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天地人 第33話「五人の兼続」

 五大老、五奉行制。当時はこのような呼び名は存在せず、後の江戸時代になって作られた名称だそうである。豊臣秀吉の死後、息子・秀頼を五人の大老が補佐し、合議制をとることにより徳川家康の台頭を防ごうという考えのもとに布かれた制度。もっとも、これは生前の秀吉本人が己亡きあとの豊臣家の行く末を案じ設置したものという見方が一般的。百歩譲って三成が進言したというシナリオまではあってもいいけど、兼続の発案のような展開は少々やりすぎのような気もする。

 晩年の秀吉の愚行の中で、朝鮮出兵、千利休切腹に並んで悪名の高い豊臣秀次とその一族の処刑。秀次は秀吉の姉・ともと木下弥助の間の長男で、秀吉の嫡男・鶴松が死去したため、実子への世襲をあきらめた秀吉が後継者として養子にし、関白職を譲った。しかし、ほどなく秀吉に再び実子拾(ひろい)・後の秀頼が誕生。その後は小早川秀秋と同様、秀吉から疎んじられるようになり、そして文禄4年(1595年)、謀反の嫌疑をかけられ、切腹する。享年28歳。さらにその半月後には京の三条河原において、秀次の首が据えられた塚の前で遺児や正室、側室、侍女ら総勢39名が斬首された。

 豊臣秀次という人物も小早川秀秋と同様、無能な人物に描かれることが多い。しかし、彼の大きな失敗は家康と戦った小牧・長久手の戦いによる敗戦の一度だけであり、武将としての彼の評価を下げるには酷。人物としても、嗜好殺人などの非人道的行為を繰り返したとも言われ、「殺生関白」という異名は有名なところだが、これも後に出来た作り話とする見方が強い。ただ、関白という位は身の丈に合わなかったというのが正しい見方かもしれない。いずれにしても悲しい運命を背負わされた人物であるには違いないし、秀次を死に追いやったことが、豊臣政権の力を弱める結果になったことも否めない。

 秀次事件の責めを石田三成に向ける徳川家康に対し上杉景勝が言った言葉。
「治部少輔は太閤殿下の家臣。主の責めを家臣に問うのは見当違いも甚だしい。」
 部下の責めは上司の責任。しかし上司の責めは部下の責任ではない。こんな当たり前の道理が、私たちの社会では為されていない姿を目にすることが多い。私も部下を持つ身。三成のような苦悩を部下に負わせないようにせねば・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2009-08-17 00:35 | 天地人 | Comments(0)  

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