太平記を歩く。 その177 「楠母神社跡」 大阪府富田林市

前稿で紹介した妣庵観音寺から府道209号線を挟んで東へ5分ほど歩いたところの丘の上に、かつて存在した「楠母神社」廃墟跡があります。

ここは、その名のとおり楠木正成の夫人・久子を祭神とした神社でした。


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入口には門柱の跡が残っていて、その側には「楠母神社創建の経緯」を記した扇型の石碑があります。


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以下、碑文。

楠母神社

大阪府南河内郡東條村矢佐利。

この地は贈正一位橘朝臣正成公夫人誕生の地なり。

楠公父子の誠忠古今を貫くも楠氏一門の節義天地を照らすもこれ偏に夫人内助の功に基づく。

真に夫人は日本婦人の亀鑑たり。

依って紀元二千六百年を期しこの聖地に神社を建立し永久に淑徳を讃仰し奉る。


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神社の創建は国粋主義の盛んな昭和15年(1940年)。

第二次世界大戦開戦の前年ですね。

皇国の忠臣の象徴だった楠木正成、楠木正行父子の「滅私奉公」を、として、そしてとして支えた久子の内助の功を讃えるための神社を、この時期に創建するということにどういう政治的意図があったかは想像に難しくありません。


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敷地は広大な面積だったようです。


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こちらは、「李王妃殿下が楠母会に賜った御歌」の碑。

李王妃殿下とは李方子妃殿下のことで、昭和天皇(第124代天皇)のお妃候補のひとりとして名前が取りざたされたこともあったそうですが、その後、日韓併合の政略結婚で、旧大韓帝国の皇太子と結婚した女性です。


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碑文。

皇紀二千六百年を記念し府下女学校生徒国民学校女児童は楠母神社本殿を大日本国防婦人会関西本部管内会員は拝殿を寄進し奉り、又茲に名誉本部長李王妃殿下の御歌を永への御訓へとして謹録す。

昭和十六年五月十日

大日本国防婦人会関西本部


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大日本国防婦人会とは、満州事変後、銃後の固めを急ぐ軍部の指導でつくられた軍国主義的婦人団体のこと。

戦前戦中を描いたドラマや映画などで、たすき掛けをして弱気な女性を鼓舞するおばちゃんたちが出てきますが、あの人たちのことです。


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社殿跡と思われます。


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狛犬が意外に傷まずに残っています。


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そして、こちらは、無残に放置された石像の残骸

久子とその息子たちでしょうか?


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見ようによってはご遺体にも見えなくもありません。

晴天の真昼間だったからいいようなものの、薄暗い日だったら気味が悪かったでしょうね。

地元の人も、気味が悪いといってあまりここに近寄らないとか。


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世の憂きも 辛きも忍ぶ 思いこそ 心の道の 誠なりけり


久子が詠んだとされる歌です。

悲しみも苦しみも耐え忍ぶ思いこそ、誠の道である・・・と。

本当に久子が詠んだんですかね?

久子を「日本女性の亀鑑」として、国威発揚に利用しようとした誰かが詠んだものなんじゃないですかね。


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楠母神社は終戦後もしばらく存在していたそうで、戦争未亡人戦災孤児たちの心の支えとなっていたようですが、後継者がなく、昭和50年代に取り壊されれたそうです。

その後、公園整備されるという話も出ていたそうですが、予算がつかず、宙に浮いたまま現在に至るのだとか。

入口にあった石碑の碑文の最後に、「永久に淑徳を讃仰し奉る」とありましたが、敗戦とともにその役目も終わったということでしょうか?


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ここは『太平記』の史跡というより、先の戦争の負の遺産といったほうがいいかもしれません。

久子本人も、自身の内助の功がこのようなかたちで後世に政治利用されたことは、本意ではなかったに違いありません。

その鎮魂のためにも、ここを後世に残すべく整備してほしいですね。




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# by sakanoueno-kumo | 2018-01-06 21:20 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

太平記を歩く。 その176 「楠妣庵観音寺」 大阪府富田林市

楠木正成の妻で、楠木正行の母である久子が、夫と息子の戦死後に出家して菩提を弔った場所と伝わる「楠妣庵観音寺」を訪れました。


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参道入口では、「太平記の里」と書かれた大きな看板が迎えてくれます。


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「峰篠山楠妣庵観音寺」というのが正式名称で、その起源は、在世中の楠木正行が後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の崩御を悼み、峰篠山の一角に後醍醐天皇の念持仏であった千手観音を安置した「峰條山観音殿」と称する一殿を建立したのが始まりとされます。


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山門に上る階段の横には、久子と正行の母子像があります。


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「その163」で紹介した四条畷神社にも、同じ母子像がありましたよね。


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これは、『太平記』巻16「正成首送故郷事」に出てくるくだりで、「湊川の戦い」で自刃した父・正成の首が河内の一族のもとに送られてきたとき、それを見た11歳の正行はショックを受けて自害しようとしますが、これを見た久子は正行をこう叱責して諭します。


「栴檀は二葉より芳」といへり。汝をさなく共父が子ならば、是程の理に迷ふべしや。


「栴檀は双葉より芳し」とは、大成する者は幼いときから人並み外れてすぐれているということ。

つまり、楠木正成の息子ともあろう者が、この程度のことで何を血迷っているのか・・・と。

有名なくだりですね。

母は強し。


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山門への階段を上ります。


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山門横には、高さ30mケヤキの巨樹が聳えます。

樹齢どれくらいでしょうか?


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階段横には楠木正成像が。


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この短足具合が、大河ドラマ『太平記』武田鉄矢さん扮する正成に似てます(笑)。


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説明板によると、この像は元弘3年/正慶2年(1333年)5月に隠岐の島を脱出した後醍醐天皇と、「その60」で紹介した摂津国の福厳寺で対面したときの正成の姿だそうです。


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山門です。

もとは山形県の恵林寺塔頭青松軒に建立されていた門だそうで、本坊が焼失して門だけが残存していたものを昭和39年(1964年)、大楠公夫人600年祭に移築されたそうです。


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山門をくぐると、すぐに本堂があります。

大正11年(1922年)に再興されたものだそうで、正成の旗頭の文字「非理法権天」が掲げられています。


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本堂前にある「菊水」家紋入りの水桶


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本堂前の石段を上ると、久子の墓があります。


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こちらがその墓。


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久子は甘南備の豪族・南江備前正忠の妹もしくは娘といわれ、ここ甘南備の矢佐利に生まれたと伝わります。

ちなみに久子という名は、観心寺過去帳によるとされます。

元亨3年(1323年)、20歳で正成と結婚。

ここ楠妣庵観音寺の説明書きには、正成との間に正行、正時、正儀、正秀、正平、朝成6人の子をなしたとありますが、実際には、実子とみられるのは正行、正時のふたりで、そのほかの子が久子の子であるかどうかは定かではありません。


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墓は600年余りささやかな五輪一基が寂しく祀られていましたが、現在は玉垣に囲われた立派な墓所になっています。


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墓所の側らには楠木一族の供養塔が。


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墓所の隣にある観音堂です。

久子の念持仏である「十一面観音」が祀られている小堂で、大正6年(1917年)5月に建立されたそうです。


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こちらは、久子が隠棲したとされる草庵「楠妣庵」復元です。

観音堂と同じく大正6年(1917年)5月に建立。


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皇太子時代の昭和天皇(第124代天皇)もここに行啓されたそうで、お手植えのクスノキがあります。


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正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」正行、正時兄弟が戦死すると、久子は生まれ故郷の甘南備に隠棲し、名を「敗鏡尼」と称し、夫正成をはじめ一族郎党の菩提を弔い、ひっそりと16年間の余生を過ごしたといわれます。

その隠棲地を「楠妣庵」といい、久子の没後、正行の弟・正儀が観音殿を改め「観音寺」として楠一族の菩提寺としたことから、「楠妣庵観音寺」と呼ばれるようになったそうです。



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# by sakanoueno-kumo | 2018-01-05 22:26 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

平成30年の年頭のご挨拶。

あけましておめでとうございます。

旧年中は格別のご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

おかげさまで当ブログも、今年で10回目の元旦を迎えることができました。

これもひとえに皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。

本年も変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。


ところで、皆さんは年越しそばっていつ食べますか?

わたしの実家では、夜7時頃に一度晩飯を食べて、その後、11時頃に改めて年越しそばを食べていました。

子供のころ、紅白を観ながらこたつでウトウトしていると、「年越しそば食べる?」といって起こされた思い出があります。

つまり、夕食と年越しそばは別ものでした。


ところが、結婚して初めての大晦日に、夕食で年越しそばが出てきたので、「いやいや早いだろう!」と言ったところ、妻の実家では年越しそばが夕食だったと。

これには驚きましたね。

その後、私の周囲の人たちに聞いてみても、各家庭で様々でした。

ネットで調べてみても、食べるタイミングについては特に地域性などもなく、これが正解というものもないようですね。

人によっては、年跨ぎ除夜の鐘を聞きながら食べるという人もいるようです。


年越しそばが始まったのは鎌倉時代とも室町時代とも言われているそうですが、庶民の間に広まったのは、江戸時代からだそうです。

その由来については諸説あるようですが、ひとつだけ紹介すると、そばは他の麺類よりも切れやすいことから、「今年1年の災厄を断ち切る」という意味があるのだとか。


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上の写真はわが家の今回(昨年)の年越しそばです。

もっとも、私はここ十数年大晦日の夜は徹夜仕事で、明け方に帰宅して年越しちゃったそばを食べているのですが。

まあ、いつ食べようと気持ちの問題かと。


今年もよろしくお願いします。



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# by sakanoueno-kumo | 2018-01-03 03:49 | 日常 | Trackback(3) | Comments(2)  

西郷どん キャスト&プロローグ

さて、来年の大河ドラマは『西郷どん』ですね。言わずと知れた幕末維新の英雄・西郷隆盛の物語です。歴史に興味のない人でも、「西郷隆盛」という名を知らない人は、まずいないでしょう。今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』は、あるいは大河ドラマ史上最も知名度の低い主人公の物語だったかもしれませんが、来年はその真逆で、日本史上最も知名度の高い人物の物語といえるかもしれません。


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 というのも、たとえば「戦国三傑」と呼ばれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人では、誰がいちばん知られているか甲乙つけがたいと思いますが、「維新三傑」と称される西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の3人では、知名度、人気ともに圧倒的に西郷が突出しています。聞くところによると、西郷の伝記は、世界中を見渡して、イエス・キリストの伝記に次ぐほど数が多いといいます。キリスト伝は世界中で出版されているのに対し、西郷の伝記はほとんど日本での刊行であることを思えば、いかに西郷を研究する歴史家が多く、また、国民の間に絶大な人気を有しているかが窺えます。

 にも関わらず、後世の西郷に対する評価は一定ではありません。賢人愚人か、はたまた聖人悪人か、見方によって大きく評価が変わるのが、西郷という人の不思議なところです。幕末、西郷とはじめて会った坂本龍馬が、「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と評したという有名なエピソードがありますが、同時代に生きた者でさえつかみどころがなかったわけですから、後世のわたしたちが理解に苦しむのも当然かもしれません。


西郷隆盛を題材にした史伝の代表的な作品として、海音寺潮五郎『西郷隆盛』と、司馬遼太郎『翔ぶが如く』がありますが、海音寺さんと司馬さんの西郷評も、ぜんぜん違うんですね。司馬さんは維新前の西郷と維新後の西郷とを、まるで別人と評しているのに対し、海音寺さんは、維新前と維新後でまるで人が変ってしまうことなどあろうはずがないといっています。今回、原作は林真理子さんだそうですね。原作小説を読んでいないのでわかりませんが、歴史上最も有名でありながら理解に難しい西郷隆盛という人物が、今回、どのように描かれるか楽しみにしています。


 以下、現時点で発表されているキャストです。


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西郷吉之助(隆盛)・・・・・・・鈴木亮平(幼少期:渡邉蒼)

大久保一蔵(利通)・・・・・・・瑛太

岩山糸・・・・・・・黒木華

西郷吉兵衛・・・・・・・風間杜

西郷満佐子・・・・・・・松坂慶子

西郷琴・・・・・・・桜庭ななみ

西郷吉二郎・・・・・・・渡部豪太

西郷龍右衛門・・・・・・・大村崑

西郷きみ・・・・・・・水野久美

大久保次右衛門・・・・・・・平田満

熊吉・・・・・・・塚地武雅

於一(篤姫)・・・・・・・北川景子

ふき・・・・・・・高梨臨

大山格之助(綱良)・・・・・・・北村有起哉

有村俊斎(海江田信義)・・・・・・・高橋光臣

村田新八・・・・・・・堀井新太

赤山靭負・・・・・・・沢村一樹

幾島・・・・・・・南野陽子

由羅・・・・・・・小柳ルミ子

島津斉興・・・・・・・鹿賀丈史

島津斉彬・・・・・・・渡辺謙

島津久光・・・・・・・青木崇高

喜久・・・・・・・戸田菜穂

山田為久・・・・・・・徳井優

愛加那・・・・・・・二階堂ふみ

西郷従道(信吾)・・・・・・・錦戸亮

大久保満寿・・・・・・・ミムラ

桂久武・・・・・・・井戸田潤

タマ・・・・・・・田中道子

阿部正弘・・・・・・・藤木直人

月照・・・・・・・尾上菊之助

徳川家定・・・・・・・又吉直樹

調所広郷・・・・・・・竜雷太

井伊直弼・・・・・・・佐野史郎

徳川斉昭・・・・・・・伊武雅刀

語り・・・・・・・西田敏行

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 西郷隆盛役の鈴木亮平さんのことは、それほど詳しくは知らないのですが、NHK朝ドラ『花子とアン』やNHK大河ファンタジー大河『精霊の守り人』が印象に残っています。大河ドラマは初出演にして初主演だそうですね。巷の噂では、とあるビッグネームの俳優さんが断ったことによる大抜擢だとも聞きますが、たとえそうであったとしても、そんなことはどうでもいいことなんじゃないでしょうか。今やハリウッドスター渡辺謙さんも、『独眼竜政宗』の主役に抜擢されたときは、それほど知名度の高い俳優さんではありませんでしたが、同作品は大河史上に残る名作との呼び声が高い作品となりました。名前の大きさなんて、あとからついてくるものなんじゃないかと。


 その渡辺謙さんが、今回、島津斉彬をやるんですね。ピッタリだと思います。斉彬はたぶん、物語前半しか出てきませんが、西郷の精神の核となる部分を生み出す人物として、重要な登場人物です。渡辺謙さんなら、申し分ないのではないでしょうか。


 大久保利通は瑛太さんですね。西郷といえば大久保。この2人の関係がどのように描かれるかも楽しみのひとつです。一般に、西郷の人気の高さに対して後世に悪評高い大久保ですが、実は、わたしはどちらかといえば大久保贔屓です。なので、大久保利通の扱いがどのように描かれるかが気になるところ。その意味では28年前の大河ドラマ『翔ぶが如く』での鹿賀丈史さんの大久保利通は最高でしたし、その後の幕末ものに出てくる大久保役は、どれもイマイチ納得できませんでした。今回、瑛太大久保は鹿賀大久保を超えられるか。楽しみです。


 その鹿賀丈史さんも、今回、島津斉興役で出られるんですね。それと、語りが西田敏行さん。『翔ぶが如く』での西郷と大久保が、28年後にも揃って出演。これ、往年の大河ファンにはたまらない粋な計らいです。あと、松坂慶子さん、風間杜夫さん、平田満さんの『蒲田行進曲』トリオの共演も話題になっていましたね。皆さん、年を取られました(笑)。


 天璋院篤姫役は北川景子さん。これまた意外にも大河ドラマは初出演だそうですね。篤姫役といえば宮崎あおいさんを思い出しますが、実は『翔ぶが如く』のときの篤姫は富司純子さんでした。もちろん、富司さんは美しい女優さんですが、28年前といえども、当時、富司さんは40代半ばだったと思います。篤姫が第13代将軍・徳川家定のもとに輿入れしたのは20歳のとき。あれはちょっと、無理がある配役でしたよね。その意味では、北川さんはギリギリセーフかな?(笑)。そして、その家定役が芥川賞作家の又吉直樹さんだそうで、これもイメージ出来すぎて笑っちゃいましたが、いちばん笑ったのは、由羅役の小柳ルミ子さん。イメージピッタリです(笑)。


 まだまだ、勝海舟坂本龍馬、木戸孝允、小松帯刀らのキャストも発表されていませんし、桐野利秋、篠原国幹、別府晋介といった西郷と運命をともにする主要キャストも発表されていません。楽しみですね。


 とにもかくにも、また今回も1年間お付き合いいただけたら幸いです。

 楽しみましょう。


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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-30 15:19 | 西郷どん | Trackback | Comments(2)  

太平記を歩く。 その175 「恩智城跡」 大阪府八尾市

大阪府八尾市にある恩智城跡を訪れました。

恩智城は楠木正成八臣のひとりである恩智左近満一が築いたとされる城で、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」楠木正行が戦死すると、ここ恩智城も落城したと伝わります。


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城跡と言っても、遺構は残っていません。

現在は旧恩智小学校の跡地に石碑が建てられているのみです。


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学校の校門跡でしょうね。

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城跡の石碑と小学校跡の石碑が並びます。


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現地説明板によると、恩智城跡は自然の高地を利用した城郭で、高安連峰との間に堀をめぐらせ、堀の中にかつては小島があったそうですが、それはむかしの一の丸で、現在の城址は二の丸址だそうです。


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城は広さ東西83間 南北85間だったと伝わります。


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城跡からは、河内平野が一望できます。


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遠くにあべのハルカスが見えます。


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城跡公園の西には、恩智左近満一の墓があります。


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恩智左近満一は恩智神社の社家の出で、楠木正成方に味方した八臣のひとりです。


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「湊川の戦い」で正成が戦死したあとは、その子・正行を助けて南朝方を守りましたが、延元2年/建武4年(1337年)に熱病で死んだという説と、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」戦死したという説があるようで、定かではありません。


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説明版は病死説を採っているようです。


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『太平記』とは無関係ですが、左近の墓の傍らに小さな墓碑16基並んでいるのですが、これは、明治10年(1877年)の西南戦争政府軍として従軍した中河内近在の人々の墓だそうです。



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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-29 02:25 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

太平記を歩く。 その174 「歯神さん」 大阪府東大阪市

「その171」で紹介した霊光院から西に少し坂を下ったところに、鉄柵で囲われた小さながあるのですが、ここは、楠木正成の弟・楠木正季の子・和田賢秀が祀られていると伝えられます。


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賢秀は従兄弟にあたる楠木正行・正時兄弟と共に、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」で討死しました。


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賢秀の墓所は「その167」で紹介した四条畷市のものが有名ですが、この祠は、四條畷の戦いの舞台を東大阪四条説に則ったものだと思われます。


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その説明書きによると、賢秀がこの地で戦ったとき、自分の刀が折れ、敵の刃を口で受け止め、その刃を歯で噛み切ったところから「歯神」として崇められ、歯痛に効く神として、古くから信仰され、「歯神さん」として人々から敬神されているそうです。


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四条畷市の墓所の説明書きでは、敵将にはねられた首が敵に噛み付いたまま睨んで離れなかったという伝承で、あちらでも歯痛に効く神「歯噛(神)さん」として信仰されているとしていました。

微妙に話が違っていますが、いずれも歯にまつわる伝承であることを思えば、やはり、死に際に敵に嚙みついたのはホントの話かもしれませんね。




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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-27 23:07 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

太平記を歩く。 その173 「楠木正行首塚(東大阪)」 大阪府東大阪市

「その166」「その168」「その169」「その170」楠木正行墓や首塚を紹介しましたが、まだありました。

前稿で紹介した枚岡神社首洗の井戸から、800mほど北東にある重願寺という寺院の近くの住宅地のなかに、ひっそりとあります。


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こんな目立たない場所に案内板があり、この細い道を入っていきます。

非常にわかりにくい。


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敷地内には、玉垣で囲われた空間と、顕彰碑が目に入ります。


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玉垣のなかには、首塚と思われる石龕が見えます。

右下に「楠木正行首塚」と書かれた立て札がありますが、実はわたしが来たとき、敷地内の隅っこに倒れており、わたしが起こして立てかけました。


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首塚の石龕です。


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扉部分にかすかに菊水の紋が確認できますが、かなり傷んでいます。


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花立てには菊紋が確認できます。


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首塚のそばに建つ「顕彰碑」


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碑文は漢文で書かれていたので、わたしには読解できません。
こちらの菊水は、はっきりと確認できます。


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前稿の首洗池から1km弱、「その170」で紹介した往生院六萬寺の墓所からは2kmほどの立地を考えると、おそらく、「四條畷の戦い」の舞台を東大阪四条説に則った首塚だと思われます。

とにかく、説明板も何もないので、詳しいことがわかりません。


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「首塚」のある場所の横の通りにあった鳥居です。

額の部分が外されており、この近くに神社があるのか、あるいは、この塚がかつて神社として祀られていたのか、わかりません。




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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-26 20:23 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

太平記を歩く。 その172 「楠木正行首洗の井戸(枚岡神社)」 大阪府東大阪市

東大阪市に枚岡神社という由緒ある神社があるのですが、その参道にあたる枚岡梅林の入口に、楠木正行ゆかりの井戸があります。


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その伝承によると、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」において、楠木正行・正時兄弟率いる南朝軍と、足利幕府方の高師直率いる北朝軍が激突し、南朝方は惨敗を喫しますが、そのとき、討ち取られた正行の首が、この井戸で洗われたといいます。


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四條畷の戦いの舞台は、「その163」から「その167」で紹介した現在の四条畷市通説となっていますが、「その170」「その171」で紹介した東大阪市の四条付近だったという説も根強く、もし、この井戸が伝承どおりの井戸だったとすれば、後者の説に沿ったものだと思われます。


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井戸を囲う石はそれほど古いものではなさそうで、とても由緒ある井戸には見えません。


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立札には、「楠木正行公縁の井戸」と記されていますが、以前は、「楠木正行公首洗いの井戸」と書かれていたそうです。

表現が惨たらしいので、変えちゃったのでしょうか?

縁の井戸と言われても、どんな縁かわからないですよね。




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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-25 19:36 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

太平記を歩く。 その171 「楠木正行終焉の地(霊光院)」 大阪府東大阪市

東大阪市上四条町にある「霊光院」という寺院の入口に、「小楠公終焉所」と刻まれた石碑があります。

ここは、前稿で紹介した往生院六萬寺から500mほど北上した場所で、ここが本当に楠木正行終焉の地だったかどうかはわかりませんが、正平3年/貞和4年(1348年)1月5日の「四條畷の戦い」の舞台が、「その163」から「その167」で紹介した通説の現在の四条畷市ではなく、東大阪市の四条付近だったという説に則ったものだと思われます。


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ここ石碑が建てられたのは、明治21年(1888年)当時この土地を所有していた人物が、この場所を掘ったところ、、多数の人骨や武具などが出土したそうで、これを伝承の四条綴の戦いの遺物であると考え、これを丁重に埋め戻してこのを建てたそうです。

また、この「霊光院」と道を隔てた場所に、かつて「楠公院」という寺院があったそうで、この寺院の境内からも人骨や武具などが出土したらしく、供養塚が建てられいたそうですが、現在、その寺院はなくなり、供養塚もなくなっています。


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ただ、この地は応仁の乱後の文明9年(1477年)、管領の畠山義就畠山政長による家督相続争いの戦場にもなっており、武具や人骨などが出土する可能性が大いにある地域だそうで、四条綴の合戦との関連が裏付けられたわけではありません。

今だったら、いつの時代のものかまで分析できたんでしょうけどね。




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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-24 21:17 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

桑田佳祐LIVE TOUR 2017 『がらくた』大阪会場レポ!

先週の日曜日、京セラドーム大阪で開催された桑田佳祐さんのLIVEに行ってきました。

サザンオールスターズのLIVEには何度も行ったことがあったのですが、桑田さんソロのLIVEに行ったのは、2002年の大阪ドーム以来15年ぶりです。


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今回のライブツアーは5大ドーム会場を含む全国10会場18公演ですが、2度目の5大ドーム公演を行うのは、男性ソロアーティストとしては史上初なんだそうですね。

サザンでは毎回ドームツアーが当たり前なので、もっとやってるのかと思っていましたが、1度目は、わたしが行った15年前のツアーだったそうです。


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もっとも、本当なら、今回の5大ドーム公演は3度目になるはずでした。

というのも、2010年に今回と同じく5大ドーム会場を含む全国10会場19公演を予定していたものの、桑田さんの食道がん発症が判明し、急遽、全公演が中止になったという経緯があります。

そのとき日程も、10月末から12月31日までという今回とほぼ同じ日程の予定でした。

そう思えば、今回のツアーは、われわれファンにとっても桑田さん本人にとっても、感慨深いツアーといえます。


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会場周辺の装飾は、サザンのLIVEのときほど派手ではありませんでした。

アイドルのLIVEじゃないですからね。

あくまでステージを観てくれってスタイルでしょうか。


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こちらはツアーグッズ販売。

今回、わたしはとくに何も買いませんでした。

桑田さん(サザンも含む)のLIVEって、他のアーチストのファンのように、いい意味で熱狂的じゃないんですよね。

だから、観客の大半がツアーグッズを身に着けて熱狂する宗教的な空気感はありません。

以前、長渕剛さんのLIVEに行ったときは、周囲は長渕モドキだらけでしたし、永ちゃんもまた然り、浜崎あゆみさんも、浜崎あゆみだらけですもんね(浜崎あゆみは行ったことないですが)。

その点、サザンの場合、客層も老若男女さまざまで、服装もいろいろ、コスプレ風の観客もあまり見られず、純粋に、ステージを楽しみに来たってスタイルの人がほとんどです(もっとも、今回ひとり、ヨシ子さんメイクをしたファンの女性がいて、大勢から写真をせがまれていましたが)。

この肩に力が入っていない空気感も、桑田さんが作り出したカラーといえるでしょうね。


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まだツアー途中なのでステージの内容は明かしませんが(ネットで検索すると、ネタバレページがたくさんありますけどね)、今年8月に発売されニューアルバム『がらくた』を中心に、往年のヒット曲まで盛りだくさんの3時間でした。

今年は朝ドラ『ひよっこ』の主題歌も歌ってましたしね。

サザンの曲を歌わなくても、あの曲もこの曲も、みんなが歌える曲がたくさんあるというのも、桑田さんならではといえます。


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桑田さんの作る曲って、ロック、ポップス、バラード、ブルースからGS風昭和歌謡曲風までとジャンルが多岐に渡り、何時間聴いても、何曲聴いても飽きないんですよね。

そこが、30年以上に渡ってヒット曲を生み出し続けている所以だと思います。

そんな超一流のアーチストでありながら、一流の音楽とともに、桑田さんらしい遊び心も随所に散りばめられていて、楽しませてくれます。

まさに、天才の作り出す極上のステージでした。

とくに、アンコールのラストのあの曲の桑田節は、感涙ものでしたよ。

それと、季節がら、あのバラードも。

ステージ鑑賞から5日が過ぎましたが、いまだその余韻に浸っています。



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# by sakanoueno-kumo | 2017-12-22 16:48 | 芸能 | Trackback | Comments(0)