坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
神戸市章の電飾で有名な市章山。
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この「海軍営之碑」は、勝海舟が14代将軍・徳川家茂の神戸来訪を記念して元治元年(1864年)に作り、神戸海軍操練所敷地内に設置しようとしたものの、志半ばで操練所は閉鎖となり、完成していた高さ2mもあるこの碑は、海舟の友人であった神戸の豪商・生島四郎太夫に預けられ、海舟の意向から一時は生島の邸宅内に埋められていたらしい。その後半世紀が経ち、大正4年(1915年)に土中から掘り起こされ、この地に移設されたそうだ。
碑の建つ場所へは車では行けず、結構ハードな山道を登らなければならない。山道を歩くこと15分。金星台という高台の一角に、低木や草に隠れるように建っている。

身長125cmの我が娘をスケールに大きさを比較。

説明書きの看板などがないため、詳しくはわからないが、おそらく右の大きい方の石碑が海舟が撰文したといわれる石碑で、左の石碑はこの「諏訪山公園」に移設する際に作られたものだと思われる。右の碑文の部分が黒い御影石になっているのは、おそらく風雨にさらされ読みにくくなったため、近年補修されたものと思われるが、ここだけ妙に新しく違和感を覚えた。歴史的価値も下がったように思えて、なんちゅう余計なことを・・・と思ったのは私だけじゃないのではないだろうか。

何せ漢字ばっかなので読解出来ないが、確かに「坂本龍馬」という文字は見つけた。
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石碑のある高台から望む、神戸市街の景色。
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こんな山の上までは行ってられない・・・という人には、前稿の「神戸海軍操練所跡」の近くに「みなと公園」というところがあり、そこにこの石碑のレプリカがある。

こちらの碑は、昭和48年(1973年)に建てられたもので、レプリカの碑と並んで、操練所の塾生出身で後に第4代兵庫県知事になった陸奥宗光(後、外務大臣)の顕彰碑がある。

レプリカ碑の裏には「海軍操練所の生徒で神戸に忘れられない人」として、4人の名前が刻まれている。
塾長=勝海舟(海軍奉行)
塾頭=坂本龍馬 (海援隊長)
伊藤俊輔(博文=初代兵庫県知事・初代内閣総理大臣)
陸奥陽之助(宗光=兵庫県第四代知事・第二次伊藤内閣外務大臣)
はて?・・・伊藤博文と神戸海軍操練所は何の関係もないと思うが・・・?
伊東祐亨(後の海軍大将)なら操練所の出身だけど、伊藤と伊東の間違い・・・なんてことはないよなぁ。レプリカとはいえ、まさか石碑で・・・。
次回は海舟が関わったとされる砲台跡を紹介します。
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その1
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その2
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その3
坂本龍馬、勝海舟ゆかりの地 in 神戸 その4
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by sakanoueno-kumo | 2010-06-17 00:43 | 神戸の史跡・観光 | Trackback(4) | Comments(0)















