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戦後70年、創設100周年記念高校野球大会の選手宣誓に感涙。

今年の夏の高校野球「第97回全国高校野球選手権大会」は、創設100周年記念大会となる節目の開催ですが、同時に今年は、戦後70年の節目の年でもあります。
そして今日、奇しくも70回目の広島原爆記念日でもある8月6日、全国大会の開会式が甲子園球場で行われました。
今年の選手宣誓は、100年前の第1回大会の優勝校である鳥羽高校(100年前は京都二中)の梅谷成悟主将が行いましたが、その内容があまりにも素晴らしかったので、勝手ながら、ここに全文掲載させていただきます。

「1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。
それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。
この100年、日本は激動と困難を乗り越えて、今日の平和を成し遂げました。
このような節目の年に聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいた全ての方々に感謝し、全力でプレーをします。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います。」


梅谷くん本人が考えたのか、あるいは周りの大人が考えたのか、でもこの際そんなことはどうでもいい。
この素晴らしい宣誓に関わったすべての人に敬意を表します。
また、このような宣誓ができる平和な日本を作ってきた先人たちに感謝します。

いま、日本の安全保障政策は、大きな転換期を迎えようとしています。
安倍内閣が憲法解釈を変えてまでのぞんだ安保関連法案は衆議院を通過し、成立はほぼ確実。
安倍晋三首相の本丸である改憲への世間の関心も、にわかに高まっています。
日本は、着々と「普通の国」になろうとしています(「普通の国」とは、自国を自国軍で守れる国ということで、つまり、戦争ができる国ということ)。
そんな殺伐とした世相のなか、われわれ大人たちは今日の高校球児の宣誓を、もう一度、一言一句、深く胸に刻みこみ、なぜ今日、彼がこの内容の宣誓をしたのかを、いま一度考えてみる機会ではないでしょうか?
彼の宣誓は、大人たちへの問題提起なんじゃないかと・・・。
いちばん考えてほしいのは、安倍さんですけどね。

今大会は創設100周年記念大会ですが、「第101回」ではなく「第97回」です。
なぜ「第97回」なのかを思い、そして、未来永劫、ずっとマイナス4であり続けるにはどうすればよいか、彼が言う次の100年を担う者のひとりとして、真剣に考えるべきだと感じました。
今日の宣誓はほんとうに感動しました。


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by sakanoueno-kumo | 2015-08-06 20:35 | 高校野球 | Trackback | Comments(0)  

広島を訪れたなら行かないわけにはいかない原爆ドームに学ぶ。

先週、出張ついでの広島城見物について起稿しましたが、せっかく広島に行ったので、原爆ドームのことも少しだけ記録したいと思います。

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いまさら説明するまでもないと思いますが、昭和20年(1945年)8月6日、世界史上はじめての原子爆弾投下によって破壊された、旧広島県産業奨励館の残骸です。

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爆弾はこの建物のほぼ直上約600mの空中で爆発し、そのたった1個の爆弾によって、20万人を超える市民の命が奪われ、半径2kmに及ぶ市街地が廃虚と化しました。

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現地の説明看板ではじめて知ったのですが、ここ原爆ドームは戦後まもなく保存が決まったわけではなかったんですね。
説明によると、被爆後の姿のまま放置されていたものが、昭和28年(1953年)に広島県から広島市に譲与され、保存が正式に決まったのは、昭和41年(1966年)7月のことだったのだとか。
実に戦後20年後のことだったんですね。
それまで、記念物として残すという考え方と、危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという意見が対立していたそうです。

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原爆ドームという名称も、誰かが考えたというものではなく、頂上の円蓋鉄骨の形から、戦後、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになったんだそうですね。
いまでは日本人なら誰でも知っている原爆ドームですが、実は、意図的に造られたものではなく、自然発生的にシンボル化したものだったんですね。

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平成8年(1996年)12月には、核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録されました。
文化遺産とは、おもに歴史的価値の高い建造物が指定されていますが、そのほとんどが、災害などの被害を免れて、長い年月原型をとどめてきたものばかりで、人工的に破壊されたことにより文化遺産の対象となった建物は、たぶん原爆ドームだけなんじゃないでしょうか?
その意味では、世界遺産の中でも稀有な存在といえます。

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ライトアップされた夜の原爆ドームです。
三脚を持ち合わせていなかったので、手ブレまくりです。

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毎年原爆の日に行われる平和祈念式典の席に、いまでは当たり前のように内閣総理大臣が出席していますが、初めて式典に出席したのは、原爆投下から26年が過ぎた昭和46年(1971年)の佐藤栄作首相だったそうですね。
これも初めて知りました。
過去が歴史になるまでには、それ相応の年月が必要だということでしょう。
また、就任して間もない頃のアメリカのオバマ大統領が、米国大統領として初めて原爆ドームを訪れるんじゃないかといった噂も当時ありましたが、その後、日本が民主党政権になったために計画は頓挫したともいいますよね。
それが実現したら、歴史はまた大きな一歩を踏み出すことになったのでしょうが、いまの日米関係とオバマ大統領の力では無理でしょうね。
まだまだ、本当の意味での歴史になるには、時間がかかりそうです。

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わたしが行ったこの日も、外国人の方がたくさん訪れていました。
世界遺産登録の影響は大きいようですね。
今年は戦後70年の節目の年にあたりますが、ノーモア・ヒロシマのシンボルである原爆ドームを、今後もたくさんの外国人の方々に見てほしいですね。

晩秋の安芸国広島城逍遥記 その1
晩秋の安芸国広島城逍遥記 その2


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by sakanoueno-kumo | 2015-02-19 20:21 | 広島の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

ジョン・レノンの命日と太平洋戦争開戦記念日に思う。

今日12月8日は、ジョン・レノンの命日です。
あの忌まわしい射殺事件から34年もの歳月が過ぎたんですね。
先日、わが家の中1の娘が、どこで覚えたのか「イマジン」を口ずさんでいるのを耳にしました。
聞けば、若いアーチストのカバーバージョンを聴いて好きになったのだとか。
あらためて、ジョンの歌が世代を超えて歌いつがれていることを知りました。



一方で、同じく今日12月8日は真珠湾攻撃の日。
いわゆる開戦記念日でもあります。
もちろん、単なる偶然にすぎない2つの記念日ですが、これを偶然とするかしないかは、その人次第ですね。
たぶん、歌詞の意味を知らずに歌ってたであろう娘に、今夜、教えようと思います。
わたしにとって12月8日は、そういう日です。

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by sakanoueno-kumo | 2014-12-08 11:12 | 日常 | Trackback | Comments(2)  

終戦記念日ドラマ、「歸國(きこく)」を観て。

 終戦記念日の特別ドラマ「歸國」を観た。物語の内容は、六十余年前に戦死した兵士たちが数時間だけ現代の日本に帰国し、その英霊たちの視点で現代社会を考えるというもの。国のために死んだ者にとって、今の日本は正しいのか、彼らが願った平和とはこのようなものだったのかといったテーマで、毎年この時期に制作される“反戦”をテーマとしたドラマとは趣を異にする内容だった。

 率直な感想から言うと、設定は面白かったが取り立てて何かを考えさせられるというものではなかった。そもそも戦前戦中の日本と、現代の日本のどちらが正しいかなどと比べること自体ナンセンスなこと。昔は昔の良いところ悪いところがあり、現代もまた同じ。「豊かさと引き換えに大切なものを失った。」などといった論調は使い古されたテーマで、そんなことは改めてドラマで伝えてもらうまでもなく、現代人は皆、大なり小なりそれを感じながら今を精一杯生きている。何かを得たら何かを捨てなければならないのは常で、問題を解決すれば、また新たな苦労や苦悩が生まれるのもまた常だ。昔の価値観で今を批判することも、また今の価値観で過去の罪を問うことも私は共感できない。終戦記念日にはこういったテーマのものよりも、例年どおり戦争を直視するような作品をつくり、それを観た個々がそれぞれに何かを感じることのほうが、戦争を風化させないということになるのでは、と私は思う。

 そんな中でも、いくつか印象に残るシーンがあった。8月15日の早朝、政府閣僚の靖国神社参拝に向けてマスコミが大勢集まって来ているのを見た英霊たちのの会話。
「国としての公式参拝が認められていないのか?」 
「この戦争の指導者が合祀されているから駄目だという人もいます。」
「国のために死んだ俺たちを、国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃないのか!」 
「報道はどっちの味方だ?参拝するべきと思っているのか、するなと思っているのか?」
 
「どっちでもありません。奴らは要するにそんな国の要人の姿を世界に報道したいんでしょう。奴らに愛国心はないみたいですよ。」
 物語の本筋とは直接関係がなく、脚本家の意見を英霊たちの口を借りて述べた観がアリアリのシーンだが、確かに英霊たちにこれを言われるほど説得力のあることはない。そしてこのシーンを作っているのが“奴ら”呼ばわりされているマスコミだというのもまた面白いところだ。さらに、奇しくも今年の終戦記念日、この30年で初めて閣僚が一人も公式参拝しなかったという事実も加わって、よくぞ言ってくれた観あり。おそらく菅さんはドラマは観ていないだろうが・・・。

 もうひとつ印象に残ったシーン。ドラマ終盤で生瀬勝久さん扮する報道官の霊が言った言葉。
「人間は二度死ぬ。一度目は肉体的に滅んだとき。二度目は完全に忘れられたとき。」
 英霊であれ普通の霊であれ、この世に“霊魂”というものがあるとするならば、それは残された人の心の中にあるもの・・・だと私も思う。亡くなったその人を思い出してくれる人が生きているかぎり、その心の中に故人の霊も生き続ける。その心を持った人が全てこの世からいなくなったとき、霊魂も消えるときだと・・・。その論でいえば、もうすぐ戦死者たちを思い出すことのできる人たちがこの世からいなくなるわけで、英霊たちも英霊ではなくなるということ・・・。そうなったときの日本が、過去の戦争をどのように認識しているかは私にはわからない。

 こういった話題になると、私はいつも思うことがある。私たち戦後生まれの者には、戦前責任も戦中責任もない。しかし、未来に起こるかもしれない戦前責任は、私たちにもある・・・と。


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by sakanoueno-kumo | 2010-08-17 21:28 | その他ドラマ | Trackback | Comments(8)  

戦艦大和の引き揚げ計画

戦艦大和の引き揚げ計画 東シナ海から、母港の呉

戦争を知らない私たちの世代は、映画やテレビなどでしか知らない連合艦隊の象徴ともいえる「戦艦大和」の引き揚げと聞くと、否が応でも好奇心が高ぶる。
しかし、引き揚げることがいいのかどうか、私にはわからない。
ずいぶん昔にテレビのドキュメンタリー番組で観たことがあるが、沈没した大和発見当初にも引き揚げの計画があったらしい。
しかしそのときは、莫大な経費が掛かるということと、何より遺族や関係者の方々から、「大和は戦死者たちが眠る海の墓標であり、彼らとともに海底で静かに眠っているのだから、そっとしておいてほしい。」という声が少なくなく、一部の遺品のみの引き揚げに留めたとか・・・。
戦後60年以上経った現在、また引き揚げ計画が浮上するというのは、大和乗員の遺族や関係者の方々が少なくなったということなのだろう。

船全体の引き揚げには数百億の経費が掛かるという。
このまま海中に放置しておけば、やがて海の藻屑と消えるのだろう。
後世に語り継ぐためにも、引き揚げて保管するという計画も理解できないではないが、関ヶ原の合戦や応仁の乱とは違う。まだ64年しか経っていない。
せめて遺族の方々が生きておられる間は、今のままにしておけないものだろうか?

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以下、記事本文引用
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戦艦大和の引き揚げ計画 東シナ海から、母港の呉
 64年前の太平洋戦争末期、東シナ海で沈没した戦艦大和の主砲などを引き揚げる構想が、母港の広島県呉市で持ち上がっている。過去2回の潜水調査でラッパや食器など約100点が回収されたが、船体の一部が引き揚げられれば初めて。戦争の悲惨さを後世に伝え、地域活性化にもつなげようと呉商工会議所が計画。沈没した4月7日に呉市海事歴史科学館なども加わって実行委員会を立ち上げ、数年中の着手を目指す。
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by sakanoueno-kumo | 2009-01-31 22:16 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)