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JIN -仁-(完結編) 第11話(最終章・後編)

 毎週、起稿してきたドラマ「JIN-仁-(完結編)」の鑑賞記。最終回を観終え、あまりの感動のため言葉を失った。私がここで何をいっても安っぽい言葉にしか聞こえず、感動を表す文章が見当たらないまま今日まで起稿が遅れた。人間、想像以上の感動を覚えると、言葉を失うようである。しかし、咲の手紙ではないが、この思いを忘れないように、やはり書き留めておきたいと思う。ゆえに、稚文、乱文はご容赦いただきたい。

 まず始めに、「結末は映画にて・・・」なんて終わり方ではなく、ちゃんと完結させてくれたことに感謝したい。結末は、村上もとか氏の原作とは違っていたそうだが、原作を知らない私としては、充分に満足いく結末だった。原作を知っている人の感想では、不満の声が聞かれるようだが、おそらく私がこのあと原作を読んだとしても、きっとドラマの結末のほうが良かったと思うだろう。原作には原作の良さがあり、ドラマにはドラマの上手さがあり、要は、どちらを先に見たか・・・ではないだろうか。私にとっては、このドラマの結末が、この物語の結末になった。

 彰義隊とは、徳川慶喜側近の旧幕臣を中心として結成した有志隊。「鳥羽・伏見の戦い」に敗れた慶喜は、江戸城に戻ると朝廷に対して恭順謹慎を表した。その慶喜の護衛江戸警備の名目で結成されたのが彰義隊である。頭取には渋沢成一郎、副頭取には天野八郎が投票によって選出され、幹事には本多敏三郎伴門五郎が就いた。隊士には旧幕臣のみならず、町人や博徒侠客も参加し、千人を越える規模になった。

 慶応4年(1868年)4月11日、新政府軍の参謀・西郷隆盛と、旧幕府軍の陸軍総裁・勝海舟との歴史的会談が行われ、江戸城は無血開城されることになり、慶喜も水戸に謹慎することで決着。しかし、それに不満を持った彰義隊は、徹底抗戦を主張。上野寛永寺に立てこもり、江戸の各地において新政府軍と衝突を起こす。そしてとうとう5月15日、上野に結集した彰義隊3千人に対して、新政府軍2万人が総攻撃を開始。その圧倒的な戦力の差から、開戦から1日も経たずに彰義隊は壊滅した。旧幕臣の彼らにとっては、結末は最初からわかっていた、いってみれば、死に場所を求めた決起だったのだろう。橘恭太郎が参戦した上野戦争というのは、そういった戦だった。

 「くだらぬ私が、ただ一つ誇れることがあるとするならば、それは最後まで、徳川の家臣として忠節を尽くしたということのみでございます。」
 そんな恭太郎の言葉に、ひとつだけ大きな勘違いをしていると諭す南方仁
 「恭太郎さんが命がけで守ってきたのは、徳川じゃなく、橘の家なんじゃないですか?」・・・と。

 江戸期の封建社会に生きる武士たちにとって、最も大切なものは、“家名”だった。その家名を汚すことないよう努め、家名を絶やすことのないよう家族、親族を大切にした。昭和期、民主主義社会となった日本は、高度経済成長を経て核家族化が進み、平成の現代では少子化未婚化が社会問題となっている。人は就きたい職業に就くことができ、住みたい場所に住めるようになった。一方で、親戚づきあいなどを疎んじ、家族を持つことさえ煩わしいといった人間が増えた。はたしてどちらが人間らしい社会なのだろう・・・。そんなことを考えさせられた、仁先生の言葉だった。

 それにしても、ときどきしか出てこなかったにも関わらず、強い印象を残してくれたのは、恭太郎と咲の母、気丈な母親像。子どもの前では決して弱音を吐かず、溢れんばかりの愛情を注ぎながらも決して甘やかさない。おそらく、武家の母親というのは、きっと栄のような人が殆どだったのだろう。私が思うに、昭和期にはまだ栄のような母親がたくさんいたように思う。平成の現代の、モンスターペアレントといわれる自己中心的な母親や、行き過ぎた愛情で過保護な母親、逆に子どもに愛情を持てずに虐待育児放棄を繰り返す幼稚な母親などが、なぜ増えてきたのだろう・・・と考えたときに、これも、核家族化などの進歩による弊害といえるかもしれない。坂本龍馬たちの奔走によって自由を手に入れた私たちは、大切な何かを忘れてきたようである。

 「戻るぜよ・・・あん世界へ!」
 全編を通して流れていた龍馬のこの言葉は、銃弾を受けた傷口から緑膿菌に感染したを救うための言葉だった。その声に導かれるように、元の世に戻った仁。そして、前編の第1話に繋がる。咲を救うために必要なホスミシンという薬を取りに、一旦、平成の世に戻った仁だったが、そうなれば当然、6年前と同じことが繰り返されるわけで、非常階段から落ちてタイムスリップしたのは、6年前の仁のほうだった。行き先はおそらく文久2年(1862年)、過去から戻ってきた仁が再び、生死をさまよう咲が待つ慶応4年(1868年)に戻ることはなかった。

 ここからは、答え合わせのストーリー。仁がタイムスリップした世界はパラレルワールド(平行世界)で、少しずつ違った時間軸の歴史に飛んだ、無限ループだったんじゃないかと。胎児性腫瘍の正体はバニシング・ツインといわれるもので、龍馬の声が聞こえた理由は、仁が龍馬の血を浴びたことで、その胎児性腫瘍に龍馬の人格が移った・・・と。しかし、これらはすべて、無理矢理科学的に理由付けしただけに過ぎず、本当のことはわからない。ただ、ひとつだけわかっているのは、仁が戻ってきた世界は、仁がタイムスリップしたことによって修正された世界で、仁が生きた歴史の延長線上にあること。だから当然、仁の元恋人の友永未来の存在もなかった。

 仁友堂の存在など、仁が幕末の時代に生きた痕跡は残されていたものの、幕末の歴史上に南方仁という存在は消えていた。すべては無に帰した・・・まるで夢を見ていたかのような虚しい結末・・・と思いきや、その虚しさは、橘家の子孫だと思われる女性・橘未来との出会いによって救われる。そこで知ったのは、仁が現代に取りにかえったホスミシンという薬が、何らかのかたちで恭太郎の手にわたり、咲が助かったこと。その後、咲は橘醫院を設立し、女医として天寿を全うしたこと。仁が龍馬に助言した保険制度の確立に、恭太郎が尽力したこと。そして何よりも感動したのは、野風が生んだ女児・安寿を、野風の死後、咲が養女として育て、その末裔が橘未来という女性であり、仁とめぐり合ったこと。
 「ずっと、あなたを待っていた気がします。」
 自分の子孫が未来で仁とめぐり合うことを願っていた野風の思いと、仁を想い続けたまま添い遂げることはなかった咲の想いと、幕末に心を置いたまま現代に戻ってしまった仁とが、ここに、歴史という一本の線で結ばれた。この結末はおそらく原作とは違ったものだろうと思うが、私は、このストーリーを考えた作家さんに感謝したい。

 そう、歴史とは、一本の太い線だと私は思う。学校の授業で習った歴史や史実といわれるものは、所詮は歴史の断片に過ぎない。学術的には、鎌倉時代室町時代江戸時代と、その節目節目でわかりやすく色分けしているが、実際の歴史というものは、そうやって簡単に区分できるものではなく、その時代に生きたすべての人の数だけ歴史があり、その人々の思いが次世代へと引き継がれ、かたちを変え、現代の私たちに繋がっている。野風と咲の思いが仁と繋がったように、私たちが先祖から受け継いだものは、単に遺伝子だけではなく、彼らが未来に託した“心”を受け継いでいるのである。歴史とは、“心の継承の足跡”といってもいい。そんな当たり前のことを、教えてくれた物語だった。このドラマを、歴史スペクタルと見るか、医療ドラマと見るか、SFファンタジーと見るかは様々だと思うが、私にとっては、まぎれもなく歴史ドラマだった。

 最後に、この物語のすべてだといってもいい、第1話冒頭のナレーションを記したい。このナレーションは、前偏後編では少し違っている。前偏では、詠み人は仁の元恋人・友永未来だった。

私たちは当り前だと思っている。
思い立てば地球の裏側でも行けることを。
いつでも想いを伝えることができることを。
平凡だが満ち足りた日々が続くであろうことを。
昼も夜も忘れてしまったかのような世界を。
でも、もしある日突然、その全てを失ってしまったら、鳥のような自由を、満たされた生活を、明るい夜空を、失ってしまったら。
闇ばかりの夜に、たった一人放り込まれてしまったら。
あなたはそこで光を見つけることができるだろうか。
その光をつかもうとするだろうか。
それとも、光なき世界に、光を与えようとするだろうか。
あなたのその手で。


 そして完結編の1話では、詠み人は仁に変わり、未来の問いかけに答えた連歌のように語る。

僕たちは当たり前だと思っている。
思い立てば地球の裏側に行けることを。
いつでも想いを伝えることができることを。
平凡だが満ち足りた日々が続くであろうことを。
昼も夜も忘れてしまった世界を。
けれど、それはすべて与えられたものだ。
誰もが歴史の中で戦い、もがき苦しみ、命を落とし、生き抜き、勝ち取ってきた結晶だ。
だから僕たちは、更なる光を与えなくてはならない。
僕たちのこの手で・・・。


 そして最終回のラストシーン咲の残した手紙を読んだ仁は、こう心に誓った。

この思いをいつまでも忘れまい、と思った。
けれど、俺の記憶もまた、全て、時の狭間に消えていくのかもしれない。
歴史の「修正力」によって・・・。
それでも、俺はもう忘れることはないだろう。
この日の美しさを。
当たり前のこの世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取ってきた、無数の奇跡によって編み上げられていることを。
俺は忘れないだろう。
そして、新たな光を与えよう。
今度は、俺が未来のために、この手で・・・。
 

 未来の歴史は、私たちの手で作っていかねばならない・・・。まさしく、戦後最大の国難といわれる、今の日本に相応しい言葉かもしれない。でも、きっと明るい未来は訪れる。
神は乗り越えられる試練しか与えない・・・のだから・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-28 15:44 | その他ドラマ | Trackback(4) | Comments(2)  

JIN -仁-(完結編) 第10話(最終章・前編)

 坂本龍馬暗殺予定日の慶応3年(1867年)11月15日になって、ようやく龍馬と会うことができた南方仁は、龍馬を助けるべく居場所を四条・近江屋から伏見・寺田屋に移したものの、日が変わった16日未明、龍馬は史実通りに前頭部を横に斬られて倒れる。しかし、史実とは違って龍馬を斬った人物は、龍馬の護衛に付いていた長州藩士・東修介(架空の人物)だった。
 「私の兄は貴方に切られたんです。貴方が久坂さんと会った帰りに。貴方は私の敵なんです。そのつもりで貴方に近づきました。」

 この時代、仇討(敵討)合法な行為だった。武士階級のみに許されたもので、範囲は父母や兄など尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属(妻子や弟・妹を含む)に対するものは基本的に認められない。その仇討をした相手に対して復讐をする重仇討は禁止されていた。本来は仇討をする場合、主君の免状を受け、他国へわたる場合には奉行所への届出が必要で、町奉行所の敵討帳に記載され、謄本を受け取るという手続きが必要。しかし、無許可であっても、現地の役人が調査して仇討であると認められれば、大目に見られ、場合によっては賞賛された。逆に父母や兄が殺されたにも関わらず仇討しないことは武士として恥ずべきことで、場合によっては家名お取り潰しになったりもした。

 つまり、東の龍馬に対する仇討の企ては、逆恨みでも何でもなく、武士として当然の、あるべき姿だったのである。仇討のために龍馬に近づくも、龍馬の考え方に感銘し、尊敬すらし始めていた東。しかし、仇討を断念するは武士の恥。そんな葛藤に苦しんでいた東だったのだろう。
 「私の兄は志士で、やはり志半ばで倒れました。兄の代わりに果たしたいことがひとつあったのですが、坂本さんの大政奉還の建白を読んだ時に、もう良いのではないかと思ったのです。」
 前話でそう言っていた東が、この局面で龍馬に刃を向けたのは、武士の誉である仇討だったのか、それとも、咲が言うように龍馬の生き方を守るためだったのか・・・。

 これより6年後の明治6年(1873年)、明治政府の司法卿・江藤新平らによる司法制度の整備により、仇討は禁止される。それ以後、当然だが現在でも仇討は許されていない。しかし、肉親や大切な人が殺害された場合、その相手を殺したいほど憎む思いは今も同じだろう(肉親を殺された経験はないが)。現代の、どれだけ凶悪な殺人鬼であっても人権が守られる法制度が、果たして正しいものなのだろうか・・・なんて、昨今の裁判の報道などを見てときどき思ったりする。昔のほうが、被害者に優しい血の通った秩序だったんじゃないかと・・・。

 仁先生たちの懸命な治療により、一時的に意識を取り戻した龍馬と仁先生の会話。
 「先生には、この時代はどう見えたがじゃ?愚かなことも山ほどあったろう?」
 「教わる事だらけでした。未来は夜でもそこらじゅうで灯りがついていて、昼みたいに歩けるんです。でも、ここでは提灯を提げないと夜も歩くこともできないし、提灯の火が消えたら、誰かに貰わなきゃいけなくて・・・。一人で生きていけるなんて、文明が作った幻想だなあとか。離れてしまったら、手紙しか頼る方法ないし、ちゃんと届いたかどうかもわからないし・・・。人生って、ホント、一期一会だなあとか・・・。あと、笑った人が多いです。ここの人たちは、笑うのが上手です。」

 文明ってなんだろう・・・と、私もときどき思う。不便を便利にするために発達した文明に、結局私たちは縛られている。携帯電話なんてなかった十数年前までは、相手とすぐに連絡が取れないことが当たり前だった。今は、携帯が繋がらないと、私も含め人はすぐにイライラする。休日でも出先でも、いつでもつかまえられることが当たり前。逆に自分もつかまえてもらう体勢でいなければ、相手に不快感を与えてしまう。便利であるはずの文明に、縛られている。原発が止まって電力が滞ると、都市機能は麻痺し、経済すら滞る。提灯から提灯へ火を譲ったように、電力を国民皆で分け合わなければならない今、人々はそれぞれの立場で好き勝手なことを言い、混沌とした政治はこの期に及んでまだ国民の側を向うとしない。文明って、本当に人を幸せにしたのだろうか・・・と。

 「先生・・・わしゃ、先生の生まれた国を作れたかのぉ?・・・先生のように、優しゅうて、馬鹿正直な人間が、笑うて生きていける国を・・・。」

 坂本龍馬たち幕末の志士たちが命を賭けて目指した未来の国家像は、今のようなものだったのだろうか・・・。もし、彼らが現代の日本と日本人の姿を見たら、どう思うだろうか・・・。

 「こりゃぁ、もういっぺん日本を洗濯する必要がありそうじゃき!」
 そんな龍馬の言葉が聞こえてきそうだ。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-21 19:12 | その他ドラマ | Trackback(3) | Comments(3)  

JIN -仁-(完結編) 第9話

何の根拠もないけれど、俺は信じようとしていた。
自分は龍馬さんを救うためにここに来たのだと。
龍馬さんが・・・坂本龍馬が死なない歴史をつくるために、ここにやって来たのだと。
ただ、ひたすらに信じようとしていた。


 坂本龍馬中岡慎太郎暗殺された慶応3年(1867年)11月15日の京都は、朝から雨が降っていたはずだが、ドラマでは晴れていたようだった。仁先生が歴史に関わったことで、天気まで変わってしまったのか?・・・なんて無粋なツッコミはやめて(笑)、歴史の修正力に立ち向うべく龍馬暗殺を阻止しに京に訪れた南方仁先生たち。暗殺予定日になってようやく龍馬と会うことができた仁は、即刻、京を離れることを忠告、居場所を四条・近江屋から伏見・寺田屋に移した。寺田屋に移っても史実どおり軍鶏鍋を食す龍馬。これも、歴史の修正力なのだろうか(笑)。日付が変わって16日となり、ホッと胸を撫で下ろす仁だったが、本当に歴史の修正力というものがはたらくならば、1話の佐久間象山などの例をみても、日付や場所を変えたからといって免れられるものではない。案の定、史実と違ったストーリーで、龍馬も慎太郎も刃に倒れた。

 龍馬暗殺当日の詳細については、昨年の大河ドラマ『龍馬伝』の稿(参照:龍馬伝 第48話(最終回)「龍の魂」)で紹介しているので、そちらを一読ください。また、龍馬暗殺の実行犯および黒幕の諸説についても、以前の稿(参照:坂本龍馬の命日に再考する、龍馬と中岡慎太郎の暗殺犯の諸説。)をよければ・・・。

 それにしても、仁先生は坂本龍馬と一緒に中岡慎太郎も暗殺されるという史実を知らなさそうだ(可哀想な慎太郎・・・笑)。ていうか、中岡慎太郎という人物自体、知らないのでは?・・・と思ったり。まあ、仁先生が歴史オンチだという設定が、この物語の面白さだとは思うが・・・。

 大政奉還後に龍馬が作った新政府人事案に、大政奉還の立役者たる龍馬の名前が記されていないことを不審に思った西郷隆盛が、そのことを龍馬に尋ねると、龍馬は役人をやらずに「世界の海援隊」をやる旨、返答したというエピソード。この話は、司馬遼太郎氏の小説『竜馬がゆく』をはじめ、多くの物語で描かれてきた逸話で、龍馬の魅力を語るに欠かせないエピソードといっていいだろう。ただ、この逸話については、歴史家の間でも実話か否かの様々な論争があるようだ。というのも、この「新官制擬定書」といわれる新政府の人事案の史料は全部で5種類存在し、その中に龍馬の名が記載されているものと記載されていないものがあり、否定派の主張では、龍馬の名が記載されていないものは後世に作られたもので、龍馬には新政府に入る意志があったという。専門家ではない私にはその真偽はわからないが、龍馬ファンの私としては、この「世界の海援隊」説を信じたい。私の思う龍馬ならば、きっと、そう言ったんじゃないかと・・・。

 この西郷との会見に同席していたといわれる、海援隊出身で、のちの明治政府で「カミソリ大臣」として辣腕をふるった外務大臣・陸奥宗光は、このときの龍馬について後年こう語っている。

 「龍馬あらば、今の薩長人などは青菜に塩。維新前、新政府の役割を定めたる際、龍馬は世界の海援隊云々と言へり。此の時、龍馬は西郷より一層大人物のやうに思はれき。」

 このときの龍馬は、西郷よりも一層大人物に思えた・・・と。この談話も陸奥の虚言だといわれれば、反論する材料を私は持ちあわせていないが、明治政府で薩長閥に後塵を拝していた土佐派が、龍馬の虚像を作って政治利用しようとした例とは違い(参照:坂本龍馬の人物像についての考察)、伊藤博文に重用されて外務大臣にまで栄達した陸奥が、龍馬を過大評価して政治利用する理由はどこにもないように思う。さらに陸奥は、このようにも語っている。

 「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。後藤伯がその得意の地にありながらその旧敵坂本を求めたるは、もとより彼が常人に卓越したる所以にして坂本と相見たる彼は、さらに坂本の勧誘力に動かされて、まず国内を統一和合して、而して薩長の間に均勢を制せざるべからざるの必要を覚りぬ。
・・・中略・・・
薩長二藩の間を連合せしめ土佐を以て之に加わり、三角同盟を作らんとしたるは坂本の策略にして彼は維新史中の魯粛よりも更に多くの事を為さんとしたるもの也。彼の魯粛は情実、行がかり個人的思想を打破して呉蜀の二帝を同盟せしめたるに止まる、坂本に至りては、一方に於て薩長土の間に蟠りたる恩怨を融解せしめて、幕府に対抗する一大勢力を起こさんとすると同時に直ちに幕府の内閣につき、平和無事の間に政権を京都に奉還せしめ、幕府をして諸候を率いて朝廷に朝し、事実において太政大臣たらしめ、名において緒候を平等の臣族たらしめ、もって無血の革命を遂げんと企てぬ。彼、もとより土佐藩の一浪士のみ」


 めったに人を褒めなかったといわれる陸奥宗光にして、最大級の賛辞である。たしかに、現在私たちが抱いている魅力的な龍馬像というのは、後世に色付けされた部分も多々あるとは思うが、全てを虚像だといってしまうのは、少々、穿ち過ぎではないだろうか。メッキであれば、研究が進むにつれ剥がれるものである。

 さて、ドラマはいよいよ最終章へ。来週、再来週と2話を残すのみとなった。刃に倒れた龍馬を、仁は救うことができるのだろうか・・・。とすれば、龍馬が死なない歴史というのは、どう展開されていくのか・・・。仁がタイムスリップした理由は・・・。あの胎児の真相は・・・。原作を知っている人は、どうか教えないでください(笑)。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-14 00:39 | その他ドラマ | Trackback(3) | Comments(0)  

JIN -仁-(完結編) 第7話・第8話

 癌が再発した野風の出産の物語。このときより数年前、花魁時代に乳癌に侵された野風だったが、南方仁の手術により一命を取り留めた。しかし、そのことによって彼女が本来歩むべき歴史が変わってしまった。おそらく彼女は、仁の未来の恋人、友永未来(みき)の先祖。本来ならば彼女は、旗本と結婚して子供を生んだのち癌で死に、その子供の子孫が未来(みき)に繋がっていくはずだった。しかし、すでに彼女の人生は別の道を進み始め、仁が持っていた未来(みき)の写真も消えてしまっていた。

 人生が変わった野風は、フランス人貿易商ジャン・ルロンと結婚。しかし、その幸せも束の間、彼女の身体は再び癌に侵されていた。しかも、彼女はルロンとの間の子供を身ごもっているという。本来ならば、この世に生まれることはなかった命。ただでさえ癌に蝕まれた身体での出産は危険を伴うのに加え、歴史の修正力が本来生まれるはずのなかった命の誕生を許すだろうかと悩む仁。
 「もし、お前のやったことが意にそぐわぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。」
 1話で佐久間象山の言った言葉が仁の決断を鈍らせる。そんな彼に、自分に子供を取り上げさせてほしいと頼む。この時代の人間が子供を取り上げるなら、それは修正された歴史ではなく、ただの歴史なのではないか・・・と。この言葉に、仁は仁友堂で野風の出産を診ることを決断する。修正された歴史ただの歴史。ここに、この物語の核心部分が隠されているようだ。

 やがて臨月を向かえた野風だったが、逆子出産となってしまい、自然分娩を試みるものの困難を極め、帝王切開の必要性に迫られる。しかし、この時代の麻酔は強すぎて胎児が死んでしまう。野風の命を守るため、一度は死産を決意する仁だったが、野風の切望により、麻酔なしの帝王切開を断行する。

 麻酔なしの帝王切開といえば、なんと野蛮な荒療治かと思うが、信じられないかもしれないが、実は私はその麻酔なしの帝王切開で生まれた人間のひとりである。私が生まれたのは昭和42年(1967年)。この物語のちょうど100年後のこと。母の話では、私は予定日より1ヵ月近くも遅れていたそうで(その頃に陣痛促進剤があったかどうかは知らない)、頭蓋骨が出来上がっていて自然分娩では出てこず、帝王切開に切り替えるも、ドラマと同じく麻酔をすれば子供が死ぬと言われ(理由はわからない)、死産か麻酔なしの帝王切開かの究極の選択を迫られ、相談の末、麻酔なしの帝王切開を決断したらしい。腹を割いて子供(私)を取り出し、へその緒を切ったら即、麻酔・・・その間、数分のことだったそうだが、その痛みは想像を絶するものだったと母はいう。メスが入った瞬間、獣のような叫び声をあげた・・・と。そりゃあ、そうだろう。切腹のようなものだから(切腹をしたことがないので、どれほどの激痛かわからないが・・・笑)。これはまぎれもなく本当の話。病院も町医者ではなく、名の通った大病院である。平成の現代でもそんな例があるのかどうかは知らないが、昭和の後半には、間違いなくあった話である。私が子供の頃、私が反抗する度に母はこの話を持ち出した。「あんな痛い思いをして産むんじゃなかった。」・・・と(苦笑)。

 野風の子供は無事に生まれ、彼女も命を落とすことはなかった。歴史の修正力ははたらかなかった。修正される歴史と、そうでない歴史。この違いが、物語のテーマのようである。

 物語の裏主役とでもいうべき坂本龍馬は、「大政奉還」の実現に向けて奔走。有名な「船中八策」を起草する。この「船中八策」については、昨年の大河ドラマ『龍馬伝』の稿でふれているので、よければそちらを一読ください(参照:龍馬伝 第43話「船中八策」)。しかし、ここでもあるはずのない歴史が誕生。龍馬の起草した新国家の体制案は、9つ目の項目が存在し、「船中九策」となっていた。
 九、皆が等しく必要なる医療を受けられ、健やかに暮らせる保険なる仕組みを作る事
 それは、勝海舟からでも大久保一翁からでもなく、仁から得た知識だった。
 「いるはずの無い俺の足跡が、歴史に刻まれていく。坂本龍馬の手で・・・。歴史は、変えられないわけじゃない・・・。」
 変えられない歴史と、変わりはじめた歴史。その違いは何なのか。もうすぐ見えてきそうだ。

 新しい命の誕生と、新しい国家の誕生を重ねあわせたあたり、実に上手い設定だと思う。第4話の稿でも述べたが(参照:JIN -仁-(完結編)第4話)、ストーリーに無理に龍馬を絡めてくるわけではなく、ちゃんと通説に沿った行動をさせながら、フィクションの物語とも深く繋がっているという設定は見事。このあたりが、フィクションでありながら歴史ファンにも支持される理由だと思う。

 余談だが、第6話で出てきた田中久重という人物のことをよく知らなかったのだが、調べてみると、「東洋のエジソン」といわれた大発明家で、東芝の創業者だとか・・・。原作漫画にもこの人物が登場するのかどうかは知らないが、チョイ役とはいえ、なぜドラマに登場させたのか考えたときに、このドラマのスポンサーがどこであるかに気がついた。なるほどな・・・と(笑)。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-08 01:04 | その他ドラマ | Trackback(2) | Comments(4)  

JIN -仁-(完結編) 第6話

 物語の本筋とは別に、このドラマのもうひとつの魅力は、なんといっても内野聖陽さん演じる坂本龍馬だろう。昨年の大河ドラマ「龍馬伝」でみた福山雅治さんのスマートで優等生の龍馬とは違って、いわゆる無骨で骨太な、脂ぎった龍馬像である。福山さんの龍馬も、あれはあれで新しい龍馬像として悪くはなかったが、私のような古い龍馬ファンにとっては、やはり内野龍馬のほうがしっくりくる。というか、今まで見てきた数々の役者さん演ずる龍馬の中でも、ひょっとしたら一番じゃないかとすら思っている。龍馬の持つイメージといえば、明るく、楽天的で、濶達で、気取りがなく、粗野に見えるところもあるが、陰険さがまったく感じられないので、とにかく好感が持てる。それでいて、眼の奥にはギラついた高い志がある。そんな往年の龍馬像を、内野さんが見事に演じてくれている。

e0158128_22291285.jpg 今話で長崎を訪れた南方仁先生が、龍馬と一緒に撮影していた写真は、幕末の写真家、上野彦馬が撮影したと言われる有名な龍馬の立ち写真。龍馬ファンでなくとも、一度は見たことがある写真だろう。もちろん、本物には仁先生は映っていないが(笑)、あまりにも似ていたので、ちと拝借して比べてみた。いや~、完璧じゃないですかね?

 このドラマでの龍馬の魅力のもうひとつは、その人物像の描かれ方だ。当ブログの昨年の「龍馬伝」の稿でも再三発言してきたが、私は、坂本龍馬は決して巷でイメージされているような、平和主義の非戦論者ではなかったと思っている<参照:坂本龍馬の「大政奉還論」と、中岡慎太郎の「武力倒幕論」(前編)(後編)>。周知のとおり、龍馬は幕末のギリギリのタイミングで、「大政奉還」という平和革命の道を選んだわけだが、そのことだけを捉えて、しばしば龍馬を「反戦、平和主義の象徴」のように描いた作品を見かける(昨年の「龍馬伝」もそうだった)。しかし、それでは今話の時期の龍馬の行動の説明がつかない。ドラマのとおり、薩長同盟を成立させた龍馬は、薩摩藩名義で武器と弾薬、軍艦を購入して長州へ流し、自らもその軍艦に乗って「四境戦争」に参戦している。さらにのち、自藩の土佐藩にも新式ライフル銃1000挺を送りつけ、討幕の準備を進めた。その上で、「船中八策」を考案し、「大政奉還論」を推したのである。

「まずは力を得んと、言いたいことも言えん。」

 仁先生に龍馬がいった台詞だが、この言葉通り、龍馬が目指したのは戦も辞さない姿勢を示した上での、無血革命コースだった。それは、平和主義からきたものではない。革命後の「富国強兵」のためである。そのためには、できるだけ内乱は少なく収めたい。それが、坂本龍馬の考えの最終的な到達点だったと私は思う。

 そんな坂本龍馬像が、このドラマでは実に上手く描かれていると思う。今話で龍馬は、仁先生の言葉によって新たな道を見つけ出したようだったが、実際の龍馬も、無血革命コースを模索し始めたのはこの四境戦争後のことだったと私も思う。今後も、内野龍馬から目が離せない。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-24 22:43 | その他ドラマ | Trackback(3) | Comments(0)  

JIN -仁-(完結編) 第5話

 鉛中毒で廃人となった歌舞伎役者の坂東吉十郎と、その一人息子の与吉の父子物語。命を救うには手足を切断するしかないという南方仁先生に対し、なんとかもう一度、舞台に立たせてやってほしいと頼む、同じ役者仲間の澤村田之助
 「兄さんにとって、手足を切って生きながらえることなんて、なんの意味もないのさ。」
 極道三昧で生きてきた吉十郎にとって、死を目前にして息子に残してやれるものは、自分が最も輝いている姿を見せることだけ・・・使い古されたテーマではあるが、息子を持つ親としては、正直、このテの話には条件反射のように涙腺が緩む(苦笑)。
 「命の値打ちってのは、長さだけなのかい?」
 考えさせられる台詞だった。

 未来からタイムスリップしてきた自分という異物を抱え込みながらも、歴史は史実通りに進んでいるという歴史の修正力に直面して、自分がしていることは、束の間の延命に過ぎないのではないか・・・と思い悩む仁先生に、が言った台詞。
 「延命だけではいけないのですか? 全ての医術は所詮、延命にしか過ぎぬのではございませぬか? 未来がいかに進んだ世かは存じませぬが、人はやはり死ぬのでございましょう?」
 そう、人はいずれ必ず死ぬ。どれだけ医学が進んでも、おそらくそれは変わらないことだろう。医療とは、所詮は延命に過ぎないのである。むしろ、医学が進んだことによって、本来、医療の持つ意味を忘れてしまっているのかもしれない。医学が進んだことによって、「ただ生きているだけ」という人をたくさん生み出している21世紀の現代。「命こそが、最も尊いもの」「命を救うことこそが、優れた医療」というのが現代の医学の到達点となっている。しかし、はたしてそうだろうか。「命の価値」とは、ひとりひとり違うものなんじゃないだろうか。医療とは、その人の人生の手助けをするものであって、その方法は、人によって違うものなんじゃないだろうか。医学が発達していない時代の医療のほうが、その本来持つ意味を知っていたのではないだろうか。そんなことを思った今話だった。

 「束の間の延命。もしかしたら延命にすらなっていないのかもしれない。こうしたことで命を縮めた可能性すらある。だけど、この瞬間には長さでは語れない命の意味がある。残された時間を輝かせるという医療の意味がある。世代を超え、受け継がれていく芸のように世の営みを超えていくもの、歴史の修正力に抗えるものを俺も残したい」

 大切なのは、「どれだけ生きたか」ではなく、「どう生きたか」ということ。私も、この先どれだけ生きられるかわからないが、与えられた命をどれだけ悔い無く生きられるか・・・私の愛する子供たちに、何を残してやれるだろうか・・・いつか自分の死期に直面したとき、自分の「命の価値」を自分で見出すことができるだろうか・・・そんなことを考えさせられた吉十郎の最後だった。

 坂東吉十郎という人物は、実在の人物だろうか? 坂東玉三郎と関係ある? 知ってる方がいれば、教えてください。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-18 23:03 | その他ドラマ | Trackback(2) | Comments(0)  

JIN -仁-(完結編) 第4話

 手術中の失血による死亡を避けるために、輸血が必要と考えた南方仁先生は、血液型を判定するための道具・遠心分離機を作った。しかし、輸血には副作用など様々な危険があるため、失血死の危険があるときのみ行うとのこと。しかし考えて見れば、切れば必ず出血する外科手術において、輸血は欠かせない医療行為。タイムスリップして幕末にきてから4年間、ずっと輸血なしで手術をしてきたことのほうが驚き・・・と思ってしまったのは私だけだろうか(笑)。

 血液型が発見されたのは、ドラマのこの時期より14年後の1900年、オーストリアの医師・カール・ラントシュタイナーABO血液型を発見したことに始まり、10年後の1910年には4番目の血液型AB型が発見され、現在の形となったらしい(今調べました・・・笑)。さらにラントシュタイナーは1914年に、血液にクエン酸ナトリウムを加えれば、血液が固まらないことを発見し、これが抗凝固剤となり、これにより輸血という医療行為が可能になったらしい(これも今調べました・・・笑)。この発見によってラントシュタイナーは、1930年にノーベル生理学医学賞を受賞している。ちなみに抗生物質・ペニシリンを発見したイギリスの細菌学者、アレクサンダー・フレミングも、1945年にノーベル生理学医学賞を受賞しており、仁先生がこのままこの時代に生き続ければ、ノーベル賞の受賞は間違いなさそうだ(笑)。と、同時に、ラントシュタイナーとフレミングの受賞はなくなるわけで(ていうか、仁先生が未来に帰ったとしても、ペニシリンや輸血を登場させてしまった時点で二人の受賞はなくなるわけで)、これって仁先生がずっと心配してきた、歴史を変える行為ではないだろうか・・・(笑)。

 血液型の存在を知らなかったこの時代の人たちにとって、親兄弟のものならまだしも、他人の血を自分の身体に入れるという行為には、私たちが想像する以上に大きな抵抗があっただろう。「血縁」「血筋」「血族」「血統」「血脈」「血の繋がり」などの日本語が今も残っていることから見ても、遺伝子の存在がわかっていない時代の人たちにとっては、「血」こそが、先祖から継承され繋がってきたものだと信じられていたことがわかる。特に、「武家」「公家」など身分の高い者にとっては血筋こそ命。自分より身分の低い者の血を身体に入れるなんて、先祖から受け継いだ血脈を汚す行為、と思って当然だっただろう。輸血が日本で初めて行われたのは、大正8年(1919年)に東京帝国大学教授の塩田広重医師によってだそうだが(これもまた、今調べました・・・笑)、初めて輸血を受けた患者さんは、相当肝の座った人物だったのだろうと想像する。

 ドラマに出てきた恵姫は実在の人物で、武蔵川越藩の第7代藩主・松平直克の正室。コブの話はドラマのオリジナルだが、子宝に恵まれなかったというのは本当の話で、徳川家康から続く血筋は彼女の代で途絶えてしまったとか。今話のキーである「輸血」に、高貴な人物の「血筋」のこだわりを絡めた設定は、実によく考えられたストーリーだったと思う。

 ドラマの裏主役ともいえる坂本龍馬が、いよいよ「薩長同盟」を成立させたようだ。このあたりの龍馬のエピソードと、ドラマの本筋との重ねあわせ方が実に上手い。本堂蘭方医学“架け橋”になろうとする仁先生。薩摩長州“架け橋”になろうとする龍馬。咲と恵姫の“意地”。薩摩と長州の“意地”。ストーリーに無理に龍馬を絡めてくるわけではなく、ちゃんと通説に沿った行動をさせながら、フィクションの物語とも深く繋がっているという見事な設定。近年の某国営放送のドラマ製作者の方々にも、見習ってほしいものだ。

 「薩長同盟」「寺田屋事件」については、昨年の大河ドラマ『龍馬伝』の稿で詳しく触れているので、よければ一読ください。
 (参照:龍馬伝 第35話「薩長同盟ぜよ」第36話「寺田屋騒動」

 さて、物語は仁先生と何らかの縁がありそうな少女・お初の登場で、急展開を見せ始めた模様。不慮の事故で重症を負ったお初の治療中、仁先生の身体が消え始めた。この娘は仁先生の先祖?・・・いやいやそれならなおさら助けないと仁先生は生まれてこないことになる。となると、この娘を生かしておくと、仁先生の先祖と何らかの関わりを持ち、仁先生が生まれてこなくなるということ?・・・予告では、またタイムスリップをするようなシーンがあったけど、一度未来に帰っちゃうの?・・・これは来週も観ないわけにはいかない。制作サイドの思惑に、見事にハマってしまっている私です(笑)。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-10 19:09 | その他ドラマ | Trackback(2) | Comments(2)  

JIN -仁-(完結編) 第2話・第3話

 江戸時代、江戸のまちでは富裕層の間で玄米にかえて精米された白米を食べる習慣が広まり、将軍をはじめ富裕層に脚気患者が多かったという。当時、脚気のことを別名、「江戸患い」といったらしい。その脚気に効く食べ物として仁友堂が考案・開発した「安道名津(あんドーナツ)」が江戸で瞬く間に評判となり、それを耳にした医学所頭取の松本良順が、ある高貴な人物が脚気を患っており、安道名津を献上して欲しいと、南方仁に耳打ちをする。その高貴な人物とは、孝明天皇の妹にして第14代将軍・徳川家茂の正室、皇女・和宮だった。

 和宮は仁孝天皇の第8皇女として生まれ、孝明天皇とは異母兄妹だった。一時は有栖川宮熾仁親王と婚約をしていたものの、安政5年(1858年)の安政の大獄によって亀裂が生じていた朝廷幕府の関係を修復するため、宮との婚約を破棄し、「公武合体」の証として家茂の正室となる。いわゆる「皇女降嫁」である。彼女は、2008年の大河ドラマ『篤姫』の主役だった天璋院(篤姫)とは嫁と姑の関係にあり、幕府瓦解後はともに江戸無血開城に尽力した。波乱に満ちた生涯から「悲劇の皇女」として知られる。

 良順から懇願された仁は、歴史に対する影響力を考慮して献上を躊躇するものの、仁友堂の逼迫した台所事情などを知り、少しでも皆の暮らしの足しになればと、献上を決意する。そして咲とともに和宮の元に赴いた仁だったが、何者かの陰謀によって、献上した安道名津を口にした和宮が突然倒れるという事態が起こり、仁は一転、罪人として捕らえられてしまう・・・というのが第2話、3話のストーリー。

 ここで、幕府の医療形態について少しだけ。幕府将軍付の医師のことを、「奥医師」といった。ドラマに出てくる「本道」とは、漢方医のことで、古くからの伝統的な東洋医学で漢方薬などを用いての治療のこと。一方、「蘭方」とは、江戸時代にオランダから伝わった西洋医学のこと。この言葉でもわかるように、「漢方=本道」で、「蘭方=邪道」というのが江戸時代の一般的な見方だったが、幕末のこの時期、邪道だった蘭方が信用されはじめ、将軍付の奥医師も、本道・蘭方 双方が仕えており対立していたという。

 ドラマでいうところの「医学館」は本道(漢方)、「西洋医学所」は蘭方が仕切っていた。登場人物でいえば、多紀元琰福田玄孝などは本道、松本良順伊東玄朴、それに一昨年の1作目で死んだ緒方洪庵などが蘭方医である。本道VS蘭方の対立もさることながら、今話で和宮にヒ素を盛った(かもしれない)伊東玄朴は、もともと「西洋医学所」の取締役でありながら松本良順の弾劾により失脚した人物。同じ蘭方医の間でも、地位を巡った争いがあったであろうことは、想像に難しくない。そんな対立に仁を絡めたのが、2話3話の設定である。しかし、このような話はこの時代に限らず、現代の大学病院大病院などでも、似たような話がありそうだと思ってしまうのだが、いかがなものだろう。

 結局、本堂である「医学館」の多紀元琰の尽力によって濡れ衣を着せられずにすんだ仁。そのお礼にペニシリンの製法を記した虎の巻を持って「医学館」に訪れた仁だったが、それを渡された多紀は、「しかしこれは仁友堂の秘伝の妙薬では」と、たいそう驚く。この時代、特に漢方医にとっては薬の処方が生命線。他流派には絶対に教えられない秘伝・口伝のものだった。技術を公正に公開し、医療全体の向上に繋げる・・・といった考え方はなかった時代である。仁の行いに対して多紀が驚くのは、当然のことだった。しかし、形は違えど現代でも、新薬保険制度に認定するか否かの判断は、多分に製薬会社と行政の利権が関係している(といわれている)。権力争いにしても利権争いにしても、人命救助や医療向上が二の次になっている状況は、今も昔も変わらないようである。

 前作からここまでドラマを見てきて何となく見えてきたこと。自分が歴史上の人物と関わることで、歴史を変えてしまうかもしれないと懸念する仁だが、今話の最後で坂本龍馬薩長同盟を模索し始めたところを見ても、どうやら歴史の大筋は正しい方向へ進んでいるようである。考えて見れば、今話で助けた皇女・和宮も、1話で助けた西郷隆盛も、史実でいえばまだ死んではいけない人物である。逆に前作の緒方洪庵や1話での佐久間象山など、歴史上そこで死ぬべき人物は助けることは出来なかった。歴史は狂ってはいない・・・というよりも、西郷や和宮の例でみれば、狂い始めた歴史を軌道修正しているようにも思える。そのあたりが、今後の物語の展開の重要なポイントのように思えるが、いかがなものだろう。原作の漫画を読んでいないので、的外れな見方だったらゴメンナサイ。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-04 21:28 | その他ドラマ | Trackback(2) | Comments(2)  

JIN -仁-(完結編) 第1話

 一昨年に大ヒットした、TBSドラマ『JIN -仁-』の続編、『JIN -仁-(完結編)』が始まった。幕末史が大好きな私としては、当然、楽しみにしていたわけだが、といってもドラマは漫画を原作としたオールフィクションの物語。毎週、大河ドラマのレビューを起稿しているように、ここで私が歴史についてのウンチクを垂れるのも無粋なことだと思い、純粋にドラマを娯楽として楽しむため、このドラマについて起稿するつもりではなかった。・・・が、あまりにも面白すぎて、気が変わった。毎回起稿するかどうかはわからないが、とりあえず第1話について、少しだけ私のウンチク話にお付き合い願います。

 ドラマの舞台となっていたのは、元治元年(1864年)7月19日に京都の町で起きた「禁門の変」。別名、「蛤御門の変」ともいわれるこの事件は、前年の「八月十八日の政変」(参照:「八月十八日の政変」と、幕末における長州藩の役割。)で京都を追放されていた長州藩が、尊皇攘夷派の勢力を取り戻そうと挙兵し、幕府(会津藩・桑名藩)薩摩藩の連合軍を相手に、御所の近くの蛤御門付近で交戦した事件のこと。結果は長州軍の惨敗に終わり、同藩は久坂玄瑞をはじめ多くの有能な人材を失うこととなる。この戦いはわずか1日で終わったが、落ち延びる長州勢とそれを追う幕府勢の放った火で、晴天続きで乾燥状態にあった京都の町は、たちまち火の海となった。その戦火は3日に渡って燃え続け、堀川と鴨川の間、一条通と七条通の3分の2が焼き尽くされた。「甲子兵燹図」に描かれたそのさまは地獄絵図のようで、命からがら逃げおおせた人々も,山中から呆然と市中の火の海を眺めるばかりであったという。焼失戸数は4万2千戸ともいわれ、上記、「禁門の変」「蛤御門の変」といった呼び名は、のちの明治政府がこの戦いをなるべく小さくみせるためにつけた名称で、当時の呼び方では、干支をとって「甲子(きのえぬ)の戦争」といわれたそうである。ドラマの主人公・南方仁が訪れた京都のまちは、そんなときだった。

 長州藩きっての秀才であり、過激な尊皇攘夷論者だったとされる久坂玄瑞。しかし、ドラマのとおり、この戦いには自重論だったという。しかし、同藩・来島又兵衛をはじめ進発論に押し切られてやむなく兵を率い、一時は好戦するものの力及ばず、最後は寺島忠三郎と共に鷹司邸内で自刃する。享年25歳。

 ドラマ中、死を覚悟した久坂が、思いとどまらせようとする坂本龍馬に言った台詞。
 「攘夷などクソくらえだ。攘夷など本気で信じとる奴がいたらアホじゃ。長州はアホの集まりじゃ。私はこの国をひとつにしたかっただけじゃ。日本は外敵に狙われている。外国に真に立ち向かうためには、まずこの国が一つにならなければならぬ。でなければ太刀打ちなど出来ぬ。それを乗り越え、ひとつに出来るものが、尊王であり、攘夷であると思った。ひとつになり得るきっかけでさえあれば良かったのだ。・・・だが長州は、熱くなりすぎた・・・。」
 攘夷はこの国をひとつにするための手段だったという。この考えは、当時の“攘夷論”を掲げた指導者の共通した見識だったと私も思う。おそらく久坂ほどの明敏な頭脳の持ち主であれば、攘夷が現実的でないことはわかっていただろう。しかし、人を束ねるには目的意識が必要だった。それも、できるだけ勇ましく過激な目的の方が、人はついてくる。それが、“尊皇攘夷論”だった。しかし、下級層の志士たちにとっては、“尊皇攘夷論”はあまりにも麻薬性が強すぎた。やがて彼らは、無謀な自爆行為へと突き進んでいく。それが、久坂の言う「熱くなりすぎた」である。

 昨年の大河ドラマ『龍馬伝』では、そのあたりが上手く描かれておらず、攘夷論者は純粋に攘夷の実現を信じる盲目思想家といった描かれ方でしかなかった。そこが私は不満だった。本ドラマでは、死を覚悟した久坂が龍馬に諭す。「お前は間違えるなよ・・・」と。もちろん、久坂の死に龍馬が立ち会った話などないが、この台詞は、死んでいく攘夷指導者の本心だったように思う。正直、NHK大河ドラマが民放のオールフォクションドラマに負けた・・・と思った。

 史実では、この戦いの8日前の7月11日、同じく京都は三条木屋町で前田伊右衛門河上彦斎等の手によって暗殺された佐久間象山。翌朝、三条河原に首を晒されたといわれているが、その首が実は偽物で、実は瀕死の重傷を負いながらも生きながらえていた・・・というのが今回のドラマの設定。その象山の生命を救うために京都に上った仁先生だったが、意識を取り戻した象山から驚愕の事実を知る。なんと象山は、少年時代に平成の未来にタイムスリップした経験があるというのである。

 佐久間象山は、この時代の日本における、洋学の第一人者だった。彼は自信過剰で傲慢なところがあり、それ故に敵が多かったと伝わる。しかし、彼の持つ知識や思想はこの時代に生きる者たちの中では数段先に進んでいたといわれ、彼の門弟からはのちの日本を担う人物たちが数多く育った。そんな彼を、140年後の未来を見てきた男という設定にしたのが実に面白い。南方仁が、何らかの使命を神に与えられ、江戸末期に送り込まれた人物とするならば、象山は、何らかの使命を神に与えられ、未来を見せられた人物・・・と。

 そんな象山に、仁は自分がしていることは、歴史を変えてしまう行為ではないかという、この時代にタイムスリップしてきてからずっと悩み続けてきた思いを語る。すると象山はいう。
 「お前は歴史を変えてしまうことを恐れている。裏を返せばそれは、自分が歴史を変えてしまえるかもしれないと思っているからだろ?・・・相当な自信家だ・・・。もし、お前のやったことが意にそぐわぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。神は、それほど甘くはない。」
 実に深い台詞である。

 私はこの台詞の中の“神”を、“自然”と解釈したい。そして人間の歴史も自然現象の一部。生きとし生けるものは、すべて“自然”によって操られ、生かされているのである。その“自然”を、自然の一部である人間が変えよう、操ろうなど、思い上がりも甚だしい。“自然”がもし、自然の一部である人間の行いを不要だと思ったら、自然の力をもって人間を排除する・・・。“自然”は、それほど甘くはない・・・と。

 今、日本は“自然”の力によって、これまでにない危機を向かえている。“自然”の力を利用してエネルギーに変え、“自然”を操っていると自惚れていた私たちは、“自然”によってその思い上がりを容赦なく打ち消された。“自然”という名の神は、人間を疎ましく思い始めているのかもしれない。こんな娯楽ドラマを見ながら、そんなことを思わされた台詞だった。

 ただ、同時にこの物語では、一貫したテーマとしてこう言っている。
 「神は乗り越えられる試練しか与えない」・・・と。
 日本が今、直面している危機も、乗り越えられる試練として、神が与えたものなのだ・・・と、そう思っていいのだろうか・・・。いや、必ずそうだと思わなければ、きっと乗り越えられないのだろう。だから私たちは、自分たちも自然の一部であるということを自覚し、自然に淘汰されないよう生きる道を探さねばならない。そうすれば、きっと乗り越えられる試練だと、神は言っているのかもしれない。


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by sakanoueno-kumo | 2011-04-19 01:32 | その他ドラマ | Trackback(6) | Comments(101)