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龍馬伝 第11話 「土佐沸騰」

 安政7年(1860年)、江戸城桜田門外において水戸藩の過激浪士たちの手によって大老・井伊直弼が暗殺された、いわゆる「桜田門外の変」。この事件は瞬く間に日本中を震撼させ、以後、幕府の権威も大きく失墜し、各地の尊王攘夷運動を激化させた。これ以降、「天誅」という暗殺を美化する麻薬のような言葉のもとに、多く血が流されていくこととなる。

 「桜田門外の変」からほぼ1年後の文久元年(1861年)に土佐で起こったのが、下士(郷士)である池田寅之進が上士を殺害したという、いわゆる「井口村刃傷事件」。発端は寅之進の弟が殺害されたことによる仇討という私怨から始まった事件だったが、その後の下士・上士間の一触即発の状態に至ったのは、「桜田門外の変」以降の情勢の影響を少なからず受けていたことだろう。長年虐げられてきた土佐郷士たちの憤懣は、もはや暴発寸前となっていた・・・そんなときに起こったのが、この「井口村刃傷事件」だったのだろうと想像する。

 本来の逸話では、寅之進の身柄を引き渡すよう要求する上士に対して、龍馬はあくまで応じず、
「我々郷士は命がけで彼を守る。戦って藩お取り潰しになるまでだ。」
 と、徹底抗戦の構えを見せ、寅之進を助けようとしたそうである。一方で武市半平太は、
「尊皇攘夷をの為には土佐藩は必要であり、寅之進の私怨から生じた刃傷沙汰で潰すわけにはいかない。」
 といって寅之進の行動を責めたとか。江戸で起こった山本琢磨の時計拾得事件のときと同じく、ここでもまた坂本龍馬武市半平太の対処の方法の違いがはっきりでる。あくまで尊王攘夷の遂行を重んじる半平太に対し、何よりも命を重んじる龍馬。そのどちらが当時の志士として正しい判断だったかは、現代の私たちには判断しがたいが、龍馬のとった行動が、若い志士たちにとってどれほど頼もしく思えたかは、現代の私たちにも想像がつく。この事件以降、龍馬はまた、土佐郷士たちの人望を集めることとなる。

 しかし結局、池田寅之進は切腹して果てる。ドラマでは後藤象二郎の命で切腹したことになっていたが、伝わっている逸話では、龍馬や半平太が押し問答していた最中、皆に迷惑が掛かることを恐れた寅之進が突発的に切腹したといわれている。龍馬は、そのときの寅之進の血を自分の刀の緒に染み込ませ、郷士の団結を誓ったという逸話が伝えられている。
 
 そして、この事件の半年後、「土佐勤皇党」が結党される。それは「尊王攘夷」というイデオロギーをもとに終結した政治集団でもあり、また、「天誅」という名の暗殺を繰り返す、テロリスト集団でもあった。時勢はいよいよ血生臭い時代に入っていく。


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by sakanoueno-kumo | 2010-03-15 01:30 | 龍馬伝 | Trackback(3) | Comments(4)  

Tracked from よかったねノート 感謝の.. at 2010-03-15 06:31
タイトル : 龍馬伝「土佐沸騰~捨身のヒーロー」
さあ、ひと足お先に加尾さんが京都へ送られるということになることが決定した前回、第10話「引きさかれた愛」でした。「龍馬伝」初話から10話で一番劇場型で展開の速かった、舞台は「龍馬の家」「加尾(平井)の家」「いつもの神社」「柴田さまのお屋敷」「武市道場」「お城」「江... more
Tracked from 徒然”腐”日記 at 2010-03-15 15:25
タイトル : 大河ドラマ「龍馬伝」第11回『土佐沸騰』
若干ネタバレしますがあくまでも個人的な感想レポです。多少ウザイ突っ込みも入りますので苦手な方はバックプリーズ桜田門外の変から始まった今回・・・・・安政の大獄についてもさら〜〜〜〜っと流されちゃいましたね井伊直弼のこと、水戸藩士の思想水戸学についても何ら...... more
Tracked from ショコラの日記帳 at 2010-03-15 20:33
タイトル : 【龍馬伝】第11回感想と視聴率「土佐沸騰」
第11回の視聴率は、前回の20.4%より上がって、21.4%でした。上がって良かったです♪* * *今回、龍馬、カッコ良くて、ひっぱりだこでした♪武市さん、カッコ悪いです。弥太郎は最低でした。 江戸では、朝廷を無視して開国した井伊直弼が水戸浪士達によって暗殺...... more
Commented by おりょう at 2010-03-15 10:53 x
こんにちは
本来の逸話のほうが ずっとずっとドラマ的♪ だったんですね。
武市も苦しみながらもトップとして そう判断せざるをえなかった、と描けるし、なんで、この話を持ってこなかったんでしょうね。龍馬の株もちゃんと上がるのに。


龍馬を上士に誘う設定を 作りたかったのかな?
寅之進も自ら・・・のほうが 涙を誘います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-03-15 13:49
< おりょうさん。
>本来の逸話のほうが ずっとずっとドラマ的♪
・・・そうですよね。
他のドラマや映画をなぞることになるのを嫌うのでしょうか?作家さんとしてはオリジナリティを出したい気持ちはわからなくもないですが、定番のエピソードをそのまま描いても、見る側にとってはそこが楽しみなわけだし、ましてや知らない人もいるわけですからねぇ。
あえて変える必要はなかったかと・・・。
Commented by ショコラ at 2010-03-16 11:51 x
TBとコメント、ありがとうございました。

>そして、この事件の半年後、「土佐勤皇党」が結党される。

半年も経ってからだったんですか。
まるで、すぐのように感じました(^^;)

坂本龍馬と武市半平太の対処の方法の違いがはっきりしていて、今の時代から考えると、龍馬の方が遥かにいいですね。
とても龍馬が魅力的でした♪(^^)
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-03-16 15:09
< ショコラさん。
こちらこそ、TB&コメントありがとうございます。
土佐勤皇党ですが、正確に言えば、当時江戸にいた武市半平太を含む8人で結成、その後土佐に帰国して9番目に署名しているのが龍馬だそうです。つまり、帰国後最初に入党にたのが龍馬だということで、半平太と龍馬の深い関係がうかがえるエピソードですが、であれば、今話の「井口村刃傷事件」のときには半平太は土佐にいないことになっちゃうんですね。もしくは、事件の後すぐに江戸に行ったとしても、ほとんど滞在期間のないまますぐに帰ってきたことになります。
その辺、つじつまが合わないのですが、この頃の逸話に関する期日の記録自体が曖昧なものなのかもしれません。

>龍馬の方が遥かにいいですね。

そうですね。でもこの時代ではきっと半平太の方が普通の考えだったと思います。命より大切なものがたくさんあった時代ですから・・・。

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