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おんな城主 直虎 第12話「おんな城主直虎」 ~井伊直親の最期と井伊直虎の誕生~

 井伊直親の最期の回でしたね。その伝承によると、直親が松平元康内通しているという小野但馬守政次の讒言によって、今川氏真は大いに驚き、ただちに井伊谷に軍勢を差し向けようとしますが、今川氏の一族でありながら井伊家寄りだった新野左馬助親矩が、氏真に思いとどまるよう説得し、出撃は中止されます。親矩の妹は亡き井伊直盛の妻で、つまり、次郎法師の母でした。さらに、親矩の妻は井伊家一族の奥山因幡守朝利の妹でもあり、親矩は今川氏の一族として井伊家の目付家老でありながら、井伊家と深い絆で結ばれていたんですね。


 そんな背景もあって、氏真は親矩の説得を心から納得していなかったのかもしれません。あるいは、零落著しい今川氏にあって、氏真は疑心暗鬼になっていたのかもしれませんね。氏真は直親を許すつもりはありませんでした。


 親矩から報せを受けた直親は、逆心がないことを弁明しようとただちに駿府城に向かいます。「行けば殺される」と止める家臣も多かったと思われますが、直親は強行したんですね。あるいは殺されるかもしれなくても、この時点では、そうするしかなかったのでしょう。永禄5年(1562年)12月、直親は家臣18人を従えて、井伊谷を発ちます。


 通説に従えば、12月14日、井伊谷から東南東に35kmほどのところで、遠江国掛川城主朝比奈泰朝の兵に囲まれます。このときのことを『井伊家伝記』は、「掛川通りの節朝比奈備中守取り囲み一戦に及び、直親主従共粉骨を尽すと雖も、無勢故終には傷害成され候」と記します。


また、『寛政重修諸家譜』には「十二月十四日遠江国掛川をすぐるところ、城主朝比奈備中守泰能(泰朝の誤り)その意しらず。氏真をせめむがために、行くならむとおもひ、俄に兵を出して囲みうつ。直親やむ事を得ずしてこれとたゝかひ、終に討死す。年二十七」とあります。つまり、泰朝は直親が申し開きのために駿府に向かっていると知らず、駿府を攻めるためだと勘違いし、兵を出して襲撃した・・・と。まあ、このあたりの理由は、後からどうとでもいえますよね。おそらく、氏真は最初から直親の抗弁など聞くつもりはなく、泰朝に命令して殺させたのではないかと・・・。


 かつて直親の父・井伊直満は、政次の父・小野和泉守政直讒言によって今川義元殺害されました。そしてまた、直満の子・直親は、政直の子・政次の讒言によって、義元の子・氏真に殺されたわけです。なんという因縁でしょう。安物の脚本家でも、こんな出来すぎた設定は考えないのではないでしょうか。まさに事実は小説より奇なり。ドラマでも、この親子二代の因縁を、もうちょっとクローズアップしてほしかった気がします。


 直親の死後、ドラマでは一族最長老の井伊直平中野直由新野親矩が瞬く間に死んでしまいましたが、実は直平らが死んだのは直親の死から9ヵ月後のことでした。しかも、直平の死は毒殺だったという説もあり、十分にドラマになったと思うのですが、ナレーションだけでこの世を去っちゃいましたね。早くおんな城主を誕生させたかったのかもしれませんが、直親の死からあとの井伊家の窮地がもっとも面白いところだと思っていたので、そこをもっとじっくり描いてほしかった気がします。その井伊家存続の危機があったから、おんな城主が誕生したわけで・・・。


直平が死んだことで、ついに井伊家を継ぐ男子は直親の忘れ形見・虎松だけとなりました。しかし、虎松はまだ幼く、後見が必要です。そこで白羽の矢が立ったのが、次郎法師だったんですね。ドラマのとおり、次郎法師を後見に推したのは、南渓瑞聞和尚だったといいます。かくして、おんな城主・井伊直虎の誕生です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-03-27 17:11 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第6話「初恋の別れ道」 ~井伊直親の元服・結婚~

 弘治元年(1555年)3月、井伊谷に帰還した亀之丞は、早速、井伊直盛の養子となり、元服して井伊肥後守直親と名乗ります。このとき、直親21歳。遅すぎる元服ですが、逃亡、潜伏生活を強いられていたわけですから、やむを得なかったのでしょうね。晴れて井伊家の後継ぎとなった直親は、10年前の約束どおり、出家した次郎法師還俗させて結婚・・・というのが直盛の希望だったでしょうが、残念ながらそうはいきませんでした。


 第4話の稿でも述べましたが、出家した井伊直虎が尼の名前を名乗らず、「次郎法師」という僧名を名乗ったのは、再び還俗しやすいように、との直盛の願いだったといいます。当時、尼から還俗することは許されませんでしたが、男の場合、戦で死ぬことはたびたびで、後継ぎの男子がいなくなった場合、僧侶からの還俗は珍しくありませんでした。そこに目をつけた南渓瑞門和尚が、直虎に僧名をつけ、いつでも俗世に帰れるようにしたと伝えられます。次郎法師の還俗は両親の切実な願いだったんですね。


 ドラマでは、井伊家の本領安堵と引き換えに出家させられた次郎法師でしたが、史実では、そのような記録はありません。即ち、還俗しようと思えばいつでも出来たわけで、直親が帰還したこのタイミングが、まさに直盛の望みを叶えるチャンスだったといえます。しかし、実際には次郎法師の還俗は行われず、直親は一族の奥山因幡守朝利の娘と結婚します。なぜ、次郎法師と結婚しなかったのか・・・。


 これについては、様々な推理があるだけで、実際の理由はわかりません。『寛政重修諸家譜』「井伊直親」の項によると、直親の信濃国逃亡の際、朝利(その父の親朝とも)が直親を匿うべく尽力したと伝えています。つまり、奥山家は直親の命の恩人であり、無下にはできない間柄だったわけです。そんな事情から、直盛は出家した実の娘ではなく、奥山家から直親の嫁を選んだのではないか、と、推測されます。


 また、別の説では、直親は潜伏先の信濃国で代官・塩沢氏の娘との間に一男一女をもうけたといわれ、井伊谷にはその娘を伴っての帰還だったため、次郎法師がこれを嫌った、とも言われます。元服していなかったとはいえ、帰還時の直親は21歳。当時の習慣からいえば、子どもがいても何ら不思議ではありません。ただ、それを理由に次郎法師が還俗、結婚を拒んだというのは、いささか現代チックな見方かもしれませんね。この時代、正妻より先に側女を持つなどよくあることで、その程度のことで目くじらを立てる次郎法師ではなかったでしょう。おそらく、ふたりが添えない何らかの事情があったのでしょうね。


次郎法師「直親とわれは、それぞれ1つの饅頭なのじゃ。2つの饅頭を一時に食べたり与えてしまっては、のうなってしまう。なれど、1つを取り置けば、まことに困ったときに、もう1度食べたり与えたりできる。」

直親「おとわが還俗するのは俺と一緒になるときではなく、俺に何かがあったときでありたいということか?」

次郎法師「井伊のためには、死んでしまったことにするわけにはいかぬ。次郎の名を捨てるわけにはいかぬ。」

直親が「おとわはそれでよいのか? 一度きりの今生と言うたではないか。一生、日の目を見ることなどないのかもしれぬのだぞ!」

次郎法師「それこそ上々であろ? われがかびた饅頭になることこそ、井伊が安泰である証しであろ?」


 これが、ドラマにおける理由でした。つまり、次郎法師はリザーブになる・・・と。実際には、この時点での次郎法師を井伊家の後継ぎ候補と考えるようなことはなかったとは思いますが、そこはドラマですから、多少の千里眼的設定はいいんじゃないでしょうか? 実際、次郎法師はかびた饅頭になれなかったわけですから。



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by sakanoueno-kumo | 2017-02-13 21:43 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第4話「女子にこそあれ次郎法師」 ~直虎の出家~

 今回は出家したおとわの話がメインでしたね。ドラマでは、今川家から本領安堵の条件として、おとわの出家を命じられるといった設定でしたが、実際には、井伊直虎がいつ、どのような理由で出家するに至ったかはわかっていません。前話の稿でも紹介しましたが、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞(のちの井伊直親)出奔後に仏への信仰が深くなり、南渓瑞門和尚の弟子となることを決意して剃髪したと伝えていますが、『寛政重修諸家譜』によれば、「直親信濃国にはしり、数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と記されています。これが正しければ、直虎が出家したのは亀之丞が出奔した数年後ということになり、もう少し大人になってからということになります。


 また、『井伊家伝記』によると、直虎は亀之丞との婚約が破談になったことで、自らの意志で出家したとあります。この時代、夫に先立たれた妻は出家するのが慣わしで、直虎も、その慣例に則って操を通したのかもしれません。しかし、直虎の両親である井伊直盛夫妻は、そもそも結婚はしておらず婚約が破棄になっただけなので、出家する必要はないと猛反対したといいます。ドラマとはずいぶん話が違いますよね。


 結局、直虎の出家への決意は固いものでした。そこで、両親がせめてもの妥協案として、尼の名前は付けないでほしい、と要望したといいます。通常、尼の名とは法名のことで、俗世間との関係を断ち切ったことになります。そうなると、二度と還俗できません。直虎の両親には男子がいなかったので、家督を継がす養子を迎えなければなりません。もちろん、単に養子を迎えることも出来たのですが、できれば、実の娘と結婚させて婿養子として迎えたいという望みを捨てきれなかったのでしょう。そのためには直虎が出家していては望みが断たれるため、なんとしても法名は避けたかったのでしょうね。


 そこで、南渓和尚がひとつのアイデアを提示します。というのは、尼名ではなく、僧名を与えてはどうか、というものでした。尼名と僧名ではどう違うのか・・・。当時、尼から還俗することは許されませんでしたが、僧侶からの還俗は珍しくありませんでした。男の場合、戦で死ぬことはたびたびで、跡継ぎの男子がいなくなった場合、一度僧になった弟が呼び戻されるといった例は少なくありませんでした。その最も有名なところでは上杉謙信がそうで、井伊家の主家である今川義元もまた、仏門から還俗したひとりです。南渓の案は、直虎が変心して還俗できるよう含みをもたせたものだったわけです。


 そこで、直虎につけられた名が「次郎法師」でした。代々、井伊家惣領は「備中法師」と名乗っていたと伝えられ、また、井伊家の歴代当主の仮名が「次郎」だったことから、この2つをつなぎ合わせて「次郎法師」としたとされています。「法師」とは、法名ではなく、僧侶や俗人で僧形をした男子のことを言い、純粋な僧侶ではありません。つまり、井伊家の当主の証である「次郎」を名乗り、尚且つ純粋な僧侶の意味を持たない「法師」をつけることで、いつでも俗世に帰れるようにしたというんですね。両親の切実な願い込められた名だったといえるでしょうか。


 というのが、『井伊家伝記』による直虎出家のくだりです。ところが、ドラマではまったく違うストーリー展開で描かれていましたね。なんで変えちゃったのでしょうね。まあ、『井伊家伝記』にしても『寛政重修諸家譜』にしても江戸時代中期に記されたものですから、そこに書かれた話にどれほど信憑性があるかはわからないので、オリジナルの解釈で創作してもいいところだとは思いますが、『井伊家伝記』の伝承そのままのほうがドラマチックだったような・・・。でも、伝承そのままで描くには、おとわが少々幼すぎたのかもしれませんね。いよいよ、次回からは柴咲直虎の登場です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-30 16:49 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 第3話「おとわ危機一髪」 ~井伊家の血を引く築山殿~

 小野和泉守政直の息子・鶴丸(のちの小野政次)と夫婦になることを拒んで出家しようとしたおとわ。これが駿府の今川義元の怒りを買うところとなり、おとわを人質に差し出すよう命じられます。ところが、南渓瑞門和尚機転とおとわの情熱によって、出家を条件に人質を免除されるというお話。今話は、すべて創作の回でした。井伊直虎が許嫁だった亀之丞(のちの井伊直親)の出奔後に出家したのは事実ですが、いつ、どのタイミングで出家したのかはわかっておらず、今川家に人質として送られそうになったという記録もありません。


 『井伊家伝記』
によると、直虎は直親出奔後に仏への信仰が深くなり、南渓の弟子となることを決意して剃髪したと伝えていますが、『寛政重修諸家譜』によれば、「直親信濃国にはしり、数年にしてかへらざりしかば、尼となり、次郎法師と号す」と記されており、これが正しければ、直虎が出家したのは亀之丞が出奔した数年後ということになります。直虎の生年は不明ですが、亀之丞と同年代と考えると、この時点ではまだ10歳前後。『井伊家伝記』の伝えるように自らの意志で出家したとすれば、『寛政重修諸家譜』の記述どおり、もう少し分別の付く年齢となった数年後に出家したと考えたほうが妥当かもしれませんね。


 劇中、南渓が一策を講じて手紙を送った佐名という女性。直虎の曽祖父、井伊直平の娘で、南渓の妹(姉)にあたりますが、実名はわかっていません。『寛政重修諸家譜』によれば、直平には息子5人と娘1人がいたとされ、嫡子・直宗(直虎の祖父)、長女(名は不明)、次男・直満、三男・南渓、四男・直義、五男・直元と伝えます。当時の系図に娘の名が記されることはほとんどなく、長女も「女子」とあるだけですが、そこに、「今川義元が養妹となり、関口刑部少輔親永に嫁す」と記されています。おそらくこの女性が、ドラマの佐名ですね(この養妹の説については諸説あるなかの一説です)。


 ドラマでは、人質として今川に差し出された佐名は、義元お手つきとなったあと、関口親永に嫁いだとされていましたが、当然ながらそのような記録は残っていません。ですが、主君のお手つきを家臣の妻に下げ渡すという話は珍しくなく、あるいは事実もそうだったかもしれませんね。かくして関口親永の妻となった直平の娘は、その後、を生みます。この娘が、瀬名姫ことのちの築山殿です。つまり、築山殿は直平のにあたり、直虎とは従姉妹違い、従叔母ということになります。


 「瀬名は龍王丸様(のちの今川氏真)の妻となり、今川を手に入れるのです。」


 初対面のおとわに対して瀬名姫が言った台詞です。なかなか強欲でしたたかな姫様のようですね。この築山殿の存在が、やがて徳川家康の登場で井伊家にとって大きな恩恵となるのですが、それはずっと後年の話です。


 寿桂尼太原雪斎など今川家の主要人物が顔を揃えましたね。今回はその顔見せの回といったところだったでしょうか。今回、子役の物語が4週という異例の長さで、おとわを演じる新井美羽ちゃんの迫真の縁起が評判になっているようですが、それも次週で見納めですね。次回、いよいよ次郎法師の誕生です。



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by sakanoueno-kumo | 2017-01-23 18:45 | おんな城主 直虎 | Comments(0)  

おんな城主 直虎 キャスト&プロローグ

 来年の大河ドラマは『おんな城主 直虎』ですね。主人公の井伊直虎は、ドラマのタイトルどおり女性でありながら家督を継いで城主となったといわれる人物。たぶん、大河ドラマの制作発表で初めて知ったという人が多いんじゃないでしょうか。かくいう私も、そういう人物がいたことは知っていましたが、詳しい内容までは知りませんでした。

で、大河ドラマを観るにあたって、何冊か関連本をかじり読みして予習した程度の知識ですが、超簡単に直虎という女性を紹介すると、遠江国浜名湖の北にある井伊谷の領主・井伊家22代当主・井伊直盛の娘として生まれた直虎は、直盛に男子が生まれなかったため、従弟(従兄)の井伊直親許嫁となって家督を継がせる予定でした。ところが、直親の父が今川氏に殺され、直親自身も命を狙われたため、10年以上身を隠すこととなり、その間、直虎は出家して次郎法師を名乗ります。やがて、直親は井伊谷に戻ってきますが、許嫁だった直虎は出家しており、別の女性と結婚。虎松が生まれます。この虎松が、のちに徳川四天王のひとりとなる井伊直政です。

その後、父の直盛が桶狭間の戦いで戦死、その2年後には直親が讒言によって謀殺されると、その翌年には曽祖父の井伊直平も死去し、井伊の名を継ぐ男子は、幼少の虎松ただ一人となりました。そこで、直虎は虎松の後見人となり、女領主として井伊家を支えることになるわけです。このとき、男名である「直虎」を名乗るようになった・・・と。「井伊」という姓を聞くと、徳川四天王のひとりとして彦根藩主となった井伊直政や、幕末の大老・井伊直弼を思い浮かべますが、直虎の時代の井伊家は、滅亡の崖っぷちにありました。そんな時代が、今年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の舞台です。

以下、現在発表になっているキャストです。

********************************************

井伊家

井伊直虎・・・・・・・柴咲コウ(おとわ(幼少期):新井美羽)

井伊直盛・・・・・・・杉本哲太

千賀・・・・・・・財前直見

井伊直平・・・・・・・前田吟

井伊直満・・・・・・・宇梶剛士

井伊直親・・・・・・・三浦春馬(亀之丞(幼少期):藤本哉汰)

しの・・・・・・・貫地谷しほり

井伊直政・・・・・・・菅田将暉(虎松(幼少期):寺田心)

佐名・・・・・・・花總まり

井伊家臣

中野直由・・・・・・・筧利夫

中野直之・・・・・・・矢本悠馬

今村藤七郎・・・・・・・芹澤興人

弥吉・・・・・・・藤本康文

たけ・・・・・・・梅沢昌代

小野家

小野政直・・・・・・・吹越満

小野政次・・・・・・・高橋一生(鶴丸(幼少期):小林颯)

小野玄蕃・・・・・・・井上芳雄

奥山家

奥山朝利・・・・・・・でんでん

なつ・・・・・・・山口紗弥加

奥山六左衛門・・・・・・・田中美央

龍潭寺

南渓和尚・・・・・・・小林薫

傑山・・・・・・・市原隼人

昊天・・・・・・・小松和重

井伊谷の民

瀬戸村

甚兵衛・・・・・・・山本學

八助・・・・・・・山中崇

角太郎・・・・・・・前原滉

祝田村

富助・・・・・・・木本武宏

福蔵・・・・・・・木下隆行

今川家

今川義元・・・・・・・春風亭昇太

今川氏真・・・・・・・尾上松也(龍王丸(幼少期):中川翼)

寿桂尼・・・・・・・浅丘ルリ子

太原雪斎・・・・・・・佐野史郎

新野左馬助・・・・・・・苅谷俊介

関口氏経・・・・・・・矢島健一

あやめ・・・・・・・光浦靖子

岩松・・・・・・・木村祐一

徳川家

徳川家康・・・・・・・阿部サダヲ

瀬名/築山殿・・・・・・・菜々緒(幼少期:丹羽せいら)

その他

龍雲丸・・・・・・・柳楽優弥

瀬戸方久・・・・・・・ムロツヨシ

高瀬・・・・・・・髙橋ひかる

松下常慶・・・・・・・和田正人

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 主人公の井伊直虎役は、柴咲コウさんですね。直虎という女性がどのような人物像で描かれるのかはわかりませんが、男名を名乗って城主になるわけですから、きっと、男まさりで勝気なキャラなんでしょうね。柴咲さん、ピッタリなんじゃないでしょうか? 巷では誰かの代役だったなんて話も耳にしますが、それが本当だろうがデマだろうが、柴咲直虎を楽しみたいと思います。

 許嫁だった井伊直親役は三浦春馬さんということなので、年下の設定なんでしょうね。直親は天文4年(1535年)の生誕と伝わりますが、直虎の生年は不詳で、実際の直親との年関係もわかりません。ただ、歴史作家・楠戸義昭氏の著書では、直親が年下だった可能性が考えられるとされており、この設定は一応の根拠があるみたいです。

 井伊家家老の小野政次役は、高橋一生さん。この小野政次という人物が、物語の全編を通して重要な役どころになってくるのですが、直虎とどのような関係に描かれるのか、また政次をどのような人物像に描くのか楽しみです。

 あと、注目したいのが井伊直政役の菅田将暉さん。いま乗りに乗ってる菅田くんですが、たぶん、大河ドラマは初出演ですよね。わたし、この人いつか、大河の主役やるんじゃないかと思っています。期待しています。

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 近年、ほぼ1年交代のように女性を主人公にした大河作品が描かれますが、井伊直虎という人物は、歴史マニア以外にはあまり知られておらず、また、実際に直虎に関する史料も乏しく、史実としてドラマを描くのはかなり困難だと思われます。つい最近では、直虎は実は男だったんじゃないか、と思われる史料が見つかったとの報道もありましたよね。そんなほぼ謎の人物とも言える素材を主役にしてまで、女性を主人公にした作品を作らないといけないのか・・・という声も多く、わたしも、その意見に賛成です。いくら男女平等の世の中と言っても、歴史は圧倒的に男社会だったわけで、大河の主役になり得る女性なんて、そんなにいませんからね。

 ただ、今回大河ドラマを観るにあたって、直虎を主人公にした高殿円さんの小説『剣と紅』を読んだのですが、これがなかなか面白く、このまま大河ドラマにしたらいいんじゃないかと思うほどでした。もちろん、直虎自身の史料はほとんどないため、作者独自の設定で、ちょっとファンタジックな人物像に描かれていたのですが、井伊家の苦難の時代は実に興味深いものがありました。主人公の知名度が低くても、描き方次第では見ごたえのあるドラマに出来ると思います。今回、脚本はJIN--などを手掛けた森下佳子さんだそうですね。期待しましょう。

 とにもかくにも、また今回も1年間お付き合いいただけたら幸いです。

 楽しみましょう。



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by sakanoueno-kumo | 2016-12-29 11:30 | おんな城主 直虎 | Comments(0)