天地人 第39話「三成の遺言」

 大河ドラマにおいて、初めて関ヶ原の敗者側が主役となった今年の「天地人」。直江兼続と石田三成の友情物語でもあったこの物語では、当然その最期も三成側の視点から描かれている。

 関ヶ原の敗軍の将として無念の最期を遂げた石田三成。優れた行政能力を持った官僚型の人物で、同じ豊臣恩顧の福島正則や加藤清正などの武断派たちとの間に確執があったとされ、その確執が結果的に関ヶ原での敗走を招いたともされる。しかし自らの領地・近江では、善政を敷いていたため領民から慕われ、三成の死後も領民たちは佐和山城付近に地蔵を築き、彼の遺徳を偲んだという。ドラマでは省かれていたが、関ヶ原を敗走した三成が自身の領地・近江の岩窟に身を潜めていたとき、領民の与次郎という人物が死罪を覚悟で三成の献身的な介抱をする。三成はこの与次郎の義侠心に感銘し、彼に罪が及ばないように自ら役人に身を晒したという有名な話がある。彼の人間性がうかがえるエピソードである。

 「大義は尚、我にあり。」「不義の輩が長く栄えるは無しと思われよ。」
 囚われの身となった三成が家康に言った最期の言葉だが、皮肉にも歴史はその言葉とは全く反対の意志を示し、以後250年に及ぶ日本歴史上最も安定した政権、徳川時代に繋がるのである。ならば三成の言う「正義」は間違っていたのか・・・。そうは思えない。それではもしも関ヶ原の戦いで三成が勝利していたら・・・その後の日本がどのような歴史をたどったかは、誰にもわからない。やはり歴史の「もしも」はタブーで、歴史に起こった出来事はすべて現代の私たちに繋がっており、それは歴史の必然であって、「正義」と言えるのかもしれない。

 処刑を待つ三成と福島正則が酒を酌み交わすシーンはいいシーンだった。もちろんこのようなエピソードは存在せずフィクションなのだが、石田三成と福島正則という二人が、道は違えても豊臣家の為に命を賭した武将であったことは十分に伝わるシーンであり、その心は決してフィクションではないだろう。

 石田三成 辞世の句
 「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」


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by sakanoueno-kumo | 2009-09-28 01:00 | 天地人 | Trackback | Comments(0)  

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