坂本龍馬愛用の手鏡?

 坂本龍馬にまつわるとても興味深い品が発見され公開されているらしい。話題の品は江戸時代末期のものとされる手鏡箱で、表面には「GOOD LUCK」(幸あれ)「KAIENTAI」(海援隊)という文字、二曳(にびき)と言われた海援隊旗の図柄、そして龍馬のイニシャルを思わせる「SR」という文字、さらに「JULY」(7月)という文字などが刻まれている。

e0158128_14165764.jpg 発見されたのは、京都市にある閑臥庵(かんがあん)という寺院で、寺の言い伝えでは、1877年(明治10年)ごろ、同志社英学校に学んだジャーナリストの徳富蘇峰が寺を訪ねた際にこの品を見つけ、当時の住職に保管を勧めたという。その後、行方不明になっていたが、2008年の倉庫整理で発見したという。

 龍馬自身がこの文字を刻んだとすれば、亀山社中から海援隊という名称に変わったのが慶応3年(1867年)4月のことで、同年の11月には暗殺されていることから、刻まれている「JULY」は慶応3年(1867年)7月と考えられる。ちょうどこの時期、龍馬が京都にいたことは確か。慶応3年(1867年)といえば龍馬が最も多忙を極めた時期で、1月に後藤象二郎と会談して亀山社中が土佐藩おあずかりとなり、4月に海援隊と命名したものの、同月、海援隊の蒸気船「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が海上衝突して沈没した、あの「いろは丸事件」が起こり、5月はその談判に疾走。談判解決後の6月、長崎から京都に向かう船中にて、あの有名な「船中八策」を作成。同月、京都にて「薩土盟約」の成立に尽力、そして7月には龍馬不在中の長崎で英国軍艦イカロス号の水夫が殺害され、その嫌疑が海援隊士にかけられるという事件が発生、この対応のため急遽長崎に戻っている。そんな多忙極まりない時期の品ということになる。

 龍馬ファンとしては、龍馬自身が刻んだものと思いたい。自分の所持品として使っていたものなのか、はたまた誰かに贈るために刻んだものなのか。漢詩などではなく、英文字で「GOOD LUCK」というのが実に粋だ。次から次に起こる難題に振り回されていたこの時期の龍馬に、手鏡箱に文字を刻んで誰かに贈ろうなんて心のゆとりがあったとすれば、そこにまた龍馬の非凡な人物像がうかがえる。てな具合で、いろんな想像が膨らむ発見だ。

 NHK大河ドラマのもたらす影響というのは大きいもので、登場人物の注目度が一躍高くなるため、この機に思わぬ史料が思わぬ場所から発掘されることがよくある。先頃には寺田屋事件の新史料が発見されていたし(参照:寺田屋事件(坂本龍馬襲撃事件)新史料が見つかる。)、昨年の大河ドラマ「天地人」の放送中には、主人公・直江兼続直筆の書状が見つかったというニュースもあった(参照:直江兼続の書状が古書店にて発見される。)。そうした発見によって、新たな歴史解釈が成されたとすれば、NHKの功績は大ということになるが、それだけにいい加減な作品は作れないという責任もある。NHKさん、頼んまっせ!


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by sakanoueno-kumo | 2010-04-21 15:26 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)  

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