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東北楽天イーグルスのリーグ優勝にみる、「戦闘型」「教育型」指揮官の適正。

東北楽天イーグルスが悲願のリーグ優勝を果たしましたね。
あの球界再編でチームが誕生してから9年、1年目のぶっちぎり最下位から思えば、あれから“たった8年”でよくここまで強くなったものです。
だって、100敗しそうなチームだったんですからね(笑)。
優勝の立役者は、なんといってもマー君こと田中将大投手だとは思いますが、でも、2008年に岩隈久志投手が21勝をあげて最多勝、沢村賞の活躍をしたにもかかわらずチームは5位だったことを思えば、エースひとりの力で優勝できるわけではないということがわかります。
今年はホント、バランスのとれた強いチームでした。

星野仙一監督は中日、阪神に続いて、これで3球団目の優勝監督ですね。
これは3人目の快挙だそうで、あとの2人は三原脩氏(読売、西鉄、大洋)と、西本幸雄氏(毎日大映、阪急、近鉄)という伝説の名将ですから、まさしく星野さんも伝説の域に達したということになります。
スゴイ人ですね。
ただ、興味深いのは、阪神も楽天も、星野さんの前に野村克也氏が監督をしているということ(楽天は1年だけマーティー・ブラウン監督を挟んでいますが)。
これって、やっぱ、ノムさんの種まきも少なからず貢献していると考えていいですよね。
いずれもノムさんで結果が出せなかったチームを星野さんが引き継ぎ、2〜3年でみごと優勝させていることから、巷では、「星野>野村」といった評価の声がときおり聞こえますが、それってちょっと短絡的すぎではないでしょうか。
万年最下位のチームを優勝させるのは容易なことではありません。
「種をまき、水をやり、花を咲かせる」
とは、ヤクルトの監督時代のノムさんの言葉ですが、まさしく、ノムさんが監督に就任したチームはいずれも万年最下位のリーグお荷物球団で、まずはその土台作りからでした。
ノムさんの土台作りがあってこそ、星野監督の活躍があるといえるのではないでしょうか。

といっても、なにも星野さんが「おいしいとこ取り」をしたと言ってるわけではありません。
指揮官には、「戦闘型」「教育型」があると思うんですね。
戦力が整っていないのに、いきなり「戦闘型」の指揮官が来ても空回りするだけだと思うし、まずは「教育型」の指揮官で土台をつくって、戦えるチームになった上で「戦闘型」の指揮官を招聘する。
かつて、広島、西武、ダイエーの3球団の監督を務めた根本陸夫氏は、いずれも監督として目立った成績は残せなかったものの、後任に戦闘型の監督を招聘して、いずれも数年以内に優勝させており、根本さんのチームの基礎をつくり上げる手腕は高く評価されています。
ノムさんは根本さんほど「縁の下の力持ち」というイメージではありませんが、ミーティングなどで野球頭を鍛える指導法から見ても、やはり「教育型」の監督さんだと思います。
星野さんは、誰が見ても間違いなく「戦闘型」ですよね(笑)。
そう考えれば、「星野>野村」なんて評価は間違いで、「野村→星野」のバトンタッチが、実に理にかなった人事だといえるのではないでしょうか。
これから監督になるであろう若い指導者の方々も、「教育型」か「戦闘型」かを見極めて、適正に招聘されれば、きっと力を発揮できるでしょうし、チームも強くなれると思うんですけどね。
星野仙一&野村克也に「あっぱれ」です。


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by sakanoueno-kumo | 2013-09-28 00:52 | プロ野球 | Trackback | Comments(2)  

「もしドラ」読記 その1 〜紙の辞書の持つセレンディピティ効果〜

e0158128_16363075.jpgいまさらですが、一昨年爆発的にヒットした岩崎夏海氏の著書「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」、いわゆる通称「もしドラ」を読みました。
なぜ今頃この本を手にとったかというと、一昨年から読もう読もうと思っていたものの、私の読書タイムは主に通勤電車の中のみで、他に読みたいと思っていた本がたくさんあったため、その優先順位に従っていつの間にか2年近く過ぎてしまっていたというわけです。
まあ、私は特に流行りモノに敏感な人間ではないので、本でも映画でも音楽でも、話題になっているときを過ぎてから接することは珍しくないのですが、さすがにこの本は書店で購入するとき結構はずかしかったですね(苦笑)。
だって、誰が見ても表紙ですぐわかる本ですから・・・。
おじさん、今ごろ「もしドラ」?・・・みたいな(笑)。
で、あまりにも有名になりすぎたこの作品ですから、いまさらその内容について説明することもないと思いますので、場当たり的に思いつくままを綴ってみたいと思います。

主人公・川島みなみの成功要因は、『マネジメント』に書いてあるマネジャーが野球部のマネージャーとは別のものだと気づいてからも、その理論を野球部のマネージャーに当てはめてみようと考えたことだと思いますが、それ以前にまず感心したのは、野球部のマネージャーになるにあたって、「マネージャー」という言葉の意味を調べたこと。
普通はそんなことしませんよね。
野球部のマネージャーといえば、洗濯したりボールを磨いたりといった雑用係という認識に普通は何の疑いも持たないでしょう。
しかし彼女は、まずはじめにその言葉の意味を調べるために家にあった広辞苑を開きます。
そこで、「マネージャー」という言葉には「支配人」「経営者」「管理人」「監督」という意味があることを知り、また、そのすぐ隣にあった「マネジメント」という言葉に出会うんですね。
もし彼女が広辞苑を開かなければ、「マネジメント」という言葉にも、ピーター・F・ドラッカーの著書にも出会うことはなかったかもしれません。
野村克也氏の名語録に「先入観は罪、固定観念は悪」という言葉がありますが、人は賢くなればなるほど、先入観や固定観念に縛られるものだと思います。
その意味では、彼女は「マネージャー=雑用係」といった固定観念にとらわれなかったことが、最大の成功要因といえるでしょう。

もうひとつ、この点で面白いのが、辞書の持つセレンディピティ効果です。
セレンディピティとは、思わぬものを偶然に発見する才能、あるいは偶然に発見したものをとらえて幸運に変える力、といった意味の言葉です。
目的の言葉とは違う言葉に目がいき、「この言葉にはそんな意味があったのか」と発見する。
誰でも一度や二度は経験したことだと思いますが、これこそ、紙の辞書の持つ面白さですよね。
昨今主流となりつつある電子辞書では、このような「偶然の発見」は起こりづらいでしょう。
作家の故・三島由紀夫氏は、子供の頃の愛読書は辞書だったそうで、それが彼の豊富なボキャブラリーの源だったと聞きますし、それとは比べ物にはならないにしても、なんとなく辞書を引いて、目的がないまま次から次へと目が移っていって、気がついたら結構時間を費やしていたといった経験がある人は少なくないんじゃないでしょうか。
ネットサーフィンならぬ辞書サーフィンとでもいいましょうか・・・。

辞書のなかでの「偶然の出会い」から始まった物語。
作者が意図していたかどうかはわかりませんが、電子辞書では決して始まらなかったセレンディピティが、この物語の面白さでもあるように思います。
昨今よく言われるところですが、もう一度、紙の辞書を見直してみる必要がありそうですね。

長くなっちゃったので、明日に続きます。


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by sakanoueno-kumo | 2012-05-30 16:56 | 映画・小説・漫画 | Trackback | Comments(0)  

遅すぎた松井秀喜選手の日米通算500本塁打に思う。

MLBアスレチックス松井秀喜選手が、日米通算500本塁打を達成しました。
日本プロ野球史上9人目の偉業で、立派といえば立派なんですが、松井選手の持つ本来の力でいえば、遅すぎる500号と思わざるを得ません。
NPB読売ジャイアンツ時代の10年間で332本塁打を記録したことを思えば、メジャー9年目で168本塁打という数字に不満を抱くファンは多いと思います。
打席数から考えて、膝のケガを考慮したとしても、あと60~70本は上にいっていないと・・・(張本勲氏は100本少ないと辛口のコメントをされていました)。
打率や打点、安打数などは、日本時代と比べて遜色ない数字を渡米後も残していますから、明らかに本塁打だけが減ってしまったわけです。
日本一の長距離打者が渡米して中距離打者になってしまった・・・というのでは、日米の実力差を見せつけられているようで、不満を感じてしまうのは私だけでしょうか。



☆日本人通算本塁打ランキング(2011年7月21日時点)
王 貞治  868本
野村克也  657本
門田博光  567本
山本浩二  536本
清原和博  525本
落合博満  510本
張本 勲  504本
衣笠幸雄  504本
松井秀喜  500本
10 大杉勝男  486本

日本時代の松井選手の成績からいえば、世界記録保持者の王貞治氏には及ばないにしても、2位の野村克也氏の記録には届くんじゃないかと期待していた人は多かったんじゃないでしょうか。
その辛口で知られるノムさんも、松井選手の才能はルーキー時代から高く評価していましたし、川上哲治氏や青田昇氏などといった重鎮の評論家でさえも、入団当初から「王貞治より上」と絶賛していました。
その王貞治氏自身も、「自分の記録に迫るとしたら、松井君しかいない。」という旨のことをいっておられたと記憶しています。
野球ファンのみならず、玄人目から見ても高い評価だった松井選手の長距離打者としての才能。
正直、こんなもんじゃないだろう・・・と、いいたくなるのは、私だけではないと思います。
日本一のアベレージヒッターイチロー選手が、誰もが認める世界一のアベレージヒッターになったことを思えば、日本一のホームランバッターの松井選手も、このまま尻すぼみに終わってほしくはないですね。
現在37歳の松井選手ですが、もう一度ホームランにこだわって、あと50本・・・いや、できればあと100本ぐらい、あの弾丸ライナーでスタンドに突き刺さる彼のホームランを見たいですね。


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by sakanoueno-kumo | 2011-07-21 16:38 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

岩瀬仁紀投手に日本記録達成にみる、先駆者・江夏豊投手の存在。

中日ドラゴンズ岩瀬仁紀投手が、通算287セーブ日本最多記録を達成しました。
プロ13年目、通算705試合目の登板での記録達成だそうです。
前記録保持者は、元ヤクルトスワローズのストッパー・高津臣吾投手。
ただ、これはあくまでNPB(日本プロ野球)での数字で、高津投手は途中MLB(メジャーリーグ)でも27セーブ、日本球界引退後はKBO(韓国野球)でも8セーブ、CPBL(台湾野球)でも26セーブを記録していますので、通算でいえば347セーブになります。
その上には、元横浜ベイスターズ佐々木主浩投手が、NPBで252セーブ、MLBで129セーブの、日米通算381セーブという驚異的記録があります。
特に佐々木投手の場合、横浜ベイスターズとシアトルマリナーズという、いってみれば弱小チームに在籍し、ストッパーは基本的にリードした展開でしか登板しないということを考えれば、彼の記録がいかにスゴイかがわかります(実際に登板試合数は、岩瀬投手や高津投手より少ない、667試合)。
いや、別に岩瀬投手の記録に文句をいうつもりじゃないですけどね。
ただ、「次は前人未到の300セーブだ!」なんて新聞記事を見ると、なんだかなぁ・・・と。

上記の3人や、現在、阪神タイガースで活躍中の藤川球児投手などは、比較的若い時期からストッパー(クローザーともいいますね)のポジションを務めていますが、一昔前までは“抑え投手”というと、先発で通用しなくなった投手のポジションという観が否めませんでした。
そのため活躍年数も少なく、当然、彼らのような記録の達成は不可能だったわけです。
もっと昔でいうと、“抑え投手”という考え方自体が存在せず、先発投手が崩れたあとは、後ろへ行けば行くほど質が下がっていったもの。
そんな日本のプロ野球界に、最初に“抑え投手”のシステムを確立したのは、かの野村克也氏、そして江夏豊投手でした。

江夏豊投手といえば、阪神タイガース時代、2度の最多勝利と5度の最多完封勝利、6年連続の最多奪三振と、まさに球界のエース的存在でした(たしか、20世紀のベストナインにも選ばれていましたよね)。
そんな彼でしたが、30歳が見え始めたあたりから肘・肩の故障に苦しみ、成績は下降、南海ホークスに移った1年目も、血行障害心臓疾患などで長いイニングを投げられず、思うような成績が残せませんでした。
そこに目をつけたのが、当時、南海ホークスのプレイングマネージャーだった野村克也氏。
衰えたとはいえ抜群の制球力は健在で、短いイニングならまだまだ通用すると考えた野村監督は、何度も江夏投手にリリーフへの転向を打診したそうです。

当時、既にメジャーリーグではストッパーという役割が出来始めていたそうですが、日本のプロ野球には、“八時半の男”といわれたリリーフ(救援投手)はあったものの、先発投手に比べてリリーフ投手の地位は低く、ストッパーという役割も認知されていませんでした。
そのため、プライドの高い江夏投手は、頑なに拒み続けていたそうです。
そんな江夏投手の心を動かした野村監督の言葉。
「大リーグのように、これからのピッチャーは、絶対に分業制になる。おまえは、リリーフの分野で先駆者として、日本の野球に革命を起こしてみんか。」
この、“革命”という言葉に江夏投手はたいそう感動したそうで、リリーフ転向を決意、その後、日本ハムファイターズ広島東洋カープと渡り歩き、5度のセーブ王、2度のMVPに輝き、通算193セーブをあげ、日ハムと広島では優勝にも貢献、“優勝請負人”とも呼ばれました。
野村監督の言葉は、まさに“殺し文句”だったわけですね。

リリーフエース江夏の成功によって、各球団とも次々にストッパー制度を導入していきましたが、当時の日本にはリリーフ専門投手の調整法というものが確立されておらず、ずっとベンチに座って待機していることが腰痛持ちの江夏投手には辛かったことから、メジャーリーグでのリリーフ投手の調整法などを独自に調べ、自己流の調整を始めたそうです。
試合が始まっても5回までベンチに入らず、ロッカールームでマッサージを受けたり睡眠を取ったりする調整法は、当時チーム内や球界で非難を浴びたとか。
しかし、今日ではこの調整法が、リリーフ投手のコンディション維持方法として定着しているそうです。
やるからには、自分の仕事に誇りを持って臨み、研究し、その先駆者となった江夏豊投手。
野村監督の言葉どおり“革命”を起こしたわけです。
岩瀬投手や高津投手、佐々木投手の活躍も、江夏投手あってのことといっても過言ではないように思います。

江夏豊投手・・・記録にも記憶にも残る、偉大なストッパーです。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-17 17:47 | プロ野球 | Trackback | Comments(4)  

阪神タイガース歴代ナンバーワン捕手・矢野燿大選手引退。

 阪神タイガース・矢野燿大選手の引退セレモニーが、甲子園球場で行われました。リーグ優勝に一路の望みを残しているタイガースにとって、今日はどうしても負けられない試合。矢野選手の出番を作るには、早いイニングで勝ちを決めて、余裕のある状況を作らなければなりませんでした。3対1とタイガースの2点リードで迎えた9回表、決してセーフティリードとはいえないものの、おそらく2アウトランナー無しの形を作れば、最後の1人の場面で矢野捕手のマスクという絵は描けてたと思います。が、残念ながら、そうはならなかったばかりか、痛恨の逆転3ランを浴びるという、最悪のシナリオとなってしまいました。打たれたのは守護神・藤川球児投手で、勝ちゲームの最終回のマウンドに彼が立つのは当然の策なわけで、それで負けたのだから誰も責めることは出来ないわけですが、本塁打を打たれる前の2つの四球が、もし、矢野捕手を出場させるために打たれたくないという力みから来たものだったとすれば、それは本末転倒のような気もします。引退試合である矢野捕手の出場はファンの期待するところでしたが、優勝争いをしているタイガースにとっては何より勝利が最優先であるべきだったわけですから・・・。結局、矢野捕手の引退試合を勝利で飾ることが出来なかったばかりか、タイガースのマジックは消滅、逆にドラゴンズにマジック1が点灯するという、なんとも後味の悪い試合となってしまいました。

 矢野燿大選手は、1990年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受け入団したものの、当時のドラゴンズには中村武志選手という絶対的な正捕手がいて、控え捕手でしかありませんでした。一時は打撃を買われ外野手に転向したこともあったようです。1997年のオフ、トレードでタイガースに移籍。そこから彼のプロ野球人生が始まったといっても過言ではないかもしれません。移籍後2年目には、野村克也監督との出会いがあり、のちに「いまの僕があるのは、野村監督の教えがあったから。」と彼自身が語っているように、そこで捕手としての頭脳を徹底的に磨かれ、今世紀に入ってからはセ・リーグを代表する捕手となりました。ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞2回、オールスター出場7回、日本シリーズ敢闘賞1回と、その記録を見ても、まぎれもなく、阪神タイガースの歴代ナンバーワン捕手といっていいのではないでしょうか。

 試合後のセレモニーで矢野選手は、「ファンのみなさんに感謝、感謝、感謝です。」と涙を浮かべて語っていました。9月初めの引退発表の記者会見で、「まさかこの年まで野球ができるとは・・・何年でクビになるのかな、というところからスタートして、タイガースでこんないい思いができるとは思いませんでした。」と語っていた彼にとって、この感謝の言葉は本当に心から出た言葉なのでしょうね。今シーズン、城島健司捕手の獲得が決まったとき、今日のこの姿はなんとなく想像できてしまいました。ケガが引退の理由ですが、ケガがなくともこの日は来たかもしれませんね。実力勝負の世界ですから・・・。しかし、田淵幸一捕手が退団して以来、20年以上定まらなかったタイガースの正捕手の座に何年もすわり、2度のリーグ優勝という強いタイガースの復活を牽引したのはまぎれもない事実で、私たちタイガースファンにとっても感謝の気持ちでいっぱいです。「皆さんの前に戻ってこられるように勉強してきたい。いつの日か、この甲子園で会いましょう。」と語っていましたが、その言葉どおり、指導者として、または監督として、縦じまのユニホーム姿を見せてほしいものです。

 矢野燿大選手、本当にお疲れ様でした。


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by sakanoueno-kumo | 2010-09-30 23:43 | プロ野球 | Trackback | Comments(4)  

野村克也の名言 その3

 先頃、ノムさんこと野村克也氏にプロ野球コミッショナーより功労賞が贈られたそうである。今期、楽天を率いてパ・リーグを大いに盛り上げたことと、長きに渡ってのプロ野球界に対する功績を称えてのこと。ご本人は、「10年遅いんじゃない。今ごろ何だ、という感じ。」などといつものボヤキっぽい野村節を吐いて会場を沸かせていたようだが、さすがに嬉しそうで「現場を離れるので、おみやげだと思ってありがたく頂きます。」と照れながら語っていた。本当にこれでユニホーム姿を見ることもないのかと思えば、残念な限りである。

 ノムさんの功績といえば、選手時代の輝かしい実績や、監督時代の5回のリーグ優勝や3回の日本一などよりも、その最も称えられるべきは、球界に残した野村イズムとそれを継承した選手たちであると私は思う。彼を師と仰ぐ選手や指導者は数多く、次世代の指導者の中で「野村イズム」は生き続けていくことだろう。

   財を遺すは下、
     仕事を遺すは中、
       人を遺すは上なり。


 この言葉もノムさんが常日頃から口にしている言葉である。金を稼いだだけでは下人、実績を残してもまだ凡人、人を育ててこそ初めて立派な人といえる。なるほどそのとおりで、胸に留め置きたい言葉である。

 この言葉は、明治・大正の政治家・後藤新平の残した言葉だそうで、次のように続くそうである。
  財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり。
  されど、財なくんば事業保ち難く、事業なくんば人育ち難し。

 結局は金がなければ始まらない・・・と、妙に現実的にトーンダウンするのだが、要は「金や実績を目標に生きてはいけない。」ということだろう。金を稼ぐだけの人が賤しいという意味ではなく、財を成したなら次は実績を目指し、実績を遺したなら次は人材を遺すことを常に考えていかなければならない・・・ということ。人を育てることの、得て・不得手に関わらず、地位と名声を手に入れた人の責務である・・・との言葉ではないだろうか。

 この言葉でいえば、イチロー選手も松井秀喜選手もまだまだ現段階では「中」ということになる。彼等ほどの実績を遺した人物は、向き・不向きに関わらず、将来人材を育てることに尽力せねばならない責務がある・・・ということだろう。

野村克也の名言 その1
野村克也の名言 その2

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by sakanoueno-kumo | 2009-11-19 15:56 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

野村克也の名言 その2

 野村克也氏のプロ野球人生は、選手生活27シーズン、監督生活24シーズンの実に43シーズンにも及んだ。(内8シーズンは選手兼監督)   ただ長くいただけではなく、選手としては三冠王1回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP1回と、球史に残る名プレーヤーとしてその名を残し、監督としてはリーグ優勝5回、日本一3回と、名監督という名に相応しい結果を残した。

 長きにわたり勝負の世界に身を置いてきたノムさんスピリッツのあまりにも有名な言葉。

  勝ちに不思議の勝ちあり
  負けに不思議の負けなし


 「理由もなく勝つことがあるので、勝ったからと言って自分の実力だと思うな。理由も無く負けることはないので、負けた理由を理解し、今後に活かせ。」といったところだろうか?
 この言葉はノムさんの創作ではなく、江戸時代の肥前平戸藩主・松浦静山の言葉を借りてわかりやすくしたものだそうである。しかしノムさんによって有名になった言葉には違いない。勝っても驕ることなく己を戒め、負けたら敗因を探し自己研鑽に努める、というサムライスピリッツの言葉である。

 私たち凡人は、成功すれば自分の力だと思い、失敗すれば何かの責任にしたくなるもの。しかし、よく考えればこの言葉どおり、うまくいっているときは往々にして何らかの追い風が吹いているものだし、失敗したからといって他の何かの責任にしていたら成長しない。実にもっともな言葉で、野球のみならず私たちの人生にも役に立つ考えだと思う。

 先頃大勝した民主党、大敗した自民党にもあてはまる言葉ではないだろうか。


野村克也の名言 その1
野村克也の名言 その3

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by sakanoueno-kumo | 2009-11-06 18:45 | プロ野球 | Trackback(2) | Comments(0)  

野村克也の名言 その1

 東北楽天イーグルスの2009年が終わった。4年間指揮をとった野村克也氏の楽天監督姿も見収め。今後の去就が注目されるところだが、何といっても御歳74歳。ご自身はまだまだ現役モードだが、このまま他の球団からのオファーがなければ、長きに渡ってプロ野球界を盛り上げてくれた野村克也氏のユニホーム姿も見収めになる。

 クライマックスシリーズ第2ステージで日ハムが楽天を下し日本シリーズ進出を決めたこの日の試合後、両チーム入り混じって野村監督の胴上げが行われたそうである。少し前までは「憎まれっ子世にはばかる。」の代名詞のような生き方だったノムさん。しかしいつの頃からかファンにもマスコミにも親しまれるキャラに変貌を遂げ、野村塾の門下生を数多く球界に輩出し、多くの人たちから惜しまれる終焉となった。
 かつては三冠王になっても陽の当らない自分を卑下し、
「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」
と言っていたこともあった氏だが、なんのなんの晩年のあなたは花畑一背の高いひまわりでした。歳をとればとるほど輝きが増す人・・・こんな幸せな人生はそうはないんじゃありませんか?

 野村克也といえば、野球選手並びに監督としての輝かしい実績も然ることながら、数々の名言・珍言・失言・暴言で私たちファンを楽しませてくれた。近年のノムさんは、それを皆が期待していることを楽しんでいるかのように思えた。でもそれはボキャブラリーが豊富でなければ出来ないこと。無類の読書家だというノムさんには、野村IDと言われた緻密なデータ野球とは別に、野村哲学といった精神論があり、そこから生まれた数々の名言は一般企業の社員研修などにも用いられるそうである。
 
 そのもっとも代表的な名言。有名な野村ノートに記されている言葉である。

   考えが変われば意識が変わる。
   意識が変われば行動が変わる。
   行動が変われば習慣が変わる。
   習慣が変われば人格が変わる。
   人格が変われば運命が変わる。
   運命が変われば人生が変わる。


 もとはヒンズー教にある言葉をノムさんなりに解釈した信条だそうである。プロ野球選手は皆、野球のエリートたちであり、自分なりのポリシーがあり、ともすれば自分の考え方に固執してしまいがちなものかもしれない。しかし新しい自分を見出そうと思えば、まずは考え方から変えねばならない。意識が変われば取り組みが変わり、やがてプレーも変わる。この信条で野村監督は多くの沈みかけていた選手を蘇らせた。これは何も野球に限ったことではない。頑張っているつもりなんだけどなかなか結果に結び付かない。自分の力に限界を感じている。目標はあってもプロセスがわからない。そんな人は、一度この言葉を噛みしめてみてはどうだろうか・・・。

 ノムさんの名言はまだまだあるが、長文になってしまったのでまた次の機会に。
何はともあれ、野村監督、お疲れさまでした。長い間楽しませていただきありがとうございました。

野村克也の名言 その2
野村克也の名言 その3


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by sakanoueno-kumo | 2009-10-25 00:34 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

金本知憲という男。

どう形容したら良いか言葉が見当たらない。
一昨日に続いて、今日も3打席連続本塁打を記録した金本知憲。
ここまで7試合を消化して、31打数17安打21打点17本塁打、打率はなんと驚異の6割7厘。
ここ3試合で見てみると、9打数8安打12打点6本塁打、打率8割8分8厘。
約半月前、イチローに降りてきた「野球の神様」が、今は金本選手に降りてきているよう。

現在41歳。
35歳を過ぎてから、年々進化し続けているように思える金本知憲。
野球選手の場合、35歳から40歳の間でほとんどの選手が選手生命に幕を閉じる。
あの長嶋茂雄氏や王貞治氏でも例外ではない。
野村克也氏や落合博満氏は40代半ばまで現役を続けたものの、全盛期のそれではなかった。
金本選手は、ただ長く現役を続けているわけではない。
実績にしがみついているわけでもない。
今もなお向上し続けているのだ。
発展しているのだ。
常識を覆しているのだ。

一般社会の人間であれば、41歳といえばもっとも働き盛り。
サラリーマンでいえば会社の中軸、クリーンナップといったところだろう。
職人さんでいえば経験と知識が揃ってもっとも頼りになる年代。
いろんな世界で社会の中心となる年齢。
体力勝負のスポーツ選手の世界においても、体のケア次第ではまだまだ働けるということを身をもって実行してくれている。
これからの20代30代の若いスポーツ選手たちにとっての道しるべになるだろう。
まだまだ進化し続けてほしい。


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by sakanoueno-kumo | 2009-04-11 00:23 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)  

金本知憲氏「覚悟のすすめ」を読んで

阪神タイガース金本知憲氏の著書「覚悟のすすめ」を読んだ。
私は読書が好きで常に継続して何か本を読んでいるが、そのほとんどが小説類でこの種の本はめったに読まない。
ただ今回、知人に強く勧めらたこともあり、ちょうど最近こむずかしい本ばかり読んでいたので、息抜きのつもりで読んでみた。(私は阪神ファンでもあるし。)

あまり人を褒めないとされる、現・楽天監督の野村克也氏をして、 「4番バッターは育成はなかなかできない。現在の球界で真の4番バッターというのは阪神の金本を除いて他にいない」と言わしめる人物の心中というのにも興味があった。

e0158128_2313969.jpgタイトルのとおり精神論を綴った内容である。
ただ私の思う「覚悟」と、金本氏のいう「覚悟」は違っていた。
私の思う「覚悟」とは、抜き差しならない境地に置かれたときに腹を据えて掛かる気持ちというような、一種の「ひらきなおり」の境地を指すものと考えていた。
金本氏のいう「覚悟」とは、「準備」であると語っている。
野球選手に限らず、会社であっても家庭であっても、何か問題が起こったときにどうにもならなくなるのは、事前の「覚悟」=「準備」が足りないからだと語る。
つねに最悪の状況を意識的に想定し、絶対に気持ちがブレないよう、崩れないよう、前もってそのための準備をし、覚悟を決める。
「準備なくして覚悟は決められない。」ということである。
彼の鍛え上げられた強靭な肉体はその「覚悟」の賜物なのである。

非常に平易な言葉で書かれているので中学生くらいでも十分理解できる内容。
来年高校受験を迎える息子にも読まそうと思う。
受験を迎える「覚悟」を決めてもらえるよう・・・。

by sakanoueno-kumo | 2009-01-22 23:15 | プロ野球 | Trackback(1) | Comments(0)