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八重の桜 第47話「残された時間」 ~新島襄の余命宣告~

 明治21年(1888年)7月、同志社大学設立に向けて奔走する新島襄は、かねてから親交のあった当時の外務大臣・大隈重信の官邸での募金集会に臨みます。その席には大隈をはじめ、前外務大臣の井上馨、第一国立銀行頭取の渋沢栄一、三菱社社長の岩崎弥之助など、10数名の錚々たる顔ぶれが集まっていました。そこで大隈は、襄の進める事業を一同に紹介し、資力のある人は率先して慈善行為するよう促したそうです。その後、襄は日本で始めての私立大学設立の精神を述べ、その熱意に心動かされた一同は次々に寄付を申し出、3万1千円もの大金の寄付の確約を得ることができました。

 そして同じ年の11月、襄は徳富蘇峰の協力を得て作成した「同志社大学設立の旨意」を、20誌以上の新聞や雑誌に掲載します。これが大きな反響を呼び、同志社大学設立の気運がますます高まります

 大学設立の明るい兆しがようやく見え始めましたが、激務の過労が祟ってか、襄の身体は次第に衰えはじめます。襄が大隈を介して多額の寄付金を得た同じ頃、担当医は妻の八重に、「襄の心臓は皮が薄くなっており、いつ破れてもおかしくない。今のうちに大事なことを聞き取っておくように」と告げられます。この宣告に八重は激しく動揺しますが、このときから、八重の献身的な看病がはじまります。

 襄の身体が心配でならない八重は、寝ずの看病になることもしばしばだったようで、ドラマにもあったように、襄の顔に手を当て、その寝息を確認することもたびたびあったそうです。ここまでされると、逆に襄のほうが八重の健康を心配し、「自分はまだ死なないから、安心して寝てほしい。心配し過ぎで睡眠不足となり、貴女に健康を損なわれると、たいへん困る。だから安眠してほしい。」と諭したそうです。ふたりがいかに互いを気遣いう夫婦であったかがわかります。

 襄はたいそう筆まめだったそうですが、八重はその筆まめぶりも身体に障ると思い、ペン便箋を取り上げてしまうこともあったそうです。そのため襄は、八重の監視を見計らってペンを走らせますが、それも八重はお見通しだったようで、すぐに止めさせられてしまったとか。そんな八重の強引さに辟易した襄は、この当時、辣腕ぶりで知られて警視総監の三島通庸に喩え、「三島総監」と呼んだそうです。よほど八重の監視は厳しかったのでしょうね。

 一見、微笑ましくすら思える二人の夫婦仲のエピソードですが、いずれも余命宣告を受けてからのエピソード。二人の絆が深ければ深いほど、そう遠くない未来に訪れるであろう永遠の別れに、心を痛めていたに違いありません。襄がこの世を去るのは、余命宣告を受けてから1年半後のことでした。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-25 19:16 | 八重の桜 | Comments(0)  

ホテル食材偽装問題に思うこと。

阪急阪神グループの一流老舗ホテルに端を発した一連の食材偽装問題ですが、その後、不祥事は全国の名だたるホテル百貨店などに広がり、最初の発覚から1ヶ月以上が過ぎたいまでも収まる気配が見えません。
連日、謝罪会見の映像が否応なしに目に入り、正直ウンザリですね。
最初に大阪新阪急ホテルの偽装が発覚したとき、この不祥事で同業他社さんたちはチャンスとばかりにガッツポーズをしているか、あるいは同じ穴のムジナで青ざめているか、たいへん興味深いところでしたが、やはり結果は後者でした。
ある程度、想像はしていましたが、でもここまで広がるとも思っていませんでしたね。
阪急阪神などは氷山の一角、ほとんど業界全体といっても過言ではないのかもしれません。
ちょっと呆れちゃいますよね。

「偽装」と聞いて真っ先に思い出すのは、何年か前に大問題となったマンションの耐震偽装事件、いわゆる「姉歯事件」です。
あのときと今回とでは、事件の大きさも対象物の価値も違いすぎますが、あのときもたしか「氷山の一角」といった言葉がささやかれていたと記憶しています。
でも、その後、業界に飛び火することはありませんでしたね。
ただ、一説には、コストダウンのための手抜き建築など、全国にゴマンとある・・・とも聞きます。
にも関わらず姉歯事件だけでとどまったのは、もし、あのとき大手建設会社メス入れしていれば、国家レベルの大問題に発展していた・・・だから、ある意味、あの事件を見せしめとして、業界全体に釘を刺したかたちで幕を引いた・・・と、推測する人もいます。
その辺については、私は門外漢なのでわかりませんが、あり得ない話ではない気がしますね。

一方で今回の偽装問題は、業界全体に飛び火してとどまる気配がありません。
その中には、この機に乗じて自らカミングアウトした企業もあるほどです。
それは、つまりどういうことか・・・お叱りを覚悟で言わせてもらえば、つまり今回の偽装問題は、大した問題じゃないということだと思います。
だって、おとなりの国のように腐った食材衛生上問題のある食材を使ったわけではなく、ただ表現を偽ってただけですからね(偽装ではなく「誤表記」だといった言い訳は見苦しかったですけどね。いうなれば、妻以外の女性とラブホテルから出てきたところを見つかったのに、相談に乗っていただけだと言ってるようなもので(笑))。
もちろん、それはそれで度が過ぎると詐欺罪になるのかもしれませんが、ただ、誰かが死んだわけでもなく、誰かの財産を著しく損ねたわけでもなく、誰かの人生を狂わせたわけでもないわけで・・・。
あっ・・・別にわたし業界関係者じゃありませんよ。
むしろ、このたびの不祥事で多少の迷惑を被ったひとりです。
ただね、今回の騒動を見ていて思うのは、むしろ、ここぞとばかりに鬼の首を取ったように批難する人たちや、食べてもないのに食べたと偽って返金を求める不忠者が続出しているということのほうが、よほど憤りを感じますけどね。
こうなると、どっちもどっちなんじゃないですかね。

バナメイエビ「さすがは芝エビだ!」と思って美味しく食べた人は、そこで幸せな気分になれたのだから、もういいんじゃないですかね。
ストレートジュースでもフレッシュジュースでも、美味しいジュースだったんでしょう?
松阪牛だと期待して食べたのに、牛脂注入肉と大して変わらないじゃないか・・・と思ってた人だけ、文句を言うべきなんじゃないですか?
もちろん、騙された側より騙した側のほうが悪いに決まってるわけですが、でも、連日の報道を見ていると、文句を言う方も言う方だなあと思ってしまいます。
もう勘弁してやっていいんじゃないでしょうか?
たぶん、もうやらないでしょうから・・・。

姉歯事件以降に建てられたマンションは安心していいと言う人もいます。
さもありなんですね。
いま、ホテルのレストランに行けば、きっと良いものを食わしてくれますよ。
これを機に、業界の悪しき体質が改善されたとすれば、結果オーライなんじゃないですかね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-21 22:18 | 時事問題 | Comments(4)  

八重の桜 第46話「駆け落ち」 ~山本覚馬の娘たち~

 横井時雄と結婚したみね山本覚馬の次女)でしたが、結婚2年後の明治16年(1883年)に長女・悦子を産み、その4年後の明治20年(1887年)に長男・平馬を産んだあと、産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまいます。享年27歳。この時代、このような亡くなり方は珍しくなかったのでしょうが、幼くして生母と生き別れ、やっと掴んだ幸せな生活だったことを思えば、無念でならなかったでしょうね。ドラマで祖母の佐久が、「あのむごい戦を生き延びたというのに・・・」と、泣き崩れていましたが、ある意味、女性にとって出産は命をかけた“戦”といえるかもしれません。

 夫の時雄はその後再婚し、新島襄の死後、同志社第3代総長となり、明治36年(1903年)には衆議院議員になります。しかし、明治42年(1909年)に汚職事件で有罪判決を受けて辞職。その後もパリ講和会議に出席するなどの活躍はありましたが、昭和2年(1927年)に脳溢血で死去します。享年70歳。

 覚馬と後妻・時栄の間に生まれた三女・久栄は、母が離縁されたあとも山本家に残ります。そしてその後、徳富蘇峰の弟で、当時同志社の学生だった徳富健次郎(蘆花)とのラブロマンスがあったというんですね。このエピソードは、蘆花が40歳を過ぎて書いた自伝小説『黒い眼と茶色の目』に記されている話です。物語によれば、横井時雄を介して知り合った健次郎と久栄は、みねの死後に急接近し、やがて結婚を誓い合う関係になったそうです。しかし、二人の関係が知れるや、時雄をはじめ新島襄、八重夫妻らから猛烈な反対を受け、結果、二人は引き裂かれます。その後、自暴自棄になった健次郎は、同志社を中退して京都を逃げるように離れた・・・と。

 これは小説のなかで描かれた話であり、蘆花サイドからの一方的な追憶ですから、どこまでが事実かは定かではありません。あるいは、蘆花の一方的な片思いだったかもしれませんね。30歳を過ぎて学生と不倫ができるほどの魅力をもった母の娘ですから、おそらく久栄も魅力的な少女だったのでしょう(現存する写真を見ても、たしかに可愛い顔をしていますね)。

 「今年、数え年の十七になった寿代(久栄)さんは、木屋町時代よりも身長もずっと伸び、一体に肉づいて、小さな渦の入る顎、肩のあたり、ぽちゃぽちゃした手の甲まで軟らかなる円みを帯びて来た。その茶色の眼は睫の下にうっとりと眠るかと思えば、とろとろと人を溶かす媚を含み、またたちまち睫を蹴って、いなづまのように光った。淡褐色の頬に時々薔薇のような紅潮が上った。」

 小説『黒い眼と茶色の目』のなかで、蘆花が久栄を表したくだりです。この文章を読めば、いかに彼が彼女にゾッコンだったかがわかりますね。

 その後、久栄は結婚することなく、父・覚馬が亡くなったすぐあとの明治26年(1893年)、23歳という若さでこの世を去ります。みねといい久栄といい、なぜか覚馬の娘はふたりとも幸薄い運命だったようです。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-18 20:53 | 八重の桜 | Comments(0)  

八重の桜 第45話「不義の噂」 ~時栄の不倫騒動~

 不自由な身体となった山本覚馬の後妻となり、20年近くもの長きに渡って献身的に支えてきた時栄(時恵とも)でしたが、明治18年(1885年)、真偽は定かではないものの、覚馬が自分のあととりに考えていた会津藩出身の青年(ドラマでは青木栄二郎)と、不倫関係になったそうです。このとき覚馬は58歳、時栄は33歳。下世話な見方をすれば、充分にあり得る話ですよね。

 この時栄の不祥事のエピソードは、徳富蘇峰の弟、徳富蘆花の自伝的小説『黒い眼と茶色の目』に登場します。この小説は、時栄の娘・久栄と蘆花との結ばれなかった恋物語を描いたものだそうですが、そのなかに、母・時栄のことが記されているそうです。それによると、ある日、体調を崩した時栄を来診したドクトル・ペリー医師が、帰り際に「おめでとうございます。妊娠5ヶ月です」と告げたそうで、これを聞いた覚馬が「身に覚えがない」と言い出したため、大騒ぎになったとのこと。問いただされた時栄は、鴨の夕涼みでうたた寝をしているときに、「見知らぬ男に犯された」などといいますが、さらに問い詰められると、最後には青年との不倫を認めます。このあたり、ドラマとはまったく違いますね。

 この話が事実かどうかは定かではありません。これはあくまで小説の中で描かれているものであり、登場人物の名前も、山下勝馬時代といった具合に、明らかに覚馬と時栄がモデルであることはわかるものの、偽名で真偽を濁しています。あるいは、蘆花の創作かもしれません。ただ、この時期に時栄が何らかの不祥事を犯して山本家を去ったのは事実のようで、この小説に描かれている話も、まったくのフィクションではないかもしれません。そんなこんなを考えて、ドラマではNHKらしくまとめていましたね(笑)。

 山本家としては、時栄を離縁すると家の恥が表沙汰になってしまうため、内分に済ませようとしたそうです。覚馬にしてみれば、長年の苦労に対する感謝の気持ちをあったかもしれません。しかし、封建道徳からいえば彼女のしたことは不義密通。許されるべきことではありませんでした。この事実を知った八重は、「臭いものに蓋をしてはいけない」と、兄・覚馬に時栄を離縁するよう強く求め、山本家から時栄を追い出したといいます。この事件以前の八重と時栄の関係がどのようなものだったかはわかりませんが、たとえ良好な義姉妹の間柄だったとしても、どうあれ「ならぬことはならぬものです」だったのでしょうね。

 その後の時栄と不倫相手の消息は記録が残っていません。そのとき妊娠していたとしたら、その子はどうなったかも定かではありません。時栄と覚馬の間の娘・久栄は、そのまま山本家に残ります。前妻・うらとの間の娘・みねもそうでしたが、どうも、覚馬の娘は幼くして母と生き別れる運命のようですね。そして、その娘たちのその後の人生も、決して幸せなものではありませんでした。そのあたり、来週描かれるようです。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-11 19:25 | 八重の桜 | Comments(0)  

球界の宝・田中将大投手の酷使に、かつての松坂大輔投手の姿を見る。

ちょっと旬ネタを過ぎてしまいましたが、過日、日本プロ野球で最も長い歴史を持つ球団と、最も歴史の浅い球団で行われた日本シリーズは、後者の東北楽天ゴールデンイーグルスの勝利で幕を閉じましたね。
アンチ巨人の私としては望みどおりの結果でしたが、何より7戦とも実に見応えのある試合ばかりで、野球ファンにとってはたまらないシリーズだったのではないでしょうか。

そんななか、今年負けなしだった楽天のエース・田中将大投手が第6戦で敗戦投手となり、昨年8月から続けていた公式戦での連勝記録が30でストップしてしまいました。
これって、やっぱ連勝記録ストップの対象になるんですかね?
だって、選手の通算記録にはCSや日本シリーズの成績は入らないでしょう?
だったら、マー君の連勝記録も、ペナントレース時の28連勝のまま継続中という解釈にはならないんでしょうか?
どうも、腑に落ちない思いです。
もっとも、来年はメジャー移籍なんて噂もありますから、いずれにせよ連勝記録は打ち止めだったかもしれませんけどね。

とにもかくにも、今年の田中投手の活躍は、“素晴らしい”を通り越して“凄まじい”といっていいものでした。
あの稲尾和久投手が持っていたシーズン連勝記録を56年ぶりに大幅更新し、メジャーリーグで100年以上前にルーブ・マーカード投手が記録した開幕連勝記録も更新、何より24勝0敗というシーズン無敗記録はプロ野球史上初のことで、これ以上の投手成績はないわけで・・・。
今年のマー君の先発登板数は27試合ですから、24勝というのは、近代野球では限界の勝利数でしょうね(近年でも20勝投手はときどき生まれますが、24勝以上となると、昭和53年(1978年)の鈴木啓示投手の25勝以来35年ぶりとなります)。
先日、2度目の沢村栄治賞を受賞しましたが、彼はまだ25歳ですから、3度目4度目だってあり得るでしょう(このまま日本にいればですが)。
3度の同賞受賞投手をみれば、杉下茂投手、金田正一投手、村山実投手、斎藤雅樹投手と、いずれも歴史に名を残した伝説の大投手ばかりです。
稲尾に金田に村山・・・そんな名前が上がること自体、すでにマー君もその域に近づいてきたということですね。

その一方で、心配なのは故障です。
先日の日本シリーズでも、160球を投げた翌日にリリーフマウンドに立ったマー君ですが、エンターテイメントとしては大成功でしたが、肩や肘への負担を考えれば、“酷使”としかいいようのない無茶ですよね。
星野仙一監督は「本人が希望した」と語っていましたが、おそらくマー君ならそうだったでしょうが、それを抑えるのが指揮官だと思います。
酷使による影響は、明日明後日に出るものではなく、5年後10年後に出てくるものです。
いまは大丈夫かもしれませんが、のちのちきっと後悔することになっちゃいますからね。

その点でマー君とかぶるのが、現MLBニューヨーク・メッツの松坂大輔投手です。
これは私の個人的な意見ですが、松坂投手がいまのマー君の歳の頃は、マー君以上の投手だったと思っています。
しかし、渡米してからというもの、ずっと故障に苦しんでいますよね。
振り返ると、彼もマー君と同じく、球数を厭わず先発完投にこだわる投手でした。
自分の肩肘に自信過剰なところがあったのかもしれません。
そのツケが、いまの松坂投手の状態を作ったといっていいのではないでしょうか?
で、その松坂投手の若い頃に、いまのマー君はそっくりに思えるんですよね。
高校野球時代に、延長戦で200球以上を投げたという点でも同じですよね。
松坂投手が高校時代に延長17回のPL学園戦を投げ切ったとき、ほとんどのプロ野球のスカウト陣は、「松坂の凄さはよくわかったから、頼むから早く敗けてくれ!」と、祈っていたといいます。
金の卵を潰さないでくれ・・・といった思いですね。
おそらくマー君のときも同じだったでしょう。
あの高校時代の酷使のツケだって、きっと肩肘に残っているはずです。
その後、ともに「松坂世代」「斎藤・田中世代」といった具合に、その世代の代表として表現されたという点でもまったく同じです。
だから、マー君を見ていると、どうしても松坂投手とラップしちゃうんですよね。
でも、この先は松坂投手のようにはなってほしくないですよね(松坂投手も再起に向けて頑張ってはいますが)。
そのためには、先日のような無茶はぜったいしないことだと思います。

来季よりメジャー移籍の噂があるマー君ですが、アチラに行けば否が応でも球数制限で管理されますが、もし日本に残れば、また星野仙一監督指揮のもと、フル回転するでしょう。
星野さんは投手の弱音に厳しい人ですからね。
投手を変えない監督さんでもあります。
自身が熱血派投手だったこともあるのでしょうが、あの人にいわせれば、「いまの投手は軟弱だ!」ということになるのでしょう。
たしかに、マー君が破った稲尾和久投手の20連勝の記録などは、たった1ヶ月で達成したそうですから(尋常じゃないですよね)、その時代の人にいわせれば、週に1度しか投げない現代の投手は“軟弱”になるのかもしれません。
でも、時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、当時でもきっと、稲尾投手のよう超人の陰で、才能があったのに酷使によって潰れていった投手がたくさんいたことでしょう。
もったいないですよね。

連勝の新記録を達成したときの星野監督のインタビューだったと思いますが、マー君のことを「歴史に残る伝説の大投手」といった表現で称えていました。
本当にそう思うのなら、来シーズンは絶対に今年のような酷使は避けてほしいと思います。
本人はたぶん、「投げたい」と言うでしょうから。
球界の宝を、皆で守っていってください。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-09 19:46 | プロ野球 | Comments(5)  

ブログ開設5周年のご報告。

今年も長い夏でしたが、神戸では先週あたりから、朝晩が急に肌寒く感じるようになりました。
わたしはこの季節が1年のなかで最も好きなんですが、きっと今年もすぐに終わって冬が来ちゃうんですよね。
半月前までは半袖を着てたんですけどね。
今年もまた、短い秋になりそうです。

ところで、本日は手前味噌なご報告です。
2008年11月6日から開始した当ブログですが、本日を持ちまして、
5周年を向かえることが出来ました。
これもひとえに皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。
この間に起稿した拙文数は718本(本稿で719本目)、いただいたコメント数は1,819件(このうち約半分は自身の返答ですが)、トラックバック数は771件でした。
この5年間に当ブログに訪問していただいた件数は331,584件(PCのみの訪問者数)で、1年前の4周年のときの訪問者数が231,547件でしたから、この1年間でちょうど10万件もご訪問いただいたことになります(これはユニークユーザー数なので、同じパソコンから1日に何度アクセスいただいてもカウントは1ということになります)。
どなた様も、素人のとりとめもない駄文にお付き合いいただき、まことにありがとうございました。

       (2013年11月6日23:00頃のレポートです)
                  ↓↓↓
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5年間続けるものというのは、人生そうそうありませんよね。
個人的に人生を振り返ってみても、5年以上続いたのは、小学校といまの仕事と惰性で10年続けている少年野球のコーチぐらいでしょうか。
あっ、あと、一応結婚生活も(笑)。
もともと気まぐれで始めたブログが、まさかまさか、こんなにも続くとは思ってもいませんでした。
そもそも、「坂の上のサインボード」という屋号もsakanoueno-kumoというハンドルネームも、特に思案したわけでもなく、なんとなく思いつきでネーミングしたもので、こんなことになるのなら、もっと真剣に考えればよかったと後悔しています。
まあ、特に肩に力が入っていなかったから、これだけ続いたといえるかもしれませんけどね。

で、今後についてですが、さすがに5年ともなると、自分のなかでちょっと飽きてきた感は否めません。
とくに毎週起稿している大河ドラマのレビューは、結構しんどいんですよね。
でも、せっかくここまで続けてきたので、起稿のペースはダウンするかもしれませんが、負担にならない程度に続けていくつもりです(来年の大河ドラマのレビューをするかは思案中です)。
レギュラーで訪問いただいている方、ときどき問いただいている方、時折コメントをいただく方、たまたま検索で訪問した通りすがりの方、どなたさまも、これからも懲りずにお付き合いいただければ幸せです。
今後ともよろしくお願いします。

以上、仕事場より手前味噌なご報告でした。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-06 23:08 | コネタ | Comments(3)  

八重の桜 第44話「襄の遺言」 ~一国の良心~

 同志社大学にするため奔走していた新島襄でしたが、その一方で、肝心の同志社英学校で学ぶ学生たちの中途退学が目立ち始めます。その理由は、明治政府の定める徴兵制度にありました。政府は、官公立学校の学生にのみ兵役免除の特権を与え、私立学校の学生にはこれを認めませんでした。となれば、学生たちが官公立学校に転校したいと考えるのは無理もなかったでしょう。政府にしてみれば、官公立学校に優秀な人材を集めたいという思惑があったのかもしれませんね。あるいは、伊藤博文と対立して政府を追われた大隈重信東京専門学校(のちの早稲田大学)を開校したことも、政府を刺激したかもしれません。

 「官立大学は政府の意のままに人を育てる大学です。それに対抗しうる自立した私立大学が必要なのです。」

 ドラマでの襄の台詞ですが、まさしく襄の大学設立の趣旨はこの台詞どおりだったようですね。襄の「同志社大学設立の旨意」に、次のように記されています。

 「一国を維持するは、決して二三の英雄の力に非ず。実に一国を組織する教育あり、知識あり、品行ある人民の力に拠らざる可からず。是等の人民は一国の良心とも謂ふべき人々なり。而して吾人は即ち此の一国の良心とも謂ふ可き人々を養成せんと欲す。」

 「一国の良心とも謂ふ可き人々」・・・つまり、国の権力に左右されない民間人、国のチェック機能となれる人材、といったところでしょうか。これが、エリート官僚を養成する官学に対抗する私学の本来の教育理念だったんですね。官学のすべり止めになっちゃってる現代とは、ずいぶん違います(まあ、現代では私学からでも官僚になれますが)。

 そんな襄が、明治17年(1884年)4月、再び欧米に向けて旅立ちます。その表向きの理由は静養だったようですが、本来の目的は大学設立の資金集めだったようです。しかし、ドラマのとおり、同年8月、スイスのサンゴタール峠心臓発作を起こして倒れてしまいます。あるいは、日本にいた頃から兆候があったのでしょうか。幸いこのときは命を落とすまでには至らず事なきを得るのですが、襄自身は死を覚悟したようで、ドラマにあったように、八重と両親に宛てた遺書を記しています。

 「私の髪を一房切り取り、キリストの名において結ばれて、断つことのできない絆のしるしとして、京都にいる大切な妻に送って欲しい。」

 もちろん、それ以外にも同志社のことなど連連と綴っていたそうですが、襄の八重に対する愛情が伝わってくる一文ですね。

 実際に襄がこの世を去るのはこの6年後のことですが、その間、襄の遺言は30通あまりあるといわれています。それだけ死と背中合わせの晩年だったということでしょうが、襄はかなりの筆まめだったことがうかがえますね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-05 23:54 | 八重の桜 | Comments(0)  

名古屋国際会議場なう!!

ケータイからの投稿です。
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名古屋に出張に来ています。
写真は名古屋国際会議場の中庭にある騎馬像、高さ8.3m、幅 3.6m 全長8.8mあるそうです。
この騎馬像は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが作り上げようとしたものの復元だそうで、説明板によると、ミラノ領主ロドヴィコから世界最大のフランチェスコ・スフォルツァ将軍の騎馬像製作を命ぜらたダ・ヴィンチは、1493年に馬だけの粘土像(7.2m)を完成させたそうです。
しかし、折りからの戦争でブロンズの鋳造は断念され、この粘土像も破壊されてしまったそうです。

この「幻のスフォルツァ騎馬像」を、500年ほど時が流れた1989年(平成元年)、名古屋市の市制100周年を記念して開催された世界デザイン博覧会に出展するため再現されたのが、この像だそうです。
1967年に発見されたマドリッド手稿や残された数々のデッサンを参考に、まず2mの原形を粘土で創作し、これをコンピューターで拡大して製作にあたったそうですが、しかし、重量を計算したところブロンズ製では脚部が重量に耐えられないことが判明したそうで、材質を強化プラスチック(FRP)に変更して仕上げたものだそうです。
ダ・ヴィンチの設計と現代の技術の融合ですね。
でも、まさかダ・ヴィンチも、500年後に極東の国の名古屋という一地方都市で復元されようとは、夢にも思わなかったでしょうが。

それにしても、近くで見るとデカイです。


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by sakanoueno-kumo | 2013-11-03 15:59 | 愛知の史跡・観光 | Comments(0)