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朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4

e0158128_15522365.jpgさて、話をドラマに移して、主人公・あさの姉・はつについてですが、そのモデルとなった浅子の実の姉・は、浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぎますが、25歳で早逝したそうです。

また、春は浅子にとって異母姉で、しかもその母は三井の女中だったそうで、父親は本妻の子である浅子を可愛がったといいます。

ドラマとはずいぶん違いますね。
天王寺屋廃業後に和歌山でみかん農園を作ったというのもフィクションで、実際には、関東に居を移したと言われているそうです。
ただ、明治10年(1877年)頃まで天王寺屋は存在したようで、でも、そのころ春はもうこの世にいませんから、天王寺屋の没落は知らなかったと思われます。

これが大河ドラマだったら、「史実と違う!」といった批判が集まっていたでしょうが、今回のドラマでは、「はつを死なせないで」という要望がNHKに殺到したとか。

大河ファンと違って朝ドラファンは鷹揚ですね(笑)。

まあ、名前も「浅子」と「春」ではなく、「あさ」と「はつ」。

あくまでモデルですからね。

ありなんじゃないかと。

実際、太陽のようなふたりの対比が、物語の核でもありましたしね。

加島屋の成長を照らす太陽あさなら、闇に落ちた山王寺屋を照らす月明かりはつ

太陽も月も、生きていくには大切な光です。

e0158128_15524302.jpgあさの夫・新次郎は、仕事嫌いの遊び人でありながらも、妻のいちばんの理解者として描かれていますが、実在の夫・信五郎、毎日のように謡曲茶の湯といった道楽三昧で、店の経営にはあまり無関心だったようです。

明治新政府の銀目廃止によって店先に客が殺到したとき、病床の父に変わってあさを表に立たせていましたが、これも実話どおり。

経営者としての浅子の能力を見込んでいたともとれますが、単に無責任な人だったのかもしれません(笑)。

でも、もし新五郎さんがやり手の敏腕経営者だったら、経営者・広岡浅子は生まれていなかったでしょう。

その意味では、やはり広岡浅子を生み出したのは、夫の広岡信五郎といえるでしょうか?

新次郎に恋心を抱きながら番頭の亀助と結婚したおふゆのモデルは、浅子の付き人として長年身の回りの世話をした小藤という女性がモデルだそうですが、この小藤という女性、実際には浅子の夫・信五郎となって4人の子供を生んだそうです。

事業に忙しく家を空けることが多く、嫁として家の仕事を充分にできなかった浅子にかわって、小藤がその役割を担っていたそうで、浅子は小藤のこともその4人の子供のことも、終生かわいがったとか。

時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、現代人には理解しがたい関係ですね。

当然、朝ドラ向きの話ではないので描かれません(笑)。

先日の稿でお話した五代友厚の女性関係についてもそうですが、こういう話を朝ドラでやると、視聴者がドン引きしちゃうのでしょう。

登校前の子どもも観てますしね。

やっぱ、朝は爽やか話でないと(笑)。

爽やかといえば、今回のAKB48の主題歌『365日の紙飛行機』は、爽やかないい曲ですね。

物語にぴったりな曲で、仕事中にも思わず口ずさんでしまっていました。

この曲、オジサン・オバサン世代にはどこか懐かしい歌なんですよね。

というのも、

♪あさ~の空を見あ~げて 今日という一日が~

♪いの~ち懸けてと~ ちか~った日から~

似てませんか(笑)? 

♪人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ

風の中を力の限り ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか

それが一番大切なんだ さあ 心のままに 365日♪

いい歌詞ですね。



さて、ドラマはもうすぐクライマックスを迎えます。

最後までどんなびっくりポンな物語を見せてくれるか、楽しみに観ましょう。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-18 13:23 | その他ドラマ | Comments(4)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3

e0158128_10215758.png広岡浅子は、その生涯でひとりだけ子どもを生みました。

ドラマでは千代という名ですが、実在の娘の名は亀子といいます。

ドラマように母に反抗的な少女時代だったかどうかはわかりませんが、母のようなキャリアウーマン気質の女性ではなかったようで、いわゆるお金持ちのお嬢様的女性だったようです。

幼少期は、多忙な浅子よりも、身の回りの世話をしていた付き人の小藤によくなついていたとか。

小藤という女性は、ドラマのおふゆのモデルになった女性です。

浅子は銀行炭鉱に飛び回っていましたから、当然だったでしょうね。

それでも、浅子の聡明さは受け継いだようで、京都府高等女学校を卒業。

その後、一柳子爵家の次男・恵三を婿養子に迎え、一男四女に恵まれました。

亀子の夫となった一柳恵三(広岡恵三)という人がスゴイ人で、実家は旧播磨国小野藩主・一柳末徳の次男。

世が世なら、お殿様になっていたかもしれない人物でした。

ふたりが結婚したのは明治34年(1901年)だったそうですが、明治維新から30年以上経ったこの頃には、大名家の息子が商家の婿養子になるほど、世の中は変わってきていたんですね。

一昔前なら、浅子たちは地べたに平伏して目を合わせることも叶わなかった相手ですから。


e0158128_10243292.pngこの広岡恵三が、実質、浅子の後継者になります。

ただ単に家柄が素晴らしいだけでなく、東京帝国大学卒の明敏さをもって経営に参加し、明治42年(1909年)には加島銀行頭取に、そして大同生命二代目社長として辣腕を振るいました。

その後、加島銀行は昭和恐慌の煽りを受けて廃業してしまいますが、大同生命は平成の現在もなお引き継がれていますね。

大同生命の基礎を作ったのは浅子でしたが、恵三は同社の社長を33年も続け、発展させました。

浅子がを撒いて、恵三がをやって育てたといったところでしょうか。

娘の亀子は浅子のように経営には参加しませんでしたが、その婿に凄腕経営者を連れてくるあたり、さすがは浅子です。

ちなみに、亀子は母のような女傑ではなかったものの、その生命力だけは母をはるかに凌いでいたようで、彼女が亡くなったのは昭和48年(1973年)、97歳だったそうです。

昭和48年といえば万博の3年後で、オイルショックの年です。

つい最近のことですよね。

幕末に結婚した女性の娘が万博まで生きていたなんて、そう考えれば、浅子の生きた時代というのは、それほど昔ではないんですね。

びっくりポンです。

あと1回だけ続きます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
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朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-17 11:40 | その他ドラマ | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2

幕末から維新にかけての動乱のなか、一時は傾きかけた加島屋でしたが、なんとか持ちこたえました。

そこには、広岡浅子の力が大いに関係していたと言われます。

ドラマでは、嫁入りして間もない浅子が借金返済を求めて藩の蔵屋敷に何度も押しかけるシーンがありましたね。

何度足を運んでも相手にされず、加子部屋(足軽部屋)で荒くれ男に囲まれながら一夜を明かし、結局借金を返済させることに成功しますが、このエピソードは明治37年(1904年)に雑誌『実業之日本』に載った浅子についての記事「本邦実業界の女傑」によるものだそうです。

まあ、雑誌の記事というのは、今も昔も、どこまで信用していいかは微妙ですが、ただ、浅子自身もこのときのことについて述懐しているそうで、それに近い出来事があったことは嘘じゃないでしょうね。

また、明治14年(1881年)に加島屋から高松藩松平家に宛てて出された借金の赦免願とそれに対する回答が朱筆された書状が現存しており、それによると、高松松平家に対する12万2600円(現在の貨幣価値に換算すると約6億3000万円)の借金の返済を、その四割を即納することにより、残り六割を免除することを認めさせているそうで、この書状は差出人が「広岡久右衛門」とあるとともに、「同信五郎 代アサ」と、本来名義人になれないはずの浅子の署名と押印があるそうです。

浅子が交渉に関係していたことは間違いないでしょうね。

『実業之日本』では、当時の加島屋での浅子について、こう記されています。

「而して浅子は加島屋唯一の君主として、上は店長より下は小僧に至るまで、任免黜陟(功績に応じて役職を上げ下げすること)に大権を掌握し、総会等には必ず自身に出席しつつ満場の視線を己れに集めるのみか、本支店とも時々巡視して業務の成績を検閲するなぞ、其の手腕の凄じさ、人をしてアッと謂はしむることが多い・・・」

当時の法律では、「夫と死別した場合」など一部の例外を除き、女性が戸主にはなれませんでしたが、実質の経営者は、ドラマのとおり浅子だったようです。

その後、ドラマのとおり浅子は鉱山経営に乗り出してその名を轟かせ、そして明治21年(1888年)には夫・信五郎や義弟・正秋とともに加島銀行を発足させ、明治35年(1902年)には大同生命を設立。

ドラマにもあったように、女性の銀行員をはじめて採用したのも浅子でした。

女性経営者だからこその人材登用だったといえますが、それは、同じく女性であった浅子を経営に参加させた、先代からの加島屋の家風が生んだものだったかもしれません。

そしてその人材育成の情熱は女子教育へと注がれていくんですね。

e0158128_15315700.jpg炭鉱、銀行と忙しい日々を送っていた浅子は、明治29年(1896年)、加島銀行のすぐ近くにあった梅花女学校の校長を務めていた成瀬仁蔵に出会います。

成瀬は女子大学設立の構想を抱いており、援助してくれる人物を求めていました。

そんななか、浅子というスーパーウーマンを知ります。

ドラマでもありましたが、浅子は成瀬の『女子教育論』を読んで、「感涙やまなかった」と語っています。

成瀬の理想に感銘を受けた浅子は、強力な後援者となり、明治34年(1901年)、東京に日本女子大学を設立するに至りました。

津田梅子新島八重大山捨松など、同時代の女子教育に尽力した女性は他にもいますが、浅子以外はすべて武家出身者

商家に生まれた女性としては、浅子だけだったんじゃないでしょうか?

男尊女卑が当たり前の時代、内助の功的な働きをした女性はたくさんいたでしょうが、表舞台で男顔負けの活躍した浅子は、たいへん稀有な存在だったでしょう。

ホント、びっくりポンな女性ですね。

ただ、そんな浅子を生んだのは、夫の理解、協力があったからといえます。

男女の区別なく、才能ある者を認め育てるという気風が、浅子の周りにあったということですね。

次回に続きます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-16 12:36 | その他ドラマ | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1

NHK朝の連続ドラマ『あさが来た』が、いよいよクライマックスを迎えますね。

わたしにとって朝ドラは、観たり観なかったりしながら後半だけハマるといったパターンがほとんどでしたが、今回はいつになく最初からハマってしまい、観れない回は録画してまで観ています。

自称歴史オタクのわたしですが、恥ずかしながら主人公・あさのモデルである広岡浅子という女性のことを、ドラマを観るまでまったく知りませんでした。

で、せっかくなので、大同生命のHPなどを参考にしながら、この大阪が生んだ女傑について書き残しておこうと思います。

e0158128_15245922.jpg嘉永2年(1849年)といえば黒船来航の4年前、京都の豪商・三井家の三女として浅子は生まれました。

ドラマにもあったように、浅子は2歳にして既に将来の結婚相手が決まっていたそうです。

その相手が、当時鴻池と並ぶ豪商だった大阪の両替商・加島屋の次男・広岡信五郎でした。

浅子は17歳で加島屋に嫁ぎます。

加島屋は、幕末266あった諸藩のうち、およそ100藩に「大名貸」をしていたというほどの豪商で、その融資額の総額は約900万両(現在の貨幣価値で約4500億円)もあったとか。

現代でいうところのメガバンクですね。

浅子が嫁いだのは慶応元年(1865年)、前年には京都で「禁門の変」があり、世情はいよいよ緊迫した血なまぐさい時代に突入したころでした。

ドラマで、新選組副長・土方歳三と絡むシーンがありましたが、実際に、借用人・土方歳三、保証人・近藤勇と署名捺印された金400両(現在の貨幣価値で約2000万円)の借用書が現存しているそうです。

ふつう借用書は、返却されれば破棄、もしくは裏書して借用人に渡すものだったそうですから、この証文が残っているということは、おそらく返却されなかったものとされているそうです。

加島屋にとっては大きな損害だったでしょうね。

また、加島屋が長州藩のメインバンクであったことから、「禁門の変」のあと、長州藩との関わりについて新撰組から厳しい取調べを受けたという話も残っているそうです。

その後、慶応4年(1868年)に「鳥羽伏見の戦い」で敗れた幕府軍が京・大坂からこぞって退去し、新政府が立ち上がりました。

すると今度は、新政府から大阪の豪商たちに呼び出しがかかり、「ご一新のため」として総額300万両もの献金を求められます。

それ以降も、「戦費のため」「明治天皇の行幸のため」と、ことあるごとに新政府から献金の要請がありました。

政治は徳川幕府から明治新政府に変わりましたが、加島屋など商人たちにしてみれば、新選組も新政府も同じだったでしょうね。

次回につづきます。

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by sakanoueno-kumo | 2016-03-11 17:30 | その他ドラマ | Comments(0)