タグ:橘諸兄 ( 1 ) タグの人気記事

 

太平記を歩く。 その19 「楠公産湯の井戸」 大阪府南河内郡千早赤阪村

前稿で紹介した「楠公生誕地」碑のすぐ近くに、「楠公産湯の井戸」と呼ばれる古い井戸跡があります。

その伝承によれば、楠木正成がこの地で生まれたとき、この井戸の水を産湯に使ったのだとか。


e0158128_22234141.jpg

青々とした稲の絨毯のなかに、「楠公産湯井北エ一丁」と刻まれた石柱があります。

石柱はかなり古いもののようで、この伝承が昔から存在したことを物語ってくれています。


e0158128_22245247.jpg

こちらには、千早城跡にあったものと同じ藁人形を模したブリキの人形が。


e0158128_22253980.jpg

田畑の間の谷底に井戸があるようで、観光客用にヒノキで作られた階段が設置されています。


e0158128_22263077.jpg

井戸には屋根が作られています。


e0158128_22293102.jpg

で、これがその伝承の井戸です。

いまも水が湧き出ています。

何の変哲もない、ただの古い井戸です。

石垣はきっと、当時のものではないでしょう。


e0158128_22315274.jpg

当時、井戸は集落ごとに共同で使われていたでしょうから、正成の産湯というよりも、この一帯で生まれた赤子の産湯は、おおかたこの井戸の水を使っていたのでしょう。

だから、正成がこの地に生まれたのであれば、ここが産湯だった可能性は十分にあるでしょうね。

『太平記』では、楠木正成は河内国金剛山の西、赤阪村水分(みくまり)山の井で生まれたと伝えており、楠木氏は橘諸兄の後裔としています。

吉川英治『私本太平記』でも、正成の生まれは水分としていますね。


e0158128_22341408.jpg

ただ、前稿でも述べたとおり、そもそも正成の生誕地は諸説あって、ここ水分の地に生まれたことを立証する史料はなにもありません。

もっとも、そう言ってしまえば身もふたもないんですけどね。

この地が楠公さんの生誕地とうたっている以上、ここは楠公産湯の井戸と言っていいでしょう。

まあ、話のネタですね。



「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

 ↓↓↓

太平記を歩く。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2017-02-25 00:09 | 太平記を歩く | Comments(0)