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天地人 あとがき

 2009年NHK大河ドラマ「天地人」の全47話が終わりました。最終回の視聴率は22.7%だったそうです。全話の平均視聴率は21.2%で、いずれも昨年大ヒットした「篤姫」には及ばなかったものの、近年の大河作品の中ではまずまずの数字となったようです。

 昨今の戦国ブームが追い風になって、それなりの人気を得ていたようですが、一方で古くからの大河ドラマファンからは酷評が多かったこの「天地人」。長年大河を見続けてきた私にとっても、評価の低い作品となってしまいました。私はこのブログで全47話を毎週追っかけてきましたが、なるべく酷評はしないという趣旨を貫いてきたのですが、途中から辛くなってきたというのが正直なところです。印象に残ったシーンや心に響いた言葉などを記してきたのですが、何も感想が浮かばない回もあって、苦しみました。

 何が評価を下げたかといえば、諸所いろいろだとは思いますが、よく耳にする「史実と違う。」という意見に関しては、私はあまり言いたくない部分です。登場人物が実在の人とはいっても、基本的にドラマである以上フィクション。そのフィクションの物語に史実を盛り込んで楽しく見せるというのが、歴史ドラマのポイントだと思うからです。史実ありきで構成すれば、それはドキュメンタリーであってドラマではないと私は思います。過去、名作といわれる作品の中にも、フィクション性の強い作品も見られます。それをもってして面白くないと評するのは私は賛成できません。文書などで残っている史実は、歴史の断片に過ぎません。本当かどうかわからないところにこそ、歴史ドラマの面白さがあると私は思っています。

 次に直江兼続という人物についてですが、戦国武将の中で人気の高い人物ではあるものの、脇役の感が強く、主役として1年間物語を作るには難しい人物ではあったでしょう。しかし、昨年の「篤姫」、一昨年の「山本勘助」も本来脇役の人物で、この二つの作品は私の中で評価が高く、人物の所為とは言えないところがあります。ただ、秀吉などにも勝るとも劣らないと言われた「策士、直江兼続」の姿はあまり見ることが出来ず、最後まで優等生だった姿がイメージと違い、兼続ファンをがっかりさせたところだと思います。妻夫木聡さんの爽やかなイメージから脱却できず、本来の直江兼続の魅力を作り出せなかった感は否めません。

 私がこの作品の中でもっとも感じたのは、テーマの曖昧さです。「愛と義」という、あまりにも広いテーマだった故、その本質が伝わってきませんでした。「利」のみを求める戦国時代において「愛と義」を貫いた直江兼続の人生を通して、弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人にメッセージを送る・・・という壮大なテーマをうたっていた制作サイドでしたが、結局は何が「義」なのか、何を伝えようとしているのかが見えてきませんでした。第9話の上杉謙信の言葉に「義とは、人が人であることの美しさよ。」というものがありましたが、あまりにも抽象的すぎて理解に苦しいものでした。昨年の「篤姫」では、「役割」という非常に解りやすいテーマがあり、物語を通してその主題がぶれなかった・・・という点に、多くの視聴者の共感が得られたのではないかと思います。この天地人においては、そのテーマである「義と愛」に一貫性がなく、兼続の行動にも矛盾点が多く、共感を得ることが出来なかったことが、この作品の評価を下げた一番の要因と私は思います。

 以上は私の個人的な勝手極まりない感想です。全話を通して酷評は避けていただけに、そのままの姿勢を最後まで貫こうかとも思いましたが、「あとがき」ということで正直な感想を述べさせてもらいました。長年大河は見続けてきましたが、ブログという場で全話感想を述べさせてもらったのはこの作品が初めてです。そいうった意味では、心に残る作品になりそうです。ブログを毎週読んでくださった方がいるかどうかはわかりませんが、毎週感想をエントリーした翌日のアクセス数がもっとも多く、そのことを励みに臨んできました。11か月間ありがとうございました。

 次週からの「坂の上の雲」、来年の「龍馬伝」でも、ブログエントリーは続けていきたいと思います。



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by sakanoueno-kumo | 2009-11-25 02:04 | 天地人 | Comments(4)  

天地人 第19話「本能寺の変」

ときは天正10年6月2日。
 このくだりで始まる「本能寺の変」は、過去数え切れないほどの脚本家、演出家、役者さんによって描かれてきた。大河ドラマにおいては、実際に本能寺の変が起こった6月2日に一番近い日曜日に放送されるのが恒例だったのだが、今回は1か月近くも早い放送。主役の兼続が活躍するのはこれからということもあって、展開を早めているのだろうか。しかし、本能寺の変に至るまでの過程があまりに省略されていたのは少々残念な脚本だった。

 火の手の上がった本能寺で、信長は謙信入道の幻影に対面する。
「天地人・・・・・・天の時、地の利、人の和。その三つを併せ持つ者こそ天下を治めるに値する。」
「人の心を蔑ろにした。人の心は力で動かすことは出来ぬ」

「きれいごとではこの世は治らん。ぶち破る力無くして何ができよう。それが悪だというのなら、俺は喜んでその道を選ぶわ。・・・・・信じるは己のみ。」
「さても悲しき男よ」
この物語のテーマである「義の心」。
信長と謙信の歩み寄れることのない信念を垣間見れるシーンである。

 織田信長という人物の生涯は、その後400年経った今でも、上に立つ者の反面教師として語り継がれている。これほどわかりやすい教訓はなく、本能寺の変の物語を通して、謙信の言う「人の心は力で動かすことは出来ぬ。」ということを改めて感じ学ぶのである。明智光秀の起こした行動は、その後の時代に生きる私たちの道徳教科書として、大きな意味を持った必然であったと考えてみるのも面白い。そして私たちの生活の中で、会社や学校、家庭などで自分の置かれている立場に置き換えて今一度考えてみたい。
ほとんどの人が大なり小なり「光秀」の気持ちになったことがあるに違いない。
そして環境によっては「信長」になってしまう心も、誰の中にもあるように思える。
「人の心は力で動かすことは出来ない。」
さても悲しき男にならぬよう・・・・・自己研鑽せねば・・・。


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5月14日追記-------
本話の放送でサブリミナル演出と思われるシーンがあったとか。放送後多数問い合わせのTELがあったらしい。サブリミナル効果とは通常肉眼で確認できないほどの短いカットを使って、潜在意識に働きかけるという手法。多数問い合わせがあったということはサブリミナル演出とは言えないのでは・・・?

以下、記事本文引用
***************************************************************************
NHK大河ドラマ「天地人」、サブリミナル手法の演出?
NHKが2009年5月10日放送の大河ドラマ「天地人」で、サブリミナル手法に似た演出をしていたと、新聞各紙が5月14日報じている。
番組では、本能寺爆発シーンの直前、天地人に当たる空、水田、俳優の3カットが肉眼で確認が難しいほどの短時間挿入されていた。各紙では、このカットが、人の潜在意識に働きかけるとされるサブリミナル効果になるのではないかと指摘している。
これに対し、NHKでは、織田信長の気持ちを伝えるための演出で、各カットは知覚できるためサブリミナル手法ではないなどと、各紙にコメントしている。
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by sakanoueno-kumo | 2009-05-11 00:57 | 天地人 | Comments(2)  

天地人 第11話「御館(おたて)の乱」

歴史上において、家督争い、相続争いによる内乱は数多くある。
その多くの場合、古くは「壬申の乱」にもあるように、偉大な主の後継者争いによるものである。
「御館の乱」も例外に及ばず、偉大なる主君、上杉謙信の死後、勃発した悲しい争いである。
景勝、景虎、それぞれにとりまく者たちの思惑に乗せられた形に描かれた、今回のお家騒動。
案外的を得ているかもしれない。
「この戦、真にわれらに義があるのか?」
「わしが身を引けば、 この戦を終わらせることが出来るのではないのか?」

景勝の言ったこの言葉は、みこしの上に担がれた者の本音のようにも聞こえる。
しかし後戻りすることは出来ない。そんなことはわかった上での言葉である。

越後の内乱を横目に、自分に吹いた追い風に感慨深げな信長。
今回このシーンは結構お気に入りだ。(初音が傍にいるのは余計だと思うが・・・。)
「義をつらぬいた謙信は、浄土とやらへいったのかのう。」
「じゃが、後には地獄を残した。」
「天はわしに進めというのか。」
「滅せぬものなど、この世にはない。 謙信なら、この俺を止めることもできたであろうに。」

歴史の中にはいくつかのターニングポイントがあって、もし・・・・ならば?あのとき・・・・たなら?などと考えたくなる場面がある。
もし、謙信があと数年生きていたら?もし信玄があと数カ月生きていれば?あのとき、光秀が謀反を起こさなければ?あのとき小早川が裏切らなければ?等々・・・・。
しかしそれは歴史の中の偶然であり、必然。
そのひとつひとつが現代のわれわれの社会に繋がっている。

信長にとって、自分の野望を後押しするかのように没した上杉謙信。
その偶然を必然と受け止めることに怖さを覚える、そんな信長もまた、案外的を得ているかもしれない。


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by sakanoueno-kumo | 2009-03-17 01:40 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第9話「謙信死す」

天正6年(1578年)3月9日、春日山城で倒れ、3月13日死去した。死因は脳溢血だったと言われている。 享年49歳。奇しくも信長と同じく、「人生五十年」に1年足りない死であった。

妙椿尼の吐いた「嘘の遺言」によって、家督争いにとりあえずの決着をつける。(もちろん一時的だが)
嘘を見破り苦慮を重ねた仙桃院が、兼続にだけ真実を打ち明け言った言葉。
「この世には、事実と嘘の狭間に真があるのじゃ。」
「政とはその真を見つけだすこと。」

どうにも納得できない言葉だが・・・? これでは平成の現在の政と変わらない。
その言葉に納得する兼続。
謙信から受け継いだ「義」の精神はどこへいったのだ?
「義とは、人が人であることの美しさよ。」
謙信が残した言葉に反しているのでは?
人が人であることの醜さが浮き彫りになった言葉のように聞こえるが?

確かに「嘘も方便」という言葉もあるように、大きな善行の前では多少の非違行為も必要な場合はある。
しかしこの「天地人」に限って言えば、このドラマ全編のテーマに沿わないように思うのだが・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2009-03-01 22:45 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第8話「謙信の遺言」

歴史小説やドラマでは、主人公を史実に絡めるために情報を提供する架空の人物がいる場合が多い。
それは“忍び”であったり“盗人”であったり“庄屋”であったり“岡っ引き”であったり。
話を展開させる上で非常に便利な役目を果たすのだが、上手に使わないとワザとらしい存在になることがある。
今回の「天地人」では、「初音」がその役目を担っているようである。
しかしその便利な登場人物のもたらす情報があまりにワザとらしく、上手に使えてないような気がするのだが・・・。
「功名が辻」のときの、“六平太”のようにうまく絡められないものなのだろうか?

第8話で、上杉謙信が兼続に「義」の思いを伝えた。
「真の義を見つけ得る者があるとすれば
己との戦いの孤独に身を置き瞑想を続ける者じゃ。」

自分は迷い続けたからこそ、己の義を得たのだと・・・。
「迷わない人間は、成長しない。」
これは私も会社の部下によく言う言葉である。
迷ってたどり着いた道は絶対に忘れない。迷うことこそ財産であると私も思う。


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by sakanoueno-kumo | 2009-02-24 01:05 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第5話「信長は鬼か」

戦国武将の中で、最も対照的な考えを持つ「織田信長」と「上杉謙信」。
自らを毘沙門天の化身と称し、何よりも「義」を重んじた謙信に対して、神仏を信用せず、古い権威を否定し、常に合理的な考えのもとに生きた信長。

第5話で、兼続はこの両極端な二人の心を垣間見る。
信長曰く、
「欲に目がくらみ、富に執着し、保身のために戦までしおっても、坊主ならば許されるか?」
「義とは戦をするための口実にすぎぬ。義を振りかざし、しがらみにとらわれているばかりでは、天下はおさまらぬ。私は、腐った根っこから全てこの世を作り直したいのだ。」

この時代の僧侶は、政治的権力者でもあった。
欲に目がくらみ、富に執着した権力者は、平成の現代においても変わらない。
官僚主導の現代の古き悪しき体制を、腐った根っこから作り直すためには、信長のような強引さもまた必要であるかもしれない。

謙信曰く、
「強きものが弱きものの叫びを力でねじ伏せることが、はたして真の義であるのか?」
「義とは、人が人であることの美しさよ。」

これもまた、格差社会といわれる現代の世の中に失われてしまった心なのかもしれない。

古き良き「義の思い」と、新しい「改革の思い」。
どちらも必要であり、必然であると思う。
二つの「こころ」が融合する時代は、まだまだ訪れそうにない。


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by sakanoueno-kumo | 2009-02-01 21:48 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第4話「年上の女(ひと)」

遅ればせながら第4話を昨夜やっと観た。
毎年思うことだが、大河ドラマはどうしても序盤3か月程ストーリーが他愛もなく過ぎて盛り上がりに欠ける。主人公の少年期を描くためほとんどがフィクションで、史実に間接的に話を絡めてはいても少々無理があり、だらけてしまう。この序盤で挫折してしまう人が多いようだが、間違いなく後半は面白くなっていくのだから、序盤の我慢が大切である。

景勝と同じく上杉謙信の養子となった景虎。
生涯独身を貫いた謙信は、美男で聡明な三郎を大いに気に入っていたらしく、自身の名乗りであった「景虎」を継がせた。そして姪にあたる長尾政景の娘(景勝の姉)を妻として与えたという。
第4話で祝言を挙げた景虎と華姫(清円院)。
調べてみると清円院は「継室」ということになっている。正室は北条幻庵の娘だとか?
この時代の女性は、夫が歴史の表舞台に出ているときにしか記録も残っていないため、本当のところはわからないことが多いらしい。(信長の正室、濃姫ですら実在したか否か諸説ある。)

この後、悲しい運命に身を呈していく景虎と華姫。
二人の絆を知っておくためにも、やはり序盤3か月も見逃してはならない。

長澤まさみさんが演じる「初音」役の設定が、真田幸村の妹から姉に変更されるとか。
初音は架空の人物だが、主人公の直江兼続と幸村の年齢差を考えると、初音は当時10歳未満になり、視聴者から指摘があったということらしい。
大河ドラマの放送開始後に、主要キャストの設定が変わるのは異例だとか。
制作スタッフの勉強不足が露呈された滑稽な話である。

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by sakanoueno-kumo | 2009-01-30 10:24 | 天地人 | Comments(0)  

天地人 第3話「殿の初恋」

偉大な養父、上杉謙信を持つ上杉景勝は後世の小説などでは愚鈍に描かれることが多い。
武田信玄の子勝頼や、織田信長の子信忠なども同じである。
現代でいえば、安倍晋三や福田康夫のようなものだろうか?
しかし、本当のところはどうだったんだろう?
偉大な父たちには確実に時代の追い風が吹いていて、息子たちの時代にはその風はやんでいた。そのことは割り引いて考えなければならないと思う。(安倍さんや福田さんは違うけどね。)

口数が少なく不器用に描かれている今回の景勝。実際に無口な人物ではあったようだ。
一説には、自分は謙信に及ばないとの想いが強く、常に謙信のようにありたいと考えて行動していたため、感情を表に出すことがほとんどなかったという話もある。

まだ物語は始まったばかり。兼続だけではなく、景勝がどう描かれていくか楽しみである。


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by sakanoueno-kumo | 2009-01-19 00:33 | 天地人 | Comments(0)