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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~

時系列からは外れますが、前稿で紹介した大野治胤の墓の近くに、今井宗薫屋敷跡があります。

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今井宗薫は堺の豪商で茶人の今井宗久の長男として生まれ、茶の湯を父に学び、豊臣秀吉御伽衆として仕えました。
秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いで功をあげて河内、和泉2国の代官となります。

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慶長19年(1614年)の大阪冬の陣に際して、豊臣方は堺に軍需品の提供を求めますが、和泉・河内の代官だった今井宗薫は、密かに徳川軍への協力を画策します。
しかし、これが豊臣方にバレてしまい、家財を没収されて大坂城に監禁されます。
その後、宗薫は逃れて城中の様子を家康に伝え、そのまま徳川軍に従いました。

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現地説明看板によると、宗薫の屋敷は織田有楽斎から譲り受けたものだそうで、当時の尺度で東西29間(約55メートル)・南北32間(約61メートル)あったそうです。
現在はマンションの前に石碑が建つのみ。
近くにある千利休屋敷跡がテーマパークになっていることを思えば、同じ秀吉の側近を務めた茶人としては、大きく扱いが違いますね。
やはり、豊臣を裏切った人物は、大阪ではあまり人気がありませんね。

次稿に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-28 21:52 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓

樫井古戦場から25kmほど北上した大阪府堺市にある月蔵寺の境内に、「道犬斎」の号で知られる大野治胤の墓があります。
治胤の兄は、大坂の陣の実質最高司令官の大野治長と、大和郡山の戦い樫井の戦いで豊臣方を指揮した大野治房で、この治胤を入れて団子・・・じゃなかった大野三兄弟です。

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治胤は冬の陣では豊臣家の水軍を率いて船倉を守備しますが、天候不順により野田・福島の戦いで大敗を喫し、「橙武者」とあだ名されて嘲りを受けていました(橙は、酸味が強くて食べられず、正月飾りくらいにしか使い道がないため、見かけ倒しを意味しました)。
その汚名返上とばかりに夏の陣では、紀州から進軍してくる徳川勢と対峙すべく南下しますが、その道中、徳川方の兵站基地であった焼き打ちにしました。
このとき、寺社民家二万戸が灰燼に帰したといいます。

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慶長20年(1615年)4月29日の樫井の戦いから逃げ延びた治胤は、大坂城落城後に脱出を図りますが、ほどなく徳川方にとらえられます。
その後、なぜか治胤の身柄は徳川方から焼き討ちにした堺の町衆に引き渡され、堺を焼け野原にした首謀者として町衆の恨みをその一身に受けた治胤は、にされた上で火あぶりにされて刑死します。

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この墓は、月蔵寺の尼・法春が治胤の死を哀れんで建てたものだそうで、最初は処刑場跡にあったそうですが、明治初めに処刑場が廃止になったため、ここ月蔵寺に移動させられたそうです。

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治胤については、江戸時代中期の書物『葉隠』のなかに、こんな話があります。
火あぶりにされて炭になったはずの治胤が、いきなり起き上がってその場にいた徳川方武士に脇差で斬りかかり、一太刀浴びせたあと、そのまま灰となって崩れ落ちた・・・と。
まあ、当然ながら信じがたい逸話ですが、「橙武者」と罵られたまま惨めに死にたくないという執念を感じますね。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
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by sakanoueno-kumo | 2015-10-27 17:27 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

花燃ゆ 第43話「萩の乱に誓う」 ~激動の幕末長州藩の終焉~

 明治9年(1876年)10月28日、山口県はにおいて、不平士族たちの新政府に対する反乱が勃発します。その首謀者は松下村塾生だった前原一誠。決起の趣意書には、「木戸孝允等帷幄に出入し、寵待此なく、しこうして先君の業、掠めて己の功となし」(原文は漢文)と書かれていました。つまり、木戸孝允ら政府高官たちは、先君・毛利家の地をほしいままにしている、と。廃藩置県から4年の歳月が過ぎていましたが、士族たちの心は、未だ毛利家の家臣だったんですね。

 維新後一時期、前原は新政府の参議、兵部省の兵部大輔を務めていました。ただ、前原の登用は、彼の識見や経験を斟酌されたものではなく、前任の大村益次郎暗殺されたため、同じ長州閥から繰り上がりで抜擢されたようなものでした。幕末に多くの有能な人材を失っていた長州藩は、薩摩藩に比べて人材が少なかったんですね。そんななか、同じ松下村塾出身の伊藤博文山縣有朋の出世に便乗して、前原も政府高官に登用されたといった感じでした。しかし、そもそも軍事の専門家ではない前原は、あまり出仕することがなかったようです。やがて徴兵制をめぐって木戸、山縣と対立し、明治3年(1870年)9月に追われるように政府を去ります。先述した決起の趣意書からも、木戸に対する恨み節が感じ取れますよね。

 その後、版籍奉還、廃藩置県で全国の諸藩が解体されると、新政府に反発を抱く不平士族が全国各地にあふれはじめます。そんななか、政府内も権力抗争のゴタゴタが続くのですが、明治6年の政変(征韓論政変)によって、西郷隆盛、江藤新平、副島種臣、板垣退助らが参議を辞任すると、新政府の軍人、高官の多くが西郷らと行動を共にしました。日本中に、新政府と不平士族らの一触即発の空気が漂いはじめます。

 最初に決起したのは、佐賀県でした。これまでずっと薩長の下風に立たされてきたことへの憤懣もあり、加えて江藤、副島が政府からはじき出されたことが導火線となり、明治7年(1876年)2月1日、帰郷した江藤が3千人近い不平士族の神輿に担ぎあげられて挙兵します。いわゆる「佐賀の乱」ですね。しかし、大久保利通の指揮する新政府軍によってまたたく間に鎮圧され、首謀者の江藤は即刻、斬首、梟首となります。不平士族たちへの見せしめですね。

 その後、政府は不平士族たちの特権をさらに削ぐべく、明治9年(1876年)に帯刀禁止令、秩禄処分を断行します。これによって、不平士族たちの憤懣はいっぺんに頂点に達し、同年10月24日に熊本県で太田黒伴雄らが「神風連の乱」を、続いて10月27日には福岡県秋月町で宮崎車之助らが「秋月の乱」を起こします。神風連の乱はわずか1日で鎮圧されましたが、秋月の乱勃発の報が短時間で萩に伝わり、これを千載一遇の好機とみた前原は、10月28日に挙兵します。これが、「萩の乱」勃発までの経緯です。

 しかし、前原にはそれほど人望カリスマ性もなかったのでしょうか。集まった士族は150人にも満たず、これでは大反乱になるべくもなく、たちまち広島鎮台兵によって鎮圧されます。前原は逃亡先の島根県下で捕縛され、首謀者として即日、斬首となります。享年43歳

 前原も江藤も太田黒も宮崎も、挙兵した彼らはみんな鹿児島の西郷の決起を期待していました。乱を起こせば、必ず西郷が起ってくれるに違いない・・・と。この頃、不平士族にとって西郷の声望は、まことに巨大なものになっていました。彼らのあいだでは、西郷は精神的支柱だったんですね。ところが、当の西郷はなかなか動かない。結局、それぞれの反乱が連携することなく単発で終わってしまい、前原たちの思いは砕け散りました。もし、このとき西郷が動いていたら、歴史はどうなっていたんでしょうね。

 この萩の乱には、美和の一族が深く関与していました。ドラマでは美和の甥にあたる吉田小太郎杉民治の長男)しか出てきませんでしたが、民治長女の婿養子で玉木文之進の跡取でもある玉木正誼も、乱に加わり討死しています。一族から二人も反乱者を出し、さらに、首謀者である前原が松下村塾出身であったことから、玉木文之進はその道義的責任を痛感し、同年11月6日に萩の山中で自刃して果てます。享年67歳。松下村塾の創設者であり、吉田松陰の師でもある文之進は、ある意味、激動の幕末長州藩の生みの親ともいえます。その生みの親が、長州藩の最後の武士たちと運命を共にしたというのは、なんとも出来過ぎたドラマですね。彼の死が、幕末長州藩にピリオドを打ったといえます。


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-26 21:47 | 花燃ゆ | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~

樫井古戦場跡から南西に10kmほど下った阪南市に、法福寺という寺院があるのですが、ここは別名、「お菊寺」と呼ばれています。
お菊とは、豊臣秀吉の甥・豊臣秀次小督局の間に生まれた姫で、前稿で紹介した(参照:その14淡輪六郎兵衛重政の姪にあたります。

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お菊の父・豊臣秀次は、天下人・秀吉の後継者候補として関白職を継ぎますが、その後、秀吉に待望の跡継ぎ(のちの豊臣秀頼)が生まれたことから、謀反の嫌疑をかけられ、切腹に追いやられた悲劇の人物ですね(異説あり)。
このとき、秀吉は秀次の一族すべての処刑を命じますが、伝承によると、生後間もなかったお菊は処刑を免れ、和泉国有手村(現在の阪南市鳥取)の後藤六郎兵衛輿義という人物の養女として育てられます。

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その後、成長したお菊は、紀州国の代官、山口朝安兵内に嫁ぎましたが、ほどなく大坂夏の陣が起こり、結婚5日目にして夫は大坂城に入城してしまいます。
お菊は夫の役にたとうと、密使として働きますが、やがて大坂城の落城とともに夫は討死し、お菊自身も捕らえられます。
そして、大坂城落城から1か月後の6月6日、紀伊南穂村の河原で処刑されました。
享年20歳

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ここ法福寺は後藤家の菩提寺で、お菊を育てた養母が、お菊を哀れんで木像をつくり、ここに納め冥福を祈ったと伝えられます。
その後、寛政7年(1795年)に法福寺は火災に遭い、お菊の木像とともに全焼してしまいますが、安政5年(1858年)に村人の手によって木造が新たに造像され、現在に至っています。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-24 01:39 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(2)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~

塙団右衛門直之の墓のすぐ近くには、同じく樫井の戦いで討死した豊臣方の武将、淡輪六郎兵衛重政の墓もあります。

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淡輪家は和泉淡輪の豪族で、かつては豊臣秀吉に仕え、妹の小督局は関白・豊臣秀次の側室となりますが、謀反の嫌疑で切腹に追いやられた秀次に連座して、小督局も処刑され、その一族である淡輪家も所領を没収されます。

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その後、重政は小西行長に仕えますが、関ヶ原の戦いで西軍に属していたため小西家は改易となり、重政は浪人となります。
そして、大坂の陣が始まると、重政は旧領回復を目指して豊臣方に属し、和泉国出身で紀州路に詳しいということで、紀州攻めの先鋒を務めることになります。
ところが、同じ先鋒隊の塙団右衛門直之と岡部則綱スタンドプレイによって先鋒隊は壊滅、その煽りをくった重政も、討死しました。

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重政の25回忌にあたる寛永16年(1639年)、淡輪氏の末裔で本山三郎右衛門が、この地に宝篋印塔を建てたと伝えられます。
しかし、近年傷みが激しくなり、350回忌にあたる昭和39年(1964年)、現在の供養塔が建てられたんだそうです。

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敷地内には片隅には、最初の宝篋印塔も残されています。

次回の続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-22 21:39 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

いつもあこがれ・・・掛布雅之氏が阪神タイガースの来季二軍監督に就任。

来季からの阪神タイガース監督に金本知憲氏が就任し、スポーツ紙などではその組閣についていろんな憶測がとんでいますが、そのなかで、掛布雅之氏に二軍監督の就任を要請したと報道されていますね。
それも、金本新監督のたっての希望だそうで、ほぼ決まりだとか。
いや~、驚きました。

掛布氏といえば、言わずと知れた3代目(あるいは4代目)ミスタータイガース
現在48歳のわたしたち世代にとっては、子どもの頃、あこがれの選手でした。
遊びの野球ではサードが一番人気でしたし、下駄箱の31番はいつも取り合いでした。
大人になったいまでも、ロッカーなどを使用するときとか、31番が空いているといると使いたくなりますし、現在、わたしのマイカーはマンション駐車場の31番で、これ、結構自慢です(笑)。
子どもの頃の強い思いというのは、いくつになっても消えないものですね。

そんなわたしですから、掛布氏がいつかタテジマのユニホームに袖をとおす日を待ち望んでいたのですが、今回の報道を聞いて、正直、なんとも複雑な心境です。
二軍か~!・・・と。

ミスタータイガースの称号を持ちながら、これまでタテジマのユニホームを着ることがなかった背景には、いろんな憶測が飛び交っていましたよね。
有名な話としては、故・久万俊二郎オーナーとの確執とか、ジャイアンツ系の日テレとの契約がどうのとか・・・。
ただ、掛布氏自身は、それらの憶測を肯定も否定もしていませんので、どこまでが本当でどこからがデマなのか、実際のところはよくわかりません。

その後もいろいろありましたが、いまとなっては、セ・リーグ全球団の監督さんが40歳代になろうとしているなか、いまさら60歳の掛布氏に逆戻りするようなことはないだろうなぁと、諦めていました。
ところが、このたび二軍監督に就任するという報道にビックリ。
だったら、一軍やらせてよ!・・・みたいな。
いや、べつに金本監督がダメと言ってるわけじゃないですよ。
ただ、岡田彰布氏も真弓明信氏も一軍の監督やったわけでしょ?
なのに掛布氏が二軍監督って、なんか釈然としないんですよね。

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写真は、掛布氏が現役を引退した28年前に発売された写真集です。
この写真集、当時、掛布氏が経営していた豊中市のスポーツ用品店でしか売ってなくて、わざわざ買いに行ったものです。
いまでも、こうして後生大事に本棚に飾っています。
タイトルの「いつもあこがれ」は、当時、掛布氏がサイン色紙に必ず書いていた言葉です。

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なにはともあれ、掛布氏自身が引き受けたわけですから、わたしがとやかく言うことではありませんね。
とにかく、掛布氏のタテジマ姿が見られるわけですから、嬉しいことですよね。
掛布氏の引退以来、ミスタータイガースの称号は誰にも与えられていません。
ぜひ、その後継者を育ててほしいものです。
来季を楽しみにしましょう。


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-21 22:01 | プロ野球 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~

樫井古戦場跡の近くに、同戦いで討死した塙団右衛門直之の墓があります。
団右衛門は「その6」で紹介した「夜討ちの大将」として、後世に人気の武将ですね。

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団右衛門の出自は不明ですが、はじめ織田信長に仕えるも酒癖の悪さでクビになり、続いて、豊臣秀吉に仕えるも、またも同じ理由で出奔、その後、賤ケ岳の七本槍の一人、加藤嘉明のもとで文禄・慶長の役に出陣し、敵の番船を乗っ取る大功を挙げます。
しかし、関ケ原の戦いで徳川方についた嘉明隊の鉄砲大将に任じられながら、自ら槍を取って敵中へ一騎駆けをしたため、嘉明から「大将の器にあらず」と叱責され、これに気を悪くした団右衛門は、加藤家を去ります。

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その後、小早川秀秋、松平忠吉、福島正則と主を変えるも長続きせず、そして大坂冬の陣が始まると、豊臣方に与すべく大坂城に入城します。
そして、本町橋の夜襲で名をあげますが、最後は、「その12」で紹介したとおり、功名に焦って討死するんですね。
人気の高い武将ではありますが、「大将の器にあらず」といった嘉明の評価は正しく、スタンドプレイの武将だったといえるでしょうか。

余談ですが、現地説明板の英文を読んでみると、「大坂夏の陣」の英訳は「Osaka Summer Campaign」となるんですね。
「陣」って、「キャンペーン」なんですか?(笑)
じゃあ、さしずめ淀殿は、キャンペーンギャル?(笑)
      ↓↓↓
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司馬遼太郎の短編小説『言い触らし団右衛門』のなかで団右衛門は、分の悪い豊臣方についた理由について、次のように言います。

「さむらいとは、自分の命をモトデに名を売る稼業じゃ。名さえ売れれば、命のモトデがたとえ無(の)うなっても、存分にそろばんが合う」

後世の講談や小説で人気を博した団右衛門。
ある意味、望みを果たしたといえるでしょうか。

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塙団右衛門の墓所は、写真のように住宅密集地の中にひっそりと、見落としてしまいそうなロケーションにあります。
目立ちたがり屋の塙団右衛門からすれば、少々不満かもしれませんね。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-20 23:10 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(2)  

花燃ゆ 第42話「世界に賭ける糸」 ~生糸直接輸出の支援~

 維新を経て近代国家を目指していた明治初期の日本でしたが、「産業」と呼べるようなものはほとんどなく、相変わらず農業を主体とした貧しい国でした。そんな中、上州産生糸だけは、その優れた品質が欧米諸国で高い評価を得ていました。しかし、当時は来日中の欧米商人が生糸を買い付けた上で輸出するという間接輸出だったため、買い付けの段階で買い叩かれてしまい、品質に見合った対価を得られていませんでした。群馬県(当時は熊谷県)の県令に赴任してきた楫取素彦も、どうにかして買い叩きを防ごうと頭を悩ましていたようです。

 ちょうどその頃、県内屈指の生糸業者だった星野長太郎、新井領一郎兄弟が、欧米諸国に生糸を直接輸出することを思い立ち、領一郎がアメリカに赴く希望を抱きます。しかし、当時、アメリカへの渡航、滞在には巨額の資金が必要で、とうてい長次郎たちに捻出できるレベルではありませんでした。そこで、その支援を熊谷県庁へ嘆願したところ、県令の素彦は彼らの考えに賛同し、支援対策に奔走します。直接輸出することができれば、買い叩きが防げるだけでなく、輸出増加も期待できる。怜悧な素彦はそう考えたのでしょうね。そんな素彦の奔走の甲斐あって、領一郎は渡航の公的支援を得ることができました。その後、領一郎はわが国ではじめて生糸の直接輸出に成功することになります。

 ナレーションにもありましたが、この領一郎の孫娘ハルは、アメリカの駐日大使を務めたエドウィン・ライシャワーに嫁ぎます。また、領一郎の娘でハルの母にあたる美代は、領一郎がアメリカ滞在中に生まれた娘で、わが国最初の帰国子女ではないかと言われています。あと、ドラマにはまったく関係ありませんが、ほかにも、領一郎はわが国で最初にゴルフをした人物と言われています。そんなこんなのエピソードからも、領一郎が当時の人として実に先進的グローバルな人物だったことがわかりますね。それもこれも、素彦の尽力がなければ、なかったことかもしれません。人の出会いが歴史をつくる・・・そんなエピソードです。

 吉田松陰の短刀が領一郎の手によって海を渡った話は、ハルの著書『絹と武士』の中にある記述です。それによれば、素彦の尽力でアメリカ渡航の支援を得ることができた領一郎が、そのお礼かたがた素彦のもとを訪れた際、妻の寿子が、兄・松蔭の形見だという布にくるまれた短刀を差し出し、これを携えて渡航して欲しいと依頼されたといいます。曰く、「果たすことが出来なかった兄の渡米の夢を叶えてほしい・・・」と。松蔭が没してから20年近い歳月が過ぎていましたが、未だ亡き兄の思いを忘れずにいた寿子は、素晴らしい女性ですね。いい話です。

 刀は武士の魂。松蔭の魂は、新井領一郎というバイタリティあふれる若者によって海を渡りました。能動的なところでいえば、松蔭と領一郎は少し似ていたのかもしれません。


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by sakanoueno-kumo | 2015-10-19 22:37 | 花燃ゆ | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~

岸和田城の攻略を諦めた豊臣軍は、紀伊方面から攻め寄せる徳川方・浅野長晟軍と対峙すべく南下。
そして、慶長20年(1615年)4月29日未明、大野治房を主将とする豊臣軍2万(一説には4万)と、紀州浅野軍5千の兵が、ここ泉佐野市の樫井川付近で激突します。
現在、その樫井川に架かる明治橋の北詰に、『樫井古戦場跡』と刻まれた石碑があります。

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一時は和泉国佐野まで進軍していた浅野軍でしたが、偵察により兵の数で劣勢であることを知ると、迎撃に適した樫井の地まで退却し、豊臣軍を待ちます。

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そして4月29日未明、豊臣軍の先陣が打って出るのですが、ここで豊臣方は、取り返しのつかない失態を演じます。
主将の大野治房は慎重な作戦をたてていたものの、先鋒の塙団右衛門直之岡部則綱の軍勢が戦功争いをして飛び出してしまい、その結果、小勢で浅野軍の待つ樫井に飛び込むかたちとなり、浅野軍・亀田高綱隊の鉄砲隊に囲まれた豊臣方先陣は、袋のネズミ状態となってしまいます。

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やがて岡部隊は敗走し、団右衛門は孤立無援のまま奮闘しますが、遂に矢を股に受け、討ち取られます。
大軍といえども、所詮は寄せ集めの烏合の衆、指揮系統が整っていないバラバラの集団だったわけで、一丸となって戦う浅野軍の敵ではありませんでした。

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現在の樫井川です。
いまは見通しの良いロケーションですが、当時はこの河原が松林となっていて、少数の浅野軍はその松林に鉄砲隊を潜ませて迎撃したそうです。
この戦いで豊臣軍は大敗を喫したことで、こののちの豊臣軍の士気に大いに響く結果となりました。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
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by sakanoueno-kumo | 2015-10-16 21:01 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~

大阪府岸和田市にある岸和田城跡にやってきました。
ここも、大坂夏の陣の舞台のひとつとなった場所です。

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大阪夏の陣に向けて、豊臣方は再三、紀伊の浅野長晟へ味方につくよう要請しますが、浅野家はその招きに応じようとせず、それなら、と、豊臣軍は浅野家への攻撃を決定します。
豊臣方は大野治房を主将に、塙団右衛門直之、岡部則綱、淡輪重政ら兵3,000を紀伊に送ります。
その道中に、ここ岸和田城を攻撃しました。

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この当時の岸和田城の城主は小出吉英でした。
小出氏は祖父の小出秀政の時代に豊臣家に仕え、豊臣秀吉から豊臣姓を下賜され、秀吉の死の直前には、遺児秀頼の補佐を秀吉から直に依頼されるほどの関係でした。
その経緯から、関が原の戦いでは長男の小出吉政と共に西軍に与しています。
そのため、本来ならば戦後に処罰されるはずでしたが、次男の小出秀家東軍に属して関ヶ原本戦で活躍したため、岸和田の所領を安堵されます。
その後、関が原に参戦した秀政、吉政、秀家が次々と死去し吉政の長男である吉英が、大坂夏の陣の2年前に岸和田城主となっていました。

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豊臣軍は岸和田城を落として紀伊方面から来る浅野軍の進軍を阻止するにしようと考えますが、城主の小出吉英はよく守り、豊臣軍を寄せ付けませんでした。
岸和田城攻めに手こずっていて南から攻め寄せる浅野軍に挟撃されることを恐れた大野治房らは、やむなく岸和田城の攻略を諦め、南下しました。

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現在の天守復元されたもので、昭和29年(1954年)に建てられました。
復元された模擬天守は3層3階ですが、本来は5層天守であったことが絵図などで確認されています。
本稿は大坂の陣が主題なので、城跡のレポートについては、いずれ機会を見て起稿したいと思います。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
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by sakanoueno-kumo | 2015-10-15 19:37 | 大坂の陣ゆかりの地 | Comments(2)