坂本龍馬脱藩時の、姉・栄自害説が消えた理由。
ところが近年制作される物語では、この説はあまり採用されない。平成に入ってから2度ほど制作された「竜馬がゆく」のドラマでも、刀を渡したのは三女・乙女に変わっている。NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、栄姉の存在すらない。これほどドラマチックな話が、なぜ物語の中から消えてしまったのだろうか・・・。

しかし、実際にはこの説を裏付ける史料は何も残っていないばかりか、栄という人物自体の史料も、兄・権平が土佐藩庁へ提出したとみられる家系図に「柴田作衛門妻」と記載されていること以外、ほかに栄の事跡を確認できる同時代の史料は見当たらない。生年も不詳で、ほぼ謎の人物と言ってもいい。自害説は、大正3年に刊行された千頭清臣著の伝記「坂本龍馬」に「次女某、市内築屋敷柴田某に嫁し、のち家に帰り、貞婦二夫に見えざる旨を遺書して自刃す。」と記述されているものがある。また、坂本家の家系図は3種残されていて、そのひとつには栄の名が記されているものの、あとの2種には記載されていない。まるで抹消されたかのようなこの家系図を根拠に、権平が家を守るために名前を抹消し、密葬して墓も作らなかったのだと考えられてきた。
昭和43年に坂本家の縁者が墓所の改修をした際、地下深くから誰のものとも知れない髪の毛と遺骨が発見された。これを自害したことによって密葬された栄のものとみなし、「文久二年三月歿 坂本直足二女」と記した石碑が建てられた。この発見でこれまでの逸話がさらに信憑性を増すこととなった。
以後、物語などでは龍馬の脱藩時に刀を渡したのは三女・乙女ということになっている。これは、大正元年に刊行された坂崎紫瀾著「維新土佐勤王史」の中で、「姉の乙女は早くもその機をさっし、龍馬が日ごろ望める実兄秘蔵の備前忠広の一刀を取り出し、御身にはなむけせんとて与えければ・・・。」という一文からくるもののようだ。乙女も嫁ぎ先の岡上家から離縁されており、上記の宍戸茂さんが語っていた「出戻りのお姉さん」というのは乙女のことで、それが記憶の中で栄と混同されてしまっていたと考えるのが正しいかもしれない。史実が詳らかになるということは、ときにドラマチックな側面を失うことでもあり、歴史小説が好きな私などはそれが残念でもあり、そこがまた面白くもある。
昭和43年に建てられた栄の墓石は、「栄女伝説を戒める記念碑」として今もその場所にある。墓碑の傍らには「高知県歴史研究会」によって、「通説の誤りを正すため、栄女の没年あざやかなり」と記した木碑が建てられている。
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by sakanoueno-kumo | 2010-03-31 15:07 | 歴史考察 | Trackback(2) | Comments(3)

「会うは別れの始めなり」 別れも経験してゆく龍馬、一期一会の儚さもまた。 第13話「さらば、土佐よ」です。 帰れない、二度とは土佐の地を踏めない、そんな覚悟もあったでしょう。 「脱藩」の章であります。 「ウェルかめ」の最終話は27日の土曜日で、やっぱり四国の海岸... more


実家のほうの家系図というか謄本を最近送ってもらいまして、生年元治とか天保とか出てきます。若年で兄弟の半分位亡くなってしまうことが多々ありました。以前知人宅では亡くなった奥さんの後に姉妹が嫁いでいたということを聞いて、理解に苦しんだのですが。そんなに受け入れができるものかと。
「女」とだけで名不詳も出てきます。女性の地位とか、いろいろ関係するのかもしれませんね。
栄姉さんは龍馬からだいぶ年上のお姉さんですね。
坂本家の家風を勝手に感じ、誤解を招く恐れもあるやもしれないけれど、言わせて頂くなら・・・・。
実際には亡くなっていた姉の名を使うことで、生きている者に御咎めなしとなるように、仕組んだ・・・なんて思われます。
いかがでしょうか。体は無くても弟、家を護ろうとする、姉の魂が呼び寄せたアイデアだったという推測です。

そしてもしかしたら司馬遼太郎さんも知っていて姉・栄さんを確信的に生き返らせた、なんて想像してみたりします。
若くして散った魂、子孫を助けますからね、なんて見てきた風ですが。
亡くなった祖父や夫の父にいざという時に助けられたという、確信を抱く者として感じています。感じる世界で書きました。
長くなりました、実に興味深く拝読させて頂きました。
ありがとうございます。
>亡くなっていた姉の名を使うことで、生きている者に御咎めなしとなるように、仕組んだ
なるほど・・・面白い解釈ですね。
栄姉伝説は今や通説ではなくなってしまいましたが、今度は何故そのような伝説が生まれたか・・・というところに着眼すれば、いろんな想像が膨らみ、まだまだこの伝説も色褪せませんね。
研究者の中には、栄の存在すら否定する声もあるそうです。
長女・千鶴、三女・乙女は生没ともにハッキリわかっているにもかかわらず、栄のみ不詳なことが多いことからのようです。
私など、ある時期まではこの伝説を史実と思い込んでいた者にとっては、通説が覆された今でも、「でも、もしかしたら、今後また栄の伝説を裏付ける史料が見つかり、再び通説が覆らないものだろうか・・・」などと考えたりもします。
そんな人、結構いるんじゃないかなぁ。