「ほっ」と。キャンペーン

タグ:阪神・淡路大震災 ( 23 ) タグの人気記事

 

阪神・淡路大震災から22年、いま思うこと。

本日1月17日は、わたしたち神戸市民にとって忘れることのできない阪神・淡路大震災の発生した日。

6,434人の方が亡くなられ、3人の方が行方不明になったあの震災から、今日で22年の年月が過ぎました。

そして、私事ながら今日はわたしの誕生日でもあります。

震災当日、28歳の誕生日だったわたしは、今日でとうとう50歳の大台を迎えました。

当時、バリバリの青年(?)だったわたしも、もう初老です。

あのとき生後4か月だったわが家の愚息も、この春、大学を卒業して社会人になります。

それだけ長い年月が流れたってことですね。


e0158128_21281502.jpg

上の写真は神戸市灘区に西灘公園内にある慰霊碑です。

神戸市内には、いたるところにこのような碑が建てられています。

その数、230を超すとか。

写真は今日の昼過ぎに撮影したものですが、震災記念日ということもあって、花が供えられていました。

普段、ここを通っても慰霊碑を気に留めることはありませんが、今日は別ですね。


さすがに20年以上も経つと、普段の生活のなかで震災のことを思い出すことはほとんどあまりありません。

まあ、それが年月の流れってやつでしょうから、無理に忘れないように努める必要は、わたしはないと思っているのですが、ただ、ひとつ節目として、今日1月17日だけは、当時を振り返る日であればいいと思います。

今日だけは、6,434人を追悼し、あの日幸運にも命を落とさずに今に至ることを感謝し、当時のことを語るべき日なのかなあと。

そう思いながら、毎年1月17日はブログを立ち上げています。


6,000人の以上の方の命日と同じ日になってしまったわたしの誕生日ですが、そのおかげで、いつまでも震災のことを忘れることが出来なくなりました。

わたしの誕生日は、立ち止まって思いを馳せる日です。


過去8年間の1月17日の拙稿です。

よければ一読ください。

    ↓↓↓

阪神・淡路大震災から21年、震災記念日の備忘録。

阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。

阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。

阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。

阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。

誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。

今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。

震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。


ブログ村ランキングに参加しています。

よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。

   ↓↓↓

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


[PR]

by sakanoueno-kumo | 2017-01-17 21:37 | 日常 | Comments(0)  

真田丸 第29話「異変」 ~秀吉の認知症説と慶長伏見地震~

e0158128_20022019.jpg 豊臣秀吉が急激に老いはじめましたね。秀吉の晩年の病状については様々な説がありますが、今回のドラマでは、どうやら認知症を患っている様子です。秀吉が認知症だったのではないかという見方は実際にあって、その説によれば、ドラマで描かれていた失禁も、その症状のひとつだとされます。他にも認知症の症状として、千利休の死後数年経ってからの秀吉の書簡のなかに、「昨日、利休の茶にて御膳も上がり、面白く芽出度く候まま、御心易く候べく候」と書かれていることや、伏見城築城に際しても、普請役の前田玄以宛の書簡のなかで、「伏見の普請の事、利休に好ませ候て、懇ろに申し付けたく候」と、伏見城を利休好みで設計せよと命令していることなどがみられ、これらを秀吉が認知症を患っていた証拠としています(別の見方では、この書簡は利休を殺してしまったことへの後悔の念とするのが一般的です)。認知症だったと考えれば、晩年の秀吉の奇行が、すべて説明がつくというんですね。


 この説に従えば、この翌年から始まる「慶長の役」も、認知症が原因だったことになります。だとしたら、大名たちはたまったもんじゃなかったでしょうね。「認知症」という医学的見地は当時なかったにしても、「老人ボケ」という症状は当時の人も認識していたはず。もし、認知症説が事実なら、石田三成ら奉行衆が秀吉を制止したと思うんですけどね。


 慶長伏見地震が起きたのは文禄5年(1596年)閏7月13日。子の刻と伝わりますから、深夜0時前後の人々が寝静まった時間帯でした。地震の規模は六甲・淡路島断層帯を震源としたマグニチュード7以上と推定されているそうで、その約400年後の平成7年(1995年)1月17日に起きた阪神・淡路大震災によく似た地震だったと考えられているそうです。なんでも、その阪神・淡路大震災は、慶長伏見地震で破壊された六甲・淡路島断層帯における地下深くの滑り残しが原因で発生したとする説が発表されたのだとか。ということは、阪神・淡路大震災は慶長伏見地震の余震?・・・まあ、地球規模でみれば、400年なんて一瞬の時の流れなのかもしれませんが、つくづく、日本の歴史というのは地震と背中合わせなんですね。


慶長伏見地震による死者1000人を超えたといわれ、完成したばかりの伏見城天守もこの地震により倒壊し、城内だけで600人が圧死したと伝えられます。ドラマで、伏見城普請中の真田昌幸が本丸近くの木幡山出城を置くというアイデアを出していましたが、実際には、震災後に再建された伏見城の場所が木幡山になります。これが、現在、伏見桃山城公園として模擬状があるところですね。


一方、慶長伏見地震によって倒壊した最初の伏見城は、木幡山の南西にあったとされていましたが、地震後すぐに埋め立てられたため、その所在すらはっきりしない伝説の城でした。ところが、平成27年(2015年)、京都市伏見区桃山町のマンション造成地から石垣や多数の金箔瓦片が出土し、最初の伏見城の存在が正式に確認されたそうです。2015年といえば、豊臣家が滅びてちょうど400年の節目の年。偶然とはいえ、何かの縁を感じますね。ちなみに、便宜上、最初の伏見城を指月伏見城といい、震災後の再建された伏見城を木幡伏見城と呼びます。倒壊した指月伏見城は、聚楽第に勝るとも劣らない絢爛豪華な城だったといいます。


 この地震をきっかけに、元号は「文禄」から「慶長」へ改元されました。この慶長は20年続き、このドラマのクライマックスとなる大坂夏の陣が慶長20年(1615年)に起こり、そのすぐあとに「元和」に改元されます。いよいよ物語は、そんな慶長年間に突入します。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


[PR]

by sakanoueno-kumo | 2016-07-25 19:52 | 真田丸 | Comments(8)  

阪神・淡路大震災から21年、震災記念日の備忘録。

本日1月17日は、阪神・淡路大震災の発生した日。

6,434人の方が亡くなられ、3人の方が行方不明になったあの震災から、今日で21年の年月が過ぎました。

20年以上も経つと、日々の暮らしのなかで震災のことを思い出すことはずいぶん少なくなりましたが、毎年1月17日だけは、当時のことを振り返るようにしています。

ときどきは思い出さないと、人は忘れちゃいますからね。


下の写真は、昨日(16日)、垂水区は舞子ビラから撮った明石海峡大橋に沈む夕陽です。
21年前には、まだここに橋は架かっていませんでしたが、あの日の前日もこうして西の空に夕陽が沈み、翌朝の朝日が上る前に、あの地震が起きたんですね。

e0158128_00593824.jpg
e0158128_01004658.jpg

で、今年も震災当時のエピソードを備忘録としてお話します。

幸い自宅も職場も少ない被害で済んだわたしは、震災4日目から被災地のど真ん中にある会社に出社したのですが、電気水道ガスもないなかで出来る仕事などほとんどなく、ましてや、取引先の多くも機能していないため、することなんて何もありませんでした。

でも、何かしないと落ち着かない。

ただじっとしているだけでは不安でたまらなくて、とにかく外に出て、お客さん、業者さんのところに足を運んで、会話して帰るという毎日を、3ヶ月近く続けていました。

当時のわたしは28歳

若かったなぁという気もしますが、いまから思えば、あの数カ月があったから、いまの自分があるのかなぁ・・・などと自画自賛してみたり・・・。

外に出るといっても、当時の神戸市内の交通事情は酷いもので、道路交通法などあったものじゃありませんでした。

震災から数日間は信号機も作動していませんでしたから、交差点なんてめちゃくちゃ

一応、警察官が手信号で交通整理していましたが、ぜんぜん守らないし、非常事態ですから、守らなかったからといって、切符を切られたりもしません。

罰則がないとなると、みんな身勝手なものです。

そんな状態なので、主道路はずっと渋滞のままで、主道路を避けて裏道を通ろうとすると、いたるところが瓦礫で塞がれていて、車の通行は不可能

もちろん電車は動いておらず、車での移動も困難となれば、バイクを買うしかないと思い至り、さっそくショップに足を運んだのですが、事はそう甘くなく、震災から1週間後にして神戸市周辺のバイク屋さんの原付バイクはほとんどが売り切れ状態

考えることは、みんな同じなんですよね。

それでも、なんとか手に入れたいと市内外を駆けずり回っていたところ、数日前に行ったバイク屋から携帯に連絡が入り(ちなみに、震災4日後に人生はじめての携帯電話を購入していました)、中古の原付バイクが入荷したとのこと。

喜び勇んで店に行ったところ、ボディーにはヒビがあり、破れたシートはガムテープで補強され、グリップのゴムは割れ、マフラーはサビサビといった具合で、どう見ても、粗大ごみのなかから探してきて修理したものとしか思えないほどのボロ車でした。

それでも、ないよりはマシだと思って値段を聞くと、なんと8万円

ふざけるな!・・・と声を荒げると、「いらないなら別にええよ。ほかにも欲しがってる人はたくさんいるから!」・・・と。

完全に足元を見た商売をしてきました。

普通なら、5,000円でも買う人いないようなレベルです。

しかし、背に腹は代えられないと思い、渋々スクラップ寸前の原チャリを8万円で購入しました。

それから1ヶ月もしないうちに、他府県から大量のバイクが神戸市内に運び込まれ、まちにはバイクが溢れかえりました。

8万円で買ったわたしの原チャリは、3ヶ月ほどで白煙を吐いて動かなくなりました。

酷い買い物をさせられてと思いましたが、でも、少なくとも3ヶ月はその原チャリにめちゃめちゃ世話になりましたから、そう思えば、あの時点では必要な8万円だったのかもしれません。

当時まだ高価だった携帯電話といい、ピンチに陥ったときに、どれだけ自分に投資できるかで、のちの人生が決まってくると言っても過言じゃないかもしれませんね。

ちなみに、あのとき8万円でスクラップ車を売りつけたバイク屋は、数年後に潰れてました。

それが、あの商売スタイルから来たものかは、わかりませんが・・・。

そんなこんなで、21回目の震災記念日の備忘録です。

ちなみに1月17日は、わたしの誕生日

震災当日が28歳の誕生日だったわたしも、今日で49歳になりました。

6,434人の命日と同じ日です。

合掌。

過去6年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。
阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。

ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ



[PR]

by sakanoueno-kumo | 2016-01-17 01:09 | 日常 | Comments(0)  

20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行っていました。

先日、20年ぶりに『神戸ルミナリエ』に行ってきました。
『神戸ルミナリエ』は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めて行われている光の祭典で、大震災の起きた平成7年(1995年)12月から20年間絶えることなく続けられ、今年で21回目を迎えます。
いまでは全国各地で似たようなことが行われているようですが、はじまりは神戸からです。

e0158128_18422957.jpg

20年ぶりということは、震災の年の第1回以来ということになります。
あのときは、たしかに震災から1年足らずの時期で、先の見えない復興に不安を抱く神戸市民の心を、久々に明るく照らしてくれた希望の光に感じました。
あれから20年、神戸市民でありながら、なぜ行かなかったかというと、人混みがあまり好きではないということと、仕事帰りにでも行こうと思えばいつでも行けるという環境にあると、ついついタイミングを逃してしまうもので・・・。
そんななか、なぜ今年足を運んだかというと、中2になる娘が、「ルミナリエ観たことない」と呟いたため、じゃあ、連れてってあげよう!ということになった次第です。

e0158128_18425460.jpg

20年ぶりに来てみて驚いたのは、とんでもない行列だったこと。
JR元町駅で降りて、そのまま南下して東へすすめるのかと思いきや、一旦西に回されて、その後もぐるぐると街中を迂回させられて、ルミナリエ会場にたどり着くまで約1時間、7000歩以上歩かされました。
20年前は、ここまでじゃなかったですよ。
驚きました。

e0158128_18431772.jpg

今年から、すべてLEDになったそうですね。
たしかに、昨年までの作品にくらべて、あたたかみがなくなったように思いました(といっても、第1回以外はテレビなどでしか観ていませんが)。
また、今年から光のアーチの距離も大幅に短くなったそうですね。
すべてがLEDになってコストアップになったうえ、寄付金の集まりもイマイチだと聞きますから、やむを得ないのでしょうね(わたしの会社にも、毎年寄付金を募る郵便物が届きますが、いつもごめんなさいしてます)。

e0158128_18435272.jpg

この日観れたのは、旧居留地跡の光のトンネルから、東遊園地のメイン会場まで。
聞けば、噴水広場の装飾がめっちゃ綺麗だったそうですが、残念ながら、この日の前日に神戸は台風並みの強風に見舞われ、噴水広場の電飾は大破してしまいました。
早朝5時頃の事故だったため、ケガ人は出ずにすみましたが、たいへんな事故です。
まあ、イタリア人の施工なんて、そんなもんかなぁと思っていたのですが、それから半日後、同じく神戸市内のJR新駅の建設現場で仮設足場が倒壊し、線路を塞いでほぼ1日、JR上下線とも不通になるという大事故が起きました。
こちらも幸いケガ人はいませんでしたが、足場組んだ企業は真っ青だったでしょうね。
この2つの事故のおかげで、当日の神戸市内はヘリコプターが1日中上空をとんでいました。
複数のヘリが上空を旋回している光景を見ると、震災を思い出すんですよね。

e0158128_18441573.jpg

毎年赤字で、来年は中止といわれながら20年間続いてきた『神戸ルミナリエ』ですが、震災から20年の節目の年にこのような事故が起きたことで、あるいは、これを機になくなっちゃうかもしれません。
そうなれば、わたしは最初と最後の記念すべき年に観に行ったということになりますが、神戸市民としては、なくなると聞くと寂しいような気がするもので・・・。
来年もし行われるのであれば、寄付しようかな・・・なんて、軽はずみなことを発言するのはやめておきます(笑)。
だって、一口でも結構高いんですよ。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-12-18 18:46 | 神戸の史跡・観光 | Comments(0)  

阪神・淡路大震災から20年の節目に思う。

6434人の方が亡くなり、3人の方が行方不明になった阪神・淡路大震災の発生から、今日で20年となりました。
毎年この日は各地で追悼行事が行われていますが、20年という大きな節目となる今年は、例年以上に大きな規模で催されているようですね。
兵庫県公館で催される式典には、10年ぶりに天皇・皇后両陛下も出席されるとか。
テレビもラジオも、昨日から各局、震災特番ばかりのようです。
それらを目にするにつけ、改めて、20年もの長い年月が流れたことを実感します。

e0158128_15292922.jpg

ただ、あれからずっと神戸で暮らしてきたわたしたちからすれば、20年といっても、そんなに昔の出来事とは思えないんですね。
震災後、がむしゃらに生きていたら、いつの間にか20年も経っていた・・・そんな気分です。
わたしは昭和42年生まれですが、わたしが子供のころ、よく大人たちが戦争の話をしていましたが、当時こどもだったわたしは、「また大昔の話が始まった」と、うっとうしく感じたものでした。
そんなわたしも、いま息子や娘をつかまえて、「お前が赤ん坊のころ、神戸で大きな地震があってな・・・」てな具合に震災の話をします。
こどもたちは、昔のわたしと同じく面倒くさそうに聞いていますが・・・。
わたしにしてみれば、震災はついこの前のような感覚なんですが、彼らにとっては、学校で習う歴史上の出来事なんでしょうね。
思えば、私がこどものころは戦後20数年しか経っていないころだったわけで、当時の大人たちが戦争を語るのは、いまわたしが震災を語るのと同じ感覚だったんですね。
今朝の新聞によると、震災後出生した市民は19%に、震災を知らない市民は40%に上るとか。
わたしたちが戦争を知らないこどもたちであるように、震災を知らないこどもたちとわたしたちとでは、思いを共有できないのは仕方ないことだと思います。
それを、風化というのでしょうね。

昨日、今日と、マスコミが挙って震災を特集していることを受けて、こんなときだけじゃなくもっと普段から神戸に目を向けてほしい・・・といった声を耳にしますが、わたしは、これで良いと思っています。
神戸市民は、いまでも震災前、震災後で語る人が多いですが、もはやそういう時期は過ぎたんじゃないでしょうか。
神戸は、復旧はしたけど復興はしていないといって未だに行政を責める声もありますが、たしかにそういう側面があることは否定しませんが、いつまでもそんなことを言っていても前には進めません。
20年が経ったいま、そろそろ震災都市・神戸を脱却すべきなんじゃないでしょうか。

ただ、ひとつ節目として、1月17日だけは当時を振り返る日であればいいと思います。
今日だけは、6434人を追悼し、あの日幸運にも命を落とさずに今に至ることを感謝し、そして、こどもたちにうっとうしがられながらも、当時のことを語るべき日なのかなあと。
それが、震災を知る私たちの使命なんじゃないかと、20年経ったいま思うところです。

ちなみに、今日1月17日は、わたしの誕生日です。
震災当日、28歳の誕生日だったわたしも、今日で48歳になりました。
6434人の命日と同じ日となってしまったわたしの誕生日ですが、そのおかげで、いつまでも震災のことを忘れることが出来なくなりました。
わたしの誕生日は、立ち止まって思いを馳せる日です。

過去6年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-01-17 15:30 | 日常 | Comments(2)  

節目の年となる2015年、新年のご挨拶。

新年あけましておめでとうございます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。

e0158128_11591715.jpg

わが家から見える今朝の景色です。
中央にそびえるのは明石海峡大橋、その向こうに見えるのが淡路島です。
わたしは毎朝、出勤時にこの景色を見て1日が始まります。
今年は快晴のスタート、良い年になりそうな気がしますね。

今年は戦後70周年にあたる節目の年ですが、わたしたち神戸市民にとっては、阪神・淡路大震災から20年の節目でもあります。
早いもので、あれから20年も経つんですね。
あのとき、生後間もなかったわが家の愚息も、いまは大学生、今年成人式を迎えます。
また、わたし自身も、今年は4回目の年男
いろんな意味で節目のメモリアルイヤーとなる今年、良い1年にしたいですね。
本年もよろしくお願いします。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2015-01-02 13:23 | 日常 | Comments(6)  

神戸の足場倒壊事故に思い出す、阪神・淡路大震災の柏井ビル倒壊。

3日午前11時10分ごろ、神戸市中央区布引町4の3の8にある解体工事中のビルで、覆っている足場が十数メートルの高さから崩れて落ちた。自転車で通行していた女性(22)と歩いていた男性(20)が下敷...
昨日、神戸で解体工事中のビルを覆っている足場が倒壊するという事故がありましたよね。
倒れた足場は高さ約20メートル、幅約30メートルほどだそうで、片道3車線の道路を塞ぎ、通行人2人が巻き込まれてけがをされたそうです。
停車中だった路線バスにも直撃したそうですが、乗客に被害はなかったとか。
よく、その程度の被害で済みましたね。
現場は神戸市の中心部である三宮駅から北へ150メートルほど上がったところで、塞いだ道路は、神戸市街地のメインストリートともいえるフラワーロードです。
通勤などの人通りが多い時間帯だったら、大惨事だったでしょうね。

で、事故から一夜明けた今朝、たまたま事故現場の前を通る用があったので、いつも携帯しているバカチョンカメラで撮影してきました。

e0158128_14171962.jpg

道路を塞いでいた足場や鉄骨の残骸はきれいに片付けられていましたが、作業中だったと思われる重機がそのまま放置されたかたちで、無残な状態を晒していました。
まだ、報道機関のカメラがたくさん来ていましたよ。

e0158128_1420073.jpg

この事故現場で思い出したのは、19年前の阪神・淡路大震災のときの、旧・柏井ビル倒壊です。
10階建ての高層ビルが両側6車線の大通りを塞ぐように倒れていた映像を覚えておられるでしょうか?
まあ、当時はいたるところで建築物が倒壊していたので、神戸市内ではとくに珍しい光景ではありませんでしたが、現場が神戸の最も中心部だっただけに、震災時の高層ビル倒壊の象徴的映像として使われていましたよね。
あの柏井ビル倒壊現場の道路を挟んで斜め向かいが、今回の足場倒壊現場です。
もちろん、ただの偶然以外のなにものでもありませんが、でも、同じ場所の同じ道路を塞いだ昨日の映像を見て、当時のことを思い出した神戸市民は、わたしだけではないんじゃないでしょうか。

e0158128_14214757.jpg

柏井ビル倒壊は天災による事故ですが、今回の足場崩壊はおそらく過失事故で、人災ですよね。
足場倒壊事故といえば、強風によるものが多いと思いますが、昨日の神戸は強い風はなく、報道によれば、アームから鉄骨が外れるなどして道路側の足場にのしかかったことが原因のようで、重機の操作ミスや安全管理上の不備があったと見られているようです。
養生ネットで囲われた足場の下を通行しなければならないことは、よくありますよね。
こんな事故が起こらなくとも、足場作業の真下を通行するのは、あまり気持ちがいいものではありません。
このたびの事故を踏まえ、徹底した事故原因の追求とともに、業界全体の安全対策・指導の強化につなげてほしいものです。

ちなみに、旧柏井ビル跡地には、いまは新しい柏井ビルが建っています。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-04-04 14:30 | 時事問題 | Comments(2)  

阪神・淡路大震災から19年、いま思うこと。

今日は1月17日。
6434人の方が亡くなり、3人の方が行方不明になった阪神・淡路大震災の発生から、今日で19年となりました。
そして今日1月17日は、わたしの誕生日でもあります。
19年前の震災当日に28歳の誕生日を向かえたわたしも、今日で47歳になりました。
あのとき、生後4ヶ月だった愚息も、いまは大学生になっています。
足かけ20年もの年月が流れて、日々の暮らしのなかで震災のことを思い出すことはずいぶんと少なくなりましたが、神戸市民にとって1月17日だけは、当時のことを思い出して感傷にふける日です。
当ブログでも、この日は毎年、当時の話をしてきました。

e0158128_0541440.jpg

写真は、神戸市東灘区の東求女塚古墳跡公園内にある震災慰霊碑です。
東灘区は、神戸市のなかでも最も家屋倒壊率の高かったまちで、亡くなられた方の数も率もいちばん高かった地域です。
高速道路が横倒しになっていた映像は記憶に残っている人も多いかと思いますが、あの近くですね。
わたしは、倒れて数日後の高速道路を間近で見ましたが、映像や写真で見るのとは比べものにならないほど、恐ろしい光景でした。
正直、脚が震えました。
平衡感覚を失って吐きそうになりました。
あれは強烈な体験でしたね。

e0158128_11213551.jpg

当時のわたしの知人で、あのとき阪神高速道路を走行中だった奴がいるのですが、そいついわく、空が一瞬光ったと思ったら、いきなり目の前の道路が蛇のように上下にウネリ始めたといいます。
何が起きたのかわからないまま急ブレーキを踏んで停車し、揺れが収まってからしばらくして地震だとわかったとか。
その後、車を走らせようにも、道路のジョイント部分が離れたり、段違いになったりしていて進めず、停電で真っ暗ななか徒歩でしばらく進むと、道路が途中で途切れ、その先は目を疑う光景になっていた・・・と。
で、進むのをあきらめ、ラッキーにも少し引き返したところに高速の乗り口があったため、まわりにいた数台の車と協力して、逆走して高速道路から脱出したそうです。
その間も余震は頻繁に続き、生きた心地がしなかった・・・と。
間一髪、九死に一生を得るとは、まさにこのことですね。

あのとき東灘区で横倒しになった高速道路は600メートルにも及んだそうですが(他にも、橋桁がずれたり傾いたりした場所は数知れず)、意外にも、亡くなられたドライバーの方は10数名だったと記憶しています。
午前5時46分という時間が幸いしたのでしょうが、高速道路の真下には国道43号線が並走しており、よくそれだけの被害で済んだなあと、つくづく思います。
もし、あと2時間後に起きていたら・・・・考えるだけで背筋が寒くなりますね。

今年も神戸市内では、各地で追悼行事が催されるようです。
平日なので、わたしはそのような場所には行けませんが、19年前のあの日、幸運にも命を落とさずに、こうしていまを生きていることを幸せに思い、犠牲になった方々への哀悼の意を捧げたいと思います。
今日、1月17日は、神戸市民にとってそういう日です。


過去5年間の1月17日の拙稿です。
よければ一読ください。
    ↓↓↓
阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2014-01-17 01:02 | 日常 | Comments(0)  

「あの日」の記憶が呼び起こされた春の朝。

今朝の地震は驚きましたね。
震源の淡路島では「震度6弱」の揺れだったそうで、私の住む神戸では「震度4」との発表でしたが、感覚的にはもっと強かったように感じました。
私の住むまちは神戸市の最西端の垂水区で、淡路島と本州を結ぶ明石海峡大橋があるところですから、あるいは神戸市のなかでも揺れが強かったかもしれません。
揺れてる時間も長く、感覚的には20〜30秒ほどあったでしょうか?
それに、なによりも恐怖を掻き立てられたのは、午前5時33分という地震発生の時刻でした。
早朝の地震といえば、私たち神戸市民は、どうしても「あの日」の記憶を呼び起こされます。
(私の家の玄関先から見える淡路島と明石海峡大橋の景色です。写真は今日のものではありません)
       ↓↓↓
e0158128_11523419.png

「あの日」というのはいうまでもなく、平成7年(1995年)1月17日に起きた「阪神・淡路大震災」ですね。
あれから18年が過ぎましたが、あのときの恐怖というのは、いまでも感覚として残っています。
「ゴーッ」という地鳴りの音で目が覚めたのも「あの日」と同じ。
あの音の怖さはいまも潜在的に脳に残っていて、たとえば普段の生活の中でも、大型トレーラーが通り過ぎるときに起こる振動と音を地震の地鳴りと勘違いして、足がすくむことが時折あります。
冒頭で「震度4」より強かったように感じたと述べましたが、「震度4」クラスの余震は当時たびたびあって、揺れを体が覚えてるんですよね。
今朝の揺れは、それ以上だったように感じました。

あと、スマホの警告音にも驚きましたね。
一昨年の「東日本大震災」の折に関東の知人からは聞いてはいましたが、実際に体験したのはこのたびが初めてでした。
揺れ始めとほぼ同時に鳴り始めましたよ!
すごいシステムですね。
しかも。画面には「播磨灘で地震発生、強い揺れに備えてください」と表示。
瞬時に震源地まで知らされるんですね。
18年前の震災のときには、何が起きたのかさっぱりわからずパニックになったことを思えば、危機管理システムの進歩は著しいものがありますね。
ただ、寝ぼけてたせいもあってか、「播磨灘」「玄界灘」と勘違いしてしまい、「震源地は九州か・・・」と思っちゃいました(笑)。
玄界灘が震源地で関西であの揺れだったら、博多は壊滅してますね(笑)。
「播磨灘」とは、淡路島と小豆島のい間の兵庫県南部の海域のことを指しますが、普段は地元の人間でもあまり使わない言葉です。
もうちょっと、わかりやすい地域名で伝えたほうがいいのではないでしょうか?

いま、阪神間ではまだ鉄道等が不通になっているようですが、とにもかくにも大きな災害にならずに良かったですね。
今日は土曜日だったので、ゆっくり昼前まで寝て午後から会社に出社するつもりだったのですが(ここんとこずっと深夜帰りだったので)、地震でとび起きてからなんとなく胸騒ぎが治まらずに熟睡できず、やむなく早めに出社して、パソコンに向かって起稿しています。
まだ安心はできませんが、その後、体感できる余震はありません。
このまま収まってほしいですね。
取り急ぎ、神戸からのご報告でした。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村
[PR]

by sakanoueno-kumo | 2013-04-13 12:01 | 日常 | Comments(2)  

阪神・淡路大震災から18年、いま思うこと。

本日1月17日は、私の誕生日
そして今日は、私たち神戸市民には忘れようにも忘れられない『阪神・淡路大震災』の発生した日です。
地震発生当日28歳の誕生日だった私も、今日で46歳になりました。
当時生後4ヵ月だった我が愚息も、明後日にはセンター試験を受験します。
気がつけば18年もの年月が流れていたんですね。

e0158128_0474580.jpg

神戸市灘区琵琶町の公園にあるモニュメントです。
偶然きのう通りかかって目に止まり、ちょうど震災記念日の前日だったこともあってスマホで撮影しました。
私の会社の近くの公園なんですが、国道から一筋北に上がった住宅街にあるため、何度か横を通りながらもいままでこのモニュメントに気が付きませんでした。
公園のまわりを見渡せば、整備された道路真新しい住宅ばかりが立ち並ぶ閑静な住宅街
美しく整然とした街並みからは、あの日の惨状を想像することは難しいですが、見渡す限り新しい家ばかりということは、それだけこの地域の家屋倒壊率が高かったこと伝えているといえます。

このモニュメントは震災から7年が過ぎた2002年に建てられたそうです。
円型の石碑の裏には、琵琶町1丁目と2丁目だけで犠牲になった61名の方々の氏名が刻まれていました。
円形と三日月の形は月の満ち欠けを表しているそうで、終わりのない「永遠」を意味するそうです。
石碑に刻まれたとおり、「あの刻を忘れない」といった思いが込められているのでしょうね。

e0158128_0484387.jpg

震災から18年経った神戸のまちは、当時の惨状が想像もつかないほど美しく蘇りました。
その街並みの片隅に目を向けると、このような慰霊碑が各地に建てられています。
その数、230を超すとか。
犠牲者を悼み、街の復興を見守り続けて、そして後世に震災を伝えるモニュメント。
普段、神戸に住んでいながらも、こういった慰霊碑になかなか目がいかずに通りすぎてしまいがちですが、今日1月17日だけは、ちょっと立ち止まって思いを馳せる日にしたいものです。
それが、あの日、幸運にも命を落とさずに、こうして18年経ったいまを生きている神戸市民としての、犠牲になった方々に対する最低限の礼儀じゃないかと・・・。
あの刻を忘れないために。

震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。
今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。
誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。
阪神・淡路大震災から17年、今思うこと。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
     ↓↓↓
にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ
にほんブログ村 野球ブログ プロ野球へ

[PR]

by sakanoueno-kumo | 2013-01-17 00:51 | 日常 | Comments(2)