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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~

シリーズ最終稿です。
徳川家康の墓所といえば、日光東照宮に立派な廟所がありますが、実は大阪府堺市にある南宗寺にも、家康の墓と伝えられる古い墓石があります。

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家康が死去したのは、大坂夏の陣から1年足らずが過ぎた元和2年(1616年)4月17日と言われていますが、ここ堺のまちには、家康は大坂夏の陣討死していたという伝承があります。
それによれば、夏の陣最終決戦の茶臼山の戦い真田信繁(幸村)の猛攻を受けた家康は、駕籠に乗って逃亡しますが、その途中、後藤又兵衛基次に駕籠の上から槍で突かれます。
その後、辛くも堺まで落ち延びますが、駕籠を開けてみると家康は絶命していた・・と。
しかし、混乱を避けるために家康の死はふせられ、家康とそっくりだった古川城主の小笠原秀政影武者として立て、家康の遺骸はここ南宗寺に埋葬された・・・と。
その墓が、これ。↓↓↓

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これが家康の墓?・・・と言いたくなるような、小さな墓石です。
碑文も何も刻まれていません。

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でも、それは極秘で建てられた墓だから、という理由は成り立たなくもないです。

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そんな荒唐無稽な話、にわかに信じられるはずがないと言いたくなりますが、この伝承には、いくつかの根拠があるんですね。
まずは、これ。↓↓↓

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「坐雲亭」という茶室の建物ですが、このなかに、元和9年(1623年)7月に第二代将軍・徳川秀忠が、同年8月に第三代将軍・徳川家光が参拝したことを記した板額が掛かっているそうです。

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なぜ、将軍が相次いでこの地を訪問したのか・・・。
通説では、大阪夏の陣の翌年に駿府城において死去した家康の遺体は、はじめ久能山に葬られ、一周忌を経た元和3年(1617年)春に日光東照宮に改葬されたと言われますが、本当は、ここ南宗寺から日光に改葬された・・・と、堺では伝わるそうです。
だから、秀忠、家光が相次いて来訪した・・・と。
そう言われれば、もっともらしい気もします。

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上の写真は南宗寺禅堂の屋根ですが、よく見ると・・・

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三葉葵の御紋ですね。
これが、徳川家の紋であることは説明するまでもないでしょう。
ここ南宗寺は三好氏の菩提寺なんですが・・・。

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その三好一族の墓です。
菩提寺のはずなのに、なぜか隅っこのほうに追いやられています。
で、境内のど真ん中にあるのが、これ。↓↓↓

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「徳川家康の墓」と刻まれています。

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この綺麗な墓石は近年建てられたものですが、第二次大戦時の空襲で焼ける前には、この場所に東照宮があったそうです。
墓堂の基礎部分は、東照宮時代のものだそうです。

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とまあ、そんな具合に、伝承にはそれなりの根拠があって、まったくもって荒唐無稽な話でもないんですね。
ただ、ツッコミどころはあります。
家康を槍で突いたとされる後藤又兵衛基次は、茶臼山決戦の前日の道明寺の戦いで討死していますし、堺のまちも、紀州攻めの途中に豊臣方の大野治胤らによって焼き払われており、この南宗寺も例外ではなかったと思われます。
面白い話ではありますが、やはり、伝承の域を超えるものではないでしょうね。

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でも、火のないところに煙は立たぬで、徳川方の誰かがこの地に葬られたのかもしれません。
で、ここからは、わたしの勝手な想像ですけど、討死してこの地に葬られたのは、家康の影武者の方だったんじゃないかと・・・。
だから、徳川家はその後、手厚く弔ったのではないかと・・・。
そう考えれば、二人の将軍が相次いで参ったことも、三葉葵の御紋も東照宮も、すべて説明がつくんじゃないかと・・・。
いかがでしょうか?

さて、9月から40回にわたってめぐってきた大坂の陣ゆかりの地シリーズ、その前の大坂城シリーズも入れれば約半年間お付き合いいただいた大坂の陣400年記念シリーズですが、本稿をもって終わりにしたいと思います。
なんとか大坂の陣400年記念の間に終われてよかった(笑)。
当ブログを見て興味を持たれた方は、ぜひ史跡をめぐってみてください。
自分の足で現地を歩いて、そのあと、小説やドラマを見返すと、面白さ倍増ですよ。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-29 15:54 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~

大阪のド中心部・梅田のまちなかにある太融寺というお寺があるのですが、その境内の一角に、淀殿の墓と伝えられる墓石があります。
ここは空海(弘法大師)が創建したと伝わる由緒正しきお寺で、戦国時代は豊臣家ともゆかりが深かったそうですが、オフィス街のど真ん中にあるため、観光地という印象はありません。

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大坂城落城後、淀殿の墓は、東成郡鴫野村弁天島(現・大阪ビジネスパーク)にあった淀姫神社に安置されていたそうですが、明治10年(1877年)、弁天島全域が軍用地になるにあたって、豊臣家とゆかりが深かったこの寺に移されたそうです。
といっても、淀殿の遺骸は確認されていないとの説もありますし、遺骨が埋葬されているのかどうかはわかりません。

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右奥の六輪塔がそれです。
元は九輪塔だったそうですが、昭和20年(1945年)の空襲で破壊されてしまい、現在の六輪塔になったそうです。

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墓石の横には、藤見東陽という昭和の漢詩人が詠んだ詩碑があります。
石碑の石は、淀殿が生まれた小谷城ゆかりの石だそうです。

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碑文の読み下しです。

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石碑に埋め込まれた銘盤です。
法名を「大淀院英岩」というそうです。(寺伝)

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物語などでは、関ヶ原の戦い高台院と淀殿の戦いだったように描かれることも多く、また、大坂の陣においても、大坂方の実質的大将は豊臣秀頼ではなく淀殿だったように描かれたりします。
実際のところはどうだったのでしょうね。
いずれにせよ、日本史上、彼女ほど壮絶な生涯を生きた女性は、他にいないといっても過言ではないでしょう。
京都の高台寺に高台院の立派な霊廟があることを思えば、ここ太融寺の片隅にひっそりと埋葬されている淀殿の墓は、何とももの悲しげに思えました。
ちなみに、ここ太融寺も大坂の陣の際に全焼したそうで、その後、元禄年間に再建されたそうです。

さてさて、ようやく次稿でシリーズ最終稿。
最後は、あの人の墓を参ります。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-26 18:03 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~

前稿で豊臣秀頼が修理した玉造稲荷神社を紹介しましたが、となれば、同じく秀頼が大修理を手がけた方広寺大仏殿の梵鐘を無視するわけにはいかないだろう、と思い至り、京都は東山まで足を運んできました。

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方広寺は、豊臣秀吉が奈良の東大寺に倣って大仏を安置するために、天正14年(1586年)から10年もの歳月をかけて造られた寺院ですが、慶長元年(1596年に)京都を襲った慶長大地震によって大仏は大破してしまったそうで、その後、秀吉は大仏開眼供養を待たずにこの世を去ります。

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で、そのあとの再建事業を行ったのが秀頼・淀殿母子でしたが、このとき鋳造した梵鐘に彫られた銘文が、徳川家を冒涜するものとされて徳川家康の怒りを買うんですね。
そちらの銘文がこれ。↓↓↓

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「国家安康」の字句が、家康の名を分割し首を切断することを呪詛したものだとし、「君臣豊楽」の文字が、豊臣家の繁栄を祈願しているとの分析。
いや~、みごとな言いがかり、ほとんどヤカラですね。
この事件は、豊臣家攻撃の口実とするため、徳川家がこの銘文を曲解して豊臣家に因縁を付けたものとされていますが、よく見つけたものです。

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この言いがかりで苦境に立たされたのが、方広寺の作事奉行を務めていた片桐且元でした。
このあと且元は、徳川家と豊臣家の関係をなんとか修復しようと奔走しますが、それがかえって豊臣方から逆心ありとの疑われるもととなり、最終的には、豊臣家を去ることになるんですね。(はじめから家康とグルだったという見方もありますが。)
そこまで家康が描いたシナリオだったのかどうかはわかりませんが、且元を敵に回したことが、豊臣家にとって大きな損失となったことは間違いないでしょう。

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鐘楼は明治時代に再建されたものだそうです。
この梵鐘は豊臣家が滅亡してから明治時代に新たな鐘楼が再建されるまで、現在の京都国立博物館付近に雨ざらしとなっていたそうです。
よく傷まずに銘文が残ってくれていたものですね。

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見てのとおり、デカイ鐘です。

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大仏殿及び大仏は、寛政10年(1798年)の落雷により焼失しています。
現在は巨大な石垣の一部だけが当時と変わらぬ姿で残っています。

もうすぐシリーズ終わりです。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

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by sakanoueno-kumo | 2015-12-24 15:43 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~

大坂城南外堀から500mほど南下したところにある玉造稲荷神社に、豊臣秀頼の銅像があります。
ここはかつて、豊臣時代の大坂城の三の丸にあたり、その鎮守社として、豊臣家から篤い崇敬を受けた神社でした。
戦国時代の戦火で荒廃していましたが、慶長8年(1603年)3月、秀頼により社殿が再建されたと伝えられます。

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関が原の戦い以後、豊臣家は摂津・河内・和泉3カ国65万石余の一大名に転落したといわれますが、しかし、朝廷から賜る位階官職はその後も昇進を続けており、一定の影響力を保っていました。
徳川家康の孫娘・千姫と結婚したのも、慶長8年(1603年)のことです。
家康はこの頃から、婿となった秀頼に対して、秀吉の菩提を弔って畿内一円の社寺の修理を行うように勧めました。
ここ、玉造稲荷神社の修理も、その一貫だったものと思われます。

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なんか、バカ殿様っぽい顔をしていませんか(笑)。

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家康が二条城で成人した秀頼と会見したとき、その凛々しい風貌を見て、豊臣家を滅ぼす決意をしたといいますが、このバカボン顔でそう思うかな?・・・と(笑)。

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秀頼が奉納したと言われる鳥居です。
もとは本殿正面に建っていたそうですが、平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災によって一部損傷を受けたため、現在は上部、脚部に分けて境内の片隅に保存されています。
400年の歴史を刻む鳥居ですね。

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秀頼公胞衣塚大明神です。
ここには、秀頼と母・淀殿を結ぶ胞衣(卵膜、胎盤など)が鎮まっているそうです。

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大坂の陣とは関係ありませんが、境内には、千利休居士顕彰碑があります。
説明板によると、かつてここの南西に、千利休の屋敷があったそうです。

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家康が秀頼に社寺の修理を進めた理由は、豊臣家に散財させて経済力を削ぐためだったといわれますが、だとすれば、千姫を嫁がせたこの頃から、すでに大坂の陣は始まっていたといえるでしょうか。
そして、その一連の修理事業をすすめるなかで、大坂の陣の銃爪となった方広寺鐘銘事件へと繋がっていくんですね。

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秀頼によって再興された玉造稲荷神社の社殿は、大坂夏の陣の際に再び焼失し、その後、元和5年(1619年)に徳川幕府によって再建されたそうです。

もうちょっと続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-22 13:43 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~

茶臼山古墳安居神社のあいだに、一心寺というバカでかいお寺があります。
ここは茶臼山とともに大坂冬の陣徳川家康が陣を布いたといわれますが、それ以前からも、夭折した家康の八男の葬儀がここで行われたりと、家康との結びつきが深い寺でした。

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境内には、大坂の陣で命を落とした武将たちの墓がいくつかあります。
その中でも、最も目立つ場所に陣取っているのが、最終決戦の茶臼山(天王寺)・岡山の戦いで最前線に立ち、討死した本多忠朝の墓所です。

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忠朝は「その4」物見のいちょうを紹介したように、大坂冬の陣でも活躍していましたが、を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退してしまいました。
それを家康に咎められた忠朝は、翌年の大坂夏の陣では、何としても汚名を返上しようと志願して先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入して奮戦しますが、討死しました。

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死の間際、「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と無念の言葉を残したといわれ、死後「酒封じの神」として知られるようになったそうです。
いつの時代も、酒で失敗する人は必ずいるものです。
現代でも、G7の会見に泥酔状態で臨み、財務相の職を退任に追い込まれた日本の恥がいましたよね。
もう亡くなられたので、名前は控えますが・・・。

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墓を囲う白壁には、無数のシャモジが吊られていました。
よく見てみると・・・。

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・・・ということで、禁酒の願掛けでした(笑)。
酒をひかえたいと考えている方は、どうぞここへお越しください(笑)。

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ほかにも大坂の陣がらみの墓所を探しました。

e0158128_1262637.jpg

上の写真は松平正勝の墓。
夏の陣、最終決戦で、徳川方・青山忠俊隊に属し、明石全登隊と戦い討死した人物です。

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続いて、同じく最終決戦で徳川方・高木正次隊に属し討ち死にした、林吉忠の墓。

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続いてこちらは、夏の陣で戦死した篠山藩士14人の墓。
石塔部分だけ、最近建てなおされたようですね。

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大坂の陣関連以外でも、一心寺には歴史に名を残した人物の墓がたくさんあります。
墓地からはご覧のとおり、通天閣が目の前に見えます。
そんな都会のど真ん中に、兵どもが眠っています。

そろそろ終わりが見えてきました。
なんとか400年記念の間に終わらねば・・・。
次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-20 12:09 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行っていました。

先日、20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行ってきました。
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めて行われている光の祭典で、大震災の起きた平成7年(1995年)12月から20年間絶えることなく続けられ、今年で21回目を迎えます。
いまでは全国各地で似たようなことが行われているようですが、はじまりは神戸からです。

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20年ぶりということは、震災の年の第1回以来ということになります。
あのときは、たしかに震災から1年足らずの時期で、先の見えない復興に不安を抱く神戸市民の心を、久々に明るく照らしてくれた希望の光に感じました。
あれから20年、神戸市民でありながら、なぜ行かなかったかというと、人混みがあまり好きではないということと、仕事帰りにでも行こうと思えばいつでも行けるという環境にあると、ついついタイミングを逃してしまうもので・・・。
そんななか、なぜ今年足を運んだかというと、中2になる娘が、「ルミナリエ観たことない」と呟いたため、じゃあ、連れてってあげよう!ということになった次第です。

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20年ぶりに来てみて驚いたのは、とんでもない行列だったこと。
JR元町駅で降りて、そのまま南下して東へすすめるのかと思いきや、一旦西に回されて、その後もぐるぐると街中を迂回させられて、ルミナリエ会場にたどり着くまで約1時間、7000歩以上歩かされました。
20年前は、ここまでじゃなかったですよ。
驚きました。

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今年から、すべてLEDになったそうですね。
たしかに、昨年までの作品にくらべて、あたたかみがなくなったように思いました(といっても、第1回以外はテレビなどでしか観ていませんが)。
また、今年から光のアーチの距離も大幅に短くなったそうですね。
すべてがLEDになってコストアップになったうえ、寄付金の集まりもイマイチだと聞きますから、やむを得ないのでしょうね(わたしの会社にも、毎年寄付金を募る郵便物が届きますが、いつもごめんなさいしてます)。

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この日観れたのは、旧居留地跡の光のトンネルから、東遊園地のメイン会場まで。
聞けば、噴水広場の装飾がめっちゃ綺麗だったそうですが、残念ながら、この日の前日に神戸は台風並みの強風に見舞われ、噴水広場の電飾は大破してしまいました。
早朝5時頃の事故だったため、ケガ人は出ずにすみましたが、たいへんな事故です。
まあ、イタリア人の施工なんて、そんなもんかなぁと思っていたのですが、それから半日後、同じく神戸市内のJR新駅の建設現場で仮設足場が倒壊し、線路を塞いでほぼ1日、JR上下線とも不通になるという大事故が起きました。
こちらも幸いケガ人はいませんでしたが、足場組んだ企業は真っ青だったでしょうね。
この2つの事故のおかげで、当日の神戸市内はヘリコプターが1日中上空をとんでいました。
複数のヘリが上空を旋回している光景を見ると、震災を思い出すんですよね。

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毎年赤字で、来年は中止といわれながら20年間続いてきた『神戸ルミナリエ』ですが、震災から20年の節目の年にこのような事故が起きたことで、あるいは、これを機になくなっちゃうかもしれません。
そうなれば、わたしは最初と最後の記念すべき年に観に行ったということになりますが、神戸市民としては、なくなると聞くと寂しいような気がするもので・・・。
来年もし行われるのであれば、寄付しようかな・・・なんて、軽はずみなことを発言するのはやめておきます(笑)。
だって、一口でも結構高いんですよ。


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-18 18:46 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

花燃ゆ 総評

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』の全50話が終わりました。今年も、なんとか全話レビューを起稿することが出来て安堵しているところですが、最後に、あらためて本作品を総括してみたいと思います。

 大河ドラマ史上最もマイナーな人物といってもいい楫取美和子(杉文)を主人公とした物語で、当初、「幕末のホームドラマ」「幕末の学園ドラマ」「幕末男子の育て方」などといったポップなキャッチフレーズを掲げていたため、放送前からコアな大河ファンより批判的な声が多く上がっていた同作品でしたが、わたしは、なるべく先入観を持たずに、出来るだけドラマを楽しもうと思って視聴してきました。わたしの好きな幕末維新モノであり、しかも長州目線での幕末モノとなると、昭和52年(1977年)の『花神』以来38年ぶりのことで、吉田松陰松下村塾の門下生たちがどのように描かれるか、たいへん楽しみでした。

 で、全話を観終えての感想を率直にいえば、「しんどかったなぁ」というのが正直なところです。やっぱ、マイナーすぎる主人公では無理があったのか・・・。わたしは、同じくマイナーな女性を描いた一昨年の作品『八重の桜』の総評の稿で(参照:八重の桜 総評)、主人公の有名無名は関係ない、どれだけ主人公の魅力を引き出せるかが重要で、『八重の桜』は、史実を丁寧に描くあまり、主人公・八重の存在感が薄かったと述べました。もっと、主人公を前に出すべきだと・・・。まさか、NHKさんがわたしのような素人の声を拾ったとは思えませんが、『花燃ゆ』では、その声を聞いてくれたかのように、主人公である美和子(文)が前に出てきました。そうすると、こういう描き方になっちゃうんですね・・・難しいところです。

 わたしは、視聴率も含めて世間で酷評されるほど酷い作品だったとは思っていません。少なくとも、近年の作品でいえば『天地人』『龍馬伝』『江~姫たちの戦国』などよりは、はるかに良かったと思っています。とくに前半、松蔭が生きていたときはたいへん面白かった。吉田松陰という人がここまでフィーチャーされたのは、先述した『花神』以来だったんじゃないでしょうか? 松蔭の死後、少し物足りなくなった感がありましたが、それでも、久坂玄瑞高杉晋作を中心に、他の幕末作品では省かれてしまう長州藩内の政局を丁寧に描いていましたし、周布政之助椋梨藤太など、他の作品ではあまり描かれない人物にもスポットがあてられ、新鮮でした。でも、それらの人物たちがすべてこの世を去ったあたりから役者不足の感は否めず、「奥御殿編」に入って、ぜんぜん面白くなくなっちゃいました。あそこ、いりましたか?

 「幕末の学園ドラマ」という当初のキャッチフレーズに批判的な声が多かったと思いますが、わたしは、できればそれを最後まで貫いてほしかったと思います。長州藩には、吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞など、知名度も人気も高い幕末の志士がたくさんいますが、そのほとんどが、大河ドラマの主役にはなり得ない。なぜなら、彼らは皆、維新を迎えずして早世してしまうからです。たとえば戦国モノでいえば、一番人気の人物は織田信長ですが、物語として人気なのは徳川家康。なぜなら、戦国時代の終わりまですべて描けるからです。高杉晋作がいくら人気が高くても、歴史はここから面白くなるというところで死んじゃいますから、大河ドラマの主役にするのは難しいんですね。その意味で、わたしは松蔭の妹である美和子(文)が選ばれたのだと思っていました。彼女の目線で、松下村塾の門下生たちを描いていくドラマなんだと。だから、「幕末の学園ドラマ」大いに結構じゃないか、と思っていたんですね。

 ところが、高杉晋作の死去とともに松下村塾の火は消えたかのごとく、奥御殿でのくだらない女の確執物語や、世話係となった興丸の偏食の話など、世の中は幕末から明治へと移りゆく激動の時代のなか、どうでもいい話ばかりがしばらく続き、一気に覚めてしまいました。たしかに、美和子(文)は一時期、奥女中として銀姫に仕えていたことは事実で、そこをスルーするわけにはいかなかったでしょうが、それまでの物語とまったく異質な設定になってしまい、何が描きたかったのかよくわからなくなった。テーマがブレ始めたように思えました。大奥を描いた作品でいえば『篤姫』がありますが、あれが成功したのは、最初から最後まで一貫して大奥の話だったからです。今回の物語の場合、奥女中の話はある一時期のエピソードに過ぎず、とくに重要なポイントではないはず。兄・松蔭を敬慕していた美和子(文)が、維新後も、消えることのない松下村塾の火を見守り続けるという物語が見たかった。その意味では、晋作の死後も、役者は落ちるかもしれませんが、前原誠司、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎など、松蔭門下生は多く残っていました。「幕末の学園ドラマ」「幕末男子の育て方」というならば、美和子(文)の目線を通した彼らをもっと描いてほしかったと思います。率直なところ、ストーリーに一貫性がなかった

 ひとつ疑問なのは、今回、大河オリジナル作品にも関らず、脚本家がコロコロ変わりましたよね。しかも、最初の方を書いていた大島里美さんと宮村優子さんは後半ほとんど書いてなくて、後半は金子ありささんと小松江里子さんにバトンタッチ。大河で脚本家が途中で変わるなんて、過去なかったんじゃないですか? これが結局、ストーリーに一貫性を欠く要因になったんじゃないでしょうか? はっきりいって、後半は迷走感ありありでした。もしそれが、低視聴率が原因のテコ入れだったのなら、それこそ、火に油を注いだだけの大失策だと思います。

 あと、物語終盤の主役といっていい楫取素彦という人についてですが、正直、わたしはこのドラマの制作発表までこの人のことをまったく知らず、にわかに関連本を読んで予習したのですが、実に有能な人だったんですね。たいへん勉強になりましたが、ただ、大河の準主役的人物かといえば、やはり地味ですよね。このドラマが、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、楫取素彦の四部作だとすれば、明らかに四部目は、格落ちかな・・・と。演じた俳優さんは一番格上ですけどね。一昨年の『八重の桜』のときにも思ったことですが、幕末と明治に入ってからでは、どうも話がスケールダウンした感が否めない。楫取素彦という素晴らしい地方官がいたということは勉強になりましたが、物語としては、一地方史になり下がってしまった気がして、群馬県の人以外は、イマイチ入り込めなかったんじゃないでしょうか? これも難しいところです。

 それからキャスティングについてですが、主役の井上真央さんについては、何も文句はありません。12~3歳から40歳過ぎまでの美和子(文)の生涯を、実に上手く演じられていたと思います。主役の役者さんというのは、作品の評価をもろに受けますから、少々気の毒ですね。楫取素彦役の大沢たかおさんはさすがの存在感でしたし、高杉晋作役の高良健吾さんや、久坂玄瑞役の東出昌大さんは、最初は「う~ん!ちょっとイメージ違うよなぁ・・・」といった感想だったのですが、回を追うごとに高杉や久坂に見えてきたから不思議です。俳優さんが役に入っていくのか、役が俳優さんに乗り移っていくのか、わたしら素人にはよくわかりませんが、その意味では、今回もっとも良かったのは、やはり吉田松陰役の伊勢谷友介さんでした。最初は、ちょっと「カッコ良すぎるんじゃない?」と思っていましたが、最後の方は、ほとんど憑依しているとしか思えなかった。獄舎で正座する姿は、松蔭の肖像画そのものでした。俳優さんってスゴイですね。あと、毎回1人は出ている大河主役経験者ですが、今回は北大路欣也さん、松坂慶子さん、三田佳子さんと三人も出ていましたね。やはり、大河の主役を演じた方は、存在感があります。井上真央さんも、将来きっとそうなるんじゃないでしょうか?

 最後に、歴代ワーストタイなどと酷評される低視聴率についてですが、わたしは、これについては特に問題視していません。たしかに、ドラマがエンターテイメントである以上、視聴率をひとつの指標として評価することは間違っていないと思いますが、高視聴率=名作低視聴率=駄作というレッテルの貼り方は、いささか短絡的すぎるのではないかと思っています。実際、先述した『花神』は、当時の視聴率でいえばかなり悪かった作品でしたが、大河ファンに名作大河のアンケートを取ると、いつも上位にあがる作品です。NHKは民放と違って、スポンサーや視聴者に媚びることなく作品づくりに臨めるところに良さがあると思います。だから、視聴率の悪さをネタに批判したくはないんですよね。

 ただ、もうひとつの伝統あるNHKドラマの朝ドラの方は、ずっと高視聴率の作品が続いていますよね。じゃあ、朝ドラの方は大河に比べていい作品を世に出しているかといえば、特に違いはないと思います。では、何が違うのか。それはたぶん、朝ドラの方は、ターゲットがブレてないからじゃないでしょうか? 朝ドラのターゲットは言うまでもなく主婦層で、まずはその軸がしっかりしているから、大きくはずさない。で、その中でもいい作品になると、わたしのようなオジサンまでもがハマっちゃうこともあります。

 大河ドラマの元々のターゲットは、歴史好きのオジサン層だったはず。もちろん、それ以外の若い人や女性にも観て欲しいという思いはあって然りですが、そこにターゲットを広げたあまり、従来のターゲットであったはずのコアなファンたちが離れていってしまった・・・。というのが、昨今の大河ドラマの状況だと思います。昨年の『軍師官兵衛』なんて、往年の大河作品を彷彿させる王道の作品だったと思いますが、今年また、女性目線の作品に戻ってしまい、作風に一貫性がない。ターゲットが絞れてない。これでは、結局すべての層から支持されなくなるんじゃないでしょうか? もし、この『花燃ゆ』が朝ドラだったら、きっと大ヒットしてたと思いますよ。でも、日曜夜8時には合わなかった。それが、低視聴率のいちばんの理由だと思います。

 気がつけば、ずいぶんと長文になっていました。いささか勝手なことばかり述べてまいりましたが、大河ドラマを愛する者のひとつの意見として捉えていただければ幸いです。この辺りで総評の稿を終わりにしますね。毎週のぞきにきていただいた方々、時折訪ねてきてくれた方々、コメントをくださった方々、本稿で初めてアクセスいただいた方々、どなたさまも本当にありがとうございました。

1年間の主要参考書籍
『杉文と楫取素彦の生涯』 大野富次
『吉田松陰と文の謎』 川口素生
『幕末史』 半藤一利
『もう一つの「幕末史」』 半藤一利
『日本の歴史19~開国と攘夷』 小西四郎
『日本の歴史20~明治維新』 井上清
『明治という国家』 司馬遼太郎
『幕末維新のこと』 司馬遼太郎
『明治維新のこと』 司馬遼太郎
『幕末』 司馬遼太郎
『世に棲む日日』 司馬遼太郎
『花神』 司馬遼太郎


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-16 00:01 | 花燃ゆ | Trackback | Comments(5)  

花燃ゆ  最終回「いざ、鹿鳴館へ」 ~エピローグ~

 日本初の鉄道が開通したのは明治5年(1872年)10月14日、新橋~横浜間でしたが、その後、明治10年(1877年)の西南戦争によって膨大な戦費がかさみ、政府による鉄道敷設は進んでいませんでした。そのため、明治14年(1881年)に岩倉具視らが中心となって民間鉄道会社『日本鉄道株式会社』が設立されます。日本初の私鉄の誕生です。

 当初の計画では、大宮~高崎間での営業路線として発表され、前橋への延長計画はなかったそうです。ここで立ち上がったのが群馬県令の楫取素彦。県庁所在地である前橋まで路線を延ばさなければ無用の長物になるとして、早速、計画の延長を求めて東京に赴き、鉄道局長・井上勝に懇請したといいます。そして、同じく沿線の埼玉県令・白根多助に協力を仰ぎ(白根も元・長州藩士でした)、さらに、前橋生糸商人たちにもはたらきかけ、日本鉄道の株式買付を行い、それを餌に、前橋までの路線延長を約束させました。さすが、実行の人ですね。

 ドラマで、鹿鳴館の舞踏会に出席していた美和子が、毛利安子のはからいで貴族婦人たちに群馬の生糸産業をプレゼンテーションし、素彦の鉄道開通交渉に援護射撃をしていましたが、まあ、それはドラマの演出だとして、でも実際この当時、毛利元徳第十五国立銀行の頭取をしており、日本鉄道の敷設にあたっての資金面で大いに協力する立場にいたのは事実です。素彦と元徳、あるいは美和子と安子の昵懇の間柄が、多少は有利にはたらいたかもしれません。

 群馬県の就学率が全国でトップになったと喜んでいましたが、これも事実で、素彦が県令在任中の明治9年(1876年)から明治17年(1884年)までの就学率は66.7%で、全国2位だったそうです(8年間のアベレージですから、1位になった時期もあったでしょう)。国の教育行政がモタモタしている中で、素彦は豪商や資本家から寄付金を集め、小学校の建設を地方独自で進め、施策として中学校の授業料を無料化しました。その結果、群馬県は全国トップクラスの教育県として、「西の岡山、東の群馬」と称されるまでになります。そのせいか、のちに群馬県からは大物政治家がたくさん生まれ、鈴木貫太郎、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫と、5人の内閣総理大臣を輩出しています。

 素彦が群馬県令を辞職したのは明治17年(1884年)のことでした。ドラマのとおり、県令としての職務を全うしたという思いがあったのでしょうが、55歳という年齢にも限界を感じていたのかもしれませんね。ただ、辞表を提出したのはこの1年前だったそうですが、この情報が漏れ、前橋住民を中心に留任運動が巻き起こったといいます。明治初期の各県令の在職期間は1、2年と短いものでしたが、素彦の群馬県令在職期間は群を抜いて長く、足掛け9年、熊谷県令時代を含めれば13年に及んでいます。それだけ長く職に就きながら、なおも惜しまれる素彦という人は、本当に地元民から信頼されていたんでしょうね。素彦が群馬県を去るときには、県庁より前橋の停車場までの道端を、数千人の県民が見送りに参列し、道を塞いで別れを惜しんだと伝えられます。

 その後も、素彦は大正元年(1912年)に84歳、美和子は大正10年(1921年)の79歳まで大往生します。しかし、ドラマではそのエピローグは描かれませんでしたね。まあ、ダラダラと余生を描いても仕方がないといったところでしょうが、このあと、二人の人生はまだまだ余生とはいえず、素彦は元老院議官、高等法院陪席裁判官・貴族院議員・宮中顧問官等を歴任し、また、貞宮多喜子内親王御養育主任も務めました。美和子も、素彦とともに幼稚園の設立にたずさわったり、素彦が内親王の御養育主任を命じられると、美和子も貞宮御付として仕えています。まだまだ、世の中は二人を必要としていました。

 明治22年(1889年)、美和子の兄・杉民治が総額230円をかけて荒廃した松下村塾の修理を行った際には、明治の高官となった伊藤博文山縣有朋ら元塾生よりも多額の30円を素彦は出資しています。その松下村塾が、今年、世界文化遺産に登録されましたね。昨年、世界文化遺産となった富岡製糸場と合わせて、素彦は2つの世界遺産の保存に尽力したことになります。

 素彦が逝去してから10年間、美和子がどのように過ごしたかの確かな記録は残っていません。吉田松陰の妹、久坂玄瑞の妻、楫取素彦の義妹、そして後妻として、めまぐるしい日々を送ってきた美和子でしたが、きっと最後の10年間は、穏やかな暮らしの中で、洛陽のときを迎えたことでしょう。まさか、100年後に自身が物語の主人公になるなど、夢にも思わなかったでしょうね。

 さて、本稿をもって大河ドラマ『花燃ゆ』のレビューは終わりとなります。1年間、拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。今年は最後までレビューを続ける自信はなかったのですが、なんとか完走出来て安堵しています。近日中には総括を起稿したいと思っていますので、よければご一読ください。


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-14 16:34 | 花燃ゆ | Trackback(1) | Comments(2)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~

茶臼山古墳のすぐ北にある安居神社は、真田信繁(幸村)が最期を遂げた場所です。
茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)での激戦のすえ、疲労した信繁がこの地で休息をとっていたところ、松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、討ち取られました。
享年49歳(異説あり)。

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ここは大阪の象徴・通天閣からほど近い場所です。

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また、先ごろ竣工したばかりの日本一高いビルで知られるハービス大阪がすぐそこに見える場所でもあります。

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そんな繁華街のど真ん中に、「真田幸村終焉の地」と書かれた看板と石碑が見えます。

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境内には、戦死跡之碑が建てられています。

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三光神社の勇ましい像とは違って、まさに死を覚悟して休息している穏やかなイメージですね。

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「さなだ松」だそうです。

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信繁は境内の一本松の下で死んだと伝えられます。
当時の松はすでに枯死してしまい、この樹は昭和26年(1951年)に植樹されたものだそうです。

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伝承によると、信繁はこの地で発見されたとき、「わしの首を手柄にされよ」といって討ち取られたといいます。
もともと勝ち目のない戦いであることは覚悟の上だったでしょうから、人生の最期を武士らしく終えることが出来て、本望だったにちがいありません。

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慶長20年(1615年)5月7日、信繁が討ち取られたことで豊臣軍の勝利は絶望的となり、この日の深夜に大坂城は落城します。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-11 16:40 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~

現在、天王寺公園内にある茶臼山古墳は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では徳川家康の本陣となり、翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の本陣となって「茶臼山の戦い(天王寺口の戦い)」の舞台となった場所です。
また、それ以前の歴史を見ても、1546年(天文15年)に細川晴元の家臣・山中又三郎がこの地に大塚城を築いたと伝えられ、舎利寺の戦いで落城したと言われます。
ここに限らず、古墳というのは陣城として使われやすいですから、数々の古戦場としての歴史を持っているものです。

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古墳の後円の横には、河底池という名称の大きな池があります。
たぶん、これがの役割を果たしていたのでしょうね。
現地説明看板によると、奈良時代の貴族・和気清麻呂が河内川の流水を南に引こうとして出来た池だそうです。

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その伝承からの由来で、池に架かる橋を「和気橋」と呼ぶそうです。

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橋をわたると、イラスト看板があります。

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立派な石碑(オブジェと言ったほうがいいかも)も建てられていました。

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慶長20年(1615年)5月7日、真田の赤揃えが陣を構える真田信繁(幸村)隊3千5百は、この日の正午すぎ、徳川方最強の松平忠直率いる越前勢1万5千と激突し、大坂夏の陣最大の激戦が、ここ茶臼山周辺で繰り広げられました。

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兵の数では歴然と劣る真田隊でしたが、高い戦意と捨身の攻撃で越前勢を突き破り、徳川家康の本陣目掛けて強行突破を図り、3度に渡って猛攻撃を仕掛け、あとわずかで家康の首に手が届くところまで攻め込んだといいます。
攻め込まれた家康は、2度も自害を口にしたとも伝えられますから、真田隊の猛攻がいかに激しかったかが想像できます。
このとき信繁が家康の首を取っていたら、歴史はどう変わったでしょうね。

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しかし、時間が経つに連れて数に優る徳川方が立ち直りを見せ、やがて真田隊は追い詰められていきます。
そして疲労した信繁は茶臼山の北にある安居天神で休息していたところ、越前兵により討ち取られました。

次回は真田信繁終焉の地となった安居神社を訪れます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-12-10 18:15 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)