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天地人 第41話「上杉の生きる道」

 1601年(慶長6年)10月、徳川家康の命により米沢へと移り住んだ兼続たち。石高4分の1という大幅減封にも関わらず6000人の家臣を誰一人リストラしなかったのだから、経営はたちまち大変なわけである。国づくりを進めようとする兼続に対して、自分たちの生活を心配する家臣たち。もっともな話である。

 「皆の不安はもっともじゃ。だが、ただ座して何を待てというのか。今、新しいことを始め希望を持つことで、道を切り拓こうではないか。」
ピンチをチャンスに。弱っている時こそ攻める姿勢を。100年に1度と言われる平成不況に生きる私たちだが、ただ座して待つだけでは何も生まれない。今、もっとも必要な心かもしれない。
 「恐れながら、その希望とやらは腹の足しになりますかのぉ。」
しかし、末端に生きる者たちの思いも切実。心の温度差は否めない。
 「石堤に掛かる元手は、わが家禄から都合する故、心配無用。」
まずは取締役から身を削る。これが出来てない経営者が現代では多いのでは?最も厳しい立場に自らを置いてから、部下に痛み分けを要請する。これが出来なければ経営者としての資格はない。兼続の行おうとしていることは経営者としては当たり前のことなのだが、これを美談として描かなければならない現代の世の中は、やはり病んでいるということだろうか・・・。

 上記とは別に今話の主題は、タイトル「上杉の生きる道」とはあまり関連なく、「父」と「息子」の絆の話。こちらについては昔も今も大きくは変わらない。いつの時代でも父親にとって息子は己の写し絵で、故に厳しく接するものであり、しかし最も愛しくもあり、ひいき目でもある。息子にとって父親は、幼き頃は師であり、憧れであり、しかしある程度の年齢になれば、目の上のたんこぶであり、壁であり、反面教師でもある。願わくば晩年もしくは死後、再び幼き頃のように父親を師と敬うときが来れば最も理想的な父子だが、これは父親次第というところだろう。
 
 兼続は父の死の直前にその心に達した。父、惣右衛門にとって最も嬉しい冥土の土産だっただろう。不詳、私にも15歳の息子がいる。説教の多い親父で、最近私の顔を見ると自分の部屋に逃げていく。(苦笑) いつか、兼続、惣右衛門父子のような関係になれる日がくるだろうか・・・。 


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by sakanoueno-kumo | 2009-10-12 01:43 | 天地人 | Trackback | Comments(0)

 

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