龍馬伝 第22話「龍という女」
話はそれるが、伏見寺田屋の話が出てきたので余談を述べると、小説「竜馬がゆく」などでは、龍馬がかなり若い時期から寺田屋に出入りしており、そのせいか本ドラマではまだ出てこない寺田屋の設定を批判する声が聞かれるが、実際にまだこの時期には龍馬が寺田屋に出入りしていた記録はなく、寺田屋は薩摩藩の定宿であったことから考えて、龍馬が寺田屋と縁が出来たのは慶応元年ごろ、つまり龍馬が薩摩藩の庇護を受け始めたころと考えられているようだ。
話を戻す。明治32年にお龍自身が語った談話によると、
「京都に大仏騒動といふのがありました。あの大和の天誅組の方々も大分おりましたが、幕府の嫌疑を避けるために、龍馬といっしょに大仏へかくれてをつたのです。ところが浪人ばかりの寄り合ひで、飯たきから縫い張りのことなど何分手が届かぬから、一人気のきいた女を雇ひたいといふので、ここにいろゝ話があって、私の母が行くことになりました。
この時分に、大仏の和尚の媒介で、龍馬と私が縁組みしたのですが、大仏でいつしよにをるわけにはいきません。そこで私は七条の扇岩(おうぎいわ)といふ宿屋へ手伝ふかたゞ預けられてをりました。」
と、語っている。ドラマでお龍が働いていた宿屋は、この扇岩という宿屋の設定だろう。龍馬はたびたびこの扇岩を訪ねていたという。新撰組が誕生し、浪士狩りがますます厳しくなっていたこの時期、身の危険も顧みず彼が京の町に潜入していたのは、政治活動だけではなく、お龍の魅力も手伝ってのことだったのではないだろうか・・・。
お龍の妹が遊郭に売られたというエピソード。龍馬が借金の肩代わりをしたという話はドラマのオリジナルだが、妹を取り戻しに行ったというのは本当の話で、着物などを売り旅費を工面して単身大坂にのりこみ、死ぬ覚悟で懐に合口(短刀)を忍ばせ悪党相手に大喧嘩をしたという。悪党が腕をまくり刺青を見せて脅しても怯むことなく、逆に飛びかかって胸ぐらをつかんみ顔を殴りつけた・・・と、龍馬は姉・乙女宛ての手紙でこと細かに描写している。お龍という女性の気性の強さがうかがえるエピソードだ。私などは、到底ご遠慮させていただきたいタイプの女性だ。
そんなお龍だが龍馬にとってはとても魅力的な女性だったようで、「まことにみょうな女」または「まことにおもしろき女」であったらしい。龍馬のまわりの女性を見ると、初恋の相手とされる平井加尾がどのような女性だったかはわからないが、「坂本のお仁王様」と言われた姉・乙女や「千葉の鬼小町」と呼ばれた千葉佐那など、気の強い女性に惹かれる傾向にあるようだ。
後に龍馬と深く関わることとなる土佐藩士・佐々木高行は、お龍のことを日記にこう記している。
「有名なる美人なれども、賢婦人なるや否やは知らず。
善悪ともに兼ぬるように思われたり。」
お龍は、龍馬のまわりの者たちにはあまり良く思われていなかったらしい。
作家・司馬遼太郎氏は、小説「竜馬がゆく」の中でこう述べている。
「おりょうの面白さは龍馬の中にしか棲んでいない。」
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by sakanoueno-kumo | 2010-05-31 01:27 | 龍馬伝 | Trackback(8) | Comments(4)
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母のたくましさを思いだすのか?強い女性を好む男性って結構多い様な気がします...気のせい?
いよいよ真打ヒロイン登場でしたが、
龍馬の気持ちは以蔵逮捕でいっぱいいっぱいだったようで。
お龍さんが勇ましく妹を取り返しに行くシーンがあるのかと思っていたら、
「無事取り返しました。おおきに」と台詞説明で終り、ちょっと肩透かしでした。
以蔵捕縛と同じ週に持ってきたからかな?
散漫で盛り上がりに欠けた感じがしました。
お龍と龍馬の出会いは、この妹拉致事件ではなかったんですね。
私は乙女姉さんに書き送ったのは、「こんな面白い娘に会ったんだよ~」と出会いの報告かと思い込んでました。
お龍という女性は月琴などとても芸達者な人だったようですが、一方で炊事や裁縫はまるっきりだめだったように描かれることが多い人です。
おっしゃるように、「女性らしく」などという既成概念にとらわれることのない、自分らしく生きた今風の女性だったのでしょうね。
時代は140年前ですから、相当ぶっ飛んだ女性だったのでしょう。
同じく既成概念にとらわれない龍馬だったからこそ、魅力的に思えたのでしょうね。
ただ、強い女性だったかどうかはわかりません。
私の少ない女性経験(笑)から言うと、強がって生きている女性は、実はとてももろい心を持った人で、男に甘えて生きているように見える女性は、実はとっても強かで肝が座っている人だったりするように思っています。
女は皆、女優ですから・・・(笑)。
たしかに「龍という女」というタイトルのわりには、お龍の出番が少なかったですね。
妹を取り返しに行くエピソードを入れたら、お龍という女性の人物像がもっと伝わっただろうと思います。
でも、これも仕方がなんじゃないでしょうか。
あのエピソードを入れてほしかった・・・とか、重要な出来事なのに、説明が少なかった・・・などといったブロガーさんたちの声が多く聞こえますが、そもそも幕末を隅々まで描くには全47話では無理でしょう。
龍馬が本当に活躍するのはこれからですから、どうしても割愛せざるを得ない部分がたくさん出てくるのは仕方がないと思います。
まあ、気長に見ていきましょう。