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龍馬伝 総評

 「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ龍馬ひとりがやったことさ。」と、後年の勝海舟がいったそうです。もちろん、歴史とはそんな簡単なものではなく、龍馬ひとりで出来るはずはないのですが、何の後ろ盾もない下級武士の彼が、薩摩、長州という大藩の間を渡り歩き、もし龍馬がいなければ、歴史はまた違ったものになっていたかもしれないと思えるような大仕事をやってのけた彼に、後世の私たちは痛快さをおぼえ、魅了されてしまうのです。そんな坂本龍馬の物語が、2010年の大河ドラマ「龍馬伝」でした。

 全48話が終わりました。毎週ドラマの進行に沿いながら、史実・通説との対比や私見、感想を綴ってきましたが、ようやく最後を向えました。一昨年、「龍馬伝」の制作発表があって以降、ずっと私のテンションは上がりっぱなしでした。坂本龍馬は私にとって幕末史の入口。大河ドラマは毎年観ていますが、1968年に放送された「竜馬がゆく」を知らない世代の私としては、坂本龍馬を主役とする初めての大河作品だったわけで、期待するなといわれても無理な話。2008年11月に始めた当ブログの第1稿目が、龍馬役が福山雅治さんと発表された記事で、考えてみれば、当ブログは「龍馬伝」と共に歩んできたといってもいいようです。最終回の稿を終えたものの、まだまだ言いたかったことやドラマではなかったエピソードなどが尽きないのですが、ひとまず区切りとして「総評」をここに記したいと思います。

 まずは映像としての「龍馬伝」。これは素晴らしい仕上がりだったと思います。年末の特別大河ドラマ「坂の上の雲」と同様フィルム撮影のような質感で作られた深みのある画面は、まるで歴史ドキュメントを見ているようで、そこにスタッフの存在を匂わせない臨場感あふれる映像世界を作り出していました。わざと手ぶれさせているのか、躍動感のあるカメラワークも見ている私を映像の世界へ引きずり込みまたし、照明も自然でリアリティーがありました。夜は暗く、昼間でも決して俳優の正面から光を当てず、光源は常に斜め上か真後ろ。だから、ときには逆光となって、役者の顔がまったく見えなくなったりもします。時代劇といえば、俳優さんはドウランをテカテカに塗って、照明は常に俳優さんの顔に当たるというのが当たり前でしたが、「龍馬伝」はその常識を覆しました。たとえば室内のシーンで、縁側の向こうにある庭に強力な光を当てて、逆に室内は暗くし、その庭を背景に座った人物たちはシルエットだけが浮かび上がる・・・このような手法が用いられたシーンがたくさんあり、この照明効果も、「龍馬伝」を深みのある映像に仕上げた大きな理由だったと思います。

 そしてリアリティーといえば、なんといってもセットの演出でしょう。庶民に近い下士階級の武士たちが中心の「龍馬伝」。物語前半の土佐の町のホコリっぽさや、男ばかりが集った武市道場の汗臭さ。同じ道場でも江戸の千葉道場は垢抜けていて清潔感がありました。女性の登場人物も、江戸の佐那さんと南国である土佐の阪本家の女性たちとでは、肌の色も差をつけていました。弥太郎は汚すぎるという声も多かったようですが(笑)。セット、服装、メイクともに、極め細やかなこだわりが感じられました。

 次に、配役で見た「龍馬伝」。一昨年、坂本龍馬役の福山雅治さんが発表になったときは、ガッカリしたというのが正直なところでした。福山さんの持つクールで清潔感のあるイメージと、私の持つ龍馬のイメージとはかけ離れていたというのがその理由でした。福山さんが、時代劇は初めてというのも不安材料のひとつでした。で、全48話を観終わってみて思うのは、素人が生意気なことをいうようですが、役が役者を育てるんだなぁ・・・というのが今の率直な感想です。第3部あたりからは本当に龍馬に見えてきました。私の持つ龍馬像は後述しますが、ともあれ「龍馬伝」における龍馬像を見事に演じておられたと思います。大河ドラマの主役を1年間演じきって、福山さんの役者としての幅が広がったんじゃないでしょうか。

 脇を固める俳優さんは一流の方々ばかりだったので、どの方も文句のつけようがなかったのですが、とりわけ岩崎弥太郎役の香川照之さんは見事でしたね。「坂の上の雲」では少年のように純粋で無邪気な正岡子規役で、こちらでは、傲慢でひねくれ者の岩崎弥太郎役という、まったく違うタイプの人物をほぼ同時期に演じた香川さんは、今の日本の同世代の俳優さんの中では群を抜いているように思います。あと、武市半平太役の大森南朋さんも物語前半を引っ張ってくれましたし、勝海舟役の武田鉄也さんもさすがは、といった感想、桂小五郎(木戸孝允)役の谷原章介さんもイメージぴったりでした。西郷隆盛役の高橋克実さんがちょっとね・・・。でもこれは高橋さんが悪いわけではなく、西郷どんは固定イメージが強すぎて、適した俳優さんがいないというのが理由だと思います。女優さんでは、千葉佐那役の貫地谷しほりさんが良かったですね。お龍さん役の真木よう子さんも良かったのですが、気の強いキャラだけが誇張されすぎていて、もうちょっとなんとかならなかったかなぁ・・・とは思います。これも真木さんのせいではないですけど。

 最後に脚本としての「龍馬伝」。こちらは少々辛口な評価にならざるを得ません。一言でいえば、「残念」という言葉が当てはまる作品となりました。何度か当ブログでも述べましたが、私は史実云々という揚げ足取りのような批判はあまりしたくないと思っています。過去、名作といわれる作品の中にも、フィクション性の強い作品は見られました。物語である以上、フィクションありきで構成されるのは当然で、どこまで作り話が許されてどこからが許されないかの規制などないわけですから、史実と違うという批判自体ナンセンスだと思うんですね。ただ、フィクションにする以上、面白くなければ意味がないとは思います。これだったら、史実・通説どおりに描いた方が良かったのに・・・では、フィクションにする意味がないですよね。そこが歴史物の難しいところでしょう。よほどのストーリーを作らなければ、「事実は小説より奇なり」ですから。

 まずは主人公である坂本龍馬の人物像です。すでに多くの人が感じていると思いますが、必要以上に「良い人」すぎるんですよね。これは「龍馬伝」に限らず、近年の大河作品すべてに共通していえることだと思います。人の気持ちがよくわかる心優しい好人物。歴史上の偉人の魅力というのは、そんなところではないですよね。良くも悪しくも常識を逸脱しているからこそ偉人になり得たわけで、「良い人」だけでは偉人にはなり得ません。信長、秀吉然りですよね。偉人の偉人たるべきあくの強さはあまり描かれず、偉人たるもの万人から尊敬される人物でなければならないという描き方が、かえってその人物の偉人としての魅力を下げていると思えてならないのです。「龍馬伝」の坂本龍馬も、本来持つ彼の魅力を結局は描けていなかったと思います。岩崎弥太郎のあくの強いキャラが好評だったのは、そういった点からではないでしょうか。

 次に、主人公を必要以上に「活躍」させすぎるというところです。これも「龍馬伝」のみならずですね。本作でいえば、池田屋事件武市半平太の死に際などがそうでした。本来龍馬が関わっていない事件ですし、無理やり絡める必要はなかったように思います。主役が登場しない話が多く続くと、制作サイドとしては不安なのでしょうか。私は主役が出ない回があってもいいのではないかと思うのですが・・・。すべてのエピソードに主役を絡めて活躍させることで、これもまた、かえって本来の活躍の場が薄れてしまっているように思えてなりません。

 主役である龍馬以外の登場人物が、あまりにも「小者」に描かれていたところも残念でした。本作では、西郷隆盛後藤象二郎徳川慶喜も皆、小者でしたね。そう描かないと、龍馬の魅力が伝わらないと思っているのでしょうか。主人公は「良い人」で、脇役は「小者」という極端な描き方は、かえってウソくささを感じてしまいます。

 あと、説明的な台詞が多かったのも残念でした。観る側に考える余地を与えてくれず、登場人物に全部語らせてしまうことが多かったように思います。たとえば最終回の、刺客の今井信郎に弥太郎が詰め寄る場面で、「坂本龍馬は徳川に忠義を尽くす我ら侍を愚弄した。我らの全てを無にしたんだ!」という台詞を今井に言わせてましたが、あの台詞って必要だったでしょうか。あのような台詞がなくとも、大政奉還後の幕府側の侍たちの胸中は理解できますし、あの台詞を吐いたことによって、刺客たちの迫力や不気味さが削がれてしまったように思えてなりません。言葉にしないからこそ伝わるものもあると思うんです。そういうシーンが全話にわたって多く見られました。もっと、視聴者を信頼してほしかったですね。

 ドラマでの龍馬は、とにかく「友」を大切にし、「命」を重んじる人物でした。現代のドラマでは、どうしてもあのように描かなければならないのかもしれませんが、残念ながらこの時代はそんな時代ではありませんでした。「命」が簡単に捨てられた時代です。無理やり現代の価値観に当てはめて描くと、どうしても違和感が生じます。それでも、どうしても「友情」を描きたいのであれば、軽々しく「友」という言葉を龍馬に言わせるのは、かえって安っぽく思えるだけでしたし、「命の大切さ」を伝えたいのであれば、龍馬にそれを台詞として言わせるのではなく、いとも簡単に人が死んでいった事実と、その時代に生きた人々の死に対する考え方を忠実に描く方が、結果的に「命の大切さ」を伝えることができたのではないでしょうか。

 ここまで私は文中で「残念」という言葉を多用しました。心の底から「残念」だと思うのです。映像や演出、音楽などは素晴らしく、俳優陣も一流の方々ばかりで、上手く作れば「名作」となり得た作品だったと思うからです。制作サイドは本作品で「新しい龍馬像」を謳っていました。作り手というのはいつもオリジナリティを求めたがります。しかし残念ながら歴史物というのは、オリジナリティは必要ないのです。少なくとも観る側はそれを求めてはいません。定番は定番であってほしいのです。定番を知らない人は、それ自体が新鮮なものとなりますし、定番を知っている人も、新しい映像技術と、新しい役者さんで定番ストーリーを観ることが、実はとても新しいのです。歴史上の偉人そのものが魅力を持っているのですから、新しい人物像を作ることは、結局その人物の魅力をなくしてしまうことになるということに気づいてほしいと思います。「龍馬伝」は、「名作となる可能性を脚本で潰してしまった惜しまれる作品」というのが私の素直な感想です。

 これまで酷評はしてこなかった私でしたが、最後の最後できわめて辛口な発言になってしまいました。読まれて気分を害された方がおられましたら、深くお詫び申し上げます。私にとって「龍馬伝」は、それだけ思い入れの強い作品だったということでご容赦ください。毎週読んでいただいた方、ときどきご訪問いただいた方、コメントをいただいた方、TBをいただいた方、アクセスカウントの足跡のみ残していただいた方、皆様のおかげで最後まで完走できました。「龍馬伝」という括りでの稿はこれで区切りとさせていただきますが、なにぶんにも龍馬オタク、幕末オタクの私としてはまだまだ飽きたらず、折を見てまた、紹介しきれなかったエピソードや登場人物のその後など起稿できればと思っております。11ヶ月間、本当にありがとうございました。


■11ヶ月間の参考書籍
歴史書

『龍馬のすべて』平尾道雄(1966年)
『坂本龍馬 海援隊始末記』平尾道雄(1968年)
『中岡慎太郎 陸援隊始末記』平尾道雄(1977年)
『坂本龍馬読本』平尾道雄(1985年)
『坂本龍馬』飛鳥井雅道(1975年)
『龍馬暗殺完結篇』菊地明(2000年)
『龍馬暗殺 最後の謎』菊地明(2009年)
『坂本龍馬101の謎』菊地明、伊東成郎、山村竜也(2009年)
『日本の歴史 開国と攘夷』小西四郎(2006年)

小説
『竜馬がゆく』司馬遼太郎
『真龍馬伝 現代語訳 汗血千里駒』 金谷 俊一郎 (訳)・ 坂崎 紫瀾 (著)
『岩崎弥太郎』村上元三
『勝海舟』村上元三


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by sakanoueno-kumo | 2010-12-02 01:09 | 龍馬伝 | Comments(43)  

龍馬伝 第39話「馬関の奇跡」

 おそらく最終章となる第4部のスタート。第1部から3部までと同様、のちに三菱会社社長となった岩崎弥太郎と、そこに取材に訪れた記者・坂崎紫瀾との会話で始まった。弥太郎が不機嫌になっていた新聞小説「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」は、以前「坂本龍馬が日本史のスターになった理由。」の稿でも紹介したとおり、1883年(明治16年)に高知の土陽新聞に連載された坂崎紫瀾著の小説で、当時、歴史に埋もれかけていた坂本龍馬の名を再び世に知らしめた作品である。以後、多くの作家たちによって執筆された「龍馬伝」は、すべてこの作品がベースとなっている。

 土佐藩家老・後藤象二郎に藩の商務組織・土佐商会主任・長崎留守居役に抜擢され、藩の貿易に従事することになった弥太郎だが、実はそれは今話の設定より半年ほどのちのこと。おそらく次話の、後藤象二郎と坂本龍馬の会見に弥太郎を絡めたいために、前倒しにしたものと思われる。慶応3年(1867年)4月に龍馬の脱藩の罪が許され、亀山社中海援隊として土佐藩の外郭機関となると、弥太郎は藩命によって隊の経理を担当することとなる。ドラマでは龍馬と弥太郎が幼馴染だった設定になっているが、記録上確認出来る弥太郎と龍馬の最初の接点はこの時期である。しかし、このドラマのみならず、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」や、村上元三著「岩崎弥太郎」などの伝記小説でも、この二人に若い頃から接点を持たせている。おそらくそれは、のちに海援隊の商務の部分を継承するかたちとなった弥太郎と、その商才に多分な影響を与えたであろう龍馬との関係を、単に隊長と経理担当としてだけの関係ではなく、多少運命的なものにしたいという作者の思惑からだろう。ちなみに、上記両作品でもドラマと同様、龍馬と弥太郎はそりが合わない。というより、弥太郎が龍馬に対して妬みやっかみの感情を抱く。本当にそのような関係だったかどうかはわからないが、もし違うとすれば、いつも龍馬の引き立て役になる弥太郎はつくづく可哀想な男だ。

 薩摩で3ヵ月ほどの日々を過ごした坂本龍馬は、慶応2年(1866年)6月、ユニオン号改め桜島丸、さらに名を改めた乙丑丸に乗って鹿児島を発ち馬関に向かった。龍馬たちが下関に入港したとき、長州・幕府の間ですでに火ぶたが切られており、防長四境は砲煙に包まれていた。幕府軍は陸では長州勢に勝てないばかりか、農民の一揆におびやかされ、容易に進むことすらできない。かたや長州軍は、「兵を行(い)ること迅速神の如し」といわれた天才・高杉晋作を海軍総督として、この年買い込んだオテント丸と、鹿児島から帰ってきたユニオン号の2隻を主力として、6月17日、海を渡って門司に奇襲をかけて幕府軍を打ち破った。龍馬もこの開戦にユニオン号を指揮して参戦したといわれるが、一説では、船を指揮していたのは亀山社中の菅野覚兵衛で、龍馬は直接参加せずに本陣か小高い山の上から見物していともいわれる。龍馬が実兄・坂本権平に宛てた手紙にその報告が記述されている。
 「頼まれてよんどころなく長州の軍艦を率いて戦争せしに、是は何事もなく、面白き事にてありし。惣て咄しは実とは相違すれど、軍は別して然るもの也。之を筆にし差上げても、実となさずやも知れず。一度やつて見たる人なれば咄しが出来る。・・・(中略)・・・私共、兼ねて戦場と申せば人夥多しく死するものと思ひしに、人の十人と死するほどの戦なれば、余ほど強き軍が出来ることに候」
 この手紙には海峡をスケッチした海戦図も描かれており、やはり船には乗り込まず傍観していたと考える方が正しいのだろうか。いずれにしても、この海峡戦ではオテント丸の活躍がもっともはなやかで、ユニオン号は早めに戦線を退いている。しかしユニオン号の参戦は、長州軍の士気を高めた点では、なみなみならぬものがあったようで、龍馬ものちに人に向かって「これで少しは長州へ恩返しができた」と語ったそうである。

 この長州・幕府戦争で龍馬がもっとも恐れていたのは、幕府が勝海舟を起用し、彼の指揮によって幕府海軍をもって下関海峡を封鎖するのではないかということだったようで、その懸念を木戸孝允(桂小五郎)に宛てた手紙の中でも述べている。実際この6月、海舟は幕府軍艦奉行に復帰していた。あるとき一橋義喜(のちの徳川慶喜)に向かって、「もし真実長州征伐の必要があるなら、諸侯は頼むに足らず、私に軍艦四五艘お貸しくだされば、馬関は暫時のうちに乗りとってご覧に入れましょう。」と言上すると、慶喜は「また勝の大言か」と一笑したというエピソードがある。実話かどうかはわからないが、龍馬の懸念は決して的外れではなかったようだ。結局海舟が指揮に起用されることはなく、長幕戦の停戦交渉という、最期のケツ拭きだけを任される。龍馬も師と一戦を交えることはなく、さぞかし安堵したことだろう。

 海舟が指揮していれば、展開が変わっていたかどうかはわからないが、とにかく幕府は長州に負けた。この敗戦によって、幕府の権威は急速に失墜していったことはいうまでもない。


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by sakanoueno-kumo | 2010-09-27 02:41 | 龍馬伝 | Comments(4)  

龍馬伝 第14話「お尋ね者龍馬」

 さて、「龍馬伝」第2部が始まった。第1話のオープニングと同様、明治15年、三菱会社社長となった岩崎弥太郎のもとに、既に過去の人となった坂本龍馬のことを取材にきた一人の記者とのシーンから始まった。第1話のときも紹介したが、この記者は、1883年(明治16年)に高知の土陽新聞で連載された、坂本龍馬を初めて題材として取り上げた小説「汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)」の著者で、坂崎紫瀾(しらん)という自由民権運動家。この作品のことは、以前、「坂本龍馬が日本史のスターになった理由。」の稿でも紹介したとおり、後世の私たちが持つ「龍馬像」の基礎を作った作品とも言われている。その作者が、執筆前に龍馬の旧知の人物のもとに取材に訪れる。あっても不思議ではない設定だ。同じ席で、新政府の官僚となった後藤象二郎と、このとき自由党総裁だった板垣退助のヨーロッパ外遊費を借りにきていた人物がいたが、この話も実話で、この後、弥太郎は二人の洋行費を世話することになるのだが、その話はドラマの本筋と離れてしまうのでここではひかえることにしよう。物語は「龍馬伝」である。

 龍馬が脱藩したのは、文久2年(1862)3月24日。その後、史実の記録に再び龍馬が姿を現すのは、同年8月の江戸にて。つまり、脱藩してから江戸にたどり着くまでの数カ月間、彼がどこで何をしていたかはわかっていない。小説などのこの間のエピソードは全て想像でしかなく、ドラマのように大坂に現れたり京に立ち寄ったりするのだが、ドラマ中の彼が言っていたように、九州は薩摩へ行ったのではないか・・・とする説が、どうやら最も濃厚のようだ。龍馬の九州行きの件は、上記、坂崎紫瀾著の大正元年に刊行された「維新土佐勤王史」の中でも紹介されているらしいが、それよりも真実味があるのは、文久3年に出された龍馬の脱藩罪の赦免申渡書の中に、
「右之者去戌ノ三月御国元ヲ立チ、京摂並九州関東辺諸所周旋罷在・・・」
という文言があり、これは龍馬自信の供述に基づくものだろうから一概には信用できないものの、はっきりと九州と記されている。この8年前に、龍馬と親交があったとされる河田小龍が藩命で実際に薩摩に派遣され、当時最先端の大砲鋳造技術を視察してきている。その体験談を小龍から聞いた龍馬が、自分の目で見るために薩摩へ向かった・・・としてもまったく不思議ではない。もっとも、ドラマ中の彼も言っていたとおり、当時の薩摩藩はよそ者を簡単に入国させるような藩ではなかったことを思えば、龍馬が目的を果たせたかどうかは定かではないが・・・。

 「わしやち、攘夷の志はあったがじゃ。けんどのぉ、わしが思うちゅう攘夷と他のもんが思うちゅう攘夷は、どうも違うがぜよ。」
 大坂で出会った弥太郎に龍馬が言った言葉。後に勝海舟との運命的な出会いによって、開明的な世界観を持つに至る龍馬だが、一介の脱藩浪人に過ぎないこの頃の龍馬は、まだ他の志士たちと同じく攘夷を志していた。が、他の単純攘夷志士たちと違っていたのは、攘夷の為にはまず敵を知ろうとしたことだろう。敵を知り己を知ることは兵法の常道。このとき薩摩へ向かったことが事実とするならば、日本で最も西洋技術に近い進歩を遂げているとされる薩摩から、何かを学び得ようという発想からだろう。この頃の龍馬には既に他の攘夷志士たちとは違う、自分が目指すビジョンがおぼろげながらあったのかもしれない。

 吉田東洋の死で、土佐勤皇党が土佐藩の実権を握り、同時に武市半平太が歴史の表舞台に登場する。半平太の念願だった「一藩勤皇」が実現しようとしていた。龍馬が歴史の表舞台に登場するまでには、もう少しときを待たねばならない。


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-05 01:20 | 龍馬伝 | Comments(2)  

龍馬伝 第8話「弥太郎の涙」

 21歳で江戸に遊学した岩崎弥太郎は安積艮斎(あさかごんさい)の塾で学んだ。しかし1年ほどで帰国するはめになる。父・岩崎弥次郎の投獄の知らせを受けたためであった。

 ドラマでは、庄屋・島田便右衛門が田んぼの水を独り占めしたため、そのことを抗議に行った弥次郎が、大勢に殴る蹴るの暴行を受け、半死半生のめに遭ったとあったが、司馬遼太郎著の「竜馬がゆく」村上元三著の「岩崎弥太郎」などでのこのエピソードは、弥次郎の酒乱が引き起こした喧嘩沙汰とされている。岩崎家があった土佐安芸郡井ノ口村に暮らす人たちはとにかく気性があらかったようで、何かにつけすぐに暴力沙汰におよんだらしい。そんな井ノ口村の中でもとりわけ悪評の高かったのが、この岩崎弥次郎・弥太郎親子だったそうである。

 弥次郎の起こした騒動にドラマのような理由があったのか、それとも酒の所為での喧嘩だったのかはわからないが、集団リンチを受けて半死半生になったのは本当のようで、そしてその後一方的な裁きを受けたのも本当の話である。江戸から戻った弥太郎は、村中を駆け回り事件の真相を調べ、父の冤罪を求めて訴え出たが、既に奉行所には庄屋の袖の下がまわっており、取り上げられることはなかった。それでもおさまらい弥太郎がとった行動が、ドラマ中にあった落書きである。
「官以賄賂成」(官ハ賄賂ヲモッテ成シ)
「獄以愛憎決」(獄ハ愛憎ヲモッテ決ス)

 金と感情で裁判をするという意味である。これでは無事にすむはずがなく、弥太郎は投獄される。岩崎弥太郎という人物の酷烈すぎる性格がうかがえるエピソードである。

 奉行所の裁きを不服とした弥太郎と龍馬が、吉田東洋のところへ直訴に行く話があったが、この話はもちろんドラマのオリジナル。そもそもこの弥次郎の喧嘩沙汰に龍馬が関わっていたことすらない話なのだが、それにしてもこのドラマでの吉田東洋はダーティーに描かれ過ぎ。確かに東洋といえば、上士・下士の身分にこだわる権力主義者に描かれることが多いが、その実、身分にとらわれず有能な者を登用するといった合理的な考えを持った人物でもあった。現実に、こののち弥太郎は蟄居中だった東洋が開いていた少林塾の門人になり、そこで明晰さが東洋の目にとまり藩職に就くこととなる。ただ、ドラマ中で「わしは天才じゃき。」と言っていたように、東洋という人は、自分の頭脳に自信過剰であり過ぎた。あり過ぎたが故に、武市半平太率いる土佐勤皇党のみならず、藩内の保守派からも敵視され、命を落とすことになる。

 駄目親父のおかげで、あれほど夢だった江戸遊学を中途半端なかたちで終わらざるをえなかった弥太郎。おまけに帰郷するなりの投獄では踏んだり蹴ったりである。どこまでも運がない弥太郎に思えるが、この獄中で、のちに三菱王国を築く基礎となる算術や商法を学ぶこととなる。江戸でも学べなかったものを獄中で学ぶことになるとは、幸運というのはどこに転がっているかわからないもので、そこに偉人の人生の面白さがある。


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by sakanoueno-kumo | 2010-02-22 00:59 | 龍馬伝 | Comments(2)  

龍馬伝 第3話「偽手形の旅」

 同じ下士の身分とはいえ、生まれついた境遇はあまりにも違う坂本龍馬岩崎弥太郎。育った環境はその人の人格形成には大きな影響を与える。大らかでマイペースな性格の龍馬は、まさしく土佐郷士一裕福な坂本家の末っ子として育まれたものに違いないし、一方で郷士株を売った地下浪人の家の長男として生まれ、食うや食わずの生活をしてきた弥太郎は、極貧家庭の教科書どおりひがみっぽい性格が形成された。弥太郎の父・弥次郎は、ドラマのとおり乱暴者だったようである。

 岩崎弥太郎という人物のことは、私も村上元三氏の著書、伝記小説「岩崎弥太郎」を読んだ程度の知識でしかない。そこに載っていた話のどれが実話でどれがフィクションかはよくわからないが、実際に14歳で漢詩を諳んじるなどかなりの秀才だったようである。その上、強い自負心の持ち主で、その自負心と己の境遇とのギャップが彼ひねくれた性格を作っていて、自分以外の誰も信じないという人物に描かれている。この人物像は司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」に登場する弥太郎にも通ずるところで、結構あたっているのかもしれない。ドラマのように、偽手形を使って江戸に行こうとしたエピソードは実際にはないが、こののち奥宮慥斎(忠次郎)の従者として江戸に行くチャンスをつかみ、ドラマ中の関所で言っていた安積艮斎(あさかごんさい)のもとで実際に学ぶこととなる。しかしその遊学もまた、父・弥次郎の所為で不十分に終わるのだが、それはドラマの今後に譲ることとしよう。

 龍馬の修行中の身を案じ、戒めの心得を伝える父・八平。
 弥太郎の姿が消えて、一心不乱に探し回る父・弥次郎。


 どちらも息子を思う親心には違いないが、出来れば八平のような父親でいたいものである。私にも15歳の息子がいるが、土日は好きなことばかりして泥酔状態で帰宅することもしばしばの私は、息子の目から見れば弥次郎そのものかもしれない。改心せねば・・・。

 
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by sakanoueno-kumo | 2010-01-19 00:54 | 龍馬伝 | Comments(0)  

龍馬伝 第1話「上士と下士」

 明治15年、三菱会社社長となった岩崎弥太郎のもとに、坂本龍馬という人物について話を聞かせてほしいという記者・坂崎紫瀾が訪れる。この脚本の設定は、あながちフィクションとも言えない。平成の現代では、歴史的英雄と評される坂本龍馬だが、明治のこの時期には激動の歴史の中で忘れ去られていた存在だった。明治政府のパトロンとも言えるほどの財力を手に入れた弥太郎に対して、既に過去の人物として埋もれてしまっていた龍馬。再び坂本龍馬の名が世に響き渡るのは、1883年(明治16年)に高知の土陽新聞で連載された「汗血千里の駒」という龍馬をモデルにした志士の物語によってである。当時、薩長閥政府に不満を持っていた土佐系の人々にとっては、「龍馬さえ生きておれば・・・。」という気にさせた読み物だったに違いない。その物語を連載するにあたって、所縁の人物として弥太郎のところに記者が取材に訪れる。あっても不思議ではない話だ。

 この「龍馬伝」は、岩崎弥太郎の視点で坂本龍馬の物語を描くという設定。どのような物語になるのだろうと色々想像はしていたが、この弥太郎の回想から始まったオープニングは全く予想外で、しかしとても面白く、良い意味で期待を裏切ってくれた。今後が楽しみである。

 本話のタイトルは「上士と下士」。そのタイトルどおり、土佐の厳しい身分制度を見せてくれている。他のどの藩にも、上士と下士といった身分は存在するのだが、土佐藩にいたっては特にその差別が激しい。その起源は、この時期よりさらに250年ほど前、関ヶ原の合戦後まで遡らねばならない。関ヶ原で東軍として戦った遠州掛川五万石の山内一豊は、その恩賞として土佐二十四万石を家康より与えられ、国主となった。その山内家の子孫が、土佐の「上士」と言われる身分の武士たちである。一方で「下士(郷士)」という身分の武士は、その関ヶ原において西軍に味方し敗軍となって土佐を追われた元・国主、長宗我部氏の遺臣たちの子孫である。つまり、この下士たちの方が、元々の土佐の地の侍で、上士たちは所謂「よそ者」なのである。それだけに、下士たちは、よそ者である上士に対して積年の恨みがあり、上士たちはその地侍を抑えるために、他藩よりも厳しく抑えつけた。職制上だけにとどまらず、
「郷士は冬でも絹や紬の類を着てはならない。」
「郷士は夏の日差しの強い日でも日傘をさしてはならない。」
「郷士は雨の日でも下駄を履いてはならない。」

など、屈辱的な差別を250年もの長い間、強いられてきた。この土佐の厳しい身分制度を理解しなくては、幕末の土佐藩の立場は理解できない。藩全体が勤皇・倒幕として働いた薩摩・長州はいずれも関ヶ原の敗軍だった外様大名の藩。一方土佐藩は外様とはいえ、徳川家に関ヶ原での大恩がある上士・山内家は佐幕、関ヶ原敗軍・長宗我部氏の流れをもつ下士(郷士)は勤皇といった複雑な形となるのである。

 坂本龍馬の身分は郷士、そして岩崎弥太郎の身分は地下浪人。地下浪人とはその郷士の株を売ってしまった身分のこと。下士の中でも更に虐げられていた。そんな身分の低い男たちが、一方は平成の現代においてもっとも人気の高い英雄となり、一方は三菱グループという日本屈指の財閥の創始者として天下に名を轟かせることとなる。二人に共通するのは、その身分の低い下士の中でも、一風変わった考え方を持つに至ったことだった。それは、今後の物語の運びに任せるとしよう。

 第1話を見た感想は、思ったより楽しめそうな予感。坂本龍馬という誰もが知っている題材で、しかも人気も高く注目度、期待度も高いであろうことを考えれば、否が応でもハードルが高くなるところだが、その高い第1ハードルは難なくクリアといったところだろうか。年末のスペシャル大河「坂の上の雲」と同様、フイルム調の映像の作り方も良かった。物語は始まったばかり。次週からも楽しみに、そして毎週このブログでも感想や補足エピソードをアップしていこうと思う。 


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by SAKANOUENO-KUMO | 2010-01-04 02:07 | 龍馬伝 | Comments(1)  

2009年の大河ドラマは「龍馬伝」

よくわからないのですが、ブログをはじめてみました。
いつまで続くかわかりませんが、宜しくお願い致します。

2009年の大河ドラマは「龍馬伝」という発表が既になされていますが、
その主人公の坂本龍馬役を福山雅治さんが演じるそうです。
私は坂本龍馬が大好きで、今回の配役を楽しみにしていました。
福山雅治はちょっとがっかり。emoticon-0101-sadsmile.gif
福田靖氏脚本ということで、巷ではキムタクか?フクヤマか?といった噂はありましたが、
私としては、堤真一さんがいいと思っていたので・・・・。
岩崎弥太郎役がまだ発表になってません。
私の希望は古田新太さんか的場浩司さん。
いずれにしても楽しみです。emoticon-0136-giggle.gif

以下、エキサイトニュースより
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坂本竜馬役は福山雅治さん 再来年の大河ドラマ主人公

 NHKは、2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」の主人公、坂本竜馬役に歌手で俳優の福山雅治さん(39)が決まったと6日、発表した。福山さんは「剣術の練習をしたい」と意欲を見せており、「2010年という時代だからこそ、このスタッフだからこそ表現できる『坂本竜馬』を作り上げたい」とのコメントを発表した。明治維新後に三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の目から見た竜馬像を描く。
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by sakanoueno-kumo | 2008-11-06 21:28 | 龍馬伝 | Comments(0)