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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その25 ~常光寺・八尾城跡~

豊臣方の長宗我部盛親隊と徳川方の藤堂高虎軍が激突した八尾の戦いの激戦地に、常光寺という寺があります。
ここは合戦当時、徳川方の保護を受けていました。

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戦後、藤堂高虎は、この寺の本堂の北にある住職の居間(方丈)の縁側に、敵方の首級を並べて「首実検」をしたと伝わります。

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その縁板は、おびただしい血痕がついていたため、のちに方丈の西廊下の天井として貼り替えられました。
その天井は「血天井」と呼ばれたそうです。

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その血天井を見にここを訪れたのですが、残念ながら改修工事中で、中を見ることはできませんでした。
ただ、境内にある藤堂家家臣七十一士の墓には参れました。

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説明は石碑をお読みください。

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境内には、往時を知っているであろうか、大樹が・・・。

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常光寺のすぐ近くに、八尾神社があるのですが、その境内に、「八尾城址」と刻まれた石碑があります。
かつてこの辺りに八尾城(矢尾城址)があったと伝えられますが、織田信長の家臣となった切支丹武将の池田丹後守教正の居城だったという記録を最後に、史料が確認されていません。
したがって、八尾の戦い当時に城が残っていたかどうかはわかりませんが、あるいは、廃城となった八尾城がとして利用されていたかもしれませんね。

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前稿でも述べたとおり、八尾の戦いに勝利した長宗我部盛親はその後処刑され、長宗我部家は滅亡
一方、この戦いで壊滅寸前となった藤堂高虎は、その後、津藩初代藩主となって、藤堂家は幕末まで大名であり続けます。
運命ってわからないものですね。

まだまだ続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その1 ~三光神社(真田丸跡)~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その5 ~野田城跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その11 ~岸和田城跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その20 ~木村重成本陣跡・銅像~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その31 ~樋ノ尻口地蔵・全興寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その32 ~安藤正次の墓・願正寺~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その34 ~茶臼山古墳古戦場跡~
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大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その36 ~一心寺~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その37 ~玉造稲荷神社~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その38 ~方広寺大仏殿の梵鐘~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その39 ~淀殿の墓(太融寺)~
大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その40 ~伝・徳川家康の墓(南宗寺)~


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by sakanoueno-kumo | 2015-11-18 20:08 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

大坂の陣400年記念ゆかりの地めぐり その24 ~長宗我部盛親物見の松~

大阪府八尾市の久宝寺地区に、「長曽我部物見松遺址」と刻まれた石碑があります。
若江の戦いが行われた同じ日、豊臣方の長宗我部盛親隊と徳川方の藤堂高虎軍がこの地で激突しますが(八尾の戦い)、その戦いにおいて、長宗我部軍が藤堂隊の動静を探るために上ったと伝わる松の巨木が、かつてここにあったと伝えられます。

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現在は石碑樹齢若い松の木が植樹されています。

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長宗我部盛親は木村重成隊と共に中河内地区に出陣し、重成が若井へ、そして盛親は八尾に陣を布きました。
そこで、同じくこの地に進軍していた徳川方の藤堂高虎軍の左翼、藤堂高刑、桑名吉成隊と出くわし、そのまま激突します。

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このときの長宗我部隊の攻撃はすさまじく、藤堂高刑、桑名吉成は討死し、藤堂隊はほとんど壊滅寸前にまで追い込まれますが、そこに、若江方面での木村重成隊の敗報が届き、孤軍となることを恐れた長宗我部隊は、大坂城に撤退しました。

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写真はこの地区に流れる長瀬川
現在は見てのとおりの小さな川ですが、当時は川幅が180mほどある大河で、高い堤があったそうです。
長宗我部隊は、その堤の上に陣を布いたそうです。

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盛親はその後、翌日の最終決戦には出陣せず、大坂城京橋口を守っていましたが、豊臣方の敗北が決定的になると、「我ら運さえ良ければ天下は大坂たるよ」と言い残し、再起を図って逃亡しました。
しかし、武運は盛親に味方せず、ほどなく潜んでいるところを発見され、その後、見せしめのために二条城門外の柵に縛りつけられ、そして、豊臣家敗北から1週間後の慶長20年(1615年)5月15日、京都の六条河原で6人の子女とともに斬首され、三条河原に晒されました。
享年41歳。
兵どもの夢の跡です。

シリーズはまだまだ続きます。



大坂の陣400年記念大坂城攻め その10 ~豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地~

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by sakanoueno-kumo | 2015-11-17 20:29 | 大坂の陣ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)  

続、雨の紀の国、さくら舞い散る和歌山城。

一ヶ月以上経っちゃいましたが、先日、3日間ほど仕事で和歌山市を訪れていた際、寸暇を惜しんで和歌山城に行ってきました(参照:雨の紀の国、さくら舞い散る和歌山城なう!)。
この日は4月6日で、ちょうどが綺麗な時期だったのですが、残念ながらこの日は朝からガッツリ雨で、前日まで満開だった桜を一気に散らしてしまいました。

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和歌山城のある紀州藩は、徳川家康の十男・徳川頼宣を始祖とする徳川御三家のひとつで、8代将軍・徳川吉宗や14代将軍・徳川家茂を排出した名家ですね。
和歌山城と県庁の間の交差点には、吉宗の銅像があります。

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吉宗は、徳川の8代将軍として知られていますが、元々は紀州の2代藩主・徳川光貞の四男として生まれ、兄が相次いで亡くなるなどしたため、5代紀州藩主となります。その後、32歳で将軍に推され、30年近く将軍職を務めます。「享保の改革」を成し遂げた徳川将軍家、中興の祖として、後世に名高い名君ですね。

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「南海の鎮」として徳川御三家の一角をなす和歌山城ですが、元は豊臣秀吉の時代、天正13年(1585年)に羽柴秀長によって築城されました。築城を担当したのは城作りの名人として知られる藤堂高虎で、このとき「和歌山」という名称に改められたんだそうです。

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本丸御殿跡から撮影した天守です。
おそらくここからが最もきれいに撮影出来るポイントかと。
天守は弘化3年(1848年)に落雷によって焼失してしまい、嘉永3年(1850年)に再建された天守は、昭和20年(1945年)の和歌山大空襲で焼失するまで残っていました。

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和歌山城は、虎伏山の山頂部に天守曲輪本丸が並列された縄張りが特徴で、天守曲輪は、南東隅に天守、北東には玄関が付けられた小天守、北西隅には乾櫓、南西隅には、二の門櫓を多聞櫓で連結した姫路城伊予松山城と同様の連立式天守群です。

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天守からは市街地を360°見下ろすことができ、大パノラマが広がります。

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西の丸庭園(紅葉渓庭園)です。
その名のとおり、紅葉の季節に来ればきっと綺麗なんでしょうね。
この日はあいにくの雨で、片手に傘をさしながら片手で撮影していたので、ゆっくり庭園を散策する余裕はありませんでした。

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向こうに見えるのは、藩主の生活の場である二の丸と、紅葉渓庭園のある西の丸を行き来するために架けられた御橋廊下の復元です。

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実際になかを通ることができます。

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上の写真が坂の下から、下の写真は上からの撮影です。
上からの写真を見ると、床板にがついているのがわかるでしょうか?
おそらくこれは、急勾配の坂の廊下で滑り落ちないように工夫されているのでしょうね。
階段とは逆の段になっているので、歩くと角が足の裏を刺激して結構痛かった。
足つぼマッサージに最適です(笑)。

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外から撮影した御橋廊下です。
結構な傾斜でしょう?

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現存として残る貴重な岡山門です。↑↑↑
国の重要文化財に指定されています。

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本当はもっとゆっくり取材したかったんですが、仕事の合間だったことと、とにかく雨が激しかったこともあって、滞在は約1時間。
足早に歩き回っただけでした。
今度はもっと天気のいい日に、仕事ぬきで訪れたいと思います。
といっても、和歌山市って、神戸に住む私にとって同じ関西でありながら、なかなか縁がない場所なんですよね。
神戸から車で1時間ほどですから、来ようと思えばいつでも来れるんですが、いままで仕事以外できたことはなく・・・。
旅行となると、もっと南へ足を伸ばして、白浜とか那智勝浦とかまで行っちゃいますもんね。
和歌山市内に遊びにくるという発想になかなかならない(和歌山市に住む方々スミマセン)。
近くて遠い和歌山市です。


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by sakanoueno-kumo | 2013-05-18 01:50 | 和歌山の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)