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坂の上の雲 第12話「敵艦見ゆ」 その1 ~黒溝台会戦~

 沙河の線で戦線が凍結している。沙河とは、奉天の南およそ十キロを蛇行する河である。冬の満州平野の気温は平均して零下20度以下であり、体感温度は零下30度以下に下がることもあった。そんな中、日露両軍は長大な塹壕を掘り、柱を立て、その上に屋根をかぶせて掩堆(えんたい)にし、風雪と砲弾に堪えるようにしていた。「冬営」という軍事用語がこのとき初めてできた。

 日本軍の兵力は12個師団相当しかない。一方のロシアは17個師団を持ち、さらに大動員することで28個師団まで増やそうとしていた。この極寒の中、ロシア軍の総帥クロパトキンは、第二軍司令官グリッペンベルグ大将に押し切られるかたちで、攻勢に出ようとしていた。だが、日本の満州軍総司令部は、「ロシア軍が攻撃に出るなど、そんなばかなことがあるか。」という態度で終始した。理由は、「この厳寒期に大兵力の運動はとてもできるものでじはない。」というものであった。この考えは、満州軍総参謀長・児玉源太郎の懐刀ともいうべき参謀・松川敏胤大佐から出たものであり、児玉もそう信じた。だが、かつてロシア軍がナポレオンを撃破したのは冬季であり、かれらの運動は冬季において得意であるという伝統と習性に、二人は気づいていなかった。

 このとき日本軍の最左翼を受け持っていた秋山好古は、騎兵の本務である敵情捜索をさかんに行っており、ロシア軍の不穏な動きを察知していた。好古はそのことごとくを総司令部に再三報告していたが、松川敏胤は、また例によって騎兵の報告か、と、ほとんど一笑に付し、一度といえども顧慮を払わなかった。「ロシア軍が冬季に大作戦を起こさない」という、根拠皆無の固定観念にとらわれつづけていたのである。このときの松川、児玉の思考について、作者・司馬遼太郎氏はこう述べている。
 「戦術家が、自由であるべき想像力を一個の固定観念でみずからしばりつけるということはもっとも警戒すべきことであったが、長期にわたった作戦指導の疲労からか、それとも情報軽視という日本陸軍のその後の遺伝的欠陥がこのころすでに芽ばえはじめていたのか、あとから考えても彼ら一団が共有したこの固定概念の存在は不思議である。」
 さらには、こうも述べている。
 「その理由のひとつは松川たちの疲労にもよるであろうが、ひとつには常勝軍のおごりが生じはじめたためであろう。かつてはかれらは強大なロシア軍に対し、勝利を得ないまでも大敗だけはすまいと小心に緊張しつづけたころは、針の落ちる音でも耳を澄ますところがあったが、連戦連勝をかさねたために傲りが生じ、心が粗大になり、自然、自分がつくりあげた「敵」についての概念に適わない情報には耳を傾けなくなっていたのである。日本軍の最大の危機はむしろこのときにあったであろう。」

 「勝って兜の緒を締めよ」とはよくいったもので、その“常勝軍のおごり”が、このときより数十年後に、取り返しのつかない判断ミスを犯して無謀な戦争を引き起こし、日本本土を焼け野原にしてしまうのだが、それはこの物語よりずっと後年の話である。

 明治38年(1905年)1月、ロシア第二軍司令官グリッペンベルグは約10万人の大軍で日本軍最左翼への総攻撃を決行した。その再左翼を受け持っていた秋山好古率いる秋山支隊は、わずか8000人の兵で約30kmの戦線を守っていた。総司令部もこの攻勢に初めて反応を示し、一個師団を救援に向かわせることにした。わずか一万数千の援軍である。ロシア軍の作戦は沈旦堡黒溝台を撃砕して日本軍左翼に南下し、包囲作戦に出ようとするものであった。これが成功すれば、日本側は全軍が崩壊する。この時期、総司令部が握る総予備軍は弘前の第8師団だけだった。立見尚文中将率いる通称立見師団で、熊本の第6師団と並んで日本最強との呼び声高い師団である。この立見師団は戦略予備軍であり、満州における戦局の激しさの中で常に兵力不足に悩まされていた日本軍は、この戦略予備軍まで使わざるを得なかった。

 秋山好古は敵の怒涛の攻撃に耐えていた。その防戦に最も力となったのは、各拠点に数挺ずつ配置した機関銃であった。好古は懸命に防戦した。もはや戦術も何もなく、逃げないという単純な意志だけが戦闘指揮の原理となっている。その頃、秋山支隊の援軍として派遣された第8師団がロシアの猛攻に立ち往生しており、このことを知った総司令部の狼狽は極みに達した。この頃になってようやく総司令部もロシア軍が左翼を突破し包囲攻勢をかけようとしているということに気づき、さらに第2師団、第3師団の派遣を決定した。

 しかし、黒溝台に密集しているロシア軍は依然として活発であり、日本の諸隊がこれに接近すればそのつど猛烈な銃砲火で撃退された。この状況を打破したのは、立見師団の夜襲であった。師団の夜襲とは極めて難しいもので、通常行われないものだが、しかし、立見は夜襲の名人であった。立見師団は、おびただしい犠牲を払いながらも怯むことなく躍進し、黒溝台の奪還に成功した。このとき立見師団の受けた損害は死傷6248人(うち戦死1555人)というもので、一戦場で一師団が受けた損害としては、この時期までの世界戦史に類がないといわれる。それだけの犠牲を払いながら負けなかったのは、ロシア軍の退却によってである。

 この会戦をロシア側の戦史では「沈旦堡の会戦」といい、日本側では「黒溝台の会戦」という。この会戦に参加した日本軍の兵力は5万3800人であり、死傷9324人、ロシア軍は兵力10万5100人、損害は1万1743人であった。ロシアにしてみれば最大の勝機を逸したというべきであり、九割の兵力を残しながら退却したのは奇妙というほかない。この奇妙さはクロパトキンの命令によるものであった。司馬氏はいう。
 「この会戦は日本軍にとって決して勝利とはいえない。総司令部の作戦上の甘さと錯誤を、秋山好古や立見尚文の士卒が、死力をふるって戦うことによってようやく常態にもどすことができたというのが正確な表現であり、いわば防戦の成功であった。」と。

坂の上の雲 第12話「敵艦見ゆ」 その2 ~奉天会戦~
坂の上の雲 第12話「敵艦見ゆ」 その3 ~天気晴朗ナレドモ浪高シ~

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by sakanoueno-kumo | 2011-12-21 02:00 | 坂の上の雲 | Comments(2)  

坂の上の雲 第4話「日清開戦」

 好古は戦場においても指揮刀を使っている。指揮刀とはおもちゃのような刀身で、刃がなく、当然切れない。まわりの者は不安がったが、彼に言わせれば、指揮官の役目は個人で敵を殺傷するものではなく、一隊一軍を進退させて敵を圧倒することころにあり、個人としての携帯兵器はいらないという。理屈は通っているが普通は不安なのが当然だろう。
 好古は酒がよほど体にあっていたようで、かなりの酒豪だったらしく、戦場においても水筒に酒を入れてある。激戦になるとかならず飲む。のんで勇気をつけるというのではなく、飲んだからといって頭に血が上って景気づくというぐあいにはならず、ただ鎮静はするらしい。酒を飲むことによって平常の自分を維持することができるようである。
 しかし、この日清戦争の旅順攻撃での好古のとった行動はあまりにも無謀で、「蛮勇」という言葉が相応しかった。戦略的にはもっと早く退却するのが定石で、好古ほどの戦略眼をもった男がわからぬはずはない。このとき好古は酔いの限度を超えていたのではないかと、戦後ささやかれたそうである。
 司馬遼太郎氏は言う。
 「好古は同時代のあらゆるひとびとから、『最後の古武士』とか、戦国の豪傑の再来などと言われた。しかし本来はどうなのであろう。勇気はあるいは固有のものではなく、彼の自己教育の所産であったかのように思われる。」
 かつて好古は、弟真之にこんな言葉をいった。
 「うまれつき勇敢な者というのは一種の変人にすぎず、その点自分は平凡な者であるからやはり戦場に立てば恐怖がおこるであろう。しかし、そういう自然のおびえをおさえつけて悠々と仕事をさせてゆくものは義務感だけであり、この義務感こそ人間が動物とはことなる高貴な点だ。」
 秋山好古という人は、こうして己を教育し、豪傑な自分を育てていったのだろうか。

 子規の従軍記者としての渡海もまた無謀であった。彼の東京での保護者であり、彼の頼みならたいていのことは叶えてくれた陸羯南も、従軍については彼の身体を心配して首を縦にふらなかった。しかし最後には根負けしたようなかたちで従軍を認めることになる。このことが、子規の寿命を大きく縮めることとなった。戦場とはおよそ無縁なこの無邪気な文学青年も、当時の日本人のひとりとして、この従軍はよほど嬉しかったようで、
 「かへらじとかけてぞちかふ梓弓(あずさゆみ)
  矢立(やたて)たばさみ首途(かどで)すわれは」

という勇ましい短歌を詠んでいる。

 真之はこの日清戦争では、小さな巡洋艦「筑紫」の航海士として臨んでいた。主力艦隊ではないため、第二線での参戦にすぎず、たいした武功もないままに終わった。一度だけ敵の砲弾をくらった。敵の巨弾が爆発せぬままに筑紫の左舷から中甲板を貫いて右舷側へ飛び出し、そのまま海へ落ちた。いわば串刺しの目に遭ったが、このとき下士官、兵合わせて三名が命を落とした。血だらけになった甲板、肉や骨の飛び散った真紅の光景は彼の終生、その夢に見つづけたほどのショックをあたえた。喧嘩好きの真之は、これほどの闘争的性格に生れついていながら、人の死からうける衝撃が人一倍深刻な心を持ち合わせていたようである。「坊主になろうと思った。」と、のちに語っている。

 ドラマ中、自分は軍人に向いていないのではないかと悩む真之。
 「よき指揮官とはなんでしょうか。あしにはそれがようわからんのです。少将はご自分の出した命令を後悔したことはありませんか。」
 この日清戦争の、最初の砲門を開く命令を出した東郷平八郎に真之は問う。
 「おいも人間じゃ。そいはおはんと同じじゃ。悩みや苦しみと無縁ではなか。じゃっどん、将たるもの自分の下した決断を神の如く信じらんにゃ兵は動かせん。決断は一瞬じゃが、正しい決断を求めるならその準備には何年、何十年とかかろう。よか指揮官とは何か。犠牲になった兵のためにも、よう考えてほしか。」
 悩まない者はよき指揮官にはなれない。悩むことこそが、指揮官としての責務。のちに「智謀湧くが如し」と言われた真之は、この人の死に対する強烈なまでの感受性と、悩み苦しむことができる心が育てたものなのかもしれない。

 とにもかくにも日清戦争は、日本の歴史的勝利で幕を閉じた。このことが、のちの日露戦争そして昭和の大東亜戦争につながっていくことは、この時代にはまだ誰も知る由もない。


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by sakanoueno-kumo | 2009-12-21 03:37 | 坂の上の雲 | Comments(4)  

坂の上の雲 第3話「国家鳴動」

 子規が喀血した。肺結核である。当時、この病気は不治の病とされており、この病気にかかれば死を意識せざるを得ない。子規が最初に喀血したのは明治21年のことで、以後14年もの長い間、この病気と闘うことになる。雅号とした子規とはホトトギスの異称で、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えたものである。病になっても決して悲観的にはならない強さを持った彼だったが、残り少ない人生を急いでいたかのようには感じられる。苦労して入学した帝国大学を中退、陸羯南に頼って新聞「日本」に入社、執筆活動に没頭しだす。陸羯南という人物は、ドラマでは本話で初めて登場したが、原作では子規が上京した当初から彼の力となっている人物である。羯南の言論はのちに政府を震え上がらせるほどに鋭かったが、子規に対してはあくまで優しかった。羯南は子規という一個の才能のために自分が砥石になってやろうと、書物を貸したり、議論をしたりして子規の面倒をみた。子規も夏目漱石に宛てた手紙に「羯南のように徳のある人は類がない。」と書いている。いわば、子規の個人教師だったと、司馬遼太郎氏は言う。

 真之が鎮台さんと喧嘩沙汰を起こした場所は、旧松山藩政時代の水練用のプール「お囲い家」である。真之は松山に帰省すると必ずこの「お囲い池」に通った。この場所にいつも座っている番人のような老人がいた。水練神伝流師範正岡久次郎老人がそれであった。老人は死ぬまで曲げを結い、いつも袴をつけ、夏羽織を着、扇子を膝に立て、このプールを見守っていた。藩政が瓦解し、お役もお禄もなかったが、旧松山藩領での水練は自分が面倒を見なくてはという責務感があったのか、毎年夏が来ると、報酬もないのにこの場所に来ていたそうである。この正岡老人の努力もあって、松山の水泳は当時全国でも群を抜いて水準が高かったそうである。大正になってクロール泳法が入ってくるまでは、この神伝流が主だったらしい。

 このプールでの喧嘩沙汰と、そしてその後、父が警察と談判したエピソードは、真之の攻撃的な性格と、父の人柄を垣間見ることが出来るいい話である。このあとしばらくして父八十九翁は永眠する。息子二人は父の死に目は見ていない。父は最後まで父らしくあった。

 好古は平素、独身主義と語っており、それを自身の哲学としていた。軍人が所帯を持てば、判断や覚悟が鈍るといった考えからである。この時代、このような考えを持った軍人は少なくなかった。これは、お家第一とした封建時代の武士の心とは少し違ってきているようである。しかし、その好古も年貢の納めどきが来る。男にとって結婚=年貢の納めどき・・・などと誰が言い出したか知らないが、平成の現代では女性の方にその感が強いようである。しかし好古にとっては、結婚とはこの言葉がぴったりだったのかもしれない。

 好古の妻となったのは、以前の下宿先だった佐久間家のお姫(ひい)さま、名を多美という。佐久間家は旧旗本で、旗本といえば大名と同格、将軍家直臣で、大名の家来である秋山家などとは身分が違い、このときより二十数年前まではありえない縁談である。このドラマの第1話で、多美の乳母は好古・真之兄弟のことを「陪臣」と言ってさげすんでいた。多美自身も、そういうふうに教えられてきていたので、好古に対して好意は持っていたものの差別意識は多少あったようだ。縁談話があったとき、「陪臣のところに・・・。」と彼女は大まじめに驚き、「清水の舞台から飛び降りる気持ちで決心した。」と、後年になるまでそのときの動揺を子どもたちに語ったそうである。

「今でも茶碗ひとつでお暮らしですか?」
「いや、母と暮らしておりますけん、今はふたつほど・・・。」
「そうですよね(笑)」
「・・・もうひとつあっても、ええかもしれません・・・。」 
 独身主義で不器用なはずの好古にしては、なんとも粋な求婚の言葉だ。

 結婚式の活劇のような演出は面白かった。
「独身最後の砦も、ついに落ちたか!陸大一期生、これにて・・・・全滅っ!どぉーん!!」

 時代は日清戦争に向かおうとしていた。伊藤博文、陸奥宗光、川上操六、山県有朋、東郷平八郎、児玉源太郎。史実における様々な立場での主役たちが動き始める。


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by sakanoueno-kumo | 2009-12-14 02:23 | 坂の上の雲 | Comments(0)  

坂の上の雲 第1話「少年の国」

 「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」
 タイトルどおり「少年の国」だった明治初年の日本は、いわゆる「大人の国」である欧米諸国に懸命に追いつこうとしていた。それはちょうど思春期ぐらいの少年が、力もないのに大人の真似をし、ときには大人に反抗し、必死に背伸びをしている姿に似ている。大人たちから見れば滑稽にしか見えない彼らだが、当人たちは大真面目なのである。少年たちは知識も経験もお金も持っていないが、大人が失ってしまった夢や希望を持って目を輝かせている。明治の日本には、そんな少年のような目の輝きがあったと作者・司馬遼太郎は言う。

 その「少年の国」で自身も少年期を過ごした3人の主人公、秋山好古、秋山真之、正岡子規。彼らの生まれた松山県(のちの愛媛県)は、幕末、親藩・伊予松山藩として幕府側につき、長州征伐では先鋒を任され財政難の極致に陥り、大政奉還後は朝敵とされ、朝廷への恭順の証として財政難の中から15万両を献上して赦された。そんなわけで明治になっても財政難は続き、旧士族の家柄である彼らも極貧の生活を余儀なくされた。想像するに、平成の不況等とは比べ物にならないものだったであろう。

 しかし彼らには高い志があった。夢があった。希望があった。
「お豆腐ほどの厚みのお金をこしらえてくる。」といって自力で身を立てようとする、いかにも兄貴らしい好古。
「東京で勉強して太政大臣になってやる。」と、高い志を抱く秀才・子規。
「海の向こうにはわしらが知らんものが、ようけありそうじゃのう!」と、まだ目標が定まらないながらも、未来に大きな夢を求める真之。
 頑張ればどんな希望でも叶うかもしれないという、少年らしい純粋な心。国全体が少年だった明治の日本では、少年たちが夢や希望で大いに胸を膨らませられる時代だった。それは、国家として貧しいながらも列強諸国に追いつけ追い越せという、明確なビジョンがあったからなのだろう。
作者は言う。
「彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。」

 平成の若者たちは、夢や高い志を抱けているだろうか。明るい将来を見出せず、刹那的な生き方に見えるのは私だけだろうか。もしそうだとすれば、私たちの生きる平成の日本は、国家として晩年をむかえた「老人の国」なのかもしれない。


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 オープニングの渡辺謙さんの「司馬節」が、あまりに素晴らしかったので全文紹介します。

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
「小さな」といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。
陸軍も同様である。
財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。
四国は、伊予松山に三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコルサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、その中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。


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by sakanoueno-kumo | 2009-12-01 11:51 | 坂の上の雲 | Comments(0)  

坂の上の雲 キャスト&紹介

 NHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」が、今月29日からいよいよスタートする。原作は故・司馬遼太郎氏の長編小説で、舞台は明治中期から後期にかけて。放送は2009年から2011年の3年間、いずれも12月のみの放送で全13話、各90分の予定。明治維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの日本を背景に、四国・松山に生まれた秋山好古・真之兄弟と、俳人・正岡子規の3人を主人公にした物語である。欧米諸国に追いつこうとして近代化を推し進める生まれ変わった日本国で、田舎秀才だった彼らはそれぞれの夢を目指して懸命に生きる。国全体が、坂の上の空に浮かぶ雲(夢)に向かって近代化の坂を懸命に上っていた時代を、3人の若者を通して描いていく。そして舞台は日露戦争へ・・・。

 原作の故・司馬遼太郎氏は、同作品において「フィクションを禁じて書くことにした。」と言っている。物語中にある話は全て事実であり、それが事実であると確認出来ないことは描かなかったと主張している。今回のドラマ化では、その作者の意向は繁栄されているのだろうか。

 また、司馬氏は同作品の映像化を「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しているように誤解される。」として拒み続けていた。「なるべく映画とかテレビとか、そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。うかつに翻訳すると、誤解されたりする恐れがありますからね。」と述べている。司馬氏の作品は、過去大河ドラマにおいて「竜馬がゆく」「国盗り物語」「花神」「翔ぶが如く」「徳川慶喜」「功名が辻」と、6作品ものドラマ化が実現されているが、この「坂の上の雲」においては、作者の思いは他の作品とは違うようである。

 今回のドラマ化は、著作権を相続した夫人の許諾を得て実現したもの。作者の意に反しているかもしれないが、司馬遼太郎ファンとしては楽しみでならない。

以下、作品紹介。
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第1部(幕末〜19世紀末) 2009年放送
第1話 少年の国
第2話 青雲
第3話 国家鳴動
第4話 日清開戦
第5話 留学生

第2部(1901年〜1904年夏)2010年放送
第6話 日英同盟
第7話 子規、逝く
第8話 日露開戦
第9話 広瀬、死す

第3部(日露戦争)2011年放送
第10話 旅順総攻撃
第11話 二〇三高地
第12話 敵艦見ユ
第13話 日本海海戦

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●キャスト●
秋山真之・・・・・・・本木雅弘(少年期:小林廉)
秋山好古・・・・・・・阿部 寛(少年期:田中祥平 青年期:染谷将太)
正岡子規・・・・・・・香川照之(少年期:ささの貴斗)
松山の人たち
秋山久敬・・・・・・・伊藤四郎
秋山 貞・・・・・・・・竹下景子
秋山多美・・・・・・・松たか子
秋山季子・・・・・・・石原さとみ
正岡 律・・・・・・・・菅野美穂(少女期:吉田里琴)
正岡八重・・・・・・・原田美枝子
大原観山・・・・・・・真実一路
藤野 漸・・・・・・・・宝田 明
加藤恒忠・・・・・・・上村祐翔

陸軍関係
児玉源太郎・・・・・高橋英樹
乃木希典・・・・・・・柄本 明
乃木静子・・・・・・・真野響子
伊地知幸介・・・・・村田雄浩
大山 巌・・・・・・・・米倉斉加年
川上操六・・・・・・・國村隼
長岡外史・・・・・・・的場浩司
井口省吾・・・・・・・堤大二郎
藤井茂太・・・・・・・宮内敦士

海軍関係
東郷平八郎・・・・・渡 哲也
山本権兵衛・・・・・石坂浩二
八代六郎・・・・・・・片岡鶴太郎
広瀬武夫・・・・・・・藤本隆宏
島村速雄・・・・・・・舘ひろし
飯田久恒・・・・・・・蟹江一平
下村延太郎・・・・・松尾敏伸
永田泰次郎・・・・・頼三四郎
人見善五郎・・・・・大木 聡
志津田定一郎・・・高橋光宏
沓澤皆蔵・・・・・・・岩永ひひ男
飯牟禮仲之助・・・永井慎一
山本半次・・・・・・・赤木裕樹

政治家
伊藤博文・・・・・・・加藤 剛
高橋是清・・・・・・・西田敏行
山縣有朋・・・・・・・江守 徹
小村寿太郎・・・・・竹中直人
陸奥宗光・・・・・・・大杉 漣
井上 馨・・・・・・・・大和田伸也

明治天皇・・・・・・・尾上菊之助

文人たち
夏目漱石・・・・・・・小澤征悦
森 鴎外・・・・・・・・榎木孝明
高浜虚子・・・・・・・森脇史登
河東碧梧桐・・・・・大藏教義(少年時代:松川尚瑠輝)
寒川鼠骨・・・・・・・菟田高城
柳原極堂・・・・・・・伊嵜充則

東京大学予備門
清水則遠・・・・・・・菊地真之
井林広政・・・・・・・檜尾健太
菊池謙二郎・・・・・野呂朋大
関甲七郎・・・・・・・松村良太

ジャーナリスト
陸 羯南・・・・・・・・佐野史郎
深井英五・・・・・・・渡部賢治
熊谷直亮・・・・・・・神尾 佑

その他、諸外国のキャストは省略します。


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by sakanoueno-kumo | 2009-11-11 20:21 | 坂の上の雲 | Comments(2)