今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。

 今日1月17日は私の誕生日。そして同じく今日は、あの阪神・淡路大震災発生から15年になる。震災当日28歳の誕生日だった私も43歳になった。遠い昔の出来事のようにも思えるが、15年経った今でもその爪痕はまだ神戸のいたるところに残っている。神戸市民は平成7年を震災元年と位置づけ、何かにつけ「震災から何年」と数え、また昔話をするときも「あれは震災前のこと・・・」などと語ることが多い。それほどこの平成7年1月17日という日は特別な日で、この日を境に大きく人生が変わった人も多くいる。そんな日に誕生日を迎える神戸市民の私である。

 震災当日の実体験は、昨年の同じ日のブログに書いているので、良ければ一読ください。
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 震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。

 6000人以上もの人の命日と同じ誕生日の私だが、幸い私の家族は無事だった。しかし、私の周りには大切な家族を失った人が少なくなかった。中でも当時私の職場の先輩で、17歳の娘さんを亡くされた方がいた。今日は少しその話を紹介したい。

 その方の当時の住まいは神戸市東灘区で、市の中でも最も倒壊率も高く、死者を多く出した地域で暮らしていた。家は、震災の数か月前に引っ越してきた古い木造の一戸建てだった。前年までは郊外に住んでいたが、職場から遠く長い通勤時間を要することから、神戸市の中心部のこの地域に中古物件を購入して移ってきたという。そこで震災に遭った。

 家は全壊だった。瓦礫の中から必死で脱出した父親は、まっ暗闇で何が起こったか十分理解しないまま、とにかく家族の声がする場所を必死で探したという。子どもさんが5人もいる大家族だった。近所の人に助けを求めるも、周りの家もまともな状態ではない。瓦礫をかき分け奥さんを助け出し、子どもさんを一人ずつ掘り起こして救出した。長女の17歳になる娘さんの居場所だけがなかなか見つからなかった。微かに聞こえるうめき声のようなものを頼りに、薄明るくなり始めた中、瓦礫をめくり、やっと見つけ出した娘さんの身体には、彼女が寝ていた二段ベッドのスチールパイプが突き刺さっていたという。地獄のようだったと、後日父親は私に語った。

 近くの月極駐車場に停めてあった自家用車に家族を乗せ、とにかく病院に連れていくため車を走らせた。朝日が昇り街が明るくなってゆくと、その光景に愕然とした。病院なんてあるはずがない。ビルは崩れ、電柱や信号は倒れ、道路は陥没し、街は廃墟と化している。それでもあきらめるわけにはいかない。必死で診てもらえる病院を探したという。しかし、倒壊していない病院は少なく、あったとしても電気も水もガスも全て止まっている病院で治療など出来るはずもない。それでもアスファルトのめくれ上がった道路をよけながら、必死で車を西へ走らせた。父親が車を運転していた。母親が血まみれになった娘さんを抱きかかえていた。車を走らせること数時間。母親に握られた娘さんの手が、だんだん冷たくなっていったという。後部座席で泣き叫ぶ奥さんの声を聞きながら、ただ車を運転することしかできなかった自分の無力さと悔しさを後日切々と語った。ようやく病院を見つけたのは、神戸市の西隣のまた隣にある加古川市。神戸市の最東部にある東灘区からは、距離にして50kmほどの場所である。しかし病院に着いたときは、娘さんの身体は完全に冷たくなっていたという。

 上記の話は数日後に行われた通夜の席で、私の先輩である父親本人から聞いた話である。通夜の日先輩は私に、震災数か月前に被災地へ引っ越してきたことを悔やみ、「娘を死なすために引っ越したようなものだ。娘を殺したのは自分だ。」と肩を震わせながら言った。私は何も言えなかった。もちろん誰のせいでもない。しかし、子どもを持つ親ならその気持ちは誰でもわかる。これほどの地獄はない。結局立ち直ることが出来なかった先輩は、数か月後、会社を退職した。そして数年後、離婚した。

 これは私の身辺に起ったひとつの話。6000分の1に過ぎない。このような悲しい話が6000件以上も存在し、そしてこの日を境に人生が変わってしまった人が神戸にはたくさんいる。毎年1月17日を迎えると平成7年のこの日を思い出し、胸が苦しくなる。15年経ってもその思いは変わらない。神戸市民にとって忘れられない、忘れてはいけない今日は特別な日で、そんな日に誕生日を迎え43歳になった私である。
 

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by sakanoueno-kumo | 2010-01-17 03:14 | 日常 | Trackback | Comments(4)  

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Commented by i0812n at 2010-01-17 12:40
こんにちは。阪神大震災も15年たちましたね。本当に大きな被害で
たくさんの方が亡くなられてとても心が痛いものです。絶対この日の
ことは、忘れることはできない方も多いのでしょうね。というか、忘れ
ては行けない日だと思いますなぁ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-18 09:25
<i0812nさんコメントありがとうございます。
返信が遅くなってスミマセン。
若い人たちにとっては大昔の出来事に思えるかもしれませんが、神戸に住む私たちにとってはつい最近のことのようで、未だその恐怖は薄れることはありません。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とよく言いますが、本当に大やけどをすると、簡単に忘れるものではないようです。
今でもTVなどの地震速報を見たりすると、恐怖感が先立ちます。
Commented by heitaroh at 2010-01-18 19:03
当然ながら、当方には地震の影響はありませんでしたが、うちもあのとき、子供が1歳で、とても他人事ではありませんでした。
後にも先にも、私が募金などという物をやったのはあのときだけです。



何を言っても、所詮、部外者。
語る言葉がありません。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-01-19 01:01
< heitarohさん。コメントありがとうございます。
実際の体験者じゃないと理解できないのは仕方がないことです。重病患者の気持ちを健康な人が本当に理解しようとしても無理なこと。
でも、1年に1度でも、この1月17日にこの震災のことを思い出してもらいたいという気持ちでブログに記しました。ちょっと重たい話でしたでしょうか。

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