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軍師官兵衛 第21話「松寿丸の命」 ~竹中半兵衛の正義~

 荒木村重を説得するために有岡城に入ったまま戻らない黒田官兵衛に対して、織田信長はやがて強い不信感を抱き始めます。つまり、官兵衛は村重に味方したんじゃないかという疑念ですね。ドラマでは、思いのほか守りが堅い有岡城の戦いぶりを見て、信長は村重の影に官兵衛の存在を確信したという設定になっていましたが、あるいは本当にそうだったかもしれません。ミイラ取りがミイラになったと決めつけた信長は、羽柴秀吉のもとに人質となっている官兵衛の嫡男・松寿丸首をはねるよう命じます。この命令を受けたのが、秀吉の側近中の側近で、官兵衛とも誼のある竹中半兵衛だったといいます。

 半兵衛は信長に対して、官兵衛は忠義者であるがゆえ、決して敵に翻すことなどあり得ない、村重に与する理由がないと忠言し、また、ここで黒田家を敵にまわせば、中国攻めがうまく進まないとも述べます。それらを勘案すれば、松寿丸を殺すのは得策ではないと懸命に進言しますが、信長の怒りは収まりませんでした。

 力及ばずと悟った半兵衛は、一計を案じます。松寿丸を自身の領地である美濃国不破郡岩手の奥堤に連れ出し、密かに匿ったのです。そして、信長のもとには偽の首を秀吉に進呈させ、命令どおり処刑が行われたと見せかけます。下手をすれば半兵衛の立場が危うくなりかねない行為ですが、この半兵衛の機転によって、松寿丸の首はこの後50年近く繋がることになります。

 自身の危険を顧みないこの半兵衛の行いに、後世の物語などは、半兵衛と官兵衛との間に強い信頼関係と厚い友情があったと伝えます。しかし、裏切り、寝返りが当たり前のこの時代において、本当にそんな心通じ合う関係があったのかは甚だ疑問です。おそらく、松寿丸処刑の命を聞いた誰もが、「そこまでしなくとも」と思ったに違いありません。しかし、皆自身の身を守ることで精一杯で、信長の命に背くなど誰にも出来なかったことでしょう。松寿丸を助けたとて、自身にとって何の得にもならない。そんななか、身の危険を覚悟の上で信長の命に背いた半兵衛の姿に、彼の守るべき信念、価値観を見て取ることができる気がします。

 竹中半兵衛という人を知るに、美濃国斎藤家仕官時代の稲葉山城乗っ取り事件が不可欠ですが(参照:第3話)、あのエピソードから見ても、半兵衛という人は地位名声欲にはおよそ無頓着であることが見て取れますし、自身の正しいと思うことに命をかけられる人物であることがわかります。彼は何よりも義を重んじた・・・。半兵衛にとって、このときの信長の命には義を感じられず、一時の感情に任せた愚行であり、どうしても従う気にはなれなかった・・・。彼は、自身のなかの正義を守るために、松寿丸を助けたんじゃないかと思うんですね。自身の命がそう長くないことを悟っていたせいもあるかもしれません。彼は自身の人生最後に、自身の信念を曲げたくはなかった・・・。松寿丸を助けることによって、自身の人生を完成させたといっていいかもしれません。決して、官兵衛との友情といったような、単純なものではなかったんじゃないかとわたしは思います。

 それにしても、このときの信長の判断は明らかに早計ですよね。ネタバレになりますが、事実、のちに官兵衛が囚われの身であったことを知った信長は、松寿丸の処刑を命じたことを大いに悔み、半兵衛の機転によって処刑が行われなかったことを知って、深く半兵衛に感謝します。しかし、そのとき既に半兵衛は、この世にいませんでした。

 半兵衛は決して黒田家に恩を着せるつもりはなかったでしょうが、後年、福岡藩主となった松寿丸こと黒田長政は、このときの恩を決して忘れることなく、半兵衛の孫にあたる竹中重次を召し抱え、手厚く庇護しています。恩というものは、与えるものでも着せるものでもなく、受けた側が感じるものなんですね。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-30 21:02 | 軍師官兵衛 | Comments(4)  

軍師官兵衛 第20話「囚われの軍師」 ~黒田職隆の大英断~

 2週遅れのレビューです。当方いま、めちゃめちゃ忙しい身でして、GW以降ずっと不眠不休の日々を送っております。ブログの方も気にはなっていたものの、先週はとてもそんな時間はとれず、いまもその状況は抜け切れていないのですが、これ以上滞ると、その後もやる気が萎えてしまうと思い、なんとか無理やり時間をつくってログインしました(こう仕事に追い詰められる生活になると、なんとなくASKAの気持ちがわからなくもない気になります・・・笑)。てなわけで、少し手短になりますが、ご容赦ください。

 黒田官兵衛荒木村重によって有岡城幽閉されるという最悪の事態をうけて、主を失った黒田家中は逆に一致結束したと伝えられます。その事実は、『黒田家文書』にある家臣の起請文によって確認されるそうで、それによれば、官兵衛の安否が不確かないま、家臣は一致団結して「御本丸」に忠節を尽くすと記されているそうです。本来、本丸とは城郭の天守のことをいいますが、ここに記されている「御本丸」とは、官兵衛の妻・のことだそうです。ここで興味深いのは、忠節を誓う対象が官兵衛の父・黒田職隆ではなく、御方様の光だったこと。この事実に、のちの江戸時代とは違う戦国武将の妻の存在感が見てとれます。もちろん、実質的な長は職隆だったでしょうが、光が家臣団の精神的支柱だったわけです。黒田家中は御方様を支える体制で結束したんですね。

 もうひとつ、窮地に陥った黒田家を救った大きな要因は、職隆の速やかな決断でした。官兵衛が有岡城から戻らない状況のなかで、職隆は変わらず織田信長に従うことを表明します。その理由は、織田家に人質に出している松寿丸の身を案じてのことに他ならないですが、もし、村重が黒田家を味方に引き入れるために官兵衛を人質に捕らえたとすれば、早々の織田家支持の表明は、まだ生きているかもしれない官兵衛の命を奪うことにもなりかねません。

 「いざというときが来たら、官兵衛を捨て、松寿を生かす」

 柴田職隆、迫真の演技でしたね。実際の職隆も、苦渋の決断だったに違いありません。結果、この職隆の判断によって、黒田家は織田軍の攻撃を受けずに済んだとすれば、大英断だったといえるでしょう。しかし、それで松寿丸の命を守れたかというと、信長はそう甘くはなかったんですね。

 威勢よく叛旗を翻した村重でしたが、早々に側近の中川清秀高山右近らに裏切られてしまいます。とくに中川清秀は、村重に謀反を促した人物といわれ、石山本願寺に兵糧を横流しして村重謀反のキッカケを作った張本人とも言われる人物ですが、村重を煽るだけ煽っておきながら、自身は戦うことなく信長に降伏しています。裏切り、寝返りが当たり前の時代とはいえ、なんとも節操のない話ですよね。右近の場合は、もともと謀反には反対の立場で、村重を翻意させようと何度も説得にあたったといいますから、必然の寝返りだったといえるかもしれません。一説には、信長から畿内のキリシタンを皆殺しにすると脅されたため、とも言われますが、いかがなものでしょう。

 いずれにせよ、側近にはしごを外された村重は、孤立無援の籠城戦に入ります。期待の毛利軍の援軍も得られず、圧倒的不利な状況に陥った村重でしたが、ここから村重は粘りを見せます。なかなか有岡城を落とせない信長は、この粘りの裏に官兵衛がいるのではないか・・・と、疑うんですね。そこで下した命令が、職隆の思いを断ち切るものだったわけです。その続きは次稿にて。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-27 22:03 | 軍師官兵衛 | Comments(2)  

軍師官兵衛 第19話「非情の罠」 ~小寺政職の陰謀~

 黒田官兵衛荒木村重の謀反に際して伊丹・有岡城幽閉された話は、あまりにも有名ですね。その後の彼の人生を大きく左右することとなったこの出来事は、官兵衛の前半生のヤマ場とも言えます。おそらく、本作でも複数話にわけて描かれるのでしょうね。

 天正6年(1578)10月、織田信長配下の重臣・荒木村重が、突如、叛旗を翻します。村重の謀反は信長にとって大きな痛手だったようで、信長らしからぬ譲歩案を提示して翻意の説得にあたりますが、交渉は失敗に終わった・・・という話は、前話の稿で述べました(参照:第18話)。弱った信長は、一度は朝廷を通して石山本願寺との和睦を模索したといいますから、信長がいかに村重を引き留めようとしていたかがわかります。信長にとって村重は、それほど信頼を置いていた武将だったのか、あるいは、村重の謀反によって摂津一国を敵に回すことを恐れたのか、いずれにせよ、信長は相当動揺していたようですね。ドラマのとおり、羽柴秀吉明智光秀、あと蜂須賀小六なども説得に送り込みますが、村重の決意は揺るぎませんでした。

 そして、最後に村重の説得に向かったのが、ほかならぬ官兵衛でした。その経緯を詳細に伝えているのが、黒田家の正史『黒田家譜』です。それによれば、そもそもは、官兵衛の主君・小寺政職が、村重に呼応するかたちで信長に叛旗を翻すとのがたち、それを聞きつけた官兵衛が、政職を翻意させるために御着城に向かったことにはじまります。官兵衛は政職を思い止まらせるべく説得にあたりますが、官兵衛の進言を受けた政職が出した答えは、「村重が翻意するならば、自分も思い改める」というものでした。この答えに従って官兵衛は、有岡城に出向いて村重の説得にあたることを決意します。しかし、本話のタイトルどおり、これがだったんですね。

 政職と村重は既につながっていました。政職は有岡城に向かった官兵衛に先回りするかたちで村重に密使を送り、説得に訪れた官兵衛を暗殺するように依頼していたといいます。そうとは知らない官兵衛は、村重とはかねてから昵懇の仲だったこともあり、ほぼ単身で有岡城に入ります。ところが、城に足を踏み入れるやいなや、村重によって捕らえられ、城内の土牢へ投獄されてしまいます。村重は官兵衛と旧知の仲だったせいか、殺しはしませんでしたが、ここから官兵衛の約1年間に及ぶ長い幽閉生活がはじまります。

 というのが、『黒田家譜』が伝える官兵衛幽閉までの経緯です。ほぼドラマのとおりですね。あまりにもドラマチック出来すぎともいえるストーリーですが、村重の謀反と小寺家の叛旗のタイミングといい、このときの官兵衛を取り巻く播磨の情勢から考えても、ない話ではないと思います。すべてが史実だとはいいませんが、遠からずといったところではないでしょうか?

 それにしても、このときの官兵衛の警戒心の薄さは不思議ですね。政職の陰謀に気づかなかったのは仕方がないとしても、殺気立った籠城軍にわずかな手勢で入ったらどうなるか、官兵衛ほどの鋭敏な頭脳の持ち主なら分かりそうなものです。よほど説得工作に成功する自信があったのか、あるいは、村重を侮っていたのか、はたまた、自身の危機管理というものにはまるで無頓着な人物だったのか、この点について、小説『黒田家三代』の著者・池田平太郎氏は、同小説のなかで次のように述べています。
 「官兵衛はこれほどの才人でありながら、いや、才人であるがゆえに・・・・と言うべきか、自らのこととなると、韓非子そのままにまるで物が見えていなかった。(中略)官兵衛という男はまったく奇妙な男である。謀を帷幄の中に巡らし、千里の外に勝利を決するほどの頭脳を持ちながら、この期に及んでもまだ、状況が把握できていなかった。」
 IQが高いからといって賢い生き方ができるとは限らない。権謀術数に長けているからといって、危機管理に厚いとも限らない。人間の頭脳というのは面白いものですね。ただ、結果的に官兵衛は、このKYなミステイクのお陰で、その後の人生が大きく好転していったというのも面白いところです。人生、何がどう転ぶかわからないものです。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-12 22:52 | 軍師官兵衛 | Comments(0)  

軍師官兵衛 第18話「裏切る理由」 ~荒木村重の謀反~

 とうとう荒木村重が決起しちゃいましたね。村重が織田信長に対して叛旗を翻したのは天正6年(1568)10月、三木城主の別所長治が毛利方に寝返ってから約半年後のことでした。これまで村重は、石山本願寺攻めを担当していましたが、この年の2月、信長の命により本願寺顕如との和睦交渉を行うも失敗に終わり、その後、播磨攻略を目指す羽柴秀吉のもとに援軍として派遣されていました。秀吉軍に加わった村重は、上月城の戦い、神吉城攻め、そして三木城攻めと、続けざまに参戦していましたが、何を思ったのか、突如戦線を離脱。職場放棄して居城の有岡城に帰ってしまいます。

 さすがの信長も、これには大いに驚いたようで、かなり狼狽していたと、ルイス・フロイスの記述にあります。どうやら村重の謀反は、信長にとってまったくの寝耳に水だったようですね。なんとか村重を思い止まらせたい信長は、明智光秀松井友閑万見重元らを使者として村重のもとに送り込み、「(村重の)母親を人質に出せば、この一件は水に流す」とまでいいます。鬼の信長にしてみれば、これ以上ない譲歩といえます。

 光秀らと面会した村重は、一度はその説得に翻意し、信長に面会して釈明すべく安土城に向かいますが、その道中、家臣の中川清秀の居城である茨木城に立ち寄ったところ、「信長の気性からして、一度疑われた者は、いずれ滅ぼされるのは必至。このうえは信長と戦うべし」と進言され、結局有岡城に引き返してしまいます。これで、村重の謀反は決定的となりました。このあたり少し違いますが、大筋はドラマのとおりです。

 本話のタイトルは「裏切る理由」ですが、村重が謀反を起こした理由については、様々な説があります。ある説によれば、石山本願寺との和睦交渉の際に本願寺顕如と懇意になり、その縁で足利義昭とのパイプもでき、その両者からの要請があったため・・・といわれますし、また別の説では、家臣の中川清秀が密かに石山本願寺に兵糧を横流ししており、それが信長に発覚しかけたため、その処罰を恐れての決起だった・・・ともいいます。他にも、石山本願寺攻めの担当から外されて秀吉の配下に下ったことへの不満・・・とか、あるいは単純に、織田氏より毛利氏に分があると考えたから・・・などなど、どれもありそうな話ですが、どれも想像の域を出ません。

 ドラマでは、そんないろんな要素が積み重なった複雑な心理状態をうまく描いていましたね。わたしが思うに、いうなれば一種のノイローゼ、現代でいえば「うつ病」のような精神状態だったのかもしれません。実際に、石山本願寺攻めの担当を外されてから謀反を起こすまでのあいだ、捕獲した敵将を逃したり、無断で戦線を離脱したり、あきらかに戦意喪失ととれる行動が見られます。想像するに村重は心身ともに疲れ果てていた・・・、つまるところ、信長の配下で働くことが嫌になっていたんじゃないかと・・・。後世に「天才」と評される信長ですが、実際に天才奇才の下で働く部下は、たまったものじゃないかもしれませんね。村重にしても、のちの光秀にしても、天才信長の下で馬車馬のように働く日々から、逃げ出したかったのかもしれません。

 小説『播磨灘物語』のなかで司馬遼太郎氏は、村重の謀反の理由について次のように述べています。

 「(村重の謀反は)織田信長という人物の器量に関係ってくることになるであろう。信長は、諸国を斬り取りする困難な時期においてこそ彼自身が巨大な錐になって旋回し、立ちふさがる旧時代という岩壁に大穴をあげて行ったが、その事業がやや峠を越した観のこの時期にあっては別の人格を時代が要求するようになった。
「ああいう、不徳の大将では」と、村重が謀反を私(ひそ)かに決意したときは、そのように、うめいたにちがいない。」


 ドラマ中、信長は優秀な家臣のことを「良い道具」とよく表現していますよね。たしかに、信長にとって部下たちは「道具」でした。しかし、部下という道具には「心」があるということを、天才信長はわからなかったのですね。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-07 23:54 | 軍師官兵衛 | Comments(0)  

『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』に見る、八百比丘尼の伝説とSTAP細胞。

昨夜、正月に録画したままになっていたアニメ『ルパン三世 血の刻印~永遠のMermaid~』を、今更ながらようやく観まして、で、結構おもしろかったので、ちょこっとだけ思ったことを綴ってみます(って、いま調べてみたら、この作品は2011年のものだそうですね。とすれば、なおのこと「今更」ですが・・・笑)。
『ルパン三世』のスペシャルアニメといえば、虚実とり混ぜた伝説に絡めて、温故知新的なテーマを込めたストーリーが多いですよね。
この作品も例外に及ばずで、題材となっていたのが「八百比丘尼」の伝説でした。

八百比丘尼とは、人魚の肉を食べて800年も生き続けたという女性で、主に北陸地方に伝わる伝説です。
その伝承によれば、若狭の漁村に住む16歳の美しい少女が、ある日、漁師の父親が訳あって持ち帰った人魚の肉を、それとは知らずに食べてしまい、それ以来、少女は歳をとらなくなったといいます。
やがて彼女の肉親や周りの村人たちは皆、老い、死んでいきますが、彼女はずっと16歳のままの美貌を保ち続けたといい、そんな我が身を憂いた彼女は尼となり、自らのを求めて諸国を行脚します。
それから800年という長い年月が過ぎ、久しぶりに若狭に帰ってきた八百比丘尼は、自らの呪われた肉体を封印すべく、洞窟に入り、そして二度と人前に姿を表さなかったそうです。
人寿800年と伝わりますが、実際には800歳で死んだかどうかもわからない・・・あるいは、今なお、洞窟内で生きているかもしれない・・・というのが、八百比丘尼の伝説です。

この話は室町時代に広まったといわれ、当時の文献にも、いくつか記されているそうです。
もちろん、八百比丘尼が実在したとはとても思えませんが、この種の不老不死伝説は世界各国に存在しており、「不死」はともかく、人間にとって「不老」永遠の憧れともいえます。
古くは『竹取物語』にも、不老不死の秘薬が登場しますしね。

『ルパン三世』では、八百比丘尼の血を引く現代の不老不死の女性が登場し、封印された八百比丘尼の財宝に迫るというストーリーで、その財宝というのは、八百比丘尼の不老不死の肉体のことで、その肉体は、突然変異の超活性化細胞によるものとされていました。
その超活性化細胞を手に入れて利用しようという悪玉が、ルパン一味と敵対することとなります。
アンチエイジングは金になりますからね。

ここまで観てふと思い出したのが、今年なにかと話題のSTAP細胞でした。
STAP細胞の有無の問題はここでは置いておいて、たしか研究者の小保方晴子さんの最初の発表会見のときに、「夢の若返りが実現できるかも」と言ってましたよね。
まさに、究極のアンチエイジング、つまり、STAP細胞にしてもiPS細胞にしても、再生医療研究の究極の到達点は八百比丘尼ということですよね。
人間、1000年前も今も、不老不死に対する思いは変わらないということがわかります。
でも、それが本当に幸せなことなのか?・・・ということを、八百比丘尼の伝説は教えてくれているんですね。

たしかに、万能細胞の研究が進んで、臓器の再生で病から救われたり、不幸にも手足を失った人が、再生治療によって元の手足を取り戻すことが出来たら、どんなに素晴らしいだろうとは思います。
失った永久歯を再生できたら、入れ歯なんていらなくなりますしね。
でも、その行き着く先が八百比丘尼だとすれば、どこまでが幸せでどこからが不幸なのか、わたしにはわかりかねます。
生きとし生けるものすべてが、時間の経過とともに老化し、やがて死にゆく・・・。
それが自然の摂理だとすれば、アンチエイジングというのは、実は神をも恐れぬ行為なのかもしれませんね。

八百比丘尼の伝説はハッピーエンドではありません。
不老不死を求めることは愚かなこと・・・この伝説には、そんな戒めが込められています。
温故知新です。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-01 22:48 | 映画・小説・漫画 | Comments(2)