人気ブログランキング | 話題のタグを見る

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1

 大河ドラマ「龍馬伝」の影響で、高知や京都、長崎などにある「坂本龍馬ゆかりの地」に訪れる人が激増しているらしい。私の住む神戸にも、かつて坂本龍馬勝海舟が作った「神戸海軍操練所」があり、ゆかりの史跡も多い。今まで足を運んだことはなかったが、せっかくの大河ドラマ年のこの機に行かねば・・・という使命感(?)のような動機がはたらき、先日1日がかりで史跡巡りをしてきた。

 神戸海軍操練所は文久3年9月24日にほぼ竣工した。場所は現在の神戸市中央区にある神戸税関構内にあったらしい。敷地面積は二千四百坪(約8千平方メートル)。そこに塾生の寮が建てられ、周囲には生垣と堀が巡らされた。塾生の数は、龍馬が姉・乙女に宛てた手紙によると2~300人はいたようだ。海舟が神戸を選んだ理由は、江戸時代の末期に網屋吉兵衛(あみやきちべえ)が築いた「船たで場」(船底に付いた貝殻や船虫などを焼くための施設)の設備を利用できると考えたからと言われている。

 現在、その跡地に重さ10トンにおよぶ錨を用いた「神戸海軍操練所跡碑」が建っている。
                         ↓↓↓
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1_e0158128_024467.jpg

 この錨の碑は、昭和43年に神戸の経済界や港湾の関係者の方々が、旧軍艦の錨を兵庫県に寄贈し建てられたそうだ。その後、ビル建設工事の理由で平成3年ごろに一時的に撤去され、直ぐに復旧する予定だったが、阪神・淡路大震災や経済不況のあおりを受け、長い間撤去されたままになっていたらしく、撤去されてから約10年たった平成13年11月、周辺のビル建設工事完了と共にようやく復活。現在は国道2号線沿いにあるNTTビル横で見ることができる。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1_e0158128_0254659.jpg

 この石柱は昭和29年2月と彫られており、上の錨の碑より以前からあるもののようだが、詳しいことは調べがつかなかった。

 錨の碑の前にある本型の石碑。高い位置にあるためとても読みづらい。
 (脚立があるはずもなく、おもいっきり腕を上に伸ばして撮影しました。)
                         ↓↓↓
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1_e0158128_0322019.jpg

【本型碑文の内容】
 万延元年(1860年)1月、幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟は、咸臨丸(300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいながら一行の護衛と海洋技術習得の大任を果したのである。これ、日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。
 文久3年(1863年)4月、攘夷の世論ようやく急を告げ、徳川家茂は摂海防備のため阪神海岸を巡視した。当時、海舟は軍艦奉行並の職務にあって、これに随行し、神戸港が天然の良港であり国防の要港であることを力説した。かくてここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
 この神戸海軍操練所は兵学校、機関学校、海軍工廠を総合した観があり大規模な組織であった。勝海舟はここに天下の人材を集め日本海軍の礎を築き、海外発展の基地をつくろうとした。その高風を仰ぎ、来り学ぶ俊英二百の多きを数え、坂本龍馬、陸奥宗光、伊東祐享など幾多有為の人材が輩出したのである。
 元治元年(1864年)、海舟は禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加したため、激徒養成の嫌疑を被って解職され、操練所もまた翌慶応元年(1865年)3月、ついに閉鎖されるの止むなきに至ったのである。
 当時は、この「記念の錨」から東へ長くひろがり、南は京橋詰から税関本庁舎を望むあたりの、長方形の入堀約一万坪の一帯が海軍操練所であった。惜しくも現在では阪神高速道路の下に埋めたてられて当時の盛観をしのぶに由もない。今はただ、遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の碑文を仰ぐことのできるのがせめてもの救いである。
 ここに当時を偲び郷土を愛する人びとに、この記念碑を捧げる。
 昭和四十三年十月建之


 次回は上記碑文の中でも紹介されている、海舟直筆の海軍営之碑を紹介します。

坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4


下のバナーを応援クリック頂けると嬉しく思います。
     ↓↓↓

by sakanoueno-kumo | 2010-06-16 00:51 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(3) | Comments(5)  

Tracked from ローカルニュースの旅 at 2010-12-22 11:04
タイトル : 竜馬と海舟が歩いた“佐賀関街道”披露
坂本竜馬と勝海舟が通った大分市佐賀関に延びる「佐賀関街道」。近年、人目に付かなくなっていた街道の一部を、地元有志らが整備した。... more
Tracked from 散策とグルメの記録 at 2014-09-01 07:27
タイトル : 旧神戸海軍操練所跡
神戸海軍操練所跡由来について碑文より引用 万延元年〈1860)1月、幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟は、臨丸〈300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいなが ら一行の護衛と海洋技術習得の大任を果したのである。日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。 文久三年(1863)4月攘夷の世論ようやく急を告げ、徳川家茂は摂海防 備のため阪神海岸を巡視した。当時海舟は軍艦奉行並の職務にあって、これに随 行し、神戸港が天然の良港であり国防の要港であること...... more
Tracked from CHIKU-CHANの岩.. at 2014-09-01 09:58
タイトル : 神戸海軍操練所開設150年 記念式典 on 2014-8..
<神戸海軍操練所>開設150年 勝海舟らの偉業しのぶ /兵庫(毎日新聞) - goo ニュース 勝海舟の子孫、咸臨丸の水兵、船大工などの子孫などで構成されている咸臨丸子孫の会のメンバー ら30人以上の方々が一般社団法人グローバル人材育成推進機構が運営する帆船「みら...... more
Commented by seiyo39 at 2014-09-01 07:30
初めまして、突然のコメント失礼します。神戸在住のseiyo39と
申します。下記の記事でTBさせていただきました。         http://seiyo39.exblog.jp/7771439/

承認のほど宜しくお願い致します。
Commented by seiyo39 at 2014-09-01 10:00
初めまして、突然のコメント失礼します。神戸在住のseiyo39と
申します。下記の記事でもTBさせていただきました。

http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/b28e973056a8f66b2d3c720b835a46ba

承認のほど宜しくお願い致します。

Commented by sakanoueno-kumo at 2014-09-02 19:16
< seiyo39さん

コメント&TBありがとうございます。
RESが遅くなって申し訳ありません(ただいま超多忙の身、ご容赦ください)。
今後とも宜しくお願いします。
Commented by seiyo39 at 2014-09-03 06:22
坂の上の雲 様へ
コメント&TBの返しありがとうございました。
私も垂水区在住です。リタイヤー後、神戸市民振興財団とか原子力安全技術センターでお世話になっていましたが、今は完全にフリー=毎日サンデーです。

歴史ものが詳しく書かれていますので参考になります。今後ともよろしくお願いします。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-09-05 19:21
< seiyo39さん

過分なお言葉ありがとうございます。
垂水にお住いなら、どこかですれ違っているかもしれませんね。
大河ドラマのレビューを中心に更新しているブログですが、また気軽にコメントください。

<< 坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 i... とりあえず安堵。FIFAワール... >>