<   2014年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 

磯野波平こと永井一郎さんの急逝を悼む、日本の父親を失った気分。

声優の永井一郎さんが亡くなられたそうですね。
永井さんといえば、国民的人気アニメ『サザエさん』磯野波平役を実に半世紀近くも演じてこられた、「日本の父」とでも言うべき声の主ですね。
e0158128_2029916.jpg82歳だったそうですが、波平役のみならず現役バリバリで活躍されていましたから、突然の訃報に驚きの声が広がっているようです。
たしか、ビートたけしさんと安住紳一郎アナのニュース番組のナレーションもしておられましたよね。
ナレーションはともかく、いまごろ波平役の後任探しに右往左往してることでしょう。
波平さんは存在感の大きな役ですからね。
「ばっかもーん!」
あの声が聞けなくなるのは寂しいかぎりです。

e0158128_20343858.jpg永井さんの代表作は波平さんでしょうが、わたしにとっては、『宇宙戦艦ヤマト』佐渡酒造徳川彦左衛門2役のイメージが、波平役と同じくらい印象深いです。
当時わたしは子供でしたから、2人の声を同じ人が演じてるとはまったく気づいておらず、それを知ったときは驚きましたね。
声優さんってスゴイなあ・・・と。
とくに心に残っているのは、やはり最終回のラストシーン。
昨年亡くなられた納谷悟朗さんが演じる沖田十三の死に際に立ち、敬礼するシーンです。
このとき佐渡先生は絶句するだけで台詞はないのですが、その息遣いがこちらに伝わってきました。
納谷さんも永井さんも、もとは声優さんではなく俳優さんですから、きっと台詞のないところでも演技されていたんでしょうね。

おそらく『サザエさん』は、この先何十年経ってもずっと続いていく作品でしょうから、やがては声優さんすべてが入れ替わり、2代目、3代目の波平役の方へと引き継がれていくでしょう。
でも、われわれ世代の波平役は、たぶんこれからも永井さんであり続けると思います。
永井さんの訃報の数日前には、アニメ『巨人の星』星一徹役だった声優の加藤精三さんも亡くなられたそうですね。
磯野波平、星一徹、昭和を代表する父親像だといっても過言ではないでしょう。
もう、消滅してしまった父親像ともいえるかもしれませんね。
お二方が亡くなられたことで、厳格な父親像は、よりいっそう過去の遺物化していくかもしれません。
昭和は遠くなりにけりです。

日本の父親を失った・・・そんな気さえします。
心よりご冥福をお祈りします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-29 20:45 | 映画・小説・漫画 | Comments(2)  

軍師官兵衛 第4話「新しき門出」 ~官兵衛と光の結婚~

 黒田官兵衛が結婚した年は、はっきりわかっていません。官兵衛の嫡男である松寿丸(のちの長政)が誕生したのが永禄11(1568)年12月3日とあるので、おそらく、結婚したのは永禄10(1567)年から翌年の初頭あたりと考えられています。お相手は播磨国の志方城主である櫛橋伊定の息女・。読み方は「テル」が通説でしたが、つい最近の発表で、晩年の彼女自身が建立した菩提寺である圓應寺(福岡)の蔵書から、「ミツ」とルビの記された古文書が発見されたそうで、物議を醸しているそうです。ドラマでは、これまでの通説どおり「てる姫」を採用したようですね。

 光の実家である櫛橋氏とはどんな家かというと、もとは相模国大住郡櫛橋郷に土着していたようですが、鎌倉時代に播磨国に移ってきたといわれているそうで、南北朝期に、守護となった赤松氏の被官となったものと考えられています。しかし、戦国時代になって赤松氏が衰退し始めると、櫛橋氏はその配下から自立し、ドラマの時代には、志方城を拠点として播磨国に威勢を誇っていました。お隣の姫路城代である黒田氏にとって、地元の有力者である櫛橋氏の娘を娶ることは、大いにメリットがあったんですね。そしてそれは、一方の櫛橋氏側にとっても同じことでした。一説には、光の父・伊定が官兵衛の人物を見込んで、娘を嫁がせたともいいます。また、二人の結婚に際して伊定は、櫛橋家に代々伝わる具足を官兵衛に贈っています。ドラマにあったような、櫛橋家が黒田家を蔑んで見ていたなんてことは、おそらくなかったんじゃないでしょうか。

 光は、才色兼備のすばらしい女性だったといいます。また、体格は官兵衛より大きかったとか(官兵衛が小柄だったこともあるでしょうが)。司馬遼太郎氏の小説『播磨灘物語』では、婚礼の日にわが嫁の姿を初めてみた官兵衛が、その背の高さに驚いてしまいます(同小説では、妻の名前は「お悠」となっています)。婚儀では、官兵衛の座席に円座を3枚重ねて、なんとかつり合いがとれた・・・と。あまりの背の高さに戸惑っていた官兵衛は、その初夜が明けた朝、「たしかに、女だった」と呟きます(笑)。なんとも失礼な話ですね(笑)。しかし、婚儀が終わってから、あらためてしみじみと妻の顔を見て、「わが嫁は、あのように美しかったのか」と見入るシーンもあります。もちろん、これらはすべて司馬氏のフィクションの光(お悠)像で、実際の人物像はわかりません。ただ、官兵衛は生涯、側室を迎えておらず、ふたりの夫婦仲も仲睦まじいものだったといいます。たぶん、美しい女性ではあったのでしょうね。

 結婚して間もなく、官兵衛は父・職隆から家督を譲られ、小寺家の家老職も継ぎます。官兵衛、22~23歳の頃でした。職隆もまだ40歳代半ば。とくに病気がちでもなかった職隆の隠居の申し出に、当初は主の小寺政職も考えなおすよう説得しますが、職隆の意思は固かったようです。なぜ、職隆が早々に隠居したのかはわかりませんが、あるいはドラマのような理由があったのかもしれませんね。だとすれば、後年の官兵衛が早々に隠居した経緯も、父を見習った選択だったのだったのかもしれません。子は知らず知らずのうちに、親を手本にしているということでしょうか。さもありなん・・・ですね。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-28 18:48 | 軍師官兵衛 | Comments(4)  

年の瀬の阿波国紀行備忘録 その2 「徳島城跡」

徳島城址は、徳島中央公園として市内中心部にあります。
天正13(1585)年、豊臣秀吉四国征伐で勲功をあげた蜂須賀正勝(小六)が、阿波国19万石を与えられますが、入国してまもなく、高齢を理由に嗣子の家政に家督を譲り、その家政が徳島城を築城したました。
その後、蜂須賀家は家政の嗣子・至鎮大阪の陣での功績により淡路国も加増され、以後、江戸時代を通じて14代に渡ってここ徳島城に居城し、阿波国・淡路国の両国26万石を支配します。

e0158128_21353482.jpg

上の写真は大手門跡です。

e0158128_2139949.jpg

そしてこちらは南麓曲輪
石垣隅に隅櫓、橋向かいの石垣上に旗櫓があったそうです。

e0158128_2143251.jpg

上の写真は鷲の門
この鷲の門は、城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、説明看板によると、その造りは脇戸付きの薬医門で、幕府に鷲を飼うからと申し立て建設したところから鷲の門の名があると伝えられているそうです。
当時の門は、昭和20(1945)年の空襲によって焼失してしまったそうで、現在のものは、平成元(1989)年に復元されたものだそうです。

e0158128_2251475.jpg

徳島城は、標高61mの城山に建つ平山城でしたが、明治6(1873)年のた廃城令によって存城処分となり、その後、明治8(1875)年に建築物のすべてが取り壊され、いまでは石垣のみが当時の面影を偲ばせています。

e0158128_2265793.jpg

徳島城の石垣は、「阿波の青石」として有名な緑色片岩を用いた「緑色の石垣」として知られているそうです。
偏平に割れ、城郭のような 大規模な石垣を築くのに適しているとは言えないものだそうです。

e0158128_22155095.jpg

天守跡です・・・といっても、何もないただの原っぱですけどね(笑)。

e0158128_22185926.jpg

城山から城下を見渡した写真です。
標高たった61mとはいえ、山頂まで登るのは、おじさんには結構な運動でした。

e0158128_22272283.jpg

城山の麓の御殿跡には、蜂須賀家政の銅像が建てられていました。
なぜ家祖の小六(正勝)ではなく家政なのかと思ったのですが、考えてみれば徳島城を築城したのは家政であって、家祖は正勝でも藩祖は家政なんですね。

e0158128_22314985.jpg

でも、説明看板によると、戦前は、野太刀と長槍を持った甲冑姿の小六の銅像が建っていたそうですが、戦時中に供出されてしまったそうです。
で、昭和40(1965)年に、この家政像に生まれ変わったそうで・・・。
だったら、なんで小六にしなかったんでしょうね。

さて、だらだらと思いついたまま綴ってきましたが、そんなわけで、そろそろ出張ついでの徳島城址レポートを終わります。
このあと徳島ラーメンを食べて、仕事に戻ったわたしでした。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-23 22:56 | 徳島の史跡・観光 | Comments(2)  

年の瀬の阿波国紀行備忘録 その1 「淡路島と追憶の二軒屋駅」

昨年末、出張で四国徳島を訪れたのですが(参照:阿波国徳島のクリスマスイブなう!!)、遅ればせながら、そのときの備忘録です。
出張といっても、わがまち神戸から徳島市は、車で1時間半ほどで行けちゃいますから、同じ兵庫県内の北部に行くほうが遠いくらいです。
つい十数年前までは、四国は遠いイメージがありましたが、今では陸続きのようなものですからね。

e0158128_2364142.jpg

写真は、淡路島側から見た明石海峡大橋です。
普段わたしは、この反対側(本州側)からの景色を毎日見ているのですが(参照:2011年元旦の昼下がり、新年のご挨拶。)、神戸側からだとどうしても逆光になるので、橋が綺麗に見えるのは、この淡路島側からのような気がします。
いまさら紹介するまでもないですが、全長3,911m、中央支間1,991mという世界最長の吊り橋で、主塔の高さは300mもあります。
東京タワーより少し低いくらいですね。
人類は、よくこんな大それたものを造ったものです。

e0158128_2393665.jpg

続いてこちらは、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋です。
撮影は淡路島側から。
こちらは、明石海峡大橋と比べて、長さも高さも約半分です。
この二つの橋が掛かったことで、関西と四国はずいぶんと近くなりましたよね。
いうなれば、淡路島自体が四国と本州を結ぶ橋のようなもので・・・というと、淡路島の方々から怒られそうですが(笑)。
淡路島は、『古事記』によれば日本列島で最初に生まれた島とされ、伊奘諾尊、伊奘冉尊の2神が最初に国生みを行った場所とされています。
いわば、私たち日本人の聖地のような島ですね。
橋なんて馬鹿にしちゃいけません(笑)。

で、淡路島をあとにして、徳島に到着して最初に目にしたのがこれ。
         ↓↓↓
e0158128_2312057.jpg

JR徳島駅前にある郵便ポストです。
徳島といえばなんといっても阿波踊りですが、これには笑っちゃいました。

e0158128_23122243.jpg

年末の慌ただしいなかの出張だったので、観光の時間などとれない予定だったのですが、ちょっとした手違いから2時間ほど空き時間ができてしまい、だったら、せっかくだからと、徳島城趾徳島中央公園を訪れました。

e0158128_2314879.jpg

公園内に展示されていたSLです。
説明看板によると、大正12年から昭和44年までこの地で活躍した、「汽車ぽっぽ」の愛称で親しまれた8620形式蒸気機関車だそうです。

e0158128_23155551.jpg

とくにSLなどに興味のないわたしなので、普通ならスルーするところだったんですが、ふと目に止まったのが、駅のプラットホームをイメージしたレトロ看板に書かれた「にけんや」という文字でした。

e0158128_231759.jpg

実は、わたしは幼いとき、親父の仕事の転勤で3年間ほど徳島に住んでいたことがあるのですが、そのときの最寄りの駅が、この二軒屋駅でした。
わたしが住んでいたのは昭和45年から48年、幼稚園の2年間と小学校1年生の夏休みまでなので、断片的な記憶しか残っていないのですが、徳島から神戸に移転して間もなく親父が病死したため、親父との思い出は、ほとんど、ここでの記憶です。

e0158128_23191272.jpg

最寄りの駅の名称なんてすっかり頭から消えていたのですが、この看板を見た瞬間、「あ!ここだ!!」と、思い出しました。
二軒屋駅から親父に手を引かれて家に帰った道すがらの景色が、この看板のおかげで記憶の奥底から引き出されたんです。
ちょっと感傷に浸っちゃいましたね。
で、思わず写真におさめた次第です。
そもそも、立ち寄る予定のなかった公園だったわけで、思わぬところで思わぬ出会いがあるものです。

と、若干センチメンタルジャーニーになったところで、長くなっちゃったので次稿へつづく・・・。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-22 23:25 | 徳島の史跡・観光 | Comments(0)  

軍師官兵衛 第3話「命の使い道」 〜荒木村重と饅頭の逸話〜

 幼なじみで初恋の相手のおたつの死に、心を痛める若き黒田官兵衛の話でした。前話の稿でも述べましたが、おたつはドラマのオリジナルで、架空の人物。そのモデルは、官兵衛の妹・志織姫です。黒田家の仕える小寺家と、備前国の浦上家との同盟関係の証として、浦上政宗の息子に嫁いだ志織姫でしたが、室山城(室津城)での婚礼の夜に、隙を突いた龍野の赤松政秀に襲撃され、新郎新婦もろとも命を落とします。戦国の世のならいとはいえ、悲しい逸話ですね。室津の人々はこの悲劇を憂い、花嫁の鎮魂のために、ひな祭りを半年遅れの八朔(旧暦の8月1日)に延しました。このときより、室津では3月のひな祭りを八朔に行うことになったそうです。

 本話の「官兵衛紀行」は、ぜったい室津と「八朔のひなまつり」のエピソードだと思ってたんですけどね。

 官兵衛が幼なじみの死の悲しみに打ちひしがれていたころ、美濃国では竹中半兵衛が、わずか十数名の手勢で稲葉山城を乗っとりました。その理由は、酒色に溺れて、佞臣のみを重用して賢臣を遠ざけ、政務を顧みようとしない主君・斎藤龍興を諌めるためのものだったといいます。これを伝え知った織田信長は、「城を明け渡しくれれば、美濃の半分を与えよう」と半兵衛に伝えますが、これを受けた半兵衛は、「主の斎藤龍興を諫めるため、一時的に城を預かっているだけだ」と答え、信長の申し出を退けます。そして、半年ほど城を占拠したのち、龍興に返還しちゃうんですよね。半兵衛を語るに外せない逸話で、なんとも痛快なエピソードです。

 荒木村重が出てきましたね。いうまでもなく村重は後年、官兵衛の人生を大きく変えることになる人物ですが、当然このときの二人は知るはずもありません。村重は官兵衛のひとまわり歳上ですから、このころは28歳くらいでしょうか。盗賊に襲われた官兵衛主従を助けるという設定の登場でしたが、そのお礼に官兵衛が差し出した饅頭をもらって曰く「饅頭は大好物じゃ!」とのこと。これが、単なる他愛もない演出ではなく、村重にまつわるエピソードの伏線であることは、知ってる人はわかりますよね。

 荒木村重を描いた『荒木村重錦絵図』という絵がありますが、これは、村重が餅を食らうシーンを描いたものです。『太平記英雄伝』によると、村重がはじめて織田信長に拝謁したときに、「摂津国は13郡分国にて、城を構え兵士を集めており、それがしに切り取りを申し付ければ身命をとして鎮め申す」豪語したそうです。これを聞いた信長は、おもむろに腰刀を抜き、その剣先に饅頭を3個ほど突き刺し、「食してみろ!」と村重の目の前に突き出します。同席していた者どもは青ざめてしまいますが、村重は顔色を変えることなく、「ありがたくちょうだいします」と、大きな口を開け剣先が貫いた饅頭を一口で食べたとか。その度胸を気に入った信長は、村重に摂津を任せたといいいます。

 この逸話が実話かどうかはわかりませんが、これが実話なら、荒木村重という人物がいかに肝の座った男であったかがわかります。・・・が、饅頭が大好物だったかどうかはわかりません(笑)。

 「かたじけない。今度会うときは、わしは城持ちになっているからのう。10倍にして返すぞ。また会おう!官兵衛」

 その言葉どおり、今度会うときの村重は城持ちになっていました。でも、恩をアダで10倍返しすることになろうとは、半沢直樹もビックリでしょう(笑)。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-20 22:35 | 軍師官兵衛 | Comments(2)  

阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。

今日は1月17日。
6434人の方が亡くなり、3人の方が行方不明になった阪神・淡路大震災の発生から、今日で19年となりました。
そして今日1月17日は、わたしの誕生日でもあります。
19年前の震災当日に28歳の誕生日を向かえたわたしも、今日で47歳になりました。
あのとき、生後4ヶ月だった愚息も、いまは大学生になっています。
足かけ20年もの年月が流れて、日々の暮らしのなかで震災のことを思い出すことはずいぶんと少なくなりましたが、神戸市民にとって1月17日だけは、当時のことを思い出して感傷にふける日です。
当ブログでも、この日は毎年、当時の話をしてきました。

e0158128_0541440.jpg

写真は、神戸市東灘区の東求女塚古墳跡公園内にある震災慰霊碑です。
東灘区は、神戸市のなかでも最も家屋倒壊率の高かったまちで、亡くなられた方の数も率もいちばん高かった地域です。
高速道路が横倒しになっていた映像は記憶に残っている人も多いかと思いますが、あの近くですね。
わたしは、倒れて数日後の高速道路を間近で見ましたが、映像や写真で見るのとは比べものにならないほど、恐ろしい光景でした。
正直、脚が震えました。
平衡感覚を失って吐きそうになりました。
あれは強烈な体験でしたね。

e0158128_11213551.jpg

当時のわたしの知人で、あのとき阪神高速道路を走行中だった奴がいるのですが、そいついわく、空が一瞬光ったと思ったら、いきなり目の前の道路が蛇のように上下にウネリ始めたといいます。
何が起きたのかわからないまま急ブレーキを踏んで停車し、揺れが収まってからしばらくして地震だとわかったとか。
その後、車を走らせようにも、道路のジョイント部分が離れたり、段違いになったりしていて進めず、停電で真っ暗ななか徒歩でしばらく進むと、道路が途中で途切れ、その先は目を疑う光景になっていた・・・と。
で、進むのをあきらめ、ラッキーにも少し引き返したところに高速の乗り口があったため、まわりにいた数台の車と協力して、逆走して高速道路から脱出したそうです。
その間も余震は頻繁に続き、生きた心地がしなかった・・・と。
間一髪、九死に一生を得るとは、まさにこのことですね。

あのとき東灘区で横倒しになった高速道路は600メートルにも及んだそうですが(他にも、橋桁がずれたり傾いたりした場所は数知れず)、意外にも、亡くなられたドライバーの方は10数名だったと記憶しています。
午前5時46分という時間が幸いしたのでしょうが、高速道路の真下には国道43号線が並走しており、よくそれだけの被害で済んだなあと、つくづく思います。
もし、あと2時間後に起きていたら・・・・考えるだけで背筋が寒くなりますね。

今年も神戸市内では、各地で追悼行事が催されるようです。
平日なので、わたしはそのような場所には行けませんが、19年前のあの日、幸運にも命を落とさずに、こうしていまを生きていることを幸せに思い、犠牲になった方々への哀悼の意を捧げたいと思います。
今日、1月17日は、神戸市民にとってそういう日です。


過去5年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-17 01:02 | 日常 | Comments(0)  

軍師官兵衛 第2話「忘れえぬ初恋」 〜官兵衛の初陣と新加納の戦い〜

 元服した黒田官兵衛は主君である小寺政職近習となり、御着城で暮らします。近習とは、主君のそば近くに仕えて身の回りの世話をしたり、警護したりする任務ですが、ドラマでも言っていたように一種の人質でもあります。主従関係が固定化された江戸時代とは違い、寝返り裏切り行為など当たり前の下克上の時代ですから、人質は主従関係の証なんですね。だから、人質といっても粗略な扱いを受けるわけでも肩身の狭い思いをするわけではなく、両家の関係が上手くいってさえすれば、むしろ大切な客人扱いとなります。官兵衛の優秀さは政職も聞き知っていたことでしょうから、将来小寺家を支える番頭格の武将に育てようと考えていたことでしょう。

 官兵衛の初陣については、詳しい記録が残っていません。ですから、司馬遼太郎氏の小説『播磨灘物語』でも、官兵衛の初陣は16歳のときとあるだけで、具体的な場所や合戦名は書かれていません。ただ、当時の播磨国は、一国を統治する権力が存在せず、小寺家も宿敵である龍野の赤松政秀や、備前国で急速に台頭してきた浦上宗景らとたびたび交戦していましたから、官兵衛の初陣がこの頃であったのは間違いないでしょうね。若いころの官兵衛は、和歌や連歌に夢中の文化系草食男子だったようですが、戦乱の世はそれを許しませんでした。

 官兵衛が初陣を飾ったであろう頃、尾張国統一を果たして桶狭間の戦いに勝利した織田信長は、美濃攻略に乗り出していました。ドラマで描かれていたのは、永禄6(1563)年の新加納の戦いと呼ばれる合戦ですね。斎藤道三亡き後といえども斎藤勢は手強く、織田勢は敗色濃厚となっていました。ところが、夕刻になりあたりが暗くなると、稲葉山城に続く山道に無数の松明が灯ります。これを見た斎藤勢は、織田軍が城に向かって動き出したと思い、あわてて引き上げます。しかし、これは木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の策略で、川並衆たちにありったけの松明を用意させたものでした。この藤吉郎の機転によって九死に一生を得た信長は、藤吉郎を重用するようになったといいます。

 「斎藤方には、とんでもない軍師がおるようじゃな」

 そのとんでもない軍師と藤吉郎の出会いが、やがて歴史を大きく動かすことになり、官兵衛の人生にも大きく影響を及ぼすことになるわけですが、この頃、播磨国で初陣に震えていたであろう官兵衛は、まだまだ歴史の表舞台には登場しません。

 官兵衛の幼なじみで初恋の相手という設定のおたつという女性は、おそらくドラマのオリジナルで、架空の人物でしょうね。おたつは小寺家と浦上家との同盟関係の証として、浦上政宗の息子に嫁ぐ設定となっていましたが、実際には(というか伝承では)、浦上家に嫁ぐのは官兵衛の妹・志織姫だったようです。いわゆる政略結婚、つまり人質だったわけですが、上述したとおり、人質だからといって必ずしも不幸が待っているわけではありません(そのあたりは、ドラマ中に官兵衛も言っていましたね)。しかし、志織姫(ドラマではおたつ)には、思いもよらぬ悲劇が待っていたようです。それは第3話にゆずることにしましょう。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-14 23:33 | 軍師官兵衛 | Comments(0)  

軍師官兵衛 第1話「生き残りの掟」  〜黒田重隆・職隆・孝高〜

 黒田官兵衛孝高は、天文15(1546)年11月29日、黒田職隆の嫡男として播磨国姫路に生まれました。官兵衛が生まれたときは雪が降っていて、英雄が生まれる奇瑞であった・・・と、『黒田家譜』に記されています。幼名は万吉。同じく『黒田家譜』によれば、幼少期の官兵衛に対する記述は賞賛の一色ですが、同史料は官兵衛の死後70年ほど経ってから編まれたもので、しかも筑前福岡藩黒田家の藩命で編纂されたものですから、すべてを信じることはできないでしょう。ただ、優秀な子ではあったのでしょうけどね。

 官兵衛の祖先である黒田氏のルーツは、佐々木源氏の流れをくむといわれおり、鎌倉時代の末期、佐々木宗清の時代に近江国伊香郡黒田村に移り住んだと伝えられています。ただ、この説を裏付ける史料は少なく、実際のところは定かではありません。日本人にとって黒田という名字はごくありふれたものですから、いくつものルーツが考えられるでしょうね。まあ、黒田家に限らず、戦国大名の多くは出自が曖昧なものですか・・・。

 黒田氏が一次史料にはじめて登場するのが、官兵衛の祖父・黒田重隆です。その意味では、黒田氏の実質的な始祖は重隆といえるかもしれません。上述した近江の黒田村にて生まれた重盛は、備前国福岡(現岡山県)に移住したといわれ、その後、姫路に移ったとされます。後世、黒田家が筑前国福崎を福岡と改称したのは、備前国福岡にちなんだといわれています。

 姫路に移り住んだ重隆は、目薬屋として立身出世を遂げたという話があります。伝承によると、経済的に困窮していた重隆は、ある日夢のお告げによって広峯神社に詣でたそうです。そこで神主と黒田家秘伝の目薬「玲珠膏」の話になり、神社の祈祷札にその目薬をつけて販売したところ、すっかり効能が評判となり、大いに売れたといいます。いわゆる抱き合わせ商法ですね。ドラマでもこの逸話を採用していました。こうして重隆は一財産を築いたといわれますが、この逸話は、江戸時代中期に記された『夢幻物語』に記されたものだそうで、根拠に乏しいようです。ただ、姫路に移り住んだ重隆の時代に、黒田家は富裕層に成長したのはたしかのようで、これが小寺氏の目に止まるところとなり、仕官の契機になったと考えられています。

 その後、重隆の息子、黒田職隆の時代に御着城主・小寺政職の配下に属します。職隆は思慮が深く武勇もあったそうで、瞬く間に小寺氏配下にて頭角を現し、政職も職隆を厚く遇したといいます。自身の偏諱である「職」の字を与えているところを見ても、政職がいかに職隆に目をかけていたかがわかりますね。さらに政職は、職隆に小寺という姓を名のることも許し、さらにさらに、明石正風の娘を自身の養女に向かえ、職隆のもとに嫁がせました。そして、その二人の間に生まれたのが、孝高こと官兵衛です。

 第1話は物語のプロローグで、いつものように主人公の子供時代を描いたものでした。昨年、一昨年の作品の第1話に比べると、可もなく不可もなしといった1話だったように思います。子役の子が演じる官兵衛は、『黒田家譜』で賞賛されるような神童ではなく、普通の少年でしたね。普通じゃなかったところといえば、話に夢中になってお漏らししたところでしょうか(笑)。でも、ドラマの万吉はそんな幼児でもなかったですよね。あれでは、神童というより、むしろ幼稚というか、暗愚というか・・・(笑)。
 「あの子は少々変わっているところもございますが、心根の優しい子です」
 万吉のお漏らしを嘆く父・職隆に対して母のいわが言った台詞ですが、人と変わっているところの描き方、他になにかなかったんでしょうか(苦笑)。

 官兵衛の幼少時代は第1話で終わり、次週からは元服後の官兵衛のようですね。最近の大河は、子役の子の出番が短いですね。昔の作品は、幼少期の話が2話か3話あったような・・・。近年、低視聴率に喘いでいることもあって、早く主役の俳優さんを出したいのでしょうか・・・。俳優さんの人気に頼らず、自信を持って製作してほしいと思います。

 とにもかくにも、今年も大河ドラマのレビューを始めました。ただ、第1話のレビューがこんなに遅くなってしまったように、仕事が忙しくてなかなか起稿する時間がとれません。そんなわけで、毎週とはいかないかもしれませんが、本年もよろしくお願いします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-11 16:18 | 軍師官兵衛 | Comments(3)  

やしきたかじんさんの逝去を悼む。思い出の曲『明日になれば』

やしきたかじんさんが亡くなられました。
関西のテレビやラジオでは、今日は朝からずっとその話題でした。
朝、家を出るとき少しだけ観ましたが、全国ネットのワードショーでもかなり時間を割いて取り上げていましたね。
以前の稿でも書いたとおり(参照:やしきたかじんさんに見る、“東京嫌い”を痛快に思う関西人。)、頑なに東京のメディアに出ることを嫌っていたたかじんさんでだったので、東京出しの番組では大きく取り上げられないと思っていたのですが、意外でした。
私の仕事場では1日中ラジオをつけているのですが、今日はずっとその話題で、夜には2時間の追悼番組が組まれていました。
関西の芸能界にとっては、大きな大きな損出ですね。

「関西芸能界のドン」「浪速の視聴率男」などと名高く、「たかじん」の冠がつくテレビ番組を多く持つ大物MCのたかじんさんでしたが、わたし個人的には、ずっと昔の、売れる前の彼が大好きでした。
10歳代の頃、ラジオの深夜放送にどっぷり浸かっていたわたしは、そこで過激に吠えていたたかじんさんのラジオのヘビーリスナーでした。
『MBSヤングタウン』桂三枝(現・六代桂文枝)のサブとして出ていた頃から、そしてその後同番組のメインパーソナリティとして岩崎宏美さんとやっていた頃、あと、番組名は忘れましたが、同じく売れない頃の笑福亭鶴瓶さんとやっていた番組なんか、めちゃめちゃ面白かった・・・。
しばらくして昼間のラジオ帯番組『聞けば効くほどやしきたかじん』を始めたころも、わざわざ録音して聞いていたほどです。
その後ブレイクしてテレビの人となりましたが、わたしにとってたかじんさんは、学生時代のラジオから聞こえる声の人です。
もう、あの濁声を聞けないと思うと、残念でなりません。

昨日のちょうど今ごろの時間、仕事場のラジオで訃報を知りました。
いまもまだ仕事場ですが、なんとなく落ち着かずにパソコンの前にいます。
言いたいことがまとまっていません。
ただ、残念でならない思いと、届くはずのない若き日のお礼の気持ちを込めて起稿しています。
本当に惜しい人を亡くしました。

最後に何かたかじんさんの曲を・・・と思って、あれこれ考えましたが、私のいちばんの思い出の曲は、いわゆるヒット曲ではなく、深夜放送のパーソナリティの頃、ラジオで「売れたい、売れたい」と言っていた頃の歌、『明日になれば』です。



ラジオでこの歌を岩崎宏美さんと一緒に歌っていたのが、昨日のことのように思い出されます。
心より心より、深く深く、ご冥福をお祈りします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-08 23:33 | 芸能 | Comments(0)  

軍師官兵衛キャスト

 さて、2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』が本日始まります。主人公の黒田官兵衛は、筑前福岡藩52万石の領主、黒田家の始祖となった人物で、実力がありながらも天下が取れなかった、史上最強のナンバー2として後世にたいへん人気の高い武将ですね。その人生を簡単に紹介すると、播磨国は姫路の豪族、小寺氏の筆頭家老の家に生まれた官兵衛は、織田信長が天下に勢力を伸ばしつつあった当時、毛利氏征伐を命じられた羽柴秀吉のもとに仕え、その才覚を見出されます。一時は、信長に叛旗を翻した荒木村重の手によって摂津有岡城内に1年以上も幽閉されるという挫折を味わいますが、九死に一生を得た官兵衛は、その後、秀吉の頭脳として数々の功績をあげ、信長の死後は、秀吉の天下統一に向けて重要な役割を果たし、早世した竹中半兵衛と並び、秀吉の名参謀としてその名を残しました。しかし、天下人となった秀吉は、やがて官兵衛の智謀・謀才を恐れ始め、冷遇し始めます。秀吉から警戒されていることを敏感に察知した官兵衛は隠居を申し出、出家して如水と号します。しかし、隠居は許されたものの領国に引っ込むことは許されず、秀吉の側に仕え続けました。そんな知将の物語が、今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』です。

***********************************************************************
主人公とその一族
黒田官兵衛・・・・・・・岡田准一(少年期:若山耀人)
・・・・・・・中谷美紀
黒田重隆・・・・竜雷太
黒田職隆・・・・・・・柴田恭兵
いわ・・・・・・・戸田菜穂
ぬい・・・・・・・藤吉久美子
黒田長政・・・・・・・松坂桃李
栄姫・・・・・・・吉本実憂
黒田休夢・・・・・・・隆大介
井出友氏・・・・・・・飯田基祐
黒田家家臣
母里小兵衛・・・・・・・塩見三省
母里武兵衛・・・・・・・永井大
栗山善助・・・・・・・濱田岳
母里太兵衛・・・・・・・速水もこみち
井上九郎右衛門・・・・・・・高橋一生
後藤又兵衛・・・・・・・塚本高史
お国・・・・・・・中川翔子
お福・・・・・・・阿知波悟美
お道・・・・・・・福島リラ
おゆう・・・・・・・中村映里子
織田家
織田信長・・・・・・・江口洋介
お濃・・・・・・・内田有紀
土田御前・・・・・・・大谷直子
織田家臣
明智光秀・・・・・・・春風亭小朝
柴田勝家・・・・・・・近藤芳正
丹羽長秀・・・・・・・勝野洋
滝川一益・・・・・・・川野太郎
佐久間信盛・・・・・・・立川三貴
荒木家
荒木村重・・・・・・・田中哲司
だし・・・・・・・桐谷美玲
高山家
高山右近・・・・・・・生田斗真
豊臣家
羽柴秀吉・・・・・・・竹中直人
おね・・・・・・・黒木瞳
羽柴秀長・・・・・・・嘉島典俊
豊臣家臣
竹中半兵衛・・・・・・・谷原章介
石田三成・・・・・・・田中圭
蜂須賀小六・・・・・・・ピエール瀧
小寺家
小寺政職・・・・・・・片岡鶴太郎
お紺・・・・・・・高岡早紀
江田善兵衛・・・・・・・上杉祥三
櫛橋家
櫛橋左京亮・・・・・・・益岡徹
櫛橋左京進・・・・・・・金子ノブアキ
・・・・・・・酒井若菜
伊吹家
伊吹善右衛門・・・・・・・尾藤イサオ
おたつ・・・・・・・南沢奈央
伊吹文四郎・・・・・・・遠藤要
赤松家
赤松政秀・・・・・・・団時朗
円満・・・・・・・麿赤兒
石川源吾・・・・・・・升毅
別所家
別所長治・・・・・・・入江甚儀
別所賀相・・・・・・・ベンガル
別所重棟・・・・・・・佐戸井けん太
室町幕府
足利義昭・・・・・・・吹越満
毛利家
小早川隆景・・・・・・・鶴見辰吾
安国寺恵瓊・・・・・・・山路和弘
京・本願寺
顕如・・・・・・・眞島秀和
尼子家
山中鹿介・・・・・・・別所哲也
宇喜多家
宇喜多直家・・・・・・・陣内孝則
***********************************************************************

 主人公の官兵衛役はV6の岡田准一さんですね。岡田くんといえば、いま話題の映画『永遠の0』の主役でもありますし、数年前には映画『天地明察』の主役も演じられていましたね。あと、私が記憶に残っているのは、7~8年前のNHK新春ドラマ『大化の改新』で、中臣鎌足役を演じられていたことでしょうか。人気アイドルでありながら、時代劇や戦争映画などの主役を任される演技派アイドルといったイメージで、このたびはどんな官兵衛像を演じてくれるか楽しみです。ただ、官兵衛といえば、有岡城にて投獄された際に頭部に醜い瘡を患ったとされ、その後髪の毛も生えず、年よりも老けて見えたといいます。後世に残されている肖像画を見ても、決して色男ではありませんよね。そのあたり、岡田くんでは少々カッコよすぎる気がしないでもないのですが、いかがなものでしょう。

 あと、豊臣秀吉役は竹中直人さんなんですね。いうまでもなく竹中さんは、1996年の大河ドラマ『秀吉』で秀吉役を演じた俳優さんで、誰もが認めるハマリ役だったわけですが、あのときの竹中さんは40歳前。今はもう60歳近いはずで、秀吉が死ぬのが62歳ですから、ちょっと無理があるんじゃないでしょうか。ましてや、官兵衛との歳の差は10歳ほどですからね(笑)。また、織田信長役が江口洋介さんだそうですが、信長は秀吉の3歳上ですから、これも矛盾が生じます。まあ、秀吉と信長の年齢の矛盾キャストは、本作に限らないんですけどね。イメージでいえば、信長は志半ばで若くして死に、秀吉は天寿を全うした感がありますから、こういったキャスティングになるんでしょうね。

 とにもかくにも、1年間楽しみにしたいと思います。当ブログでも、今年は毎週とはいかないかもしれませんが、可能な範囲でレビューしていきたいと思いますので、また覗いてください。今年もよろしくお願いします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-05 03:28 | 軍師官兵衛 | Comments(1)