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太平記を歩く。 その96 「阪本城跡(大倉山公園)」 神戸市中央区

前稿で紹介した廣厳寺のすぐ北に、大倉山公園という市民憩いの場があるのですが、ここに、かつて楠木正成が築いた阪本城があったといわれているそうです。


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阪本城が築かれたのは、建武年間(1334年~1338年)だったと考えられているそうですが、詳しいことはわかっていません。

ただ、時期的に見て、「湊川の戦い」に何らかの役割を果たしていたと考えられるでしょうね。


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公園は高台になっており、現在は高層の建物によって遮られていますが、かつては海まで広く見渡せていました。

攻防戦にはもってこいの場所といっていいでしょう。

城といっても、たぶんのようなものだったでしょうから、あるいは、正成軍は野戦に敗れて阪本城に逃れる途中、このすぐ南の湊川神社か廣厳寺あたりで自刃して果てたのかもしれません。


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また、時代は250年ほど進んだ天正8年(1580年)、織田信長に反旗を翻した荒木村重が最後に籠城した「花隈城の戦い」のとき、織田軍の池田恒興がこの地に陣を布いたと伝わります。

時代は違えど、戦の砦となり得る場所は同じだったということですね。



「太平記を歩く。」シリーズの、他の稿はこちらから。

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by sakanoueno-kumo | 2017-08-01 23:58 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)  

二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その1

先日、発掘調査中の兵庫城跡の一般公開に行ってきました。

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これまで兵庫城は、おおまかな位置は想定されていましたが、古文書などの史料が残っていなかったため、詳しいことはわかっていませんでした。
この地は神戸中央卸売市場の跡地で、2009年に老朽化のため市場が移転したあと、神戸市から土地を買い受けたイオンモールが建設される予定でした(2012年には、一時的に大河ドラマの広報事業で、平清盛歴史館が建てられていた場所です)。
イオンモールの建設に入った2012年、同地から石垣の一部が見つかったため、イオンモールの協力もあって工事を延期し、発掘調査にあたってきたそうです。
その調査もこの2月で終わりだそうで、今回が最後の一般公開だと聞き、寒空のなか寸暇を惜しんで行ってきました。

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上の画像がグーグルアースの画像で、下の画像が元禄時代に描かれた『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』、そのクリーム色で塗られた部分が、今回の発掘現場です。
今では、兵庫新川運河で半分以上が水没してしまっていることがわかります。

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今回の調査で、かなり詳細に遺構が浮かび上がり、築城当初の構造まではっきりしたそうです。

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兵庫城は、天正9年(1581年)に織田信長の家臣だった池田恒興によって築城されます。
恒興は、以前の当ブログでも紹介しましたが(参照:荒木村重ゆかりの摂津路逍遥 その3 ~花隈城跡~)、信長に対して謀反を起こした荒木村重の籠もる花隈城を攻め落とし、その功により信長から兵庫の地を与えられますが、一部焼け落ちてしまった花隈城には入城せず、取り壊して兵庫城を築きます。
その際には、花熊城を解体した石材を使用したとの記録があります。

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写真は外堀内側の石垣です。
調査によると、内側の石垣は築城当初のもので、外側の石垣は、江戸時代に造られたものだとわかったそうです。
この石垣の中には、おそらく花隈城から移設された残材が含まれているのでしょう。

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こちらは外堀外側の石垣。
よく見ると、お地蔵さんの石が削られて使用されています。

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こちらを見ると、どう見ても天然石とは思えない四角い石があります。
これは、五輪塔の一部だそうで、つまり、墓石だそうです。

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外堀の幅は最も大きな所で18.5mあり、戦国時代の実戦的な城だったことがわかります。
兵庫城は、わずか1年半で建てられたといいますから、相当な突貫工事だったでしょうね。
恒興の次男で、のちに姫路城を今の規模に修築した池田輝政が、この築城にたずさわっています。
のちに城造り名人といわれる輝政ですが、このときは若干16才、おそらく彼の最初の作品が兵庫城だったのではないでしょうか。

長くなったので、明日に続きます。

二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その2
二度と見られない兵庫城跡を訪ねて その3

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by sakanoueno-kumo | 2015-02-04 22:21 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

荒木村重ゆかりの摂津路逍遥 その3 ~花隈城跡~

先日のつづきです。

尼崎城(大物城)を脱出した荒木村重は、嫡子の村次とともに花隈城に逃げ込みます。
花隈城は、花熊、鼻熊とも書かれ、現在の神戸市中央区にあります。
神戸の象徴であるポートタワーの真北あたりです。
この頃、花隈城は有岡城の支城として、荒木一族の荒木元清が城主を務めていました。
築城時期は諸説あるようですが、天正2年(1574年)頃、石山本願寺毛利氏に備えて、織田信長が村重に命じて築かせたといいます。

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現在、花隈城本丸跡には模擬石垣が築かれていますが、往時を類推するものではなく、単なる史跡っぽい演出施設です。
石垣の中は駐車場になっており、たしか1時間400円です(笑)。
村重もビックリでしょうね(笑)。

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石垣の上は公園になっていて、模擬天守台が築かれています。

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花隈城に逃げ込んだ村重でしたが、追撃してきた池田恒興、元助、輝政父子らに攻め込まれ、天正8年(1580年)7月2日に落城します。
その後、その恩賞として恒興に旧荒木領が与えられますが、のちに恒興は兵庫城を築城したため、花隈城は廃城となります。
現在、花隈公園には、「花隈城趾」と書かれた石碑が建っていますが、その筆は、池田恒興の子孫にあたる池田宣政公爵のものだそうです。
この碑は阪神・淡路大震災で倒壊してしまったそうですが、資料に基づき新たに模造されたものだそうです。

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わたしは、この近くに親戚の家があったことから、子供の頃によくこの公園で遊びました。
もう40年以上も前のことですが、その頃は、この城跡公園から南を見ると、模擬石垣より高い建物はほとんどなく、ポートタワーだけがそびえ立っていました。
ところが、いまはご覧のとおり、建物の間からなんとかタワーを探せる状態です。

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史料として残されている花隈城の絵図によると、城は大きく三つの郭に分かれ、現在の花隈公園は、本丸の東南にあたるそうです。
天守は西北隅にあったようで、その地には、現在は福徳寺があります。
その山門脇には、「花隈城天守閣之趾」と刻まれた石碑があります。

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村重の一連の戦いにおいて、物語などでは花隈城の戦いはほとんど描かれませんよね。
おそらくその理由は、ほとんど勝敗が決まった中での最後の悪あがきといった印象でしかなく、一瞬で片付けられたようなイメージでしかないからでしょう。
ところが、実際には、村重が花隈城に籠っていたのは約半年間で、池田恒興との戦端が開かれてからも、約4ヵ月持ち堪えているんですね。
尼崎城にいたのがわずか3ヵ月ほどだったことを思えば、花隈城は、なかなか堅固な城だったのかもしれません。
この場所で、村重は最後の望みをかけて援軍を待っていたのでしょうが、結局はそれも叶わず、この花隈城が文字どおり「最後の砦」となってしまいます。
まさしく、「兵どもが夢の跡」ですね。

(いまでは、このように高層マンションに見下されています)
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今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で、これまでになくフィーチャーされた荒木村重。
信長に反旗を翻した先見性のなさや、説得にきた黒田官兵衛を籠城したこと、妻子を見殺しにして逃げ出したことなどから、後世にあまり人気がありません。
しかし、一方で、ルイス・フロイスの著書のなかでは、きわめて穏和で陽気な人物として、たいへん好感を持って記述されている側面があります。
「その1」の稿で紹介した有岡城の惣構という城づくり、まちづくりから見ても、領民を大切にする、心優しい武将だったのかもしれません。
だから、信長の恐怖政治についていけなくなったのかもしれませんね。
そんなことを思い巡らせながら、村重ゆかりの史跡をめぐりました。
この辺で、このシリーズを終わります。

荒木村重ゆかりの摂津路逍遥 その1 ~有岡城跡~
荒木村重ゆかりの摂津路逍遥 その2 ~尼崎城跡~


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by sakanoueno-kumo | 2014-12-18 20:55 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)