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龍馬伝 第28話「武市の夢」

 文政12年(1829年)9月27日、土佐国長岡郡の白札郷士(郷士の中の最上位)に生まれた武市半平太。幼少の頃から学問と武芸に励み、まさに文武両道の秀才で、容姿端麗、人格高潔にして誠実、風雅をわきまえ、深沈で喜怒色にあらわさず、音吐高朗、見るからに人に長たる威厳があったという。その人物像をうかがい知れるものとしては、中岡慎太郎が後年、西郷隆盛を評して、「その誠実、武市に似」と語っているものや、また、人斬り新兵衛こと薩摩藩士・田中新兵衛も半平太を評して、「至誠忠純、洛西にその比を求むるならば、わが大島三右衛門(西郷隆盛)か」と述べていることなどからも、半平太の人物のほどがうかがえる。「人望は西郷、政治は大久保、木戸(桂)に匹敵する」とも言われ、また、坂崎紫瀾が執筆した「維新土佐勤王史」によれば、「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」と評されている。維新後、西郷、大久保、木戸の3人をもって「維新三傑」と呼ばれるが、歴史の「もし」はタブーではあるが、もし武市半平太が明治の世まで生きていれば、間違いなく彼を加えた「維新四傑」となったであろうという声も多い。

 そんな至誠の人・武市半平太だが、後世にあまり良い印象を残していないのは、暗殺事件の黒幕というイメージと、人斬り以蔵こと岡田以蔵との関係によるところが大きいだろう。中でも、拷問を受ける以蔵を毒殺しようとしたエピソードは、半平太の人生最後の汚点といえる。本来の言い伝えはドラマとは違い、強い思想を持たない以蔵の自白を恐れ、口封じのために毒入りの弁当を差し入れ殺そうとしたというもの。しかし、この計画は失敗に終わり、そのことを知った以蔵は憤りを覚え自白したと伝えられる。この逸話から思うのは、上記で述べたような至誠の人・武市半平太にあるまじき行動だということだ。たしかに彼は、暗殺事件の黒幕として岡田以蔵を使い、数々のテロを行った。しかし、それは彼にとっては「正義」の行いで、やましい思いはひとつもなく、だからこそ勤王党弾圧が始まり、久坂玄瑞や中岡慎太郎から脱藩を勧められても応じることなく、潔く縄についた。獄中でも臆することなく取り調べに応じ、尚も君主・山内容堂に対し意見を述べていたという。しかし、だとすればこの以蔵毒殺未遂の逸話はあまりに半平太像と異なるという思いがあった。ドラマでは、厳しい拷問で弱っていく以蔵を見るに見かね、楽にしてやろうという思いからの毒殺計画となっていた。半平太の人柄から考えて、この設定はありだと思う。

 岡田以蔵が捕えられたのは元治元年(1864年)6月ごろ、半平太投獄から遅れること9ヵ月後のことだった。半平太が土佐に戻ると、以蔵は土井鉄蔵と名を変えひとり京都に潜伏、女色に溺れ荒んだ生活をしていたという。些細な強盗事件を起こし幕吏に捕えられた以蔵は、「無宿者鉄蔵」と入墨をされ、京を追放、同時に土佐藩吏に捕えられ国元へ搬送される。半平太以外の投獄者は皆拷問を受けたといわれるが、中でも以蔵に対する拷問は苛烈を極めたという。思想を持たない以蔵で口が割れると考えた藩庁だったが、処刑されたのが翌慶応元年(1865年)5月11日のことだから、実に1年近くも厳しい拷問に耐え抜いたことになる。以蔵にも以蔵なりの強い意志があったのだろう。この日処刑された者のなかで以蔵の刑は最も重く、斬首の上、鏡川上流の雁切河原に三日間晒し首となった。享年28歳。

 岡田以蔵の辞世の句。
 「君が為  尽くす心は  水の泡  消えにし後ぞ  澄み渡るべき 」
 歌中にある「君」は、勤王の志士らしく「天皇」のことともとれるが、実は、武市半平太のことだったのではないだろうか・・・。

 私はこれまでこのブログを通して、かなり半平太に肩入れした発言をしてきた。自由で闊達な坂本龍馬に対して、堅物で融通の利かない武市半平太というのが世間一般の見方だと思うが、そんな彼に、私は最も日本人らしい日本人の姿を見る。謹厳実直を絵にかいたような彼の生きざまは、まさに日本人の国民性といってもよく、彼のような真面目を常とする人たちが、少なくとも昭和期まではこの日本を支えてきた。だから多くの人が、自分たちにない坂本龍馬に憧れるのではないだろうか。私たち日本人のその多くが、坂本龍馬に憧れる武市半平太だと私は思っている。

 ドラマでは吉田東洋暗殺を自白した半平太だったが、言い伝えでは最後までその容疑を認めることはなく、結局その件は立証出来ぬまま、「党与を結び人心煽動し君臣の義を乱した」という「君主に対する不敬行為」の罪状で切腹を命ぜられた。以蔵が処刑された同日夜、南会所大広庭にて、切腹の作法としては最も難しいとされた「三文字の割腹」の法を用いたと伝えられている。介錯人は妻・富子の実弟・島村寿太郎と義理甥・小笠原保馬。この割腹法を用いるため、「合図をするまで首をはねるな」と、介錯人にあらかじめ指示していたという。結局、みごと三文字に割腹した半平太は介錯の合図をすることなく倒れ、介錯人は横から喉を刺したという。享年37歳。彼の最後の意地とも思えるこの死に際の潔さは、自己の武士としての誉れの為だったのか、それとも君主・山内容堂への無言の訴えだったのか・・・。

 武市半平太の辞世の句。
 「ふたゝひと 返らぬ歳を はかなくも 今は惜しまぬ 身となりにけり」
 半平太の無念の叫びは、この後龍馬に引き継がれていく・・・。
 

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by sakanoueno-kumo | 2010-07-12 02:13 | 龍馬伝 | Trackback(6) | Comments(5)  

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Commented by ayumiyori at 2010-07-12 08:30 x
おはようございます。
素晴らしいですね!大変面白く拝見いたしました。
坂本龍馬に憧れる武市半平太、そうですよね。
はらりと散ってゆける時、当人は清々しいものなのですね。残された者の立場でしか見ていなかったように思いました。暗殺事件は武市が指示してもしなくても起きたのかも知れません。意識朦朧の中何かが起こった、そんな時代の中にいたように思えます。
結果皆命を奪われたのですね。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-07-12 09:54
< ayumiyoriさん。
おはようございます。
坂本龍馬や高杉晋作のような「天才型」の人物は、その時代にしか生まれ得なかった、時代に要求された人物だと私は思います。
後世に生まれていれば、単なる変わり者として終わっていたかもしれません。
一方で、武市半平太という人は、生まれる時代が悪かったと思わずにいられません。
歴史の悪戯ですね・・・。
Commented by at 2010-07-12 17:03 x
こんにちは。
とうとう武市半平太が逝ってしまいました。
「龍馬が日本を変える」とは、真に武市の夢だったのかも知れません。
これ程(こちらのブログでも多く解説なさっている)の人物でも、暗殺というダーク・サイドに落ちてしまったのも真に惜しいと思いますが、人間は皆、闇の部分に囚われるもので、歴史に残る出来事に関わった人ほど落ち方も大きかったのでしょうか。
単に運が悪かったのかも知れません。
いよいよ龍馬の歴史に残る活躍が始まりますね。
解説を楽しみにしております。

それから、大変遅くなり失礼を致しましたが、
神戸の「三国志」キャラ情報ありがとうございました。
復興後の神戸を訪ねたいと思いつつ未だ果たせておりませんが、
訪れる楽しみが増えました。
Commented by at 2010-07-12 17:23 x
書き忘れが有って再びお邪魔致します。
前回書かれていた「清岡道之助」の逸話に
大変感動しました。
武市半平太は志半ばで逝ったとは言え、歴史的スター。
本当に歴史に埋もれていった人々の方が多いですね。
岡田以蔵は辞世の句を読ませてもらえただけ、
清岡達より扱いがましだったという事になるのでしょうか。
ドラマの武市と以蔵の最期より、このお話にうるっと来ました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-07-12 22:51
< 湛さん。
武市半平太という人の不運は、彼の人生の師といえる人の存在が見当たらないんですね。
例えば龍馬には勝海舟、西郷隆盛には島津斉彬、高杉晋作には吉田松陰といった、人生に影響を与えた師の存在があります。
武市にそのような人物がいたという話は残っておらず、彼自身が多くの人間から敬服される師の立場にあったこと。
もし彼に師と呼べる人がいれば、人生の結末は違ったものになっていたかもしれません。

清岡道之助の逸話は、「竜馬がゆく」の小説の中にもあります。
出来ればドラマでも採用してほしかった話ですが、龍馬が関わっている話ではなく、難しかったのでしょうね。

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