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天地人 第44話「哀しみの花嫁」

 本多正信の次男・政重。1604年(慶長9年)、直江兼続の娘・於松の婿養子となり、直江大和守勝吉と名を改める。この勝吉こと本多政重は、これ以前も波乱万丈の道を歩んでおり、徳川家重臣の家に生まれながらも刃傷沙汰を起こして出奔し、大谷吉継や宇喜多秀家などのいわゆる関ヶ原の戦いにおいて徳川方から見た敵方に仕えていた。言ってみれば、この4年前の関ヶ原の戦いまでは、兼続たちと「同志」に位置していたわけである。その後、正信の子ということもあって罪には問われず、兼続が本多家に近づいたことから、この縁談が成立した。
 しかしほどなく妻・於松が病死。それでも養子縁組は解消されず兼続の弟・実頼の娘を後妻として迎え、直江家との関係を保つことになる。その後結局は直江家を去ることになるのだが、その後も本多家と直江家は親しい交流があったとされることから、深い信頼関係が築かれたのであろうことが想像される。

 養子といっても政略結婚。ましてや上杉家は監視される立場にあり、敵方のスパイを黙認して雇い入れたようなものである。しかし兼続は養子となった勝吉に上杉家の内情を次々と見せてまわる。包み隠さないことで、逆に身の潔白を証明しようという意図が窺えるが、鉄砲の鍛冶場まで明かされた勝吉は兼続の心が理解できない。
 「上杉に謀反の疑いありと、私が告げればどうなりましょう?」
 「それも見越した上で、そなたをここに連れてきた。」
 「何故に?」
 「そなたが我が身内であるからじゃ。」
 人の信用を得るには、まずは人を信用する。政略結婚とはいえ縁あって身内になったのだから、まずは信頼関係から構築せねば何も発展しない・・・といったところだろうか。もっともではあるが、弱い立場で人を信用することはとても難しいこと。身を守ろうとすれば人を疑ってしまうのが凡人の常である。数々の修羅場を経験し、人間関係にとってもっとも大切なのはその「真心」だということを知っている兼続ならではの外交である。

 一方で、勝吉・於松の夫婦関係はそう簡単にはいかない。父・兼続の心を受け継いだ於松は、縁あって夫婦になった勝吉との絆を深めようと悩み苦しむ。
 「絆とは、相手に何をしてあげられるかを思い続けること。」
 母・お船に教えられて、妻として夫にしてあげられることを尽くす於松だったが、その思いが勝吉の心に響いたのは、哀れにも彼女の死後のことだった。
 相手に何をしてあげられるか・・・。夫婦の間でそれを思い続けることもまた難しいこと。親子関係ならば、親が子にそう思い続けることは常。しかし夫婦の間において、果たしてそれが出来ているだろうか。自分にして欲しいことを求める心の方が多いのではないだろうか。そんなことを感じさせられた言葉だった。

 この物語も残すところ3話。今話で兼続は、己の目指すべき道、政に対する考えが固まったようである。
 「天下は誰のものでもない。守るべきは天下という形ではなく、ここに生きる民の暮らし。」
 こののちも、大阪冬の陣・夏の陣などまだまだ政局は激しく動きを見せるが、ここからの様々な局面での兼続のは、常にこの考えをベースに道を選択していくことになるのだろう。


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by sakanoueno-kumo | 2009-11-02 01:22 | 天地人 | Trackback | Comments(0)

 

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