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東日本大震災から3年、風を返して土を返して。

明日で東日本大震災の発生から3年が経ちますね。

もう3年というべきなのか、まだ3年というべきなのか、被災地から遠くはなれた地域に住む私には、正直、実感できません。

阪神・淡路大震災のときの3年といえば、とりあえずは復興の目処が立ち始め、被災地内でもそろそろ震災のことばかり振り返っていられないといった空気が見え始めていた頃だったと思うのですが、東北の現状は、まだまだ復興はおろか、復旧もままならない状態のようで・・・。

その意味では、まだ3年・・・というのが正しい表現なのかもしれませんね。

e0158128_21574605.jpg震災記念日の明日は、各地で追悼行事復興イベントが開催されるようですが、わたしも昨日、神戸文化ホールで行われていたPLAY FROM KOBE 3.11復興支援コンサート2014に行ってきました。

兵庫県合唱連盟主催のこのチャリティ・コンサートは、震災の翌年から行われているそうで、今年で第3回となるそうです。

復興支援のチャリティイベントに行ったというと、何か立派なことしたように聞こえますが、実は、単に我が娘が合唱部として出演しているのを観に行っただけなんですけどね。

まあ、理由はどうあれ、チャリティイベントに参加したことは事実で、今年は少しは被災地支援の役に立てたかな・・・と(めずらしく募金もしましたよ。だって、可愛い女子高生にお願いされたら、オジサンとしては冷たく無視できないですよね)。

で、せっかくだから、娘の出番だけじゃなく、最初から最後まで鑑賞してきました。

ロックやポップスのコンサートなら何度も足を運んだことがありますが、合唱曲のみのコンサートなんて、こんな機会でなけりゃ聴くことがないですからね。

4時間の長いステージでしたが、なかなか聴きごたえがありましたね(途中、少しばかり睡魔に勝てませんでしたが・・・笑)。

なかでもとくに印象に残った歌で、『風を返して土を返して』という曲がありました。

この歌は、この日出演されていた福島県の詩人・和合亮一さんという方が作詞した歌で、その内容は、福島第1原発事故後の福島を歌ったものです。

風と土を合わせると「風土」となります。

「風土」とは、その地域の地形気候地質はもちろん、文化宗教、そこに暮らす人々の気質精神なども含めた、深い意味が込められた言葉ですよね。

「風土」というのは、その地域の歴史ともいえます。

3年前の事故以来、福島では「風」「土」も、危険なものになってしまいました。

つまりは、「風土」を失った、「風土」を奪われたわけですよね。

わたしは、あの原発事故以来、日本は国土の一部を失ったと思っていましたが、それだけじゃなく、歴史の一部を失っていたんですね。

実に深く考えさせられました。

震災から19年経った現在の神戸は、ほぼ復興事業は終了しています。

津波被害の甚大だった宮城や岩手も、やがてはそこに新しい町が築かれ、新しい風土が形成されていくでしょう。

でも、福島は・・・一部の風土を失ったまま、3年前から何ひとつ変わってないんですよね。

過日行われた東京都知事選に勝利して以降、ますます原発推進の方向に舵を切った感が否めない政府与党ですが、よくよく考えてほしいものですね。

これ以上、国土風土を失わないよう・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2014-03-10 22:14 | 日常 | Trackback | Comments(0)  

東日本大震災から1年、いま思うこと。

1000年に一度の大災害といわれ、2万人近くの死者・行方不明者を出した東日本大震災から間もなく1年を迎えようとしています。
改めて、震災により亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

震災1周年ウイークの今週は、各テレビ局とも連日のように震災を振り返る特集番組を放送しているようです。
おそらく、3月11日の明日は朝から晩までその話題になるのでしょうね。
まあ、ひとつの節目として振り返るのは悪いことではないと思いますが、まだまだ震災は現在進行形といってもよく、もっと普段から報道すべきなんじゃないかとも思ったりします(特に、連日のようにくだらない女性タレントの占い師洗脳ネタをトップニュースに持ってくる情報番組には、正直いって辟易しています)。
17年前の阪神・淡路大震災のときも、地震発生から2ヵ月余りが過ぎたとき、東京であのオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こったため、世間の関心は一斉にそちらに移り、マスコミからも震災の話題がフェードアウトしていきました。
「地下鉄サリン事件」の場合は重大な事件でしたから、報道の目がそちらに向くのはやむを得なかったにしても、それによって被災地以外に暮らす人の「阪神」への感心が薄れていったのも事実です。
「人の噂も七十五日」とは、よく言ったものだと思いました。
昨年の東日本大震災の場合は、原発問題もあって被災地以外の人にとっても他人ごとではなく、阪神のときほど極端にフェードアウトすることはなかったものの、それでもやはり、報道が減れば関心は少しずつ薄れていくでしょう。
1周年ウイークが過ぎても、報道は変わらず続けて欲しいですね。

それにしても、久しぶりに津波の映像をじっくり見ましたが、改めてその恐ろしさを実感しました。
2004年に起きたスマトラ沖大地震のときの津波映像も衝撃的でしたが、東日本大震災で撮影された津波映像は学術的にも貴重な映像が多かったそうで、今後の津波研究の資料として大いに役に立つと期待されていると聞きます。
たしかに、あのCG映画のような非現実的な光景はそう簡単に撮影できるものではなく、この資料をもとに今後の防災計画津波予測に大いに役立てて欲しいとは思いますが、しかし、私は昨年の地震発生当初から、この映像を見て複雑な思いがありました。
というのも、あの映像の大半は被災者が撮影したものですよね。
つまり、あれだけたくさんの映像が残っていることから察するに、撮影していて逃げ遅れてしまった人も大勢いたのではないかと・・・。
残されている映像のなかには、かなり際どい映像も多々見受けられますからね。
たしかにあの映像のおかげで、私たちは被災地で何が起こっていたかを知ることができたのですが、撮影していて逃げ遅れたら何の意味もありません。
生命あってのことですからね。

という私も、実は17年前の阪神・淡路大震災の発生時、まず持ちだしたのはカメラでした(当時私はカメラが趣味だったことと、子どもが生まれたばかりで普段からカメラを持ち歩く習慣があったので)。
しかし結局、被災地を撮影したのは地震発生から1ヵ月が過ぎてからでした。
今から思えば、大変貴重な光景の中に毎日身を置いていたのですが、とりあえずは家族も住まいも無事だった私が、被災地に向けてファインダーを覗くのは何だか不謹慎に思えたからです。
当時は携帯電話を持っている人も珍しかったですし、持っていてもカメラなど付いていませんでしたから、プロのカメラマンでもない限りなかなかカメラを持ち歩いている人は珍しかったですからね。
今は、誰でもカメラ付の携帯電話を持ち歩いていますし、ムービーカメラもコンパクトになって各家庭に当たり前のようにある時代。
1億総カメラマンといっても過言ではないでしょう。
それゆえに、逃げ遅れて失われた生命がたくさんあったような気がしてなりません。
テレビは、被災者が撮影した映像を当たり前のように放送していますが、その前に、災害発生時はカメラを捨てて、まず逃げることを優先して欲しいと呼びかけるべきなんじゃないでしょうか。

さて、明日で地震発生から1年を迎える被災地ですが、1年というと、「阪神」のときの例でいえば、被災者の中にも格差が生じ始めた時期でもあります。
震災発生直後は、右を向いても左を向いても皆、大なり小なり不幸を背負ってましたから、被災者全員が仲間で、励まし合っていました。
しかし、1年も経つと、自力で再建を目指す力のある人、再建の目処は立たずとも前向きに境遇と向きあう人、被災地を離れる人、どうしても復興の波に乗れない人と、否応無しにも格差が生じ始めました。
そんな中、数カ月前までは仲間意識で励まし合っていた被災者の方々の中も、少しずつ温度差が見え始めます。
残酷ですが、同じ被災者同士でも、「いつまで震災のせいにしてるんだ」という空気が漂い始めたのが1年ほど過ぎた頃でした。
「東北」の場合は、「阪神」と比べて復興は遅々として進んでいないようで、今なお30万人以上の方が避難生活を余儀なくされていると聞きますから、そういった温度差はまだ目立ってはいないかもしれませんが、遠からずのような気がします。
よく、“心のケア”という言葉を耳にしますが、これからはそういった格差によって生じるメンタル面に気を配っていく必要があるでしょう。

いろんな意味で、まだまだ現在進行形の東日本大震災。
明日の14時46分には黙祷し、そして1年の節目が過ぎても、まだまだ被災地から目を逸らさずにいたいと思います。
そして1日も早く、過去形で語れる日が訪れることを願ってやみません。


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特集/3.11東日本大震災から1年…いま思うこと

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by sakanoueno-kumo | 2012-03-10 23:13 | 時事問題 | Trackback | Comments(2)  

阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。

本日、1月17日は私の誕生日
そして今日は、私たち神戸市民には忘れることの出来ない、『阪神・淡路大震災』の発生した日でもあります。
1995年の震災の日が28歳の誕生日だった私も、今日で45歳になりました。
その当時生まれて間もなかったわが愚息も、現在高校2年生になります。
当ブログを始めて以来、毎年この日は震災で亡くなった6434人の追悼の意味も込めて、当時のことを振り返って自身の経験談などを紹介していましたが、今年は昨年までとは思いが違います。
いうまでもなく昨年の3月11日、その『阪神・淡路大震災』をはるかに凌駕する大規模な地震災害がわが国を襲いました。
その被害は地震そのものの被害にとどまらず、津波による災害、そして今なお終息を観ない原発事故など、犠牲者・被災者の数、被災地の範囲の広さと、どれをとっても阪神のそれをはるかに上回る傷痕を残しました。
『阪神・淡路大震災』は、戦後2番目に大きな災害に“格下げ”となってしまったのです。

昨年の今日までは、戦後最大の震災の経験者として、当時のことやその後の神戸のことを語ってきました。
でも、震災後十数年も経って、いつまでも震災の話をするはクドイんじゃないかという思いもなきにしもあらずでした。
それはちょうど、お年寄りがいつまでも先の戦争の話をするようなもので、戦争を知らない私たちにしてみれば大昔の出来事でしかなく、いくら話を聞いても実感できるものではありません。
私たち神戸市民の中でも、震災を知っている世代と知らない世代では明らかに温度差があり、もうそろそろ、『阪神・淡路大震災』の話題も賞味期限切れかな、と思ったりもしていました。
でも、それは間違いでしたね。

お年寄りがいつまでも先の戦争の話をするのは、それ以降、わが国で戦争が起きてないから。
もし、その後の歴史に日本がまた戦争に参加するような事態が起きていたら、太平洋戦争の位置づけは大きく変わっていたことでしょう。
70年近く経った今でも太平洋戦争のことを昨日のことのように話せるのは、実はとても幸せなことなんですね。
『阪神・淡路大震災』が戦後最大の災害として語られていた間は、幸せだったということです。
それが、戦後2番目に大きな災害に“格下げ”になってしまいました。
しかも、たった16年という短さで・・・。
これは、とっても不幸なことだということを思い知りました。

震災から17年経った神戸の町は、表面上はかつての傷痕は見られなくなりましたが、当時とは違った問題が見え始めています。
震災直後に神戸市は、住宅復興を急ぐ観点から、民間住宅を借り上げて公営住宅として被災者に賃貸する方式を取ってきました。
いわゆる「また貸し」ですね。
つまり、家主と市が契約関係を結び、市が被災者に通常より安く貸しているわけですが、家主と市との賃貸契約満了期間が20年間となっていたそうで、あと3年しか残っていません。
神戸市は現在、入居者に対して転居を要請し始めているそうですが、入居者の多くは高齢者で、「住み替えは困難」と答えている方がたくさんいるとか。
震災から十数年を経て、ようやく生活も落ち着き、周囲の人間関係も築いてきた被災者が、再び大きな困難・不安に直面している現実があります。
神戸経済の低迷も相変わらず深刻で、就業率は5大都市の中では最下位、全国で見ても平均値をはるかに下回っています。
震災直後の地震そのものによる打撃は、いってみればある日突然、予想もしていなかったカウンターパンチをくらって一発KOされたようなもので、衝撃は大きかったものの、気持ちを切り替えて立ち上がることができた人が多かったと思います(周りが全て被災者でしたから、自分だけが不幸なわけじゃないという妙な安心感もありましたしね)。
ところが、年月が経ってジワジワとボディーブローのように繰り出される二次災害の打撃は、一撃でKOされるほどの強打ではないにしても、少しずつ足腰や内蔵にダメージが蓄積し、気がつけば再起不能になるまで打ちのめされていたというような、そんな苦しさがあります。
神戸の内包する課題は、『東日本大震災』の被災地の将来を映す鏡でもあると思います。
その意味でも、まだまだ『阪神』を語る必要はあるのかもしれません。

戦後2番目に大きな災害に“格下げ”となった『阪神・淡路大震災』。
何の根拠もありませんが、私の生きている間に『阪神』を超える地震災害が起きるとは思っていませんでした。
でも、考えてみれば、地震大国日本でそんな保証があるはずがないんですよね。
ということは、近い将来、『東日本』を超える災害が発生する可能性だって否定できないわけです。
そうあって欲しくないのは当然ですが、こればかりは人間の力ではどうにもなりませんからね。
おびえていては生きていけませんが、認識して準備をしておく必要はあると思います。
そういった意味では、過去を顧みる節目として、今日のような日は必要なのでしょう。

ありがたいことに、私は自身の誕生日と震災記念日が重なったことで、歳をとる度に震災のことを思い出すことができます。
これは、喉元過ぎれば熱さを忘れがちな私に、神が与えた課題なのかもしれません。
神戸の町が一日も早く震災前の姿を取り戻すように、そして東北の被災地が、神戸が抱える問題を教訓にしてより良い復興を遂げられるように、心から願っています。
そして、願わくば、『東日本大震災』が戦後最大の災害であり続けてくれることを祈るばかりです。

震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。


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by sakanoueno-kumo | 2012-01-17 22:13 | 日常 | Trackback | Comments(0)  

坂の上の雲 総括

 3年に渡って放送されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の全話が終了した。先日第3部のまとめを起稿したが、最後に改めてこの作品全体を通した総括をしてみたいと思う。

 司馬遼太郎氏の作品といえば、『竜馬がゆく』『功名が辻』『国盗り物語』『新選組血風録』『燃えよ剣』など、映画やテレビドラマになった作品は数多く、映画は11作、ドラマは13作もある。このうち、『竜馬』はドラマ4回、『功名』はドラマ3回、『国盗り』はドラマ2回、『新選組』はドラマ2回と映画1回。そんな中、単行本・文庫本の発行部数でいえば『竜馬』の次に多い『坂の上の雲』は、連載終了から三十数年間、映画にもドラマにもなっていなかった。それは、作者自身が終生映像化を拒み続けていたからである。その理由は「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される」というものであった。

 それが、司馬氏逝去から13年経った2009年、NHKスペシャルドラマとして放送されることになった。しかも、3年間に渡る全13話のロングランで、制作費も通常の大河ドラマと比べても桁違いの規模だとか。破格の扱いである。ドラマ化が実現した経緯は、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして1999年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得てドラマ化に至ったとのこと。司馬氏が映像化を拒んでいたもう一つの理由に、「作品のスケールを描き切れない」というものがあり、それは現在の映像技術なら、破格の制作費さえかければクリアできる。そんな理由もあって、通常の大河ドラマの枠ではなく、スペシャルドラマという設定になったのだろう。司馬氏の意向に逆らったかたちではあるが、『坂の上の雲』を映像で観ることができるというのは、司馬遼太郎ファンの私としては嬉しい限りであった。

 ただ、今なぜ『坂の上の雲』なのか、という疑問はあった。この作品が執筆、連載されたのは昭和43年(1968年)から47年(1972年)にかけての約4年間で、それまでの約5年間を準備にかけたという。その時代、日本は高度経済成長期の後期で、最長好況を誇った「いざなぎ景気」とぴったり重なり、そんな中、坂をひたすら上り続けた明治人の物語は、太平洋戦争後の高度経済成長を担った「企業戦士」たちの姿と重なり、とくにサラリーマンを中心にこの作品は支持された。

 しかし、それから40年近く経ち時代背景は変わった。高度経済成長期から約20年後にバブル経済が崩壊し、平成の世は長い不況との戦いである。失業率は下がらず、毎年3万人もの自殺者があとを絶たず、少子高齢化が進み、年金問題など昭和の時代に見て見ぬふりをしてきたツケが今、国民に重くのしかかってきている。昭和のサラリーマンたちが、『坂の上の雲』』に出てくる明治人たちの姿を自分たちに置き換えて希望を持った時代とは、ずいぶんと観る側の立場が違ってしまっている。

 世界の戦争に対する価値観も変わった。『坂の上の雲』が執筆されたのは東西冷戦の時代。その後、旧ソ連の崩壊と「冷戦」の終結という激動を経て、「一国覇権主義」となったアメリカがイラク戦争をめぐってヨーロッパの同盟国からさえ孤立し、北朝鮮問題での「六カ国協議」など、国際秩序の考え方も変わってきつつある。そんな中で、100年以上前の戦争での日本人の「優れた能力」を誇りのように肯定的に描いた作品を、今になって映像化するのは、時代錯誤といえるような気がして、1年前の第2部のまとめの稿でもそのように述べた(参照:第2部まとめ)。

 しかし、今年最後まで観終えて、また思いが変わった。やはりこのドラマは、今必要な作品だと思った。今年、我が国では未曾有の大災害が起きた。菅直人前総理の言葉を借りれば、戦後最大の国難だという。これ以上の国難といえば、歴史の上でみれば戦争しかないだろう。まさしく、日露戦争は維新後、近代国家となった日本にとって最大の国難だった。その国難を乗り越えるため、この物語に出てくる明治人たちは心血を注ぐ。戦争を回避するためロシアと手を結ぼうとした伊藤博文、日露戦争はいずれ避けられないと考えて日英同盟を締結させた小村寿太郎、考え方は違えど、いずれも日本を守りたいという思いに違いはなく、そこに私利私欲など微塵も感じられない。ロシアで諜報活動を行った明石元二郎、アメリカで広報外交を行った金子堅太郎、資金集めに尽力した高橋是清もまた然りである。軍人でいえば、現職の国務大臣の地位にありながら、自ら参謀本部次長に異例の職階降下をしたという児玉源太郎などは、その最たる人物である。政治家官僚軍人も皆、日本が潰れるかもしれないという危機感と、日本を守らなければならないという使命感のみで働いた。

 平成の現代はどうだろう。これほどの災害に見舞われながら、なおも政局ありきでしか物事を考えられない低レベルの政治家や、自分たちの都合でしか動こうとしない官僚、いずれも、一国の指導者という立場として、明治の彼らとは雲泥の差である。そういう私たち国民も、日本が潰れるかもしれないという危機感を持って生きているかといえば、そこまで深刻に考えてはいない。「税金払ってるんだから、国が何とかしてくれよ」的な無責任さがある。旅順要塞の前に屍となっていった明治の国民とは大違いである。

 明治の日本は「まことに小さな国」だった。その小さな国の指導者たちは、自分たちが日本を動かしているという実感が強かっただろう。いってみれば、創業間もない中小企業のようなものである。彼らは、この中小企業を潰さないため、大企業たちと肩を並べるため、血眼になって働いた。平成の日本は・・・まさしく上場した大企業。安定と安心の中にいる。だから、自分ひとりの働きがこの国を支えているという実感に乏しく、ひとたび経営が悪化しても、国難という自覚がない。いってみれば、潰れかけて税金で援助してもらっているにも関わらず、ボーナスカットを受けて見当違いなストライキをやるJALの社員や、あれだけの事故を起こしておきながら経営体質の改善をはかろうとしない東京電力のようなものである。現代の日本に生きる私たちは、徴兵されることもなければ、戦争に巻き込まれることもまずない。それは本当に幸せなことだ。しかし一方で、日本のために何かをするといった機会もなく、自分たちが「国家」に参加した「国民」であるという意識も薄い。はたして、どちらが幸せなのだろうと思ったりする。

 とはいえ、戦争を容認する気は毛頭ないし、徴兵なんて、まっぴら御免だ。ただ、戦後最大の国難という大災害が起きた今年、この日露戦争という明治の国難に毅然と立ち向かった当時の人たちの物語を見て、今私たちは何かを感じ取らなければならないような気はした。日本は日露戦争に勝った。勝ったことで、日本はロシアの植民地にならずにすんだ。彼らはまぎれもなく日本を守った。しかし、この戦争に勝ったことで、のちに日本は間違った方向へ進み始めた。これもまた、歴史の示すとおりである。そのあたりについて、司馬氏はあとがきの中でこう述べている。
 「要するにロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はそのすぐれた計画性と敵軍のそのような事情(指揮系統の混乱、高級指揮官同士の相剋、ロシア革命の進行など)のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろう。
 戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうとはしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、その部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけて敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあたえ、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものはまことに不可思議なものである。」


 『坂の上の雲』は決して戦勝に酔いしれる物語でも、戦争賛美の物語でもなく、まだ工業も十分に発達していない貧乏な「百姓国家」が、西欧の大国と対等に渡り歩くため、懸命に背伸びをして生きていた、そんな明治の日本と日本人の物語である。司馬氏はそれを「日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語」だという。最後に、単行本1巻のあとがきの文章で、最終回の終盤にもナレーションで語られていた司馬氏の言葉で締めくくりたい。この言葉こそが、この物語全てを集約していると思えるからである。

 「維新後、日露戦争までという三十年あまりは、文化史的にも精神史の上からでも、ながい日本歴史のなかでじつに特異である。これほど楽天的な時代はない。むろん、見方によってはそうではない。庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く民権はあくまで軽く、足尾の鉱毒事件があり女工哀史があり小作争議がありで、そのような被害意識のなかからみればこれほど暗い時代はないであろう。しかし、被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない。明治はよかったという。その時代に世を送った職人や農夫や教師などの多くが、そういっていたのを、私どもは少年のころにきいている。『降る雪や明治は遠くなりにけり』という中村草田男の澄みきった色彩世界がもつ明治が、一方にはある。この物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」

 3年間、良いものを観せていただきありがとうございました。

●全レビューの主要参考書籍
『坂の上の雲』 司馬遼太郎
『司馬遼太郎『坂の上の雲』なぜ映像化を拒んだか』 牧俊太郎
『坂の上の雲と司馬史観』 中村政則
『日本の歴史21~近代国家の出発 』 色川大吉



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by sakanoueno-kumo | 2011-12-31 04:59 | 坂の上の雲 | Trackback(1) | Comments(2)  

大阪なんばなう!

e0158128_1632.jpg062.gifケータイからの投稿です。
只今、大阪は難波、通称ミナミに出没しています。
写真はミナミを象徴ともいえるネオンサイン群、関西以外の人でもこの景色はご存知の方が多いんじゃないかと思います。
撮影場所は道頓堀川に架かる戎橋、昔は通称「ひっかけ橋」ともいわれたナンパスポットだった場所で(今もそうなんでしょうか?)、あの、阪神タイガース優勝時やFIFAワールドカップのときに大勢の若者が飛び込んでいた映像は有名だと思いますが、あのときのあの橋です。
e0158128_1213128.jpg不況不況といいながらもさすがは忘年会シーズン、ミナミは活気があります。
今年は大震災原発事故、さらには台風被害など、暗く重いニュースがあとを絶たず、さらに今日の午後には、北朝鮮最高指導者の金正日総書記が死去したというビッグニュースが飛び込んできたりと、年末の最後まで落ち着かない1年となりましたが、それでも、こうして活気がある夜の街を見れば、まだまだ日本も元気が残っているような、そんなふうに思えてきます。
e0158128_1365367.jpgいろんな意味で今年は最低最悪の年だったわけで、そう考えれば来年は今年より絶対いい年になるはずです。
そんな願いも込めて、今年も可能な限り忘年会のお誘いを拒まず参加している次第です(笑)。
日本の元気回復のためにも、無理してでもお金は使わないとね(笑)!
酔っているので何を言ってるのか自分でもよくわからなくなってきたので、このへんで終わりにします(笑)。
私の忘年会シーズンもラストウィークとなりました。
胃腸も財布も、もうひと踏んばりです。


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by sakanoueno-kumo | 2011-12-19 22:46 | 大阪の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

東日本大震災発生から3ヵ月、今、思うこと。

東日本大震災から3ヵ月が経ちました。
「人の噂も七十五日」という言葉もありますが、90日を過ぎた今も、震災の話題が尽きることはありません。
それも当然、出口が見えない福島原発事故放射能漏れ問題をはじめ、今なお10万人近くおられる避難所生活を余儀なくされている方々や、未だ8千人余りいる行方不明者の捜索、被災地の復旧・復興作業に従事する方々など、まだまだ震災は現在進行形だからでしょう。

16年前の阪神・淡路大震災のときは、地震発生から2ヵ月余りが過ぎたとき、東京であのオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こったため、世間の関心は一斉にそちらに移り、マスコミからも震災の話題がフェードアウトしていきました。
まさに、「人の噂も七十五日」だったと記憶しています。
神戸市民の私は、当時、世間のあまりの変り身の速さに、白々した思いを抱いたものです。
しかし、今、思い返してみれば、あれはあれで良かったんじゃないかと思っています。
あそこからが、本当の復興の始まりだったんじゃないかと・・・。

震災以降、この未曽有の大災害を、決して風化させてはいけない・・・忘れてはいけない・・・といった声を多く耳にします。
たしかに、今後また起こりうる災害に向けての危機管理教訓といった観点でいえば、忘れずに語り継ぎ、風化させない努力が必要でしょう。
しかし、人間、“忘れる”ことも必要なときがあると私は思います。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」なんて言葉もありますが、人は、忘れるから生きていけるともいえるのではないでしょうか。
どんなに辛いことがあっても、その苦しみを忘れることができなければ、立ち上がることはできません。
どんなに大切な人を失っても、いつまでも悲しみに暮れていたら、心が病んでしまうでしょう。
どんなに怖い思いをしても、その恐怖を忘れることができなければ、一生トラウマとなってしまいます。
心が壊れてしまえば、人は生きていけません。

しかし、コンピューターとは違って人間の脳は、“忘れる”ようにできています。
苦しみ、悲しみ、痛み、恐怖、ついでに怒りや憤り・・・こういったネガティブな心も、だんだんと薄れていくようにプログラムされているんですね。
“忘れる”とは、神が人間に与えた、生きていくために必要な能力なんじゃないかと・・・。
“忘れる”ことが、次へのステップに繋がるのではないでしょうか。

とはいえ、この度の危機的状況はあまりにも重く、とてもそんな境地には達せられないというご意見もあろうかと思います。
それも、もっともだと思います。
でも、どこかで忘れなければ、前には進めないと思うのです。

一日も早く、“忘れる”ことができる日が訪れることを、願ってやみません。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-11 01:49 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(3)  

浜岡原発停止に思う。

 東日本大震災発生から2ヵ月足らずの5月6日、菅直人首相は、静岡県にある浜岡原子力発電所の現在運転中の4号機、5号機の運転を停止するよう、中部電力に要請したと発表しました。理由は、この浜岡原発のある地域が、過去100年〜150年ごとに繰り返し発生している東海地震の震源域に立地し、今後30年以内にマグニチュード8クラスの大地震が発生する可能性が87%と、極めて高い確率だからだそうです。この確率については、専門家の方々からも異論が出てきていないようですから、信憑性のある数字とみていいのでしょう。であれば、何でそんな危険な場所に原発を建てたのか・・・という話になりますが、その話はひとまず横に置いて、今すぐ浜岡原発を停止することが、私たちの生活にどのような影響を及ぼすのかを考えてみます。

 この度の菅首相の要請は、地元自治体や中部電力への根回しも無いままの唐突な全面停止要請だったと聞きます。経済産業省原子力安全保安院によると、今回の浜岡原発の停止は、津波対策の強化などに必要な概ね2年程度とのことですが、政府からは、その間の具体的な電力需給の方法や、その影響の考査といったものが全く示されていません。

 そこで、懸念される事態を考えてみると、最も危惧されるのが、電力需要ですよね。中部電力は今年の夏の電力需要のピークを2560万キロワットと見込んでいるそうですが、原発の運転停止によって、このままでは供給力の余力がほとんど無くなってしまうそうです。代替エネルギーの確保を早急に進めざるを得ないとともに、福島原発事故後、東京電力東北電力に支援してきた約40万キロワットの電力の供給も難しくなるそうです。そうなると、また、“節電”“計画停電”などという言葉を避けて通れなくなります。これ以上、節電の必要性を迫られれば、ただでさえ電力不足による自粛ムードで停滞しがちな経済に、さらに追い打ちをかけるようなマイナス作用がはたらくことは避けられないでしょう。中部電力から電力供給を受ける中部地方は、トヨタ自動車をはじめ日本を代表する製造業の集積地です。計画停電などの大幅な節電を強いられることになれば、生産への打撃は避けられません。さらに、震災の影響で東日本での生産を西日本に移すなどしていた企業にもまた混乱を生じさせることになります。経済の冷え込みは国力の低下に繋がり、結局は復興を遅らせることにもなるのです。

 さらに、今回の要請を受け、全国で反原発運動が活性化し、ドミノ式に原発が停止していく可能性もあります。これについて菅首相は、浜岡原発以外の原子炉については、巨大地震に見舞われる可能性が低いとして、停止を要請する考えはないと名言していたようですが、それで他の原発地域に住む方々が納得できるとは思えません。福島原発事故の現状を見れば、一刻も早く自分たちの地域の原発も停止してほしいと考えるのは、当然のことでしょう。では、すべての原発を今すぐ停止することが、果たして可能なことなのかどうか、残念ながら素人の私にはその判断材料がありません。仮に可能だったとして、原発に変わるエネルギー源を火力発電水力発電に頼ることになるのでしょうが、当然、コストの問題が生じます。中部電力によると、今回の浜岡原発停止で、原発分を火力で代替すると、発電コストが1日7億円年間約2500億円増える見通しだとか。これが日本全国となると・・・途方も無い金額になるでしょうね。当然それは、“電気代”という形で、私たちの生活にはね返ってくることが想像できます。それは単純に一般家庭の生活費がアップするというだけではなく、企業の生産コストアップにも繋がり、また、経済の冷え込みに拍車がかかることになるでしょう。原発廃止が物理的に可能だとしても、国民の生活に大打撃を与えることは避けられないように思えます。

 とはいえ、いつ東海地震が起きても不思議ではないという状況で、福島原発事故によって明らかになった国と東京電力の安全管理の杜撰さを見れば、浜岡原発の停止は当然という意見もわかります。もし、数ヵ月後にも巨大地震が発生したら、今回の菅首相の判断は“大英断”ということになるのでしょう。しかし、今回の要請について、菅首相が日本全体の電力不足や経済への影響、国民の生活に配慮した形跡は、どうも見受けられません。“菅降ろし”の気運が与野党ともに高まる中、起死回生の政権浮揚を狙った、破れかぶれのパフォーマンスとも思えます。政府は、国民や企業が納得のいく説明と対策を示すべきではないでしょうか。

 勘違いしないでほしいのは、私も、将来的には原発に頼らない社会を目指すべきだとは思っていますし、そのために、人類が持てる英知を結集すべきだとも思います。しかし、福島原発事故で日本中が神経質になっている今、その煽りを受けて足早に原発廃止を進めることが、はたして国民にとっていいことなのか・・・と思うのです。「戦後最大の国難」といわれる今だからこそ、冷静になって考えるべきではないでしょうか。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-11 18:20 | 時事問題 | Trackback | Comments(7)  

心に残る名曲 No.7 『しあわせ運べるように』 震災復興の願いを込めて

 16年前の「阪神・淡路大震災」のあと、神戸でずっと歌い継がれてきた歌があります。神戸市の小学校の音楽教師である臼井真先生が作詞・作曲した『しあわせ運べるように』という歌です。震災以降、神戸では、震災慰霊式典はもちろん、ルミナリエの点灯式やイベント、学校の音楽会や卒業式などでずっとこの歌が歌い継がれてきました。私たち神戸市民は、16年間この歌に勇気づけられながら、復興の道を歩んできたといってもいい歌です。

 「東日本大震災」が起きて以降、どこかでこの歌を紹介したいと思っていたのですが、“復興”などという言葉がまだまだ見えてこない現状、なかなかそのタイミングを見つけられずにいました。先日の新聞で、この歌の歌詞の中にある「神戸」の部分を「東北」に変えて被災地に贈ったという記事を見つけ、ならば拙ブログでも紹介しようと思い至りました。今のタイミングで相応しい歌かどうかはわかりませんが、もし被災者の方の目にとまって、16年前の私たちのように勇気づけられることがあれば・・・という思いからです。

 

 You Tubeには他にもプロのシンガーが歌ったものもありましたが、私にとってはこの歌はやはり、子どもたちの歌声が一番心に残っており、この映像を選びました。作詞、作曲された臼井さんは、ご自身も自宅が全壊の被害を受け、親類宅に身を寄せながら避難所になった学校に通勤する生活の中で、この歌を作られたそうです(参照:http://www.kobegakkou-blog.com/blog/2010/01/post-8374.html)。私がこの歌を初めて耳にしたのは、震災の数ヵ月後のテレビからで、自然と涙が溢れてきたのを今でも覚えています。

 「しあわせ運べるように」  作詞/作曲  臼井 真

 1.地震にも負けない 強い心をもって
   亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

   傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
   支え合う心と明日への 希望を胸に

   響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
   届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように

 2.地震にも負けない 強い絆をつくり
   亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

   傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
   やさしい春の光のような 未来を夢み

   響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
   届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
   届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように


 16年前に臼井さんが作られたのは、この“2番”までですが、今回この歌を紹介するにあたってネットで調べていると、この歌には“続き”があるということを知りました。震災10年の年に、神戸市立夢野中学校の生徒たちが、自分たちの思いを込めた“3番”を新たに創作し、合唱コンクールで披露したそうです。

 3.地震から10年 苦しい事ものりこえ
   当たり前のようにすぎていく 毎日を大切に生きてゆこう

   これからの神戸を ぼくたちが支えてゆこう
   次はぼくらが支えて行く 神戸のまちを

   響き渡れぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
   届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように
   届けたい私たちの歌 しあわせ運べるように


 今、東北の被災者の方々は、先が見えない不安な毎日を送っておられると思います。“復興に向けて”と、言葉では簡単にいえても、実際にはそれがどれだけ大変なことか、「阪神・淡路大震災」を知っている私たち神戸市民は知っています。失意の底から立ち上がることが、どれほどエネルギーのいることかと・・・。しかし、月並みな言葉かもしれませんが、必ず今が過去になる日がやってきます。この歌の3番の歌詞のように、次の世代が、新しい東北のまちを支えてくれる若い世代が、必ず育ってきます。その日のために、どうか今を精一杯生きてほしい。10年後の子どもたちに、しあわせ運べるように・・・


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by sakanoueno-kumo | 2011-04-14 11:18 | 音楽 | Trackback | Comments(6)  

東日本大震災発生から1ヵ月、今、思うこと。

東日本大震災から1ヵ月が過ぎた。
震災による現時点の死者、行方不明者は2万7000人を超え、今も15万人以上の方たちが避難生活を余儀なくされている。
津波の被害を受けた被災地の映像は目を覆うばかりで、1ヵ月経った今も手付かずの状態。
行方不明者の捜索も難航している状況が伺え、いまだ瓦礫の下に眠る方たちのことを思えば、胸が苦しくなる。
身元確認された遺体も、棺も写真も墓標もなく“土葬”される映像を見ていると、ただ心を痛めるしかなく、語る言葉が見つからない。
被災地支援の動きは活発になり始めてはいるものの、今なお大きな余震が頻繁に続いており、被災地の不安な生活は、一向に変わっていない。
福島原発事故も依然として予断を許さない状況が続いており、今日、経済産業省原子力安全・保安院が、チェルノブイリ原発事故と並ぶ国際原子力事故評価尺度(INES)で最も深刻なレベル7と暫定評価したらしい。
原発に関しては、とにかく出口が見えない。

本当に、悪夢のような1ヵ月だった。

この1ヶ月、自分に何ができるか自問自答の毎日だった。
西日本に住む私にとっては、現状、間接的な震災の影響が多少はあるものの、特に生活が変わるような事態には至っていない。
東日本の方々のことを思えば、普通に暮らしていることに後ろめたさを感じたりもする。
ならば、被災地のために何かをしているかといえば、何もしていない。
東北の惨状を横目で見ながら、自分自身の目の前にある仕事で精一杯の毎日である。
そうすることが、間接的に被災地のためになる・・・という意見もある。
直接被害を受けてない地域の私たちは、今までどおりに生活して経済を回すことが、結局は被災地のためになるのだ・・・と。
それは私もそう思う・・・が、それだけでいいのか?・・・という思いもある。
普通に仕事をしているだけで復興に向かえるような、そんな生やさしいものじゃないだろう?この度の震災は・・・と思えるのだ。
ならば何をすればいいのか・・・その答えを私は持たない。

16年前の「阪神・淡路大震災」から見事に復興を遂げた、私の住む街、神戸
しかし、それは外見上の話で、低迷する市民の就業率や神戸を拠点とする企業の衰退の現状を見ると、震災の爪あとは今以て消えてはいない。
明らかに、16年前の震災以降、神戸は元気をなくした。
今回の震災は、16年前のそれの比ではない。
被災地の範囲の広さはもちろん、原発事故による風評被害による諸外国の輸入規制が経済に与える打撃は計り知れず、2年後、3年後には、日本全国が元気をなくしてしまっている姿が素人でも容易に想像できるような、とてつもない国難である。
10年後の日本が、はたして日本でいられるのだろうか・・・とさえ思う。
考えれば考えるほど、本当の悪夢はこれからではないのか・・・と思ってしまうのだ。

そんな悲観的なことをいうな!・・・と、お叱りを受けるかもしれない。
世間では、「がんばろう!日本」をスローガンに、復興に向けて前向きに動き出したところだ。
本来なら、被災地ではない地域に住む私たちは、復興に向けて元気がでるような発言をすべきなのだろうが、震災から1ヵ月という節目で、今の正直な思いを少しだけ綴らせてもらったことを、お許し願いたい。

とにかく、震災は起きてしまった。
これは悪夢でもなんでもなく、現実なのだ。
ならばその現実を直視し、なんとかしなければならない。
出口の見えない迷路のような道のりかもしれないが、必ず復興する、させなければならない。
そのために自分に何ができるか、何をしなければならないか、これからも自問自答し続けていくしかない。
私の子供たちが大人になったときに、日本が日本であるために・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2011-04-12 21:52 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(7)  

心癒される桜の木の下で思う、野球ができることの幸せ。

 昨日に引き続いて今日も桜観賞。といっても、今日の本来の目的は桜ではなく、少年野球の試合観戦のついでです。今日は私の指導している少年野球チームの春の大会の1回戦で、本来ならばユニフォームを着てベンチに入るところだったのですが、如何せん先日の怪我のため今日も松葉杖状態で、ならば子供たちの写真を撮ろうとカメラを持参して観戦に足を運んだ次第です。

 で、行ってみると、試合会場に隣接する公園の桜がとても綺麗で、思わず今日もシャッターを切りました。いつも大会の度に通る公園なんですが、野球の戦闘モードで行っているときは目に入らないんですよね。今日も、もしユニフォーム姿で行っていたら、きっと桜どころではなかったと思います。そう考えれば、たまには怪我をしてみるのもいいもんです(苦笑)。

 ここは神戸市垂水区の海岸沿いにある平磯公園。桜の木の向こうに見えるグランドが、少年野球試合会場の垂水スポーツガーデンです。
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 今日の神戸は春らしいうららかな陽気で、まさに花見日和でした。
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 夜桜も綺麗ですが、私はやっぱり青空の下の桜が好きです。
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 白い花びらの桜です。詳しくないので、品種はわかりません。
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 少年野球の試合も、青空の下、いい試合ができました。東北地方にも、きっと野球少年はたくさんいるのでしょうが、今はそれどころじゃないでしょうね。直接の被災地ではなくとも、野球場や運動施設にはこれから仮設住宅が建設され、子供たちの野球ができる環境に戻るのは、何年も先になることでしょう。16年前の阪神大震災の神戸も、野球の試合などできる広場はありませんでした。こうして桜観賞や野球ができることが、如何に幸せなことであるか、あらためて思わされます。もちろん、衣食住もままならない被災地の現状で、野球の話なんてどうでもいいことといえばそうなんですが、今日、おもいっきりプレーしている子供たちを見ていて、ふと、そんな思いになりました。東北の野球小僧たちも、きっと野球がしたいだろうなぁ・・・と。そう思えば、こうして穏やかな休日を過ごさせてもらっていることに、感謝せずにはいられません。


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by sakanoueno-kumo | 2011-04-10 19:07 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)