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天地人 第19話「本能寺の変」

ときは天正10年6月2日。
 このくだりで始まる「本能寺の変」は、過去数え切れないほどの脚本家、演出家、役者さんによって描かれてきた。大河ドラマにおいては、実際に本能寺の変が起こった6月2日に一番近い日曜日に放送されるのが恒例だったのだが、今回は1か月近くも早い放送。主役の兼続が活躍するのはこれからということもあって、展開を早めているのだろうか。しかし、本能寺の変に至るまでの過程があまりに省略されていたのは少々残念な脚本だった。

 火の手の上がった本能寺で、信長は謙信入道の幻影に対面する。
「天地人・・・・・・天の時、地の利、人の和。その三つを併せ持つ者こそ天下を治めるに値する。」
「人の心を蔑ろにした。人の心は力で動かすことは出来ぬ」

「きれいごとではこの世は治らん。ぶち破る力無くして何ができよう。それが悪だというのなら、俺は喜んでその道を選ぶわ。・・・・・信じるは己のみ。」
「さても悲しき男よ」
この物語のテーマである「義の心」。
信長と謙信の歩み寄れることのない信念を垣間見れるシーンである。

 織田信長という人物の生涯は、その後400年経った今でも、上に立つ者の反面教師として語り継がれている。これほどわかりやすい教訓はなく、本能寺の変の物語を通して、謙信の言う「人の心は力で動かすことは出来ぬ。」ということを改めて感じ学ぶのである。明智光秀の起こした行動は、その後の時代に生きる私たちの道徳教科書として、大きな意味を持った必然であったと考えてみるのも面白い。そして私たちの生活の中で、会社や学校、家庭などで自分の置かれている立場に置き換えて今一度考えてみたい。
ほとんどの人が大なり小なり「光秀」の気持ちになったことがあるに違いない。
そして環境によっては「信長」になってしまう心も、誰の中にもあるように思える。
「人の心は力で動かすことは出来ない。」
さても悲しき男にならぬよう・・・・・自己研鑽せねば・・・。


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5月14日追記-------
本話の放送でサブリミナル演出と思われるシーンがあったとか。放送後多数問い合わせのTELがあったらしい。サブリミナル効果とは通常肉眼で確認できないほどの短いカットを使って、潜在意識に働きかけるという手法。多数問い合わせがあったということはサブリミナル演出とは言えないのでは・・・?

以下、記事本文引用
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NHK大河ドラマ「天地人」、サブリミナル手法の演出?
NHKが2009年5月10日放送の大河ドラマ「天地人」で、サブリミナル手法に似た演出をしていたと、新聞各紙が5月14日報じている。
番組では、本能寺爆発シーンの直前、天地人に当たる空、水田、俳優の3カットが肉眼で確認が難しいほどの短時間挿入されていた。各紙では、このカットが、人の潜在意識に働きかけるとされるサブリミナル効果になるのではないかと指摘している。
これに対し、NHKでは、織田信長の気持ちを伝えるための演出で、各カットは知覚できるためサブリミナル手法ではないなどと、各紙にコメントしている。

by sakanoueno-kumo | 2009-05-11 00:57 | 天地人 | Comments(2)  

Commented by ブラック奄美 at 2009-05-11 02:23 x
こんばんわ。おじゃましますね。

「ほとんどの人が大なり小なり「光秀」の気持ちになったことがあるに違いない。そして環境によっては「信長」になってしまう心も、誰の中にもあるように思える。」これ、思い当たるふしはありますね。

織田信長・・・・自分にとっては「本能寺の変」を招いてしまったというその理由1点においてのみ、彼をリスペクトできないですね。「楽市楽座」「兵農分離」「甲鉄艦建造」など、彼が成し遂げた革新的な業績には、本当、目を見張らせられるのですが・・・・・。

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Commented by sakanoueno-kumo at 2009-05-11 19:41
ブラック奄美コメントありがとうございます。
信長の残虐なエピソードは数多く語り継がれていますが、若い頃のそれはどこまで信憑性があるのか疑わしいものです。
後の世に出来た作り話もたくさんあることでしょう。
彼の攻撃的な性格は、多少は先天性もあったかもしれませんが、置かれている立場が作りだした後天的なもののような気がしてなりません。
人は権力を持つと人格が変わる。よくあることだと思います。
晩年の秀吉も然りです。
私たちも置かれた立場でどうにでも変わる可能性を秘めている。
「本能寺の変」が後の世の人たちに語り継がれてきたのも、そういった人の心を戒める意味もあったのでしょう。

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