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心に残る名曲 No.13 『旅姿六人衆』 サザンオールスターズ

サザンオールスターズ活動再開が発表されましたね。
当ブログでも何度かお話したことがありますが、私は35年前のデビュー当時からサザンの大大大大大ファンでして、この度の復活はとにかく嬉しい限りです。
2008年の夏に無期限の活動休止に入ったサザンでしたが、あのときの彼ら言う「無期限」という言葉のニュアンスからして、こんなに早く再開されるとは思っていませんでした。
あるいは、今後再開する日は訪れないんじゃないかとすら思ったりもしてて・・・。
おそらく、桑田佳祐さんの病気東日本大震災など、活動休止に入る前には想像だにしていなかった出来事が次々に起こり、そんな濃密な5年間が、この度の再開につながったのでしょうね。
この夏は全国5ヵ所で野外スタジアムツアーを行うそうですが、予定を見みてみると、わがまち神戸があるじゃないですか!!!(おそらく、宮城と同様、被災地の活性化という彼らのメッセージが込められているのでしょうね)。
チケットが手に入れば、ぜひ行きたいですね。

で、今日は久しぶりにサザンの曲を紹介しましょう(サザンの曲はユーチューブにはあまり見当たらないんですけどね)。
昭和58年(1983年)、私が高校2年生の夏にリリースされたアルバム『綺麗』のラストに収録されている曲、『旅姿六人衆』です。



なぜこの曲を選んだかというと、ある時期からこの曲はサザンのライブでは演奏されなくなった曲で、おそらくこの夏のツアーでも演奏されないだろうと思ったからです。
タイトルの『六人衆』とは言うまでもなくサザンのメンバーたちを指し、全国のライブツアーを回る彼ら自身の旅姿を歌った曲なんですが、いまのサザンは「五人衆」で、ひとり足りません。
そう、リードギターの大森隆志さんが2001年に脱退して以降、演奏されてないんですね。

私は5年前にサザンが無期限活動休止に入ったとき、もし再び活動する日が来るとすれば、そのときは、きっと大森氏も加えた六人衆での復活だと思っていました。
ところが、残念ながら今回も五人衆でしたね。
きっと、今回のツアーでもこの曲が演奏されることはないでしょう。

大森氏が抜けた理由は様々な憶測が囁かれていますし、その後の彼の行動を見ても、決して褒められたものではなく、再びサザンのメンバーとしてステージに立つことは難しいのかもしれません。
でも、ロックバンドにとってリードギターは要のパートでありながら、大森氏が抜けたあとギターの新メンバーを補充していないことから見ても(レコーディングやツアーは、ずっと助っ人対応)、「サザンのリードギターは大森氏以外にあり得ない」という、残った五人衆の意思表示なんじゃないでしょうか。
いつでも帰ってこれるように、ずっと場所を空けているのかなあ・・・と。

いつの日か、サザンのステージで『旅姿六人衆』が演奏される日の来ることを願ってやみません。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-26 16:12 | 音楽 | Comments(0)  

八重の桜 第25話「白虎隊出陣」 〜母成峠の戦いから十六橋の戦い〜

 奥羽越列藩同盟の瓦解によって枝葉刈りをほぼ終えた新政府軍は、いよいよ根本である会津藩鶴ヶ城下への突入を目指し、慶応4年(1868年)8月20日を期して進撃を開始。二本松を出陣した新政府軍約2000人は、会津国境のひとつ石筵口から母成峠に迫ります。母成峠を超えて猪苗代まで進めば、鶴ヶ城下まではもうわずか。新政府軍の指揮をとっていた土佐藩・板垣退助と薩摩藩・伊地知正治は、ここを突破して一気に鶴ヶ城下に攻め込む狙いでした。

 迎え撃つ会津藩側も、石筵口防衛のため母成峠を固めます。さらに、旧幕府歩兵奉行・大鳥圭介率いる伝習隊土方歳三率いる新選組も援軍に加わり、仙台、二本松藩兵の残党も守備に加勢しました。しかし、その数約800人。新政府軍との兵力の差は歴然としており、21日に両軍は激突するも、濃霧のため敵の発見が遅れたことも重なって、あえなく母成峠を突破されてしまいます。

 母成峠を破った新政府軍は、土砂降りの雨のなかを怒涛のように進撃。22日の夕方には先鋒隊が猪苗代湖北岸にある十六橋にたどり着きます。この十六橋を渡って戸ノ口原滝沢峠を超えれば、鶴ヶ城下は目前です。この橋が破壊されると、大きく迂回するか湖水を渡らなければ、会津には入れません。双方にとって勝敗を決する重要な橋でした。会津藩の猛将・佐川官兵衛も、もちろんこの橋の重要性は理解していたでしょうが、橋の破壊の指令が遅く、土工兵が橋げたの破壊を開始したとき、薩摩藩・川村与一郎率いる先鋒隊の銃撃を受け、たちまち橋を占領されてしまいました。出足の遅れが致命傷でした。橋の重要性を熟知しておきながら、なぜ破壊の指示がおくれたのでしょう? 「今やろうと思ってたのに〜!」ではすみません。勇猛果敢な猛将として知られる佐川官兵衛ですが、指揮官としての無為無策っぷりが露呈した戦だったといえます。

 十六橋をめぐる攻防戦が始まる少し前、会津藩前藩主・松平容保は城を出て滝沢峠の麓にある滝沢村に向かいました。その護衛として白虎隊士中隊も同行します。白虎隊は16歳から17歳の少年たちで構成された部隊というのは周知のところだと思いますが、さらに隊は士中隊、寄合隊、足軽隊と分かれていて、容保に同行した士中隊は、上級武士から構成される部隊です。その分、武士としての気位覚悟も植え付けられていたでしょう。

 容保が滝沢に本陣を置いてまもなく、戸ノ口原で新政府軍と交戦中の正奇隊、敢死隊、遊撃隊苦戦しているという報告が入り、援軍の要請を受けます。しかし、残っていたのは老年の藩士たちと白虎隊の少年たちだけでした。援軍の要請を受けた容保は、悩みに悩んだ末、白虎隊の出陣という苦渋の決断をします。本来、白虎隊は予備兵力でした。出陣を命じられた白虎隊士中二番隊は、日向内記を隊長とする42名の少年たち。敵は鶴ヶ城から約二里のところまで迫っており、兵力も戦況も劣勢のなか、予備兵力でしかも戦経験のない少年兵たちを送り込んでも「焼け石に水」であることは、火を見るより明らかでした。にもかかわらず白虎隊に出陣命令を下した容保。苦渋の決断というには、あまりにも浅はか短絡的としかいいようがありません。容保にしても官兵衛にしても、そんな会津軍執行部の無為無策によって、多くの尊い命が失われて行くんですね。戦場において、指揮官の無能ほど大罪はありません。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-24 19:12 | 八重の桜 | Comments(0)  

映画『フィールド・オブ・ドリームス』鑑賞記 その3 〜黒い霧事件〜

昨日の続きです。
「ブラックソックス事件」といえば、日本のプロ野球でも思い出される事件がありますよね。
昭和44年(1969年)から昭和46年(1971年)にかけて発生した「黒い霧事件」です。
あちらがマフィア絡みの事件なら、こちらは暴力団が絡んだ野球賭博のための八百長事件
この一連の騒動で、多くのスター選手が永久追放処分や長期間の出場停止などの厳罰を受け、プロ野球人気の低下、ひいては西鉄ライオンズ東映フライヤーズ球団売却へと影響を及ぼしたという、ある意味「ブラックソックス事件」より大ごとになってしまった、日本プロ野球史に残る汚点です。
処分を受けた選手を枚挙すると、事件の発端となる八百長事件を起こした永易将之氏をはじめ、池永正明氏、与田順欣氏、益田昭雄氏、小川健太郎氏、森安敏明氏らが永久追放、村上公康氏、船田和英氏、葛城隆雄氏らが1年間の出場停止、桑田武氏が3ヶ月の出場停止、坂井勝二氏が無期限出場停止、土井正博氏、成田文男氏らが1ヶ月の出場停止や謹慎処分、その他、訓告や戒告では江夏豊氏、三浦清弘氏、基満男氏といったビッグネームもいました。

e0158128_22513985.jpgそんな中、「ブラックソックス事件」におけるジョー・ジャクソン的な存在として、ファンから永久追放処分を惜しまれ、事件の象徴的存在となったのが西鉄ライオンズのエース・池永正明投手でした。
高校野球の甲子園大会から注目されていた池永投手は、西鉄入団1年目から20勝をあげて新人王に輝き、3年目には23勝をあげて最多勝利投手のタイトルを獲得。
すでに黄金時代が過ぎた西鉄ライオンズにあって、「鉄の男」と呼ばれた稲尾和久投手の跡を継ぐ新しいエースとして、ファンの期待を一身に受けていました。
しかし、5年目のシーズンを終えたオフに「黒い霧事件」が発覚。
チームメイトの永易将之投手にはじまって、次々に八百長に関与した疑いのある選手の名前が浮上し、その中に池永投手の名前もあたんですね。

最初は否定していた池永投手でしたが、後に元チームメイトの田中勉投手から金を受け取ったことを認めます。
先輩の田中投手から無理やり金を押し付けられたため断りきれず、やむなく金は受け取ったものの、八百長の依頼には一切応じなかったと彼は主張し続け、刑事事件としては不起訴処分となったものの、プロ野球機構の裁断としては、お金を受け取った時点で「クロ」と判断し、永久追放処分としました。
この点も、ジョー・ジャクソンと同じですね。
池永投手は選手生活5年のこの時点で99勝をあげており、このままのペースでいけば300勝も夢ではないほどの大投手となり得たわけで、追放処分後も彼の才能を惜しむ声があとを絶ちませんでした。
今で言えば、楽天の田中将大投手や広島の前田健太投手が突然永久追放になったようなものですから、当然のファン心理ですよね。
でも、その声は受け入れられることなく、しかしその後も池永氏は、「グラウンドでは不正をしていない」と一貫して主張し続け、そんな彼の復権を望む声はさらに高まり、処分取り消しを求める署名活動等の運動がたびたび行われました。
そしてその甲斐あってか、事件から35年経った2005年、ようやくプロ野球界に復権することが許されました。
これを「遅すぎた」という人もいますが、どうでしょうね。

刑法上は「疑わしきは罰せず」ですが、組織の倫理上は「李下に冠を正さず」なんですね。
とりわけフェアを原則とするスポーツの世界ならば、なおさらのことでしょう。
ジョー・ジャクソンにしても池永氏にしても、八百長に与したかどうかの真相は本人にしかわからないことで、金を受け取った時点でアウトというのは、至極当然の裁断だったと私は思います。
ただ、永久追放といった厳しい処分が妥当だったかといえば、難しいところですね。
永久追放とは極刑、つまり刑法で言えば死刑ですから。
ジョー・ジャクソンはともかく、池永氏はまだ25歳という若さで、しかも先輩から強引に誘われたという事情を考慮すれば、情状酌量の余地はあったようにも思えます。
でも、その後もメジャーリーグや韓国、台湾野球リーグなどで八百長事件が後を絶たないのに対して、日本プロ野球界では「黒い霧事件」以降、40年以上もその種の事件は起きていないことを思えば、あのとき断固として厳しい処分で臨んだ実績が、その後の教訓となって日本プロ野球界に息づいているのかもしれません。
幻の300勝投手・池永正明。
ある意味これも、彼がプロ野球界に残した功績といえるでしょうか。

なんか、映画鑑賞記のはずが、ずいぶん話が逸れちゃいましたね(苦笑)。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-21 22:54 | 映画・小説・漫画 | Comments(4)  

映画『フィールド・オブ・ドリームス』鑑賞記 その2 〜ブラックソックス事件〜

昨日の続きです。
映画の題材になっている「ブラックソックス事件」とは、1919年にホワイトソックスレッズの間で行われたワールド・シリーズにおいて発生した八百長事件のこと。
「ブラックソックス」とは、当時のホワイトソックスの選手たちは他のどのチームより低賃金でプレーさせられていたため、ユニフォームのクリーニング代もままならず、トレードマークであるはずの白ソックスまで常に黒ずんでいたため、八百長事件以前から「ブラックソックス」と揶揄されていたそうで、そんな背景から、野球賭博に加担する八百長に手を染めたと言われています。

e0158128_1682524.jpgこの事件で、名選手ジョー・ジャクソンをはじめとするシカゴ・ホワイトソックスの選手8人が球界から永久追放になりました。
当時、ベースボールは既にアメリカの国民的スポーツとなっており、この事件によってコミッショナー制度ができたともいいますから、この「ブラックソックス事件」が当時のアメリカ国内に与えた波紋はかなり大きなものだったようです。
ただ、当時のメジャーリーグには他にも八百長疑惑があったにもかかわらず、彼ら8人だけが追放処分になったことや、事件の遠因といっていい吝嗇家のオーナーが何ら処分を受けなかったことで、追放処分を受けた8人に世間の同情が集まり、「悲運の8人」(アンラッキー・エイト)と呼ばれて悲運のヒーローとして美化されていったそうで、彼ら題材にした小説や映画が多く作られたそうです。
この映画も、そんな中のひとつですね。

e0158128_1615647.jpg「悲運の8人」のなかで最もファンから愛されていたジョー・ジャクソンは、当時のメジャーリーグを代表する大打者で、マイナーリーグ時代に裸足でプレーしていたという逸話から「シューレス・ジョー」という愛称を持つスター選手でした。
同時代にタイ・カッブがいたため、結局一度も首位打者をとれませんでしたが、通算打率356はメジャーリーグ史上3位の高打率で、あのベーブ・ルースがバッティングフォームを手本にしたともいわれます。
打撃だけじゃなく守備も一級品だったようで、タイ・カッブは彼のことを、「メジャーリーグ最高のレフト」「彼のグローブの中で三塁打は死ぬ」と高く評価しています。
近年では、2001年にメジャーリーグ1年目のイチロー選手が、シーズン242安打という新人最多安打記録を90年ぶりに更新した際、それまでの記録保持者としてジョー・ジャクソンの名がクローズアップされていたのが記憶にあたらしいところですね。
タイ・カッブ、ベーブ・ルース、イチローなどの名前と並んで評されるほどの選手だったシューレス・ジョーことジョー・ジャクソン。
そんな彼が、32歳という若さでメジャーリーグを去らなければならなくなったことで、多くのファンの同情を集めたことは想像に難しくありません。

裁判所から出て来たジャクソンにひとりの少年ファンが、“Say it ain't so Joe!!”(嘘だと言ってよ、ジョー!)と叫んだところ、これに対してジャクソンは「ごめんよ、どうも本当らしい」と応えたという逸話は有名ですが、この話が本当なら、ジャクソンの八百長への関与を疑う余地はありません。
一方で、事件の舞台となった1919年のワールド・シリーズでのジョクソンの成績を見てみると、打率375、本塁打1、打点6、得点5、失策0と、とても八百長をしていたとは思えない数字です。
実際にジャクソン自身も後年、無実を主張していたそうですし、上述した少年との会話も、記者の捏造だと主張していたそうです。
今となっては真相は闇の中です。
私が想像するに、八百長をしたかどうかはわかりませんが、おそらくお金は受け取っていたんじゃないでしょうか。
八百長をしたかどうかを証明するのは難しく、どうあれお金を受け取った時点で「クロ」と判断されるのはやむを得なかった・・・日本のプロ野球でも、同じような事件がありましたよね。

この「ブラックソックス事件」から60年後の1989年に、メジャー通算4256安打の大記録を持つピート・ローズが、自身が監督を務めるチームの野球賭博に関与していたとして永久追放処分となりました。
ローズの場合も、野球賭博は認めたものの八百長は否定していて、事実、すべて自チームの勝ちに賭けていたと主張しています。
たしかに、その点からみれば八百長はなかったかもしれませんが、ジョー・ジャクソンと同じく、関わった時点で「クロ」と判断されるのはやむを得なかったんじゃないでしょうか。
「李下に冠を正さず」ですね。

ちなみに、ホワイトソックスはこの事件以降、1959年まで40年間ア・リーグ優勝から遠ざかり、ワールド・シリーズ制覇に至っては2005年まで86年間も遠ざかっていたことから、長らく「ブラックソックスの呪い」とささやかれていました。
日本でも、「カーネルサンダースの呪い」で27年間、日本一から遠ざかっている球団があります。
ちょっと意味が違いますが(笑)。

明日に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-20 16:16 | 映画・小説・漫画 | Comments(0)  

映画『フィールド・オブ・ドリームス』鑑賞記 その1 〜カップルで観てはいけない映画〜

先日、映画『フィールド・オブ・ドリームス』をレンタルDVDで観ました。
1989年に公開されたケヴィン・コスナー主演のアメリカ映画で、野球を題材にして希望家族の絆親子愛を描いた、いかにもアメリカ映画らしい作品です。

e0158128_15354528.jpg内容を簡単に紹介すると、アイオワ州の田舎町で農業を営んでいたケヴィン・コスナー演じる主人公のレイ・キンセラが、ある謎のお告げの導きで自身の持つトウモロコシ畑を切り開いて小さな野球場を作ると、そこに1919年の「ブラックソックス事件」で球界を追放された、ジョー・ジャクソンをはじめとするシカゴ・ホワイトソックスの8人の亡霊があらわれ、レイやその家族たちと関わっていくという物語。
レイは若い頃に父親と口論の末に家を飛び出したまま、仲直りすることなく死別してしまったことを心の隅でずっと悔やんでいて、そんなレイと死んだ父親との絆のストーリーに、夢を追い求めながら道半ばで諦めてしまった者や、夢の舞台に立ちながらもそこを立ち去らなければならなくなった者たちが、時を超えてその夢を叶えていくというストーリーをラップさせて描くファンタジーです。

プロの野球選手として夢半ばに終わった父・ジョンが、ひとり息子のレイにその夢を託したのですが、レイは10歳のときに野球を重荷に感じ始め、14歳で父とのキャッチボールを拒否し、17歳のときその父にひどい言葉を浴びせて家出して、そのまま音信不通となり、父の葬儀にも出席しませんでした。
ひとり息子に期待をするのは父親として普通の思いですが、ときにはジョンのように、自分の叶わなかった夢を息子に託す親もいます。
ですが、夢を託された息子がそれを重荷に感じるのも至極当然の感情で、やがてそれは反抗となり、場合によっては大きな衝突となります。
レイとジョンのような関係の父子は、めずらしくはないんじゃないでしょうか。
息子は息子、自分とは違う生き方があるということを、父親は気付かねばなりませんね。
ただ、父親は何も好んで息子に重荷を背負わせようと思っているわけではなく、自分の得意とするもの、自分が情熱を注いできたものを通してでしか、息子とコミュニケーションを上手くはかれないという、いわば不器用な愛情表現ともいえます。
ジョンの場合、それが野球だったんですね。
でも、そんな父親の気持ちを息子が理解するのは、おそらくは自らが父親となってからのことでしょう。
でも、その頃には往々にして、父親はこの世にいなかったりするもので・・・。

36歳の息子と21歳の父がキャッチボールするラストシーンは胸にグッとくるものがありました。
レイとジョンに限らず、たいていの男の子なら子供の頃に父親とキャッチボールした思い出があるはず。
野球好きな父子にとっては、キャッチボールは言葉をかわす以上に心通じ合う会話です。
でも、息子の成長とともに、いつの頃からか父子で向きあってキャッチボールをすることはなくなっていきます。
たぶん父親はいつまでもやりたいと思っているでしょうが、息子のほうが嫌がるようになりますからね。
で、次に息子が父親とキャッチボールをしたいと思うときは、大概の場合、父親はこの世にいなくなったときなんですね。
でも、現実にはこの映画のように、死んだ父親とキャッチボールは出来ません。
このラストシーンは、レイが球場を作って父の生前の夢を叶えたことで、ずっと心の隅にあったわだかまりが消え、父の心情を理解できる年齢になった・・・つまり、心通じ合った・・・ということなんでしょう。
私はそう理解しています。
「親孝行したいときには親はなし」などといいますが、親が死んだあとでも親孝行は出来るとすれば、それは、親心を知ること・・・だと。

聞くところによれば、この映画はカップルで観てはいけない映画ナンバーワンと言われているそうですね。
なんでも、あの明石家さんまさんと大竹しのぶさんが夫婦だったころ一緒に観て、さんまさんがボロボロ涙を流して観ている横で、しのぶさんは冷めた口調で「バッカみたい!」とつぶやいたとか(笑)。
なんとなくわかる気がしますね。
私財を投げ売ってまで夢を叶えたいなんて、女性には理解し難い思いなんでしょう。
男の方が基本的にロマンチストで、女性の方がリアリストなんでしょうね。

次回、映画の題材になっている「ブラックソックス事件」について触れます。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-19 15:14 | 映画・小説・漫画 | Comments(4)  

八重の桜 第24話「二本松少年隊の悲劇」 ~武士の本懐と玉砕戦~

 白河口を占領した新政府軍の軍事参謀・大村益次郎は、会津を討つ前に、まず奥羽越列藩同盟の弱小諸藩を落とす作戦に出ます。慶応4年(1868年)6月には、常陸平潟から北上した新政府軍が棚倉藩を陥落させ、つづいて泉藩、湯長谷藩を制圧し、磐城平藩を攻めました。磐城平藩の前半主は、老中職を務めたこともある安藤信正でした。磐城平城には仙台藩兵なども駐屯していましたが、7月13日の攻防戦で同盟軍は敗北を喫し、磐城平城は落城します。

 「会津は根本なり、仙台、米澤のごときは枝葉なり、枝を刈りて根を残す、ゆえに従って滅ぼせば従って起る、早く根本を絶たば枝葉随って落ちん」
 とは、大総督府参謀の板垣退助の言葉ですが、まさしく、大村の立てた作戦は、枝葉を刈って根本を枯らすというものでした。そしてその作戦はみごとに功を奏し、磐城平城城が落城すると、奥羽越列藩同盟の結束が音を立てて崩れはじめます。7月初旬に秋田藩が同盟を離脱すると、弘前藩、新庄藩、守山藩、三春藩らも次々に降伏。同盟は瓦解の一途をたどっていきます。東北がひとつになったこの同盟でしたが、必ずしも鉄の意志で結束していたわけではなかったんですね。

 7月29日、降伏した三春藩は新政府軍の先鋒隊となり、二本松藩に攻め込みます。二本松城が敵の手に落ちれば、須賀川周辺に駐屯していた仙台藩兵は前後の敵に挟まれることになります。そうなると仙台に帰れなくなるのではないか・・・との動揺が藩兵たちのなかで起こり、戦場からの離脱が始まりました。仙台藩は列藩同盟の盟主。本来であれば、二本松に敵が迫れば応援に向かわねばならないのに、盟主が最初の逃げ出したのです。同盟の瓦解は決定的でした。

 援軍を失った二本松藩は孤立無援の戦いを余儀なくされます。二本松藩兵1000人に対して新政府軍約7000人と、兵力の差は歴然としており、新政府軍に下った諸藩のように、降伏の道を選んでも仕方がない状況でしたが、家老の丹羽一学(富穀)「死を賭して信義を守るは武士の本懐」徹底抗戦を主張したため、二本松藩は新政府軍に立ち向かいます。しかしこのとき、二本松藩の主力兵は白川口方面へ出陣しており、城内にはわずかな手勢と老人兵、そして戦場に出るにはまだ早い少年たちしかいませんでした。そこで急遽結成されたのが、弱冠21歳の砲術師範・木村銃太郎を隊長とする二本松少年隊でした。

 二本松少年隊という名称は後年に付けられたもので、新政府軍に迫られ崩落寸前の城下で、出陣を志願した13歳から17歳までの少年たちで急遽結成された部隊に、名称などあるはずがありませんでした。数えの13歳といえば、今で言えば小学5・6年生ぐらいで、後年の神風特攻隊に繰り出された少年兵より遥かに幼い子どもたちです。丹羽一学が選んだ「武士の本懐」の道は、そんな子供に銃を持たせる道でした。

 少年たちの多くは木村銃太郎の門下生でした。出陣前夜、少年たちは武士として出陣できる喜びに、まるで「修学旅行のようなはしゃぎようだった」と、生き残った隊士が語っています。幼い頃から武士としての心得を叩きこまれてはいたでしょうが、それでも所詮は幼い子どもたち。この後自分たちに襲いかかる事態を、どれほど想像できていたでしょうね。出陣した62人の少年たちのなかで、戦死したのは16人。銃弾に倒れた者もいれば、斬り殺された者もいました。ドラマでスポットが当たっていた13歳の成田才次郎は、長州藩の小隊長・白井小四郎をみごとに刺し殺す功をあげますが、その後長州藩兵に撃ち殺されます。このとき白井は、「自身の油断が招いたゆえの不覚」と、自身を刺した少年の勇敢さをたたえ「殺してはならん」と部下たちに言ったそうですが、隊長を討たれた兵たちとしてはそれを見過ごすわけにはいかず、その場で銃殺されたと言います。撃つ方もまた辛かったことでしょう。

 少年たちの奮闘も虚しく、二本松城はわずか1日で落城します。丹羽一学ら重臣は、城主・丹羽長国を米沢に逃れさせたあと城に火を放ち、家臣ともども自刃して果てます。壮絶な最期でした。

 多くの東北諸藩が新政府軍に寝返っていくなかで、最後まで奥羽越列藩同盟の信義を貫き、凄まじい一藩総玉砕戦で散っていった二本松藩兵。彼らは後世に武士の鏡であるかのように美談として語られます。一方で、予科練などに10代の少年が志願し、特攻隊などに送り込まれた一億総玉砕戦は、史上もっとも愚かな戦争として後世に裁かれています。私には、その違いがよくわかりません。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-17 20:25 | 八重の桜 | Comments(0)  

心に残る名曲 No.12 『ヴァージニティー』 レベッカ

久しぶりに「思い出の曲」シリーズです。

20歳前後の一時期、めちゃめちゃレベッカにハマっていた時期ありました。
圧倒的な声量のボーカル・NOKKOの魅力と、激しいロック調のビートでありながら、切ないメロディラインの曲が多くて、当時としては結構新鮮なバンドでしたよね。
女性ボーカリスト1人に男性の演奏メンバーというスタイルも、いまでこそたくさんいますが、レベッカが先駆けだったんじゃないでしょうか?(その後、DREAMS COME TRUEリンドバーグなどが出てきて、いまのいきものがかりなどに繋がっていくんですね)
ロックを歌う女性ボーカリストというのも、ソロを含めてもあまりいなかったと思います。

レベッカといえば、誰もが最初に思い出すのは出世作の『フレンズ』だと思いますが、私の一番の思い出の曲は、初めて聴いた曲、『ヴァージニティー』です。



この曲はセカンド・アルバム『Nothing To Lose』のオープニング曲で、デビュー2曲目のシングル曲でもあります。
この1年後に『フレンズ』が大ヒットして一気にメジャーになりますが、私は、世間にまだあまり知られてなかったこの曲の頃からファンでした(これ、プチ自慢です)。
初めてNOKKOの歌声を聴いたとき、正直ぶっ飛びましたね。
まさしく、ジャパニーズ・シンディーローパーだ!!!・・・と。
このアルバムと、翌年に出たサード・アルバム『WILD & HONEY』は、私の中ではいまでも心の名盤として深く刻まれています。

この『ヴァージニティー』の歌詞の意味は、そのタイトルどおり、ロストバージンを歌ったものでしょう。
キュートな女性ボーカリストがこのような歌詞を歌うことも、結構ショッキングでした。
この曲はNOKKOの作詞ではありませんが、彼女の書いた歌の中にも、結構どぎつい内容の歌があるんですよね。
これも、当時としてはあまり例がなかったように思います。
ネットで調べてみると、この歌詞の意味を「処女を奪われ自殺した女の子の歌」と解説する人もいるようですが、たしかにとりようによってはそう解釈できなくもないですが、たぶんそれは深読みしすぎでしょうね。
おそらくそのイメージは、『フレンズ』が主題歌で『ヴァージニティー』が挿入歌として使用された、このドラマのこのシーンから来るものでしょう。↓↓↓



のちにビックになったミュージシャンたちで、レベッカに影響を受けたと語る人はたくさんいるんですよね。
NOKKOの歌声だけじゃなく、楽曲としてクオリティが高かったということだと思います。
ホントいま聴いてもぜんぜん古くないですね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-13 20:39 | 音楽 | Comments(0)  

八重の桜 第23話「会津を救え」 〜奥羽越列藩同盟と白河城攻防戦〜

 勝海舟西郷隆盛江戸開城談判が行われる少し前、新政府は東北の雄藩である仙台藩主の伊達慶邦に対して、会津藩討伐を命じていました。そして慶応4年(1868年)2月26日には、左大臣・九条通孝奥羽鎮撫総督に任命されますが、その実験を握っていたのは参謀職を務める長州藩の世良修蔵と薩摩藩の大山格之助でした。彼らは仙台藩に続いて米沢藩上杉家に対しても会津藩討伐を命じます。

 実はこれ以前に仙台藩と米沢藩は、会津藩に恭順するよう勧めていました。しかし会津藩は両藩の勧めを容易に受け入れようとはしませんでした。会津が躊躇していたのは、開城による謝罪、減封の受諾、そして重臣2・3人の首級の差し出しという恭順の条件で、その条件に会津藩が難色を示しているうちに、両藩は奥羽鎮撫総督から会津藩討伐を命じられてしまい、兵を上げざるを得なくなります。そして4月18日、会津藩と仙台藩の間で戦端が開かれますが、双方とも戦う意思はなく、かたちだけの砲弾のやり取りで戦うふりをしただけに終わります。

 その後、会津藩は譲歩の姿勢を見せ、前藩主・松平容保が城を出て謹慎(容保は会津に帰国するとすぐに養子の喜徳に藩主の座を譲っていました)、減封の受諾という線までは受け入れますが、しかし結局はその調停工作も失敗に終わります。

さらに仙台・米沢両藩は、東北諸藩に呼びかけ、会津藩救済のための会議を白石城で開き、寛大な処置を求める嘆願書を総督府に提出します。しかし、この嘆願書も参謀の世良修蔵の強い反対によって、受理されませんでした。これに憤慨した仙台藩士たちは、傲慢粗暴でかねてから怨みがあった世良を暗殺します。その際、世良の持ち物の中から、「官軍の増援部隊が着き次第、会津を一挙に討伐する」とか、「奥羽はみな敵とみなして討つべし」といった内容が書かれた機密文書が発見されます。これを見た奥羽諸藩は、鎮撫総督が自分たちと交渉しているのは、増援部隊を待つ時間稼ぎにすぎないと判断。5月3日、奥羽および越後の25藩の代表が白石に集まり、奥羽越列藩同盟を結成、新政府軍に抗戦することを決めました。こうして戊辰政争は始まります。彼らは一直線に戦争に向かって進んだわけではなく、懸命に戦を避ける道を模索していたわけですが、歴史がそれを許さなかったんですね。

 奥羽越列藩同盟が成立すると、会津藩は新政府軍を迎え撃つため国境を固めるとともに、白河城に向けて軍勢を送ります。その中には、会津に落ち延びてきていた斎藤一率いる新選組130人余りもいました。これより少し前、新選組の局長だった近藤勇は新政府軍に下って処刑され、副長の土方歳三も宇都宮城の戦いで足を負傷し、そのためしばらくの間、斎藤が新選組の指揮をとっていました。

 陸奥国白河は関東から奥州への玄関口にあたり、古来より関所が置かれた要衝の地でしたが、幕末のこの時代、白河城には城主がおらず、二本松藩丹羽家の管理下にありました。それに目をつけた会津藩は白河城を占領します。しかし、新政府軍にとっても白河城を手に入れれば、会津攻略のための重要拠点を確保したことになり、是が非でも欲しい場所。当然のごとく、政府軍と会津兵は白河で激突しました。最初の戦いは会津藩の勝利に終わります。

 その後、会津から家老の西郷頼母横山主税が藩兵1000人を率いて到着。仙台藩や棚倉藩の援軍も加わり、総勢約3000人の兵で陣を張ります。一方の薩摩藩士・伊地知正治率いる新政府軍は約700人。兵力の上では列藩同盟軍の圧勝に見えました。

 ところが、2回目の攻防戦は新政府軍の一方的勝利に終わります。その理由は、ひとつは武器の性能の差。ドラマ中、八重の夫の川崎尚之助が再三訴えていた軍制改革の遅れが、ここへきて大きく影響します。もうひとつは、列藩同盟軍の戦略の拙さでした。兵力で劣る新政府軍の伊地知正治は、敵の陣容をつぶさに観察して果敢な指揮をみせますが、寄せ集めの列藩同盟軍には戦略というものがありませんでした。主力である会津藩の総督は、実戦経験のない西郷頼母。容保の京都守護職就任に反対を唱えて、長いあいだ謹慎処分を受けていたため、京都での滞在経験もなく、したがって戦を指揮した経験もありません。会津藩は、武器の性能で劣るぶん、指揮官は身分にとらわれず有能な人材を配置すべきでした。この日の戦いにおける戦死者は、列藩同盟軍約700人に対して、新政府軍はわずか20人足らずだったとか。なぜ、容保は、重要拠点である白河の指揮官に経験値の少ない頼母を任命したのか・・・? 戦後の容保は会津戦争について多くを語らなかったため、真相は闇のなかです。

 奥州の玄関口である白河を奪われた痛手は大きく、これが列藩同盟軍の瓦解への道を早めたことはいうまでもありません。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-11 21:21 | 八重の桜 | Comments(0)  

第5回AKB48総選挙に見る、そろそろ祭りのあとの予感。

一昨日の土曜日は、AKB48総選挙でしたね。
昨年はたしか平日に行われていたので、仕事から帰ってリアルタイムで観たのは上位の5〜6人だけだったと記憶していますが、今年は土曜日でたまたま仕事も休みだったこともあって、ガッツリTV中継の最初から最後まで観てしまいました(笑)。
一年前は4〜5人しか顔と名前が一致しなかった私でしたが、今年はもう少しわかるようになってましたしね。
昨年もそうでしたが、翌日のスポーツ新聞の一面はほとんどこのネタで、一般紙やNHKのニュースでも取り上げられるという大騒ぎぶりは、一年前の拙稿でも申し上げましたが(参照:AKB48総選挙とAKB商法について思う。)、ただの芸能ネタの域を超えて一種の社会現象といっていいでしょう。
で、とくに熱心なわけもなく、観るともなしに見ていた私ですが、今年も思いついたことを場当たり的に綴ります。

1位はなんと、大番狂わせの指原莉乃さんでしたね。
数日前の中間速報で1位だとは聞いていましたが、まあ、それも盛り上げるために秋元康氏が描いた演出かな・・・なんて思っていたのですが、まさか本番まで逃げ切るとは思いませんでした。
指原莉乃さんといえば、約1年前のスキャンダルによって福岡へ流罪になった子ですよね。
私は、あの話題でようやくこの子の顔と名前を知った次第です。
話題作りとはいえ、秋元さんも酷なことをするなあ・・・と。
でも、結果的にあの流罪によって、私らのようなオジサン世代にもぐっと認知度が高くなったのは事実で、この1年バラエティ番組などの露出度も飛躍的に増え、結果的にこのたび1位となったわけですから、彼女にとっては良かったのか、それとも、それも秋元さんのシナリオだったのか・・・。
元彼のリークによるアイドルのスキャンダルといえば、私ら世代が思い出すものとして、昭和58年(1983年)の高部知子さんのニャンニャン事件がありますが、あのとき高部知子さんは芸能界を追われ、リークした元彼は自殺にまで追い込まれたことを思えば、スキャンダルを糧に(あるいは利用して)トップアイドルの頂点に上り詰めたさしこちゃんは、時代が違うとはいえ、運の強さを感じます。
いまふうにいえば、持ってるな!・・・と。

で、そのさしこちゃんに負けた大本命の大島優子さんですが、思いのほかあっさりとしてましたね。
でも、なんとなく彼女の心情はわかるような気がします。
一昨年までは前田敦子さんとのトップ争いで神経をすり減らしていたでしょうし、昨年はその前田さんが抜けたことによって、絶対に負けられないプレッシャーがあったでしょう。
その意味では、今年はこれまでほどの緊張感がなかったんでしょうね。
彼女にとってライバルは前田敦子さんだけ、その前田さんがいなくなったいまは、とくに誰に負けても悔しくないし、負けたからといって自身の価値が下がるわけでもなく、女王の貫禄とでもいいますか・・・。
そんなところだったんじゃないかと・・・。

あと、私の贔屓だった篠田麻里子さんが卒業(脱退)を表明しましたね。
昨年、「席を譲らなければ勝てないようなメンバーはAKBでは勝てません。」「私をつぶすつもりで来てください」と発言して話題を呼んだ彼女でしたが、1年後の今年は、席を譲る気になったと。
昨年は昨年でなかなか肝の座ったコメントでしたが、今年もまた男前の発言だったな・・・と。
今後の活躍を期待します。

私がこの総選挙を初めて観たのは昨年ですが(それ以前もTVでやってたのかな?)、昨年は平日だったのが今年は土曜日のゴールデンタイム4時間というランクアップで、会場も武道館から日産スタジアムに変わり、観客も7万人という過熱ぶり。
ここまで来ると、冒頭でも述べたとおり芸能ネタを超えて社会現象といっていいと思いますが、一方で、誰かが「お祭りのような総選挙」といっていましたが、まさしく、昨年までのような張り詰めた空気はなく、良く言えば和やか、悪く言えば緊張感に欠ける総選挙だったように思えました。
こういったものは、手に汗握る緊張感が伝わってこそ面白いわけで・・・。
AKBフィーバーもそろそろ・・・じゃないですかね。
今回は立候補制にするなどして、マンネリ化を避けるための策は施されていたようですが、そもそも、この選挙自体、どこまでが脚本でどこからが真実なのかわかりませんし(昨年も言ったことですが、公正な選挙管理委員会をおいて行われているわけでもなく、結果なんて、秋元氏のさじ加減ひとつでどうにでもなるんじゃないかと)、そのあたりを書いている新聞や雑誌も出てきているようですしね。
こういうものは、舞台裏が見え始めると一気に冷めるものです。
それは過去のピンクレディーおニャン子クラブモーニング娘。などを見ればわかることで・・・。
たぶん、あの娘とあの娘とあの娘あたりだけが芸能界に残って、あとはブームとともに消えていくんだろうなあ・・・なんて、勝手なことを言いながら総選挙を観ていた中年オヤジのひとりごとでした。
コアなファンにはお叱りを受けそうですが・・・。

ところで、来月の参院選はこれほどの盛り上がりを見せるでしょうかね(笑)?


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-10 14:54 | 芸能 | Comments(2)  

橋下徹大阪市長の慰安婦問題をめぐる発言について思う。

橋下徹大阪市長の慰安婦問題をめぐる発言から1ヶ月近く経とうとしていますが、いまだ沈静化することなく波紋を広げています。
慰安婦制度を容認するかのような発言は、韓国、中国などの近隣国からの反発を買い、沖縄の米兵に風俗業の活用を勧めたという発言は、売春・買春の勧めととられ、アメリカからも白眼視される始末。
国内でも党派を超えて橋下氏の発言を批判する声があとを絶ちません。

過激な発言は橋下氏の売りで、これまでもたびたび「失言」といっていい過激な発言で注目をあびてきましたが、普通であれば失脚してもおかしくないような「失言」でも、巧みな弁舌と攻撃的な姿勢で、それを逆に人気の源に変えてきました。
しかし、このたびの「失言」は、これまでとはかなり状況が違います。
橋下氏を応援してきたタレントさんやキャスター、コメンテーターの人たちも、今回は批判側に回るかたが多いようですし、何より、人間性が問われる失言ともいえるでしょう。
さすがの彼も、今回はかなりピンチのようです。

先の戦争における慰安婦問題については、いろんな見解があるでしょうし、ここではあえて橋下氏の発言を肯定も否定もしません。
中韓はもちろん、左翼系の団体や人権団体は強く反発しているようですし、橋下氏の発言に一定の理解を示す人でも、「彼のいいたいことはわからなくもないけど、公の場での公人の発言としてはちょっと・・・。」というのが率直な感想でしょう。
あまりにも唐突に失言した感は否めず、しかもかなり舌足らずな部分が多く、結局のところ敵を多く作っただけで、いったいなんであんなこと言ってしまったのか、何が目的だったのかよくわからないですね。

これまでの橋下氏の過激発言は、その言い方には多少の問題があったにせよ、これまで既得権益を持っていた人を敵とし、それを厳しく批判することで市民の人気を得てきました。
彼なら、閉塞感のあるいまの社会を変えてくれるんじゃないかと・・・。
ところが今回の発言に関して言えば、これまでのように「既得権益との戦い」という構図にはまったく当てはまらず、ただただ場当たり的な暴言で、その結果多くの敵を作っただけで、橋下氏ならびに維新の会の評価を著しく下げただけのものです。
この影響はかなり大きいですよ。
このままでいけば、来月の参院選では維新の会にとってかなり厳しい向かい風になりそうですし、そうなると、もともと橋下人気で求心力を保っていた集団ですから、その橋下氏の人気の低下は党の崩壊にもつながりかねません。
相変わらず民主党への失望と批判の声は大きく、おそらく参院選では多くの議席を減らすことになるでしょうし、このうえ維新の会がズタズタになれば、自民党の一人勝ちになるのは間違いないでしょう。
依然として高い支持率を維持している安倍晋三内閣で、私も現在の政権を支持するひとりですが、こういうかたちでの議席独占状態は、決して健全な民主主義の姿ではない、とは強く思うところです。
橋下氏のやらかしたこの度の失態の余波ははかりしれません。
もうちょっと賢い人だと思っていたんですけどね。

とにもかくにも、今回の落とし前のつけかたを間違えると、橋下氏の政治生命の終わりにさえつながりかねない気がします。
このピンチをどう乗り越えるか、もうしばらく見てみることにしましょう。
ここで潰れるようでは、彼の政治家としての器は所詮その程度だったということ、大阪から日本を変えるなんて、どだい無理な話だったってことでしょうね。
かれが政治家として大成できるかどうか、いまが正念場といえるでしょうか。


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by sakanoueno-kumo | 2013-06-07 18:31 | 政治 | Comments(5)