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天地人 第34話「さらば、越後」

 痛恨の録画ミスをしてしまった今話。今日、やっと再放送を見ました。

 さてさて今回は国替えの話。関ヶ原の戦いの3年前にあたる慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の命によって上杉家は長年の故郷・越後より会津へ国替えとなる。現代でも政治家の国替え出馬という例は時々あって、長年培ってきた地盤を根こそぎ変えての政治活動は大変なことだが、この時代の国替えはそれの比ではない。言ってみればお役所全体の配置換えである。越後と会津は隣の国ではあるが、ほとんど者は越後から出たことはなく、外国へ引っ越すようなものである。「0123」も「ゾウさんマーク」も「アリさんマーク」もないこの時代の団体引っ越しは大変なものだったのだろう。

 後の徳川時代における国替えは転封とも言い、処分・統制のために行われた例が多いが、上杉の会津への国替えは、若くして急逝した蒲生氏郷に変わって奥州・伊達や関東・徳川を牽制するというのが最大の目的。それほど上杉家は秀吉からの信頼を受けていたことがわかる。所領も120万石の加増で、言ってみれば栄転なのである。にもかかわらず家臣からの反発は相当あったよう。栄転とは言っても移転先は外国。それも一生祖国には戻れぬかもしれない栄転など、出世欲満々のサラリーマンでも嬉しい者は少ないだろう。泉沢久秀などは寝込んで拒否していたが、本当に寝込んでしまった者も沢山いたかもしれない。

 頑なに国替えを拒む久秀に対し、兼続は重大な仕事を頼む。
「家中をあたり、身内を越後に残してもいいという者を探してほしい。」
「もしも再び国が乱れたならば越後に戻る。そのときには手引きするものがいる。」
「残る者には、仏門に入るか百姓になってもらわねばならぬ。」

 このとき越後に残った者たちが、後の関ヶ原の戦いにおいての「越後一揆」の下地を作るのである。国替えに伴って異国に移る者たちも辛いが、百姓に身を落として越後に残る者たちの試練は相当なものだっただろう。久秀の身内がその中にいたという史実はどこにも存在しないが、越後に残った名もなき家臣たちの働きが、後の史実に大きく関わってくることになる。

 誰もが知るところの歴史上の偉人たち。信長や秀吉、家康などの生きた痕跡は、確実に歴史上に燦然と輝いて現代に生きる私たちに影響を及ぼしている。彼らがこの世に生を成さなければ、全く違った日本になっていたかも知れない。しかし、このとき越後に残る運命となった名もなき侍たちの働きも、確実に歴史に関わって現代の私たちに繋がっている。歴史に名を成した偉人たちの存在だけで日本が作られてきたわけではない。そんな当たり前のことを改めて感じた今話だった。



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by sakanoueno-kumo | 2009-08-29 23:08 | 天地人 | Trackback | Comments(0)

 

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