坂の上の雲 第4話「日清開戦」

 好古は戦場においても指揮刀を使っている。指揮刀とはおもちゃのような刀身で、刃がなく、当然切れない。まわりの者は不安がったが、彼に言わせれば、指揮官の役目は個人で敵を殺傷するものではなく、一隊一軍を進退させて敵を圧倒することころにあり、個人としての携帯兵器はいらないという。理屈は通っているが普通は不安なのが当然だろう。
 好古は酒がよほど体にあっていたようで、かなりの酒豪だったらしく、戦場においても水筒に酒を入れてある。激戦になるとかならず飲む。のんで勇気をつけるというのではなく、飲んだからといって頭に血が上って景気づくというぐあいにはならず、ただ鎮静はするらしい。酒を飲むことによって平常の自分を維持することができるようである。
 しかし、この日清戦争の旅順攻撃での好古のとった行動はあまりにも無謀で、「蛮勇」という言葉が相応しかった。戦略的にはもっと早く退却するのが定石で、好古ほどの戦略眼をもった男がわからぬはずはない。このとき好古は酔いの限度を超えていたのではないかと、戦後ささやかれたそうである。
 司馬遼太郎氏は言う。
 「好古は同時代のあらゆるひとびとから、『最後の古武士』とか、戦国の豪傑の再来などと言われた。しかし本来はどうなのであろう。勇気はあるいは固有のものではなく、彼の自己教育の所産であったかのように思われる。」
 かつて好古は、弟真之にこんな言葉をいった。
 「うまれつき勇敢な者というのは一種の変人にすぎず、その点自分は平凡な者であるからやはり戦場に立てば恐怖がおこるであろう。しかし、そういう自然のおびえをおさえつけて悠々と仕事をさせてゆくものは義務感だけであり、この義務感こそ人間が動物とはことなる高貴な点だ。」
 秋山好古という人は、こうして己を教育し、豪傑な自分を育てていったのだろうか。

 子規の従軍記者としての渡海もまた無謀であった。彼の東京での保護者であり、彼の頼みならたいていのことは叶えてくれた陸羯南も、従軍については彼の身体を心配して首を縦にふらなかった。しかし最後には根負けしたようなかたちで従軍を認めることになる。このことが、子規の寿命を大きく縮めることとなった。戦場とはおよそ無縁なこの無邪気な文学青年も、当時の日本人のひとりとして、この従軍はよほど嬉しかったようで、
 「かへらじとかけてぞちかふ梓弓(あずさゆみ)
  矢立(やたて)たばさみ首途(かどで)すわれは」

という勇ましい短歌を詠んでいる。

 真之はこの日清戦争では、小さな巡洋艦「筑紫」の航海士として臨んでいた。主力艦隊ではないため、第二線での参戦にすぎず、たいした武功もないままに終わった。一度だけ敵の砲弾をくらった。敵の巨弾が爆発せぬままに筑紫の左舷から中甲板を貫いて右舷側へ飛び出し、そのまま海へ落ちた。いわば串刺しの目に遭ったが、このとき下士官、兵合わせて三名が命を落とした。血だらけになった甲板、肉や骨の飛び散った真紅の光景は彼の終生、その夢に見つづけたほどのショックをあたえた。喧嘩好きの真之は、これほどの闘争的性格に生れついていながら、人の死からうける衝撃が人一倍深刻な心を持ち合わせていたようである。「坊主になろうと思った。」と、のちに語っている。

 ドラマ中、自分は軍人に向いていないのではないかと悩む真之。
 「よき指揮官とはなんでしょうか。あしにはそれがようわからんのです。少将はご自分の出した命令を後悔したことはありませんか。」
 この日清戦争の、最初の砲門を開く命令を出した東郷平八郎に真之は問う。
 「おいも人間じゃ。そいはおはんと同じじゃ。悩みや苦しみと無縁ではなか。じゃっどん、将たるもの自分の下した決断を神の如く信じらんにゃ兵は動かせん。決断は一瞬じゃが、正しい決断を求めるならその準備には何年、何十年とかかろう。よか指揮官とは何か。犠牲になった兵のためにも、よう考えてほしか。」
 悩まない者はよき指揮官にはなれない。悩むことこそが、指揮官としての責務。のちに「智謀湧くが如し」と言われた真之は、この人の死に対する強烈なまでの感受性と、悩み苦しむことができる心が育てたものなのかもしれない。

 とにもかくにも日清戦争は、日本の歴史的勝利で幕を閉じた。このことが、のちの日露戦争そして昭和の大東亜戦争につながっていくことは、この時代にはまだ誰も知る由もない。


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by sakanoueno-kumo | 2009-12-21 03:37 | 坂の上の雲 | Trackback(1) | Comments(4)  

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Tracked from 空想野郎の孤独語り at 2009-12-22 02:53
タイトル : 坂の上の雲第4話「日清開戦」
うーん、今週は見るのが複雑だった「坂の上の雲」。 いよいよ若者たちがたくさん戦死していく時代の到来です。 そして今回も、豪華な出演陣でございました。 まさか森鴎外が榎木孝明だとはっ。嬉しい♪ 声で森本レオに気付いたんですが←人形劇三国志の孔明なので。 乃木将軍(榎木明)や山本権兵衛(石坂浩二)小村寿太郎(竹中直人)も登場。 凄い久しぶりに米斉さん見たなあ。 身近な部下の死を間近に見て、かつ自分の命令で 死なせてしまった現実に押しつぶされそうになる真之…。 そんな彼に言葉を...... more
Commented by heitaroh at 2009-12-21 19:55
上杉謙信も竹を指揮棒にしていたと聞いたことがありますが、史実かどうかは確認していません(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2009-12-22 23:55
そーなんですか。初めて聞きました。川中島の戦いも竹で臨んだのでしょうか?(笑)
実際、刀ってのは重たいんですよね。私も本物の日本刀を何度か持ったことがありますが、あれを腰に帯びて行動していた武士たちは、動きづらかったでしょうね。好古の時代はサーベルでもっと重そうですしね。
Commented by zepdeep at 2015-02-14 11:32
今更のコメントですが、最近また「坂の上の雲」を見て感動していました。何より同じように感じる方がいたことに感動です。何といっても日頃この手の感動を語っても煙たがられるだけですから。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-02-14 18:41
< zepdeepさん

コメントありがとうございます。
『坂の上の雲』は、わたしにとっては司馬作品のなかで最も好きな作品で、当ブログのハンドルネームをsakanoueno-kumoとしたのも、そのせいです。
昔の稿なので、いま読むとずいぶん稚拙な文章ですが、全話レビューしていますので、よければ読んでやってください。

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