて、暗に後白河に諌言したほどだった(しかし、後白河院がこれにまったく気付かなかったというのも、ドラマのとおりである)。大臣・近衛大将への昇進を阻止された信頼は、信西を激しく恨むようになったと伝えられる。

 もう一人、信西に恨みを抱いていた男がいた。源義朝である。義朝は「保元の乱」における後白河方の勝利の一番の立役者であり、さらにはその戦後処理に際して信西の命令で実の父や年若い弟たちを自らの手で処刑したにもかかわらず、信西が主導した戦後の恩賞は、さして戦功があったわけでもない平家に厚く源氏に薄いものだった。この恩賞の格差を平清盛と信西の同盟関係にあると考えた義朝は、自らもこの実力者に取り入ろうと、信西の息子の一人を娘婿にもらいたいと申し入れた。しかし、信西は「わが子は学者にて武門の家の婿には相応しくない」といってこれを拒否。しかしその一方で、同じ武門の家柄である清盛の娘との縁談を進めて、義朝の面目をつぶしたと、『愚管抄』には記されている。信西にしてみれば、清盛と義朝のどちらが役に立つかを比べた当然の判断だったのだろうが、面目をつぶされた義朝が、信西に恨みを抱いたのもまた当然のことだった。

 さらに反信西勢力として、院政を否定して天皇が政治を主導する「親政」の実現を目指す一派も台頭してきた。二条帝の伯父である藤原経宗と、帝の乳母子の藤原経宗である。「信西排除」という目的で一致した源義朝、藤原信頼、藤原経宗、藤原経宗が結びつくまでに、さして時間はかからなかった。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-25 16:44 | 平清盛 | Trackback(3) | Comments(0)  

心に残る名曲 No.9 『白いパラソル』 松田聖子

先週、松田聖子さんが3回目の結婚をされたそうですね。
なんでも、お相手は聖子さんと同世代の一般の方だそうで・・・(たしか「ビビビ婚」のときも一般の方でしたね)。
どういう経緯で交際が始まったのかは知りませんが、現在40歳代の人にとって聖子さんといえば、言わずと知れた永遠の超ビッグアイドル
たぶんお相手の方も、若い頃は少なからずお世話になったことでしょう(笑)。
その頃はまさかまさか、将来そのぶりっ子アイドルが自分の嫁さんになるなんて、ゆめゆめ思わなかったでしょうね。
人生なにが起こるかわからないものです。
ご当人もそうですが、おそらく周りの友人や同級生などの間でも大騒ぎなんじゃないでしょうか。

e0158128_1504085.jpgかくいう私も、何を隠そう聖子さんに憧れていた一人です(笑)。
それも、結構熱心に応援していたくちだということは、当時の写真集エッセイ本を今も捨てずに、しかもすぐに出せるところに置いてあるという、左の写真を見ていただければわかっていただけるかと思います。
たぶん、この写真を見て「懐かしい〜」と思わず声をあげてしまった人、かなりたくさんおられると思いますよ。
保存状態も結構きれいですから、ネットオークションに出せば高値がつくでしょうか(笑)。


松田聖子さんがデビューした昭和55年(1980年)といえば私は中学2年生。
いまさら説明するまでもないでしょうが、その人気たるや大変なもので、当時の男子中学生のほとんどが、聖子ファンかアンチ聖子のどちらかでした。
アンチというのは、ある意味ファンと同じくらい興味を持っていることだと私は思いますので、つまり当時の中学生は、みんな聖子さんに何らかの刺激を受けていたといっても過言ではないと思います。
高校生になると、女子はみんな聖子ちゃんカットでしたよね(笑)。
今、10〜20歳代の若い人は、ぜひご両親の卒業アルバムを見てみてください。
女の子はみ〜んな同じ髪型ですから(笑)。

松田聖子さんの結婚祝いということで、久々に「心に残る名曲」を紹介します(ていうか、当ブログでそんなシリーズをやっていたことをすっかり忘れてました)。
聖子さんの名曲はたくさんありますが、私にとっていちばん心に残っているのは、昭和56年(1981年)にリリースされた6枚目のシングル『白いパラソル』です。



『チェリーブラッサム』『夏の扉』に続いてチューリップ財津和夫さんが作曲した3作目です。
松田聖子さんの名曲といえば、『赤いスイートピー』『スイートメモリーズ』などが人気で、おそらくこの曲をあげる人は少ないんじゃないかと思います。
私も、一番好きな曲と聞かれたら違う曲になるのですが、思い出の曲となればこの曲になります。
どんな思い出かというと、中学3年生の文化祭のステージで、一人でこの歌を歌ったんです。
従姉に借りた水玉模様のワンピースを着て、右手にハンドマイク、左手に白いパラソルを持って(笑)。
当時私は丸坊主だったのですが、家が美容院のクラスメートのお母さんに、聖子ちゃんカットのカツラを作ってもらって、振り付けも完璧に覚えて・・・。
客席は大爆笑の渦でしたよ(笑)。
当時の私は、右上の似顔絵のようなヒゲはありませんでしたが(あたりまえですね・・・笑)、中3ともなれば、一応は声変わりも終わって、ニキビ面のむさ苦しい男になってましたから。
特に女子には大ウケでした。
「カワイイ〜!!!」って(笑)・・・いやマジで(笑)。

あれから30年余り、あの聖子ちゃんが50歳なんですね(50歳でも「聖子ちゃん」と呼ばれて、しかも違和感がないのはサスガですね)。
50歳にして3度目の結婚、今度こそ幸せになって欲しいですね。
でも、結婚されたばかりでこんなこと言うのもなんですが、聖子さんなら4回目5回目があっても許されるような・・・。
先日テレビで、芸能レポーターの井上公造さんが「聖子さんのお陰でわれわれ芸能レポーターは、どれだけ飯を食わせてもらったか・・・」という旨のことを言っておられましたが、正直なところでしょうね。
良くも悪くも、彼女の生き方をリスペクトする女性ファンは多いですし、私生活も含めた彼女の人生そのものがエンターテインメントといえるでしょう。
ということは、まだまだ第4ステージ第5ステージが用意されているのかもしれません。
そのときには、同じく一般男性の私にもチャンスがあるでしょうか?(笑)
え?・・・一般男性といっても、地位名声収入も違う?
・・・言わずもがな(笑)。



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by sakanoueno-kumo | 2012-06-22 15:25 | 音楽 | Trackback | Comments(0)  

平清盛 第24話「清盛の大一番」

 保元の乱後、政治向きに疎い後白河天皇(第77代天皇)のもとで中央政界の実権を握った信西は、自身の構想する天皇権威の復権を目指して体制を整えるべく、「保元新制七箇条」を発令した。その内容は、火災で失われていた大内裏の再建、税収を上げるための諸国の荘園整理神人・悪僧の統制などの諸改革。信西は、保元の乱で落命した政敵・藤原頼長よりも、さらに具体的で発展的な構想を持っていた。

 信西の手腕をうかがえる逸話として、大内裏の再建における『愚管抄』の記述を引用すると、
 「ハタハタト折ヲ得テ、メデタクメデタク沙汰シテ、諸国七道スコシノワズライモナク、サハサハト二年ガ程ニツクリ出シテケリ。ソノ間手ヅカラ終夜算ヲオキケル。」とある。
 意訳すると、大内裏の再建に際して信西は、自ら夜な夜な算盤をはじいて、再建経費が諸国の負担にならないように公平に分配し、2年足らずの短期間で民の不満もなくこれを成し遂げた・・・と。とにかく信西の采配は、メデタシメデタシの沙汰だった・・・というのだ。少々べた褒めすぎる気がしないでもないが、政局にあたっては腹黒い野心家のイメージが強い信西だが、行政家としての彼は、清廉で公正な理想家だったのかもしれない。

 その再建された内裏で、信西は長らく行われていなかった内教坊の舞姫の楽や、相撲節会(すまいのせちえ)などの古儀の復興を行った。「相撲」とは文字通り現代に通ずる「すもう」のことで、「相撲節会」とは、各地から相撲人を選出し、天皇御覧の元に国家安泰五穀豊穣を祈って行う大規模な天覧相撲大会のこと。古くは奈良時代の聖武天皇(第45代天皇)の時代の記録にも残されているという伝統ある宮廷行事だった。しかし、平安時代の後期には衰退していて、保元3年(1158年)と承安4年(1174年)に散発的に行なわれたのを最後に、宮廷行事としての相撲は廃絶したという。ドラマで描かれていた相撲節会は、この保元3年に行われたものである。

 ちなみにドラマの相撲節会で優勝した力士・長門を演じていたのは、現役力士で山口県出身の豊真将関。大河ドラマに現役力士が出演するのは初めてのことだとか。まわしも当時の形を忠実に再現したもので、取組も、立ったままの立ち合いという平安相撲をそのまま描写したそうだ。本当に平安相撲に忠実だったかどうかは私にはわからないが、いくらディテールにこだわっても、取組自体に迫力がなければリアリティは描けない。その意味では、さすがは豊真将関だったと思う。ただのデブを起用していたら、きっと台なしになっていたことだろう(笑)。

 相撲節会の復興を平清盛が手伝ったという記録は残っていないが、大内裏の再建には大きく貢献していた。仁寿殿の造営を任された清盛は、ドラマのとおり公卿昇進とはいかなかったものの、長男の平重盛がその譲りによって正五位下となった。また、貞観殿の造営を担当した清盛の弟、平頼盛従四位下に、また、平教盛平経盛らも、それぞれ位階の昇叙があった。そして清盛自身は、播磨守から太宰府の実質的な長官である太宰大弐にとなった。太宰大弐という役職は、通常は三位の公卿が就任する高官である。これにより、清盛の政界での存在感は、さらに大きなものとなっていった。
 
 「私には嫡男としての覚悟がござりません。一門のためとはいえ、大叔父上を己が手で斬ることができる父上の、それを命じた信西入道と平気で働ける父上の、跡を継げるだけの肝が据わりません!」
 「さようか。お前の考えはようわかった。だが、お前の戯言につきおうておる暇はない。つべこべ言うておらず、早う婚礼を済ませ、子でももうけよ!」

 父・清盛のやり方に疑問を抱く生真面目な重盛と、そんな息子の気性を理解した上で一蹴する清盛の会話。のちに「平家の良心」とよばれる聖人君子の重盛と、清濁併せ呑む清盛。『平家物語』では、専制君主の清盛をただ一人諌めることができた良識人が重盛だったと伝えられる。このとき重盛は19歳。アイデンティティを持ち始める年齢だ。信西と父のやり方に反発するドラマの重盛像は、あながち的外れではないかもしれない。

 平家の財力武力を借りて権力を拡大していった信西。その信西の引き立てによって出世を重ねた清盛と平家一族。この時期、信西と清盛はお互いがお互いを頼りにした、あるいは利用した、いわゆるギブ・アンド・テイクの関係だった。しかし、その関係が長くは続かなかったことは、歴史の知るところである。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-18 23:45 | 平清盛 | Trackback(2) | Comments(0)  

高橋克也と菊地直子両容疑者の逮捕に学ぶ、あてにならない手配写真。

今月3日、地下鉄サリン事件で特別手配されていた元オウム真理教信者の菊地直子容疑者が逮捕されたことで、野田第2次改造内閣発足のニュースが見事に影に隠れてしまいましたが、あれから11日経った昨日、今度は、消費税増税法案に向けて民主・自民・公明の3党が合意したというニュースをかき消すかの如く、オウム事件の最後の逃亡者だった高橋克也容疑者が逮捕されました。
野田佳彦総理にとっては「政治生命をかける」とまで大見得を切って臨んでいた増税法案ですが、どこまでいっても地味で陽の当たらない内閣です。
増税法案はとりあえず1歩前進といったところでしょうが、オウム事件の方は、高橋容疑者の逮捕によって事件に関与したとされる元信者19人すべてが逮捕されたことになり、一連の事件に一応の決着を見たといっていいでしょうか。
昨年末に自首した平田信容疑者も含めた彼ら3人は、事件直後に逮捕された他の信者たちとは違い、17年間の逃亡生活の中で、客観的に見えてきたものがきっとあるはずです。
この17年間に彼らの捜査のために費やした労力や経費は莫大なもの。
ある意味、事件直後に逮捕された他の16人より重罪と言っていいかもしれません。
そのせめてもの罪滅ぼしは、単に刑に服すだけではなく、まだまだ謎だらけのオウム事件の真相解明に繋がるような証言をすることではないでしょうか。
17年間もの長きに渡って逃亡を続けた彼らが、こののち法廷でどのような証言をするのか注目したいと思います。
いずれにせよ、事件に関わった信者がのうのうと逃げ延びているという状況はなくなったわけで、それだけでも被害者や遺族の方々にとっては、大きな節目となったこの6月だったのではないでしょうか。
やはり、天網恢恢疎にして漏らさずです。

それにしても、今回の菊池容疑者と高橋容疑者の逮捕で、年月が経ってしまった手配写真がいかにあてにならないものであるかがわかりましたね。
高橋は眉毛や目など、かつてのイメージと随分変わっていましたし、菊池容疑者にいたってはほぼ別人と化していました。
あの変わりようは、肉親でもわからなかったのではないでしょうか。
でも、考えてみれば驚くことでもなんでもなく、自分自身に置き換えて考えてみても、17年前とはずいぶん変わってますし、17年以上疎遠の人と町ですれ違ったとしても、きっと私だとわからないでしょう。
私はこの20年で10キロ以上太りましたし、ヒゲも生やして髪の毛も白いものが目立つようになり、歯並びも変わりました。
私と親しくしていた人でも、ひと目で私とわかることはまずないと思います。
時折、何年経っても変わらない人もいますが、そんな人は稀といってもいいでしょうし、ましてや、当時親しかったわけでもない人が当時の写真だけを見て人物を特定することなんて、ほぼ不可能なんじゃないかと思います。

e0158128_20411144.jpg事件発生直後ならともかく、ある程度年月が経ってから、手配写真や似顔絵などを手がかりとして逮捕に至った例がどれほどあるのか知りたいところですね。
有名なところでは、グリコ森永事件のあのキツネ目の男の似顔絵や、3億円事件の警官のヘルメットをかぶったモンタージュ写真などのように、そのイメージがあまりにも強烈に刷り込まれすぎて、逆にアダになってしまったかもしれない例はたくさんあるんじゃないでしょうか。
この度の高橋容疑者についても、菊池容疑者逮捕以降、履歴書の写真似顔絵監視カメラの映像など多数の情報が公開されていましたが、そのどれもが共通性に乏しく混乱を招きかねないものでしたし、もしそのどれもが現在の彼とかけ離れたものだったとしたら、かえって彼の逃亡の手助けになるんじゃないかと懸念していました。
だって、先日まで同じ職場で働いていた同僚ですら、写真も似顔絵もイメージが違うとインタビューで答えていましたからね。
イメージが違うんだったら、公開しないほうがいいんじゃないの・・・と。

でも結局は通報により捕まったみたいですね。
ただ、通報を受けて現場に行った警察官は、あまりにも写真とイメージが違っていたため、最初は職務質問するのを躊躇したとか。
最初に通報した人は、よく気がついたものです。
ということは、曲がりなりにも手配写真が役に立ったということでしょうか。
いずれにせよ、この度の件でわかったのは、手配写真にはあまり固執しないほうがいいということです。
写真は嘘を写せる・・・覚えておいたほうがいいかもしれません。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-16 20:14 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

あだち充の名作『タッチ』の続編的作品『MIX』の新連載に思う。

1980年代に大ヒットした漫画『タッチ』の続編的な作品の連載がスタートして話題になっているようですね。
ゲッサンで始まったあだち充氏原作の野球漫画『MIX』は、あの『タッチ』の登場人物たちが通った明青学園の26年後を舞台として、2人の兄弟を主人公とする物語だそうです。
さすがに80年代を代表する作品の続編とあって、第1話が掲載されたゲッサン6月号が増刷するほどの人気となっているらしく、一部で入手困難となったため、ゲッサン7月号と週刊少年サンデーの28号に再掲載されるそうです。
一度掲載されたマンガが、数年以上経過してから“復刻”という形で掲載されることはあっても、1カ月という短期間で再掲載されるのは極めて異例のことだそうで・・・。
『タッチ』の人気は、四半世紀を超えて未だ根強いようですね。

e0158128_11252268.jpg私も何を隠そう(別に隠すことでもないですが)、『タッチ』の熱烈なファンの一人です。
昭和56年(1981年)に週刊少年サンデーで『タッチ』の連載が始まったとき私は中学3年生で、ちょうど上杉達也・克也兄弟や浅倉南と同い年でした(のちに漫画の中の彼らは、高校3年生の数ヶ月を1年以上かけて描かれたため、いつの間にか私よりひとつ年下になっていましたが)。
←買い揃えた単行本全26巻はすべて初版のものですし、今でも本棚の目立つ場所を占領しています。
私にとって『タッチ』は、15歳から19歳という多感な時代を共に生きた青春のバイブルといっても大げさではないかもしれません(クサイ言い方でスミマセン)。
ですから、『タッチ』の続編と聞けば無関心ではいられないわけですが、一方で、名作は名作としてそのままにしておいてほしい・・・といった思いもなきにしもあらずです。
続編といえば、たいていの場合オリジナルを超えることはなく、描き方によってはオリジナルの価値を下げる可能性もあるからです。
かつて、ラブコメブームの元祖と言われた昭和のヒット作で、柳沢きみお氏原作の『翔んだカップル』という作品がありましたが、続編に継ぐ続編で不評を買い、せっかくの名作に傷をつけてしまったという悪しき例も存在します。
南と達也の関係はその後どうなったんだろう?・・・達也はあのあと野球を続けたんだろうか?・・・そんな想像を想像のままにしておいて、答えを出さないほうがいいと思うんですよね。
あの物語は、あそこで終わっているからこその名作なんじゃないかと・・・。

漫画でも小説でも、それから音楽などにもいえることですが、その著作権を持っているのは作者ですが、公に発表した作品というのは、作者の所有物ではなく読者やファンのものでもあると思うんですね。
だから、たとえ著作権を所有している作者といえども、安易にさわるべきではないと思うんです。
特にミュージシャンなんかによくあることですが、何年か経って過去のヒット曲のアレンジを変えてリメイク版を発表したりしますが、あれってほとんどの場合オリジナルを超えることはありません。
アーチストにしてみれば、それが若い頃の作品だったりすると、演奏やアレンジ等の拙さが目に付くようになるみたいで、スキルアップした今の自分を伝えるべくリメイクしたくなるみたいですが、それって結局は作者のマスターベーションに過ぎないと思うんですよ。
ファンにしてみれば、その時代に聴いたそのままのアレンジ、そのままの歌声に思い出がいっぱい詰まっているわけで、それを断りなく(笑)リメイクして、こっちのほうがいいよ・・・っていわれても、それは作者の自己満足の押し付けでしかないんですよね。
著作権を持っている作者にしか与えられていない権利だけに、ファンが何を望んでいるかをしっかりと踏まえた上で、続編なりリメイク版なりの制作に臨んでほしいものですし、それがわからない場合は、安易にさわるべきではないと思います。

まあ、その辺りのことは、おそらくあだち充さんの場合はちゃんとわかっている漫画家さんだと思いますので、決してオリジナルに害を及ぼすような作品は描かないと思っています。
続編といっても、直接的な続編ではなく、同じ明青学園が舞台というだけで、物語としてはまったく新しいものなのでしょう。
ただ、何らかのかたちで『タッチ』と話がつながっている・・・でもきっと、あだち充さんのことですから、できるだけ直接的な言葉や描写を避け、さり気なく読者に伝えるような描き方をするでしょうね。
それは『タッチ』のなかで、柏葉監督が言った「新幹線の時刻表はありますか?」という台詞だけで、目の手術が成功したことを伝えたように・・・。
さらには、『タッチ』の最終話のラストシーンの最後のコマで、棚の上に飾った甲子園優勝の記念皿だけですべてを語ったように・・・。

なんか、また最初から読み直したくなってきました(笑)。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-14 10:54 | 映画・小説・漫画 | Trackback | Comments(0)  

平清盛 第23話「叔父を斬る」

 後白河天皇(第77代天皇)方の勝利で幕を閉じた「保元の乱」。その戦後処理を一手に引き受けた信西は、敗者への苛烈極まりない処分を断行していった。まず、仁和寺において拘束された崇徳上皇(第75代天皇)を讃岐国に配流。天皇もしくは上皇の配流は、奈良時代に起きた「藤原仲麻呂の乱」における淳仁天皇(第47代天皇)の淡路配流以来、およそ400年ぶりのことだった。敗軍の将とはいえ、既に出家を果たしており、また上皇という高貴な身分を考慮するなら、京のしかるべき場所に幽閉される程度の刑に留めおかれると思われたが、処分は遠国に流罪という予想外に厳しいものだった。後白河帝を頂きに権勢を振るいたい信西としては、力を失ったとはいえ上皇という立場にある崇徳院の息の根を完全に止めておきたかったのだろう。

 また信西は、これを機に藤原摂関家の弱体化をはかった。崇徳院方の参謀だった藤原頼長は、奈良の興福寺にいた父・藤原忠実に助けを求めるも拒否されて自害(参照:第22話)。忠実にしてみれば、頼長に連座して罪人になることを避けるための苦渋の選択だった。しかし、信西は忠実を罪人として扱い、洛北にある知足院に幽閉。崇徳院のように流罪とならなかったのは、79歳という高齢が主な理由だったようである。そして信西は忠実、頼長が持っていた摂関家領を没収。後白河方についていた関白・藤原忠通が残っているとはいえ、摂関家の事実上の総帥だった忠実の管理する所領は膨大なものであり、没収されることになれば摂関家の財政基盤は崩壊の危機に瀕する。『保元物語』によれば、忠実の断罪を主張する信西に対して忠通が激しく抵抗したという逸話があり、摂関家の弱体化を目論む信西と、権益を死守しようとする忠通の間でせめぎ合いがあった様子がうかがわれる。

 その他、頼長の息子たちを始め、崇徳院方についた公家の多くが流罪に処せられたが、その武力となって前線で戦った武士たちへの処分はより苛烈なもので、源氏では源為義とその4人の息子たち、平氏では平忠正とその4人の息子たちに対して信西は、大同5年(810年)の「薬子の変」を最後に、およそ350年行われていなかった死罪を言い渡した。しかもその刑の執行を、源氏、平氏のそれぞれの棟梁である源義朝平清盛に命じたのである。ドラマでは、義朝、清盛ともに刑に不服を申し立てていたが、実際に助命を嘆願していたと伝えられるのは義朝だけである。清盛と忠正は、もともと平氏内でも対立関係にあった。義朝と為義も対立していたという点では同じだが、叔父と甥、父と息子では関係の深さが違いすぎる。さして仲の良くない叔父一族を斬った清盛に比べて、実の父や年若い弟たちに手をかけた義朝の心痛は並々ならぬ大きさだったといえよう。

 断腸の思いで父と弟たちを処刑した義朝だったが、歴史書として信憑性が高いとされる『愚管抄』によると、
「為義は義朝がり逃げて来りけるを、かうかうと申ければ、はやく首を切るべきよし勅定さだまりにければ、義朝やがて腰車に乗せてよつつかへ遣りてやがて首切りてければ、『義朝は親の首切りつ』と世には又ののじりけり。」
(意訳:為義は義朝のもとへ逃げてきたのを、義朝が朝廷に報告すると、速やかに斬首にするよう帝から命令が下されたので、義朝は為義を輿に乗せて、よつつか(地名?)へ連れて行って間もなく首を刎ねたので、『義朝は親の首を斬った』と世の人々は騒ぎ立てた。)

とある。実の親を斬った義朝への世間の風当たりは強かったようだ。

 一方で『保元物語』では、義朝は自分で斬ることができず、側近の鎌田次郎正清に命じたと書かれている。ドラマは、この説をベースにアレンジしたのだろう。念仏を唱えながら斬首を待つ描写も、同物語からの引用のようだ。さらに同物語では、清盛は自分が忠正を斬れば、義朝も為義たちを斬らざるを得なくなることを見越して、すすんで叔父の処刑に踏み切ったと記されている。ドラマでは同時進行となっていたが、実際には為義たちの処刑は忠正たちの処刑の2日後のことで、たしかに、それが義朝に刑の執行を決断させることになったのかもしれない。平氏にとってはこの刑はさほど痛手ではなく、むしろ清盛にとっては、かねてから意見が合わなかった傍流を始末するいい機会だったと言えなくもない。一方の源氏は、義朝自身は昇進したものの多くの兄弟を失うこととなり、勢力の弱体化は避けられなかった。それこそが、信西のねらいだった。摂関家を武力で支えた源氏の勢力を削ぐことは、とりもなおざず摂関家の弱体化につながる。忠正は、いわばそのダシとして処刑されたといっても過言ではないかもしれない。その策謀に清盛が一役買っていたかどうかは定かではないが・・・。

 いずれにせよ、貴族は流罪、武士は死罪という処分に、清盛は何を感じただろうか。保元の乱によって武士の力をまざまざと見せつけたとはいえ、世の慣らいは依然として武士を見下したものだった。しかし、武士の世はもうすぐそこまで来ていた。そのことを、清盛はこの頃から少しずつ感じ始めていたかもしれない。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-11 16:03 | 平清盛 | Trackback(2) | Comments(2)  

AKB48総選挙とAKB商法について思う。

先日のAKB48総選挙の話題を少しだけ。
昨日までは当ブログでは触れないでおこうと思っていたのですが、昨日は1日中テレビでもラジオでも新聞でもこの話題ばかりで、さらにはNHKのニュースまでもが大きく取り上げていたことを受け、さすがに無視して通るわけにはいかないと思い至りました。
ここまで来ると、ただの芸能ネタの域を超えて一種の社会現象と受け止める必要がありそうです。

AKB48の顔だった前田敦子さんの辞退にはじまった今年の総選挙ですが、結果は順当に大島優子さんがダントツの1位だったようですね。
私の贔屓の篠田麻里子さんは5位でした(笑)。
ショックだったのは、2位、3位、4位の子たちをまったく知らなかったことです(苦笑)。
私がなんとか顔と名前が一致するのは、前田敦子さん、大島優子さん、篠田麻里子さん、高橋みなみさん、板野友美さんの5人だけで、他にもかろうじて顔だけわかる子が何人かいましたが、2位から4位の3人は顔も名前もまったく知らず、あらためて自分が社会についていけないことを自覚しました(苦笑)。
まあ、先日発表された野田改造内閣の新閣僚5人も、森本敏防衛大臣以外は知りませんでしたから、似たようなものでしょうか?(笑)

私が帰宅したのは9位の発表のときで、それ以降のことしかわかりませんが、それぞれのスピーチを聞いていて思ったのは、やはり古いメンバーの子たちは言うことが違うな・・・と。
篠田麻里子さんの「潰すつもりできてください」という力強い発言や、大島優子さんの「この景色をもう一度見たかった」という気持ちの入った言葉も印象的でしたが、私が一番感動したのは、リーダーの高橋みなみさんの「私にとって努力は無限大の可能性です」というスピーチでした。
以前から思っていたことですが、彼女は、リーダーという立場でマイクを向けられることが多いせいもあるかもしれませんが、いつもコメントが堂に入っているというか、とにかく素晴らしいんですよね。
喋りだけを聞いていると、とても20歳そこそこの女の子とは思えない。
かつて秋元康氏は、「AKB48とは高橋みなみのことである」という旨のことを言ったと聞きますが、なんとなくわかるような気がします。
グループ内での自身の立ち位置をちゃんとわかっていて、目立ちすぎず控えめすぎず、それでいて芯が強く自分というものを持っていて、自分のこともグループのこともちゃんと客観視できているような・・・。
ちょっと過大評価かもしれませんが、これだけ大勢の、しかもアイドルを目指すような勝ち気な女の子たちが集まった集団で、摩擦が起こらないわけがないと思いますが、それを束ねることができるのは、おそらく彼女のような娘じゃないと無理なんでしょうね。
彼女はきっと、ブームが去っても芸能界に残っているような気がします。

よく、10代20代の女の子を順位をつけて競わせるようなやり方はどうなのか・・・といった批判的な声も聞きますが、私はこれはこれでいいんじゃないかと思いますよ。
だって、一般の社会でも競争は必ずありますし、10代の子のでいえば、受験部活動でもそうですよね。
同じ野球部で一緒に甲子園を目指す仲間でもあり、同時に9つしかないレギュラーポジションを争うライバルでもある・・・AKBと同じです。
彼女たちの場合、全国のファンの注目のなかで競うわけですから、めちゃめちゃ精神がたくましくなるでしょうね(笑)。
古いメンバーの子たちの言葉に重みがあるのは、そうやって鍛えられた心の言葉だからでしょうね。

ただ、「AKB商法」と呼ばれるCDの販売方法については、私も快く思っていません。
昨今のCDが売れない音楽ソフト市場の現状からいえば、彼女たちのCDは業界の方々の飯の種になっているのでしょうし、経済効果の観点でいえば悪いことではないのかもしれませんが、1人でCDを何十枚も買って投票券だけ抜き取って捨てるといったケースもあったりするそうで、そんなことを聞けば、なんか違うような気がしてなりません。
あくまで「おまけ」だったはずの投票券がメインになって、CDのほうが「おまけ」になっているようで、それってどう考えても本末転倒なんじゃないの?・・・と。
つまりは、グリコの「おまけ」だけを取ってキャラメルを捨てるってことですよね。
違法ではないのかもしれませんが、ファンたちの「好き」という気持ちを食い物にするようなビジネスモデルは、あまり褒められたものではないんじゃないでしょうか。
だいいち、楽曲の制作にたずさわった方々はどう思っているのでしょう?
こんな方法でヒットチャートの上位に入って、はたして満足できるのでしょうか?
投票券だけ抜き取って捨てられたCDのことを思えば、きっと複雑な気持ちだと思いますけどね。

あと、総選挙そのものについてですが、これって本当にフェアな選挙なんですかね。
以前の拙ブログでも述べましたが、(参照:AKB48の前田敦子さんの脱退表明に思う。)公正な選挙管理委員会をおいて行なっているわけでもなく、違反したからといって公職選挙法違反の罪を問われるわけでもない(笑)。
穿った見方かもしれませんが、秋元氏のさじ加減ひとつで、順位なんてどうにでもなるんじゃないかと。
ちょうど前田敦子さんが抜けることで、大島さんのライバルとなる新しいスターがほしいところ。
私が秋元氏だったら、ぜったいシナリオを作りますけどね。
大島優子の地位を揺るがす新星○○○、今回は惜しくも届かず2位、次回こそは?!
・・・みたいな(笑)。
でも、もし本当に出来レースだったら、ひとりで何百枚も買い込んだ人が浮かばれませんよね(笑)。
筋書きのないドラマだからこそ、これだけ多くの支持を得ているのでしょうか?
でもでも、筋書きのないドラマに見せかけた筋書きだったりして・・・?
あんまり穿ったことばかり言ってると熱心なファンからお叱りのコメントを受けそうなので、この辺にしておきます(笑)。

今回の総投票数は過去最高の138万票だったそうです。
第1回のときに1位だった前田敦子さんの獲得票数が5000票ほどだったそうですが、この5000票をこの度の総選挙に当てはめると60位にも入らないそうで・・・。
それを聞けば、この2~3年で彼女たちがどれだけ世間の注目を浴びるようになったかがわかりますね。
老若男女を問わず、興味があろうがなかろうが、これを観ていないと翌日の学校や会社での話題についていけない・・・そんなTV番組なんて、ワールドカップやWBCのようなスポーツの国際大会以外に、近年ではなかったんじゃないでしょうか。
その意味では、AKB48はまさしく日本の芸能史の一時代を築いたといえるのでしょうね。
ただ、あまりにも加熱しすぎると冷めるのも速いというのは、ピンク・レディーおニャン子クラブなどの歴史が示すとおりです。
まあ、秋元氏のことですから、そんなことは充分に計算に入っているでしょうけどね。

冒頭で少しだけと言っておきながら、めちゃめちゃ長文になってしまいました(汗)。
実は私もAKB48オタクだったのでしょうか・・・(恥)。


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by sakanoueno-kumo | 2012-06-08 15:32 | 芸能 | Trackback(5) | Comments(4)