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龍馬伝 第13話「さらば土佐よ」

 土佐藩参政・吉田東洋暗殺されたのは、文久2年(1862年)4月8日。この日東洋は、高知城二の丸で藩主・山内豊範に「日本外史」「信長記・本能寺の変」を講義していた。このとき陪席していた後藤象二郎、福岡藤次らはのちに、このときの東洋の講義は普段よりはるかに熱が入っていたと語っている。奇しくもこの後、信長と同じく家臣の手によってその生涯を閉じることになろうとは、思いもよらなかっただろう。この日は最終講義だったこともあり、講義のあと酒肴が出された。亥の刻(午後10時頃)に下城。東洋に多少の酔いはあったであろうと想像する。
 
 雨が降っていた。東洋は傘をさしている。共は若党と草履取りの二人。下城したときは後藤や福岡たちと一緒だったが、途中で別れている。東洋自身、自分の命が狙われているという意識がないわけではなかったはず。土佐勤皇党の不穏な動きは十分に察知していたであろうし、未遂事件もあったという。にもかかわらず、特別な警備をつけていない。東洋は学問のみならず、剣術においても神影流免許皆伝の腕だった。ここでも、吉田東洋という人の何事においても自信過剰な気性がうかがえる。

 刺客団は土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助の3人。黒幕は彼らの首領である武市半平太と考えていいだろう。彼らの剣の腕は、普通ならば3人がかりで挑んでも、簡単に東洋を斬れる腕ではない。しかし、ここでも彼の自信過剰が災いした。平素、戦国武将の風を好んだ東洋は、長さ二尺七寸もあり、刀幅も厚い豪壮な太刀を持っていた。これはよほど長身で剛力な者にしかあつかえず、馬上で鎧武者を斬る目的の刀であり、路上で複数相手の立ち回りに適したものではない。酒に酔っていたこと、警備をつけていなかったこと、実戦向きの刀でなかったこと・・・そのどれもが、吉田東洋という人の自信の表れであり、そしてその自信過剰が命取りとなった。

 絶命した東洋の首は、白木綿に包まれた。この白木綿は、3人のうちの誰かが急いで外したふんどしだったという。このふんどしにかんしては、後に武市半平太が、「武士の礼を知らぬ」と怒ったというが、彼らはいずれも食うや食わずの極貧郷士で、新しい布を用意することが出来なかった。平素、絹服しか身につけなかったという贅沢三昧の東洋が、首になって貧乏下士の古ふんどしにくるまれることになろうとは、なんとも皮肉な話である。東洋の首は翌朝雁切橋のたもとにさらされた。

 このクーデターによって武市半平太率いる土佐勤皇党は、土佐藩におけるイニシアティブをほんの少しの間とることになる。ほんの少しの間・・・。

 「暗殺」とは最も近道で簡単な革命手段。「こいつさえいなくなれば・・・。」 現代の私たちも、これに似た感情を一瞬でも抱いたことのない人は少ないのではないだろうか? しかし、ほとんどの場合、思うだけで終わるものである。時代が違うとはいえども、武市半平太はその一線を越えてしまった。「暗殺」とは癖になるような気がする。事実、この後土佐勤皇党は、「天誅」という大義名分のもとに暗殺を繰り返すこととなる。しかし、歴史上、「暗殺」をもってして大業を成した人物はいない。そのことに半平太は気が付いていただろうか・・・。

 坂本龍馬脱藩したのは、文久2年(1862)3月24日。吉田東洋暗殺の約2週間前のことである。龍馬が東洋暗殺の計画を知っていたかは定かではない。ただ、これまで紆余曲折がありながらも寄り添ってきた龍馬と半平太が、このタイミングで袂を別つことになったことから考えれば、この暗殺計画が二人を別々の道を歩ませる原因になったと考えても無理はない。脱藩を決意したこのときの龍馬に、後の開明的なビジョンがあったかどうかはわからないが、あくまで土佐という狭い枠からはみ出すことが出来なかった武市半平太と吉田東洋という二人の秀才よりも、はるかに器の大きさが感じられる決意である。

 龍馬の脱藩における坂本家のエピソードで、ドラマには登場しない龍馬の姉、次女・栄の存在がある。龍馬の脱藩に際し、業物の刀を渡し、家族が脱藩に加担したという事実を隠すために自害したという説。ドラマでは乙女が刀を渡していたが、栄姉の説の方がなじみのある人も多いだろう。この栄姉のことについて少しふれたいのだが、東洋暗殺の件でかなりの行数を費やしてしまったので、後日、稿を改めてふれてみたいと思う。

 兎にも角にも、第1部完結。次週から龍馬のサクセスストーリーが始まる。


 追記:坂本龍馬脱藩時の、姉・栄自害説が消えた理由。


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by sakanoueno-kumo | 2010-03-29 01:45 | 龍馬伝 | Trackback(8) | Comments(2)

 

Tracked from 今年は「龍馬伝」 at 2010-03-29 10:25
タイトル : 東洋暗殺!
とうとう吉田東洋が暗殺されましたね。 『龍馬伝』の武市は暗い。 尊王攘夷に一直線で、まわりが見えていない。 テレビもラジオも新聞も無かったあの時代、仕方がないのかも。 人斬り包丁を持って歩いていたわけだから、 今程暗殺も重大事件じゃなかった・・・・かも。... more
Tracked from 徒然”腐”日記 at 2010-03-29 14:23
タイトル : 大河ドラマ「龍馬伝」第13回『さらば土佐よ』
ネタバレ要素を含みます。未視聴の方は御注意下さい。個人的な感想&突っ込みありの記事ですのでご了承ください。第一部完結ってことなんですね?今回第1部は「RYOMATHEDREAMER」・・・・・・夢見る人だったわけですか随分と夢とはかけ離れた現実っすよね武市に「吉田東洋...... more
Tracked from ショコラの日記帳 at 2010-03-29 16:07
タイトル : 【龍馬伝】第13回感想と視聴率「さらば土佐よ」
【第13回の視聴率は3/29(月)夕方迄に追加予定】1862年3月24日、龍馬と沢村惣之丞(要潤)は脱藩しました。脱藩って、本人は勿論、残される家族にとっても大変なことだったんですね。龍馬が脱藩するまでの龍馬自身の迷いと、家族の苦悩と応援するように変わるまでを丁寧に...... more
Tracked from 山南飛龍の徒然日記 at 2010-03-29 18:37
タイトル : 【大河ドラマ】龍馬伝第13回:さらば土佐よ
第1部の最終回でした。【今回の流れ】・半平太から東洋を斬るように言われた龍馬 まずは、東洋の真意を探る事に 東洋曰く『有能なら下士でも引き立てる。が、武市は無能』 龍馬は斬る理由が無いと判断・後藤象二郎から龍馬を毒殺するよう命じられた弥太郎 茶に毒を入...... more
Tracked from よかったねノート 感謝の.. at 2010-03-29 20:12
タイトル : 龍馬伝「さらば、土佐よ」 出奔のヒーロー
「会うは別れの始めなり」 別れも経験してゆく龍馬、一期一会の儚さもまた。 第13話「さらば、土佐よ」です。 帰れない、二度とは土佐の地を踏めない、そんな覚悟もあったでしょう。 「脱藩」の章であります。 「ウェルかめ」の最終話は27日の土曜日で、やっぱり四国の海岸... more
Tracked from くまっこの部屋 at 2010-03-29 21:41
タイトル : 大河ドラマ 龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」
脱藩という言葉がいよいよ頭によぎる龍馬の葛藤、そして龍馬の選んだ道は。また東洋に... more
Tracked from しっとう?岩田亜矢那 at 2010-03-29 23:47
タイトル : 大河ドラマ 龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」
史実の上では、上士の後藤象二郎が 郷士の坂本龍馬如きを暗殺 しかも毒殺するなんて記録は残っていないし どう考えても、そんな必要がない。 だいたい、龍馬があんなに吉田東洋に買われていた という話も聞いた事がない。 確かに龍馬にとって象二郎は、幼馴染の半平太を切腹させた 恨み深き相手であるし、 象二郎は、龍馬の考えた船中八策を我がアイディアとして容堂に進言する というコスイ行動を取ったりするが それは、遥か先のお話。 この時点で象二郎から見て、龍馬如きは取るに足らない相手、 勿論、暗殺するような理由なん...... more
Tracked from こちら、きっどさん行政書.. at 2010-03-29 23:47
タイトル : 大河ドラマ 龍馬伝 第13回 「さらば土佐よ」
史実の上では、上士の後藤象二郎が 郷士の坂本龍馬如きを暗殺 しかも毒殺するなんて記録は残っていないし どう考えても、そんな必要がない。 だいたい、龍馬があんなに吉田東洋に買われていた という話も聞いた事がない。 確かに龍馬にとって象二郎は、幼馴染の半平太... more
Commented by shimoda-suzuki at 2010-03-31 11:42
初めてコメントさせてもらいます。
にわか龍馬ファンとしてとても勉強になります。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-03-31 15:13
< shimoda-suzukiさん。
過分なお言葉ありがとうございます。
書物の受け売りばかりですが、いつでも気軽にコメントください。

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