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朝ドラ『とと姉ちゃん』の青柳滝子の台詞にみる三菱自動車の低燃費偽装。

e0158128_21560347.jpg朝ドラ『とと姉ちゃん』が始まって3週間が経とうとしていますが、前作『あさが来た』の追い風を受けて好調のようですね。

わたしも、人生で初めて完走した前作に続いて、今回も最初から観ています。

物語は雑誌『暮らしの手帖』の創業者・大橋鎭子をモデルにしたヒロインを中心に描かれたフィクションで、戦前戦後の昭和が舞台。

自称歴史オタクのわたしとしては、やはり、フィクションといえども実在した人物をモデルに描かれた作品が好きで、本作も楽しみにしています。

今週は、主人公の小橋常子たち家族が母の実家である東京の深川に移り住んできて、はじめて祖母に接するという展開でした。

大地真央さんが演じる綺麗すぎる祖母・青柳滝子は、江戸時代から200年以上続く老舗材木屋・青柳商店女将で、厳格な人物という設定。

たぶん、この祖母が、ヒロインの今後の人生に大きな影響を与えることになるんでしょうね。

で、今朝のドラマで、客から注文を受けた木曽檜の大黒柱を、従業員が青森産の檜葉と間違えて加工してしまい、その間違いに気づきながらも黙って納品しようとしていたことが発覚し、滝子が激怒するというシーンがありました。

従業員いわく、

「客には檜葉だろうと檜だろうとわかりゃしません。

青森の檜葉だって最高級ですからね。

このまま納品したって文句をつけられることはないでしょう。

あらためて木曽の檜を加工するとなると、うちは大損でさぁ。

ここまで仕上げた青森の檜葉をみすみすどぶに捨てるなんて・・・。」

これを聞いた滝子は一喝します。

「寝言は寝てからお言い!

客が木曽檜と言ったら木曽檜しか渡しちゃいけないんだ。

それ以外のものは檜葉だろうが何だろうが渡す訳にはいかないよ!

うちはそうして200年看板を守ってきたんだよ。

看板に傷をつけようってのかい!」

調べてみると、檜も檜葉も、グレード的には遜色ない木材のようで、決して客に損をさせることにはならないというのが従業員の言い分でしょうが、問題はそこではない。

つまり、売っているのは木材ではなく、「信用」なんだ!・・ということですね。

「信用」を売って、200年商売してきたんだ!・・・と。

ここまで観てふと頭をよぎったのは、先日より燃費試験データの不正操作が発覚して問題となっている三菱自動車工業です。

同社はかつて2度にわたる「リコール隠し」が発覚し、大きく信用を失った経緯は周知のところですが、その失墜した信用を回復するべく経営再建を目指していた過程での今回の不正発覚ですから、もはや救いようがない愚行といえるでしょう。

もう信用回復は不可能でしょうね。

これが三菱自動車工業という企業の体質と判断せざるを得ません。

三菱自動車のみならず、数年前にあった食肉偽装事件やマンションの耐震構造偽装事件など、似たような不正事件が近年目立つ気がします。

安くなければ売れない・・・といったデフレの悪循環が引き起こした傾向ともいえるかもしれませんが、やはりそれは、檜葉を檜として売ろうとした青柳商店の従業員と同じで、目先の利益のことしか考えていない軽挙ですよね。

消費者は、名も知らぬ人の作った食材を口にし、顔を見たこともない人の作った家に住み、どのような過程で作られたかもわからない車に乗るわけです。

そこに「信用」がなければ、世の中は成り立ちません。

彼らのやったことは、単に自社の信用の失墜のみならず、社会全体の「信用」根底から崩しかねない愚行で、決して許されるべきことではないでしょう。

「信用は実に資本であって、商売繁盛の根底である。」

とは、日本資本主義の父といわれる渋沢栄一の言葉です。

信用は資本・・・たしかにそのとおりですね。

昨今は資本金ゼロでも会社を設立できるようになりましたが、「信用」という資本がない会社は続くはずがありません。

三菱自動車工業の経営陣は、そのことを思い知るべきでしょう。

もう遅いかもしれませんが・・・。

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by sakanoueno-kumo | 2016-04-22 22:02 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4

e0158128_15522365.jpgさて、話をドラマに移して、主人公・あさの姉・はつについてですが、そのモデルとなった浅子の実の姉・は、浅子が嫁いだ6日後に両替商の天王寺屋五兵衛に嫁ぎますが、25歳で早逝したそうです。

また、春は浅子にとって異母姉で、しかもその母は三井の女中だったそうで、父親は本妻の子である浅子を可愛がったといいます。

ドラマとはずいぶん違いますね。
天王寺屋廃業後に和歌山でみかん農園を作ったというのもフィクションで、実際には、関東に居を移したと言われているそうです。
ただ、明治10年(1877年)頃まで天王寺屋は存在したようで、でも、そのころ春はもうこの世にいませんから、天王寺屋の没落は知らなかったと思われます。

これが大河ドラマだったら、「史実と違う!」といった批判が集まっていたでしょうが、今回のドラマでは、「はつを死なせないで」という要望がNHKに殺到したとか。

大河ファンと違って朝ドラファンは鷹揚ですね(笑)。

まあ、名前も「浅子」と「春」ではなく、「あさ」と「はつ」。

あくまでモデルですからね。

ありなんじゃないかと。

実際、太陽のようなふたりの対比が、物語の核でもありましたしね。

加島屋の成長を照らす太陽あさなら、闇に落ちた山王寺屋を照らす月明かりはつ

太陽も月も、生きていくには大切な光です。

e0158128_15524302.jpgあさの夫・新次郎は、仕事嫌いの遊び人でありながらも、妻のいちばんの理解者として描かれていますが、実在の夫・信五郎、毎日のように謡曲茶の湯といった道楽三昧で、店の経営にはあまり無関心だったようです。

明治新政府の銀目廃止によって店先に客が殺到したとき、病床の父に変わってあさを表に立たせていましたが、これも実話どおり。

経営者としての浅子の能力を見込んでいたともとれますが、単に無責任な人だったのかもしれません(笑)。

でも、もし新五郎さんがやり手の敏腕経営者だったら、経営者・広岡浅子は生まれていなかったでしょう。

その意味では、やはり広岡浅子を生み出したのは、夫の広岡信五郎といえるでしょうか?

新次郎に恋心を抱きながら番頭の亀助と結婚したおふゆのモデルは、浅子の付き人として長年身の回りの世話をした小藤という女性がモデルだそうですが、この小藤という女性、実際には浅子の夫・信五郎となって4人の子供を生んだそうです。

事業に忙しく家を空けることが多く、嫁として家の仕事を充分にできなかった浅子にかわって、小藤がその役割を担っていたそうで、浅子は小藤のこともその4人の子供のことも、終生かわいがったとか。

時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、現代人には理解しがたい関係ですね。

当然、朝ドラ向きの話ではないので描かれません(笑)。

先日の稿でお話した五代友厚の女性関係についてもそうですが、こういう話を朝ドラでやると、視聴者がドン引きしちゃうのでしょう。

登校前の子どもも観てますしね。

やっぱ、朝は爽やか話でないと(笑)。

爽やかといえば、今回のAKB48の主題歌『365日の紙飛行機』は、爽やかないい曲ですね。

物語にぴったりな曲で、仕事中にも思わず口ずさんでしまっていました。

この曲、オジサン・オバサン世代にはどこか懐かしい歌なんですよね。

というのも、

♪あさ~の空を見あ~げて 今日という一日が~

♪いの~ち懸けてと~ ちか~った日から~

似てませんか(笑)? 

♪人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ

風の中を力の限り ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか

それが一番大切なんだ さあ 心のままに 365日♪

いい歌詞ですね。



さて、ドラマはもうすぐクライマックスを迎えます。

最後までどんなびっくりポンな物語を見せてくれるか、楽しみに観ましょう。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3



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by sakanoueno-kumo | 2016-03-18 13:23 | その他ドラマ | Trackback | Comments(4)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3

e0158128_10215758.png広岡浅子は、その生涯でひとりだけ子どもを生みました。

ドラマでは千代という名ですが、実在の娘の名は亀子といいます。

ドラマように母に反抗的な少女時代だったかどうかはわかりませんが、母のようなキャリアウーマン気質の女性ではなかったようで、いわゆるお金持ちのお嬢様的女性だったようです。

幼少期は、多忙な浅子よりも、身の回りの世話をしていた付き人の小藤によくなついていたとか。

小藤という女性は、ドラマのおふゆのモデルになった女性です。

浅子は銀行炭鉱に飛び回っていましたから、当然だったでしょうね。

それでも、浅子の聡明さは受け継いだようで、京都府高等女学校を卒業。

その後、一柳子爵家の次男・恵三を婿養子に迎え、一男四女に恵まれました。

亀子の夫となった一柳恵三(広岡恵三)という人がスゴイ人で、実家は旧播磨国小野藩主・一柳末徳の次男。

世が世なら、お殿様になっていたかもしれない人物でした。

ふたりが結婚したのは明治34年(1901年)だったそうですが、明治維新から30年以上経ったこの頃には、大名家の息子が商家の婿養子になるほど、世の中は変わってきていたんですね。

一昔前なら、浅子たちは地べたに平伏して目を合わせることも叶わなかった相手ですから。


e0158128_10243292.pngこの広岡恵三が、実質、浅子の後継者になります。

ただ単に家柄が素晴らしいだけでなく、東京帝国大学卒の明敏さをもって経営に参加し、明治42年(1909年)には加島銀行頭取に、そして大同生命二代目社長として辣腕を振るいました。

その後、加島銀行は昭和恐慌の煽りを受けて廃業してしまいますが、大同生命は平成の現在もなお引き継がれていますね。

大同生命の基礎を作ったのは浅子でしたが、恵三は同社の社長を33年も続け、発展させました。

浅子がを撒いて、恵三がをやって育てたといったところでしょうか。

娘の亀子は浅子のように経営には参加しませんでしたが、その婿に凄腕経営者を連れてくるあたり、さすがは浅子です。

ちなみに、亀子は母のような女傑ではなかったものの、その生命力だけは母をはるかに凌いでいたようで、彼女が亡くなったのは昭和48年(1973年)、97歳だったそうです。

昭和48年といえば万博の3年後で、オイルショックの年です。

つい最近のことですよね。

幕末に結婚した女性の娘が万博まで生きていたなんて、そう考えれば、浅子の生きた時代というのは、それほど昔ではないんですね。

びっくりポンです。

あと1回だけ続きます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4


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by sakanoueno-kumo | 2016-03-17 11:40 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2

幕末から維新にかけての動乱のなか、一時は傾きかけた加島屋でしたが、なんとか持ちこたえました。

そこには、広岡浅子の力が大いに関係していたと言われます。

ドラマでは、嫁入りして間もない浅子が借金返済を求めて藩の蔵屋敷に何度も押しかけるシーンがありましたね。

何度足を運んでも相手にされず、加子部屋(足軽部屋)で荒くれ男に囲まれながら一夜を明かし、結局借金を返済させることに成功しますが、このエピソードは明治37年(1904年)に雑誌『実業之日本』に載った浅子についての記事「本邦実業界の女傑」によるものだそうです。

まあ、雑誌の記事というのは、今も昔も、どこまで信用していいかは微妙ですが、ただ、浅子自身もこのときのことについて述懐しているそうで、それに近い出来事があったことは嘘じゃないでしょうね。

また、明治14年(1881年)に加島屋から高松藩松平家に宛てて出された借金の赦免願とそれに対する回答が朱筆された書状が現存しており、それによると、高松松平家に対する12万2600円(現在の貨幣価値に換算すると約6億3000万円)の借金の返済を、その四割を即納することにより、残り六割を免除することを認めさせているそうで、この書状は差出人が「広岡久右衛門」とあるとともに、「同信五郎 代アサ」と、本来名義人になれないはずの浅子の署名と押印があるそうです。

浅子が交渉に関係していたことは間違いないでしょうね。

『実業之日本』では、当時の加島屋での浅子について、こう記されています。

「而して浅子は加島屋唯一の君主として、上は店長より下は小僧に至るまで、任免黜陟(功績に応じて役職を上げ下げすること)に大権を掌握し、総会等には必ず自身に出席しつつ満場の視線を己れに集めるのみか、本支店とも時々巡視して業務の成績を検閲するなぞ、其の手腕の凄じさ、人をしてアッと謂はしむることが多い・・・」

当時の法律では、「夫と死別した場合」など一部の例外を除き、女性が戸主にはなれませんでしたが、実質の経営者は、ドラマのとおり浅子だったようです。

その後、ドラマのとおり浅子は鉱山経営に乗り出してその名を轟かせ、そして明治21年(1888年)には夫・信五郎や義弟・正秋とともに加島銀行を発足させ、明治35年(1902年)には大同生命を設立。

ドラマにもあったように、女性の銀行員をはじめて採用したのも浅子でした。

女性経営者だからこその人材登用だったといえますが、それは、同じく女性であった浅子を経営に参加させた、先代からの加島屋の家風が生んだものだったかもしれません。

そしてその人材育成の情熱は女子教育へと注がれていくんですね。

e0158128_15315700.jpg炭鉱、銀行と忙しい日々を送っていた浅子は、明治29年(1896年)、加島銀行のすぐ近くにあった梅花女学校の校長を務めていた成瀬仁蔵に出会います。

成瀬は女子大学設立の構想を抱いており、援助してくれる人物を求めていました。

そんななか、浅子というスーパーウーマンを知ります。

ドラマでもありましたが、浅子は成瀬の『女子教育論』を読んで、「感涙やまなかった」と語っています。

成瀬の理想に感銘を受けた浅子は、強力な後援者となり、明治34年(1901年)、東京に日本女子大学を設立するに至りました。

津田梅子新島八重大山捨松など、同時代の女子教育に尽力した女性は他にもいますが、浅子以外はすべて武家出身者

商家に生まれた女性としては、浅子だけだったんじゃないでしょうか?

男尊女卑が当たり前の時代、内助の功的な働きをした女性はたくさんいたでしょうが、表舞台で男顔負けの活躍した浅子は、たいへん稀有な存在だったでしょう。

ホント、びっくりポンな女性ですね。

ただ、そんな浅子を生んだのは、夫の理解、協力があったからといえます。

男女の区別なく、才能ある者を認め育てるという気風が、浅子の周りにあったということですね。

次回に続きます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4


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by sakanoueno-kumo | 2016-03-16 12:36 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1

NHK朝の連続ドラマ『あさが来た』が、いよいよクライマックスを迎えますね。

わたしにとって朝ドラは、観たり観なかったりしながら後半だけハマるといったパターンがほとんどでしたが、今回はいつになく最初からハマってしまい、観れない回は録画してまで観ています。

自称歴史オタクのわたしですが、恥ずかしながら主人公・あさのモデルである広岡浅子という女性のことを、ドラマを観るまでまったく知りませんでした。

で、せっかくなので、大同生命のHPなどを参考にしながら、この大阪が生んだ女傑について書き残しておこうと思います。

e0158128_15245922.jpg嘉永2年(1849年)といえば黒船来航の4年前、京都の豪商・三井家の三女として浅子は生まれました。

ドラマにもあったように、浅子は2歳にして既に将来の結婚相手が決まっていたそうです。

その相手が、当時鴻池と並ぶ豪商だった大阪の両替商・加島屋の次男・広岡信五郎でした。

浅子は17歳で加島屋に嫁ぎます。

加島屋は、幕末266あった諸藩のうち、およそ100藩に「大名貸」をしていたというほどの豪商で、その融資額の総額は約900万両(現在の貨幣価値で約4500億円)もあったとか。

現代でいうところのメガバンクですね。

浅子が嫁いだのは慶応元年(1865年)、前年には京都で「禁門の変」があり、世情はいよいよ緊迫した血なまぐさい時代に突入したころでした。

ドラマで、新選組副長・土方歳三と絡むシーンがありましたが、実際に、借用人・土方歳三、保証人・近藤勇と署名捺印された金400両(現在の貨幣価値で約2000万円)の借用書が現存しているそうです。

ふつう借用書は、返却されれば破棄、もしくは裏書して借用人に渡すものだったそうですから、この証文が残っているということは、おそらく返却されなかったものとされているそうです。

加島屋にとっては大きな損害だったでしょうね。

また、加島屋が長州藩のメインバンクであったことから、「禁門の変」のあと、長州藩との関わりについて新撰組から厳しい取調べを受けたという話も残っているそうです。

その後、慶応4年(1868年)に「鳥羽伏見の戦い」で敗れた幕府軍が京・大坂からこぞって退去し、新政府が立ち上がりました。

すると今度は、新政府から大阪の豪商たちに呼び出しがかかり、「ご一新のため」として総額300万両もの献金を求められます。

それ以降も、「戦費のため」「明治天皇の行幸のため」と、ことあるごとに新政府から献金の要請がありました。

政治は徳川幕府から明治新政府に変わりましたが、加島屋など商人たちにしてみれば、新選組も新政府も同じだったでしょうね。

次回につづきます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-11 17:30 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3

朝ドラ『あさが来た』では1月に死んでしまった五代友厚ですが、1ヶ月以上前に起稿した五代の稿(その1その2)に、いまだに多くのアクセスをいただいているようで、だったら、せっかくなので前回割愛したお話をしようと思い、続編を起稿しました。

今回の写真は、北浜の光世証券エントランスにある五代友厚像です。

こちらもまた、なかなかのイケメンですね。

e0158128_16372738.jpg


今回お話するのは、そんなイケメン五代の女性関係

ドラマでは独身者のように描かれていましたが、実際には、五代にはちゃんともいて、さらに、他の同時代の政治家、財界人と同じく、妻以外の愛人数多くいました。

五代は生涯に、複数の女性との間に10人の子供を儲けたそうです。

最初の子供(女子)は、幕末に薩摩藩士として赴任していた長崎で知り合った女性との間に生まれました。

しかし、この子は五代家の籍には入っていません。

明治に入り、外交官・森山茂の妹・菅野豊子と結婚しますが、彼女との間には子供はできず、戸籍上の三人の娘も、他の女性に生ませた子供を引き取った子だそうです。

五代が愛人に生ませた男子はすべて、認知はしても籍には入れず、庶子となったそうです。

こうして見ても、相当な遊び人だったようですね。

まあ、残っている肖像を見る限り、結構なイケメンだったようですから、確かにモテたでしょうね。

ドラマでのキャラとは随分とかけ離れたプレイボーイだったようです。

びっくりポンですね。

ドラマでは、福沢諭吉大隈重信が登場し、五代と同じく主人公・あさに大きな影響を与えていますが、この福沢、大隈らと五代のあいだには、深い因縁がありました。

というのも、ドラマでも描かれた開拓使官有物払下げ事件で、福沢と大隈は五代を批判する急先鋒だったからでした。

明治14年(1881年)に起きたこの事件は、北海道開拓使長官の黒田清隆が、開拓使官有物を五代らの関西貿易商会に安値・無利子で払下げようという計画が、新聞にすっぱ抜かれて大騒動になった事件です。

約1400万円もの国費を注ぎこんだという開拓使が、わずか38万円余りで、しかも黒田の同郷の五代に払い下げられる。

そら、批判されますよね。

結局、開拓使払下げは伊藤博文らによって中止されますが、払下げの情報を新聞にリークした張本人とされた大隈は、政府から追放されました。

いわゆる「明治14年の政変」です。

野に下った大隈は、翌明治15年(1882年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)を開き、そしてそれから十数年後、日本女子大学校創立のために奔走していた広岡浅子に出会い、深く関わることになります。

もし、「明治14年の政変」がなければ、この出会いはなかったかもしれません。

五代友厚と広岡浅子のあいだには関わりはなかったようですが、こんなところで繋がっていたんですね。

ちなみに、ドラマではディーンフジオカさんが演じていた五代友厚に対して、福沢諭吉役が武田鉄矢さん、大隈重信役が高橋英樹さん、あと、渋沢栄一役が三宅裕司さんでしたが、実年齢でいえば、福沢が五代より1歳上、大隈は2歳下、渋沢は4歳下、いずれも五代と同世代でした。

びっくりポンですね(笑)。

さて、ドラマはいよいよクライマックスを迎えます。

せっかくなので、広岡浅子についても次稿でふれてみたいと思います。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1
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朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4



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by sakanoueno-kumo | 2016-03-10 00:44 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2

昨日の続きです。

明治2年(1869年)、政府から横浜へ転勤を命じられると、五代友厚は愛着のある大阪に残るために官を辞します。

その後は、金銀分析所、鉱山、活版印刷所などの事業を興したほか、関西商人らと阪堺鉄道(現・南海電気鉄道)、大阪商船(現・商船三井)を起業。

そして明治11年(1878年)開業の大阪株式取引所(現・大阪取引所)の創設にも関わります。

さらに信用取引や手形取引の商慣習が乱れていた状況を見かね、仲間組合として同年に大阪商法会議所を設立。初代会頭に選ばれた五代は大阪の商秩序を正常化し、今の大阪商工会議所の礎を築きます。

教育面でも、大阪の商家の子弟を新しい経済環境に適応させようと大阪商業講習所を作り、それが今の大阪市立大学につながります。

もともと縁もゆかりもなかった大坂のまちに、ここまで尽力した友厚。

まさに「大阪の恩人」と言われる所以です。

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こちらの写真は、大阪商工会議所前にある友厚のです。

前稿で紹介した大阪証券取引所前の像同様、なかなかのイケメンですね。

昨日今日のどちらの写真も数年前に撮影したもので、そのときはわたし以外に立ち止まる人などいませんでしたが、先日、大阪証券取引所の前を通ったら、数人のおばちゃんたちが像を撮影していました。

朝ドラの力は絶大です(笑)。

でも、無粋なことをいえば、広岡浅子と五代友厚が懇意の仲だったというエピソードは、残念ながら残ってないそうですけどね。

まあ、お互い名前くらいは知ってたでしょうが。

ちなみに、「平成の五代友厚」なんて言われたりもした橋下徹氏が、昨年いっぱいで市長を退き、同時に政治家も引退されましたね。

「どこが五代友厚やねん!」とお叱りの声も聞こえてきそうですが、「大阪を変えよう、大阪から日本を変えよう」という情熱を持ってのぞんだという部分では、共通しているといってもいいでしょう。

でも、五代だったら、何が何でも信念を貫き通して、途中でケツを割ったりしなかったと思うんですけどね。

「日本のために、この大阪を育てるとじゃないのか!これ以上、東京に何もかも集めてはならん!日本のためには、もうひとつもふたつも大きなまちが入用じゃ!その企てが、やっとこさ進み始めたとこじゃっちゅうとに!話にならん!」

ドラマで横浜転勤を命じられたときの五代の台詞です。

これって、まさに橋下氏がずっと主張し続けてきたことですよね。

五代友厚だったら、大阪都構想をどう実現したか・・・そう考えたら、まだまだ橋下さんは引退してる場合じゃない気もしますね。

そんな五代友厚ですが、残念ながらその生涯は長くはなく、明治18年(1885年)9月25日に49歳の若さで病死します。

糖尿病だったといいますから、大阪のために働きながら病気とも戦っていたのでしょうね。

死の少し前には、を鹿児島から大阪に移しています。

最期は大阪市民として死にたかったのかもしれませんね。

経済人として敏腕を振るった五代でしたが、死後、遺産はほとんどなく、多額の借金だけが残っていたとか。

この点は、親交が深かった大久保利通と共通します。
西郷隆盛もそうですが、没我奉仕の精神で、私利私欲に頓着せず、不正を徹底的に忌み嫌う薩摩人気質だったのでしょうね。

さて、朝ドラ『あさが来た』は、ちょうど折り返し点を過ぎたあたりですが、五代友厚の出番は今週で終わりだそうですね。

どんな最期を迎えるのか、楽しみにしましょう。


朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その1
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その2
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その3
朝ドラ『あさが来た』で知ったびっくりポンな女傑、広岡浅子。 その4


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by sakanoueno-kumo | 2016-01-21 18:01 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その1

NHKの朝の連続テレビ小説『あさが来た』が好評のようですね。

わたしも、いつもは妻が観ている横で見るともなしに観ていてハマっていくというパターンなんですが、今回は、朝ドラには珍しく幕末からの物語ということで、けっこう最初から真剣に観ています。

そこで、今日は主人公・白岡あさのモデルである広岡浅子のこと・・・ではなく、ドラマ内の主要登場人物で唯一、実在の人物名そのままで登場している五代友厚についてお話しましょう。

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写真は大阪証券取引所前に立つ五代友厚の像です。

五代は、大阪商工会議所の初代会頭を務めるなど大阪経済の発展に貢献した人物として知られ、同じく明治維新後に東京の経済の基礎を作った渋沢栄一と並び、「東の渋沢、西の五代」と称されるほどの大阪の顔的存在ですが、実はこの人、元は大阪には何のゆかりもない鹿児島県の人です。

薩摩藩の上級武士の家に生まれた五代は、幼少の頃から英才として知られ、通称「才助」は藩主から贈られた名前だといいます。

安政4年(1857年)、藩から選抜されて長崎に留学し、幕府の海軍伝習所で学びました。

そのとき、勝海舟榎本武揚、坂本龍馬、木戸孝允、そしてイギリス貿易商のトーマス・グラバーなど、幕府諸藩を超えてさまざまな人物と親交を持ちます。

文久2年(1862年)、幕府船・千歳丸水夫に化けて潜り込み、上海に渡航しました。

そのとき、長州藩の高杉晋作や、佐賀藩の中牟田倉之助らと知り合います。

いずれも、藩きっての秀才たちで、五代同様、藩の将来を担う人物として派遣されていました。

五代はこのときから、既に経済に主眼をおいて上海を歩きまわったといいます。

この渡航の際、五代は藩のために汽船購入の契約をしたという説もありますが、これについては、信憑性に乏しいようです。

いずれにせよ、経済が後の世を動かすという考えは、既に持っていたのでしょうね。

その3年後の慶応元年(1865年)には薩摩藩遣英使節団としてヨーロッパに渡り、大いに見聞を広めました。

その知識は明治維新後に新政府から必要とされ、外国事務局判事に起用されます。

大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、堺で起こったフランス水兵と土佐藩士との衝突事件や、イギリス公使パークス襲撃事件などの処理に手腕を発揮したことから、大阪港の開港貿易事務も管轄し、大阪との深い関わりが生まれました。

また、大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致したのも五代で、初代大阪税関長も務めました。

さらに、新政府の肝いりで大阪に通商会社、為替会社を設立。

この頃には、はじめは協力に消極的だった大阪の有力両替商らからも、信望を高めます。
ドラマの加野屋のモデルである加島屋も、そのひとつですね。

その後、五代に横浜転勤の辞令が出たときには、五代留任を求める声が大阪経済界から起こったといいます。

このことからも、わずか1年ほどで、五代は大きな信頼を得ていたことがわかります。

長くなっちゃったので、明日に続きます。

朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その2
朝ドラ『あさが来た』で異彩を放つ五代友厚 その3
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by sakanoueno-kumo | 2016-01-20 10:43 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

倍返しの「お・も・て・な・し」は、いつやるの? 今でしょ! じぇじぇじぇ~!

ちょっと旬ネタを過ぎた感はありますが、先ごろ、今年の流行語大賞が発表されましたね。
結果は、かねてより大賞候補といわれていた、
『今でしょ!』
『お・も・て・な・し』
『じぇじぇじぇ』
『倍返し』

の4語が大賞に選ばれました。
この“みんな一等賞”の結果について、巷ではドッチラケ的な不満の声が多くあがっていたようですが、過去にも複数の大賞受賞はあったそうですから(4語というのは初めてだそうですが)、私はこれでいいと思いますけどね。
それだけ甲乙つけがたい豊作の年だったということでしょう。
流行語大賞は、文学賞や音楽賞のように「優秀な作品」に対する賞ではありませんから、これに選ばれたからといって優秀と評価されたわけでもなく、何年かのちに振り返って懐かしむ・・・ただそれだけのものですから。
たくさん流行語があればたくさん選出していいんじゃないでしょうか。

それにしても、今年の4語はどれも、久々に流行語らしい流行語だったんじゃないでしょうか。
わたしがこういったものにあまり敏感でないからかもしれませんが、ここ近年の大賞受賞のことばを聞くと、これってほんとに流行したの?と思うものや、これを流行語というのかどうか・・・といったものが多く見られたように思います。
昨年の『ワイルドだろぉ』はまだいいにしても、一昨年の『なでしこジャパン』なんて流行語のカテゴリに入る言葉ではないと思いますし、その前の年の『ゲゲゲの』なんて、ドラマはヒットしましたが言葉は流行してませんよね。
さらにその前の年なんて、『政権交代』が大賞ですからね。
よく耳にした言葉と流行語とは意味が違うと思います。
流行語とは、ただ耳にしただけではなく、大衆が多く「口にした」言葉だと思うんですね。
上述したここ数年の大賞はすべて、よく耳にしただけですよね。
その論でいえば、平成20年(2008年)の『アラフォー』なんかは流行語といえるのかもしれませんが、はずかしながら当時わたしは、この言葉が大賞候補にノミネートされて初めて知ったという・・・(苦笑)。
でも、そういうオジサンは結構いたと思いますよ。
近頃の女子高生語なんかを見てもそうですが、世代限定業界限定地域限定などの流行語はたくさんあるものの、広く大衆に親しまれた流行語というのは、近年はなかなか生まれにくくなっているように思います。

その意味では、今年の4語はまぎれもなく流行語だったと思います。
だって、このわたしが全部知ってますからね(笑)。
その出処を見ても、TVドラマから2つ、TVCMからひとつという、これまたいかにも大衆的な流行語の生まれ方だと思います。
ドラマの台詞が流行語大賞に選ばれたのは、平成6年(1994年)の『同情するなら金をくれ』以来、19年ぶりだそうですね。
CMからの選出も久々なんじゃないでしょうか。
わたしが子供の頃など、CMは流行語の宝庫だったものですが・・・。
『う~ん、マンダム』
『ちかれたびー』
『クリープを入れないコーヒーなんて』
『ファイト~!いっぱ~つ!』

例をあげればキリがないですね。
近年のCMは、連続ドラマのようにストーリーがあったり、アイキャッチ的な映像で魅せたりが主流となって、流行語を生むようなキャッチコピーはあまり使われないのかもしれませんね。

流行語はその時代背景や世相を反映しているともいわれます。
たしかに、過去を振り返ってみれば、政治的、経済的に時代を見て取れるものも多くあります。
でも、それらの言葉って、なんか無理に流行語を作った観がありありなんですよね(すべてとは言いませんが)。
本当の流行語っていうのは、もっと自然発生的な、軽薄なものなんじゃないかと・・・。
『じぇじぇじぇ』に世相なんて見えないですからね(笑)。
いろんな意味で、今年の大賞4語は、本当の流行語だったんじゃないでしょうか?

なにはともあれ、今年ももうあとわずかです。
倍返しの「お・も・て・な・し」は、いつやるの? 今でしょ! じぇじぇじぇ~!
お後がよろしいようで・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2013-12-12 20:22 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

朝ドラ『あまちゃん』に、後半2ヵ月だけハマったおじさんの「じぇじぇじぇ!」

好評だったNHK朝ドラ『あまちゃん』が終わりましたね。
私も後半2か月ほどハマっちゃいました。
朝ドラにハマるのは、昨年の『カーネーション』以来です。
あのときも、後半の2~3か月だけハマったんですよね。
以前は朝ドラの時間はすでに家を出ていたのですが、いまはBSで7時半からやってますよね。
それだとギリギリ観れたり観れなかったりで・・・。
で、最初は妻が観ている横で観るともなしに見ていたものが、いつの間にか、家を出たあと通勤途中の車の中で『潮騒のメモリー』を口ずさんでいて・・・。
気が付けば、観れない日は録画してまで観てしまってました(笑)。
でも、いつもハマっていたわけじゃなく、『カーネーション』のあとの2作も、妻は観ていたけど私は興味がわきませんでしたから、やはり好評を得た作品というのは、どこか引きつけるものがあるんでしょうね。
で、最終回を観終えて、思ったことを場当たり的に綴ってみます。

わたしがこのドラマにハマった理由のひとつは、キョンキョンこと小泉今日子さんと薬師丸ひろ子さんのキャスティングですね。
わたしら世代にとってはドストライクのアイドルふたりで、このふたりの共演というだけでも目を引くわけですが、物語はまさしく80年代にアイドルを目指した女の子とスーパーアイドルだった女の子の因縁の話で、それを当時、本当にトップアイドルだったふたりが演じているというところに、ストーリーを超えた面白さがありました。
とくに薬師丸ひろ子さんの場合、当時は角川映画のかかえる箱入りアイドルでしたから、なんとなく役どころの鈴鹿ひろ美というキャラクターに、遠からずといったところがあり・・・。
昨日の最終回で、天野春子の若き日の部屋で春子とひろ美が語るシーンがありましたが、その横に大きな松田聖子のポスターが貼ってあって、あれを観て、小泉今日子と薬師丸ひろ子と松田聖子の夢の共演だ!!!・・・と思っていたのは私だけでしょうか(笑)。
薬師丸さんが箱入りアイドルでしたから、当時では絶対ありえない3ショットだったと思います(あそこに中森明菜さんがいたら悶絶ものです・・・笑)。
ちなみに、あの聖子ちゃんのポスターとまったく同じものが、中学生時代の私の部屋にも貼っていました(笑)。

若いときの春子役だった女優さんも可愛かったですね(有邨架純ちゃんていうんですね)。
たしかに、デビュー当時のキョンキョンに似てなくもなかったです。
でも、ネットで調べてみると、やっぱあの髪型はかつらなんですね。
わたしら40歳代後半のおじさんたちは、あの髪型(いわゆる聖子ちゃんカット)を見ただけで、ちょっと胸キュンになっちゃうんですよね。
だって、卒業アルバムに写ってる女子のほとんどが、あの髪型ですから(笑)。

あと、余談ですが、松田龍平くんと薬師丸ひろ子さんの共演を見て、映画『探偵物語』を思い出していたのは私だけでしょうか?
「ドジな探偵さん」ならぬ「ドジなマネージャーさん」って言ってほしかった(笑)。

本作は近年で最も視聴率が高かったそうですが、それにしても、朝ドラもずいぶん変わりましたよね。
わたしもすべて見てきたわけではないのですが、かつて60%以上の視聴率を記録した『おしん』のように、以前の朝ドラはもっと硬派な物語ばかりだったように思います。
このたびのようなコメディータッチの作品はあまり記憶にありませんし、ましてや、どう見ても秋元康氏やAKB48パロディーとしかとれないキャラクターを登場させるなど、かつての朝ドラではあり得ない演出が目立ちました。
これも、朝ドラを観る世代が変わってきたということでしょうが、これがあまりエスカレートしてしまうのもどうかな・・・と。
歴史と伝統のある枠ですから、大河ドラマと同じく、ただ面白ければいいという性質のものでもないでしょう。
本作はたしかに面白かったですが、朝ドラが朝ドラでなくなってしまうような危機感を少し感じました。
もっとも、いま『おしん』を放送して高い支持を得られるかといえば、難しいかもしれませんけどね(映画やるそうですけどね)。
朝から重い話を観るよりも、1日が元気になるような物語を観たい、いまはそんな思いの人が多いのでしょうね。
『あまちゃん』のオープニング曲は、たしかに朝から元気が出ましたから。

なんか、文章の組み立てなどまったく考えず、思いついたままを綴ってきましたが、気が付いたらずいぶん行数を費やしていました(笑)。
とにもかくにも、『半沢直樹』とともに、この夏の話題作をめずらしくしっかり観ていたので、今年の流行語大賞にはついていけそうですね。
「じぇじぇじぇぇぇぇ!!!」
聞くところによれば、この着ボイスが、なんと10万ダウンロードされたとか。
岩手の人にしてみれば、まさに「じぇじぇじぇ」でしょうね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-09-29 02:29 | その他ドラマ | Trackback | Comments(2)