タグ:寺社 ( 77 ) タグの人気記事

 

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~

大坂の陣400年の節目として、当ブログでは7月、8月と大坂城攻めをレポートしてきましたが、こうなったら、周辺の大坂の陣関連史跡もめぐってしまえ!・・・と思い至りました。
また、しばらくのあいだお付き合いください。

e0158128_18543748.jpg

本当は冬の陣から時系列を追ってめぐっていくべきなんでしょうが、第1回目ということで、まずは来年の大河ドラマのタイトルである「真田丸」跡を訪れます。
「真田丸」とは、大坂冬の陣のときに豊臣方の真田信繁(幸村)が築いた出城のことで、冬の陣最大の激戦地となった場所です。
写真は現在の大坂城公園から南へ1kmほど下ったところにある三光神社
現在、このあたりに真田丸があったんじゃないかとされている場所です。

e0158128_18581539.jpg

境内には、信繁の銅像が建てられています。
ちなみに、信繁は「幸村」の名前のほうがメジャーだと思いますが、実際には、当時の史料のなかに「幸村」と記されたものはなく、本来は「信繁」が正しい諱です。
「幸村」という名は、彼の死後、江戸時代の軍記物語などの中で使われていたもので、その後、時代が下るにしたがって、「幸村」の名前が広く知れ渡りました。
当ブログでは、どちらでいこうか迷いましたが、たぶん「幸村」を使ったほうが検索でヒットしやすいだろうと思うので、タイトルとタグは「幸村」を使用し、文章内は本来の諱である「信繁」で統一しようと思います。

e0158128_18595744.jpg

これまで「真田丸」は、大坂城の弱点は南側にあると見た信繁が、南からの攻撃を想定して築いた防御拠点と考えられてきましたが、近年の研究では、籠城作戦では勝てないとして積極策を唱える信繁が、徳川方から見れば攻めたくなるような曲輪、つまり、挑発のための曲輪という目的で築いたものだったのではないか、と見る向きもあるようです。

e0158128_191231.jpg

銅像の横には、大坂城に通じていたと伝わる抜け穴跡があります。
まあ、信憑性は薄いでしょうけどね。
たしか、映画『プリンセス・トヨトミ 』では、この穴の奥に「大阪国」なるものが存在する設定でした(参照:映画『プリンセス・トヨトミ 』鑑賞記 その1 )。

e0158128_1923868.jpg

普段は鉄格子の扉で閉められていますが、1年に1度、「真田まつり」の日には、抜け穴が開放されるそうです。

e0158128_1935688.jpg

レンズを突っ込んで中を撮影してみましたが、大阪国の気配はありません(笑)。

e0158128_197525.jpg

慶長19年(1614年)12月4日、ここ真田丸の戦いにおいて、信繁は前田利常軍をはじめとする徳川方の先鋒隊に大打撃を与えました。
このとき、真田信繁という名がはじめて天下に轟きます。

次回に続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その2 ~心眼寺(真田丸跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その3 ~鴫野古戦場跡・佐竹義宣本陣跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その4 ~白山神社(本多忠朝物見のいちょう)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その6 ~本町橋~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その7 ~御勝山古墳(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その8 ~大和郡山城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その9 ~忍陵古墳・岡山城跡(徳川秀忠の陣跡)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その10 ~徳川家康星田陣営跡・旗掛け松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その12 ~樫井古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その13 ~塙団右衛門直之の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その14 ~淡輪六郎兵衛重政の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その15 ~法福寺(お菊寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その16 ~大野治胤(道犬斎)の墓
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その17 ~今井宗薫屋敷跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その18 ~若江古戦場・木村重成の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その19 ~木村重成菩提寺・蓮城寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その21 ~木村重成表忠碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その22 ~山口重信の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その23 ~飯島三郎右衛門の墓・若江城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その26 ~小松山古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その27 ~玉手山公園(道明寺古戦場)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その28 ~誉田古戦場・薄田隼人碑~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その29 ~真田幸村休息所跡・志紀長吉神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その30 ~権現塚・中村四郎右衛門正教宅跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その33 ~桑津古戦場跡・柴田正俊の墓~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その35 ~安居神社(真田幸村終焉の地)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-09-09 19:08 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

三木合戦ゆかりの地めぐり その25 ~安楽寺・円照寺~

中道子山城の城山の麓に、安楽寺というお寺があります。
説明看板によると、元は弘法大師の弟子、真紹上人によって中道子山の山頂に築かれていたそうですが、赤松氏が中道子山城を築城する際に、山麓に移されたといいます。
赤松氏の没落後は、志方城主櫛橋氏によって再建されたそうです。

e0158128_16572464.jpg

三木合戦とのゆかりの逸話は残っていませんが、中道子山城の山の麓にあり、志方城主の櫛橋氏とゆかりが深いこの寺院が、合戦に関係していないはずはないと思い、あえてシリーズに加えます。

e0158128_16554356.jpg

この看板つながりでもありますしね(笑)。

e0158128_16582340.jpg

白い塀が長く続いているのが印象的で、まるで近世の城跡を思わせます。

e0158128_170171.jpg

資料などには残っていませんが、あるいは、落城後に落ち延びた武士たちを、収容したかもしれません。
ここを訪れたのは4月18日でしたが、もう2週間ほど前に来れば、が綺麗だったでしょうね。

e0158128_1731985.jpg

e0158128_1733488.jpg

山門の外には、これも三木合戦とは無関係ですが、なにかの供養塔が目につきます。
説明看板によると、南北朝時代の武士の供養塔と考えられているそうです。
歴史の深さを感じますね。

e0158128_175568.jpg

もう1か所、このすぐ近くに円照寺というお寺があり、そこに羽柴秀吉が奉納した陣鐘があると聞いたので、訪れてみました。

e0158128_1754924.jpg

ここにもこの看板が・・・。

e0158128_1775338.jpg

そして鐘つき堂の周りにも、てるひめちゃん幟が立てられています。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』以降、加古川市はとにかく光姫推しなんですね。

e0158128_1793496.jpg

で、目的の陣鐘ですが、説明板を読んでみると、秀吉がこの陣鐘を奉納したのは、天正15年(1587年)のことで、三木合戦のときではなかったんですね。
元は周防国(現・山口県)の上野八幡宮にあった銅鐘を、島津攻めの際に秀吉が陣鐘として使用し、帰京の際、志方八幡神社に納めたそうですが、鳴りが悪かったため、ここ円照寺に譲られたそうです。
秀吉にしてみれば置き土産だったのかもしれませんが、軽く見られたものですね。
試しに鳴らしてみましたが、いい音してましたけどね(笑)。
それにしても、こんな重いものを山口県から九州、そして播磨まで持参していたんですね。
役目の者はたいへんだったでしょう。

e0158128_17114068.jpg

銅鐘には明応7年(1498年)と刻まれており、室町時代の鋳造技術の高さを伝える逸品として、市の指定文化財となっています。

e0158128_17123083.jpg

以上、今回は三木合戦とはあまり関係のない、番外編でした。
まだシリーズは続きます。



「三木合戦ゆかりの地めぐり」シリーズの他の稿は、こちらから。
   ↓↓↓
三木合戦ゆかりの地

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-06-19 18:00 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

三木合戦ゆかりの地めぐり その21 ~生石神社(石の宝殿)~

神吉城から西へ5kmほどのところにある生石(おうしこ)神社を訪れました。
ここは国の史跡にも指定されている古い神社で、創建は崇神天皇(第10代天皇)の時代だといわれています(崇神天皇は、実在性が高い最古の天皇といわれている天皇です)。
鳥居をくぐると160段の階段を登らなければなりません。

e0158128_1745383.jpg

階段を登りきったところの境内の入口が、非常に狭くなっています。
身長168cmのわたしが、ぎりぎり頭を打たない高さで、要注意です。

e0158128_1452513.jpg

天正7年(1579年)の三木合戦当時、この生石神社の神主は神吉城主・神吉頼定の弟だったと伝えられます。
神吉城攻略を開始した羽柴秀吉は、ここを陣所として貸与するよう申し出たそうですが、神主はこれを頑なに拒否したといいます。
神吉城は兄の城ですから、当然ですよね。

e0158128_14553996.jpg

これに怒った秀吉は、弟の羽柴秀長に命じて神社を焼き討ちに遭わせました。
このとき、古代より伝来されたほとんどが灰燼に帰してしまったそうです。

e0158128_14555696.jpg

神殿の入口に「石乃寶殿」と書かれた看板がありますが、ここ生石神社のご神体は、石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物なんです。

e0158128_1459344.jpg

現地の説明板のよると、巨石の容積は横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mで、重さは500~700トンあるそうです。
巨石は三方を岩壁に囲まれ、下は池になっており、水面に浮かんでいるように見えることから、「浮石」とも呼ばれているそうです。

e0158128_1563811.jpg

エリアが狭いので広角で撮っても全景を収めることが出来ません。
一緒に写っている娘は、身長150cmですので、スケール感がわかっていただけるでしょうか?

e0158128_157494.jpg

続いて身長168cmのわたしです(笑)。
巨石の所々に赤い部分がありますが、これは、秀吉によって焼き討ちに遭ったとき、変色したものだと考えられているそうです。

e0158128_15104317.jpg

巨石の背面部分には、写真のような突起物があります。
どう見ても自然にできたものではなく、何かの目的で造ったものだということがわかります。
なんとなく、ブラウン管テレビの背面に似ています。

e0158128_15105678.jpg

神話めいた話ではいろいろあるようですが、実際には、いつ、誰が、何のために造ったものなのか、また、完成品なのか未完成なのか、まったく謎の物体です。
神がつくった神殿説や、大王の石槨説など、さまざまな諸説が展開されています。
奈良時代の『播磨国風土記』に、家の形をした「大石」として登場しているそうで、少なくとも1300年以上前から存在していたことがわかっているそうです。
でも、そんな大昔に、こんな重い物体をどうやってここに運んだのか、あるいは、ここで造ったのか、疑問はつきません。
この巨石は、宮城県は鹽竈神社の塩竈と、宮崎県は霧島神宮の天逆鉾と共に、「日本三奇」と呼ばれているそうです

e0158128_15141489.jpg

ご神体を上から眺めた写真です。
こうして見ても、つくづくミステリアスな物体ですね。
もしかして宇宙人の仕業?・・・なんて、SFチックな想像にかき立てられます。

e0158128_15181935.jpg

境内の裏には小高い山があり、現在は公園として整備されています。
頂上には、「大正天皇行幸之跡」と刻まれた記念碑がありました。

e0158128_15174867.jpg

そこからの眺望です。
ここからは、神吉城のみならず、加古川市ほぼ全域が見渡せます。
なるほど、秀吉がここを陣所にしたかった理由がわかりますね。

e0158128_15223158.jpg

ここの最寄りのJRの駅名は「宝殿」といいます。
子供の頃、変わった駅名だなぁと思っていたのですが、その由来はここ石の宝殿だったんですね。
三木合戦ゆかりの地めぐりで訪ねた当地でしたが、思わぬパワースポット神秘的な空間を楽しめました。

次回は、黒田官兵衛の妻・の生家だった志方城跡を訪れます。



「三木合戦ゆかりの地めぐり」シリーズの他の稿は、こちらから。
   ↓↓↓
三木合戦ゆかりの地


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-06-05 19:00 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

播磨の小京都、龍野をたずねて その5 「宮本武蔵修練の地・圓光寺」

最後に、播磨六坊のひとつである圓光寺を訪れました。

e0158128_2058369.jpg

播磨六坊とは、蓮如上人が播磨国に浄土真宗を広めるため、文明16年(1484年)に高弟6人が英賀(現在の姫路市南部)に派遣され、その高弟たちが建てた6箇所の寺のことです。
ここ圓光寺の初代当主は多田祐全ですが、残り5人の高弟と五坊を紹介すると、浄覚・光源寺(姫路市)、順念・光善寺(たつの市)、空善・法専坊(姫路市)、善祐・永応寺(赤穂市)、誓元・万福寺(赤穂市)となります。

e0158128_20583179.jpg

元は英賀を拠点としていたそうですが、天正6年(1578年)に羽柴(豊臣)秀吉の命により、この龍野に境内を賜ったそうで、そのとき、圓光寺と号したそうです。

e0158128_2058524.jpg

浄土真宗の開祖、親鸞の像です。

ここ圓光寺に残る伝承として、剣豪・宮本武蔵が慶長年間の一時期、この寺に滞在し、境内の道場で圓明流の師範として剣術指導をしていたと伝えられています。

e0158128_210727.jpg

宮本武蔵の生涯は不明なところが多く、生年や出生地についても諸説ありますが、武蔵が書き残した有名な兵法書『五輪書』の「序」には、「生国播磨の武士」と記されており、それを元に、現在、高砂市説太子町説などが有力とされています(吉川英治『宮本武蔵』では、お隣の美作国生まれ説を採っていますが)。
ここ圓光寺との関わりは、圓光寺多田家家譜に残る7代目住職の多田半三郎頼祐の名が、圓明流系図のなかに記されており、それによれば、頼祐が武蔵のいちばんの弟子であったと記されているそうです。
これにより、武蔵と圓光寺は深く関わりがあったとされていますが、ただ、この圓明流系図は、武蔵から3代のちで頼祐の孫にあたる多田源左衛門祐久の代に書き記されたものだそうで、どこまで信憑性があるかは疑問とされているそうです。

e0158128_2104861.jpg

あくまで伝承の域を出ない武蔵と圓光寺のつながりですが、現地の説明看板では、「確かな足跡として知られています」と記されていました。
いいのかなあ(苦笑)。

e0158128_211971.jpg

さて、そろそろこのへんで龍野シリーズを終わりにします。
たった1日だけ休めたGWのドライブ備忘録でした。

播磨の小京都、龍野をたずねて その1 「龍野城」
播磨の小京都、龍野をたずねて その2 「野見宿禰神社~聚遠亭」
播磨の小京都、龍野をたずねて その3 「童謡の里~三木露風の故郷」
播磨の小京都、龍野をたずねて その4 「龍野淡口醤油」


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-07-25 21:04 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

2014年新年のごあいさつと、海神社の初詣。

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらず、宜しくお願いします。

e0158128_1415868.jpg

皆さん、初詣はもう行かれましたでしょうか?
私は昨日(1月2日)に行ってまいりました。
わが家は、旅行などに出かけていない正月は大概、地元神戸市垂水区にある海神社に詣でます。
「海神社」と書いて「わたつみじんじゃ」と読むのが正式名称だそうですが、地元ではほとんどの人が「かいじんじゃ」と呼んでいます。

e0158128_1437249.jpg

JR垂水駅のすぐ南にあり、赤い大鳥居と境内の間に交通量の多い国道2号線があるため、大鳥居をくぐって参拝する人はあまりいません。
私が子供のころは、大鳥居の南はすぐ海だったのですが、いまは埋め立てられて、マリンピア神戸というテーマパークが出来ています。
そこから見る明石海峡大橋が絶景で、週末は観光客やカップルでいっぱいで・・・。
地元の活性化は喜ばしいことですが、そのせいで毎週道路渋滞になるのは困ったものです。

e0158128_152885.jpg

海神社は、読んで字のごとく「海」を見守る神が祀られている神社です。
伝説によれば、仲哀天皇(第14代天皇)の皇后である神功皇后が、三韓征伐の帰途に暴風雨に巻き込まれて船が進めなくなったので、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に社殿を建てたのが始まりだと伝わります。
伝説どおりだとすれば、実に1800年もの歴史をもつ神社ということになりますね。
いにしえよりずっと明石海峡を見守り続けてきた海神社。
まさか、20世紀末に、ここに世界最大の吊り橋が渡されようとは思わなかったことでしょう。

e0158128_15202239.jpg

混雑を予想して元旦を避けたのに、この人の多さです。
参拝まで30分以上並びました。

e0158128_15211892.jpg

今年は、カレンダーの兼ね合いで長い正月休みの方が多いんじゃないでしょうか?
私は、あまり正月休みには縁のない仕事をしているのですが、今年はラッキーにも1日から5日まで5連休です(といっても、大晦日は深夜2時まで残業で、職場での年越しでしたが・・・泣)。
昨年はアベノミクスやら東京オリンピック招致やらと、例年になく明るい話題が目立った1年でしたが、今年も是非この追い風に乗りたいですね。
昨年は当ブログの更新頻度も減ってしまいましたが、ボチボチと続けていきますので、本年も引き続きよろしくお願いします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-03 16:08 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(1) | Comments(4)  

通勤途中の桜の木の下で思う、アベノミクス効果による春の訪れ。

今日から4月、新年度のスタートですね。
今朝、出勤途中の街を見渡すと、初々しいスーツ姿のフレッシャーズたちを大勢見かけました。
毎年目にする光景ですが、彼らの姿を見ると、こちらまで身が引き締まる思いです。
今年は我が家にもひとりフレッシャーズがおりまして、今朝、我が愚息も、なれないネクタイを絞めて大学の入学式に向かいました。
つい先日まで着崩れた学ラン姿だった息子のスーツ姿を見ると、なんとも感慨深い思いがありますが、それよりも、先日妻から渡された入学金と授業料の振込用紙を見て、身が引き締まる思いでした(笑)。

はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る・・・(笑)。

そんなフレッシャーズたちを彩る風物詩は、なんといっても『桜』ですよね。
今年は全国的に開花が早く、わが神戸でもすでに見頃を過ぎようとしています。
来週の小中学校の入学式には散ってしまっているかも知れませんね。
該当のお子さんをお持ちの方は、今のうちにランドセルを背負って写真を撮っていたほうがいいかもしれませんよ。

さて、当ブログでも桜の写真を毎年アップしており、今年も恒例の桜シリーズといきたいのですが、如何せん今年は、この時期としては例年になく仕事が忙しく(アベノミクス効果かどうかはわかりませんが)、ゆっくり桜見物に足を運ぶ時間がありません。
で、今年は、通勤途中の車中から目にした桜を撮影してご紹介します。

e0158128_18441361.jpg

写真は神戸市中央区にある鎮守稲荷神社
周囲は高層ビルが立ち並び、昼夜を通して車が途絶えることのない国道2号線沿い位置する、なんともミスマッチな場所に鎮座している小さな神社です。

e0158128_1845385.jpg

鳥居の朱色とソメイヨシノの淡いピンクが、ビル街の一角に不思議な和のテイストを彩っています。

e0158128_18453298.jpg

      ↑↑↑本日のベストショット・・・いかがでしょうか?

e0158128_18472879.jpg

残念ながら撮影時は曇っていて、写真が少し暗くなっちゃってます。
バックが青空なら、もっと綺麗な写真になったでしょうけどね。

e0158128_18493987.jpg

今年は、花見弁当の売れ行きも好調だというニュースを耳にしました。
これも安倍晋三内閣の推し進めるアベノミクス効果の現れでしょうか?
花見の経済効果は景気を如実に反映するといいますから、いずれにせよ良いニュースです。
花見にお金を使う経済的余裕というよりも、花見をしようという精神的ゆとりが出はじめているのかもしれません。
日本人が桜を好きなのは、きっと“はじまり”を感じるからでしょうね。
春のはじまり、新年度のはじまり、新生活のはじまり・・・。
桜の花は、寒い冬を耐えしのいだ後だからこそ、美しく色づくそうです。
日本もかなり長い冬を耐えしのいでいますよね。
そろそろ、春の訪れ、新時代のはじまりを感じたいものです。

鎮守稲荷神社にはこんな史跡がありました。
    ↓↓↓
高田屋嘉兵衛の石灯籠と平経俊之墳

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2013-04-01 18:55 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

赤穂四十七義士を祀る大石神社に初詣。

というわけで、元旦の稿でも申し上げましたが、今年の正月は播州赤穂で過ごしまして、となれば当然、初詣も赤穂の神社に参ることとなり、同市中心部にある大石神社に参拝してまいりました。
この大石神社の「大石」は、いうまでもなく大石内蔵助良雄からきたもので、ここ大石神社には内蔵助ら四十七義士と中途で自害した萱野三平が合祀されています。

e0158128_243205.jpg

正門を入ると、いきなり四十七義士全員の等身大の石像が左右に並んで迎えてくれます。
参道の左右に、吉良邸討ち入りの際の表門隊裏門隊に分けて並んでいました。
こちらが、内蔵助が率いた表門隊。↓↓↓
e0158128_244431.jpg

こちらが、内蔵助の嫡男・大石主税良金を大将とし、吉田忠左衛門堀部安兵衛が支えた裏門隊です。↓↓↓
e0158128_245875.jpg

このとき主税は若干15歳(かぞえ)、今でいえば中2か中3です。
内蔵助がこの裏門隊に、もっとも信頼していた吉田忠左衛門と、一番の剣客とされた堀部安兵衛をつけた親心がわかるような気がします。

大石内蔵助良雄と大石主税良金父子の石像は向かい合うように立っていました。↓↓↓
e0158128_2461336.jpg

そして主税を支えた裏門隊の堀部安兵衛と吉田忠左衛門。↓↓↓
e0158128_2463033.jpg

一応、四十七義士すべての写真を撮ったのですが、ここで全部紹介するのはさすがに大変なのでやめておきます。

赤穂市は人口5万人ほどの決して大きいとはいえない町ですが、この日の大石神社は市内の人口がすべて集結したような賑わいでした。
ここ大石神社は、主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因んで、「大願成就」の御利益があるとされ、受験生の合格祈願などで人気があるようです。
e0158128_2471698.jpg

境内にも内蔵助の像がありました。
こちらは結構古いもののようです。↓↓↓
e0158128_2474166.jpg

記念撮影用の忠臣蔵大絵馬です。
右を見ても左を見ても、内蔵助だらけです(笑)。
e0158128_2475765.jpg

この大石神社が建てられたのは大正元年のことですが、元禄赤穂事件以降、義士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていたそうで、明治になって「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、今に至るそうです。
この元禄赤穂事件、いわゆる『忠臣蔵』ですが、一般に私たちが知る『忠臣蔵』の物語は、事件発生から約半世紀ほど過ぎた時代に書かれた歌舞伎人形浄瑠璃がベースとなっており、脚色された部分がたくさんあるといわれています。
でも、それにしても日本人はいつまでも『忠臣蔵』が好きですよね。
現在でも、討ち入りが行われた12月14日あたりになると毎年どこかの局でテレビドラマが制作・放送され、それなりの高視聴率が取れる鉄板物のようです(この正月も確か6時間ほどの長丁場でやってましたよね。一応録画はしていますが、なんせ長すぎるため、はたして観る時間が作れるかどうか・・・苦笑)。
自らの命を捨て、幕府の不公平な判決を自分たちの手で解消し、主君への忠誠を果たした彼ら赤穂義士の行動に日本人的ロマンを感じ、もはやこの物語に関していえば、実話か虚構かなんて無粋なことはどうでもいいことなのかもしれません。
ただ、この逸話で完全に悪役の汚名を着せられてしまった吉良上野介義央には、少々気の毒な気がしないでもないですが・・・。

ここ大石神社のすぐ側には赤穂城跡があり、他にも内蔵助をはじめ義士宅跡などの史跡が数多くあるのですが、この日は家族と一緒だったため神社への参拝のみ。
また今度、あらためて時間を作ってゆっくり訪れたいと思います。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2012-01-05 02:53 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(8)