龍馬伝 第2話「大器晩成?」

 坂本龍馬19歳のとき(一説には16歳)、堤防の改修工事の差配役をしたという「龍馬堤」は、その場所が何処かというのは定かではなかったそうだが、現在では四万十川にある「桜づつみ公園」(平元の堤)だったというのが定説になっている。私が記憶するこのエピソードは、ドラマとは少し違っていたように思う。龍馬が担当した堤以外にも工事個所が数か所あって、いずれも若い下士(郷士)が差配役を命ぜられていた。どの現場の工夫たちも気の荒い者ばかりで、差配役の下士自ら作業にあたっても容易に工事は進まない。しかし、龍馬の担当した現場では、龍馬は毎日木陰で昼寝をしていただけなのに、工事はどんどん進んでいく。その理由は、工夫たちを担当場所ごとにチーム分けして、働きに応じて褒美を与え競わせたという。龍馬の下で働いた工夫は
 「坂本のだんなに使われるときは、苦もなく仕事が運ぶ。そのかわり、仕事が終わったあとは疲れきって五体が利かない。」
と語ったという。龍馬の合理的な人使いの上手さがうかがえるエピソードだが、実話かどうかはわからない。のちに海援隊隊長として組織を束ねた龍馬を飾る造話ともとれなくもない。ドラマのように、苦悩して、工夫たちに酒を飲ませ、そして土下座までしてやる気を促したという設定の方が、若者らしい話にも思える。

 龍馬の父、坂本八平という人。龍馬のまつわる物語では、厳格でありながら、末っ子の龍馬の行く末をいつも案じていて、彼の良き理解者として描かれている。坂本家に婿養子として入り、当主となった八平だが、坂本家の富を築いたのもこの人で、その経営手腕の才能がそのまま龍馬に受け継がれたのかもしれない。

 末っ子というのは、親の目にはいつまでも頼りなく見えるものらしい。これは現代の親たちも同じようである。上の子は下が生まれたときから兄・姉扱いされるものの、下の子はいつまでたっても下。どの親も同じである。八平の目にも、龍馬の行動は何も考えていないようにしか見えないらしく、武市半平太にその思いを語る。
 「龍馬は、お父上が思うちょられるような男じゃないかもしれんがです。」
 半平太は、龍馬という男の器の大きさを既に見抜いているようだった。

 龍馬の盟友・武市半平太。性格も考え方も生き方も全く違う二人だったが、半平太は若き日の龍馬の一番の理解者だった。謹厳実直で秀才の半平太に一目おかれていたことが、土佐の若い郷士たちの中での龍馬株を上げることとなったし、この型破りで無作法な龍馬に対して寛容だったことが、のちに半平太が器量人と評された所以にもなっただろう。こののち、土佐の軽格武士たちが天下の風雲に乗り出してゆくとき、坂本龍馬と武市半平太を両翼の首領とすることなどは、まだこのときの二人は知る由もない。


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by sakanoueno-kumo | 2010-01-11 18:38 | 龍馬伝 | Trackback | Comments(2)  

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Commented by heitaroh at 2010-01-12 14:33
私はまだ見てませんが、NHKの最近の大河ドラマの傾向として、普通の人がなぜか何もしないうちに偉くなる・・・というものがあるようですね。
確かに、英雄偉人などという物は話を後に上手く作られることがあるのも事実で、そうそう、やることなすことうまく行くってものでもないでしょうが、反面、むりやり、凡人と同じレベルで話を進める必要もないと思います。
英雄偉人などという物は本来、凡人と違うからこそ英雄偉人なわけで・・・。
妙に視聴者の共感を呼ぼうとする思惑があるようですが、それは如何なものかとは思いますね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-12 21:23
確かにそうですね。龍馬などは、普通では考えられない発想、行動に及ぶところに魅力があり、リスペクトする人が多いわけですからね。
まぁ、英雄偉人とはいえ若い頃があったわけで、その若い頃は実話と確認出来ないことが多いですから、作家としてはオリジナリティの発揮しどころといったところなんでしょうか・・・。

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