「ほっ」と。キャンペーン

タグ:明石海峡大橋 ( 8 ) タグの人気記事

 

神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

明石海峡を望む神戸市垂水区西舞子の標高30mの丘陵地に、大歳山遺跡公園があります。

ここは、「明石原人」の発見者として著名な考古学者の故・直良信夫博士によって、大正末年から昭和初期にかけて発掘調査された遺跡です。

e0158128_19593622.jpg

この丘陵地に、「大歳山2号墳」と名付けられた全長37m前方後円墳があります。

調査によると、古墳時代後期(6世紀頃)に造られたと考えられているそうで、古墳の上や周辺からは、須恵器の坏、高坏、瓷などが出土しているそうです。
向こうに見えるのは、明石海峡大橋です。

e0158128_20025221.jpg

「2号墳」というくらいですから、当然、「1号墳」も存在したようですが、いまは住宅開発に埋もれてしまい、詳細は不明です。

e0158128_20055095.jpg

この周辺からは、縄文時代弥生時代土器などがたくさん発掘され、近畿地方で有数の遺跡として知られていましたが、昭和40年代の宅地造成により、消滅の危機に瀕しました。

e0158128_20084885.jpg

しかし、遺跡を守ろうとする多くの人々の努力もあって、弥生時代後期の集落と「大歳山2号墳」を含む遺跡の中心部、約8,000㎡を神戸市が買い取り、昭和49年(1974年)に遺跡公園として開園しました。

e0158128_20095796.jpg

公園内には、発掘調査で出土した竪穴式住居が復元されています。

「大歳山2号墳」の後円上から望む明石海峡大橋です。

e0158128_20110444.jpg

このような見晴らしのいい丘陵地に葬られた人物ですから、さぞかし身分の高い人だったのでしょう。

まさか、ここに世界一の吊橋が出来るなんて、古代人もビックリでしょうね。

e0158128_20124728.jpg

ここから1kmほど東に舞子墓苑という墓地があるのですが、そこにも、舞子古墳群と称される10数基の古墳が点在しています。

e0158128_20141027.jpg

かつては100基前後の古墳が存在したのだとか。

1500年近く経ったいまでも、墓地は墓地なんですね。

いにしえの歴史を感じます。

神戸の古墳は他にもまだあります。

気が向いたときに、また続きやります。



神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2016-04-08 11:14 | 神戸の史跡・観光 | Comments(2)  

阪神・淡路大震災から21年、震災記念日の備忘録。

本日1月17日は、阪神・淡路大震災の発生した日。

6,434人の方が亡くなられ、3人の方が行方不明になったあの震災から、今日で21年の年月が過ぎました。

20年以上も経つと、日々の暮らしのなかで震災のことを思い出すことはずいぶん少なくなりましたが、毎年1月17日だけは、当時のことを振り返るようにしています。

ときどきは思い出さないと、人は忘れちゃいますからね。


下の写真は、昨日(16日)、垂水区は舞子ビラから撮った明石海峡大橋に沈む夕陽です。
21年前には、まだここに橋は架かっていませんでしたが、あの日の前日もこうして西の空に夕陽が沈み、翌朝の朝日が上る前に、あの地震が起きたんですね。

e0158128_00593824.jpg
e0158128_01004658.jpg

で、今年も震災当時のエピソードを備忘録としてお話します。

幸い自宅も職場も少ない被害で済んだわたしは、震災4日目から被災地のど真ん中にある会社に出社したのですが、電気水道ガスもないなかで出来る仕事などほとんどなく、ましてや、取引先の多くも機能していないため、することなんて何もありませんでした。

でも、何かしないと落ち着かない。

ただじっとしているだけでは不安でたまらなくて、とにかく外に出て、お客さん、業者さんのところに足を運んで、会話して帰るという毎日を、3ヶ月近く続けていました。

当時のわたしは28歳

若かったなぁという気もしますが、いまから思えば、あの数カ月があったから、いまの自分があるのかなぁ・・・などと自画自賛してみたり・・・。

外に出るといっても、当時の神戸市内の交通事情は酷いもので、道路交通法などあったものじゃありませんでした。

震災から数日間は信号機も作動していませんでしたから、交差点なんてめちゃくちゃ

一応、警察官が手信号で交通整理していましたが、ぜんぜん守らないし、非常事態ですから、守らなかったからといって、切符を切られたりもしません。

罰則がないとなると、みんな身勝手なものです。

そんな状態なので、主道路はずっと渋滞のままで、主道路を避けて裏道を通ろうとすると、いたるところが瓦礫で塞がれていて、車の通行は不可能

もちろん電車は動いておらず、車での移動も困難となれば、バイクを買うしかないと思い至り、さっそくショップに足を運んだのですが、事はそう甘くなく、震災から1週間後にして神戸市周辺のバイク屋さんの原付バイクはほとんどが売り切れ状態

考えることは、みんな同じなんですよね。

それでも、なんとか手に入れたいと市内外を駆けずり回っていたところ、数日前に行ったバイク屋から携帯に連絡が入り(ちなみに、震災4日後に人生はじめての携帯電話を購入していました)、中古の原付バイクが入荷したとのこと。

喜び勇んで店に行ったところ、ボディーにはヒビがあり、破れたシートはガムテープで補強され、グリップのゴムは割れ、マフラーはサビサビといった具合で、どう見ても、粗大ごみのなかから探してきて修理したものとしか思えないほどのボロ車でした。

それでも、ないよりはマシだと思って値段を聞くと、なんと8万円

ふざけるな!・・・と声を荒げると、「いらないなら別にええよ。ほかにも欲しがってる人はたくさんいるから!」・・・と。

完全に足元を見た商売をしてきました。

普通なら、5,000円でも買う人いないようなレベルです。

しかし、背に腹は代えられないと思い、渋々スクラップ寸前の原チャリを8万円で購入しました。

それから1ヶ月もしないうちに、他府県から大量のバイクが神戸市内に運び込まれ、まちにはバイクが溢れかえりました。

8万円で買ったわたしの原チャリは、3ヶ月ほどで白煙を吐いて動かなくなりました。

酷い買い物をさせられてと思いましたが、でも、少なくとも3ヶ月はその原チャリにめちゃめちゃ世話になりましたから、そう思えば、あの時点では必要な8万円だったのかもしれません。

当時まだ高価だった携帯電話といい、ピンチに陥ったときに、どれだけ自分に投資できるかで、のちの人生が決まってくると言っても過言じゃないかもしれませんね。

ちなみに、あのとき8万円でスクラップ車を売りつけたバイク屋は、数年後に潰れてました。

それが、あの商売スタイルから来たものかは、わかりませんが・・・。

そんなこんなで、21回目の震災記念日の備忘録です。

ちなみに1月17日は、わたしの誕生日

震災当日が28歳の誕生日だったわたしも、今日で49歳になりました。

6,434人の命日と同じ日です。

合掌。

過去6年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。
阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ



[PR]

by sakanoueno-kumo | 2016-01-17 01:09 | 日常 | Comments(0)  

節目の年となる2015年、新年のご挨拶。

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

e0158128_11591715.jpg

わが家から見える今朝の景色です。
中央にそびえるのは明石海峡大橋、その向こうに見えるのが淡路島です。
わたしは毎朝、出勤時にこの景色を見て1日が始まります。
今年は快晴のスタート、良い年になりそうな気がしますね。

今年は戦後70周年にあたる節目の年ですが、わたしたち神戸市民にとっては、阪神・淡路大震災から20年の節目でもあります。
早いもので、あれから20年も経つんですね。
あのとき、生後間もなかったわが家の愚息も、いまは大学生、今年成人式を迎えます。
また、わたし自身も、今年は4回目の年男
いろんな意味で節目のメモリアルイヤーとなる今年、良い1年にしたいですね。
本年もよろしくお願いします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-01-02 13:23 | 日常 | Comments(6)  

神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~

昨年8月、娘の夏休みの自由研究に付き合って、わがまち神戸市の古墳めぐりをしたのですが、せっかくなので、そのときのことを私もブログネタにしようと思います(小学生の勉強内容を大人のわたしがパクるというのもどうかとは思いますが・・・笑)。
といっても、日本史が好きな私ではありますが、考古学はまったくの門外漢でして、古墳の知識はまったくありません。
したがって、ここで紹介する内容は、ほとんどが古墳めぐりの本や現地説明看板をにわかにつまみ読みしたものですので、あるいは間違った情報や解釈もあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。

e0158128_1923390.jpg最初に紹介するのは、兵庫県下最大の古墳である「五色塚古墳」です。
別名「千壺古墳」とも呼ばれるこの古墳は、全長194mとたいへん大きな前方後円墳で、明石海峡をのぞむ見晴らしの良い台地の上に築かれています。
全長194mというのは、全国的にみると40番目前後の大きさだそうですが、同じ時期のものだけと比べると、奈良県北部の大王墓(佐紀古墳群)と肩を並べるほどだそうで・・・。

海の向こうに見えるのが淡路島で、巨大な吊り橋は明石海峡大橋です。
現代の建築技術の粋を集めた夢の架け橋と、古代の技術の粋を集めた巨大前方後円墳の融合ですね。
(いうまでもなく、この写真は私の撮影ではありません)

五色塚古墳に関する最も古い記述は『日本書紀』のなかにあるそうで、それによれば、仲哀天皇(第14代天皇)の死後、二人の皇子、麛坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)が、神功皇后に政権を握られることを快く思わず(二人の皇子は神功皇后の子ではない)、朝鮮遠征から帰国する皇后を迎え討つために軍船を明石海峡に浮かばせましたが、そのままではクーデターがバレてしまうので、仲哀天皇の墓をつくるための葺石を淡路島から運搬する船に見せかけるため、この墓を造った・・・とあるそうです。
つまり、五色塚古墳は仲哀天皇の偽墓で、実は何も埋葬されていない・・・と。
実に手の込んだ嘘ですよね。
(神功皇后とは、実在性が濃厚な最古の天皇とも言われる応神天皇の生母で、この人が卑弥呼ではないかという説もある人物です)

e0158128_19111824.jpg

しかし、発掘調査によれば、偽墓というにはたいへん丁寧に造られており、また、石室の石材も出土していることから、偽物とは考えづらいとされています。
石室のなかの発掘調査はしていないので、副葬品などは不明だそうですが、出土したたくさんの埴輪などから、4世紀後半に造られたものと推定されているそうです。
ここに葬られている人物ははっきりとわかっていませんが、明石海峡の海陸交通要衝の地を支配した豪族ではないかと考えられているそうです。

e0158128_19124856.jpg

現在見られる多くの古墳は、木が茂って森のようになっていますが、ここ五色塚古墳は、当時の姿を忠実に再現しようと、昭和40年から10年の歳月をかけて発掘、復元工事が行われました。

e0158128_19141493.jpg

三段に築かれた古墳の表面は約223万個の葺石で覆われ、各段の平坦面といちばん上には出土した鰭付円筒埴輪鰭付朝顔形埴輪のレプリカが、約2000本も立て並べられています。
上二段の斜面の葺石は、発掘された石をそのまま使用しているそうですが、その石を分析の結果、日本書紀の記述どおり淡路島の東海岸から運ばれてきたものとわかったそうです。

e0158128_191651.jpg

前方のすぐ南には、山陽電鉄JR山陽本線、そして国道2号線が並走しています。
さらにそのすぐ南は、いまは埋め立てられていますが、ほんの十数年前まではでした。

e0158128_19175893.jpg

後円部から撮影した古墳南西に見える明石海峡大橋です。

e0158128_1919276.jpg

まさか、こんな巨大な橋が出来ようとは、埋葬されている古代人もビックリでしょうね(笑)。

e0158128_19303067.jpg

東側の堀の中にある一辺20m、高さ2mのマウンドです。
かつては斜面に古墳と同じように葺石があったと考えられ、また埴輪が立てられていたと考えられているそうです。
何のためのものかは、説明看板がなかったのでよくわかりません。

e0158128_19313992.jpg

後円部のすぐ西隣りには、小壺古墳と呼ばれる円墳があります。
直径70m、高さ約8.5mの二段に築かれた円墳で、斜面に葺石はありません。
造られた時期は、出土した埴輪などから五色塚古墳と同時代と考えられいるそうです。
どちらが先に造られたかはわかりませんが、あるいは深い関連性があるのかもしれませんね。

e0158128_19321998.jpg

というわけで、まずは兵庫県下でもっとも有名な五色塚古墳と、お隣の小壺古墳でした。
そんなこんなで、気が向いたときの「その2」につづきます。



神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-03-13 19:38 | 神戸の史跡・観光 | Comments(2)  

年の瀬の阿波国紀行備忘録 その1 「淡路島と追憶の二軒屋駅」

昨年末、出張で四国徳島を訪れたのですが(参照:阿波国徳島のクリスマスイブなう!!)、遅ればせながら、そのときの備忘録です。
出張といっても、わがまち神戸から徳島市は、車で1時間半ほどで行けちゃいますから、同じ兵庫県内の北部に行くほうが遠いくらいです。
つい十数年前までは、四国は遠いイメージがありましたが、今では陸続きのようなものですからね。

e0158128_2364142.jpg

写真は、淡路島側から見た明石海峡大橋です。
普段わたしは、この反対側(本州側)からの景色を毎日見ているのですが(参照:2011年元旦の昼下がり、新年のご挨拶。)、神戸側からだとどうしても逆光になるので、橋が綺麗に見えるのは、この淡路島側からのような気がします。
いまさら紹介するまでもないですが、全長3,911m、中央支間1,991mという世界最長の吊り橋で、主塔の高さは300mもあります。
東京タワーより少し低いくらいですね。
人類は、よくこんな大それたものを造ったものです。

e0158128_2393665.jpg

続いてこちらは、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋です。
撮影は淡路島側から。
こちらは、明石海峡大橋と比べて、長さも高さも約半分です。
この二つの橋が掛かったことで、関西と四国はずいぶんと近くなりましたよね。
いうなれば、淡路島自体が四国と本州を結ぶ橋のようなもので・・・というと、淡路島の方々から怒られそうですが(笑)。
淡路島は、『古事記』によれば日本列島で最初に生まれた島とされ、伊奘諾尊、伊奘冉尊の2神が最初に国生みを行った場所とされています。
いわば、私たち日本人の聖地のような島ですね。
橋なんて馬鹿にしちゃいけません(笑)。

で、淡路島をあとにして、徳島に到着して最初に目にしたのがこれ。
         ↓↓↓
e0158128_2312057.jpg

JR徳島駅前にある郵便ポストです。
徳島といえばなんといっても阿波踊りですが、これには笑っちゃいました。

e0158128_23122243.jpg

年末の慌ただしいなかの出張だったので、観光の時間などとれない予定だったのですが、ちょっとした手違いから2時間ほど空き時間ができてしまい、だったら、せっかくだからと、徳島城趾徳島中央公園を訪れました。

e0158128_2314879.jpg

公園内に展示されていたSLです。
説明看板によると、大正12年から昭和44年までこの地で活躍した、「汽車ぽっぽ」の愛称で親しまれた8620形式蒸気機関車だそうです。

e0158128_23155551.jpg

とくにSLなどに興味のないわたしなので、普通ならスルーするところだったんですが、ふと目に止まったのが、駅のプラットホームをイメージしたレトロ看板に書かれた「にけんや」という文字でした。

e0158128_231759.jpg

実は、わたしは幼いとき、親父の仕事の転勤で3年間ほど徳島に住んでいたことがあるのですが、そのときの最寄りの駅が、この二軒屋駅でした。
わたしが住んでいたのは昭和45年から48年、幼稚園の2年間と小学校1年生の夏休みまでなので、断片的な記憶しか残っていないのですが、徳島から神戸に移転して間もなく親父が病死したため、親父との思い出は、ほとんど、ここでの記憶です。

e0158128_23191272.jpg

最寄りの駅の名称なんてすっかり頭から消えていたのですが、この看板を見た瞬間、「あ!ここだ!!」と、思い出しました。
二軒屋駅から親父に手を引かれて家に帰った道すがらの景色が、この看板のおかげで記憶の奥底から引き出されたんです。
ちょっと感傷に浸っちゃいましたね。
で、思わず写真におさめた次第です。
そもそも、立ち寄る予定のなかった公園だったわけで、思わぬところで思わぬ出会いがあるものです。

と、若干センチメンタルジャーニーになったところで、長くなっちゃったので次稿へつづく・・・。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-22 23:25 | 徳島の史跡・観光 | Comments(0)  

「あの日」の記憶が呼び起こされた春の朝。

今朝の地震は驚きましたね。
震源の淡路島では「震度6弱」の揺れだったそうで、私の住む神戸では「震度4」との発表でしたが、感覚的にはもっと強かったように感じました。
私の住むまちは神戸市の最西端の垂水区で、淡路島と本州を結ぶ明石海峡大橋があるところですから、あるいは神戸市のなかでも揺れが強かったかもしれません。
揺れてる時間も長く、感覚的には20〜30秒ほどあったでしょうか?
それに、なによりも恐怖を掻き立てられたのは、午前5時33分という地震発生の時刻でした。
早朝の地震といえば、私たち神戸市民は、どうしても「あの日」の記憶を呼び起こされます。
(私の家の玄関先から見える淡路島と明石海峡大橋の景色です。写真は今日のものではありません)
       ↓↓↓
e0158128_11523419.png

「あの日」というのはいうまでもなく、平成7年(1995年)1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」ですね。
あれから18年が過ぎましたが、あのときの恐怖というのは、いまでも感覚として残っています。
「ゴーッ」という地鳴りの音で目が覚めたのも「あの日」と同じ。
あの音の怖さはいまも潜在的に脳に残っていて、たとえば普段の生活の中でも、大型トレーラーが通り過ぎるときに起こる振動と音を地震の地鳴りと勘違いして、足がすくむことが時折あります。
冒頭で「震度4」より強かったように感じたと述べましたが、「震度4」クラスの余震は当時たびたびあって、揺れを体が覚えてるんですよね。
今朝の揺れは、それ以上だったように感じました。

あと、スマホの警告音にも驚きましたね。
一昨年の「東日本大震災」の折に関東の知人からは聞いてはいましたが、実際に体験したのはこのたびが初めてでした。
揺れ始めとほぼ同時に鳴り始めましたよ!
すごいシステムですね。
しかも。画面には「播磨灘で地震発生、強い揺れに備えてください」と表示。
瞬時に震源地まで知らされるんですね。
18年前の震災のときには、何が起きたのかさっぱりわからずパニックになったことを思えば、危機管理システムの進歩は著しいものがありますね。
ただ、寝ぼけてたせいもあってか、「播磨灘」「玄界灘」と勘違いしてしまい、「震源地は九州か・・・」と思っちゃいました(笑)。
玄界灘が震源地で関西であの揺れだったら、博多は壊滅してますね(笑)。
「播磨灘」とは、淡路島と小豆島のい間の兵庫県南部の海域のことを指しますが、普段は地元の人間でもあまり使わない言葉です。
もうちょっと、わかりやすい地域名で伝えたほうがいいのではないでしょうか?

いま、阪神間ではまだ鉄道等が不通になっているようですが、とにもかくにも大きな災害にならずに良かったですね。
今日は土曜日だったので、ゆっくり昼前まで寝て午後から会社に出社するつもりだったのですが(ここんとこずっと深夜帰りだったので)、地震でとび起きてからなんとなく胸騒ぎが治まらずに熟睡できず、やむなく早めに出社して、パソコンに向かって起稿しています。
まだ安心はできませんが、その後、体感できる余震はありません。
このまま収まってほしいですね。
取り急ぎ、神戸からのご報告でした。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2013-04-13 12:01 | 日常 | Comments(2)  

2011年元旦の昼下がり、新年のご挨拶。

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
本年も相変わらず、よろしくお願いいたします。

e0158128_1375091.jpg

我が家から見える、景色です。
画面中央にそびえるのは明石海峡大橋、その向こうに見えるのが淡路島です。
今朝、年賀状を取りに郵便受けを覗きに出た際、撮影しました。
残念ながら少し靄がかかっていますが、快晴の日はもっと綺麗に見えます。
私は毎朝、出勤時に玄関を出て、この景色を目にして1日が始まります。
今年はこの曇り空の景色からスタートとなりましたが、2011年は快晴の1年となってほしいものですね。

昨年、後厄の年だった私でしたが、特に大きな不幸もなく乗り切ることができました。
まあ、公私の「公」の方は、世間さまの例外に及ばすでしたけどね。
これを「厄」のせいだと考えて、今年は飛躍の年としたいものです。

この厄年というのは平安時代にはすでに存在していた風習だそうです。
科学的な根拠も起源も曖昧なものとはいえ、21世紀の今日においても根強く語り継がれていることを思えば、あながち迷信ともいえないようです。
昔は「人間50年」などと言いましたが、やはり40歳を超えると、何かと身体に変調がみえてきますね。
個人的には昨年、新聞の文字が読みづらくなってきた自分にショックを受けました。
これが、有名な「老眼」ってヤツか~!・・・と・・・(苦笑)。
視力が良い人は早く老眼になるとは聞いていましたが、やはりこの「老」という文字は受け入れ難いものがあります。
まだ、老眼鏡をかけるほどには至っていませんが・・・。
このところ急激に白髪が増え始めましたし、残業が続くと疲労回復がとみに遅くなったことを、ひしひしと感じています。
私の父は43歳で亡くなっていますし、やはり昔の人はよく言ったもので、この厄年あたりを境に「老」という言葉を受け入れ、身体を労わることを考えていかねばならない、ということでしょうね。

とはいえ、昔の「人間50年」とは違い、平均寿命が80歳の現代において40歳代半ばといえば、まだまだ社会においても人生においても折り返しをすぎたところ。
まだまだ身体に鞭打っていかねばならない世代でもあります。
眼や髪は衰え始めましたが、心まで衰えないよう自己研鑽していかねばなりませんね。

本年もよろしくお願いします。

平成二十三年元旦


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2011-01-01 14:34 | 日常 | Comments(11)  

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3

 明石海峡大橋と淡路島を展望する神戸市垂水区の海岸沿いに、「舞子砲台跡」がある。文久3年(1863年)、勝海舟の設計・総指揮のもと明石藩が築造した砲台で、対岸の淡路島にある松帆台場と協力して、明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにするという構想でこの場所に作られたそうだが、実際に使われることはなかった。砲台は残っておらず、台場のみ現存。昭和5年に建てられた石碑がある。
                      
e0158128_23421080.jpg

 後方に見えるのは明石海峡大橋と淡路島。まさか130年後のこの地に世界最長の吊り橋が架かろうとは、海舟も龍馬もまったく想像だにしなかっただろう。

e0158128_23444978.jpg

 2003年に行われた発掘調査時の説明看板。明石海峡大橋の建設計画がほんの数百メートルずれていたら、この史跡の存在はなかった。危ない危ない・・・。

e0158128_2346073.jpg

 砲型のベンチ。こんなものでも置かないと、砲台跡だとはわからないかも・・・。

e0158128_23473220.jpg

 この砲台の建設にあたっては、「神戸海軍操練所」の塾生も指揮していたそうで、坂本龍馬も見学に来ていたらしく、この地で詠んだ歌が残っている。
 「うき事を ひとり明しの 旅枕 磯うつ浪も あわれとぞ聞」
龍馬の詠んだ歌はいくつか残っているが、どれもお世辞にも上手いとは言えない。

e0158128_23491351.jpg


 「舞子砲台跡」から東へ15kmほどの神戸市兵庫区は和田岬に「和田岬砲台」がある。こちらは台場だけでなく、砲台も残されている。ここは三菱重工造船所の敷地内にあるため、見学は事前予約が必要で、この日の私は突然思いつきで史跡巡りをしたため、残念ながら取材は出来ず。

e0158128_23544051.jpg

 この「和田岬砲台」も、上記「舞子砲台跡」と同じく文久3年(1863年)に勝海舟の設計・総指揮のもと築造された。同じ時期に神戸市内にはもうひとつ「湊川崎砲台」が築造され、西宮市には「西宮砲台」「今津砲台」がやはり同時期に築造。京や大阪の玄関口にあたる阪神間の海岸線を、如何に幕府が重要視していたかがうかがえる。工事中には、14代将軍・徳川家茂、少将・一橋中納言慶喜(後の15代将軍・徳川慶喜)も視察に訪れたという。砲台が現存しているのはこの「和田岬砲台」のみ。大正10年(1921年)内務省から兵庫県下における史跡第1号に指定されている。

 次回は、勝海舟が神戸海軍操練所建設時に住んでいたといわれる家を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


下のバナーを応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2010-06-18 00:00 | 神戸の史跡・観光 | Comments(4)