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龍馬伝 第32話「狙われた龍馬」

 慶応元年(1865年)閏5月、下関での西郷隆盛桂小五郎の会見計画に失敗した坂本龍馬中岡慎太郎は、その10日後、西郷を追いかけるように下関から京に向かってたった。無論、西郷をもう一度説得するためだった。西郷がなぜ、一旦は決めたはずの下関行きをドタキャンしたのかは歴史の謎である。ドラマでは幕府の隠密が船に忍び込んでいたという設定だったが、他の物語などでは、大久保利通から緊急の書簡を受け取ったためというものや、長州との和解はこの時期まだ西郷ひとりの意見で、薩摩藩内では反対意見が多く迷っていたとするものなど、理由は様々だ。私が思うには、前話の第31話「西郷はまだか」でも述べたように、この時期の薩摩側が期待していたのはあくまで「和解」であったのに対し、長州側や龍馬、慎太郎たちが求めていたのはその先の「提携」であり、ことが近づくにつれその「温度差」を感じた西郷は、土壇場になって消極的になった・・・といったところではないかと思っている。この「温度差」があったからこそ、この翌年に行われる両藩の最終会談の場に至ってもこじれ合うこととなり、結局は龍馬の出馬を必要とするに至るわけだが、それは後の話に譲ることにしよう。

 ドラマ中、寺田屋で新選組局長・近藤勇と遭遇した坂本龍馬。龍馬と近藤に面識があったという記録は残っていないが、これ以後も頻繁に京の地に足を踏み入れていた龍馬が、新選組とまったく関わりがなかったと考えるのも無理があるだろう。一度や二度は、剣を交わしたこともあったかもしれない。

 興味深い話がある。司馬遼太郎著の「竜馬がゆく」の中で、巡察中の新選組と龍馬が路上で出くわすという場面がある。殺気立つ新選組隊士を目の前にして、龍馬は突然路傍の子猫を抱き上げ、頬ずりしながら悠々と敵の隊列の中を通り抜けてしまったというエピソード。敵の気を抜くという大胆な戦法なのだが、この痛快なエピソードがなんと実話だったという。大正3年(1914年)に刊行された千頭清臣著「坂本龍馬」の中にその元となった記述がある。
 「慶応元年四月五日(略)、龍馬は同志高松太郎、千屋寅之助等を従へて嵐山に遊び、帰途偶々会藩主の武装して巡羅するに会ふ。龍馬、高松を顧みて曰く、君果して之を横断するの勇ありやと。高松瞠目して一語なし。龍馬突如として路傍の子犬を抱き、余念なげに之に頬擦しつつ歩を会士の中央に運ぶ。会士喫驚して覚えず途を開く。龍馬悠々として之を横ぎり、高松、千屋等辛じて龍馬に次げり。」
 同書は龍馬の伝記としては評価の高いものである。その序文には、龍馬の死後、明治まで生きた海援隊士の直話をもとにしたものと書かれていて、文中に登場する高松太郎千屋寅之助(菅野覚兵衛)はいずれも明治中期まで生きた人物である。子猫ではなく子犬、また新選組ではなく会津藩の巡察隊となっているが、会津藩支配下の新選組は広い意味では会津藩の巡察隊には違いなく、当時の記録には両者を混同してしまっているものも多いらしい。このエピソードからわかるのは、新選組と遭遇しても動じない龍馬の姿。そんな彼だったからこそ、四方八方敵だらけの京に何度も足を踏み入れ、身の危険を顧みず大仕事が成し得たのだろう。そんな龍馬像がうかがえる痛快なエピソードだ。

 本稿では、今話とはあまり関係ない話をさせてもらった。今話で龍馬と慎太郎が西郷を動かした件については、次週の第33話「亀山社中の大仕事」に譲りたいと思ったからだ。龍馬の本当の活躍はこれからである。


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by sakanoueno-kumo | 2010-08-09 01:41 | 龍馬伝 | Comments(0)  

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